治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

評判は人をつぶさない。つぶすのは・・・

2011-07-24 07:45:30 | 日記
さて、来週は岩永先生の講演会@横浜です。
その件で昨日、瀧澤久美子先生からお電話いただきました。

いつも保護者の方がまとめ買いをしてくださるのですが、「活かそう!」も追加でご注文。
ありがたいことです。
「あの本は浅見さんがいなきゃできなかったわね」とお褒めの言葉。

そうだと思います。
長沼先生もそうおっしゃってくださっているし。

別にこれを認めることは傲慢じゃないと思うよ。
だって基本的に仕事ってそういうものでしょ?
長沼先生がよそで本を書くこともあったかもしれない。そして、売れることもあったかもしれない。
けれど
それは私が作った本とは別のものになる。そういうものでしょ?

横浜にも、北海道にいたころ長沼先生にみてもらっていた方もいるそうです。
とてもいい先生だった、とおっしゃっているそうです。本当に助けられた、と。

たぶんそういう風に、地道に地域で一人でも多くの患者さんをラクにするために日々を送っていて
別に本を書くなんて野心のない先生が
全国じゅうにたくさんいらっしゃるのかもしれません。

そこで執筆につながる出会いがあるかどうか。
今回はその出会いがあった。
そしてあの本が生まれた。

そういうことです。
縁ですね。

藤居学は「ぼくアス」に傷ついたあと
大地君が正式な診断を受けていなかったのではないか、それは出版倫理としてどうなのか、とか
花風社が弱肉強食の社会体制をむしろ促進する立場にあるのでないか、とか
くだらない言いがかりと当たらない想像をついったーでつぶやいていました。

そして「拡散」されると大喜びで
そういう機能を利用して評判(この場合は花風社の悪評判ね)を広めるとかなんとか言ってました。
うちをつぶす計画だったみたいね。
ついったーのそういう機能を活用して悪評判をばらまくと堂々と宣言していました。黒いね。

ベムも同様。
ぐぐると自分のブログが上にくるとか喜んでいた。黒いね。

名大吉川徹は私に
「ウェブ上で影響力のある論客」である「そらパパ」との和解を勧めてきたりした。そのほうが版元として有利じゃないかと思ったみたい。アホ。

三人揃って誤った社会的認知と肥大した自己を持ってたんでしょうね。

たとえば私は最近吉川の実名をここでさらしているけど
それによって吉川の社会的な立場をつぶすつもりはありませんよ。
「名大 吉川徹」の検索でここにたどりつく人も多いけどね、昨今。

ていうかつぶせるわけがないと思っている。
吉川がちゃんと仕事をしているのなら、私の敵であることは一生変わりないけれど
このブログで私が悪口を書いていることが、検索でこのブログが引っかかることが
吉川の立場をつぶすことはない。

藤居もベムも吉川も世間知らずだから知らなかったこと。
それは
「評判では人はつぶせない」っていうことです。

私は知っている。
山岸に攻撃されてきた十年間、本はずっと売れ続けた。

誰かが誰かの悪口を言う。
それは「存在を知らせる」きっかけを作るかもしれない。
でも本を読んで、それを子どもの療育に役立てようとするくらいの読書力のある人は
自分の目で確かめてみるものです。

「そんな会社の本なら読まない」という選択をする人だってもちろんいるでしょう。
でもそういう人は追わなくていい。
追わなくていいんです。なぜなら
去るものを追わなければ、来るべき人が来るものだから。

万人受けを狙ったらつぶれる。
それが私がこれまでの職業生活で得てきた教訓です。
とくに小さな版元が生き残る道、それは万人受けを決して狙わないことです。

弱小版元、と悪口のつもりで言う人がいる。
別に悪口だと思っていません。
本当のことだから。
むしろ私の誇りだから。
弱小にもかかわらず、大きな資本が入っていないにもかかわらず
出版不況の中、やってこられた自分を私は誇りに思っています。

私が藤居たちとやりあっていたとき
「評判が大事では? やりあうのはよくないのでは?」と忠告してくれる人たちがいました。

そのうちの何人かは
「ワープア」とか名乗っていました。
本当かどうか知りません。でも「お金をじゅうぶん稼げていない」という自己意識を持っているらしい。

あああ、評判が仕事の状況を左右する、なんて思っていると
そのためにいいがかりをつけてきた連中と和解しよう、なんて他人に忠告しちゃうほど世間知らずでしかも弱腰だと
そして言うべきことも控えるような仕事の仕方をしていると
仕事で成果を上げるのは無理かもね、と思いました。

