治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

人間って、人間なんだ

2009-10-31 08:30:33 | 日記
D君から「読売大相撲」のお礼メールがきた。

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今日、相撲の本が届きました。ありがとうございました。みんな、かっこいい名前です。本名も書いてありました。もう、びっくりだし~嬉しいです。ぼくは、日馬富士が好きです。山本山は名前が可哀想です。みんなみたいにもっとかっこいい名前がいいのにと思います。
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わはははは。山本山、たしかにそうかも。本名は山本龍一だもんね。
でも「山本山」ってあの大きな体に合っているけど。
大きい人を見慣れた国技館のお客さんたちも山本山が出てくると「ほーー」と感嘆の声を漏らすくらい大きいよ、実物見ると。

あとでD君のお母様とお電話で話したら
「本名がある!」
「外人力士の本名はカタカナ!」
「外人力士の四股名は本名の音をなぞらったものとそうじゃないことがある!」
「日本人力士の四股名は本名に近いのとそうじゃないのがある!」 とか、
四股名と本名の差異にハマったらしいです、D君。

こういう「インサイドストーリー」がきっと好きだと思ったんだ。

全関取名鑑はすごいお宝!
本名、出身地、所属部屋、身長・体重、生年月日、血液型、最終学歴、家族構成。みんな書いてある。人物像に厚みができる。お相撲さんも人間なんだ、ってわかりやすくなる。

「自閉っ子、こういう風にできてます!」の中でニキさんは
「浅見さんも人間なんだ」って気づいた経緯を書いている。私がただ本作ってるだけの人じゃなくて、家族がいたり、家帰ったら洗濯したりしているのに途中で気づいたみたい。それで「最近気がついたんだけど、浅見さんって人間でしょ?」っていきなり言われてびっくりした。

あれはニキさんが30代になってからだったな。

「自閉っ子的 心身安定生活!」の中で藤家さんは
「人は人、っていうことは親も人間で、自分の備品ではないので、自分の都合を聞かないからって怒ってはいけない」と気づいたことを書いている。

あれは藤家さんが20代後半になってからだったな。要するに、つい最近の話。

先輩たちの知恵が積もりつつある分D君が「人間って、人間なんだ」に気づくのは早いかもしれない。 それと、D君がすごいのはここ。

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引退だと言われた朝青龍が優勝したり、怪我で調子悪い白鵬が勝つと嬉しくなります。
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そうだそうだ! 8歳でそれに気づいていたら大丈夫。

写真は国技館で買った稀勢の里マグネット。初場所行ったら朝青龍と日馬富士のを買って来てD君にあげよう、っと。

追伸:イケメン力士ベストテンにきせのんが入っていなかったのが不満です>読売大相撲さん。見解の相違ってやつ?

感覚統合学会に行きます!

2009-10-30 08:40:47 | 日記

「続自閉っ子、こういう風にできてます!」「続々自閉っ子、こういう風にできてます!」 を出した関係で
日本感覚統合学会年次大会で講演をさせていただくことになった。
ニキさん、藤家さん、岩永先生、浅見の四人揃い踏みである。

昨日主催者様と打ち合わせの電話で
「講演のときの四人の並び方ですが、お客様から向って一番右側にニキさん、真ん中に岩永先生と浅見、一番左に藤家さんでお願いします」と申し上げた。

本来なら主役である自閉っ子の二人を真ん中に置くべきだろう。
でもそうじゃないほうがいいのだ。

ニキさんも藤家さんもボディイメージが希薄だが
それぞれ利き腕側のほうがまだしっかりしている。
だからニキさんにとっては話し相手の三人が自分の右に来たほうがいいし
藤家さんにとっては左に来たほうがいいのだ。
そのほうが話がはずむ。

二人の利き腕が逆でよかったのである。
相性の問題だ。

お相撲さん同士ならこれは「ケンカ四つ」になって
まわしの探りあいになる。
でも二人はお相撲さんではなく講師として壇上に上るので
取っ組みあうのではなく横に並ぶ。
だから都合がいいのだ。

というわけで感覚統合学会にお出かけの皆さん。
岩永先生は男性一人だから見分けやすいですが
真ん中でえらそうにしているのが私です。ニキさんでも藤家さんでもありません。
主役の二人は脇にいます。

まあ、本のイラストは四人ともそっくりなので、本を読んでくださった方は間違わないと思います。

読んでいない方もご心配なく。当日書籍販売+オリジナルスタンプ会いたします。よろしく!

