さて、前回のブログで仮目次発表したら「脳神経内科医が発達障害へ! 新しい切り口!」みたいに読者の皆様に言っていただいたんだけど、実は私自身は「脳神経内科医」っていう人が何をするかよくわかっていませんでした。
そもそも医療活用経験が乏しい私。
・あせもっぽい何かができたとき皮膚科に行ったらそれはあせもというより戒名みたいな名前がついた皮膚疾患で、薬もらって一週間禁酒禁汗したら治った。
・秋に咳がよく出て、止まらない時は耳鼻咽喉科行って薬もらったら治った。ただしこの薬は強烈でのんだ日は寝付いた。でも小田原の大先生に夏の養生を習ったら秋の咳は出なくなったので耳鼻科は要らなくなった。
とかそのくらいの経験しかしていないから、そもそも「精神科」と「脳神経内科」の違いもわからない。
でも「脳神経内科」の先生から『療育整体』の本が出た後「花風社素晴らしい」とメールをいただき、一応礼儀正しくお返事はした。
そしてメル友みたいになって、国際的な発達障害の診断と治療がずいぶん日本と違うとか、そういうのを教えていただいていた。面白いなあと思って、情報源としてありがたくメールの交換をさせていただいていた。
その話の中で知ったのは、「脳神経内科」の人たちは、これまで治療できないとされていた病気の治療方法を開発する人たちだということ。
たとえば水俣病。
覚えがありました。
うちの夫は上智大学生命倫理研究所というところの所長を(持ち回りで)やっているのだけど、時々視察旅行に出かける。水俣にも何回も出かけていて、「水俣病は治ってるんだよ」と教えてくれた。
映像で見る水俣病は悲惨で恐ろしく、でもあれだけの症状が治る人がいるなんて素晴らしいなと思った。
そういう「新しく出てきた病気の治療開発」も脳神経内科の仕事らしい。
そして私たちはみんな神田橋先生の勧めで『発達障害の原因と発症メカニズム: 脳神経科学の視点から』を読んでいた。これは杉山大先生も推薦している本。
これを読むと発達障害って水俣病に似ている機序もあり、だったら水俣病が治るようになったみたいに治る可能性もあるのかな、と思って、だったら精神科医じゃなくて脳神経内科医が治すこともありうるかもしれない、と思った。
ドクターは何度も何度も「一回見学に来て」というのだけど、私はもちろん行かない。
医療phobiaの私にとって「クリニックに見学に来て」っていうのは「お化け屋敷に来て」くらい恐ろしいこと。ドクターはお化け屋敷の拠点をいくつか持っていて、そのうちの一つのビルの前を私はよく通りかかる。
そんなにお化け屋敷には見えない。ここは怖くないかもしれない、と思ったけど、マスク社会が続き、病院では家族にも面会させないとか、マスクも不織布とか、分娩時の妊婦もマスク強制とか、二歳児の子にもマスクさせるとか、そういう医療の鬼畜話が続く限り、医療機関に足を踏み入れる気にはならなかった。
そしてありがたいことにそれが可能になった三年半だった。
家族三人、誰も病気もケガもしなかった。
一番の功労者は老母だと思います。87歳未接種。一応なんかのときのために主治医はいるんだけど(最近有志の会の先生と判明・反枠ポスターが貼ってあるらしい)血液検査したらものすごく健康らしく、百歳まで大丈夫らしい。ともかく、この「できれば医療機関に近づきたくない三年半」を無事に乗り切ってくれた。
それからロードバイクで通勤しちゃう還暦夫。怪我も病気もせず乗り切ってくれた。メンタルもフィジカルも象が踏んでも壊れない(古)。
医療も(そして福祉も)いやらしい制限をさも当然のようにかけてくるけれど、そこから無縁でいればいるほど自由に暮らせるジャパンであり、病気も障害もなければいいだけ。だから病気も障害も、とっとと治った方がいい。医療に蹂躙されずにすむから。私は幸い丈夫な身体を持っているので、「次に病院に行くのは心肺停止になってからでいい。死亡証明書だけ世話になろう」と思っていた。
私の健康は海や自転車のおかげ。自転車買うのも旅するのもジム代も十割負担。十割負担で健康を維持している。それを公金チューチューのくせに観光や飲食産業を不要不急と決めつけるなんて、医療ってどんだけ傲慢なんだぜ。こっちに言わせれば医療の方がよっぽど不要不急だわ!
