治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

十万円もするのに

2018-03-31 09:03:29 | 日記



今度の本は、十万円もするのにダジャレが一個入っています。
仕方ないのです。
画伯と栗本さん、おっさんが二人入ってるからおやじギャグの一つや二つ、我慢しなければいけないでしょう。

今度の本は十万円もするのにあとがきがついていません。
いや、あとがきは書いたんです。
でもこれ到底、活字にしてはいけないと思いました。
だからウェブ公開することにしました。近日公開しますのでお楽しみに。
活字にできないけど、ウェブ公開はするということは
十万円払わない人でもあとがきだけは読めます。

お楽しみに!
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「藤家寛子の闘病記」はルサンチマン系か?

2018-03-29 09:32:05 | 日記
昨日のブログは我ながらわかりづらいこと言っているなあと思いながら書きました。繰り返しますが、版元として、本を作って買ってもらって読み方に文句つけるなんていうのはやってはいけないことなんですけどね。でもとにかく「当事者本」と呼ばれる分野に私はもやもやを感じているんですね。

え? もともと当事者の声を伝えてきた版元でしょ? と思われるかもしれない。それはその通りなんですね。そして今ももっと当事者の本を出してと言われることも多いです。実はほかならぬ神田橋先生にすら言われている。でもめったに出さなくなってしまった。なんでかっていうとこのもやもやのせいなんです。

なんかね~当事者本出したときの支援者の「萌え」が超絶気持ち悪いんですよね。それとルサンチマン系の当事者の嫉妬も気持ち悪い。でも嫉妬の方がまだわかってもらいやすい気持ち悪さだと思います。昨日愛甲さんと話したら、愛甲さん二つとも買ってくださったということで、どっちを先に読みました、ときいたらやっぱり「闘病記」で、「わ、やっぱり支援者は闘病記から読むんだ気持ち悪~」と愛甲さんにさえ一瞬思ってしまうほど支援者の「萌え」が気持ち悪いんです。たぶん愛甲さんは萌えたんじゃなくたんに時間軸に沿って読んだんだと思うんですけど、瞬間的に「闘病記から読む支援者きもい」と思ってしまうほどにはどうも私は当事者本をありがたがる支援者が気持ち悪い。買ってもらっておいて言いたい放題ですが、当事者の内面を理解しようとする支援者ってほんと、ある種独特の気持ち悪さがあります。

わかりづらいこの気持ち、実はわかってくれるのが南雲明彦さんだったりして。そういう意味で私にとって南雲さんは貴重な仲間なんですよね。

つまり私にとって「支援者」と「当事者」の関係性がとても気持ち悪いんでしょうね。だってね、一般社会にそういう関係性めったにありませんよ。一般社会はもっと対等です。上司と部下だって役割と権限が違うけど組織運営の中では対等だし、売る側と買う側だって商取引なんだから基本等価交換です。南雲さんだって対価発生して講演業をやっているので良くも悪くもフィードバックは受けるしそれが仕事というものです。ところが支援者と当事者はそうじゃないの。片方が一方的に理解し、片方はただ助けられるのを待っている。それが気持ち悪いの。そのさなかにいるとその気持ち悪さがわかんないんですよたぶん。だから当事者にパン買いに行かせて踏み倒したりできるんですよ。医師の学会と東田さんの騒動を覚えていますか? 気持ち悪いでしょ。

誰かが誰かのことを一方的に理解て助けよう、なんていう関係性は気持ち悪いですよ。
皆さんは気持ち悪くないんですか?
そっちの方が不思議です。

あとプロ当事者育成はしたくないっていうのもありますね。プロ当事者、治らないもん。治るが勝ち! の私としては、プロ当事者にはなってもらいたくないです。

あ、神田橋先生にすら当事者本出せと言われているのか、ならばチャンス! とか言って持ち込まないでくださいね。私はたとえ神田橋先生に言われてもなお当事者本はめったに出さないと決めているんだから。いや、神田橋先生がそうおっしゃるからには私の中に当事者本を出すのに向いている何かがあるのかもしれませんけど、私に向いている当事者本は現在のギョーカイではめったにないというのが実感。ルサンチマン系かプロ当事者系しかない。それか、マルチっぽいマーケティング色濃い系統か。それは私には無理。っていうか持ち込む前によくご自分の伝えたいことと花風社の気風が合ってるかどうか検討してからもってきてくださいね。よく「なんでこの企画うちに?」と思う人に「花風社のどの本を読んで花風社に持ってこようと思ったのですか?」とかきくと「読んでません」とか言われるんですけど、まあそれ自体無礼で社会性ないですけど読んでなかったからもってこられたのだろうなあと思うことも多いです。今の花風社本真剣に読んでたら当事者本を持ってくる気にはならないと思います。

それと

花風社には非ルサンチマン三原則というのがあります。
ルサンチマン系の本は、当事者本であれ保護者本であれ

1 読まない
2 出さない
3 持ち込ませない

という三原則を貫いています。

そして今回「闘病記」を出したわけですが、「なぜ藤家寛子さんが今治ったという言葉を使っているか」「まだ治っていないと突っ込んでくる人も多いがそれでもなぜこの言葉が出てくるのか」が最後に明快に書いてあるのがいいですね。読後感がいいのはだからですね。

でもこの本にはつらかった時代のこともたくさん書き綴ってあります。じゃあルサンチマン系なのでしょうか?

