たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

見知らぬ深山

2017-11-15 09:28:40 | 剣山・イスラエル

<美馬郡・つるぎ町>

 

剣山への最短ルートである

つるぎ町・貞光という地区に着いたのは、

まだあたりが暗闇に包まれる夜明け前でした。

昨日の夕方、四国に入ってから、

ほぼ半日しか経っていないというのに、

まったく土地勘のない状態で、

これから暗い山道へと突入せねばなりません。

目的地まではおよそ1時間半、

すべて舗装された一本道とは言え、

何といってもすべてが「初」の体験です。

 

昼間の明るい時間帯でも、

知らない道を走るのには、

それなりのストレスがかかるもの。

しかも今は周囲に何があるかすら見えない早朝で、

標高1400m地点へと続く山道が「相手」です。

我ながら「何と無謀なことを……」と後悔しつつも、

ここまで来たら前に進むしか選択肢はなく……。

後ろ髪を引かれる思いで町の明かりに別れを告げ、

イザ見知らぬ「深山」へと足を踏み入れたのでした。


旅の流儀

2017-11-14 12:24:20 | 剣山・イスラエル

<美馬郡・つるぎ町>

 

剣山の登山口である「見ノ越」への道のりには、

穴吹木屋平ルート、池田東祖谷ルート、貞光一宇ルート

という主に3つのルートが存在します。

それぞれふもとの町から周遊バスが運行されるような、

観光地として整備されたエリアではあるのですが、

所々車がすれ違えないほど道幅が狭まる箇所が出現し、

週末や観光シーズンともなると、

離合渋滞が起きる懸念もあるのだとか。

剣山初心者にとっては、何とも不安な

状況ではありますが、目的地の神社に向かうには、

いずれかのルートを選択しなければなりません。

 

およそ一日をかけて、四国へと到着した翌日、

ホテルを出発したのは朝の4時半です。

天候や日の出の時間なども考慮していたため、

旅の詳細な行程がなかなか決まらず、

ほとんど眠れないまま剣山に向かって車を進めました。

直前までは東祖谷の神社に立ち寄ってから

剣山に向かうルートを検討していたのですが、

出かける寸前になり「まずは剣神社を目指すべき」

という気持ちが、ふいに湧きあがってきます。

 

初めての土地に入ったらまずは、

「その土地の元締めの神様」に

挨拶をするのが流儀なのでしょう。


未知の自分

2017-11-13 09:45:22 | 歴史・神話・旅・風景

<東祖谷名頃・かかしの里>

 

とかくポジティブなイメージが付きまとう

「旅」や「旅行」というキーワードですが、

個人的に「旅」という言葉を聞きますと、

「またか……」「しんどいな……」

という思いのほうが先に立ちます。

私にとって旅というものは、

「やらなければならない義務」のような感覚で、

「出かける」と決めたそのときから、

自分を追い込む修行の毎日が続くのです。

 

なぜそんなしんどい思いをしてまで、

「旅に出かけるのか」と問われれば、

それは恐らく自分の目で見たことを、

自分の言葉に置き換えたいからなのでしょう。

その場に立ち、その場の空気を感じ、

「自分自身が何を思うのか」……に対し、

私自身が一番興味を持っているのだと思います。

これまで見たことのない未知の光景、

これまで見たことのない未知の感覚は、

やはり自らの足で探るしかないのかもしれません。


土地のレスポンス

2017-11-12 09:41:30 | 自然災害・参拝マナー

<東祖谷名頃・かかしの里>

 

神社を訪れてお参りする瞬間が、

それまでの行程の総仕上げであるように、

神社詣でをする際に真に重要なのは

「神社に向かうまでの道」なのだと思います。

自宅から遠く離れた場所にある神社、

あるいは地元の人以外は滅多に訪れないような

小さな集落や山深い山中に鎮座している神社に、

わざわざ時間をかけて出向くということ自体が、

すでに「貴重なお参りのひととき」なのですね。

 