と思っていた。だから
「医療機関に見学に行く」は私にはハードルが高すぎた。
ドクターとのメールでのおしゃべりは楽しかったけど。
そして五月に還暦奄美旅行に出かけ、帰ってきてから留守中のメールに返事をした。「奄美行ってたんです」と。
そうしたらドクターは、研修医の頃奄美にいたことがあるそうだ。診療所で研修を積んで、島にほれ込んで、一時は土地も持っていたということ。
そのとき初めて、会いに行ってみようかな、と思った。
単純なもんです。
同じ土地が好きだというだけで警戒心が解けるんですね。
というかあのビルの前、しょっちゅう通るし。
そうしたら週に一回いらっしゃるんだそうです。
時は5月以降で、個人の判断だったマスクが個人の判断になったころ。
でもまだ医療機関ではマスク続いているらしい。その理由の一つが診療報酬の加算があるからですってよ奥様。
医者が儲けるために患者にマスクしろっていうのか。まったく図々しいな。そんな話乗りたくねえ。
つまり
会いに行ってもいいんだけどマスクするのはやだな、と思いました。そもそも不織布なんて三年で七枚しか買わなかった。三枚防寒に使って四枚はどっかに埋もれていると思う。
掘り出すのもやだな。
と思って、とりあえずマスクなしで出かけることにした。
医療機関はしていない人に50円だか100円だかで買ってつけろとかいうみたいだけど、そのときにいやだったら会わないで帰ってくればいいし、そのときの気分で会いたければ50円だか100円だかで買って嫌味っぽくカチューシャみたいに頭にくっつけてやってもいい。口と鼻にはつけない。苦しいじゃん。
と思って。
結果的にはなんにもとがめられませんでした。
そしてドクターにお会いできました。
だから本が生まれることになったよ。
この三年半でわかったのは、人々は私ほど腹が立たないみたいだ、っていうこと。
人が人の口と鼻を塞ぐという人権侵害に、意外とみんな腹を立てなかったということ。
いや、マスク社会を嫌がっていた人がいるのはわかるけど、仕事でいやいやつけていた人も多いのはわかるけど、でも私ほど激烈に怒っている人はあまりいなかった。
私は子ども達へのマスク強制も
妊産婦へのマスク強制も
本当に腹が立ちました。
あんなにエビデンスエビデンス言ってたくせに、マスクしないと、治験中の注射打たないと感染すると決めつける医クラ。結局エビデンスなんか関係なかったじゃん。ただ支配したいだけじゃん。
尾身爺の提案した尾身食い。あれを見たとき、東京裁判の「人道に対する罪」っていう罪状にふさわしいのは尾身茂だと思った。
私、基本的にこんな世の中に長居する気はないけど、尾身爺がどんな死にざまをさらすのかは見守りたいわ。
コロナ前は発達医療に腹が立ってたけど、医療は、コロナになったら発熱患者さえみなくなった。なんのための国民皆保険だよ。
それまで国民皆保険は自分には不利だと思いつつ、ある意味健康の再分配なのだから、と分配できる方にいる自分を誇りに思っていた。でも医療が発熱患者もみなくなったとき、この制度は潰れた方がいいと思った。
医療、患者、双方にモラルハザードを起こしている。
これがあるから人々は、自分の健康に自分で責任を持たなくなる。
自力で眠れないのに一生懸命治そうとしている人々にストーカーする迷惑ASDとかも、他人の金を使っている自覚がない。そして金魚体操で眠れるようになった人々を「トンデモ」と決めつける。金魚体操は公金使っていない。それで治っている。犬猫さえ自然にできる「眠る」という活動のために他人の金を使っている奴らに文句を言われる筋合いはない。
そんなふつふつした思いをたぎらせながら意を決してクリニックの受付に行きアポイントメントを告げると
あっさり通されました。
だからこの本は生まれた。
あそこでマスク強制されていたら、この本は生まれませんでしたわ。
二度と行かなかっただろうし。
今日のブログは無駄に長いですね。
かいつまんでいうと
脳神経内科に興味もったのはそれまで治らなかった病気を治す方法を探る科らしかったから
っていうのと
会う気がしなかったドクターに会いに行く気になったのは奄美大島が好きな方だったから
っていうのと
踵をかえさなかったのはマスク強制されなかったから
というだけです。
いや、大きな気づきがもう一つ。
たった今、書いているうちに気づきました。
