片道切符でいいんですか?

発達障害の人が実社会で活躍するのを応援するブログです。南雲明彦、浅見淳子が共同で運営していきます。

障害だから応援するんじゃない。頑張っているから応援する

2019-04-25 10:27:48 | 日記
浅見さんの本日のブログを読んで、応援されることの心強さを感じています。

このブログに出てくる「みるさん」とは、実際お会いしたことがありません。
でも、わかるんです。
過去の自分に負けないように、淡々ともがいて生きる姿が。

必死でもがいている人に嫌みを言うのは、努力できない人です。
そういう人の声は真剣に聞かない方がいいですね。

自分のやりたいことをやるためには自分の信念を貫き、何度も転びながら、前へ進むという愚直な行動を繰り返すしかないと思います。
仲間がいないと、孤立感を抱く日もあります。
失敗にがっかりして、もう自分はダメだと諦めそうになる日もあります。
それでも、自分の思いを貫いていく。

みるさんは、自分が救われたい、ラクになりたいとわけで講演を開くわけじゃない。
自分の住んでいる地域に新しい空気を入れて、人生を諦めている人たちに希望を見いだしてもらいたいと強く願っているんじゃないのかなと思います。
あくまで結果として、みるさんが望んでいなくても、みるさんへたくさんのギフトが渡されるんです。

講演をはじめて、約10年たちます。
最初は笑われました。
「1人じゃ無理でしょ」と。
有識者と呼ばれてる人です。
だから、決別した。
この判断は今でもよかったと思います。

講演のマネジメント会社の人たち、浅見さんをはじめ編集者の人たち、マスコミの人たちなど、大好きな人たちと生きています。
この人たちとの間には「支援」という言葉が行き交う隙間はありません。
そんなよそよそしい言葉はいらない。
応援されることで、今後は誰かを応援する側になっていく。
応援というバトンは次世代に引き継がれていきます。

障害だから応援するんじゃない。頑張っているから応援する。
人として自然な行為ですね。

平成31年4月25日(木)
南雲明彦

援助はテーラーメードなら、一番援助できるのは誰?

2019-04-22 10:34:23 | 日記
栄養療法が花盛りです。
かといって私自身がビタミンをいわゆる「メガ盛り」しているかというと、さほどしていないんですよね。
Bはメガ盛りまではいらないな、というのが最初からの実感でした。
Cはほんの一瞬メガ盛りしました。すぐにいらなくなりました。
それより高タンパクにこだわりました。
というか高タンパクにすると自然に糖質がいらなくなってしまう→体調・実行機能向上
にびっくりしたのです。

けれどもホエイプロテインの摂取には私、結構保守的でした。
なぜならそれほど牛乳と相性がいい方ではないのはわかっていたからです。
その代わりに消化能力があるので、肉や卵そのものからタンパク質を取ることを優先させてプロテインは補助的でした。
それもすでに飽き始めており、最近はヨーグルトにまぜて摂取しています。
ヨーグルトは好きじゃなかったのですが、身体には良かったようです。
ただこれももうすぐ飽きると思います。

こうやって飽きるのは当たり前なのです。身体が変わっていくのですから、必要なものも変わっていきます。
逆に精神科の薬はずっと呑ませ続けられる。それだけで「実は効かない」という証です。
そして身体が変われば違ってくるのですから、人によって違うのも当たり前なのです。
逆に「エビデンスがあるからこれが正しい」と一律のやり方をずーっと押しつける支援者がいたら、そっちの方がトンデモですね。治す気がない人です。
成人支援にABAを取り入れてしまう発達障害支援センターなどがその典型。
TEACCHが子どもに有効だったから高機能の大人にもやってみたらすぐに飽きてしまうのででっちあげたのがSSTだということですが、こうなると誰のための支援かわかりませんね。
そういうものは主体的に取捨選択するのが当たり前だと思います。

そしてこういうテーラーメードな支援(神田橋先生のお言葉です)が一番できるのは誰かというと、お子さんなら親御さん、愛情を持ってその子をつねに見守っている親御さん、そして南雲さんや私のような成人なら自分ですね。
藤家さんの場合も同様です。
藤家さんはセロトニン再取り込み阻害剤であるパキシルを断薬しました。
そしてセロトニンを増やす食事をする方を選びました。
というか、そういう食事をしていたから、断薬に成功したとも言えます。

いずれは医療と縁を切ることを目指すかどうか。
19歳の南雲さんはそちらに舵を切ったわけですね。
医療から離れることが怖い人もいるかもしれません。
だから全員に医療と離れろとは言いません。
でも医療がいったい何をしてくれたのか、これから何をしてくれるのか、よく考えた方がいいですね。

