たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

貴船川

2015-11-15 10:46:04 | 奈良・京都の神社

<貴船川 きぶねがわ>

 

貴船神社を参拝する際は、叡山電車の貴船口前駅で降り、

貴船神社の手前までバスか徒歩で向かうのが一般的です。

今回は早朝に貴船口前駅に到着したためバスがなく、

まるで初冬ような冷気に身を縮ませながら、

貴船川に沿って神社までの道を歩きました。

 

ただ、実際に自分の足で歩いて目で確かめたことで、

「貴船の何たるか」を確認できたのは大きな収穫。

この地を創建した玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、

いくつもの川を遡ってこの地にたどり着いたのも、

貴船川の強い霊力に引き寄せられたからなのでしょう。


霊力を宿す地

2015-11-14 17:48:18 | 奈良・京都の神社

<貴船口駅 きぶねぐちえき>

 

京都駅から電車を乗り継ぎ約1時間、

あたりは次第に里山の風景へと変わり、

ほのかに色づき始めた楓の葉の隙間からは、

京都の北を守護する貴船・鞍馬の

山々が見えてまいりました。

 

貴船口駅を降り立ってまず目に入ったのは、

どことなく吉野や天川の山中を思わせる景色。

両側を山に挟まれた細い谷間にある里は、

奈良の山々の空気を凝縮したような

濃密な気配に包まれていました。

 

神社参拝というのは、

神社の社殿にお参りするのではなく、

神社の背後や周囲に潜む自然を拝むこと。

吉野でも天川でも貴船でも重要なのは、

まさに霊力を宿す自然そのものです。


川が出合う地

2015-11-13 14:35:40 | 奈良・京都の神社

<鴨川 かもがわ>

 

ふたつの川が合流する地点を、「河合」と呼びます。

「河合」は水の流れが混じり合う神聖な場所とされ、

神社や古墳など古くからの聖地が多く見られるもの。

以前ご紹介した水神を祀る奈良の廣瀬大社があるのも、

複数の河川が合流する奈良県北葛城郡河合町です。

 

下鴨神社の摂社である地主神・河合神社は、

京都を代表する河川のひとつである賀茂川が、

高野川と合流する地点にあることから、

河合の名がつけられたのだと聞きます。

よい神社がある場所には、必ずといっていいほど、

美しい川の流れがあるのですね。


糺の森

2015-11-12 14:32:03 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

私自身が下鴨神社で一番好きな場所は、

参道を包み込むように広がる

「水の聖地」糺の森(ただすのもり)です。

 

曇りの日や雨の日は、

湿気をまとった杜の木々が放つ

濃厚な水の匂いを感じながら、

また、晴れて天気のよい日は、

木漏れ日を浴びてキラキラと輝く

小川のせせらぎに癒やされながら、

ゆったりと散策を楽しむことができます。

 

先日、糺の森の中を歩いていましたら、

昔の祭祀遺構が復元されている場所に出ました。

今も昔も神事には、清らかな水が欠かせないもの。

この美しい川の流れがあったからこそ、

賀茂氏はここに社を建てたのかもしれません。

賀茂の斎王(斎院)や、天皇を護衛するカラスたちも、

この小川で心身を清め、大事な祭事へと向かったのでしょう。


陰の布石

2015-11-11 14:31:32 | 奈良・京都の神社

<河合神社 かわいじんじゃ>

 

下鴨神社の境内を歩いておりますと、

上賀茂神社を参拝しているときと同様、

とても不自然な圧迫感を感じます。

広々とした参道を通り抜けた後、

お参りをするために導かれるのは、

楼門の先にある本殿前の狭い空間。

両側に小さなお社が並んでいるせいか、

どことなく落ち着かない気分になります。

 

実は下鴨神社の奥宮は、

比叡山山麓にある御蔭神社という、

下鴨神社からは少々離れた場所にあります。

そして本来、この地の土地神は、

摂社である河合神社の本殿左に祀られている、

貴布禰神社(きふねじんじゃ)の神様なのだとか。

ここ最近、河合神社からほど近い敷地内で、

マンションの建設が進んでいるのも、

もしかすると陰の布石なのかもしれませんね。


戸籍を持たない人々

2015-11-10 13:54:35 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

日本の祭祀を陰で取り仕切る八咫烏(やたがらす)は、

皇室の方々と同様、戸籍を持たずに生活しているそうです。

近代に至るまでの様々な経緯の中で、

その組織力はかなり縮小したともいわれておりますが、

今でも「大嘗祭(天皇即位の儀式)」を

陰で取り仕切っているのは、上下の賀茂神社であり、

八咫烏と呼ばれる人たちなのだとか。

 