っていうと、私にはそうは思えないですね。
たしかに周囲の無理解に傷ついたことは書いてある。でもその周囲って

・いじめっ子
・バカ教師

その他でどこからどう見ても非難に値する人たちであり、きっとリアルタイムで目撃していても「こいつら鬼畜過ぎる!」って思っただろうから。それに引き換え世のルサンチマン系の当事者が持ってくる本は

・仕事ができないので叱責した上司
・家事ができないので怒った家族

とかについてくどくどくどくど文句を書いてあって「そんなの給料もらってるのに仕事できなかったり主婦なのに家事できなかったら文句の一つも出てくるだろうよ」と思ってしまうようなうらみつらみだったりする。私はむしろ、仕事ができない人をもてあまし叱責してもどうにもならなかった上司の人に同情してしまったりします。

要するにその人が周囲のせいでつらい思いをしたと訴えているとき、その周囲が鬼畜(だと思えるかどうか)がルサンチマン系かどうかを(少なくとも私の中で)分けるのだろうなと思いました。

だからやっぱり「藤家寛子の闘病記」はルサンチマン系とはほど遠い本ですね。
闘病記だけど非ルサンチマン系。
じゃないと出さない。
ルサンチマン系の当事者本は出さない。
もしかしたらその最大の理由は、健康に悪いからかもしれない。とくに私の。


藤家寛子の闘病記



絶賛発売中です。よろしくお願いいたします!


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本を売っておきながら生意気なんだけど越権行為をしてみます

2018-03-28 10:32:55 | 日記
さて、藤家さん二部作が無事出たので、昨日はまた十万円の本の作業に戻りました。
本を作る作業ってね、やろうと思えば永遠にできるんですよ。でもどこかで見切り発車しないといけないのね。東大教授で翻訳家の柴田正幸氏はこれを「愛の見切り発車」と呼んでいらっしゃいましたけど、実感がこもっているなあ。なんというか、「ここまで育てたから、あとは世の中にもまれてくれ」みたいな感じで愛を込めて見切り発車させるための背中を押す、みたいな感じ。

だから本来版元が「読み方」を指南するのは越権なんですよ。でも藤家さんの二部作に関して、それがどうしてもやりたくなってしまったので越権とは知りつつ自分の考えを述べます。昨日いただいた二つのコメント。

まずは「就活記」から読んでくださったというふなさんのコメントから。

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就活記を読みました (ふな)
2018-03-27 18:32:16
闘病記も就活記も買いましたが、やっぱり就活記を先に読みました。
いろいろ体験してみることって、障害の有無に関わらず必要だよな〰️と思います。失敗して挫折して、でも次のチャレンジを諦めない。大切なことですね。「しつけ」のことも含め、うちの凹凸っ子にいろいろ体験のチャンスを持たせたいなと思いました。
よいご本をありがとうございました!

=====

これは、エピソードから見事に再現性を引き出していることが現れたコメントですよね。本当に今回思ったのは、私もリアルタイムで見ながらがっかりしていた挫折、それすらも藤家さんの資質の表れで、ああいう挫折を肥やしにしたというだけではなく、資質があったから挫折したのだし、また同じ資質が回復をもたらしたということです。たとえば転居失敗。あれは行動力があったから起きたこと。でも行動力があったからここまできた。そう考えると失敗をおおらかに受け止める心の習慣ができる。それがこの本の魅力じゃないかなと思います。そして瀧澤久美子さんの指摘。あれはユニバーサル。誰にでも可能な「再現性」ですよね。大きな大きな芋づるの端っこです。

そして「闘病記」からお読みになったしのぴさん。

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「挫折が愛おしい」なんて、なかなか言えない (しのぴ)
2018-03-27 10:08:53
今、「闘病記」を読了。
私は仕事で、障害のある子どもたちの心身のリラックスを支援することがよくあります。当事者の感じ方を知ることができ、より細やかな支援に生かすことができそうです。
「就活記」はこれから読みます。楽しみ。
まわりにもおススメします!

