治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

触らぬ発達障害にたたりなし

2011-07-15 06:20:45 | 日記
「現代のエスプリ」2011年6月号、「発達障害とパーソナリティ障害」読んでます。

で、ショックを受けています。

私はここ数年「発達障害をめぐるマーケティングはゆがんでいる」と思ってきました。
障害の実態を直視せずにきれいごとばかり世間に伝えようとする勢力が強い。
それが結果的に社会との共存を妨げている、と。

この本でも主張してきたけど



発達障害者=天才 というイメージにはわりと安易に飛びつき
診断を望んでもいないセレブを勝手に仲間扱いする一方で

触法のケースに関しては、いったん下した診断を否定したり。
いやあれは統合失調症なんだとか。
あるいは報道規制に走ったり。

で、報道に、あるいは他人の創作活動に、枝葉末節のクレームつけて
「触らぬ発達障害にたたりなし」の雰囲気を作っちゃったり。

みんなの味方(私の味方じゃないけどね)の内山医師でさえ、ドラマの監修をしたときあまりにクレームがたくさんくるので
「もうちょっと寛容になれないものか」なんて書いてたように記憶しているけど

自分たちの目先の利害で頭がいっぱいで
「作り話は作り話だ」って割り切れない。
偏見をもたれるのなら、そういう行動をどうにかするのが偏見の解消につながるのに、それが本来の支援だろうに
作り話や報道にケチつける方向に走る。

変なの。
このままじゃ「触らぬ発達障害にたたりなし」になるぞ(てかもうなってるかも)
と思ってきました。

でも「現代のエスプリ」を読むと
ここに書いてあることを信頼するとすると

この「ゆがみ」はもう何十年も前に始まっていたものなんですね。

最初は「当事者や保護者によかれ」という意図から。

でもそれが今、悪く作用している。

当事者の抱える困難さを解決できなくしている。
だって直視しないんだもの。

それに面と向き合っている先生たちもいるんだなと
そういうことがわかる本です。
何しろ巻頭言が神田橋先生。その次の記事が十一先生だもの。
触法事例もきっちり取り上げているもの。
巻末に村田豊久先生登場だもの。
石川元先生の記事を通して、英米の自閉症観と違う自閉症観が垣間見られて、
そもそも日本が無自覚に受け入れている自閉症観を相対化できるんだもの。
そういう本です。

妙な「啓蒙色」がない本です。
当事者を弱者と一方的に決め付ける視点がない。
だから、リアル。

なんか時代は変わってきてるんだな~
「活かそう! 発達障害脳」と主張する長沼先生の本も出たし、と思ったら

杉山先生の新刊のお知らせが。
今度は発達障害の「予防」がトピックらしい。

発達障害は予防できる、という内容らしい。

杉山先生がこのような本を出されたら
今後色々な先生が思い切った主張をされるようになるかもしれませんね。

面白くなりそうです。

そもそも「現代のエスプリ」みたいな本を作れるのは
一種のアウトサイダー能力だと思いました。

そして最近ある人に
「いつまでもアウトサイダーでいてください」と言われたのを思い出しました。

言われたときにはぴんとこなかったんだけど
ああ、そのほうが面白い仕事できるよな~と思いましたよ。

私自身は考えてみれば、ずっとアウトサイダーでしたね。

それをカンチガイしている人が、私に腹を立てたりするんだろうな
昨日某所で山岸の事件の資料を久しぶりに見て、ふとそんなこと思いました。

山岸は私が支援の世界のどまんなかにいたと決め付けていたんだね。

私は支援者だったことは生まれてこのかた一秒もない。
理解はしようと努めてきた。でもそれは、本物の理解。ダークサイドもふまえた理解ね。

支援者だと思って甘えているから「自閉症者を訴えるような人間である」とか講演の主催者にメールを送っちゃうわけですが

悪いことをすれば訴えられるのはあたりまえ。障害があろうとなかろうと。

こういう山岸をわらえますか?
多くの保護者や当事者、そして支援者が、
この甘えを共有しているんじゃないのかな?