さて、大晦日ですが
昨日も早く寝て今日も早く起きて、朝焼けの富士山を見ながら大阪の津田さんにいただいた「鴨南蛮」を作って朝から鴨肉食べて元気です。
そして先日からぽつぽつ読んでいた本を読み終わりました。
大晦日に持ってくるにはヘビーなネタなのですが、来年につながる話だし、今更新しておきます。
この本です。
これは、来年の仕事に大きなヒントを与えてくれる本なので、備忘録的にブログにしておきます。
でもここで書くのは、この本の内容ではありません。
この本を読んで私に浮かんだ着想です。
まずこの本を手に取ったきっかけは(っていうかデジタルでポチったのですが)「なんであんなに威張っていた日本の医療が崩壊とか泣き言言ってるの? またウソついてんの?」ということでした。
そしてどうやらウソではないとわかったのですが、「いや、一回崩壊した方がいいんじゃね?」というのが読み終わった結論です。
もちろん発達においては非医療化を進めている花風社ですが、その他の分野でも一回崩壊した方がいいのでは? と。
まずなんでこれほど威張っていた医療が今崩壊しそうか。
それは医療が7割公金でなり立っているにもかかわらず、経営は民間の割合が高く、それなりに競争原理が働いていて、なるべく病床を埋めるような力学が働いていること。
人口当たり病床数が一番多いのは高知県で、一番少ないのは我が神奈川県だそうです。これは知らなかった。別に利用しなければそんなの気づきませんね。
そして過疎地で病床が多いと、埋まるそうですが、かといって住民が健康なわけでもなければ寿命が長いわけでもない。
病床があるから病人ができあがる。医療が作ってしまう。
今の放課後等デイとかもそうだと思いますが、人数を増やすことは事業所にとってはプラス。でも公金は大きく持ち出されることになります。
そうなると国は防衛的に医療費を下げます。
そうなると医療は薄利多売に走ります。
その結果精神科ほどでないにせよ、各科で「患者の塩漬け」「固定資産化」が常態化します。
花風社的に言うと「めんどり」です。
医療の場合、その上得意が高齢者です。
若者が失業して何人自殺しようと医療は平気。ふらふらの高齢病人が生き残った方が医療は儲かるのです。だから他産業の雇用を潰してまで医療は自分たちだけ生き残ろうとする。彼らが言う「命を守ろう」は健康な命でもなければこれから無限の可能性がある若者の命ではありません。高齢で持病があり公金を自分のところにもたらしてくれるめんどりの命です。医療に舵取りを任せていたら国は滅びます。
誰かをずーっと病気のままにしておいて、それで儲ける仕組み。
これをやって成り立っているものだから、たとえ2パーセント以下の病床でも新型コロナに取られると泣き言と八つ当たりが始まるわけですね。半年あったのに調整努力もせず。
そして余談ですが、手前勝手な主張の多い発達障害啓発は、この医療の流れをくんだものだったのです。
そして花風社クラスタが見てきたとおり、Twitterあたりにくすぶっている底辺医療従事者においては自分たちが7割公金から売り上げているという自覚もないくらい社会知のない医療者が多いために
悪意がなくても現場の医療者はこういうシステムに自ら加担して患者の塩漬け化に走っているかも、ということ。
患者を必死に集め、病気のままにしておく。
私が衝撃を受けたのは、病床が減っても寿命を延ばしている国が多いと言うこと。
医療破綻した夕張で起きたのもそれだった。
そして私が激しくマスクに反発するのは、それが医療による「人の家畜化」だからなのですが、医療は普段から平気で人を家畜化しているということ。
たとえば手間がかからないように経口摂取できる人でも施設に入れるなら胃ろうが条件とか。
今回イタリアで高齢者がたくさん亡くなりましたが、かの国では本人が望めば最後まで経口摂取を許可するそうです。患者に主体性を与えている。それで寿命が短くなろうと、そちらを選ぶ権利があるわけですね。
「服薬していると区分が上がるから事業所にお金がたくさん入る」という福祉の世界ではよく知られたシステムもありますが、この国では、人間弱くなって誰かの世話になると家畜化されるようです。
私が「治ろう」と言い続けてきたのは、治った方が自由に生きられるからなのですが
自由がさほどほしくない人も多い、とわかった年でもありました。
そして家ではぴんぴんしていた人が病院・施設に入ると弱る。廃用症候群が起きる。
逆に退院すると機能がよみがえる。
これは病院が手間のかからないようにしているから。
転倒しないように移動は車椅子とか。
ああこの廃用症候群を全国民に押しつけようとしているのが「ステイホーム」なんだな~と思いました。