そのせいかどうかはわかりませんが、

ふたつの賀茂神社には、詳細のわからないお祭りが多く、

事あるごとに天皇の勅使が訪れます。

また、伊勢神宮と同じように、斎王制度の歴史があるなど、

皇室との関わりが非常に深い場所で、

上賀茂神社の門前に残る社家町なども、

古くは天皇にお仕えする八咫烏の拠点だったのでしょう。


秘密結社

2015-11-09 13:37:40 | 奈良・京都の神社

<河合神社 かわいじんじゃ>

 

八咫烏(やたがらす)という言葉を聞きますと、

一般的には日本神話の神武東征(じんむとうせい)の際、

天皇を熊野から大和へと道案内をした、

三本足のカラスが思い浮かぶでしょう。

一方、オカルトマニアの間で八咫烏といえば、

賀茂氏が率いる秘密結社のこと。

神道(神社)、陰陽道、宮中祭祀を、

陰で仕切っているという噂の組織で、

今も日本を裏から動かしているといわれています。

 

ちなみに、ある人の説によりますと、

神道の総元締めである伊勢神宮は実は表の神道で、

裏の神道を取り仕切るのは、上下の賀茂神社なのだとか。

先ほど例に上げた三本足のカラスは、

上賀茂神社のご祭神である賀茂建角身命

(かもたけつぬみのみこと)の化身でもあり、

賀茂氏という存在が、遥か昔の神話の時代より、

天皇の隠密として活躍していた事実が浮かび上がります。


河合神社

2015-11-08 13:37:13 | 奈良・京都の神社

<河合神社 かわいじんじゃ>

 

下鴨神社の境内の一角、糺の森の南側に、

河合神社という摂社があります。

実はこちらの神社、本宮に次ぐ位の高いお社で、

ご祭神は下鴨神社と同じく玉依姫命。

方丈記で有名な「鴨長明」は、

この河合神社の神官の家系に生まれ、

境内には鴨長明が暮らした方丈の復元建築もあります。

 

ちなみにここ最近、旅番組や雑誌などで、

「美の神社」として頻繁に取り上げられているせいか、

河合神社には女性の参拝客が多数押し寄せているよう。

私が訪れたときも、名物?の鏡絵馬をお目当てに、

たくさんの若い女性たちがあふれておりました。

ただ、そんな華やかな雰囲気とは裏腹に、

もともと(今でも)この河合神社は、

賀茂氏の神事を取り仕切る重要な場所なのです。


ふたつの儀式

2015-11-07 13:34:34 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

京都三大祭のひとつとして知られる葵祭は、

上賀茂神社と下鴨神社が主催する、

皇室と国家の安泰を祈るお祭りです。

一般的には、平安時代の王朝装束に身を包んだ人々や、

葵に彩られた雅な牛車が列をなす斎王行列が有名ですが、

本当に重要なのは、葵祭の前儀である

御蔭祭(みかげまつり・下鴨神社)、

御阿礼神事(みあれしんじ・上賀茂神社)という儀式。

 

葵祭に先んじて行われるふたつのお祭りは、

きわめて古い神道儀式の形態を保っており、

天皇即位の儀式・大嘗祭(だいじょうさい)

にも通じる死と再生の祭祀なのだとか。

昼に行われる御蔭祭、真夜中に行われる御阿礼神事、

この陰陽ふたつの秘儀を経て、

神(天皇)は復活しその力を取り戻すのでしょう。


巫女さん

2015-11-06 13:04:00 | 歴史・神話・旅・風景

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

巫女さんといいますと現代では、

ご神事の際に奉納の舞を舞ったり、

参拝者にお札やお守りを手渡したりすることが、

主な仕事として認識されていますが、

もともとは神の依り代となり、神を迎える役職のこと。

ときには神の妻として、 子を宿す役割をも与えられておりました。

 

巫女の総称でもある玉依姫命(たまよりひめのみこと)

が登場する物語や伝承のほとんどは、

その土地の神様と結ばれ、神の子を生むという内容です。

よく知られる日本神話の一説にも、

国津神系の神につながる山幸彦(やまさちひこ)と、

玉依姫命との間に誕生したのが神武天皇の話があります。

 

海の向こうからやってきた天皇系の一族が、

古くから日本に住む土着の一族、

あるいは先に定住していた同郷の一族と、

姻戚関係を結んだという話が、

玉依姫という存在を通じて語られているのでしょう。


玉依姫命

2015-11-05 22:21:40 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

下鴨神社のご祭神は、

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と、

その娘である玉依姫命(たまよりひめのみこと)