楽しい講演になると思います。


民主的な教育の場(笑)

2009-10-29 08:55:47 | 日記
昨日東京都の教員採用試験不人気について書いたが
27日朝日新聞「声」にこんな投書があるのを発見。

「教員採用試験不人気 都教委も原因」

投書の主は東京都在住の80歳。
もしかして元教員?

主旨は「石原都政下での締め付けのもと、教育現場が民主的ではなくなり、若者にとって魅力を感じられない職場になっているから教員希望者が少なくなった」みたいな内容ね。

ふーん。

「民主的な教育の場」って何?
いつ存在したの?

ていうか、職場が民主的である必要があるの?

ていうか、右に寄ると民主的じゃなくて、左に寄ると民主的なの?
それがこの人の考え?

ていうか、石原都知事は民主的な手続きのもとに選ばれたんじゃなかったっけ?
圧倒的な都民の支持を得て。

私が小学校の頃(もしかしたらこの投書の主が教師だった頃?)
センセイ方は「政治の季節」だった。
今はなき某政党のポスターが堂々と学校内にぺたぺたと貼られ
「お父さんお母さんはどの政党に投票した?」みたいな質問を平気で教師が小学生にしていた時代ね。手を挙げさせられたな。なんだったんだろう、あれ。

我が家は「不毛地帯」みたいな血筋で
戦前は軍事で、戦後は商業で、世界と戦った一家だったので
私の出自がセンセイ方のお気に召さず
ずいぶん社会科の時間につるし上げにあったもんである。「おまえの家族が日本をだめにした!」とかね。
子どもだから、言い返せなかった。悔しかった。
たぶん私の教師への不信感は、このへんから始まったと思う。

民主的であるはずのセンセイ方が、親や祖父の職業で子どもを差別する。
そういうことを堂々とやっておられた時代だったのである。

実を言うと、同じ被害にあっている人がうちの著者さんたちの中にもいる。
森口奈緒美さんだ。
だから私は「変光星」を読んだとき、「他人ごとじゃない」と思った。

きっと今はマシになっているんだろう。うん。そう信じたい。
きっと学校は、もはやあんなにひどい場所じゃないだろう。
「変光星」を再刊させていただいたとき、森口さんにそう言ったんだ。
「二度と学校をああいう場にしないためにこれを出しましょう」って。

今のセンセイ方も災難だと思う。
ああいう学校で育った世代が親になると
教師という人種を「アプリオリに」信用してないからね。

モンペの発生にはこういう歴史の事情もありそうな気がする。
センセイ性悪説を、子ども時代に刷り込まれちゃったかもよ。

それと、学校と政治。

センセイたちが個人としてどういう政治信条を持とうと、どこの政党に投票しようともちろん自由だが
自分の政治信条で、仕事場である学校で子どもを差別しないでほしいな。

それと、センセイ個人が主義として国旗国歌を敬わないという現象につける薬はないとしても
自分の国の国旗国歌に忠誠を誓わないのは
日本の外に出ると「ありえない」こと、とても恥ずかしい行為だということだけは、
子どもたちに誰かが教えておいたほうがいいかもね。

日本は自由な国で、あまりに自由な国で、国旗国歌に忠誠を誓わない自由さえある。
でもよその国はそこまで自由じゃない。
自由の国アメリカでさえ、そこまで自由じゃない。

国際的な場で活躍するようになる子も中にはいるだろうし
恥をかくとかわいそうだ。
国によっては刑事罰だからね。懲戒じゃすまない。

もちろん素晴らしい教員の方々ともこの仕事をしていていっぱい出会いました。
それで子どものときのいやな思いが癒された部分もあります。
写真は因幡の白兎キティちゃん。心ある先生方に山陰に呼んでいただいたときに見つけました。

教員採用試験不人気だって

2009-10-28 09:36:11 | 日記
10月22日日経夕刊。

東京都の教員採用試験が不人気のため
高倍率の東北や九州にリクルートに出かけるとのこと。

神奈川とか千葉もやってるよね、これ。
都会=教員採用試験不人気地域。

私は自閉症関連でほうぼうに呼んでいただくようになって
地方では教員って人気のある仕事なんだって知りました。
秋田県とか、倍率20倍とか。
すごーい。

で、東京都やその他首都圏の自治体が、とくに倍率の高い東北や九州にリクルートに行っても
「東京は怖い」と言われちゃうケースが多いらしい。

え?
いったい東京のどこが怖いのか?
全然怖くないよ、東京。

というのがずっとここにいる私たちの感想。
「東京は怖い」とか「東京の人は冷たい」とか言われるけど
正直言ってよくわかりません。
だって新橋の酔っ払いのおじさんたちが、誰一人追いはぎに合わずに帰れる街なのに。