神社巡りをする前に、必ず事前調査をするのも、

神社への道のりや神社に参拝するまでの時間を、

おざなりにしてはいけない思うからでして、

目的地に対する意識が薄れれば薄れるほど、

「土地からのレスポンス」が悪くなります。

他人の家を訪れる際は、丁寧に挨拶をするように、

「他の神様の土地」を訪問するときの礼儀も、

常日頃から忘れないでいたいものです。


聖地の掟

2017-11-11 09:38:22 | 自然災害・参拝マナー

<東祖谷名頃・かかしの里>

 

過去の記事内でも書いておりますが、

旅の計画を立てているときから、

その土地の神様への参拝は始まっており、

実際にその場を訪れ神前でお参りするのは、

「旅の総仕上げ」にすぎません。

人それぞれ、旅の仕方は違うものの、

出かける前から、訪れる予定の土地や

その土地の神様へと礼儀を尽くす姿勢は、

必ず「旅に活かされる」ということを、

これまでの経験からも実感しております。

 

特に、「聖地」を呼ばれるような場所は、

基本的に部外者が立ち入るところではなく、

物見遊山の気楽な気持ちで訪れると、

不敬な行為を犯す結果にもなりかねず……。

剣山という私にとっての未開の地にも、

恐らく安易に立ち入ってはいけない

エリアが潜んでいることでしょう。

情報ツールやインターネットの拡大により、

誰もが気軽に聖地に赴けるようになりましたが、

「聖地の掟」自体が変わったわけではないのですね。


土地の声

2017-11-10 09:31:32 | 歴史・神話・旅・風景

<東祖谷名頃・国道439号

 

四国山地を東西に貫く国道439号線は、

全国的にもよく知られた「酷道」のひとつであり、

総距離350km近くに及ぶ、四国第2位の長距離道路です。

途中、仲間?の酷道438号線など重複しながら、

徳島市から四万十市へと至るその道は、

酷道ファンの間では、通称「ヨサク」と呼ばれ、

人気路線の筆頭として君臨しています。

 

ちなみにここ最近、神社巡りに出かけますと、

まずは神社そのものよりも、そこに向かうまでの

「道路」や「地形」のほうが気になるもの。

ネットの動画サイトなどを参考にしながら、

幾度となく行程をシミュレーションし、

安全かつスムーズにたどり着けるよう、

周囲の状況を疑似体験しておくのが慣習です。

 

本来であれば、初めて見たときの感動を

味わいたいという気持ちもあるのですが、

とにもかくにも神社巡りで大切なのは、

「地元の方に迷惑をかけないこと」と、

「無事に旅を終えて帰ってくること」。

やはり「謙虚な姿勢」なくして、

「土地の声」には耳を傾けられないのですね。


酷道ストレス

2017-11-09 09:27:13 | 剣山・イスラエル

<東祖谷名頃・かずら橋>

 

剣山への旅を企画するに当たり

まず把握しておきたかったのが、

剣山周辺に点在する神社が、

どのような位置関係にあるかです。

当初のイメージとしては、

「剣山のふもと」一帯に、

主要な神社が集まる光景を

思い浮かべていたのですが、

実際に調べ始めたところ、剣山頂上付近、

そしてかなり標高の高い場所にも、

主要なお社が点在していることがわかりました。

 

さらに厄介なことに、

それらの神社に向かうためには、

日本三大酷道の筆頭とも言われる

国道439号線(通称ヨサク)を

通らなければならない事実が発覚……。

それまで右肩上がりだった

旅への期待感が一瞬にしてしぼみ、

毎度お約束の「酷道ストレス」に、

今回もまた襲われる羽目になったのでした。


初対面の土地

2017-11-08 09:14:51 | 剣山・イスラエル

<東祖谷菅生>

 

何度も訪れたことのある

なじみ深い土地であれば、

地名やおよその位置を聞いただけで、

「この神社はこの神社の後に参拝」

といったスケジュールの流れが、

すぐに思い浮かぶのものですが、

まったくの初対面の場所となると、

それらの土地の詳細な情報を、

一から調べ上げなければなりません。

 

