「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【NHKの仮設住宅についての理解&災害救助法の理解は正しい?(その1)】

2017-03-12 20:55:15 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災7回忌を期しての現地踏破も、2日目は気仙沼から石巻までを駆け足で見たのみゆえ、
個別の場所・施設へのコメントはご容赦を。

ただ、7回忌の時点でまだこの段階?というのが総じてのところ。

もちろん、この遅さの要因をしっかり見極め、今からでも修正が間に合うところはお手伝いし、
他方、次にはもう少しうまく出来るよう仕込んでおかないと、である。

少なくても、

「被災地に足を運ぶ度、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを実感します。
インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、
福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。」

と、言ってしまえる人と理解し合えるとは思えなかった。

まぁ、かの御仁には何の期待もなく、
これ以上日本をダメにする前にお引き取りいただきたいとただひたすら願っているが、
期待していた分、期待外れだったのが昨日のNHKスペシャル。

せっかくの3月11日、土曜日の20時を使っての番組であれば、別の組み立て方があっただろうに……、と思った。

以下、疑問に思った点を示す。

1.防災の一義的な責務は単位自治体である市町村にあり(災対法)。
当然その費用も(一義的にはand/or一時的には)市町村が負担することになる。
住む場所を失った者への仮設住宅の提供にしてもこの原則は変わらない。
とはいえ、財政基盤の弱い自治体に制度の「筋」を示したところで「無い袖は振れない」のは当然のこと。
それゆえ、制度を発動させるか否かの基準被災規模を定めた上で、
都道府県費で積み立てる基金と国費から、限定列挙&基準額表示の上で、
「かくかくしかじかの用途であれば国費県費から幾ら幾ら支援します」というのが制度の根幹。
この制度を利活用せず「私達は市町村独自の支出で手厚い被災者支援を行います」という選択だって、
首長がその気になりさえすれば(&財政がそれを許せば)実行可能。
もっとも、定食メニューなら市町村負担ゼロという申し入れを断ってアラカルトで独自に手厚い支援を行い、
「でも請求書は(国県が)面倒見てね」という話は通らないと思うが。
ともあれ、被災者の自立(自律)支援についての基礎自治体の主体性についての議論はどこにあったの?という話。

2.1にしたところで、杓子定規に「かくかくしかじかは幾ら!」と決まっている訳ではない。
メニュー自体、相当充実しているし
(「災害救助法事務取扱要領」の分厚さを見よ。一般論だが担当者が知らないがゆえに活かされていない制度も相当あるのでと思われる)、
基準額ではどうにもならない場合は「積極的に申し出よ。申し出があればそう悪いようにはしない」という柔軟性が大前提となっているのが災救法の世界。
原則2年の仮設住宅の延長使用が出来たのも、この柔軟性ゆえ。
この災救法の仕組み最大の特長と言える特別基準について、番組内での言及はほぼゼロだったのでは?
(私が目を外した約2分に言及されていたら「ごめんなさい」だけれど……)
                                                       
3.番組でも言及のあった阪神淡路大震災後の災救法見直しの際には、
「将来、現時点では想像も出来ないような事態が生じるかもしれない」
「そのような不測事態への対応を現時点での議論で縛ってしまうことは避けたい」との思いから、
意図的意識的に制度の改正はせず、古い法制度にはままある良い意味でのアバウトさ(「良(い)い加減」)を残し、
将来時点の担当者の知恵(発想の柔軟さ等々)を信じよう(特別基準を活かしてほしい!)、
という話になったと、研究会参加者から直接聞いて理解している。

うーん、こりゃぁ、書き足りない!
続きは稿を改めて。


コメントを投稿