平和ですよ、東京。
日々このブログを読んでいただければわかると思いますけど。

大したことは起こっていない。

ときどきキルトを身につけたスコットランド人の群れにビールを飲める場所を訊かれたり
ときどきCalvin Kleinのパンツを見せる若者が地下鉄に乗っていたり
ときどきカフェで原稿読んでいると隣で髪を盛り上げたきれいなおねえさんが同伴出勤のお客さんをケータイで探していたり(要するにあっちもお仕事中)
ときどき男同士の夫婦がいたり
イベント(例:麻布十番祭り)のときには半径50メートルにのりぴーの夫のようなルックスの人が300人くらいいたり
毛皮着てる人の横にタンクトップの人が歩いていたり
タクシーの運転手が道を知らなかったり
それくらいかなあ。

タクシーの運転手さんたちが道を知らないのは
たんに地方から出てきたばかりだから。
沖縄出身の運転手さんとか、黒砂糖の飴くれたりしますよ。
運がよければ同郷の人に当たるかもしれません。

だから、全然怖くないです東京。
優秀な教師希望の皆さん、ぜひ一都三県に出てきてください!
住めば都ですよ、文字通り。

雷門キティちゃんです。

横綱が好きな理由

2009-10-27 09:12:23 | 日記

北海道のD君 
に「読売大相撲」最新号をプレゼントしようと
夫が買ってきてくれた。

D君も私と同じお相撲ファン。
とくに横綱朝青龍関が大好きだという。

理由は
「だめだだめだといわれても強いから」

そうだね。

D君も、小さいときから叱られることが多かった。
集団生活になじめないから。

だから、叱られても叱られてもきちんと勝つ横綱が好きなんだね。

横綱もファン層が広いなあ。

今月の「読売大相撲」は篠山紀信撮影の朝青龍関が表紙。
全関取名鑑もついていて
結構ハマると思うよ。

飛行機に乗れるようになったら、東京に来てね。
人ごみに耐えられるようになったら、一緒にお相撲観に行こうね。

今日送ります。
楽しんでね。

台風一過の富士山。
冠雪してますね。


「加害者の条件はありますか?」

2009-10-26 09:09:46 | 日記
「死刑でいいです」のテーマとなった加害者の場合も
性の問題が見られた。

先日の「自閉症者と性」の問題を扱ったセミナーでも
イノー博士に会場から質問が出た。
「性犯罪の加害者になりそうなprofileはありますか?」

明確に「Yes」。
それがイノー博士の答えだった。
そういうの教えてもらえばいいのに。法務省の人とか。家庭裁判所の人とか、鑑別所の人とか。学校の人とか。
ちゃんとセミナー会場に来ていただろうか?
わかったら、予防策が取れる。
別に罪を犯さないうちに引っ張る必要もないし(「マイノリティ・リポート」の世界じゃないからね)
本人に「あんたは罪を犯すかもしれないんだよ」なんて告げる必要もない。
でも早いうちからケアができるし、そういう条件を緩和できるし
同時に
そういう危険性が実はあんまりない自閉っ子への偏見も防げる。
たくさんの自閉っ子パパママが
「うちの子が将来何かするんじゃないか」って怖がっているじゃない。

事件が起きなければ、障害者への偏見も減っていく。

でもだめだろうな。日本では。
科学よりセンチメンタリズムが先行だもの。

福祉の世界には、障害者の人権に敏感な人がいる。
これまでの歴史を考えると、そういう人も必要。絶対に必要。
でも障害者の人権に敏感でも、健常者の人権には敏感じゃない人も多い。
そうなるとセンチメンタリズムが跋扈する。

支援に科学の力を取り入れることに積極的な国々では
本当に「共存」っていうことを考えているんじゃないかしら。

昨日私はあるカウンセラーを批判したが
彼女の同僚でも、優秀な人はいる。
その支援センターで助けられたと言う人もいるし
同じ地域の他の機能を持つセンターで救われた人もいる。

一方で悲しい現実もある。
今は「福祉・医療につながらなかった当事者が事件を起こす。つながれば起こさない」っていうことになっているけど
そうじゃないケースも出てきている。
医師にかかっていても事件を起こすケース。
支援級の中での暴力沙汰・警察沙汰。
こういうのに目を背けて、隠蔽して、なんになるんだろう?

