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治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

身体アプローチも発達する その5

2022-09-14 04:55:00 | 日記
コロナ前の構想としては、もうそろそろ引退だな、でした。

だってもう、治るようになっちゃったもん、っていう感じ。
今の既刊を地味にでもマーケティングしていけば、気づいた人から読んで治っていく。それくらいのラインナップは作った自覚がありました。

あとは愛甲さんの本を一冊、栗本さんの総仕上げみたいな本を一冊、それと治った自慢を書籍化したい。

あ、あと大久保さんも出しておきたいな、とか思いました。
とにかくブログの内容がすごかったから。

それだけ出し切ったらちょうど還暦くらいかな。
夫の引退の前に引退して地味にマーケティングを続け、どっとこむを見て孫の育ちを楽しむように治った自慢を喜びながら余生を過ごすのもよし。
他の分野の本を出してみるのもよし。
っていうか母もいつ要介護になるかわからないし。

なんて思っていたのですが
2022年の秋、世間ではまだコロナ禍が続き、私は面白いほど巻き込まれず、母は感染にかすりもせず元気でジムに通い、大久保さんの本や治った自慢を出して、次の企画を三つ抱えています。
できた順に出そうかな、みたいな感じ。
この分だと還暦は突破しますね。

コロナ禍でわかったことを箇条書きにしてみると
1 やっぱり医療では限界がある
2 これだけ同調圧力が強いジャパンで花風社よくやっていた
3 私がこれだけ自由に暮らせるのは闘ってきたから
4 治るが勝ち、どころではなく治らないとやばい、時代がやってくる
5 いざというとき支援を受けていない方が人権制限されずにすむから支援されなくても生きていける人になった方がいい(なるべく支援が薄くて済む人になった方がいい)
6 自分の頭で考えられて自由に生きられる子を増やしたい

みたいなことで(他にもいっぱいあるけど)ここにきて大久保さんの重要性が増しました。
栗本さんは物理的に空間と仲良くする方法を教えてくれた。それは身体機能にバグのある発達障害の人にはとても重要なことだった。でもこういうジャパンになり、認知戦に大負けして、今後私たちが育った社会とは全く違った社会で生きていく子ども達にとって、社会的な空間でどう自分を位置づけるかの方面では大久保さんは優れている。ということで大久保さんの本を立て続けに2冊出しました。

そして「ポストコロナの発達援助論」を責了したその日に栗本さんに連絡を取りました。
心配だったのです。

コロナ禍になってオンラインで色々講座をやりはじめ、花風社にはつねに新しい読者が入ってきていることを知りました。
この時代の読者が最初に読むのは黄色本芋本です。
でも不思議なほど「小田原に行きました~」みたいな声が出てこない。いや、オンラインで受けているかもしれない。
いずれにせよこの時代に栗本さんの重要性は増しているはず。
なぜなら過剰な感染対策が子ども達に悪影響を与えるし、何よりも感染対策が優先されて育ちが犠牲にされている時代、色々不具合を抱えた子が増えるはず。栗本さんの社会的需要は高まるであろう。

と思っていたのにご本人は姿が見えない。

以前の読者(アルパカ世代ね)は食い入るように栗本さんのブログを読んだ、とかそういう話をしていたものですが、そもそも最近ブログも予定表ばかり。知見が載っていない。

そして以前は栗本さんが有益なことをツイートすると読者がそれをふぁぼったりりつしたりして、それを見て小田原に出かけた人もいたのです。ところが最近それもやっていない。っていうかその時に初めて知ったのですがツイッターのアカウント消してたのねいつのまにか。

それで、こっちとしては「もっと発信すれば」、みたいなことを言うわけです。そうしたら「はいはい」みたいな生返事していたんだけどそのうち「しない」みたいなことを明言するようになり、じゃあ動静はどこでわかるの、といったら「FBのあんじんアカウントがある」と。

で、そっちフォローしていたんですけどやめちゃいました。
だってつまんないアカウントなんだもん。
予定しか載せていないんだもん。

皆さんがどっとこむなり大久保さんのブログに訪問するのは、そこに何かしら面白い情報が日常的に載っていて、(私の場合)くだらない日常ネタもあるけど子どもの育ちに関係ある情報もあるからそれを求めてくるんだと思います。

そしてたまに新刊が出たり講演があったりするとそのついでみたいにそういう情報をみて「出たいな」「今度はパス」「読みたいな」とか判断しているはず。

ところが有益な情報の発信がなくただ「どこどこにいついつ行きます。ぜひ参加を」みたいな情報しか羅列していないアカウント楽しみに見ますかね? 私はそうじゃなかった。身体アプローチにかんする情報発信しないのならいらんわ、っていう感じ。

まあそんなこんなで最初私が言ったのは「発信しろ」ですね。

それは栗本さんのためでもあるし、恩返しでもあるでしょう。
なんだかんだ発達障害の世界に支えられてきて、そこで職を得て、お嫁さんまで来て、栗本さんも恩恵を受けている立場。これは私ももちろん意識しています。発達障害の世界から多くを得たからこそ、嫌われようとなんだろうとリスク取って少しでも解決できる本を出してますよ。

だから多くの子が健康をないがしろに感染対策に巻き込まれ、しかも注射も始まり、のときに身体のプロとして発言しなくてどうすんのよ、みたいな感じ。

個人のFBアカウントはあったんですよ。
それ見るとほっこりしつつも余計不安になるわけ。
だってご夫妻で隠居みたいな生活しているんだもん。干し柿とか竹細工とか。まあそういう趣味がぴたりとあったお二人だと思うのです。

他にも見守っていた人たちはいたみたいだけど「ハネムーンだと思っていたけどあの隠居レポはいつまで続くのか」みたいに感じ始め

私は「この難しい時期に社会貢献しなくてどうするんだろう」「そもそも新しい読者の皆様は小田原行っているのだろうか」みたいな心配事がたくさんあり、とりあえず会おう、と言ったわけです。そろそろ第6波が始まり色々制限がありましたが、私の地元ならゆるいとこも知っていたし。