私が医療に対する恐怖感をある程度治さないとこの本は作れなかった
っていうこと。そして
恐怖感はだいぶ治ったけど
嫌悪感は治ってないや(笑)。
医療に対する嫌悪感は積み残したまんま
だからこそ私は、革命的な本に革命感を出せなかったんだと思います。
だって革命的な本になっちゃうと
またうるさいじゃん。あいつらが。
あいつら対策しとかないとな。
続く
そもそも医療活用経験が乏しい私。
・あせもっぽい何かができたとき皮膚科に行ったらそれはあせもというより戒名みたいな名前がついた皮膚疾患で、薬もらって一週間禁酒禁汗したら治った。
・秋に咳がよく出て、止まらない時は耳鼻咽喉科行って薬もらったら治った。ただしこの薬は強烈でのんだ日は寝付いた。でも小田原の大先生に夏の養生を習ったら秋の咳は出なくなったので耳鼻科は要らなくなった。
とかそのくらいの経験しかしていないから、そもそも「精神科」と「脳神経内科」の違いもわからない。
でも「脳神経内科」の先生から『療育整体』の本が出た後「花風社素晴らしい」とメールをいただき、一応礼儀正しくお返事はした。
そしてメル友みたいになって、国際的な発達障害の診断と治療がずいぶん日本と違うとか、そういうのを教えていただいていた。面白いなあと思って、情報源としてありがたくメールの交換をさせていただいていた。
その話の中で知ったのは、「脳神経内科」の人たちは、これまで治療できないとされていた病気の治療方法を開発する人たちだということ。
たとえば水俣病。
覚えがありました。
うちの夫は上智大学生命倫理研究所というところの所長を(持ち回りで)やっているのだけど、時々視察旅行に出かける。水俣にも何回も出かけていて、「水俣病は治ってるんだよ」と教えてくれた。
映像で見る水俣病は悲惨で恐ろしく、でもあれだけの症状が治る人がいるなんて素晴らしいなと思った。
そういう「新しく出てきた病気の治療開発」も脳神経内科の仕事らしい。
そして私たちはみんな神田橋先生の勧めで『発達障害の原因と発症メカニズム: 脳神経科学の視点から』を読んでいた。これは杉山大先生も推薦している本。
これを読むと発達障害って水俣病に似ている機序もあり、だったら水俣病が治るようになったみたいに治る可能性もあるのかな、と思って、だったら精神科医じゃなくて脳神経内科医が治すこともありうるかもしれない、と思った。
ドクターは何度も何度も「一回見学に来て」というのだけど、私はもちろん行かない。
医療phobiaの私にとって「クリニックに見学に来て」っていうのは「お化け屋敷に来て」くらい恐ろしいこと。ドクターはお化け屋敷の拠点をいくつか持っていて、そのうちの一つのビルの前を私はよく通りかかる。
そんなにお化け屋敷には見えない。ここは怖くないかもしれない、と思ったけど、マスク社会が続き、病院では家族にも面会させないとか、マスクも不織布とか、分娩時の妊婦もマスク強制とか、二歳児の子にもマスクさせるとか、そういう医療の鬼畜話が続く限り、医療機関に足を踏み入れる気にはならなかった。
そしてありがたいことにそれが可能になった三年半だった。
家族三人、誰も病気もケガもしなかった。
一番の功労者は老母だと思います。87歳未接種。一応なんかのときのために主治医はいるんだけど(最近有志の会の先生と判明・反枠ポスターが貼ってあるらしい)血液検査したらものすごく健康らしく、百歳まで大丈夫らしい。ともかく、この「できれば医療機関に近づきたくない三年半」を無事に乗り切ってくれた。
それからロードバイクで通勤しちゃう還暦夫。怪我も病気もせず乗り切ってくれた。メンタルもフィジカルも象が踏んでも壊れない(古)。
医療も(そして福祉も)いやらしい制限をさも当然のようにかけてくるけれど、そこから無縁でいればいるほど自由に暮らせるジャパンであり、病気も障害もなければいいだけ。だから病気も障害も、とっとと治った方がいい。医療に蹂躙されずにすむから。私は幸い丈夫な身体を持っているので、「次に病院に行くのは心肺停止になってからでいい。死亡証明書だけ世話になろう」と思っていた。
私の健康は海や自転車のおかげ。自転車買うのも旅するのもジム代も十割負担。十割負担で健康を維持している。それを公金チューチューのくせに観光や飲食産業を不要不急と決めつけるなんて、医療ってどんだけ傲慢なんだぜ。こっちに言わせれば医療の方がよっぽど不要不急だわ!
