虎っ娘ランナーのランニング日誌

マラニックバッグにタイガースメガホンをさして国道2号線を西へひた走るランナーを見かけたら・・・、それは私です。

檜舞台

2009年01月26日 | ランニング
渋井陽子が初マラソンの世界記録で優勝をかっさらったのが
2001年の大阪女子国際マラソンだった。
この大会はくしくも大阪国際女子マラソンの20回の記念大会。
それを記念して20キロのロードレースが開催された。
長居陸上競技場スタートの国際女子マラソンと同時に大阪城をスタートするというレース。
しかも玉造筋あたりで国際ランナー達の集団と擦れ違えるという破格の記念レースだった。
思えばその記念すべき大会が私の初レースだったのだ。
まだ20キロを走り尽くす体力も走力も無かった頃のこと。
10キロの関門に引っ掛かり収容バスに乗り込む事を見越してのエントリーだった。
ランナーとしての意地も根性もなかった頃の事。
計画通り10キロから悠々のバス旅だった。
が、初めて車道を走る喜びに打ち震え、
なお且つ玉造筋で快走する渋井陽子と擦れ違った事の感動の記憶は今も克明にインプットされている。

やはり、あのレースがランにはまったきっかけだったのだろうか。
あれから8年。
今年は訳あって毎年参加している市民ハーフを回避した。
その分応援ランの醍醐味を十二分に味わう事ができたのだが、
結果的に大阪国際女子マラソンは渋井陽子が8年振りに復活して制した。
何やら因縁めいたものを感じる。


応援観戦第一部。大阪市民ハーフの部。
制限時間
2時間のハーフレースは流石にハイレベルだった。
トップグループの走りを至近距離で眺めていると、そのスピードに圧倒される。
応援場所はラスト
2キロ地点。
ここが踏ん張り所だ。頑張れっ!
激しい息遣いからその苦しさを我がことのように共有し、掛け声にも自然と力が入る。
粉雪舞う中、寒さも忘れて仲間達に声援を送った。

そして応援観戦第二部は、言わずと知れた大阪国際女子マラソン。
結局私には遠い遠い夢で終わった檜舞台を一流選手達と共に疾走するラン友たち。
彼女たちの雄姿を尊敬と羨望の入り混じった視線で熱く見つめる。
そんな中でも特に。この子の雄姿には釘付け。
         
ハードな職務に加え妻という立場の
3足のワラジ。
多忙な中で厳しい練習を自らに課し続けてきたラン仲間、Kリン。
直前に故障というアクシデントを乗り越えて、何と本番で自己ベストたたき出した。
まさに驚異のど根性。
彼女こそ金本さん弟子を名乗るに相応しい!!
打ち上げで記念のツーショットを取るも、彼女の前では自らの不甲斐なさを恥じる事この上なく・・。
          

渋井陽子の復活もママさんランナー赤羽さんの頑張りも何れも心揺さぶられる素晴らしいドラマだった。

が、私にとっては。
   「自己ベスト更新!!」
という彼女からのメールが何より最高のドラマであった!!

ラン友から頂いた最高の刺激を糧に今宵の練習メニューは1キロインターバル走x5本を自らに課す!!

来週は自身のささやかな目標に向かって快走しなきゃならないんだから!