さて、「どっとこむ」にて好評連載中、ブルーさんのアンチ考察へのお答えブログです。
今回のブルーさんの考察は本編第8回。
こちら。
いよいよ私の知らない・みてない領域に入ってきたな、という感じです。
今回のブルーさんの記事を読んで「そういえば先の大炎上のとき、そういう人見かけた気がする」とは思うのですが、よくみてないしそれ以降はほったらかしになってます。
というのはこういう専門家たちはほぼほぼ私に@は飛ばしてこない。空に向かってつぶやいているだけだからです。
そしてあれ以降私は基本的に相互フォローじゃないと@が飛んでこないように設定してあります。
時々多くの人を巻き込むと、とんできてしまうみたいです。この場合も内山氏まで巻き込んじゃったので私の知るところになりました。この人もブルーさんに言わせると切り分けに失敗したアンチなんだろうなあ。
ま、まず保護者は置いといて、専門家について。
花風社の本を読んでフェアに対応して、「この対立をなんとか止揚できないものか」と考えていた専門家がいたとのこと。
それは勝手にやってもらうといいんじゃないでしょうか。
ていうか、それが本来の専門家の姿ですよね。
その結果花風社の言説を否定することになったとしても、読まずに騒ぎ立てる低学力な人たちより相当マシな感じがしますが。
読んだ帰結として、花風社のやり方をうっすら理解したり、部分的に採り入れたり、あるいは自分は採り入れなくてもとりあえず花風社のやり方で一生懸命やっている親がいてもそれを許容したり、あるいは全否定だったり、浅見が嫌いだけどやり方としては認めたり、ニーズだけは理解するけどやはり自分は選ばなかったり、って色々反応はあるでしょう。
そしてそういうのをいちいちこっちに報告しなくてよいのです。だって本ってそういうメディアでしょ。自分たちが何か問題解決を求めて発達以外の分野の本を読むときだってそうじゃないですか。
だからアウフヘーベンは勝手に個々人の中でやってくれたらいい。
それこそが本の役目ですから。
というか私だって個々の著者に対してそういうスタンスだし、個々の著者ですら花風社に対してそういうスタンス。それが本の役目です。というか、それが社会人対社会人の対等な関係性です。愛着の発達段階がまだ縦のみの人にはわからないと思いますが。
もっともありえないのは私がどっかの人々と話しあって妥協点を探るということ。
みんな仲良しになってもらいたい人はそれを夢見たりしますが
それは金輪際、ない。
それは期待しないでください。
なぜならこちらには、彼らと仲良くしなきゃいけない理由も彼らのお墨付き?をもらう理由も一つもないからです。
勝手に嫌って、勝手にインチキがっていればいいのです。
こっちも勝手に治りますから。
そして私はかつて神田橋先生に言ったとおり
「今後誰とも仲良くしなくていいのなら、発達の本を出していけると思います」というところは変わっていないからです。
それくらい私は、ギョーカイも発達医療も福祉も大嫌いなのです。
この「誰とも」にはもちろん花風社クラスタの方々や著者の方たちは含まれていません。
それは私が一から本を通じて作った人間関係だから。
そして「花風社は嫌いだけど読者ニーズには一定の理解を示した心理系の人」に関しては
ニーズに理解を示すならそれを仕事に反映させろよな、と思います。
医療や福祉が保護者を邪険に扱う。解決策を与えない。
そこに花風社が入り込んだ。
その花風社が嫌いで、でも保護者ニーズに気づいているのなら、ぜひその大嫌いな花風社をこの世界から追い出すためにも今現在心理系の人々が提供できないソリューションを考えなさい。
それが大嫌いな花風社を潰す近道ですよ、っていうこと。
だから考えなさい。
さて、ブルーさんのおっしゃる「パラダイムの切り分け」についてはこれで終わり。
次は「自他の切り分け」ですが、これは本当にわからないところなのでブルーさんの連載を楽しみに待ちます。
たったひとつこの時点で言いたいことがあるとすれば
花粉症でない人にとっての花粉と同じく、恐怖を感じない人にとっての恐怖はないのと同じ。
それをあることを認めろ、と言われてもこっちには何が怖いのかさっぱりわからないということ。
治すなんて差別→じゃあ治るなよ。こっちは治るから。
エビデンスがないと→じゃあやるなよ。エビデンスと心中しろ。こっちはやるから。エビデンスなくても。そして治るから。
(これはただの言い訳だとブルーさん論破済み)
だけなんですよね。
が、今さっき私は医療や福祉を大嫌いと宣言しました。
ところが医療や福祉でも花風社の愛読者は多い。
その人たちはすでに「浅見が大嫌いという医療や福祉と自分」の切り分けに成功しているのですよね。
心理士なんか愛着障害で頭でっかちでバカばっかり
とか私は常々言っていますが、それでも愛甲さんや座波さんの本は出している。
そしてこれらの職業の方たちも愛読者にもいらっしゃいますし講座にもおみえになる。
私自身個人的にもお二人からは多くを学んでいる。
座波さんとの本作りは私にとってのキャリアカウンセリングでもあったわけです。
座波さんからいただいた24周年のお祝いメッセージにこんなのがありました。
「花風社はおそらく、結果を出したい支援者も増やしている」。
そうだといいなあ、と思っています。
支援職がこんなに結果を出さないで許される時代が続くと私は思わない。
支援職自身の生き残りのためにも結果を出せる人が増えるといいと思っています。
その結果を出せるようになった支援者が花風社を好きだろうと嫌いだろうと私にはどうでもいいことなんですね。
ただ、読まないで読まない人から間違った憶測の情報仕入れて結果的にデマ振りまく、っていうのは一番やばいよね。専門職としても法治国家の一員としてもね。
