治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

中途半端に治す

2015-05-31 07:39:05 | 日記




夜のうちに読者の方からメールをいただいていたようですね。
それを読んで、お返事代わりにこのエントリを書いています。

ちょうど私は昨日つくづくちゅん平さんの
「支援者は中途半端に治す」という言葉を思い出していたところでした。
以前はこの「中途半端に治す」ということに、どちらかと言えばネガティブな思いを抱いていたかもしれません。
でも今は、それが最大の支援ではないかと思います。

なぜなら、支援者ができるのは途中までだからです。
それに気づかせてくれたのは、結局治っている人たちを治しているのは最終的には本人と社会だということを、多くの治っていった人によって見せてもらったからだと思います。
そこまで持っていくのがいい支援者なんじゃないでしょうか。
だから支援は中途半端に治して上出来なのだと思います。

ところが、中途半端で手を引かない支援が多すぎるのです。
いつまでも弱いままでいさせようとする支援。
囲っておく支援。
その縛めから自由になって治っていった当事者を偽者扱いする支援。

きっとそういう人は、当事者が自分で治っていくところまで持っていった経験のない人じゃないんでしょうかね。

このついーとを見て

ちゅん平がお世話になった支援団体は相当マシだったなと思いました。
支援があったから立ち直れた。
各地からわざわざ赴く価値のある支援でした。
でもこのついーとにある団体の少なくともいくつかは
遠くの人がつながって、当初ありがたがっていても、ひきこもり一つ治らないらしい。

ただどんな優れた支援でも
支援者があくまで自分の中に当事者を囲みこもうとすると
そこでつぶれてしまうんですよね。

ちゅん平はそこで自ら巣立つことを選んだのです。

ああ、その勇気がない人が多いのかもしれない。
でも大丈夫ですよ。
資源は他にもあるんだから。

高機能群においては

「生涯にわたる支援」をうたう支援団体は鬼門なのかもしれません。



*冒頭スクショは本文とは関係ありません。
絶賛自己紹介中の人がいたのでFBに貼っておきました。そのスクショです。

赤いお札

2015-05-30 08:22:56 | 日記
著者校が返ってきたら暑苦しい原稿がさらに暑苦しくなっていたので
昨日はせっせとそれをやってました。

やりかけの原稿は稀勢の里関直筆サインクリアファイルに保存。
どれだけ私が本気かわかるでしょう、皆さん。

でも

なんかだるい。

これは原稿のせいではなく、気圧の問題らしい。
「今日は早く寝ましょう」というついーとが回ってきた。

うんそうしようかな、と思ったけど、原稿があまりに暑苦しいので
やっぱり汗をかいてから寝ることにした。

トレッドミルの上でNHKの九時のニュースを見る。
クロネコヤマトが山形のさくらんぼを次の日香港に届けるんだって。
香港の人が甘いさくらんぼを食べて喜んでいる。

えっと日本がイノベーションの国ではないという前提で進んでいたなんとか発掘プロジェクトがあったなあ。

なんて思い出しましたよ。
甘いさくらんぼも迅速な流通網も日本で生まれたんですけどね。

なんかさー
実は日本も多様な才能を活かしているんだ、という事実を最初から否定して始まっているプロジェクトって面白くないよね。

帰ってきたらやすさんがブログをアップしていた。
昨日の私が書いた内容を「大卒の人に『親亡きあと』かあ」という切り口で。
たしかになあ、と思いましたよ。



たしかにやすさんの言う通り、親亡きあとの心配って
重心の人、知的に重い人、重い身体の人
ならわかる。
「センターオブセンター」のさらに中核団体である叡智を集めて早期支援しながら
なぜ大学まで行ける人の「親亡きあと」にさらに介護給付を求めるのか。

その分、重度の人の社会資源を奪うことになるじゃないですか。

でも昨日も言っていたとおり「知ってた」です。
このまんまでは早期介入したあげく、そうなる人が続出するだろうという予感が
私には六~七年前からあったのです。

昨日こういうかるたを作ったばかりでした。

=====

ギョーカイ人 研究すれども 支援せず



=====

この会は入会希望者が多くても、絶壁のように拒否された人も多かったそうです。
地域資源の少ない時代は、みんなすがるような思いで門をたたいたのでしょう。
でも入会者を選びに選んだ。

