虎っ娘ランナーのランニング日誌

マラニックバッグにタイガースメガホンをさして国道2号線を西へひた走るランナーを見かけたら・・・、それは私です。

四万十応援ツアー(前編)

2007年10月16日 | ランニング

わたしの
100キロウルトラマラソンに対する思いは。


・死んでも出ない!       ・出れればいいな~。      ・私もでてみたい~。
・そんな事やる人の気が →  ・100キロ走れるなんて  →  ・同じランナーやん、
 知れない。馬鹿ちゃう?    尊敬!              やれば出来るかも。 
     
   
       と変遷してきた。そして遂にこの度!



    来年、絶対でる!その為に練習するぞっ!
    
                    と、完全にギアチェンジしてしまった。



その決定打となったのが「四万十ウルトラマラソン応援ラン」。

四万十川ウルトラマラソンは、100キロマラソンでも人気の大会だ。
前々からその素晴らしさは耳にしていた。
せっかく誘っていただいたのだから、観光半分で応援もいいかと参加してみたのだ。

私が誘われた私設バスツアーは総勢17名。内、応援は私を含めて3名だけ。
後は全員レース参加者。

それなのにこのツアーったら・・・・・・・・。


美味しい讃岐うどんを食べに迂回する為にわざわざ早朝立ちをし、

         

バスの中では延々と大宴会を続け、  

現地に着いたら着いたで、前夜祭でまたまた大宴会。 

あんたら、どんだけ飲むねんっ!
明日ほんまに100キロ走る気あるんかっ!
って叫ぶほどの、とんでもな~いツアーだったのだ。
でも、讃岐うどんは絶品だったし、「ビ」の付くお飲み物も「少々」嗜む私にとっては決してお嫌いじゃないツアーだったりする。


しかし、どんだけ飲んでも、やる時はやるのが、飲んだくれランナー!
翌日早朝5時半、まだ夜明け前の暗い中、感動の2007、四万十川100キロマラソンの開幕!3時起床に全員寝坊もせず、スタートラインに立つ。
         


そして、ここから姐さんの【爆笑応援ランの旅】(前編)がはじまる。


さて、今回の主目的はウルトラランナーさんへの応援。
さりとて、こんな所まで来て走らないでおられる私ではない。

本日のささやかなラン計画。
60キロの部のスタート地点までバスで移動後、カヌー館(100キロの部の60キロ地点
、ランナー達の着替えポイントでもある。)まで22キロを走り、そこでレンタサイクルに乗り換えて、応援する選手を追いかける、というもの。

午前7時50分、私のランスタート。
100キロのスタートが午前5時半だから、私がトップ選手に追いつかれるのは50キロ地点前後だろうか。

このたった20キロのランが私を四万十の虜にさせてしまうのだ。

        

何と言ってもこの心洗われる風景を見よ!
「暴れ川」という異名もある位、氾濫の歴史があるという四万十川。
(地元の方、談)
この日は母なる川の如く、眼下をゆっくりとたゆたっていた。
川が流れ来る先には、ゆらゆらと雲をたなびかせた静謐の山々。
古の人々が「神々が宿る国」と考えた事もなるほど頷ける。神々しい風景だ。

そんな事を考えつつ走行する。
家の軒先では地元の方々が応援の為にと椅子を持ち出して、選手達が通過するのを今か今かと待ち受けている。
私が通る度にみなさん嵐のような拍手。
どおうやら、トップ選手だと勘違いされておられるご様子。
「違います!応援ランです!すいません!」と何度も謝りつつ通過していた。
    
謝りながらもずうずうしくシャッターを押していただいたりする。はい、ポーズ。
隣りに座るおばあさんに、この村の景観の素晴らしさを絶賛したら、おらが村を褒められた嬉しさからか、
「これ持っていきなさい。」と、たくさんの栗をくださった。
隣りのおじいさんが負けじと「わしも何か・・。」と言って、ポケットから取り出してくださったのがシイの実。全くなんて素朴な人達なんだろう。


判り易い距離表示が1キロごとにある優しい心遣い。


公設エイドの方々も準備に余念がない。
                  

ところが、この忙しいボランティアスタッフの方々が走ってくる私の姿を認めると、皆、作業の手を止め拍手喝采をするではないか。
あ~、またトップ集団と間違われてる。
大声で「違います~!選手じゃありませ~ん!応援ランで~す!」
と叫ぶ。
近づくと、「あ~、なんや応援かいね。いやぁ、今みんなでね。今年のトップは女の人よ!って大騒ぎしてたのよ~。」と。
皆で大爆笑。私も笑う。
「のど渇いてない?ドリンク飲んでいきなさい。何でも食べていきなさい。」と親切この上ない方々。図々しい私もさすがにそれは「いえ、それはダメです。選手の為のものですから。」と固辞する。(ほんとよ。)
と、まぁそんな会話が各エイドで何度あったろうか。
スタッフの皆様方、応援の地元の方々、まぎらわしい行動を取って本当に申し訳ございませんでした。

走行10キロ地点(100キロの50キロ地点)だったろうか。
後ろから軽トラックが追走してくる。
「まもなく、トップの選手が通過いたします。」のアナウンスと共に。
「おお、ついに追いつかれたか。」と、慌てて走路を譲る。
「すぐに来るんですか?」と運転手に尋ねると、「いや、まだ15分くらい後や。」
との事。
トラックをやり過ごしてからまた走る。
後ろから見ていると、それは先導l車ではなく作業車で、何度も車を停めて降りては走路をジャマする大石や枝などを取り除きく作業をされていた。

「そうか、選手の安全の為になんだ。」
これなら私も協力できるやん。ただ走るだけじゃなく、お手伝いしよっと。
       
と、散乱するイガ栗などをコース脇に蹴り上げては、選手の安全を祈りながら走っていた。
すると、先ほど追い抜いた軽トラックが追いついてきて、おじさんが窓を開けて
「手伝ってくれてありがとう。」と仰ってくださる。
こっぱずかしい。恐縮至極だ。
おまけに「どこまで行くつもり?乗っていくか?」とまで。
「いえ、走りたいんで・・・。」と正直に答えてこれまた固辞する。
なんて心優しき人達。



         
その後、出会ってお喋りした素敵なおばあ様方との記念撮影。
80歳というのにお肌がぴちぴちでとっても可愛いお二人。
他にも素敵なふれ合いが書き切れないほどたくさん!


ねっ。ねっ。これでファンにならなきゃ嘘でしょ。

道行く先々で、来年はランナーで来ますから!と公言して憚らなかったわたくし。
公約違反は大阪女の恥やん。
こうなりゃ走るっきゃないやん。

かくして本日ただ今よりtacocoさんのウルトラマラソンへのチャレンジが始まった。
先輩方ご指導宜しくです。


さて、感動のゴールシーンを含むその後の珍道中は、


                           後編へ続く・・・・。