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ありがとうございます! どんどんオススメください。そして買っていただいて読んでいただいて生意気なんですけど、「ああ支援者の人はやはり闘病記から読むのだな」というのが版元としての私の冷静な観察だったりします。そして私、実はいつの頃からか、当事者の記録を読んで「感じ方を知ることができ、支援に活かせる」という支援者の人たちと感覚がずれてきたような感じがしているんです。それは神田橋先生や愛甲さんとすらずれてきているかもしれない。なんというか、当事者の命の記録を「支援に活かせる」ってなんか書いた人に対して無礼な感じがするんです。これ、誰かわかってくれる人いますかね? 書いた人ですら私と感覚は共有できないかもしれませんね。彼ら彼女らは「活かしてもらいたい」って思って書いているのかもしれませんから。
昔は私も「当事者の言葉を支援に活かしてもらいたい」とか思っていたと思うんですよ。でもそれが彼ら彼女らの記録を正しく消費していることなのかどうか、わからなくなってきたんです。なぜなら彼ら彼女らは「他人の教材になりたい」と生きているわけではなく、日々生きて仕事をして稼いだお金で遊んで・・・という中で人間として成長していっているだけ、つまり私たちと同じように生活しているだけだからです。自分が誰かの教材になっていると朗々と告げられたら皆さんどういう気持ちがします?
そして「当事者の感じ方を知ることができ、助かる」って本気で思っている人どれくらいいるんだろう? と疑問もわくんです。当事者ったって様々だし。私は自閉の人たちがある一定の文化を持っているのは感じます。藤家さんとニキさんと三人で話していると明らかにこっちが蚊帳の外、っていうことも多く(そのいい例は『自閉っ子におけるモンダイな想像力』の冒頭漫画です。お手元にある人は読んでみてください。笑えます)、自閉の人と非自閉の人が共有していない文化は確実にあり、それはただの異文化であるのだから排除の対象ではない、とは強く思っていて「異文化だよ」と伝えてきた人間なのですが、じゃあ自閉っ子の感じ方を知ることができた、と安易に言う気にはなれないわけです。いやもちろん、「闘病記」を読むと「自閉だなあ」とつくづく思ってしまう箇所はあるわけですが。
それより版元として越権になるのは覚悟で、「闘病記」から何を学んでほしいかというと「実はあそこまでひどかった」ということです。あそこまでひどかったのです。そしてもっとひどい話を読みたい人はぜひ『他の誰かになりたかった』に進んでください。まだ混乱の中で書いています。「闘病記」は混乱が静まってから書いています。そして、あそこまでひどかったのです。繰り返し書きます。あそこまでひどかったのです。
そして私が皆さんに引っ張り出していただきたい再現性は「あそこまでひどかった人が立ち直る」ことなのです。今支援者として、あそこまでひどくない人をみている人、たくさんいると思います。そしてその精神症状や虚弱体質や機能不全家庭はどうにもならない、と思い、この人は将来施設に入るしかない、と思っている思われている人たちがいるはずなのです。でもあそこまでひどかった人が立ち直る。どうやって立ち直ったか。それを二冊にまとめたのです。

今日は版元として越権行為をたくさんしました。ついでに「すごろく」を作らせてください。「藤家さんすごろく」です。


「闘病記」を読んで「当事者の感じ方が知りたい」と思った方
→『他の誰かになりたかった』に進んでください。

「就活記」を読んで「働ける大人になるプロセスをもっと知りたい」と思った方
→『30歳からの社会人デビュー』に進んでください。

そしてそして

藤家寛子の闘病記




藤家寛子の就活記



引き続き、よろしくお願いいたします!



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ギョーカイは治っている人をなぜ無視するのか?

2018-03-27 06:16:40 | 日記
この問題、考え続けていますが
「治ると儲からなくなるから」以外にも、栗本さんが言った「治った人を見たときに、事実をそのまま受け取らず根拠を求めすぎる」というのが当たっているなあと思います。治った人はいるんです。でも、「治った」という現実と「一生治らない」とすり込まれていた脳内理論が合わない。だから、目を背けてしまう。あるいは偽者扱いして自分の中で整合性を取ろうとする。要するに、現実より理論優先なんですねギョーカイ人。どう考えたって先に「現実」があるはずなのに。「生得的で一生治らない」と習ったのに、治ってしまう人がいる。その事実の方に理論を合わせるのではなく、自分が習った理論に合わない現実を見てパニック起こしている感じ。

そして373さんがそのあたりをわかりやすく説明してくださっているなあと思います。
コメント貼らせていただきますね。

=====

恐怖麻痺反射 (373)
2018-03-22 08:40:59
人はそれまでの経験に基づく「思い込み」によって様々な場面に対応しています。目的は、1)未来を過去に照らし合わせて見通しを立て恐怖を減らすこと。2)脳のエネルギー負担を減らすこと、などです。

学校のお勉強が出来ていた人は以下のような「思い込み」に気づかないうちに支配されていることが少なくありません。
1)問題には正解が必ずあり、それも1つだけ。
2)正解を誰よりも早く見出した人が優秀。
3)正解は誰がいつ解いても変わらない。
4)先生は正解を与えてくれる偉い人。

治った人を無視するのは、治ることは正解が変わってしまうことになるので、あれこれもっともらしい理由をつけて排除しようとする恐怖麻痺反射の1つと考えられます。理由として語られる言葉自体にはそれほど意味はありません。

同じメカニズムで突拍子もない理由をつけ異常視されるのが「妄想」とされる反射です。もっともらしいかどうかの違いです。

ちなみに、正解は1つですから、先に権威となった人が知らない人に正解を教える先生となります。先生になりたい人は新たな問題を作り出し「これが正解」と示そうと躍起になります。治るためには役に立たない分類名や解釈が次から次へ出てくるのはこうした背景があると考えられます。

ところが、社会や会社でぶつかる問題にはそもそも正解はありません。同じような問題でも時々で対応が変える必要があります。その状況での最適解を見出し試行錯誤し続けられるかが社会人としての姿となります。

何故無視するのか?恐怖麻痺でフリーズしていると考えてみてはいかがでしょう。


=====

この説明で「ギョーカイがなぜ役立たずなのか」が相当説明できます。「エビデンスガー」は「正解一つ」であり、それで治せないものは治せない。そしてABAでは一次障害は絶対に治らず、場面限定の(水族館のイルカショーとか)での芸しか覚えられないから社会実装できる社会性は養えない。だから「発達障害は治らない」ことになる。そして「治らない」とえらい人に教えられた人が治っていく人を見ると(いっぱいいます)「偽者だ」と考えてつじつまを合わせようとする。