私は緊急事態宣言のあと、ジムに行って温泉入って、こんな気持ちいいものを二ヶ月奪った医療には二度と協力するまいと誓いました。緊急事態宣言は健康な人間の健康にはマイナスです。でも医療は、健康な人間などどうでもいいビジネスなのです。
つまり、人々の健康のためにこそ、医療は一回崩壊した方がいいですね。
私が新コロで医療に最初に反発したのは、第一波()のときの神奈川県医師会のオバカメッセージです(その後さすがに取り下げた模様ですが未だにスクショになってコロナ脳の皆様の間を感動話として巡回しているようですね)。
曰く、私たちが苦労しているだから遊ばないで。遊んでいる人見ると腹が立つ(大意)。
このときの「遊ばないで」はGoToで遊んでいる人たちに向けられたものではないのです。だって緊急事態宣言下だもん。
公園で遊んでいる子どもたちに向けられたものなのです。
自分たちが大変なときに子どもに遊ぶなとか、大人げないにもほどがある。なんて人間が小さいのでしょう。
しかもこのとき神奈川県の大部分の陽性者は院内感染だったのです。まだPCRに至る条件がきついときではありましたが。
10万人アタリのなんとかで、東京を上回ることもあり、それがほとんど院内感染だったにもかかわらず、休校で公園で遊んでいる幼子たちに文句を言う。バカじゃねえの、と思いましたよ。
子どもに文句つける前に院内感染起こさないようにしたら?
ただしこの本では院内感染の仕組みが書いてあり、「ああそれはある程度しょうがないな」とは思いました。
人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか。
というお友だちのメッセージをきっかけに著者はこの本を書いたそうですが
ブルーさんが言っていたとおり、感染症専門家たちが部分の最適化しか図らないために、そしてそれを鵜呑みにしている人が多い分だけ、社会がおかしなことになった2020でした。
そして「人は必ず死ぬ」という事実。
なぜそれがわからないのだろう、と不思議で仕方ありません。
900万人雇用している観光、産業の乏しい地方にも雇用を生んでいる観光を死に絶えさせてまで、自分の命を守れと主張する人の心境が全くわからないのは、私自身自分は特別に救われる人間ではないと自覚しているからです。でも多くの人が、自分の命を守るために他者の命を奪っても平気な顔をしている。
しかもそれを高潔なことだと言い立てているのです。実は我が身がかわいいだけなのに。
こういう恐怖心でパニック起こしている人たちは、同じように陽性者数()が増えると困る医療や政権の思うがままになっていますね。
でもそうじゃない人もいるから
見抜いている人、健康なゆえに無意識的にでも健康な自分を守ろうと遊び回っている人がいるから、人出は減らないのでしょうね。それでウイルスの滓を引っかけて陽性が出る人はふえるかもしれません。でもそれってワクチン打ったのと同じですよね。陽性者の数が増えて何が悪いの? です。「陽性者を減らすために会食するな帰省するな」と言われても、その前提を共有していない人の多さに政権も医療も恐怖に駆られたコロナ脳の皆様も気づいていないようですね。
きっともう医療は崩壊するんでしょう。
そして救急車を呼んでも来なくなるんでしょう。だからみんな気をつけましょうね。
でも皮膚にトラブル抱えているシアさんも病院に今期は断られてセルフケアの方法を見つけたらしいし
うちの父もお餅のどに詰まらせたとき母によって助けられています。
セルフケアでなるべく医者の世話にならない。
私が「医療崩壊上等」というとき目指すのはこの地点です。
人は必ず死ぬ。
自分の身は自分で守るものである。
その原点に立ち戻って行動を選べばいいと思います。
その結果のステイホームならそれはそれでいいのではないでしょうか。
ただみんな身体が違う以上、取るべき方法は違います。
そのテイラーメードは医療にはできない。個々の選択です。
その個々の選択にまで口を出し、他人にうつさないためのマスクなのだから全員するべき! とマスク警察している人たちは、ずっとしているといいですね。コロナが終わっても。
だって人間は菌もウイルスもいっぱい常在していて、それを移し合って生きています。それがいやなんでしょ? だったら人前では一生マスクしているんでしょうね。どうぞどうぞ。それも自由です。
あとこの本で「医師法第一条」を読みました。
なんだ、ネットで治った治ったと喜んでいる人たちをいじめている医師達はそもそもが医師法違反じゃん、と思いましたよ。
医療はブルーさんの言うとおり
・部分最適化しかできない
・健康な人間はどうでもいい
・管理のために人を家畜化する
・ゼロリスクを求めて廃用症候群を作る
からなるべく離れた方がいいとつくづく思う年の暮れでした。
来年は、医者がいらなくなるような本や講演など、頑張ります!