それは今になってみると、研究のために対象をコントロールしたかったからじゃないのか。
それくらい、残念な結果です。
だって別にそれほど権威のある会につながっていなくても、生き生きと一般社会で暮らしている当事者たくさんいるじゃないですか。花風社の読者でもそうじゃなくても。

「支援団体につながるゆえによくならない」
こういう事態を予測していました。
それが今当たっています。

青いお札作っている場合じゃなかったな、と反省しました。
本当のことを知ってもらわないと、被害者が増える。
だから赤いお札を作りましたよ。

どうぞ。





「生きづらさは、社会が受け入れてくれないから」
なんていつまでも社会のせいにしていたら、一生を棒に振りますよ。

怒りの原点

2015-05-29 08:51:52 | 日記




今思うと私が
社会の理解ガー→治療

にスイッチした怒りの引き金は、辻井正次大先生が引いたかもしれない。

1 大人になったら治らない
2 治る気がなければ治らない

と言い切られて、支援者ってなんのためにいるの? と腹が立ちました。

だいたいさ、治る気がなければ・・・とか言うけど
「治らなくていいんです。社会が理解すれば」
って言いふらしているのは支援者なわけだから、そのウソを信じてしまっている当事者は巻き込まれているんだよね。

そして大先生の地元から、ニュースが流れてきましたよ。

対象を絞りに絞り、多額の費用を負担してくれる家庭のお子さんだけに絞り
成人当事者の入会は受け付けず(だって治らないんだし)

その結果今介護給付取りに走っているって?

地元でも笑いものになっているらしい。

知ってた。

ギョーカイ系支援を受けていると
高機能の子でも
早期介入したあげく縮小再生産の人生を送ることになる。
知ってた。六~七年前に気づいた。

だから冒頭のスクショの人は間違い。

私は「支援の限界に突き当たった」んじゃないの。
むしろ私がやった「理解して」はわりと通じた手ごたえを持っている。
感覚の問題、身体の問題、深読みの問題
花風社はそれなりに理解を広げたと思う。

でもギョーカイのやりたい「理解して」があまりに非常識だから、通じるわけないと思ったの。
それは三つ組みの障害を持つ支援者たちの脳内のお花畑だから。
ギョーカイ人の脳内にしか咲かないお花のお花畑なの。

猿烏賊史・花風社かるた 編纂室の準備

2015-05-28 09:33:25 | 日記
昨日、多摩川の向うから帰宅したら来ていた個人注文。
お知り合いから花風社のことを聞いた、というお話。
お知り合いが本を送ってくださるとのことだけれど、主治医にも見せたいので、とご注文。

ありがたいですね、口コミ。
ニトロレターを二枚おつけいたしましょう。ついでに芋新聞も。

こうやって新しい読者が増えているから
猿烏賊史編纂室を作らないといけないのかもなあ、と思っていました。
昨日はリアルのミーティングでもオンラインでも猿烏賊の話題当たり日だったので。

そらパパに関しては「ひくつきんぐ」という二つ名が定着してきたようですが、これをつけたのも新しい読者の方。どこから経緯をご存じかわかりませんがぴったりです。そもそも「ぼく、アスペルガーかもしれない。」の冒頭の大地君親子の会話

=====
大地「自閉症って恥ずかしいの?」
浅見「自閉症は恥ずかしくないよ」
ママ「大地、自閉症は恥ずかしくないよ。恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯を食べられないことだ」
=====
を個人的に受け取って大騒ぎしたのが始まりだからです。
私が出版を決めたのは、この親子の会話をその場で聞いたからなんですけどね。

それを自分と自分の子への非難と受け取るなんて不思議な人だなあ、と思ったけど
昨今では私たちが楽しみにしているレシピや夕食画像の交換(いわゆる「飯テロ」)でさえ卑屈に受け取っている人もいるくらいなので、まあ卑屈の沼は底なしなんだと思いますね。
個人的には到底そこに配慮する気にはなれないな。

でもそういう「一番卑屈な親」に配慮する風習のある支援者もいて
そういう人はいいことやっているつもりで、実は多くの当事者保護者の権利をないがしろにしてきたんですよね。
そこに入り込んだのが花風社です。


成長したい人。
社会の中で役割を持った存在として生きていきたい人。
そしてこの手の支援者に腹が立つ、というまっとうな感覚を持つ人たちです。
こんなこと言ってドヤ顔していられるのはギョーカイだけですからね。