2019年4月22日 浅見淳子

薬を捨てよう

2019-04-18 10:39:14 | 日記
暖かい日が続くようになり、動きやすい季節になりました。

浅見さんは現在、2作の新刊を手がけていらっしゃるのですね。
出版をいつも楽しみにしています。
そのうちの1作は、薬の話になるとのこと。
花風社の著者である藤家さんがパキシルの断薬に成功した記録は、断薬をしたい人たちにとって、ひと筋の光になるのではないかと思います。

浅見さんがおっしゃるように、自分も精神科への通院や入院をしていたときには、薬を処方されて飲むのは当たり前のことでした。
最初は医師の指示に対して、何の疑問も持たず、薬を忘れず飲んでいました。
病院から出る薬を飲めば、「治る」ものであると考えていました。
しかし、半年、1年経った頃に疑問が沸いてきました。
「本当に治るのか?」と。

精神科病院へ入院したのは、17歳の冬でした。
自分から両親へ「入院させてほしい」と懇願しました。
早く治して、学業に戻りたかったからです。
入院してみて、すぐに気づきました。
「ここは治すところではない」と。

友達と無邪気に笑い合い、勉強やスポーツに打ち込む日々を取り戻したかった。
ただそれだけなのに「もう戻れないのではないか?」と、焦りが募りました。
この焦りに対して、明確に答えてくれた大人はただ一人でした。
19歳の時に出会った、女性のカウンセラーです。
その女性は、自分との信頼関係ができた頃にこう言いました。

「薬を捨てよう」。

自分は精神科のほとんどの医師に対して、不信感を抱いていました。
治さないからです。
医師の言葉や薬の効果より、この女性の言葉を信じることにしました。
減薬ではなく、薬を捨てて、薬のない生活に戻ろうと腹をくくりました。

信頼している医師にもその意思を伝えて、なにかあった時のために協力をお願いしました。
とても強い根性があったわけではないので、安いお酒でごまかしながら、もがいていました。

カウンセラーの言葉が自分の覚悟を強くしてくれました。
その後は、一人で自分の現状を分析し、対策を練り、行動しました。
その繰り返しによって、次第によくなっていきました。
言葉の力や一人で考えることの大切さを学んだ時期でした。

最近、よく当時を振り返ります。
「もっとよくなる方法はなかったのか?」と。
カウンセラーの力不足という意味ではなく、これからの子どもたちには考えつく限りの選択肢を示したいと思うからです。

当時はしっかり運動していたので、体力はそれなりにありました。
高校1年生の時は精神科へ通うほどの状況に陥ったことはありません。
情緒不安定になってきたのは、高校2年生の頃。
学業の遅れは多少あったものの、仲間と共に楽しく勉強していました。

確か1年の頃からだと思いますが、トレーニングジムに行き、テニスに必要な筋肉を中心に鍛えていました。
ジムのトレーナーの指導方法がわるかったわけではありません。
しかし、トレーニングメニューと、プロテインの摂取を含めた食事を間違えていた可能性があります。

ある程度、体に硬さがありました。
本当は筋肉をつける前に可動域を広げる必要がありました。
可動域が広がらないと、見た目はいいとしてもバランスのわるい筋肉の付き方になります。

食事は1日3食を食べ、間にパンを食べることがよくありました。
さらにホエープロテインを飲んでいました。
当時のプロテインはおいしくなく、水で飲まずに牛乳で飲んでいました。
育ち盛りであり、体をよく動かしていたので、しっかりと食事の管理をしていれば、なんの問題もありませんでした。
問題は「食べたいときに食べる」という若さゆえの「炭水化物の暴飲暴食」がありました。

大人は「どんどん食べなさい」と、若い子がお腹いっぱい食べている姿を見て、喜んでいました。
自分も大人になり、こうした大人の気持ちがよくわかるようになりました。
でも、喜んで見ているだけでは本当はよくなかったのかもしれません。

炭水化物を食べ過ぎ、タイミングを間違え、牛乳の飲み過ぎによる腸内環境の乱れなどがありました。
入院してよかったのは、こうした食事内容を管理してもらえたことでした。
退院してから継続して管理できればよかったのですが、継続していなかったことは今でも反省しています。

今の自分が日々していることは、こんなことです。

・ランニング
・ウオーキング
・ストレッチ(可動域を広げる、弛める)
・たんぱく質を意識してとる
・豆乳(1日200㎖)による腸内環境の整備
・あいうべ体操(鼻呼吸による腹式呼吸)