ではでは。
*写真はお祝いのケーキです。
今回のブルーさんの考察は本編第8回。
こちら。
いよいよ私の知らない・みてない領域に入ってきたな、という感じです。
今回のブルーさんの記事を読んで「そういえば先の大炎上のとき、そういう人見かけた気がする」とは思うのですが、よくみてないしそれ以降はほったらかしになってます。
というのはこういう専門家たちはほぼほぼ私に@は飛ばしてこない。空に向かってつぶやいているだけだからです。
そしてあれ以降私は基本的に相互フォローじゃないと@が飛んでこないように設定してあります。
時々多くの人を巻き込むと、とんできてしまうみたいです。この場合も内山氏まで巻き込んじゃったので私の知るところになりました。この人もブルーさんに言わせると切り分けに失敗したアンチなんだろうなあ。
ま、まず保護者は置いといて、専門家について。
花風社の本を読んでフェアに対応して、「この対立をなんとか止揚できないものか」と考えていた専門家がいたとのこと。
それは勝手にやってもらうといいんじゃないでしょうか。
ていうか、それが本来の専門家の姿ですよね。
その結果花風社の言説を否定することになったとしても、読まずに騒ぎ立てる低学力な人たちより相当マシな感じがしますが。
読んだ帰結として、花風社のやり方をうっすら理解したり、部分的に採り入れたり、あるいは自分は採り入れなくてもとりあえず花風社のやり方で一生懸命やっている親がいてもそれを許容したり、あるいは全否定だったり、浅見が嫌いだけどやり方としては認めたり、ニーズだけは理解するけどやはり自分は選ばなかったり、って色々反応はあるでしょう。
そしてそういうのをいちいちこっちに報告しなくてよいのです。だって本ってそういうメディアでしょ。自分たちが何か問題解決を求めて発達以外の分野の本を読むときだってそうじゃないですか。
だからアウフヘーベンは勝手に個々人の中でやってくれたらいい。
それこそが本の役目ですから。
というか私だって個々の著者に対してそういうスタンスだし、個々の著者ですら花風社に対してそういうスタンス。それが本の役目です。というか、それが社会人対社会人の対等な関係性です。愛着の発達段階がまだ縦のみの人にはわからないと思いますが。
もっともありえないのは私がどっかの人々と話しあって妥協点を探るということ。
みんな仲良しになってもらいたい人はそれを夢見たりしますが
それは金輪際、ない。
それは期待しないでください。
なぜならこちらには、彼らと仲良くしなきゃいけない理由も彼らのお墨付き?をもらう理由も一つもないからです。
勝手に嫌って、勝手にインチキがっていればいいのです。
こっちも勝手に治りますから。
そして私はかつて神田橋先生に言ったとおり
「今後誰とも仲良くしなくていいのなら、発達の本を出していけると思います」というところは変わっていないからです。
それくらい私は、ギョーカイも発達医療も福祉も大嫌いなのです。
この「誰とも」にはもちろん花風社クラスタの方々や著者の方たちは含まれていません。
それは私が一から本を通じて作った人間関係だから。
そして「花風社は嫌いだけど読者ニーズには一定の理解を示した心理系の人」に関しては
ニーズに理解を示すならそれを仕事に反映させろよな、と思います。
医療や福祉が保護者を邪険に扱う。解決策を与えない。
そこに花風社が入り込んだ。
その花風社が嫌いで、でも保護者ニーズに気づいているのなら、ぜひその大嫌いな花風社をこの世界から追い出すためにも今現在心理系の人々が提供できないソリューションを考えなさい。
それが大嫌いな花風社を潰す近道ですよ、っていうこと。
だから考えなさい。
さて、ブルーさんのおっしゃる「パラダイムの切り分け」についてはこれで終わり。
次は「自他の切り分け」ですが、これは本当にわからないところなのでブルーさんの連載を楽しみに待ちます。
たったひとつこの時点で言いたいことがあるとすれば
花粉症でない人にとっての花粉と同じく、恐怖を感じない人にとっての恐怖はないのと同じ。
それをあることを認めろ、と言われてもこっちには何が怖いのかさっぱりわからないということ。
治すなんて差別→じゃあ治るなよ。こっちは治るから。
エビデンスがないと→じゃあやるなよ。エビデンスと心中しろ。こっちはやるから。エビデンスなくても。そして治るから。
(これはただの言い訳だとブルーさん論破済み)
だけなんですよね。
が、今さっき私は医療や福祉を大嫌いと宣言しました。
ところが医療や福祉でも花風社の愛読者は多い。
その人たちはすでに「浅見が大嫌いという医療や福祉と自分」の切り分けに成功しているのですよね。
心理士なんか愛着障害で頭でっかちでバカばっかり
とか私は常々言っていますが、それでも愛甲さんや座波さんの本は出している。
そしてこれらの職業の方たちも愛読者にもいらっしゃいますし講座にもおみえになる。
私自身個人的にもお二人からは多くを学んでいる。
座波さんとの本作りは私にとってのキャリアカウンセリングでもあったわけです。
座波さんからいただいた24周年のお祝いメッセージにこんなのがありました。
「花風社はおそらく、結果を出したい支援者も増やしている」。
そうだといいなあ、と思っています。
支援職がこんなに結果を出さないで許される時代が続くと私は思わない。
支援職自身の生き残りのためにも結果を出せる人が増えるといいと思っています。
その結果を出せるようになった支援者が花風社を好きだろうと嫌いだろうと私にはどうでもいいことなんですね。
ただ、読まないで読まない人から間違った憶測の情報仕入れて結果的にデマ振りまく、っていうのは一番やばいよね。専門職としても法治国家の一員としてもね。
ではでは。
*写真はお祝いのケーキです。