だけど来ない、というわけです。そしてその言い訳が「あからさまな嘘」でした。ていうかその嘘つくと私が「ああそれじゃあ仕方ないですね」っていうと思ったのでしょうが権威を全面に出してきた。

男の人って本質的に権威が好き。最近の灰谷さんの動向見てもわかりますけどああいう怪しげな(ほめてます)仕事している人でもなんだかんだ学会とか大学とか好きなんですね。でも私は心底権威が要らないんですよ。こういう状況の中ではなおのこと、権威によるお墨付きなんて意味がない。

かつて男性アンチ筋から「花風社は権威じゃない」みたいな悪口も言われましたけど、なんで権威になる必要があるでしょうか。
コロナを経て改めてそう思います。権威権威頼るのって一種の男性原理じゃないかなあ。

まあそのときに「こういう権威持ち出せば黙ると思われているんだな」とわかり、色々な意味で「違う」のがわかり、もうこれでおしまい、と思ったわけです。

で、最後だと思って苦言を呈しているうちに、返事が来なくなりました。
苦言は色々言ったけど、一言でいうと「発信せい」です。
それは拒まれた。
来る人を待つのが基本姿勢だそうです。

私は26年会社やってきて、その前会社員だったときもつねに自由業者と接していました。
来る人を待つので商売やっていける人は知りません。
すごい大物なら別なんだろうけど
栗本さんも私もそこまで大物じゃない、というのが私の判断でした。

今大阪とか鹿児島とかで講演会募集中みたいだけど
講師がことりとも発信しない中、主催者さん大変だとそこは同情しますね。


「発達障害、治った自慢大会!」も一応献本はしました。
だってあの4家族の皆さん、全員栗本さんに助けられているでしょ。
本も読んでいるし、じかに会っていて、栗本さんが発信してきた情報をカスタマイズして治っていった4家族。



だから「これは栗本さんのやってきたことでもあるよ」と手紙つけて送り出しましたけど、もちろんなんのリアクションも今に至るまでありません。

でもまあいいかな、と思ってました。
本はあるし。そしてその本を読めば私の20年来の希望であったあの4つの問題はもう治るし。小田原に行きたい人は行けばいいし。

花風社のラインナップも豪華になったし。

赤本が特殊な身体感覚を教えてくれて、神田橋先生が羅針盤を与えてくれて、愛着障害も治るし、原始反射の考え方も取り入れられ、そして地頭がよく発信力のある大久保さんが各種手法を血肉として全国駆け回ってご家庭に伝えている。
これを地味にマーケティングしていけばどんどん治る人が増えて、まあいいかな、みたいな感じでした。

あとは、愛甲さんの本を一冊出して
治った自慢をもう一冊やりたいな。
そうこうするうちに大久保さんの方でもケーススタディがたまるかも

みたいな感じで、自分の引退時期も見据えつつ、新しい人を増やす気はなかったのです。

でもまた出会いがあり

いっつもこうだったな、と思いました。
何かを見限ると何かが出てくる。

栗本さんはあの4つの問題を解決する知見を提供してくれた。

そして内臓や関節、水収支への注目を教えてくれた。

そして今度は骨と血流。
ここを整えてあげれば、勝手に発達していくなあ、子どもたちは

みたいなことを考えているのが今ここなわけです。

今度のことで混乱した人もいると思うし
栗本さんの信者筋になった人には私の変節が受け入れられないかもしれません。

それはそれでそれぞれの選択。

ただ、私の第一の行動原理は身内への忖度ではなく社会貢献です。社会貢献を、身内への忖度その他に優先させるのが私の思考回路みたいなんです。
その結果、冷酷に人を切るように見えるかもしれないけど
根底にあるのは「治る人が増えてほしい」です。

「治る人が増えてほしい」が行動原理の人はうちの著者の中に何人いるだろう。
神田橋先生は明らかにそうだし愛甲さんもそう。
そしてこのお二人とは私は切れていません。

私は社会的需要を真っ先に考えるから

だからこれまで栗本さんの講演会を主催するときにも、彼がしゃべりたいこと、彼のそのときのマイブームではなく「そのとき社会が何を必要としているか」を考えてテーマを設定していました。
本ももちろんそうです。

ていうかそもそも、あの4つの問題を解決したい、自体が大きなテーマだったわけです。20年抱えてきたテーマ。



それに応えてくれる人が栗本さんでした。

栗本さんはそういう私のプロデュースを離れ、今後は違う主催者のもとで活動されます。
きっとのびのびと、そのときにやりたいことをやるだろうしプロデュース側も栗本さんの権威のもとにそれを許すのでしょう。

皆さんは選ぶ側なので、選んだり選ばなかったり自由になさるといいです。

私の方は著者や講師を接待するのではなく、読者参加者のニーズを優先させる姿勢は変えないつもりです。
私にとっては、それこそ「仕事」なんです。




身体アプローチも発達する その4

2022-09-13 13:32:28 | 日記
もともと翻訳出版畑にいた私が、編プロ業務を経て取次口座を取り版元になって

ニキさんが翻訳者の卵としてやってきて、その人に手を引かれるかたちで発達障害の世界に入り

藤家さん等がやってきて当事者本を出し

赤本こと「自閉っ子、こういう風にできてます!」がヒットして岩永先生との出会いがあり感覚統合にコミットし

そこに飽き足らなくなったころに栗本さんとの出会いがありましたが

栗本さんと出会ったきっかけは栗本さんが「発達障害は治りますか?」をブログに書いてくれていたことで、障害児の体操指導やっているというので興味を持ち知り合いになり

そこから栗本さん時代が始まったわけですが

じゃあその「発達障害は治りますか?」ができたきっかけのひとつが岩永先生のお仕事であり

みたいに次々と出会いが生まれてくるわらしべ長者方式ですが

これは別に珍しいことではなく、事業が続くというのはこのわらしべ長者方式しかありえないんじゃないかと思うし、続いている事業やっている人にとっては普通なんじゃないかな。