そしてなるほどなあと思うのは373さんの指摘した

=====

ちなみに、正解は1つですから、先に権威となった人が知らない人に正解を教える先生となります。先生になりたい人は新たな問題を作り出し「これが正解」と示そうと躍起になります。治るためには役に立たない分類名や解釈が次から次へ出てくるのはこうした背景があると考えられます。

=====

ここだな。

ある読者の方がおっしゃってました。その方ご自身持病があり、新薬の開発に助けられた。そしてお子さんの発達障害は「治った」と言えるまでよくなった。神田橋先生と栗本さんのおかげ。ところが、ギョーカイだけなんで十数年まったく進歩をみせていないのか。

それは先生たちの大半が「治したい」というより「権威になりたい」だったからかもしれませんね。
支援者の中の愛着障害がやっかいなのはここです。

その点栗本さんは(以下略

そして今、私は電子化に向けて「自閉っ子と未来への希望」を読み直していて

私が真逆だったことに気づくのです。
あの本は私の黒歴史なんですよ。
どう黒歴史かというと「ギョーカイのいうことを信じていたら失敗した」という話の連続。
今読むとそうなんです。

でも私は、ギョーカイがどう言おうと「治っていく人がいる」と発見すると理論より現実を信じたし(だって目の前に治っていく人がいるわけだし)
ギョーカイが天使説を振りまこうと「つきあいづらい人がいる」と現実を見つめたわけです。そして裁判も起こした。

そしてだんだん「ギョーカイ嘘ばっかじゃん」と気づいていった歴史。
今読むとそうなのですね。

私はギョーカイに「権威」を最初から感じていなかったんでしょう。
だからいくらえらい人が治らないと言おうと治ってしまう人がいる以上そっちを信じた。
ギョーカイには私たちには見えないヒエラルキーがあって、それを信じてしまっている人は、えらい人が治らないと言った以上それを受け売りすることしかできないのだと思います。


そんなムラの掟に皆さんが巻き込まれる必要はありませんよ。
治りたい人は治りましょう。
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桜島で桜を見る

2018-03-24 10:44:27 | 日記



いつの間にか温泉大好きになって、月に一~二回は箱根に行っている私たち。
たまには遠くの温泉に入りたいな、と思い、マイレージがたまったので桜島の温泉に行くことにしました。

最初に二人で鹿児島に行ったのは、プレ神田橋先生時代です。そのときもマイレージがたまったので行ったことのない旅行先として鹿児島を選んだのでした。そのときのパッケージには観光タクシーが着いていて、一通り観光をしました。初めて見た桜島が大きいのでびっくりしました。なんとなく関東の人間として、江ノ島をもとに大きさを推測しているのですよね。でも火を噴いているのだから大きいに決まっています。

あれから神田橋先生ともご縁を得、また鹿児島で講演をさせていただく機会も得て、何度も訪れる場所になるとは不思議なものです。

というわけですっかり慣れた鹿児島ですが

一泊目は軽く「せごどんツアー」をして、鹿児島中央駅そばに泊まり、温泉に入りまくり。
次の日桜島に渡りました。そしてまた温泉に入りまくり。

ところで全く期待していなかったのですが、桜が結構咲いていました。ということで、桜と桜島を同時に見られるということになりました。

予想外にお天気にも恵まれ、また晴れ女ぶりを発揮しました。実は六月の梅雨の時期に親孝行の旅に出るのですが、そのときもこの運が続けばよいなあ、と思っています。

桜島のお湯はなかなか強烈ですねという印象でした。
そして翌朝はなめらかに感じたのは、身体が変わったのかもしれません。

三日目は桜島観光しました。

もくもくと煙を上げる山を見て夫が「愛甲さんにはこう見えたんだねえ」と言いました。



そう、2009年の夏、ギョーカイ大嫌い、もう発達障害やめる、の時期に「神田橋先生の本を出しませんか」とやってきた愛甲さんは私が「桜島みたいに噴火している」ように見えたそうです。

法的被害にあい、強い、強い怒りを感じていた時期です。
のちに被告人となった人物に対してだけではありません。
「支援者を名乗りながら無力で無能で無気力」なギョーカイにたいしてです。
自らの無能に悩まず「社会の理解ガー」と言って青いお祭りやっているだけで支援している気になるギョーカイにたいしてです。

そして神田橋先生の企画が決まりながらも「本当に自分は発達障害を続けていくのだろうか」と悩み、お電話した末にきいた言葉が「医者なら治せんといかんわなあ」でした。あの一言で今があるのです。

観光を楽しんで、海沿いを歩いたあと、フェリーで桜島をあとにしたとき
私は8年前の宿題を果たしにきたのだなあと思いました。
あのとき入れなかった温泉に五回も入ったし。

