TABI天使日記

天使になったカナダのアジリティ犬と、ママ・パパの日常

ハナの一生

2018-02-07 14:54:08 | 犬話題
東京のお友達が、佐藤愛子の「九十歳。何がめでたい」を送ってくれた。

佐藤愛子のエッセイは、子供の頃からよく読んでいた。この婆さん、まだ生きてたんだ!と驚くことしきり。生きているだけでなく、九十を越えて週刊誌の連載までやってしまうとはまさに人間とは思えない技。でも、私もトシをとったのか本の中で彼女が憤慨している事柄に共感が持てる。テクノロジー優先の世の中では、取り残されたお年寄りや少数派は生きていくのが年々辛くなってしまった。

本の中に、佐藤愛子が飼い犬ハナについて書いた章がある。彼女の夏の別荘地に捨てられていた子犬を、仕方なく飼うことにしたそうだ。これを読むと彼女が犬には全く興味がない人なのだ、とよ~くわかる。それなのに、捨てられた犬が不憫で14年間も飼ってしまったとはご苦労なこと。彼女が愛犬家でない証拠は、犬の外見に対する描写が全く出てこない点だ。大型なのか、中型なのか?長毛か短毛か?どんな毛色?ただ「メスの雑種」というだけで、読んでいるこっちにはどういう犬なのか皆目見当もつかない。

愛犬家は、こういうとき犬の特徴を細かく描写するので、写真がついてなくてもだいたい想像がつく。「小型の雑種、体高は10インチくらい」「大型でブラウンのダブルコート」云々かんぬんと、えんえんと続くのが普通。犬をショーに出している私のアメリカの友人などは、「尾の付き位置が低いのでショーには出せないけど、ペットとしてならまあまあのクオリティ」なんてことも言ったりする。もちろん、犬好きならいまどきはスマホで撮った画像を絶対に貼り付けて送ってくるから、読まなくても一目でどんな犬かわかるが。

そういう描写が全くないということは(だけど作家なのにねえ。。。やっぱボケてんのかな)、ほんっとに佐藤愛子は犬そのものには興味がないのだろう。過去に飼った犬たちも、いろんな事情で仕方なく飯だけ食わせてやった、みたいな状況だったようだ。彼女のこれまでの人生は、人間に対してもそんな風にしょうもない連中を助けるために自分が犠牲になってきた。今の世の中、こういう人は貴重だ。そういう彼女のような人種も、いずれ絶滅してしまうのは惜しいこと。これも地球の進化の一歩なのだろう。

命を助けてもらったハナは、その恩を決して忘れず、ご主人様の番犬としての役目を彼女なりに果たした。そして、最後は二か月ほど病み、ひっそりと息を引き取った。佐藤愛子はハナに、それまでの飼い犬と同様に刻んだ出しガラ昆布を残飯に混ぜた汁飯をずっと食べさせてきた。「昆布飯がよくなくて、腎不全にさせてしまったのか?」と、この老作家は忸怩たる思いの様子だ。

私は、そんなことは決してないと思う。
昆布飯が悪いのなら、ハナは14年も生きずにとっくの昔に死んでいただろう。この年齢では、腎不全は加齢によるもので防ぎようがない病気だ。それよりハナは、命の恩人であるご主人様が毎日作ってくれる昆布飯を楽しみに食べていたと思う。その証拠に、ハナは霊能者の女性を通じて「あのご飯をもう一度食べたい」と伝えるのだ。

それを聞いて、佐藤愛子は涙する。私もちょっと、ホロリ。


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