ただこういう関係性を経験したことのない人、閉鎖的なコミュニティしか知らない人には私のあり方は理解不能かもしれませんね。

そして出会いがあれば別れもあり

むしろきっぱりと別れるときは別れた方が次の出会いがあるというのも経験上わかってきて

そうなると別れも怖くなくなる気がします。

前置きがくどくなりましたが今日の議題は原始反射で

あ、そういえば

栗本さんの奥様も元「灰ちゃんクラスタ」であり、灰谷さんの本を花風社が出したことによってなだれこんできてくださった読者のおひとりです。

あっち側のクラスタはライセンスビジネスの集まりですから愛着障害強い人も多く、私の姿勢に恐れをなして(笑)離れていった人も多いのですが

栗本さんの奥様は残った方で、それで出会いがあり、結婚されたので

栗本ご夫妻の出会いに寄与したのは

岩永先生
神田橋先生
灰谷さん
花風社
etc

といて

まあそれが人生だったりしますね。

さてなんだっけ。

原始反射だ。

それで灰谷さんが花風社にアプローチされた経緯はよく覚えていませんですがまあ身体のことやっていて無名の人(灰谷さんは無名じゃなかったけど。手広くライセンスビジネスをやっていらしたので。ただ私が知らなかっただけ)の本でも出すのが花風社くらいしかなかったんじゃないでしょうか。こっちは栗本さんの成功体験があるので。

それでまあ、お話聞いてみて

さすがにプレゼンとか上手で

私はすぐにぴんときました。これは紹介すべきだ、と。私が一番ぴんときたのは「恐怖麻痺反射」と「モロー反射」で

それは私が「ありえない恐怖感」が発達障害の人の生きやすさを阻んでいると常々感じており

神田橋先生の「胎児期愛着障害」でそれが説明され始めたときにこの「恐怖麻痺反射」と出会ったのと

あと神田橋先生が他の精神科医より治してしまうのはうつと双極性の鑑別が絶妙だということがあり

双極性の人を双極性と見抜くことによってうつの治療ではなく双極性の治療をするので治る、みたいなことを知り

それでモロー反射がぴったりきたわけです。

でも私はあの二つの反射だけでいいんじゃないかと当初思ったのですが

灰谷さんの方では他の反射も紹介してくれとおっしゃり

そうかあ、と思いつつ他の反射も本にしたら、それはそれで現場で役立ててくださる方も多く

今様々な事業所で「原始反射見抜けます、きりっ」みたいな指導をすることもあるくらい人口に膾炙したそうです。それはよかったね。

で、あの本はまだ売れているわけですが

灰谷さんと私はとっくに事務上の連絡のみの関係になっていて

それはなぜかというと、灰谷さんが私のファイティング・スピリットに恐れをなしたことで(ギョーカイやアンチに対する)

恐れをなしただけではなくちょっと揶揄気味な発言をされたので私が気分を害したのですね。で、最低限しか付き合わないことにした。

でもその後の展開を見ていると全く二人は別の路線をいっていて

灰谷さんは眼鏡を売り、なんだかいい眼鏡らしく花風社の読者も買っている方はいて

私も学習障害の人に視機能の問題があるのは理解するしきっと役立つんだろうとは思うけど

私としてはいぬこお嬢さんみたいに分厚い眼鏡をかけていた人が裸眼になるような方の展開が好みで

お互いひきずられなくてよかったと思います。

それで灰谷さんの情報はFBで見るだけですが

最近も大学と共同研究とか、そういうのを喜んでいて

男の人ってどうしても権威とくっつきたい野心があるんだな、とある意味感心しました。実は栗本さんにもあると思いますこれ。

そしてそういうところを目指すと私のようなファイティング・スピリット(笑)はむしろ邪魔だろうけど

私がこういう性格だから「恐怖麻痺反射トンデモ~」の嵐から恐怖麻痺反射を守れたのであり

灰谷さんには感謝してほしいと思います。しないだろうけど。

もっとも感謝されても私が恐怖麻痺反射を守り抜いたのは原始反射で儲けたい人のためではなく

読者のためなんですよ。

恐怖麻痺反射、という考え方はとことん守らなくてはいけないのです。

なぜなら、治りやすい切り口だから。

たとえば同じような現象をさしていてもHSPとか

ああいうのは治りにくい考え方なので、どうでもいいのです。

でも恐怖麻痺反射から入ると治りやすいので

それで私は闘ったわけですね。

灰谷さんは私の喧嘩上等なところを揶揄したけど

でも私は私がこの性格だから治る人が増えたと思っているので、いいのです。

続く


身体アプローチも発達する その3

2022-09-12 17:05:41 | 日記
さて、感覚統合を離れてコンディショニングにはまっていった花風社。

なぜ栗本さんは売れたんでしょう。
それを振り返ってみましょう。

本も売れましたけど(未だに売れていますが)
ご本人が全国に呼ばれるようになりました。
私がご一緒することもあれば、栗本さん一人で北海道から沖縄まで行って、大規模、小規模の講座をこなす。
九州に至っては
福岡、佐賀、長崎、鹿児島、熊本、宮崎等で定期的に栗本さんを呼ぶようになり「巡業」となるほどでした。

花風社が栗本さんを推したわけは、私が最初から解決したかったあの四つを解決できる人だったからです。

1 感覚過敏
2 睡眠障害
3 ボディイメージ
4 季節の変動への弱さ

「社会性の障害」と言われながらこうした身体上の苦労が社会性を阻んでいるところもあると私は見抜いていました。
だからそういうことを解決できる人を探した。
お医者はいなかった。
感覚統合もいまいち。
ところが基本無名の小田原のおっさんがその知見を持っていたのでした。
私は栗本さんを推しに推しました。

