<内宮 ないくう>
日本が国難に襲われたとき、天皇陛下は真っ先に
「自らの責任」と己の不徳を責めるのだそうです。
天皇陛下の名代として伊勢神宮に赴かれる祭主も、
天皇と同じように、様々な災難が起こるたび、
自らの力不足を嘆いてきたのかもしれません。
前任の池田祭主が祭典に挑まれている最中、
時折、伏せていた目をおもむろに上げ、
鋭い光を宿した眼で、神前のほうを
じっと見据えていたお姿を思い出します。
その視線は、とても80歳を過ぎた方とは
思えないような力強さで満ちており、
命をかけて自らの責務を全うするという熱意が、
何気ない所作の端々からも伝わってきました。
祭主を引き受けるということは、
日本と日本人が背負った罪穢れを、
御身で祓い清めるということです。
一旦そのお役目に就いたなら、
愚痴ひとつ吐き出すことさえ許されない、
険しく孤独な日々が続いて行くのでしょう。