おまけにあの事件の担当刑事さんの本まで出しちゃったしね。



そして8年前桜島に向かうフェリーの中で神田橋先生に言われたことを唐突に思い出しました。

「あなたのそのフラッシュバック、薬も治療もいらないね」

この言葉の効果と言ったら。
そして「あれ」を習いました。

そして、今手がすべってiPhoneが落ちたら錦江湾の環境破壊につながってしまうな、と気をつけながら去りゆく桜島の写真を撮りながら気がついたのです。



薬も治療もいらないのは私だけじゃなかった。

私にとって「障害特性の本丸」である感覚過敏。
それを治すのに薬も治療もいらない。
8年経ってそれがわかった。

だって


感覚過敏が治った人→たくさんいます
感覚過敏が治って残念がっている人→見たことありません
感覚過敏を治す医者→見たことありません


なんだもの。

感覚過敏だけじゃないかも。
発達障害が治るのにも、必要なのは「治す医者」ではなく「治っていくのを手助けする医者」、あるいは「治っていくのを邪魔しない医者」であり、医者がいなくたって治るんですね。

フェリーの上で突然それを思い出しました。
必要な記憶が必要なときに出てくる脳みそが健康だとすれば、私の脳みそは今健康なようです。

帰ってきて今日は朝から藤家さんの書き下ろし二作のテクニカルチェックをしています。

それと

私もまた書き下ろしをやりたくなりました。

タイトルは

社会の理解が広まれば生きやすくなるというエビデンスはありますか?(仮)

にしようかと思っています。
この思いつきが、今回の桜島効果かもしれませんね。

とにかく、

お天気にも恵まれ
おいしいものもたくさんいただき、
身体も動かし
温泉にも入り
お花もきれいで







めったにないくらい楽しい旅でした。
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エピソードから再現性を引っ張り出せない鳥頭はどこから来るか

2018-03-21 09:01:15 | 日記



十万円の本に一区切りつけ(これからまた山がいくつか来るのですが)おととい画伯に素材を渡したし、ということで昨日は朝から電子書籍の仕事をしていました。
もうほぼ出せる状態だとは思うのですが、念のためのテクニカルチェック待ちです。皆さんしばしお待ちくださいませ。

そんな合間に講演の打ち合わせ。
と「就活記」の内容がリンクします。
そしてツイッターやFBでもほぼ同じ内容のおしゃべり。
私から皆さんに問いかけました。
「専門家はなぜよくなった当事者から目を背けるのか」。

色々ご意見があると思うのですが、よかったら皆さんもこのコメント欄に「なぜだと思うか」書き込んでくださいませ。ツイッターやFBでもかまいません。

最近複数の人から似たような声を聞きます。
「うちの地元が危うい」と。
「このままでは地元の子どもたちがかわいそう」と。
支援がない地域ではないんです。むしろ、変な支援が行き渡っている地域。青いお祭りに熱心に取り組み、生涯にわたる支援()がどっしりと構えているような地域です。そこで一部の地元の子ども思いの人たちが「このままではうちの地元の子どもたちはかわいそう」という危機感を持っている。

そういう先進地域()の支援者に限って、「治っていく人もいる」という事実から目を背けます。
エピソードには再現性がない、という一見難解な言葉が猿烏賊語で語られた場合は「うちの子には無理っ」なのですが、支援者や研究者がこれを語った場合にはどう翻訳できるでしょう。
このパターンがありますね。

パターン1

=====
ギョーカイ人語

エピソードには再現性がない→きっと偽者だったんだ。

=====

パターン2

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ギョーカイ人語

エピソードには再現性がない→自分にはあれだけ治す腕がない。やばい。無視。

=====

パターン3

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エピソードには再現性がない→治られると儲からなくなる。やばい。無視。

=====

パターン4

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エピソードには再現性がない→治った人の存在を知らせると治らない卑屈クラスが騒いでめんどくさい。やばい。無視。

=====

まあ私的には、変態ではなく健康なもの、強いものが好きなのでなぜよくなっていく人を遠ざけるのかさっぱりわからなくて、ツイッターでもFBでもアンケートを採っているのですが、案外栗本説が正しい気がします。
そしてその栗本説に沿って私が自閉っ子観を塗り替えていった記録が『自閉っ子と未来への希望』ですね。

ともかく『藤家寛子の就活記』からも再現性はばっちり引き出せます。
みんな藤家さんは優秀だから、と思うかもしれない。たしかにそうだけど、当時の藤家さんよりずっと有利な場所から出発している人もたくさんたくさんいるはず。ていうか、ぴったり同じ条件の人なんて一人もいないよね。

キャッチコピーは決まりました。

=====

藤家寛子の就活記

アスペルガー。
超のつく虚弱体質。
雨が痛いほどの感覚過敏。
やる気のない支援者と
雇用の少ないど田舎暮らしという大きな壁。
それでも就職して7年目。
ベテラン店員になり、資格も取りました。
奇跡じゃないですよ。
誰もができることを、地道にやっただけ。

『自閉っ子、こういう風にできてます!』出版から14年。
地道に足を着けて生きる著者がアラフォーの実感を語る。

=====

「うちは田舎だから雇用が少ない」と言っている皆さん。
藤家さんの地元も相当な田舎ですよ。佐賀だって田舎でしょ。でも佐賀市内ですらないんですからね。
それでも「田舎で何ができるか」再現性が引っ張り出せるんです、藤家さんのエピソードからは。
他人の成功話から再現性を得られる人は人生トクしますよ。
そのためには卑屈心を一切捨てること。