楽しかったですね~栗本さんが売れていくのは。
皆さんの「治った治った!」も当然嬉しかった。
そして
無名だった栗本さんが一気にメジャー化したのも嬉しかったです。

栗本さんがスターダムにのしあがったことが私に教えてくれたビジネス上のコツ。
それは「需要があればビジネスは立ち上がる」ということでした。
その需要を私はあらかじめ喚起しておいた。
2003年くらいからずーっと
「この四つの問題解決できる人がいないかな」と探していた。
公言しながら待っていた。

おそらくその時点で読者の皆様も、一緒に待っていたのです。
それで、「見つけました!」とご報告したら、皆さんどこの馬の骨ともわからんおっさんの初講座をあっという間に満員にするし、本ができるのも待ちわびるし、出来上がったらわーっと買ってくださるし、全国津々浦々に栗本さんに来てもらいたいとオファーが来る。

市場があれば、ビジネスは成り立つのです。
(当たり前のことですが
最近の栗本さんはこれを忘れているんですけどね(小声)。)

そしてその出会いの中で、ついにお嫁さんが見つかったのも嬉しかったですねえ。
栗本さんは強い意志をもって独身を貫いてきたわけではなく、結婚したい人でした。でも売れないうちはお金もないしなかなかチャンスがなかった。
それが売れるようになり、出会いが増え、そしてついにお嫁さんが来た!
どっかの生命保険の調査で「50までに独身の男性が一生独身である率は90何パーセント」とか書いてあって、「これはもうダメかな」と思っていた矢先に聴いた朗報だったので、本当に嬉しかったです。
そしてお嫁さんが仕事をやめて関東にやってきた以上、栗本さんはもっともっと仕事を頑張らなければいけないな、と自然に思っていました。

