「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【東日本大震災7回忌に】

2017-03-11 15:10:28 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
更新が滞ってしまっていた。

区切りの時に何回か「この機会に再開を」と思ってはみたものの実行に至らず。
そうこうしているうちに、東日本大震災から7回忌の日が来てしまった。
防災・危機管理を謳うブログであれば、今日3月11日くらい再開のタイミングに相応しい日はあるまい。

今週の仕事の段取りが悪く、また週明けからは年中行事とし
ているカンボジア・シェムリアップ訪問の予定があるため、
実質1泊2日の短期間なれど、この日を期しての現地踏破のため岩手・宮城を移動中。
限られた時間ゆえ、今回は釜石から石巻の間のみを見ることとして、福島は3月中に再訪することにした。
旅のお供は、いつものように『東日本大震災津波詳細地図(上下)』と『津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島 航空写真集』の必携2冊、
そして現地踏破のたびに読み直している『津波と村』『海の見える病院』『ゴーストタウンから死者は出ない』の3冊。
今回、新たに加わったのは佐々木晶二氏による『政策課題別 都市計画制度徹底活用法』(ぎょうせい、2015年)。

「ピカピカのゴーストタウン」がモンスターになりつつある、と、陸前高田在住の友人が伝えてくれた。
周年行事は五十日(ごとうび)ならぬ五十年(ごとうねん)が区切りだが、
仏教行事での、そして仏事の形で日本人の精神性に影響を与えてきたのは、
四十九日、百ヶ日、一周忌、三回忌、そして七回忌という区切りではないか、と思っている。

2014年春の現地踏破の際、石巻・大川小学校近くのお寺に、
初七日から三十三回忌まで、どの菩薩や如来がその折の導き手かがわかる石板が寄進されていたのを見かけ、
ハッとさせられたことを思い出す。
一周忌までに方向性が固まり、三回忌には新しい暮らしが始まっている、
そんなふうに時が流れていってほしい、と、書いたのは、このブログだっただろうか。
ただ、その時には「七回忌までにはこうなっていてほしい」という、
具体的なイメージは持ててはいなかった。

今考えるなら、新しい生活が安定し、辛いことも乗り越えたがゆえの昔話が出来るようになっている、
そんなところであってほしい、と思う。

だが現実は、岩手・宮城・福島の3県で未だ12万5千人近い方々が避難生活を続けている。

復興が遅いということは簡単。
しかしそれは、防災・危機管理の世界に生きている者にとっては、
己が果たすべき役割を果たしていないと言っているのに等しい。

昨年4月の熊本地震で、大変遅まきながら(=今頃になって恥ずかしい限りであるが)、佐々木晶二という名前を知った。
佐々木さんに比べれば、己の活動なんぞモノの数にも入らない。
せめて、佐々木さんに認めてもらえるレベルの情報発信を続けなければ、と、
大船渡・盛駅でその時を迎えつつ、己に言い聞かせているところ。


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