だから私は


パターン4

=====

エピソードには再現性がない→治った人の存在を知らせると治らない卑屈クラスが騒いでめんどくさい。やばい。無視。

=====

という省エネから治っていった人のことを語らない支援者は基本的に、保身ばかりで仕事をしていない卑怯者だと思っています。
卑屈に迎合してはいけない。

それでは私、西の方に行ってきますが
よろしければコメント書き込んでください。
そこからまた展開していってもいいですしね。




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いまだに「雨が痛い」とか言っている専門家がいたら笑い飛ばしてやりましょう

2018-03-20 10:53:53 | 日記
関東は雨ですよ。
私は明日、関東を抜けて某所に行くのですが、そっちはどうだろうね。
まあ今週は日本全国すっきりしない感じですね。

さて、昨日十万円の本が一段落して(といってもまた山が来るんだけど)
「闘病記」「就活記」の仕事を朝からしています。
とにかく赤本に書いてあった「雨が痛い」とかいう状況が未だに続いていると思っているイタい支援者が日本中たくさんいるみたいなのね。
皆さんのお近くにも、「未だにトイレが和式の公民館」みたいな無料セミナー(だいたい知識が古かったりする)で、肩書きだけリッパな専門家が来て「藤家寛子さんという人は、雨が痛い」とかしたり顔で講演するかもしれませんが、そういう人は「いつの話よ」と笑い飛ばしてあげましょう。

感覚過敏は治るんだからね。
そして感覚過敏って、明らかに一次障害でしょ。世間が理解しないからなったもんじゃなく、もともと感覚が他人より過敏なのよね。
っていうことは一次障害は治るのよ。

まあこの前ねこ母さんが目撃したように、どっかの見ず知らずのおっさんが「雨が痛い」というのならまだ不勉強の範囲内。だけど岩永先生みたいに、感覚過敏があれほどひどかったことも、その後どういう手立てを取ったかも(っていうか岩永先生のアドバイスだってちゅん平さんは取り入れたんだしね)、そしてその後こんなに元気になったことも重々知りつついまだに「藤家さんは雨が痛いんです」って言いふらして「でも治ったんですけどね」の部分を言わないのってどうなのよ。明らかに悪意があるとしか思えないんですけど皆さんどう思いますか?

悪意以外に理由があるのかな?

あるとしたら、専門家たちの変態体質かな。

専門家たち、変態だと思うの。
たとえば小児性愛みたいな。

健康な男性なら生殖可能年齢な女性に欲望を持つのが生物としての正常反応だとすると、小児性愛の人とかはどっか不健康。それと同じように、専門家ってなんか苦しがっている当事者ばかり好きで、治っていく当事者見ると思考停止になってしまって、そこから再現性を引っ張り出すのがお仕事なのに、それをしない。頭が真っ白になってしまうみたいなのね。

よく猿烏賊山が「エピソードには再現性がない」とか無駄に難解な言葉使うけど、翻訳するとそれは「きっとうちの子は無理」という卑屈心であって、卑屈な心がなければエピソードから再現性なんていっくらでもひっぱり出せるのよ。

=====
猿烏賊語辞書

「エピソードには再現性がない」→「きっとうちの子には無理っ」

=====

藤家さんの記録なんて再現性の嵐よ。だってどうして一次障害に困らなくなっていき、なぜ就職できて、おまけになぜそれが続いているかなんて、本当に普通の常識を働かせた結果であって

片親家庭でも貧困家庭でもまねできることばかりだから。
ただ卑屈家庭ではできないと思うけど。

というわけで、「もう雨は痛くない」から今日もし佐賀も雨だとしても藤家さんは雨は痛くないわけですが

腰が痛いみたい。

アラフォーだし。
力仕事もあるからね。

だから皆さん、赤本読んだだけ(まあ、読んだかどうかも怪しいけど。専門家たちは受け売りで仕事回しているからね)の肩書きリッパな人たちが「雨が~」と言ったら「今藤家さんが痛いのは腰ですよ。働くアラフォーだから」と教えてあげてください。

「闘病記」のキャッチコピーできました。

=====
「雨が痛いのは過去のこと。
今痛いのは腰なんです。
働き始めて7年目。
力仕事も多いので」

ベストセラー『自閉っ子、こういう風にできてます!』のその後を知りたい方へ!

感覚過敏、虚弱な身体、混乱した世界観。
それはすべて過去になりました。
でも人生最初の30年間の記録を読めば
本物の自閉っ子だということは丸わかりです。
自閉症に生まれたのはたしか。
そして支援者・研究者たちにどれだけ疑われようと
こんなに一次障害に困らされなくなっただけ。
読めばわかります。そこにはなんにも奇跡はありません。

=====

「赤本のその後」を知りたくない人も多いのよ。とくに支援者・研究者。
支援者は悪意か変態体質のどちらかのせいで、ずっと自閉っ子には雨を痛がっていてほしいみたいなの。
でもそれは、保護者の皆さん、当事者の皆さんと著しくニーズが違うでしょ。

花風社は十万円の本を出して、感覚過敏が治る人を増やす。
一方でギョーカイは感覚というもっとも主観的なものを客体化し、虫取り少年ごっこをし、そこで研究者の市場を広げようとする。治す気ゼロ。

どっちを信じるのも自由ですよ。
日本は自由な国ですから。

2018年は、無能で変態体質の発達障害支援者・研究者たちを見限る年にしたいものです。



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十万円の本、目次発表です!