と思っていた。だから
「医療機関に見学に行く」は私にはハードルが高すぎた。
ドクターとのメールでのおしゃべりは楽しかったけど。
そして五月に還暦奄美旅行に出かけ、帰ってきてから留守中のメールに返事をした。「奄美行ってたんです」と。
そうしたらドクターは、研修医の頃奄美にいたことがあるそうだ。診療所で研修を積んで、島にほれ込んで、一時は土地も持っていたということ。
そのとき初めて、会いに行ってみようかな、と思った。
単純なもんです。
同じ土地が好きだというだけで警戒心が解けるんですね。
というかあのビルの前、しょっちゅう通るし。
そうしたら週に一回いらっしゃるんだそうです。
時は5月以降で、個人の判断だったマスクが個人の判断になったころ。
でもまだ医療機関ではマスク続いているらしい。その理由の一つが診療報酬の加算があるからですってよ奥様。
医者が儲けるために患者にマスクしろっていうのか。まったく図々しいな。そんな話乗りたくねえ。
つまり
会いに行ってもいいんだけどマスクするのはやだな、と思いました。そもそも不織布なんて三年で七枚しか買わなかった。三枚防寒に使って四枚はどっかに埋もれていると思う。
掘り出すのもやだな。
と思って、とりあえずマスクなしで出かけることにした。
医療機関はしていない人に50円だか100円だかで買ってつけろとかいうみたいだけど、そのときにいやだったら会わないで帰ってくればいいし、そのときの気分で会いたければ50円だか100円だかで買って嫌味っぽくカチューシャみたいに頭にくっつけてやってもいい。口と鼻にはつけない。苦しいじゃん。
と思って。
結果的にはなんにもとがめられませんでした。
そしてドクターにお会いできました。
だから本が生まれることになったよ。
この三年半でわかったのは、人々は私ほど腹が立たないみたいだ、っていうこと。
人が人の口と鼻を塞ぐという人権侵害に、意外とみんな腹を立てなかったということ。
いや、マスク社会を嫌がっていた人がいるのはわかるけど、仕事でいやいやつけていた人も多いのはわかるけど、でも私ほど激烈に怒っている人はあまりいなかった。
私は子ども達へのマスク強制も
妊産婦へのマスク強制も
本当に腹が立ちました。
あんなにエビデンスエビデンス言ってたくせに、マスクしないと、治験中の注射打たないと感染すると決めつける医クラ。結局エビデンスなんか関係なかったじゃん。ただ支配したいだけじゃん。
尾身爺の提案した尾身食い。あれを見たとき、東京裁判の「人道に対する罪」っていう罪状にふさわしいのは尾身茂だと思った。
私、基本的にこんな世の中に長居する気はないけど、尾身爺がどんな死にざまをさらすのかは見守りたいわ。
コロナ前は発達医療に腹が立ってたけど、医療は、コロナになったら発熱患者さえみなくなった。なんのための国民皆保険だよ。
それまで国民皆保険は自分には不利だと思いつつ、ある意味健康の再分配なのだから、と分配できる方にいる自分を誇りに思っていた。でも医療が発熱患者もみなくなったとき、この制度は潰れた方がいいと思った。
医療、患者、双方にモラルハザードを起こしている。
これがあるから人々は、自分の健康に自分で責任を持たなくなる。
自力で眠れないのに一生懸命治そうとしている人々にストーカーする迷惑ASDとかも、他人の金を使っている自覚がない。そして金魚体操で眠れるようになった人々を「トンデモ」と決めつける。金魚体操は公金使っていない。それで治っている。犬猫さえ自然にできる「眠る」という活動のために他人の金を使っている奴らに文句を言われる筋合いはない。
そんなふつふつした思いをたぎらせながら意を決してクリニックの受付に行きアポイントメントを告げると
あっさり通されました。
だからこの本は生まれた。
あそこでマスク強制されていたら、この本は生まれませんでしたわ。
二度と行かなかっただろうし。
今日のブログは無駄に長いですね。
かいつまんでいうと
脳神経内科に興味もったのはそれまで治らなかった病気を治す方法を探る科らしかったから
っていうのと
会う気がしなかったドクターに会いに行く気になったのは奄美大島が好きな方だったから
っていうのと
踵をかえさなかったのはマスク強制されなかったから
というだけです。
いや、大きな気づきがもう一つ。
たった今、書いているうちに気づきました。
私が医療に対する恐怖感をある程度治さないとこの本は作れなかった
っていうこと。そして
恐怖感はだいぶ治ったけど
嫌悪感は治ってないや(笑)。
医療に対する嫌悪感は積み残したまんま
だからこそ私は、革命的な本に革命感を出せなかったんだと思います。
だって革命的な本になっちゃうと
またうるさいじゃん。あいつらが。
あいつら対策しとかないとな。
続く