ある程度、科学としての支援を考えないと
支援にはばらつきが出ると思うんだ。
そしてばらつきが出ると困るのは当事者。
だって「もう一度どっかにトライしてみよう」って考えにくい人たちだもの。

昨日は関西日帰りでした。写真は「大阪のおかん」キティちゃんだって。豹柄ですね~。
大阪は街がキャラ立ちしているから、キティちゃんも面白いのが多いです。
私は、心優しい支援者よりおかんの率直な一言で目覚めた人も見たことがあります。

「死刑でいいです」を読んだ

2009-10-25 07:58:23 | 日記

共同通信社の記者さんたちがお書きになった本「死刑でいいです」を読んだ。

17歳のときに実母を殺害し、更生施設でアスペルガー症候群の診断を受けながらもとくにそれに沿ったケアをされず、そのまま地域生活に移行し、二つ目の殺人事件を起こして死刑になった加害者の話だ。

出所後も福祉的支援を受けることなく、大阪で二人の女性を殺害し、現場に放火し、反省の弁を述べることなく、「死刑でいいです」と言いながら死刑執行された。

加害者に何らかの障害の鑑定が出た場合、鑑定結果を公表してほしくないという風潮も強い中、この本を出版されたことは勇気ある行為だっただろう。

加害者になる環境として「孤立化」というキーワードが心に残った。

発達障害業界内部の先生方は「つらい思いをしてきたから二次障害」という表現を使う。これは正直ぴんと来ないこともある。本当に虐待、イジメに近いことをされてきた人も多いとは思う。でも一方で、筋違いの恨みも多いのが現実。

けれども「孤立化」というキーワードは結構使える範囲が広い。たとえば福祉的ケアにつながることのできない特性を持つ人々が家族として集まってしまうと支援を受けられない状況が生じやすい。加害者の家庭もそうだった。
それに、筋違いのカンチガイを家族揃ってしていることもある。筋違いのルサンチマンを揃って抱いていることもある。家族全体で孤立して、家族の中にツッコミ係がいないと、カンチガイが膨らんでいく。社会との間に、齟齬が生じやすくなる。

「孤立化」というキーワードは、だから結構有効だ。

でも、もちろん自閉っ子ウォッチャーとしては疑問符つけたいところもある。インタビューされた「専門家」の方々の意見は、正直言って玉石混合。「犯罪と発達障害の関係においてフェアに論じている」と信頼を置く藤川洋子先生も登場していたが(ニキさんも藤川先生の著作は評価しているみたい)、ここに出てくるすべての専門家の意見が参考になるわけではない。
まあ、資料にはなるけど。

それと、この本の著者さんたちが提示している「解決法」は、正直大甘だと思った。たぶん、それほどの数の現場を知らないのではないか。あるいは「記者」として乗り込んでいくと、見えないものって多いのかも。現場もよそいきで待ってるでしょ。

行政がケアに乗り出すべきなのは当たり前である。でも「例外を良しとしない」行政と発達障害支援との相性は(通常)あまりに悪い。

実際には公務員が直接支援に当たっているわけではなく、社会福祉法人等の団体が発達障害者への支援を委託されている。

そしてそこの支援者の態度にはばらつきがある。発達障害者の特性を見つめ、「例外」を行政に認めさせる気概がある人と、当事者の状態をよくすることより行政ににらまれないことを重視し、当事者を犠牲にしても行政に歯向かわない人がいる。当事者の講演の窓口なんかやっていると、そういう法人による気質の違いは少しやりとりすればわかるものだ。どこの地域に住んでいるか、どのカウンセラーに当たるかで、運命が左右されてしまう現実がなんともやるせない。

私はある「先進地域」の発達障害者支援センターで、カウンセラーの人が当事者を小ばかにしたように「相談に来ても途中で立ち消えになる。ASDの人たちの話はまとまりがない」と言ったのを聞いてあきれたことがある。自分の問題を分析できないこと、それを伝えられないのがコミュニケーション障害であり、障害特性の一つなんだが。たんに聞き出すスキルさえ学ぼうとしないあんたの勉強不足じゃないの? 絵カードを使ってなんで泣いているか聞き出してきたD君ママのほうがずっとテクがあるぞ。

ここの運営者は長年自閉症支援に実績がある法人だし、このカウンセラー自身は留学経験があったり臨床心理士の資格があったりするらしい。それでもこの程度の人材しかいないのだ。絶望の末相談に訪れた当事者は、こういう支援者によって孤立感をより深めるだろう。