昨日も早く寝て今日も早く起きて、朝焼けの富士山を見ながら大阪の津田さんにいただいた「鴨南蛮」を作って朝から鴨肉食べて元気です。
そして先日からぽつぽつ読んでいた本を読み終わりました。
大晦日に持ってくるにはヘビーなネタなのですが、来年につながる話だし、今更新しておきます。
この本です。
これは、来年の仕事に大きなヒントを与えてくれる本なので、備忘録的にブログにしておきます。
でもここで書くのは、この本の内容ではありません。
この本を読んで私に浮かんだ着想です。
まずこの本を手に取ったきっかけは(っていうかデジタルでポチったのですが)「なんであんなに威張っていた日本の医療が崩壊とか泣き言言ってるの? またウソついてんの?」ということでした。
そしてどうやらウソではないとわかったのですが、「いや、一回崩壊した方がいいんじゃね?」というのが読み終わった結論です。
もちろん発達においては非医療化を進めている花風社ですが、その他の分野でも一回崩壊した方がいいのでは? と。
まずなんでこれほど威張っていた医療が今崩壊しそうか。
それは医療が7割公金でなり立っているにもかかわらず、経営は民間の割合が高く、それなりに競争原理が働いていて、なるべく病床を埋めるような力学が働いていること。
人口当たり病床数が一番多いのは高知県で、一番少ないのは我が神奈川県だそうです。これは知らなかった。別に利用しなければそんなの気づきませんね。
そして過疎地で病床が多いと、埋まるそうですが、かといって住民が健康なわけでもなければ寿命が長いわけでもない。
病床があるから病人ができあがる。医療が作ってしまう。
今の放課後等デイとかもそうだと思いますが、人数を増やすことは事業所にとってはプラス。でも公金は大きく持ち出されることになります。
そうなると国は防衛的に医療費を下げます。
そうなると医療は薄利多売に走ります。
その結果精神科ほどでないにせよ、各科で「患者の塩漬け」「固定資産化」が常態化します。
花風社的に言うと「めんどり」です。
医療の場合、その上得意が高齢者です。
若者が失業して何人自殺しようと医療は平気。ふらふらの高齢病人が生き残った方が医療は儲かるのです。だから他産業の雇用を潰してまで医療は自分たちだけ生き残ろうとする。彼らが言う「命を守ろう」は健康な命でもなければこれから無限の可能性がある若者の命ではありません。高齢で持病があり公金を自分のところにもたらしてくれるめんどりの命です。医療に舵取りを任せていたら国は滅びます。
誰かをずーっと病気のままにしておいて、それで儲ける仕組み。
これをやって成り立っているものだから、たとえ2パーセント以下の病床でも新型コロナに取られると泣き言と八つ当たりが始まるわけですね。半年あったのに調整努力もせず。
そして余談ですが、手前勝手な主張の多い発達障害啓発は、この医療の流れをくんだものだったのです。
そして花風社クラスタが見てきたとおり、Twitterあたりにくすぶっている底辺医療従事者においては自分たちが7割公金から売り上げているという自覚もないくらい社会知のない医療者が多いために
悪意がなくても現場の医療者はこういうシステムに自ら加担して患者の塩漬け化に走っているかも、ということ。
患者を必死に集め、病気のままにしておく。
私が衝撃を受けたのは、病床が減っても寿命を延ばしている国が多いと言うこと。
医療破綻した夕張で起きたのもそれだった。
そして私が激しくマスクに反発するのは、それが医療による「人の家畜化」だからなのですが、医療は普段から平気で人を家畜化しているということ。
たとえば手間がかからないように経口摂取できる人でも施設に入れるなら胃ろうが条件とか。
今回イタリアで高齢者がたくさん亡くなりましたが、かの国では本人が望めば最後まで経口摂取を許可するそうです。患者に主体性を与えている。それで寿命が短くなろうと、そちらを選ぶ権利があるわけですね。
「服薬していると区分が上がるから事業所にお金がたくさん入る」という福祉の世界ではよく知られたシステムもありますが、この国では、人間弱くなって誰かの世話になると家畜化されるようです。
私が「治ろう」と言い続けてきたのは、治った方が自由に生きられるからなのですが
自由がさほどほしくない人も多い、とわかった年でもありました。
そして家ではぴんぴんしていた人が病院・施設に入ると弱る。廃用症候群が起きる。
逆に退院すると機能がよみがえる。
これは病院が手間のかからないようにしているから。
転倒しないように移動は車椅子とか。
ああこの廃用症候群を全国民に押しつけようとしているのが「ステイホーム」なんだな~と思いました。
私は緊急事態宣言のあと、ジムに行って温泉入って、こんな気持ちいいものを二ヶ月奪った医療には二度と協力するまいと誓いました。緊急事態宣言は健康な人間の健康にはマイナスです。でも医療は、健康な人間などどうでもいいビジネスなのです。
つまり、人々の健康のためにこそ、医療は一回崩壊した方がいいですね。
私が新コロで医療に最初に反発したのは、第一波()のときの神奈川県医師会のオバカメッセージです(その後さすがに取り下げた模様ですが未だにスクショになってコロナ脳の皆様の間を感動話として巡回しているようですね)。
曰く、私たちが苦労しているだから遊ばないで。遊んでいる人見ると腹が立つ(大意)。
このときの「遊ばないで」はGoToで遊んでいる人たちに向けられたものではないのです。だって緊急事態宣言下だもん。
公園で遊んでいる子どもたちに向けられたものなのです。
自分たちが大変なときに子どもに遊ぶなとか、大人げないにもほどがある。なんて人間が小さいのでしょう。
しかもこのとき神奈川県の大部分の陽性者は院内感染だったのです。まだPCRに至る条件がきついときではありましたが。
10万人アタリのなんとかで、東京を上回ることもあり、それがほとんど院内感染だったにもかかわらず、休校で公園で遊んでいる幼子たちに文句を言う。バカじゃねえの、と思いましたよ。
子どもに文句つける前に院内感染起こさないようにしたら?