昨日のリアルのミーティングでもこのスクショのことは話題になって
「何あれ? ふざけている」という話になりました。
でもそういう感覚を一切持たない人が、支援側にも相当いると思いますね。

ひとつ猿烏賊の起源をたどると
裁判とちゅん平の劇的な治癒の同時進行を目の当たりにしていた私が路線を切り替えたときに
「あれは支持されるわけはない。俺たちの言うことを聞かない花風社はおしまいだ」
と結束した人たち、っていうことでしょうね。

それは当たらなかったんですよ。

でもね、彼らがそう誤解するのも無理はないんです。
当時の彼らは、き○がいじみていたからね。
とくに急先鋒に立っていたベムこと宮本晋。実にきち○いじみたこの男の襲撃を恐れて「すみません。表立ってはかばえません」ということで
あからさまにかばってくれる人は本当の身内だけだったからね。

だから外から見たら「浅見には味方がいない」ように見えたかもしれない。
それでも私は「君たちが思っているより私には味方が多いよ」と教えてあげました。彼らは嗤った。

でも神田橋先生の本が出たらどわっと売れて
同時に「応援してます!」のメッセージがたくさん来て

本当は治りたい人、成長したい人、の存在が知れるようになり

裁判は有罪判決が出て

チットチャットは二年に三店舗に拡大し

無名のいかがわしいおっさんの本がいきなり売れて

喜ぶ人がいっぱい出てきて(昨日のニコマムさんとか)

今や沈黙した猿烏賊に代わり、治った人たちが威勢よく発言しはじめて

ほーら言ってたでしょ、っていう気分です。
カルト呼ばわり、光栄です。
自分たちに理解できない仲良し集団をこう呼ぶ習慣のある人はいますが
「浅見には味方がいない」から「カルト」に出世したのなら
「実は味方がいた」っていうことを認めざるを得ない状況になってきたっていうことですからね。

というわけで猿烏賊史編纂室に加え

花風社かるた編纂室も作ろうと思います。
すでにFBでいろいろ寄せていただいていますが
それを吟味して決めていこうと思います。

最初のふたつはこれ。


「ありのままでいいんだよ」
それって支援じゃありませんから!


医者なら治せんといかんわな

思いついたら送ってね。メールでもツイートでもコメントでもいいですよ。
FBにすでに書き込んでくださったものは、推敲していきます。

治るってこういうこと

2015-05-27 07:02:33 | 日記




さて、リア充の千秋楽のあと、月曜日は原稿仕事。
火曜日は朝早くから遠くへ取材に行きました。真夏日。

80人の子どもたち。
みんな頑張るのが好き。競争が好き。
これがもともとの人間の姿なんだろうなあと思いました。
だって人間ももともと厳しい自然の中を生き抜いてきた。頑張るのが好きで競争を恐れなかったから生き抜いてきたはずなんです。
それをどの時点で、頑張ることに疲れるのだろう。そして競争を恐れるようになるのだろう。
頑張るのを楽しんでいる子どもたちを見ていて不思議に思いました。

終わって帰路は原稿チェック。
実は新刊には栗本さんにもちょこっとお手伝いしてもらったのですが(二次障害へのコンディショニングに関して知見を披露してもらいました)
前後の原稿を読んだ栗本さんが「汗がかきやすい身体になれそうな本ですね」と。
めずらしくうまいこと言います。どういうことかというと、それくらい「熱い本」だということです。

ということで原稿があまりに熱いので湯あたり状態になり
アイスクリームを食しながら原稿仕事継続。

帰ってきたら
「ああ治るってこういうことだよね」って思うツイートがあったので貼っておきました。

治っていく

治った結果



よく「生まれ持ったものに治療という言葉はおかしい」とか難癖つける人がいますが

治るってニコマムさんが言っているように
生まれながらに持っていた問題が取れていくことによって
同じように生まれながらに持っていたけどそれまで気づかなかったものが表に出てきて生きる力になっていくっていうイメージです。

生物としての本来の強さが出てくるのね。
そんな感じ。

そういうの見たことない支援者もいるようなのでスクショ貼っておきました。
原石にたどりついたことがないんだろうね。
まあ、それがダメな支援者だというわけではないと思います。