そしてコロナ禍。

の前に

次の階ではさらっと、原始反射について触れますわ。
あの本も本当にロングセラーになっていますし。

続く

身体アプローチも発達する その2

2022-09-09 10:15:42 | 日記
さて
#身体アプローチも発達する

今日は感覚統合との出会いと別れです。
ベテラン読者の方は知っている話だから読まなくていいです。
新しい読者の方は、花風社が今の(そしてこの先の)身体アプローチを「乗り越えて、統合する」プロセスですからお読みください。

~~~~~

赤本こと「自閉っ子、こういう風にできてます!」が評判となり、ニキ・リンコさんと私は方々に講演に呼ばれるようになりました。
その中に長崎大学の岩永竜一郎准教授(当時)からのお誘いがありました。医学部の先生ですが、ドクターではなく「作業療法士」というお仕事をされているそうです。そういう仕事すら私は存在を知りませんでした。だから岩永先生たちがやっている「感覚統合」というのも知りませんでした。

でも感覚統合というのが療育の世界にはあって、それは身体をみるらしい。
当時盛んだったのはなんといってもTEACCH、そしてその次がABAくらいで、TEACCH系の人たちとは私も親しくしていました。っていうか今では信じられないでしょうが、浅見淳子全方位外交の時代でした。全方位外交を使用と思ってしていたわけではなく、当時私には様子がよくみえていなかったので、なんとなく誰とでも仲良くしていただけです。それだけの話。
その後色々見えてくるようになると、かなり旗幟を鮮明にしてしまい、それに古参の読者や支援者は戸惑うのですが、むしろ私の資質が開花して全方位外交をやめたことにショックを受ける人が多かっただけですね。

さて、その感覚統合というやつは、療育の世界ではマイナーなようだけど、実践している学校の先生とかもそれなりにいて「これ、実はとても効果があるのにマイナーなんだよね」っていう感じでした。そして当時怖いもの知らずの花風社が岩永先生と本を作り始めると、やんややんやの嵐でした。一方で「エビデンスがない」という悪口もたくさん言われました。

私は何回か感覚統合学会にも出かけました。
そして作業療法士という人たちに好印象を持ちました。
身体のことをやっている人はわりと性格がいい傾向があります(私調べ)。例えば心理士とかは例外を除いてだいたい性格が悪いし、看護師は意地悪らしいし(私は入院経験ないので知りませんが入院中にいじわるされた話はよく聴きます)、ドクターはツイッターの医クラみてればお察しですが、作業療法士っていう人たちはとてもいい人が多いのです。岩永先生もそうでした。

でも彼らはマイナー意識があるから、感覚統合学会に行ってもなんか謙虚なんです。花風社は謙虚ではないので、「エビデンスガないじゃないか!」と言われると「エビ🦐うるせえな。そんなに🦐が好きなら🦐と心中しろ! こっちは治るから」というスタンスでやってきましたが、感覚統合の人たちはないエビデンスを必死に出そうとしていました。統計方面と機能方面両方で。

でも感覚統合がメジャーになることはなく、相変わらずTEACCHとかABAとかが大きな顔をしていたのですが、実際治ってしまうのはTEACCHとかABAとかに手を出しながらも感覚統合を否定しないおうちばかりでした。ABAオンリーの人とかは福祉ギョーカイへのベルトコンベアに乗ります。だから支援者にとって都合がいいと思います。マニュアル化しやすい上に治らない。

私が最初に治ってほしいと思った四つの点

1 感覚過敏
2 睡眠障害
3 ボディーイメージ
4 季節の変動への弱さ

に関しては、感覚統合は1・5個くらい治すかなという感じでした。
感覚過敏は治る人もいますが、治らない人もいました。今思うと感覚統合の感覚過敏の治し方はあくまで対症療法で、その後栗本さんなり灰谷さんなりが教えてくれたような根本から治すものではありませんでした。身体を動かした結果睡眠障害でなくなる人もいましたがやはり黄色本こと「自閉っ子の心身をラクにしよう!」ほどの劇的な効果はありませんでした。ボディイメージが治った人はいたかな? 季節の変動への弱さにはことりとも効きませんでした。
それでも私は感覚統合を応援し続けました。
なぜならその他の療育よりずっとマシだと思っていたからです。

でも感覚統合との間に秋風が吹き始めたのは、やはり栗本さんと出会う前後でしょうか。
上記四つの問題を解決できる方法を探し続けている私に対し、感覚統合は大々的にスケールづくりを始めたのです。
今思うと、彼らの生き残りはそこしかなかった。
なぜなら人々を治すより、なんとか医療の範囲内にとどまる方が、多くの作業療法士を食わせるには手っ取り早いからです。

読者の方の中にも、各種療育機関で、本人にも家族にもさほど益がないのに時間をつかわれて色々感覚や運動のプロフィールを取られた人がいると思います。
彼らはそれを10年かけてやりました。
そして結論は「発達障害の人には感覚運動の問題がある」とどや顔した。2002年くらいからわかっていたことです。

四つの問題が解決しない以上、私の感覚統合への興味は薄れていきました。
でもそのころ夫は大学で色々な一般向けセミナーみたいなのを企画していて、それに岩永先生を誘ったりして、岩永先生もご協力くださっていました。
でも私が色々誘っても、ぬるぬると断られました。
今思うと「大学なら受ける」ということだったのだと思います。

そして私が不思議だったのは、これほど治っている人が出てきているのに、全国を回る岩永先生は相変わらず治らないことを前提にお話されているようだということです。
治ってほしい私とは距離ができて当然でしたが私はなんの屈託もなくまだ友だちだと思っていました。
それで黄色本とかできたときに送りつけて「こんなすごい人が出てきました!」とか言っていました。

私が友だちだと思っていたために、栗本さんとかも岩永先生を慕っていて、直接ご挨拶したりしたそうです。
栗本さんは鈍くて気づかなかったみたいですが、傍から見ていた人によるとけんもほろろの対応だったそうです。
感覚統合的には栗本さんが嫌だったのだと思います。

でも岩永先生はある意味花風社に神田橋先生を連れてきてくれました。
連れてきてくれたのは愛甲さんですが、神田橋先生は岩永先生のお仕事に興味があったからこそ花風社に興味を持ってくださったのです。
そして神田橋先生が発達障害の世界に入ってきたのはとても大きい事なので、そういう意味では岩永先生の貢献も大きいですね。

まあそんなこともありましたが

やがて岩永先生とは決別し、花風社はひたすら治る路線へ。
感覚統合はせっせと作り上げた診断基準を売り歩いていました。
そして岩永先生は教授になられたそうです。医学部でドクター以外の人が教授になるのは大出世だそうです。
そして花風社も治る路線に邁進。治った自慢ができるくらいになりました。

路線は分かれましたが
めでたしめでたしです。

今感覚統合がどうなっているか私は知りませんし、興味もありません。