そしてもしかすると行政的には、このセンターは優秀だと見なされているかもしれない。なぜなら行政が評価するのは相談件数だったりするから。このカウンセラーのように、受け付けては途中で立ち消えになっていると、行政に報告する相談件数は稼げるね。問題は、血税を吸い込んでるだけで当事者の(そして社会の)役に立ってないことなんだが。

むしろ心ある支援者は、民間にいたりするよ。官にもいい人はいるが、歩留まりは悪いかもね。民の支援者は、本当に良質のサービスを提供したいからこそ、民でやっている部分もある。だからどっかに丸投げで委託するより、消費者主導で、そういう民のサービスにお金をつけたほうがいいんじゃないかと思う。それいゆさんなんかは、そういう事業を一部手がけているはず。

また、この本の中では自助活動が絶賛されているが、自助活動の限界はこの業界では周知の事実。この本の著者たちはたぶん珍しく成功した自助活動をたまたま取材したのだと思うが、そういうケースは必ずしも多くない。むしろ当事者同士って、こんがらがってしまうことも多い。スイートスポットが狭い同士だからね。その辺の本音は、藤家さんも新刊で語ってくれている。今回は藤家さんに「ほしい支援」と同時に「いらない支援」も語ってもらった。

だから「死刑でいいです」は一面は評価できる。でも私としては、ドキュメンタリーとしては面白く読んでも、ソリューションとしてはあまり真に受けない、と決めた。

要するに、他の多くの本と同じように、この本は使いようだな、と思った。ソリューションの部分を当てにしないのなら、興味深く読める本だったし、多くの人に読んでもらえたらいいなと思った。「孤立化を防ぐ」ことが多くのトラブルの予防になるのは確かだから。

はっきり言ってこういう問題を解決するには、著者たちが思っているよりずっとずっと専門性が必要なんだと思う。共同通信の記者さんたちが、イノー博士の講演聞きにくればよかったのになあと思った。


主催者様からご質問をいただきました

2009-10-24 08:30:30 | 日記

盛岡の講演の主催者様から
「質問は可能ですか?」と訊かれました。
当日の質疑応答はニキさん難易度高いため通常お断りしていますが
事前に皆さんがどういうことを知りたいか教えていただければ講演に盛り込めるかも、とお返事しました。そのほうが時間が無駄になりませんしね。

そうしたら質問が送られてきました。
皆さんがどういうことを知りたいか、ニキさんと浅見がどういう風に答えられるか、講演に行った事のない方、講演を開こうかどうか考えている方に参考になると思いますので簡単に触れさせていただきます。

・感覚過敏は治りますか?
 これはもちろん、当事者向けというより専門家向けの質問ですが、ニキさんの体験を話してもらうことはできると思います。「続自閉っ子、こういう風にできてます!」「続々自閉っ子、こういう風にできてます!」でずいぶん岩永先生が言及してくださっています。
 また私のほうから、ニキさんや藤家さんを数年にわたり観察してきた感想や、感覚過敏のあまりないASDの人の様子もお話できると思います。

・アスペルガーの方に視覚支援は有効か?
 う~ん、これも専門家向けの質問で、私にはわからないけど、ニキさんは情報処理の仕方の個人差にとても敏感でよく勉強しているので、何か言ってくれるかもしれません。
 ただ、言葉のあるお子さんでも視覚支援が有効な場面には立ち会うことがありますね。また、一緒にお仕事をしていると、アスペルガーでも視覚支援が必要な度合いって人によって違うような気がします。新刊「自閉っ子的 心身安定生活!」の32ページに藤家さんが就労支援センターで作ってもらったストレス対処法マニュアルがありますが、これとかって視覚支援じゃないかなあと思ったりします。私から見ると、ニキさんより藤家さんのほうが視覚支援が必要なタイプに見えます。

・社会性を伸ばすいい方法は?
 ニキさんには社会性がとてもない部分と、膨大な勉強量で補ってきた部分があります。
「そもそも社会性って何?」っていうところからお話できると思います。たぶんこれで本が一冊書けるくらいニキさんも私もふだんから考えているテーマです。社会性と友だち作りは違うような気がします。これは服巻智子先生の「自閉っ子は必ず成長する」がとてもとても参考になります。