などです。

自分で試して、自分に合った習慣を身につけると、日々をすごくラクに生きられることがわかりました。

自分だけでできることはたくさんあって、内側から主体性を発揮してもらいたいと願っています。

2019年4月18日 南雲明彦

どんな人生を生きたいかの一例

2019-04-15 10:00:11 | 日記
しばらく間が空いてしまいました。
「NEURO 神経発達障害という突破口」の発売後(の炎上)、の間私がしていたのは

・花見
・鹿児島で温泉と花見
・筋トレ
・本作り

でした。南雲さんも新刊を出されたようですが、花風社も現在2作の新刊を同時進行させています。
そのうちの1作は、薬の話です。
藤家さんがついに大変難しいと言われるパキシルの断薬に成功し、それまでの記録を書いてくれました。
内容の高潔さにふさわしい美しい本にするつもりで、アートワークの相談を始めています。

私がこの本を出したいと思ったのは、「減薬・断薬はこれほど大変なのか」とびっくりしたからです。
はっきり言って根性がない人には無理だと思います。
逆に、医者に薬を勧められて安易にのむまえに、「自分は(or我が子は)いつか薬が不要になってもやめられるほど根性があるだろうか?」と考えてからにしたほうがいいと思います。
根性ないと、必要がなくなってもやめられないのが精神科の薬のようだからです。

自分がどういう人生を生きたいか考えるとき、薬をのみつづける人生を選ぶのかどうか、それも一つの切り口ではないでしょうか。

そして藤家さんの原稿を読みながら南雲さんのことを思い出していました。
南雲さんも入院したこともあるし、薬物ものんだこともあると著書に書かれています。
やっぱりどこかで断薬したんですよね。

南雲さんも藤家さん同様根性のある人だから、断薬が可能だったのだと思います。
薬とともに生きない人生を選んだのだと思います。
よかったらそのことについて教えてほしいです。

2019年4月15日 浅見淳子

どんな支援を受けたらいいのかではなく、どんな人生を生きたいか

2019-03-25 13:23:35 | 日記
本日、離任式を行っている学校も多くあるようですね。
自分のお世話になった校長先生は、任期満了で退職されます。
この先生とは、実はあまりお会いしたことがありません。
広島県の中学校でずっと教員をされていて、教育委員会などを経て、現職につかれました。

いい先生というより、いい大人です。
当たり前のことだけど、ほとんどの大人ができていないことができる人です。
それは純粋に「どんな子でも、一人の人として接する」ということ。
人として、当たり前のことを貫かれた方です。

昨日、自分が15年前くらいから知っている男性から、電話が入りました。
5歳、年下の子です。
現在は政治家の私設秘書をしていますが、この春から新しい仕事に就くというのです。
その子はある競技をしていて、最近開催された全国選手権で、ベスト4に入りました。
好成績を残したので、実業団の選手として招待されたのです。
これから全日本のメンバーとして海外遠征が多くなります。

この子は、小学校と中学校、不登校の経験があります。
親御さんは、周りの声をあまり聞かずに本人の声をしっかりと聞いてきました。
もちろん、すぐに結果がでたわけではありません。苦しい期間があっての現在です。

自分が初めて会ったときは、くちびるが青ざめていて、滑舌がわるく、吃りがあるような状況でした。
今は本人の努力と、競技や政治の世界で知り合った人たちとの交流をへて、そのようなことは一切ありません。
不登校といっても、部屋でもくもくと読書をする子でした。
人との交流はほとんどなくても、ちゃんと読書を通じて、自分と対話していたのです。

今だったら支援の対象として、あの手この手で、大人が手立てを勝手に考えて、勝手に未来予想図を作成していたと思います。
余計な手が加わったら、この子はもっと自分の殻にこもっていたかもしれません。
勝手に自分の未来を決められてしまうことは、未来を奪う暴力に近いと考えています。
もちろん、支援そのものがわるいわけではないんです。

「どんな子でも、一人の人として接する」という前提を忘れさえしなければ、支援は応援になるのです。

もし不要な支援が入ってきたら、さっさと捨てましょう。支援の断捨離です。

断捨離とは、「入ってくる不要な物を断つ,不要な物を捨てる,物への執着から離れるの三つの原則をもとに,物を整理するだけでなく,暮らしや人生を整えていくプロセス」〔2009 年(平成 21)に発売されたやましたひでこの著書で提唱された概念〕です。

支援を整えるのではなく、暮らしを整えていくことが必要なのです。
合理的配慮などで使われる環境調整とは違います。
自分が主体の暮らしの調整です。
その暮らしの積み重ねが人生になります。

どんな支援を受けたらいいのかではなく、どんな人生を生きたいか。

どんどん自分に問いかけてみてくださいね。

2019年3月25日
南雲明彦