「その土地に礼を尽くす」を

モットーとする私にとっては、

たとえどんなに忙しかろうと、

事前準備を怠るわけにはいかず……。

特に「無」の状態から始める今回の旅は、

「行く」と決めてから出発まで期間、

ひたすら「剣山」と向き合う時間が続き、

気力体力がジリジリと削られる毎日でした。


暗中模索の船出

2017-11-07 09:09:21 | 剣山・イスラエル

<奥祖谷二重かずら橋>

 

「剣山」という言葉を耳にしたとき、

どのようなイメージを思い浮かべるかで、

各々の方向性が分かれるところだと思います。

例えば、観光をメインに据えるなら、

「大歩危峡」や「かずら橋」など

深山幽谷の景色を堪能できる

徳島ならではのスポットに

関心が向くでしょうし、

登山を趣味とする方であれば、

「親子連れでも気軽に登れる

トレッキングのメッカ」としての

認識のほうが強いかもしれません。

 

また、剣山に関連する信仰に関しても、

「仏教」や「空海」への崇敬が深い人は、

八十八か所巡礼が中心になるはずですし、

古代史やスピリチュアルへの興味が強ければ、

一帯に広がるミステリースポットや、

謎の古代部族にまつわる伝承などが、

気になって仕方なくなるはずです。

つまり、ひと口に「剣山」といっても、

非常に多彩な切り口を持っているわけで、

私自身も最初は「どこから手を付ければよいか」

まったく暗中模索の状態でした。


四国上陸

2017-11-06 14:00:00 | 剣山・イスラエル

<剣山・見ノ越>

 

 ***** 剣山・古代ユダヤ1 *****

神宮の神嘗祭を拝見するために伊勢へと向かう前、

私が滞在していたのは四国・徳島の剣山周辺でした。

ちなみに、関東からそれらのエリアに赴く場合、

飛行機?新幹線?と交通手段の選択に迷うような、

非常に中途半端な位置にあるがゆえに、

これまで旅のルートに組み込むことができず……。

私の中で長年四国は「異国」「未開の地」として、

曖昧模糊とした印象ばかり募っていました。

 

しかし、他地域のある神社を訪れたとき、

長い間保留してきたあるキーワードが、

ふいに頭の中をグルグルと駆け巡り、

「そろそろ剣山に行く時期べきではないか」

という思いが湧き上がってきたのです。

ここで思い切って「剣山」の懐に飛び込むことで、

今まで燻っていた数々の疑問に

何らかの答えが見いだせるかもしれません。

 

まずは、四国の地図と地形を把握すべく、

一帯の地理を頭に叩き込み始めたのでした。


天と地の和合

2017-11-05 09:00:18 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

神宮祭主というお立場は、

「天津神」からはもちろんのこと、

「国津神」からも認められる人物でなければ、

決して全うできないような大役なのだと思います。

内宮、外宮ともに「雨の禊」を済ませた清子様は、

両神からの許可を受けた唯一無二のお方なのでしょう。

 

天照太御神だけでなく、外宮の神にも愛された

神宮創始の立役者である倭姫命(やまとひめのみこと)は、

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)より

その任務を引き継ぎ、伊勢の地へと導かれました。

もともと「国津神」の地であった伊勢という場所に、

天津神である天照太御神をお祀りするためには、

外宮の神(国津神)の許可を得る必要があり、

倭姫はその関門をクリアしたのだと思います。

 

清子様も倭姫と同様に、池田祭主から託された

「天津神と国津神の和合」という命題を背負い、

これから大変なお役目を遂行されるはずです。

私たちが暮らす日本という国には、

そんな時代を超えた「奇跡の伝承」が、

今なお脈々と受け継がれているのですね。

まずはその第一歩として、

前代未聞の大雨の禊祓いが起こったのかもしれません。


最後の砦

2017-11-04 09:33:54 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

黒田清子様の神宮祭主への就任は、

日本という国、そして日本人にとって、

「最後の砦」であるような気がします。

このタイミングで祭主を引き受けるには、

かなりの心の葛藤があったと察しますが、

恐らく、その状況を十分に鑑みた上で、

今回の神嘗祭へと向かわれたのでしょう。

 