という二柱の神様です。

玉依姫命は京都の北を支配していた

賀茂氏の一族の姫といわれており、

上賀茂神社のご祭神である

賀茂別雷大神の母神でもあります。

 

ちなみに「タマヨリ」という神名は、

「神霊の依り代・巫女」を意味する言葉で、

特定の神や人物を指すわけではありません。

様々な神話や古典に、時代や場所を越えて、

タマヨリヒメという名の神様が登場しているのも、

巫女の総称として使用されることが多いゆえ。

タマヨリヒメは大きく分けて、 賀茂神系と海神系とがあり、

下鴨神社は賀茂神系の代表的な神社です。


下鴨神社

2015-11-04 21:32:20 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、

通称・下鴨神社(しもがもじんじゃ)は、

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに、

賀茂氏の氏神を祀る神社であり、

両社を合わせて賀茂社とも呼ばれています。

 

最近では「高級マンション建設」の話題で、

世間の注目を浴びている下鴨神社ですが、

今年の4月に、上賀茂神社より

一足早く式年遷宮が執り行われ、

現在は美しく修復された社殿の前で、

参拝することができます。

 

同じ賀茂氏の氏神でも、こちらの下鴨神社は、

少々畏まった気風の上賀茂神社と比べると、

商売っ気たっぷりの大衆的な雰囲気の神社でして、

参道を取り囲むように広がる糺の森(ただすのもり)には、

いつも観光客や地元の方など、

多くの人たちの寛ぐ姿が見られます。


大田神社

2015-11-03 13:30:00 | 奈良・京都の神社

<大田神社 おおたじんじゃ>

 

上賀茂神社の東に、カキツバタの名所として知られる、

大田神社(おおたじんじゃ)があります。

今でこそ大田神社は、

上賀茂神社の摂社という形を取っていますが、

その起源は上賀茂神社よりも古く、

もともとは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれていたそう。

賀茂氏が上賀茂神社を創建する以前から、

この地域に住んでいた人々がお祀りをしていた場所です。

 

私が初めて上賀茂神社を訪れたとき、

最寄りの駅から徒歩で神社へと向かう途中、

突如目の前に現れたのがこの大田神社でした。

神社巡りをしていますと、 どういうわけか目的の神社よりも先に、

その土地の氏神に辿りつくことがよくあります。

この大田神社にも、賀茂氏の傘下に入る前の、

古い信仰の記憶が眠っているのでしょう。


賀茂氏の秘事

2015-11-02 11:09:01 | 奈良・京都の神社

<藤木社 ふじのきのやしろ>

 

もともと京都は、奈良時代以前から、

秦氏(はたうじ)と賀茂氏(かもうじ)

という豪族の支配地域でした。

そのうちのひとつである賀茂氏の

氏神を祀っていたのが上賀茂神社で、

当時から神社の祭事に携わるのは、

賀茂氏の一族と決められていたそう。

賀茂氏の16の家系の中でも、

より位の高い神職に就いた家が、

賀茂七家(かもしちけ)と呼ばれました。

 

ちなみに賀茂氏というのは、

非常に結束力の強い一族でして、

16ある支流の中に断絶しそうな家系があれば、

一族の間で養子のやりとりをしながら、

現在に至るまで綿々と血脈を伝えているのだとか。

そして、何といってもすごいのは、

「天皇の守護」という古来からの重要なお役目を、

今なお賀茂氏の秘事として、

引き継いでいることなのですね。


社家

2015-11-01 10:52:07 | 奈良・京都の神社

<上賀茂社家町 かみがもしゃけまち>

 

上賀茂神社の門前には、「社家(しゃけ)」

と呼ばれる古い町並みが残っています。

このエリアは、老舗の漬物屋や古民家風の土産店など、

京都らしい風情を楽しめる観光スポットのひとつですが、

もともと社家というのは、

特定の神社の神職を世襲してきた家(氏族)のこと。

先祖代々、神主を務めていた家々が、

まとまった「町」として形を残しているのは、

全国でもこの上賀茂神社一帯だけだそうです。

 

上賀茂の社家町は、

目の前を流れる明神川沿いに土塀を巡らせ、

石橋を渡って門を入る造りになっており、

明神川の水を引き込んだ各々の家の神官は、

その水で「みそぎ」を行い、 上賀茂神社のお勤めをしていました。

明治維新以降、神職の世襲制が廃止され、

社家のほとんどは神職の仕事を離れたため、

現在上賀茂神社へ奉職をする方はたった1名だと聞きます。