治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

人生の構造化

2011-07-25 07:18:10 | 日記
さて、名古屋場所が終わりました。
そろそろ仕事しなくては。

それにしても面白い場所でしたね~。
魁皇の引退はもちろんさみしいですが
世代交代のシンボルといえばそうかもしれません。

これほど面白い場所だったのにお客の入りは今ひとつだったみたいですが
ずっと世の中を「流れ」という視点で見てきた私にしてみると
これさえも再生の第一歩のように思えます。

日馬富士の優勝ももちろん痛快でしたが
関脇三人二桁勝ち越しというのが次場所への期待を盛り上げます。

稀勢の里は千秋楽、やってしまうのではないかなあと思っていましたが
やっぱりやってくれました。
こういうところで勝つから華がある感じがするんですよね。

これだからきせのんはやめられない。

KYも能力ですね。
長沼先生のおっしゃるとおり。
強みは弱みの裏にある。

さて、土曜日に瀧澤久美子先生にお電話でお話したことの続き。

大地君の原稿の話です。

大地君の小学校三年生の一年間の記録です。
それを読んで感心したのは、生活そのものが構造化されているなっていうこと。

いや、スケジュールとか、トランジションとか、そういうことだけじゃありませんよ。
そういう構造化はもちろん当たり前の話ですが

きちんと告知され
知的障害のない・軽い自閉症というものが今の日本の国の中でどういう風に位置づけられているか教えてもらい

「自分でご飯を食べられる人になる」という明確な目標を持って
本人と周囲が連携している。

それを阻むものは何か
それもきちんとわかっている。

そして
・支援級
・交流級
・おうち

でそれぞれ取り組むべき課題(余暇も含めてね)をきちんとつかんでいる。

いわば本人に周囲が全部「ネタバレ」している状況ですから
報酬系が育つのは当たり前なのです。

私は横浜障害児・者を守る連絡協議会さんからミニコミ誌を毎回送っていただいていますが
その中で知的障害のあるダウン症のお子さんに告知され、ご本人の受け止めもよかったという話を読んだことがあります。

少なくともある種のお子さんにとって
「ネタバレ」はわかりやすいのではないでしょうか。
周囲の心配とは裏腹に、安堵感を与え、報酬系を育てるのではないでしょうか。

大地君のすっきりした環境を見ると
ろくすっぽ説明もないままなぜか同級生より少人数のクラスに送られ
なぜか人と違う教材を使って勉強していて、どうしてなのかまったく教えてもらっていない子どもたちがかわいそうになります。

いくら親がネット等で情報交換し
手を尽くして高価なグッズや療育を与えられても
なぜ与えられるのかわからないわけですしね。

この写真は去年の五月場所のときに入り待ちで撮った稀勢の里と当時付け人だった隆の山。
チェコから初めてやってきたお相撲さんです。



関取になる日を十年夢見てチェコに一度も帰郷しなかった。
五月の技量審査場所で十両昇進をつかみ、十年ぶりに帰ったそうです。

不祥事でたくさん穴があいたあとの番付で、いきなり十両五枚目に上がってしまい
家賃が高いかなと思いましたが、堂々の二桁勝利。優勝争いにも絡みました。
101キロの軽量ならではの工夫をしたお相撲で、館内と配信やテレビを見ていたファンを沸かせました。

今となっては貴重な付け人姿です。
関取が染め抜きを着ているのに対し、当時幕下の隆の山は一色の浴衣を着ています。

きっと来年は
美しい染め抜き姿、あるいは羽織袴で五月場所に現れるでしょう。

構造化・視覚化された世界です。

これは報酬系が育ちますね。

もちろんこれで逆に凹む人もいますね。
私がよく観察するのは
親、あるいは支援者が凹むタイプであるのを理由に、余計な配慮をしてしまい、本当は凹まないタイプのお子さんにまで
逆効果の「ネタバレしない作戦」が遂行され、発達が抑えられているパターンです。
保護者や支援者が、自分を相対化しない場合
あるいは子どもによって刺激に対する反応が違うと知らない場合はね。

あとね、「予後は悪いに違いない」とアプリオリに信じている親御さん・支援者の場合も
ネタバレは好きじゃないかもですね。
脳汁の問題なのか、もっと外部に要因があるのか、まあ色々あるんでしょうけど。

自分、あるいは自分のお子さんがどっちのタイプか
どの程度の「ネタバレ」が有効なタイプかは
「活かそう! 発達障害脳」が参考になるのではないでしょうか。