2018-03-19 07:45:37 | 日記
お待たせいたしました。
「感覚過敏は治りますか?」目次発表です。
今後マイナーチェンジはあるかもしれませんが、ほぼこれで決定です。
現物は桐箱に入っていて立ち読みできないかもしれないので
皆さんご参考になさってくださいね。

=====

感覚過敏は治りますか?

第一部 理論編

第一章 感覚過敏とは何か?

感覚過敏が治ることの大切さ
感覚過敏について新しくわかったたくさんのこと
感覚過敏を治すのは誰か?
感覚は慣れるものではなく、育てるもの
感覚が育つとはどういうことか?
合理的配慮と発達を保障する
感覚過敏の実態を把握しておく
ならば、感覚過敏とはいったい何なのか? 基礎からとらえる

第二章 感覚過敏を治すための五つの切り口

感覚過敏を治す五つの芋づるの端っこ

感覚過敏を治す芋づるの端っこ その1
感覚器官の発達援助
 姿勢が維持できないのも感覚器の未発達で説明がつく
 胎児のまま生まれてきてしまった?
 子どもが自分で治しているのを邪魔しない
 過敏の背後に鈍さがある

感覚過敏を治す芋づるの端っこ その2
エネルギー配分への目配り
 低緊張の人の身体はどうなっているか?
 疲れが偏っていて体力が余っていると余計過敏になる
 楽しい活動を増やす

感覚過敏を治す芋づるの端っこ その3
皮膚・泌尿器の状態への目配り→水収支を合わせる
 感覚過敏がある人の肌の様子をみてみよう
 「汗がかけない」ことと過敏性のつながり


感覚過敏を治す芋づるの端っこ その4
胸の状態への目配り
 運動しなくても呼吸器が育つ方法
 仕事と休息の繰り返しが呼吸器を育てる

感覚過敏を治す芋づるの端っこ その5 
思い込みの克服
 思い込みの克服 子どもの場合
 思い込みの克服 大人の場合

なぜ治る人と治らない人がいたか

第二部 実践編

第一章 感覚を育てるときに気をつけることは四つある

感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その1
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その2
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その3
感覚過敏を治すときに気をつけなければいけないこと その4

第二章 聴覚過敏は治りますか?
聴覚と平衡感覚
聴覚過敏と首の関係
 首を動かすとは
聴覚過敏と顎関節の関係
聴覚過敏と足裏の関係
 足裏を育てるコンディショニング
聴覚過敏と皮膚の関係
聴覚と股関節の関係
一対一対応ではない
聴覚と内くるぶしの関係
聴覚過敏 まとめ

第三章 視覚過敏は治りますか?
聴覚の未発達が視覚過敏をもたらす
視覚過敏には二種類ある
視覚を育てるには
やりやすいほうからやればいい
肩甲骨と視覚
視覚過敏まとめ

第四章 触覚過敏は治りますか?
触覚の未発達
触覚過敏と緊張
触覚過敏と気配
触覚過敏 まとめ

第五章 味覚過敏は治りますか?
味覚過敏の四つの原因
味覚過敏と舌の関係
味覚過敏と歯や口の問題
味覚過敏と内臓
味覚と嗅覚
味覚過敏 まとめ

第六章 嗅覚過敏は治りますか?
嗅覚はどう特殊な感覚なのか?
鼻を育てるためには
発達段階により適切な運動は変わる

第七章 「環境づくり」の本当の意味
成人になったら手遅れか?
環境は主体的に作るもの
「ワクワクすること」の大事さ
感覚過敏が治った人はたくさんいるけど、治した医者をみたことがない理由がわかった

付録
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ほとばしる市場拡大作戦感&本人無視感

2018-03-18 10:17:15 | 日記
昨日は私事で一日仕事ができませんでした。
でも明るい空のもと、懐かしい人たちと美酒をかわし、楽しい一日でした。
さて今日は十万円の本作りに戻るか、と思ったら興味深い記事が回ってきました。





あら、あちらも感覚過敏おやりになるのね。気が合うこと笑笑。
それにしてもこれ、「あからさまな標本扱い、反吐が出る」とおっしゃった方いますが、それだけじゃない邪気が漂ってる企画だな。

でもその邪気は私くらい「ギョーカイにおける感覚過敏の取り扱いの歴史」を知らないと見えない邪気かもしれませんので一応ご説明しておきますね。

赤本『自閉っ子、こういう風にできてます!』の中でニキさんがこういう場面があります。

=====

身体障害ですよ、自閉は。

=====

私がこれに気づいたのは、私が支援者ではなく、自閉っ子たちと一緒に仕事をする立場だったからです。
そしてそのときに一番困難そうだと思ったのは、社会性より身体脆弱なこと、過敏なことだった。
そしてそれさえどうにかなれば、とその後の路線があるわけですが
そのときにニキさんとはこういう会話を交わしたものなのです。