数年後に、天皇陛下が立場を退かれ、

新たな天皇が即位されたとき、

日本は大きな転換期を迎えるはずです。

もしかすると、私たちが想像もしなかったような、

様々な有事が発生する時代になるかもしれません。

 

その際、救世主となるのが神宮祭主であり、

現代の卑弥呼、そして倭姫の再来とも呼ばれる

黒田清子様その人なのですね。

日本の存続を左右するほどのこの時期に、

清子様が「要の役」に就かれた幸運を、

私たちは感謝しなければいけないのだと思います。


祭主の役目

2017-11-03 09:28:31 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

日本が国難に襲われたとき、天皇陛下は真っ先に

「自らの責任」と己の不徳を責めるのだそうです。

天皇陛下の名代として伊勢神宮に赴かれる祭主も、

天皇と同じように、様々な災難が起こるたび、

自らの力不足を嘆いてきたのかもしれません。

 

前任の池田祭主が祭典に挑まれている最中、

時折、伏せていた目をおもむろに上げ、

鋭い光を宿した眼で、神前のほうを

じっと見据えていたお姿を思い出します。

 

その視線は、とても80歳を過ぎた方とは

思えないような力強さで満ちており、

命をかけて自らの責務を全うするという熱意が、

何気ない所作の端々からも伝わってきました。

 

祭主を引き受けるということは、

日本と日本人が背負った罪穢れを、

御身で祓い清めるということです。

一旦そのお役目に就いたなら、

愚痴ひとつ吐き出すことさえ許されない、

険しく孤独な日々が続いて行くのでしょう。


神の依り代

2017-11-02 09:23:18 | 伊勢神宮

<外宮 げぐう>

 

「祭主」の役目と言いますのは、

外から見ているほど楽なものではなく、

ただただ雅な衣装に身を包み、

「神前にお参りすればそれでいい」

というわけでは決してありません。

「祭主になるべき星の下」に生まれた清子様でさえ、

幾度かは天皇陛下からの依頼を固辞したそうですし、

祭主への就任を承諾するに当たって、

決死のお覚悟があったことは、

想像に難くない流れでしょう。

 

祭主というのは、つまり「神の依り代」です。

歴代の卑弥呼と呼ばれた女性たちと同じように、

神の啓示を正確に受け取り、国や国民を守るべく、

天の意志を遂行することができるかどうかの重圧が、

ひとりの女性の肩に圧し掛かっているのです。

恐らくその過程においては、

目をそむけたくなるほどの光景を見させられたり、

精神を取り乱してしまうほどの衝撃を受けたりと、

言葉にするのもはばかられるような

過酷な体験をするのかもしれません。


浄化の雨

2017-11-01 09:16:00 | 伊勢神宮

<内宮 ないくう>

 

一見、柔和で穏やかな雰囲気を醸し出す、

天皇陛下のご長女・黒田清子様ですが、

恐らくその内側には、

可憐なお姿からは想像できないほどの

強固な「意志」を秘めていると感じます。

言い換えるならばそれは、

参拝者の罪穢れを一瞬にして飲み込む、

「激流の五十鈴川」のような一面かもしれません。

 

清子様が参道を歩かれるだけで、

人間だけでなく動植物の気配さえ鎮まり、

その場の空気が「異次元」に変わります。

前方へとまっすぐに向けた眼差しは、

大勢の視線にさらされても微動だにせず、

周囲を取り囲む神職や参拝者はもちろん、

神様以外の存在は映っていないと感じるほどです。

 

この時期、このタイミングで、

日本の未来を預かる神宮祭主に就かれた重責を、

その身にずっしりと背負っていられるのでしょう。

過去に例がない3日間連続の神嘗祭の雨は、

もしかすると、日本の罪穢れを祓うために

祭主が呼んだ「浄化の雨」なのだと思います。