カサンドラ症候群の特集を見て思ったこと

2015-05-26 06:31:19 | 日記
昨日朝ドラのあとのいつもはつまんながっている(個人的に)番組でカサンドラ症候群の特集があったので、そのままテレビをつけていました。
平凡かもしれないけど一応感想書いておきます。
大した感想ではありません。

まず、ギョーカイは面白くないだろうなと思いました。
発達障害の人のメーワク性をはっきり示す切り口だから。
実際カサンドラについて取り上げた本にはかみついている人が多い、って以前お会いしたカサンドラの人が教えてくれました。

あと、夫に苦労している妻の話ばかりが採り上げられていたけど
当然特性の強い妻に苦労している夫もいるはず。っていうかすでに何ケースも思いつくけど
男の人は我慢して黙っているのかもな、と思いました。

それと、芸能人がカミングアウトすることにどういう意味があるのか私にはさっぱりわからず
そういう意味で私は啓発がどんなものか根本的にわかっていないのだろうなあ、と思いました。
もっともあの芸能人の人を生まれて初めて見たわけなので、どのくらいビッグな人かわかっていないというのもありそうですが。

まあともかく、花風社として肝心なのは

家庭人としても幸せになれる、そして家族を幸せにできる発達障害の人を増やすことですね。

それには三本の芋づるが役に立ちそうです。

三本の芋づる

2015-05-25 10:00:58 | 日記



この前画伯に会ったのは初日を見に行ったときだったから、二週間ぶり。
二週間ぶりに会った画伯に「顔がすっきりしている」と言われました。

ギョーカイトラウマが出て、リア充で治そうと、いろいろやりましたからね。
よく遊びましたよ。

私には「非ルサンチマン三原則」というのがあります。
ルサンチマン系の当事者保護者支援者の原稿は
1 読まない
2 出さない
3 持ち込ませない

という原則です。
でも「治ってますか? 発達障害」(仮題)はそれでは作れませんでした。
きちんと過去に向き合う必要がありました。
だから、ギョーカイ本を読み、ギョーカイ人の講演会に行きました。久しぶりのこと。業務上仕方なくギョーカイ系の講演会に行っている方たちから「10年前とレジュメが同じです」と噂には聞いていましたが、ほんとその通りでした。げんなりしました。

その途中、ギョーカイトラウマにも立場によっていろいろ種類があることを知りました。おからさんのように、ギョーカイの推奨する生き方から外れたもっと可能性を求める生き方を追求したとき、支援者に「二次障害」を振り回されておどされた、という体験を持っている方は他にもいました。そしてギョーカイ系の講演会に出ると「自分はそんなにダメな人間なのか」とよみがえるギョーカイトラウマを体験している当事者の方もいました。「君は働かなくていいんだよ」という支援者の言葉に傷ついている人もいました。立場が違えばギョーカイトラウマも違います。そういうのを一つ一つ心の中に入れて、そして癒す作業をしました。

その結果の「すっきりした顔」だったらよかったです。
結構大きな結論を出せたからね。

それが「三本の芋づる」です。
「治しやすいところから治す」の芋づるは三本あることに気づいたのです。


そして昨日。
リア充の頂点の写真がこれ。
画伯に「背中が乙女」と言われました。自分でもそう思います(笑)。
国技館でもらったクリアファイルに大関サインをいただきました。






今日からはまじめに仕事をするのです!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

リア充最後の日

2015-05-24 10:13:08 | 日記




五月のテーマ「リア充」。
温泉、お相撲、フレンチ、お誕生日、バースデイヴィンテージ。
でも今日でリア充な日々も千秋楽です。
明日からまじめに仕事をします。
夏出版にふさわしい暑苦しい新刊に全力投球です。

進行仮題。
「治ってますか? 発達障害」

です。

一次障害、二次障害、それぞれ考察します。
最後に「社会にどう理解してもらうか」も考察します。
そう、私の大嫌いな(はずの)「社会の理解ガー」についてもとことん追求します。
どうやったら社会における発達障害への理解が広まるか。

お楽しみに。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ドローン少年に関して漫画家の人の意見が間違っている件

2015-05-23 09:51:06 | 日記
ドローン少年が逮捕されました。
YouTubeのヘビーユーザーとは到底言えないワタクシ。この少年の存在はもちろん知りませんでしたが、まあ浮かび上がってみると確かにバランスの偏りを感じさせるエピソードではあります。

