「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「アンニョンハシムニカ」と「つつがなく」、そして「ご安全に」

2015-01-07 23:53:32 | 防災学
三ヶ日を実家で過ごしたのち、昨日まで、
原稿書き+メール処理+計画づくり+たまった本を読む等々のため、
韓国・ソウルのホテルで缶詰になっていた。

その時、親しい韓国人の防災・危機管理研究者と議論した時の話。

はっとさせられたことがある。
私達が普段、何の気なしに交わしている挨拶の中に、実は危機管理のネタがあったのだ、というお話。

韓国語は離せないが、「アンニョンハシムニカ」「アンニョンハセヨ」という挨拶があることくらいは
さすがに知っている。だが、そのアンニョンが安寧だということは、
今回の(アルコール燃料付き)ブレストで初めて教えられた。
半島という、地理的な、またそれゆえ政治的なリスクを背負っている国ゆえ、ということ、なのだろう。

安寧という言葉。現代日本の日常会話で普通に使われる言葉、とは言い難いが、意味はわかる。
実際、防災学関係の活動として、京都大学に「安寧の都市ユニット」もある。
安全で安心、客観と主観の双方からしてリスクの少ないことを示している言葉、となる。

つまりは、朝鮮民族は、お互いの安全や安心を、日々の挨拶の言葉に込めていた、ということになる。

日本語にも、つつがなく、という言葉がある。
ツツガムシという伝染病を媒介する虫に刺されていないかを尋ねる言葉、
転じて安全に暮らしているかを聞く言葉だと思っていて、どうもそれは違うらしい、
という話も最近聞いたところだが、それはさておき、
すくなくても、相手の健康リスクを日々気にしている、
それが挨拶の表現に現れていた、ということに変わりはなかろう。

そういえば、で思い出したのは、「旅の坊主」自身は使ったことはないが、
「ご安全に」という挨拶もあるのだそうな。
日本の政治的指導者の中にも、その「ご安全に」を日常の挨拶として使っていた人がいたと記憶している。

で、だ。

安寧という言葉を日々使っている韓国でセウォル号のような事故が起きてしまった。

ツツガムシ病はほぼ過去の病となり、つつがなくという言葉自体あまり使われなくなったが、
その日本の防災も、本質的な部分にはなかなか着目されないまま
小手先のことでごまかしている雰囲気は続いている。

「ご安全に」と言っていた政治的指導者クンは、
日本人が他国の戦争に参戦する制度を、頼まれもしないのに必死に作ろうとしている。

こういうことは、何を意味するのだろうか。

自分への日々の戒め、あるいは他者への思いやり。広く言えば生きる知恵。
挨拶には、どういう意味合いが込められていたのではないだろうか。
しかし、そこかでそれが断ち切られてしまった。
単なる社交辞令となり、そこに本質的な意味を見出す行為はなくなってしまった、
ということ、なのだろうか。

もちろん、我が身に起こる不幸は考えない、というのが人間の性。
不幸なことを考え続けられるほど、人間は強くはないことも間違いない。
さはさりながら、いにしえよりの人々が挨拶に込めた安全で安心な日々への思いを、
言葉としては残っているが中身は消し飛んでしまった、ということで、
簡単に捨ててしまってよいのだろうか。


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