・イジメについて
 これは私にいただいた質問です。で、私があくまで教育のプロじゃないということを承知していただいた上で、お話しすることができるテーマです。まあ私の意見は「友だち原理主義から離れる」ことですかね。あと、子どものときの交友関係と大人になってからの交友関係って違うし、子どものときのほうが友だちづくりは難易度高いですね。あと、子どものときのイジメと大人になってからのイジメは違うんだけど、そこを混同している成人ASDの人は多いですね。そうすると、不幸です。私は、学校時代より社会に出てからのほうが生き易いと思っています。そういうお話をします。

・ASDの人に向いている職業はあるか?
 これも私にいただいた質問です。でも二人で答えます。
 ASDの人もそれぞれなので、「これ」とは言えませんね。でもたぶん、ニキさんが翻訳にたどり着いた経緯を話してもらうと参考になると思います。
 今年の初め、群馬と京都で講演したときにニキさんから「残存能力で勝負する」という言葉を紹介してもらいました。私は「才能を伸ばす」という言葉は実はあまり好きじゃなくて、「残存能力で勝負する」というニキさんが使っている表現が好きです。
 それをお話したら当日いらしていた盲学校の先生(ご自身も視覚障害の方)から「障害をよく理解していると思いました」という(たぶん)おほめの言葉をいただきました。

 というわけで、こういうテーマに興味があって盛岡にアクセス可能な方、ぜひお越しください。
 北東北はもう、紅葉が始まっているでしょうか?

 念のためもう一度。申込書は下記からダウンロードできます。
http://www.town.kanegasaki.iwate.jp/hp/kenkou/article00000000000000000304.html

岩手のキティちゃんは持っていないので、現地でゲットするのが楽しみです。


鯵のタタキに思う想像力の障害

2009-10-23 08:00:15 | 日記

22日は魔の日付である。
私はスポーツクラブに二つ入っているのに、どっちも毎月22日が定休日なのだ。
同業者の寄り合いでもあるのだろうか。
というわけで昨日22日、「今日は運動なし」と決めていた。
朝から仕事。脳みそが煮えて、気づくと夕方。
食糧の買出しに行ったらすでに鮮魚のセール時間帯が始まっていて
静岡県産の鯵のタタキを半額で買えた。
ここで私は考えた。

鯵のタタキをビール抜きでいただくわけにはいかない。
そんなの鯵に失礼すぎる。
この鯵は朝静岡の漁港に上がり、新幹線(但し「こだま」)に乗ってやってきたのだ。
いわゆる「築地飛ばし」の鮮魚である。築地を通らない産地直送。
このお店はそれが売り物なんだから。

それに
せっかく鯵として生まれてきたからには、やはり最後はビールに見取ってもらいたいというのが人情ならぬ鯵情というものだろう。
ビールを飲むとなるとやはり汗をかいたほうが断然おいしい。
でもジムは休み。
そうだ。外をジョギングしよう。

というわけで、運動休みのはずだったけど、30分ほどちんたらジョギングした。
おいしいビールを飲みたいばっかりに(意地汚いねえ。でも酒飲みってこんなもんですよ)。
結果としてビールはタイヘンおいしかったのである。

さて、『自閉っ子におけるモンダイな想像力』(写真)の中でニキさんは
自閉っ子にとっては「順行想像力」より「逆行想像力」がとりわけ難しいと解説してくれている。
順行想像力っていうのは

 こうだから→こうなる

 のことである。逆行想像力っていうのは

 こうだってことは→こうかな

 のことである(詳しくは買って読んでね。本当にいい本だから)。

今ある現象を見て、それを逆行でたどっていくのが難しいらしい。

なるほど。

もしかしたら、鯵を買ってジョギングにたどりついたのは
順行もしくは逆行の「想像力」のおかげなのかもしれない。
(ただ意地汚いだけかもしれないが。)

まあとにかくビールはおいしいのです。


講演会のお知らせ二つ

2009-10-22 08:15:00 | 日記

11月7日にニキさんと浅見で岩手県盛岡市に行きます。
岩手県自閉症協会様の主催の講演です。
下記から申込書ダウンロードできます。

http://www.town.kanegasaki.iwate.jp/hp/kenkou/article00000000000000000304.html

11月15日に藤家さんと浅見で岡山県岡山市に行きます。
NPO法人ケセランパセラン様の主催です。
下記からお申し込みできます。

http://kese-pase.org/

どちらも大きな駅のそばで集まりやすい場所のようです。
たくさんの方にお目にかかれますように。

写真はシーサーキティちゃん。
なんと2月には藤家さんと浅見で沖縄行っちゃうのです。