ただしこの本では院内感染の仕組みが書いてあり、「ああそれはある程度しょうがないな」とは思いました。
人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか。
というお友だちのメッセージをきっかけに著者はこの本を書いたそうですが
ブルーさんが言っていたとおり、感染症専門家たちが部分の最適化しか図らないために、そしてそれを鵜呑みにしている人が多い分だけ、社会がおかしなことになった2020でした。
そして「人は必ず死ぬ」という事実。
なぜそれがわからないのだろう、と不思議で仕方ありません。
900万人雇用している観光、産業の乏しい地方にも雇用を生んでいる観光を死に絶えさせてまで、自分の命を守れと主張する人の心境が全くわからないのは、私自身自分は特別に救われる人間ではないと自覚しているからです。でも多くの人が、自分の命を守るために他者の命を奪っても平気な顔をしている。
しかもそれを高潔なことだと言い立てているのです。実は我が身がかわいいだけなのに。
こういう恐怖心でパニック起こしている人たちは、同じように陽性者数()が増えると困る医療や政権の思うがままになっていますね。
でもそうじゃない人もいるから
見抜いている人、健康なゆえに無意識的にでも健康な自分を守ろうと遊び回っている人がいるから、人出は減らないのでしょうね。それでウイルスの滓を引っかけて陽性が出る人はふえるかもしれません。でもそれってワクチン打ったのと同じですよね。陽性者の数が増えて何が悪いの? です。「陽性者を減らすために会食するな帰省するな」と言われても、その前提を共有していない人の多さに政権も医療も恐怖に駆られたコロナ脳の皆様も気づいていないようですね。
きっともう医療は崩壊するんでしょう。
そして救急車を呼んでも来なくなるんでしょう。だからみんな気をつけましょうね。
でも皮膚にトラブル抱えているシアさんも病院に今期は断られてセルフケアの方法を見つけたらしいし
うちの父もお餅のどに詰まらせたとき母によって助けられています。
セルフケアでなるべく医者の世話にならない。
私が「医療崩壊上等」というとき目指すのはこの地点です。
人は必ず死ぬ。
自分の身は自分で守るものである。
その原点に立ち戻って行動を選べばいいと思います。
その結果のステイホームならそれはそれでいいのではないでしょうか。
ただみんな身体が違う以上、取るべき方法は違います。
そのテイラーメードは医療にはできない。個々の選択です。
その個々の選択にまで口を出し、他人にうつさないためのマスクなのだから全員するべき! とマスク警察している人たちは、ずっとしているといいですね。コロナが終わっても。
だって人間は菌もウイルスもいっぱい常在していて、それを移し合って生きています。それがいやなんでしょ? だったら人前では一生マスクしているんでしょうね。どうぞどうぞ。それも自由です。
あとこの本で「医師法第一条」を読みました。
なんだ、ネットで治った治ったと喜んでいる人たちをいじめている医師達はそもそもが医師法違反じゃん、と思いましたよ。
医療はブルーさんの言うとおり
・部分最適化しかできない
・健康な人間はどうでもいい
・管理のために人を家畜化する
・ゼロリスクを求めて廃用症候群を作る
からなるべく離れた方がいいとつくづく思う年の暮れでした。
来年は、医者がいらなくなるような本や講演など、頑張ります!