大大大博士祭りがあったり
神田橋先生が私を嫌っているという噂を立てられたりしたとき
「先生が私を嫌っていることになっているようですよ~」とご報告した私に
先生が私に教えてくださった世の中の仕組みはこれ。

「世の中には敵と味方が同じ数だけいるものです」

あ、そういえばそうだ、と思いました。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ敵が多い私には
たしかに味方も多いです。

こういう小さいビジネスの場合、誰かの仕事をつぶすのは、悪い評判じゃないんです。
悪口では仕事はつぶれない。

変人枠で生きていったほうが有利な人たちが
なぜかそのことを知らずに、「悪い評判を立てられないこと」にきゅうきゅうとし
あるいは悪い評判で嫌いな誰かをつぶせるとカンチガイし
付和雷同しているのが不思議です。

私は夫に言いました。
「発達障害の子を持つ親御さんたちは、私の発言や行動に目くじら立てるより、私のような変わり者でも大して困らず世の中渡っていけることに希望を見出せばいいのにね」
「そのとおりだね」と言われました。

悪評判で仕事はなくなりません、
じゃあ何が仕事をつぶすか?

答え。
社会的な意義がなくなれば、その仕事は終わる。

ある仕事に社会的意義がなくなっても
別のテーマに出会った会社や人は別のテーマに出会い、形を変えて生き残っていくみたいです。
でもそれは、探して得られるものではない。
今与えられた場所で自分のやるべきことをとことんやった会社や人に見えてくる世界なのですね。
だから
評判を気にしすぎて発言や「やるべきことの追求」を控えることは、むしろマイナスに作用する。

私は二十年以上の職業生活を経て、つぶれた会社、消えていった人もたくさん見て
そういう世の中の仕組みを学んできたから
評判で人をつぶせると信じていたベムや藤居や吉川が子どもっぽく見えて仕方なかったですね。
社会の仕組みを知らないようにしか見えませんでした。

昨日瀧澤さんにした話。

「活かそう! を作るのは相当エネルギーが必要だったので、神田橋先生の本を出したあとのように、今は引退したい気分です。私はいつでも発達障害の世界から引退する用意があるし、会社は借金もほとんどないし、いざとなっても生活にはあんまり困らないと思います。こういう状況で、発達障害の世界と今のところかかわりがあるというのも何かの縁でしょう。私はいわば『いつ去ってもいい人』なので、発達障害の世界に縁がある間は、多少嫌われても言うべきことを言おうと思います。私の言うことが受け入れられないのなら、それが皆さんの自由な選択の結果でしょう。そうしたらこの世界を去ります」

「そうね」と言われました。

これが私のスタンスです。

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追伸

昨日は日馬富士が優勝を決めたので二回更新してありますよ↓。
夜にはシャンパンを開けました。
日馬関や稀勢関の勝利を祝って。でも実は、誰よりも若の里関の男前ぶりに乾杯!

お相撲なんかを見ていて思うのですが
本当に「他人にどうこうなってほしい」って思うのは空しいですね。
好きなタイプのお相撲さんを応援するのはいい楽しみですが、
勝敗や出世にはあきらかに「流れ」があります。
「流れ」を一人の人間が変えられるというのは傲慢だしね。
そして「流れ」が逆に向いているときは、来るべき日に備える勉強の期間なわけだし。

応援の場合でも逆のベクトル(他人の不幸を願う)の場合でも、使うエネルギーは同じ。
自分がどれだけ「この会社・人物・考え方は許せん」と思っても
その会社・人物・考え方を必要としている人が自分以外に一定数いる限り、「いなくなってくれ」という望みはかなわない。

応援、非応援、どっちも同様にエネルギーを使います。
藤居、ベム、吉川及びそれに類する人々は、他人の不幸を願う分のエネルギーを、自分のかかわる人たちの幸福を願うほうに使ったほうがいいでしょうね。

その点やつらの励んでいる「偽科学批判」という娯楽は、あんまりエネルギーの使い方としてベクトルがよくないだろうな~なんて思います。
しかも呼びかけられるほうは「なんでよそんちのことに口出すんだろ?」なんて不思議に思っているし。

本人たちはこんな風にとらえているようだけど

いやはやたいした思い上がりです。
こうやって「あなたの療育は間違っている」とか言われたら、不快に思う人がいても別に不思議じゃないと思いますね。
こいつらは自分たちの「偽科学批判」が浸透しないのは皆さんに理解力がないせいだと思っているみたいですね。
これもまたカンチガイ。イタタ。

さて千秋楽。
今日も楽しみます!