続く

身体アプローチも発達する その1

2022-09-08 09:11:31 | 日記
さて、「治そう! 発達障害どっとこむ」やツイッターで
#身体アプローチも発達する

のお知らせを始めていますが
身体アプローチも発達しています。
どこがどのように発達しているか、身体アプローチの歴史をひも解いてみましょう。

なぜ花風社が身体アプローチに興味を持ったか
それは私の資質にも関係するんでしょうね。
神田橋先生が「あなたは身体系」とぼそっとおっしゃったことがあって、それがどういうことかずっと考えていたんですけど
コロナ禍でわかったところがあります。

コロナ禍は色々、要らないものがわかりました。
一方で希求しているものもわかりました。
これは私だけではなく皆さんそうだと思います。
私は感心してしまう(呆れてもいる)のですが、「マスクにフェイスシールドにCOCOA」とかの条件を課されてもジャニーズをみたいジャニオタの皆さんがわが町には来ます。
「マスクにフェイスシールドにCOCOA」を課してくるなんて客を家畜扱いにしている、まともな自己肯定感があるのなら行かないだろう、と思うのですがお嬢さんたちは精いっぱいおしゃれして、それをマスクで台無しにして、でも来ます。
本国と全く違うマスク圧を客にかけているネズミーランドにも炎天下の中出かけていく人はいるそうです。

ジャニオタの皆さんとかはきっと「イケメン」とかが好きなのだと思います。
私はそんなにイケメンを珍重しません。わりとどうでもいいです。
男性に求めるのはそれよりも肝が据わっていることとか、頭が切れることとか、そういうことであって、あまりルックスは重視しませんし、逆に男性がルックスで売っている人は軽佻浮薄に見えるという昭和のおばさんです。

逆にコロナ禍で色々な不要なものを取り去った私が大好きになったのは遠乗りとかで
そういう意味で身体感覚から楽しみを得るという意味で私は身体系なのだと思います。
神田橋先生が見抜いたのはそこなんだと思います。

まあそういう身体系の私が出版界で生きてきて
そして偶然ASDの人たちに出会いました。
私は変人が珍しくない(そしてサバイバルしていける)出版界に生きていましたので、ASDの人たちのへんてこな言い分はあまり気にならず(むしろ面白がり)それよりも身体が弱いのが気の毒でした。
中でも私が信じられなかったのは
感覚過敏とか、夜眠れないとか、季節によってすごく体調が違うとか、そういうことです。
あとから知ったのですがこういう不調は普通の人でもよくあることだそうです。台風が来ると体調崩すのも自閉っ子の専売特許ではなかったようです。
ところが私にはそういうのが全然なかったし、同じような遺伝子を分け合っている生家の家族にもなかったし、結婚した相手にもなかったし、そもそも激務をこなしている(こっちの)ギョーカイではそんな人見たこともなかったのです。
だからこれは大変だ、と思いました。
自閉症は身体障害だ、と思いました。
社会性の障害とか言われているけど、これだけ体調に変異があれば、社会性を我々と共有できないのは仕方がない。
それを治すお医者さんがどっかにいるのだろう、と思いました。
病気をしなすぎて、医者とは縁がなさすぎて、医者は病気を治す人だと思っていたのです。

そういうお医者さんは見当たらなかったけど
とにかくそういう現象があることをまず知らせようと思い作ったのが「自閉っ子、こういう風にできてます!」こと赤本です。

それが評判になり、方々に講演で呼ばれることになりました。
それで私は、知らず知らずのうちにこのギョーカイの中でプレイヤーになっていました。
自閉症は身体障害という仮説は人々の気持ちを軽くしました。
おどろおどろしい障害ではないということと、何か手だてがありそうだということで。
それと身体面が違うから配慮しなければならない、という理解が広まった上には、花風社の貢献は大きかったと思います。

続く

臨機応変 奄美海水浴旅行ご報告 その3

2022-09-04 08:40:01 | 日記
朝起きると風は弱まっていました。
波は若干高いけど、荒れているとは言えない。
ということで私たちは朝食後、海に出ました。

昨日まではなかった波に乗るのが面白く
ボディーサーフィンを楽しみました。
昨日は露天風呂だった海が今日はサーフィン会場へ。
面白いですね。
海況をコントロールすることはできません。
あるものを楽しめばいいのです。

時折顔に水を浴びて、いっぱい海水も飲みながら、揺れる波を楽しみました。
我々は平気だけど、まあお子さんには勧めない程度の波かな。

他に人はいませんでしたが
やがてお子さんを連れたお父さんが。
もしかしたら「今日は波が高いからダメ」と言っていたのに
「あのおじさんとおばさんは泳いでるじゃないか~」とかせがまれたのかもしれない。だとしたらごめんなさい。

お父さんは考え抜いたのでしょう。
お子さんを一人ずつ交代で浮き輪にいれ、自分の腰くらいの深さのところでそれを紐で引っ張ってお子さんを波間に揺らす作戦をとっていました。
あれだとまあ、安全確保できます。
お父さんお疲れ様です。
でもお子さんたちはめっちゃ笑顔でした。
きっといい思い出になったはずです。

海からあがり、我々は空港へ送ってもらいます。
すでにホテルは台風によるキャンセルを食らっていました。三日間ほぼクローズドになりそう。慣れているでしょうけど、でもしょぼんとしていました。
こうやって民間ビジネスは状況のもたらす浮沈に耐えるのです。
それが当たり前なのです。
自分たちの需給に合わせてああしろこうしろと他人に制限かけてくる医療は本当に傲慢だと思いますね。
発熱患者をみず追い出して💉に励み、発熱外来という利権ができると眼科まで発熱外来に乗り出した医療従事者の汚い根性を皆忘れないようにしましょう。
彼らが自由を制限されても当たり前だと思います。自分たちの利権のためなんだから。ただ家族はお気の毒ですね。とくに子ども達。

空港のマスク圧はまた〇。
お孫さんにでも会いにいくのでしょうか。最初っからマスク着用など考えてもいなそうな島のおばぁ。
日焼けして顎マスクでビール飲みながら大声で釣果を誇りあうおじさんたち。楽しい休暇だったのでしょうね。
成田からの飛行機は無事に着き、機材繰りの心配もなく機内へ。
うつらうつらしていたら成田に着きました。

それから東京駅行きのバスへ。
こんでいるので別々に座ります。私の隣は咳ばかりしているおじさん。
嫌がる人もいたのでしょうね。そこだけ空いていたのです。
私は「ありえない恐怖感」を持っている人が嫌いなので、他人の咳とか怖がる人は基本的に「頭おかしい」と思っています。
シンプルに、他人の咳がいやだったら外に出るなと思いますが。
私は普通にノーマスクで乗りました。その方が「あなたの咳気にしてませんよ」と安心メッセージを伝えるでしょうし。だいたい午前中いろんなもののうようよしている海水をさんざん飲んできたのですから、今更ウイルスがのどにたどりついてもほんのついで。飛沫なんかおそれず粘膜でやっつけてやればいいだけです。迎え酒ならぬ迎え尾身クロん。

