10年以上前から、東京から九州東岸までが入る幅6m×縦2mほどの1/20万地勢図を用いて、
我々の世代+次世代が覚悟しておくべき、南海トラフ沿いの巨大地震(東海・東南海・南海地震の連動発生)の
姿を伝えようというワークをしている。
今日(10月18日)の四日市市防災大学の6時間の講義・実習でも、このワークを行った。
阪神淡路大震災の様々な悲喜劇は、面的な広さとしては、
この縮尺では手のひら2つ分の範囲で展開されていたに過ぎない。
その範囲の外側では日常生活が営めていた訳であり、
そこを拠点に被災地域への「日帰り支援」も十分可能であった。
備蓄も3日分あればまぁ何とかなるというのもうなずける話だった。
しかし、宝永地震以上となるかもしれない南海トラフ沿いの巨大地震となると、
「敵は広さ」である。
この範囲の隅々にまで支援の手が差し伸べられるなどということは、
支援側と受援側の人数比を考えればあり得ないことは一目瞭然である。
「着眼大局」の言葉を用いて、この全体像を理解してもらえないか、と、
ここ3年ほどは努力を重ねてきているが、
最近は、これだけでは不十分なのではないか、と思うようになっている。
現在、「着眼大局」の説明用資料として用意しているのはA4版×3頁。
このような、だらだらとした文章で説明することは出来るが、
本質を射抜くようなシャープな言葉が欲しい、と思うようになった。
南海トラフ地震の本質を一言で表現するならば何か。
そして、この震災の発生まで20年程度の準備期間があるとすれば、
その準備期間を活かした対策の基本理念(哲学・方針)は何か。
前者については、「先進国日本の最後の日」「日本沈没」、
後者については「防災教育の根本的見直し」「自律した系」「分散」「『このくにのかたち』の再構成」
といった表現は出ている。しかし、これではまだまだである。
この「これではない」ということはわかるのだが、ではどう表現すればよいか。
ここ3年くらいの間に、本質を射抜くようなキーコンセプトにたどり着ければよいのだが……。
我々の世代+次世代が覚悟しておくべき、南海トラフ沿いの巨大地震(東海・東南海・南海地震の連動発生)の
姿を伝えようというワークをしている。
今日(10月18日)の四日市市防災大学の6時間の講義・実習でも、このワークを行った。
阪神淡路大震災の様々な悲喜劇は、面的な広さとしては、
この縮尺では手のひら2つ分の範囲で展開されていたに過ぎない。
その範囲の外側では日常生活が営めていた訳であり、
そこを拠点に被災地域への「日帰り支援」も十分可能であった。
備蓄も3日分あればまぁ何とかなるというのもうなずける話だった。
しかし、宝永地震以上となるかもしれない南海トラフ沿いの巨大地震となると、
「敵は広さ」である。
この範囲の隅々にまで支援の手が差し伸べられるなどということは、
支援側と受援側の人数比を考えればあり得ないことは一目瞭然である。
「着眼大局」の言葉を用いて、この全体像を理解してもらえないか、と、
ここ3年ほどは努力を重ねてきているが、
最近は、これだけでは不十分なのではないか、と思うようになっている。
現在、「着眼大局」の説明用資料として用意しているのはA4版×3頁。
このような、だらだらとした文章で説明することは出来るが、
本質を射抜くようなシャープな言葉が欲しい、と思うようになった。
南海トラフ地震の本質を一言で表現するならば何か。
そして、この震災の発生まで20年程度の準備期間があるとすれば、
その準備期間を活かした対策の基本理念(哲学・方針)は何か。
前者については、「先進国日本の最後の日」「日本沈没」、
後者については「防災教育の根本的見直し」「自律した系」「分散」「『このくにのかたち』の再構成」
といった表現は出ている。しかし、これではまだまだである。
この「これではない」ということはわかるのだが、ではどう表現すればよいか。
ここ3年くらいの間に、本質を射抜くようなキーコンセプトにたどり着ければよいのだが……。