そして漫画をほとんど読まないワタクシ、漫画家の名前はほぼ知りませんが、有名らしき漫画家の方が「専門家でも手を焼くレベルの発達障害?」みたいなコメントをしてボヤが起きたようですね。それに対し猿烏賊スペクトラムのどっかにいる人らしき人が噛みついて云々、という話題が回ってきました。

はっきり言いましょう。
この漫画家の方は間違っています。
この少年は「専門家でも手を焼くレベル」の発達障害である確率は相当に低い。
それが、発達障害ギョーカイの砂かぶりで観戦して、その後長城の彼方へ去ったインフォーマントのワタクシの意見です。

「専門家でも手を焼くレベル」っていうレベルは、ちょっと問題ある、っていう程度のこと。
何しろこのギョーカイの専門家は、たとえ一流の医師が「発達障害」の診断を下していても
1 悪いことする人
2 治る人
を偽者認定して支援の対象から切り離しますので
逮捕に至るような少年には手を焼かない。そもそも手をつけないのですから。
私はこの態度を「死んだふり」と呼んでいます。
一般の人が抱く「支援者」の役割とはかなり異なった役割しかしない人たちが
「センターオブセンター」を名乗っているのですよ。それが発達障害支援ギョーカイ。

昨日ワタクシは

=====
追伸
こういうのはね、集団誤学習への介入として書いてるのよ。親切でしょ、私。
=====
と書きましたが、言っておきますがこれはギョーカイに改めよと言っているのではありません。
それほどの期待を、私はギョーカイにもっていません。とくに「センターオブセンター」のセンセ方には。現場の人には部分的にもっていますが。
発達障害は治ります。でも死んだふりは治りません。

同じように猿烏賊スペクトラムの人々にももっていません。

私が防ぎたい「集団誤学習」は
治りたい人のそれです。
治りたい人々は
「センターオブセンター」の話を少なくとも話半分に聞いておいた方がいいです。
そして一般の人々のそれです。
一般の人々が「支援者がいるからなんとかしてくれるはず」というかつて私も誤って抱いていた期待を、さっさと捨ててほしいのです。
何か問題が起こったら
支援ギョーカイを頼らず、さっさと警察に行ってほしいのです。

支援ギョーカイは、障害児の親きょうだいに「我慢しなくていい。自分の人生を楽しんでいい」と言います。そしてそれは100%正しい。
けれども一般社会がどれくらい被害を受けても全く動かないのです。
だから彼らをあてにするのはやめましょう。

困ったときのコンドーム屋さん頼み

2015-05-22 08:41:53 | 日記





「センターオブセンター」のGYK48の祭典
協賛企業募集を始めたようです。

そうか。なるほど。
おかしいと思っていたんだ。

2500円で定員500名。
「センターオブセンター」の存続をうたうには集金スケールが今ひとつ。
GYK48との握手会に十万円くらい包むタニマチがいっぱいいるのかしら、ギョーカイは、と思っていたのです。

そうしたら協賛企業募集か。
そうか。狙いはそっちか。
薬屋さんに向かって大きな釣り針を垂れているわけですね。

ていうかさあ
こういう営業はHPとかじゃなくて個人のつながりベースでやんなきゃ。
まあそちらもやっているのかもしれないけど、かつて高山恵子さんにそれやられて腹を立てた私がここにいるので
高山さんはやらないほうがいいかもね。
卓球でスマッシュしか打ちたくない人はこういう営業は向かないです。
無礼な営業トークで人を怒らせます。
ラリーできる人の方が得意なはず。

並み居る先生たちが口説けばお金持ちの薬屋さんはたくさんお金出してくれるんじゃないの?
そしてかつて「しょせん寄り合い所帯なので」と支援を遠慮されたJDDにおかれましては
薬屋さんsponsoredの「センターオブセンター」になっていくわけですね。

いや、薬屋さんの独占を阻む方法はあるよね。

そう。
困った時のコンドーム屋さん頼み。
青いお祭りのコネを利用して、コンドーム屋さんに頼んでみるといいかもしれない。

ヒマなので戦略を考えてあげました。

追伸
こういうのはね、集団誤学習への介入として書いてるのよ。親切でしょ、私。