帰って、7時から9時に指定していた荷物を受け取りました。
ふるさと納税の豚肉と、高松からのおうどん。
サラダを作ります。今着いた豚肉を軽く解凍してしゃぶしゃぶとアスパラ肉巻きを雑に作ってグリルへ。
なんだかかっこうのついた夕食になりました。

母にようやく連絡取れたのは20時過ぎ。
電話をすると、出ません。
ここで考えられるオプションは
A 佐川男に逆恨みされ惨殺された

Z 今日はエアロビの日なので疲れて寝ている

まで各種バリエーションがあるわけですが、私はZを選択しました。
っていうか身体で選択するとZになる。
無駄な心配をしない。恐怖を抱かない。そして身体で選択すると当たる。これこそが身体アプローチの成果だと思うのです。
みんながもっと身体アプローチすれば、他人をばい菌扱いする人も減るのではないかな。

次の日、朝七時前にもう母から電話がかかってきました。
思った通りZが正解でした。
それだけではありません。
母は自力で不当に高いサブスク契約を断ち切っていた。
佐川急便の担当が人当たりのよい平成の若者に変わった。
そして佐川急便がなぜか突然返金に応じた。

私はLINEで進捗状況を知らせていたのですが、母はLINEを読んでおらず、なぜ急に返金されることになったのかよくわからなかったようです。

母は言っていました。
今度のことで学んだのは「交渉ってしていいんだな。するものなんだな」っていうこと。
これを「誰かの言うことをきく」ことでサバイバルしてきた世代は知らないし、街を行くマスク民を見る限り、若い世代も知らないみたいですね。
でも納得できない言い分にはきちんと歯向かうのは権利だし、自分を守ることでもあるのです。
これが本当に自己肯定感だと思うのですが、日本人には自己肯定感がないことがよくわかったコロナ禍です。

母はまた(母にとっては)不思議な体験をしていました。
基本忖度マスカーの母ですが、先日ナチュラルに忘れて出かけてしまったそうです。
道行く人には当然何も言われないけれど
バスに乗ろうとしたときはっと気づいて「乗っちゃダメですよね」と運転手にきいたら「どうぞ」と言われてびっくりしたそうです。
私に言わせたら当たり前なのですが。というかそこで乗車拒否したらまたクレーム入れるべき案件ですが。

他人の設定したルールを守るべき、歯向かうべき基準は何か。
それも身体感覚が基準です。
その身体感覚を大切にしない日本人。
だから自分を大切にできない。自分を毀損してくる他人の言いなりになる。
私は奄美のビーチで腹ばいになっていたとき、そのことを思い出しました。

プーケットの浜辺では寝椅子を貸し出して商売している人たちがいます。
100バーツ払ったら一日寝椅子を貸してくれる。
ところが欧米人はそれを借りずビーチに寝そべっていることが多かった。
これは節約のためかと思っていたのですが、結果的に直接寝そべった方がアーシングになりますね。

もっとも欧米人には節約の理由があります。
何しろ休暇が長いので、その分お金がかかるのです。
だからランチとかもパンかじっておわり、みたいな人も多いです。

そもそも、なぜ日本人は経済大国なのに(だったのに)
欧米のような数週間の休暇が許されなかったのでしょう。
ドイツ人なんか「最低四週間は休まないとリフレッシュできない」とか言っています。日本の企業勤務の人は一週間取れればいいほうじゃないでしょうか。

このあたりから「日本は人を大切にしない国だ」ということはわかっていた。
保健所が手抜きのため酸欠を人に押し付けて恥じない国なのです。
それをつくづく思い知らされたのがコロナ禍ですね。

とはいえ我々も日本人として貧乏性になっているので
二泊三日の短い旅ですっかりリフレッシュしました。

帰ってから四日経ち、その間にまた新たな動きがありました。
いいお知らせもたくさん入ってきています。
海水ものみ、他人の咳も浴びましたが
今最大の体調不良は、鼻の頭の皮がむけていることですね。

またまた楽しい海水浴旅行でした。





臨機応変 奄美海水浴旅行ご報告 その2

2022-09-03 08:20:55 | 日記
さて、明けて二日目。とってもいい天気です。
梅雨時は独占状態だったビーチも、数人人がいます。ここでは千客万来な感じ。
でもみんな、途中でいなくなるんだな。どこか行ってしまう。
ずーっと海にいるのは私だけです。(冒頭の写真には実は私が映っています。わかりますか?)

これは色々なことに言えますが、みんなお金かけて遊ぶのが好き。
海で遊ぶにしてもすごいいっぱい道具持ってる。
それと見学が好き。海だけでは飽き足らずどっかに行ってしまう。
私はずーっと身一つで遊ぶのが好きです。



色々な遊び方をしました。
もちろん泳ぐ。
ガチに沖まで泳ぐことも地球金魚することもあればふらふら漂うこともあり。
今年も流れてきている軽石を波間に広い、指で潰す。
お魚をみる。
そしてみんなが大好きなアーシングも。
仰向けで空をみたり、うつ伏せでカニを目で追ったり、軽石団子を作ったり。石を掘り起こして海に投げたり。
電磁波とかなんとかはわかりませんが、砂は温かくて気持ちいい。

午前中さんざん泳いで正午近くに部屋へ。
時間は太陽で判断するのも海遊びのときだけ。都会ではスマホを見るけどここではお日様の位置で判断する。
原始人ぽいです。

ランチではワインを一杯。
そのあと昼寝して、一番暑い時間帯は屋内で。
これもいつものことです。
そして夕方近くなってからもう一度海に入ると、午後のお日様に照らされた海水はまるで温泉のようになっていたので、浜辺でゆらゆらと露天風呂みたいにつかったりするのも気持ちよかったですね。

本当に海一つあれば、道具なんて何もなくても遊べます。
すっかり日焼けして引き上げ、ディナーへ。
締めはまだ汁(いかすみ)です。
これおいしいよ、と勧めてあげたらおいしくて夫がすっかり気に入ったようです。



そしてまた早く寝て、途中起きて、星をみました。
台風は大東島あたりにいるらしい。
風が強くて波音も荒い。
明日は泳げないかもなあ。でもまあいいや、さんざん泳いだし。
と思って再び眠りにつきました。

続く



臨機応変 奄美海水浴旅行ご報告 その1

2022-09-02 07:08:12 | 日記
今年の夏は夫に予定が色々入っていて、主に地元でサイクリングしていました。
新車買ったばかりだし。
手の甲がグローブ型に焼けています。
でも8月の最後、お子さんたちの夏休みが終わるころ、奄美大島に二泊三日の旅を予定していました。
8月29日~31日です。
予定しておいても台風が来たらおじゃんなのが南の島への旅ですが、それはまあ仕方ありません。
コロナ前にタイに通っていたのは、台風で日程が左右されないのもありますね。

8月25日木曜日、母のジムがお休みの日です。
っていうわけで木曜日は母を訪ねることが多い。