浅見「なんでこんなに身体障害的な面が多いのにそれに注目されないんだろうね」
ニキ「専門家が一切言及しない。杉山先生とか辻井さんとか、一切言わない」

これが2004年の現実でした。
そして赤本が出て、上記のギョーカイ人も含めお二人の弱点告白に萌えたギョーカイ人が続出し、長崎大学の岩永先生という人から連絡があって、感覚統合というものがあると教えてもらい、ニキさん、藤家さんと岩永先生で本を作り・・・という流れ。そしてだんだん感覚過敏が注目されだし、と思ったら診断基準にものり、と思ったら感覚プロファイルの日本語版が出て、そして監修者はなぜか2004年の時点でニキさんが「まったく身体方面に言及しない」とぼやいていた辻井氏で、同じく大学人で実績がほしいはずの岩永先生はワンノブゼムに過ぎず、大人の事情があるんだな~と思い、そしてその時点で私的には感覚統合ブームは終わっていたので日本語版買う気もなかったんですけどどうやらプロユースらしく・・・高価らしく・・・測定に使うもんでそれでおうちでなんかできて感覚過敏が治るもんではないらしい・・・みたいな流れ。

きっと感覚プロファイル売らなきゃいけないんだろうな。それでこういう特集組んだのか。わかりやすい。プロユースにした以上、プロに興味もってもらわないといけないもんね。

そして今度この特集見たら、私の知らない人もいっぱい書いているし(皆さんは知ってる?)、2004年の時点でニキさんが「一切言及しない」と言っていた杉山先生も書いている。何よりこれ「反吐」を催させるのは、感覚というもっとも主観的な問題を本人の問題ではなく支援者の研究対象にしてはばからないこと。「感覚過敏が研究者としての足場になる」と見るやいなやずかずかやってきて「感覚」を主観と切り離して「本人より研究者が正しい」と言い張るいつものギョーカイのやり方が実に現れた一冊に見えます。

これが2160円かあ。

じゃあうちの本はやっぱり十万円でいいかも。
十万円にするといいのはこいつらが買わないこと。「知っている人だけ知っている治り方」になること。それだけでも「治りたい人だけ買う価格」にしてもいいかもね。

さて、

今日は少しくらい仕事しよう。
明日は画伯にある程度素材を渡す日だし。

赤本はね、エポックメーキングな本だったんだけど、萌えも引き起こしたのね。
そして10年経ってどうなったか、専門家は興味がない。
皆さんは興味があるでしょ?
『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』
ぜひ読んでください。
そして、赤本萌えしている専門家がいたら、『10年目』もあるよ、って冷や水ぶっかけてあげてね。

感覚過敏が治った人→たくさんいます
感覚過敏が治って残念がっている人→見たことありません
感覚過敏を治す医者→見たことありません


この事実の中に、感覚過敏を治すヒントがありますよ。

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なぜ二分冊にしたか

2018-03-16 09:48:57 | 日記








さて、藤家寛子さんのもうすぐ出る電子書籍二部作「闘病記」と「就活記」。
もともと二冊の本として同時発売で展開するつもりで原稿をもらっていました。

でも読んでいるうちに、続き物になっているので
一冊にした方がいいかな、という考えも出てきました。

もともとの長さとしては、闘病記の方がずっと長いです。
当たり前です。闘病は30年やっていましたから。そして就職してからは7年です。

これを通しで一冊で読みたいか、二分冊で読みたいか。
私はネット上のひみつのお部屋でアンケートを採りました。
総価格は変わらないとして、一分冊と二分冊、どっちがいいですか? と。

そのひみつのお部屋は、花風社クラスタのお部屋なので、どっちみち両方読んでくださる方々が多いはず。
一冊で読みたい、というお声の方が多かった気がします。

けれども私は皆さんのお答えを見て
結局二分冊にすることにしました。

「どっちが読みたいですか?」という先日のブログは実は引っかけ問題みたいなもんで
ここで「闘病記」と応えた人はたぶんギョーカイと親和性が比較的高い人だと思います。

闘病記はそれはそれは悲惨です。
皆さんがどれくらい森口奈緒美さんの「変光星」をお読みになっているかわかりませんが
学校時代の苦労なんて、森口さんに遜色はありません。

ただ、ちゅん平さんは「闘病記」の最後の最後に、「自分は治っているんだ」という実感を書いています。
それは、ASDでなくなったということではないし
ちゅん平さんを見て「治っていない」とケチをつける人たちもいるのは知っている。
それでも平気。
でも自分ではなぜ治っていると思うのか、実に具体的に書いてくれています。

ここで終わっているから、読後感は決して暗いものではありません。

そして「就活記」は加筆してもらいました。かなり詳しくなりました。

その上、私があとがきを書きました。

ここで「二分冊にしたのはなぜか」が書いてあります。

どうぞお楽しみに。

って言ったっていつ出るのかって?

十万円の本が一息ついてから、後の作業を始めます。
3月中に出したいな~と思っています。

それと、黄色本の特別限定価格本日までです。


まだの方はお急ぎください!
スマホの中にいつも栗本さん!
ポータブル栗本さんです。

本物の栗本さんは明日、花風社未開の地(ニキさん藤家さん私は誰も行ったことがない)
あまちゃん県の隣のなまはげ県に出張です。
なまはげ県の皆様、先に治ってしまいましょう!




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