さて、もえさんからいただいたコメントを引用してお返事しましょう。
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ヘディング楽しいです (もえ)
2016-05-30 20:41:22
浅見さん すみません、もえです。ヘディングしてて返信遅れました!これ結構楽しいです。(安上がりにビニール袋にしました)そうですね…セクハラはいかんです。気を付けます。そうなんですね、ハイハイしないと駄目なんだ…。でも信念はこれからがんばれるみたいだから頑張ります。有り難うございます!
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ハイハイしたかどうかは別にトンデモでもなんでもなく普通にエビデンスベースドなアセスメントで訊かれるでしょ。そりゃそうです。「発達障害」と限定せず子ども全体の発達をみるときハイハイしたかどうかは大きいみたいですもんね。
そんなのインチキーーと決めつける態度は科学的じゃないですね。
ていうか「なんでハイハイがそんな大事なの?」と思ったらやってみればいいんじゃないの? 今自宅にいるのならできるでしょ。そうしたら、なんで二足歩行の人類が直立する前にこの段階を経るのか身をもってわかりますよ。この「身をもってわかる」やり方を試さず頭だけであれこれ言ってる人たちが療育うまくいってないでしょ、だいたい。
でもね、そういえばハイハイしなかったわが子が今発達凸凹の様相を見せているとき、「あのときハイハイさせなかったから」という後悔を感じたくなかった人は一生懸命「トンデモ」と片づけるのかもしれない。でもそれこそ親のせいではないでしょ。親に知識があったらやれることはあったかもしれないけど、その子はハイハイをしない身体だったんです。
だからこれからの人にはね、ハイハイをしない身体を持って生まれてきた子を自然に遊びの中でハイハイに導くなりなんなりして子どもの苦労を減らしてもらいたいのよね。だから今度の新刊も出すのよ。
今度の新刊は、たとえばハイハイしないことが、身体機能だけじゃなく
・学習能力
・情緒
とどうリンクしているかとその対応法が書いてあります。小学校入って板書取れない子が実はハイハイしなかったなんてありがちな話だからね。そしてそういう人は「どれが私の資質でしょうか」とか他人にきいてしまうかもしれない。
私のハイハイ話を母に聞いたことがあります。私も実はハイハイする期間は短くて立つのが早かったらしい。そのまんまだと学習障害様相を呈したかもしれないですね。ところが私は立ったあとハイハイを再発見したらしく、ていうかふらふら直立するよりハイハイで精力的に動き回れることを発見したらしく、それはそれはハイハイで部屋中行進しまくりその様子は今でいう「ルンバ」のようだったそうです。
そもそも言語で食べている今の私ですが、実は言葉はそれほど早くなかった。それより排泄の自立が早かったそうです。これはアスペルガーの人とかと逆じゃないかな。まあルンバのごとくハイハイを精力的にやっていれば、排泄の自立はカンタンだったでしょうね。
私はもりしーさんの本を作ったときでも中に出てくる遊びを一通りやってみましたが
今度いかがわしいおっさん(New!)の本を作るときももちろん一通りやるんですよ。ヘディングもね、ニトリで買ったボールでやりましたよ。そして発見したけど私はヘディングが上手。ラリーできるのよ。
たぶんこのヘディングが上手なところが、自閉症者に迷惑行為されたとき裁判起こしてきちっと落とし前つけられるところとかにつながるのね。そしてノーの言える人は愛着障害のリスク低くなるからね。私が愛着障害と縁が薄いのはルンバ的ハイハイからのヘディング上手とつながりがありますよ。
このように今度の本は、身体機能と学習機能と情緒、そしてコミュニケーション力のつながりが書いてあります。
そしてもえさんがハイハイをしなかったとしたらそれは「ダメ」じゃないの。
もえさんは今、しゃべれて字が書けるからここにも書きこみにくる。言語能力はそこまで発達した。
でもハイハイを抜かしたことで「ヌケ」があったの。
それで苦しいかもしれないの。
でもそれは「ダメ」じゃなく「ヌケ」だから取り戻せるのよ。だってヌケてるだけなんだから。
そのヒントに新刊がなるといいと思います。
それと、新刊と一緒にあの本買おうこの本買おうと検討してくださる方が毎回多いんですが、よろしければ、まだ読んでいない方
「伸ばそう! コミュニケーション力」と新刊は相互補完になりますのでどうぞ。
それと、愛着の問題を考えるうえでも、花風社の成り立ちを考えるうえでも
「自閉症者による犯罪を防ぐための提言」は読んでね。
主体性について考えられるから。