金曜日は母のお気に入りのエアロビレッスンの日らしいし、土日は私、夫に付き合っていることが多い。
ので「今度来られるのは旅行後かなあ」と母にしばしの別れを告げてきました。

ところが日曜日、なぜか母を訪ねる気になり、行ってよかったです。
「帰ってから話そうと思っていたけどひどい目に遭った」というのです。
平和な母の人生に起きるひどい目とはどういうことかというと、荷物の配達トラブルです。

私は知らなかったのですが、引っ越し時住宅メーカーにうまく言いくるめられたのか、母は必要のない(としか私には思えない)設備関連のサブスク契約をしていました。
そろそろ次のがくる、と思っていた矢先にカードの支払いが先にあったそうです。普通は後なのに。
ので、メーカーに問い合わせると「あ、今日出しました!」みたいな蕎麦屋の出前みたいなことを言われたそうです。
それで意識してしばらく待っていたけれども、来なかったそうです。
伝票番号とかそういう仕組みを知らなかった母は、メーカーに電話をすると「佐川急便が届けてハンコももらっている」ということでした。で、母は家探しをしますが、どうしても受け取った後がありません。第一発送後一生懸命待っていたのです。
それで佐川急便の配達員にきいたそうです。
ちなみに母は佐川に限らず暑い中配達してくれる配達の人には時々ペットボトルの飲み物を差し入れしたり、そういう心づかいをしていたそうです。そういうときはすごくお礼とかいうらしい。だから気心が通じていると母的には思ったのですね。

ところがその配達員はいきなり玄関内に入ってきて、後ろ手に扉を閉め、「俺に弁償しろというのか!」とすごんだそうです。
母は怖くなって、危害を加えられるのではないかと怖くなり、ひっこめてしまったというのです。

そのあと佐川の上司が来たそうです。
そしてうまいこと言いくるめて、佐川側には責任はないと母に認めさせサインさせたそうです。

愛甲さんは『愛着障害は治りますか?』の中に、昔は愛着障害じゃないと生きていけなかった、と書いていらっしゃいます。
それはどういうことかというと、何かに従い、逆らわないことで無難に生きてきた人が多かったのが昔の日本です。
母は納得いかなかったそうですが、「配達員に殴られたりするかもしれない」と佐川の責任追及をあきらめたそうです。
でも釈然としない思いを抱えていたところ、日曜日に私が来たので全部話してくれたのです。

私は当然怒りました。
損害賠償を迫らない、と母がサインをしてしまったのはまあ、仕方ないかもしれない。
でもその佐川男が無断で玄関に入ってきて扉を閉めたのは不法侵入だし、110番してもよかったくらいです。
母はやってきた佐川の上司に「配達員が怖いから荷物をあきらめる」と言ったそうです。それを受け入れる佐川ってなんなのよ。誤配かもしれない件を年より脅してあきらめさせるのかよ。
そもそも損害賠償をするとしたら佐川急便本体であって(あるいはメーカー)その配達男は一円も払わなくていいはずです。宅配便の伝票にはそもそも責任限度額が書いてあったと思いますが。
そういうことを私は説明しました。

「でも強く言ったら殴られるかもしれないじゃない」と母は言いました。
「あのねえ、佐川の配達員が荷物トラブルで高齢者殴ったとか言ったら、社長が謝罪会見するくらいの不祥事ですよ。それはない」と私は言いました。
私がなぜかもっていなくて、多くの日本人が持っていて、発達障害の人が色濃く持っている「ありえない恐怖感」は母にもあります。
母は私がノーマスクなのも心配しています。感染ではなく「誰かに殴られるのではないか」と心配しているのです。きっと多くの人が忖度マスクをしているのをみると、同じような心配をしている人も多いのでしょうが、これこそ愛着障害。殴ったら殴った方が悪いから警察に突き出せばいいだけです。恐怖が染みついている人は、そういう当たり前の考え方がなぜかできないのです。
そしてそういう日本人にありがちな恐怖心をまんまと利用されて、今回の敗戦に至りました。


でも、アプリオリにマスク警察に負けている人は、アプリオリに卑怯な行為を肯定している。そしてその自覚もないんですよね。

というわけで今回の佐川急便は許せません。

「なんで私を呼ばなかったの」と言ったら「出発前で忙しいと思った」とのこと。
でもこれは私がやれば五分で済む件です。
というわけで帰って佐川のサイトにアクセス。
損害賠償はあきらめるにしても、その配達員は替えてもらわなくてはいけない。
同じことやったら110番するよ、と警告もしなくてはいけない。
佐川のHPにはSDGとかなんとか書いてあって、あ~うさんくさいと思いつつ、かっこつけでやっているSDGにも関連付けたクレームのメールを送りました。本当に私がやったら所要五分。

そのあとはそんなこと忘れて、夫とかんぱ~いして旅行の前夜祭。
寝る前にスマホをみると留守電が入っていました。
日曜日でも対応したかあ。大企業コンプライアンス大事だもんね。
でもまあこっちからコールバックはしません。明日は飛行機に乗っている時間帯も多いから電話つながりにくいけど、帰ってきてからでいいや。

明けて成田に向かいます。
空港はもうマスク圧なし。
機内はお子さんもたくさんで、親がコロナ脳でも医療従事者でもなく、親ガチャにあたって奄美大島に遊びに行ける幸せな子たちが楽しそうでした。医療従事者の行動制限は自分が儲けるためだから自業自得だけど、家族の、とくに小さな子ども達の夏休みが三年間インドアになるのは本当に気の毒ですね。
でもここに来ているお子さんたちはラッキーなお子さんたち。
以前のように静まり返った機内でもない。

飛行機は順調に飛んで、晴天の奄美大島へ。
さあ、遊ぼう。
西日本に行くはずだった台風が南に向かってきているみたいだけど、影響受けるとしたら最終日かな。
一応飛べないことも想定し、色々な資料をクラウドに納めてきましたので帰りが延びても大丈夫。



宿に着き、海に出ました。
そしてゆったりと泳ぎました。夕方になるまで。
気持ちいい~。
海水がお湯みたいにあったかい。
私は梅雨時の奄美でも、五月の横浜の屋外プールでも泳いで
つまり水温が20度あるかないかくらいから泳いでいますが、風邪一つ引かなかった。でも8月の末、夏の日差しをたっぷり浴びた後の海水はお湯みたい。泳いでいる魚が煮魚にならないのが不思議ですが、ああこれが熱帯魚なんだなあ、なんて思いました。
でも海水温度が上昇して台風になるのよね。

海から上がりシャワーを浴びてディナーへ。
スマホをみると佐川急便からメールが入っていました。
電話がつながらなかったので、というお詫びのメールと
配達担当員は早急に替えてくれるとのこと。
よかったよかった。
通販の多い今、なんだかんだ三つの宅配業者を出入り禁止にはできませんからね。

私は安心して早々に眠りにつきました。
一時くらいに目が覚めたので外へ。

満天の星空。
星って本当に瞬くんだなあ。

ひとしきり星空を楽しんで
そしてまた眠りにつきました。

続く