治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

治りたいのに言いだせない

2016-02-29 08:25:51 | 日記




FBの友だち申請。
送ってもらっても気づいていないことも多いです。
だからメッセージくださると助かります。

皆さんFBFの範囲に様々な方針をお持ちのようですね。
「リアルで知ってる人限定」とか。
私の場合、気分で決めています。だから、承認されなくても気にしないでください。そして私のことよく知らなくて申請してきた人には「暴言多いからいやだったらいつでもブロックしてね」と言っています。割と好き放題言ってますから(当社比)。

それでもびっくりするのは
「発達障害は治らない」とか
「佐々木正美先生大好き」とか
そういう人が私に友だち申請してくることなんですが

なんでだろ~と疑問を投げかけたら
「情報がほしい、あるいは本当は治りたい」のではないかと教えてくれた人がいて

なるほどそうか~と思いました。

私はね、多様性を社会に求めるのなら

まずは「治りたい」という人を否定しないギョーカイになればいいのにと思いますよ。
本当は治りたいのに「治りたいです」って言え出せないことは、私の住んでいる文化圏にはまずないんですが
どうやらよそんちの食器洗い機にあれこれ言うような土壌だと(地域的非地域的な両方の要素で)
本当は治りたいのにそれを言いだせない人も多いんでしょうね。

治りたい人は素直に治りたいって言える土壌を作る。
それがギョーカイ人が望む「多様性を許容する社会」の第一歩じゃないかしら。
コメント (3)

聴覚過敏って治りやすいんじゃないか仮説

2016-02-27 10:53:35 | 日記




さて、「芋づる式に治そう!」って提唱している花風社ですが
どうも最近皆さんからのご報告を聞いていて思うのは



「もしかして聴覚過敏ってわりと早めに治るのかな?」

っていうことですね。
いや、「聴覚過敏治したい!」と言って身体アプローチに取り組む人は少なくて
もっといろいろ困ったことがあって(認知とか情緒とか)そっちを目的にコンディショニングとかやっていると
最初に治るのが聴覚過敏だったりするような気がします。

でも先日メールをくださった読者のように
聴覚過敏がなくなると学校にいられたり友だちと街に出かけられたりして
そうすると当然行動面、社会性にもいい影響が出る。
いわば聴覚過敏が治るって
芋づるの端っこをつかむみたいなもんなんですね。

こよりさんもブログに書いています。
こよりさんのブログ久々に更新されていますから
皆さんどうぞ行ってみてくださいね。

コメント

よそんちの食器洗い機

2016-02-25 11:16:28 | 日記




昨日アクセス上がってた記事にこれがあり

ああ、これ、「私は何を猿烏賊文化と思っているか」うまく説明しているなあと思いましたのでそのあたり考察。

ニキさんはね、岩永先生と出会って感覚のプロファイルというスケールがこの世にあることによって、それまで自分でしていた様々な生活上の工夫が「贅沢ではない」と確かめられたんだそうですよ。
それまでたとえば、自由業者として駆け出しで子どももいない家庭に食器洗い機を導入するのにためらうというか贅沢と思われるんじゃないかというかとにかくなんかそういう思いを抱いていたみたいで。でもさ、世の中には感覚のスケールがあってそれによるとニキさんは配慮が必要な人でその配慮のために食器洗い機導入、ということなら正当化されるでしょ、みたいなこと。その経緯が載っているのがこの『続々自閉っ子、こういう風にできてます!』ね。
さっきFBで、巻末も充実しているし環境づくりに役立っています! というお声をいただきました。

それにしてもねえ
「駆け出しの自由業者が食器洗い機を買ってもいいのか」というニキさんの逡巡。

私はこれずっと、罪悪感の強さ由来だと思ってたんですね。
でもどうやら違う、というかそれだけじゃないみたい。
これがわかったのが私が猿烏賊騒動を経験してからです。

幼稚園から小学校にかけて、私は三年間だけ父の転勤で大阪市内に住んでいました。うちの父はいわゆる旧財閥系の会社に勤務していたのでそこんち(あ、気がついたらあさの実家だ!)が持っていたお屋敷のあとに鉄筋のアパートいっぱい建ててそこのグループ会社の社員がたくさん暮らして社宅として使ってたわけです。私はあの家は好きだったよ。同年代の友だちがいっぱいいたしもとはお屋敷の敷地だから遊ぶ場所にことかかなくてね。

でもね、ある日学校で男の子に言われたんです。「おまえんち貧乏だな」って(たぶん大阪弁でね)。なんでかっていうと、アパートに住んでいるからだって。

私は自分ちが貧乏かどうか情報を持っていなかったので(家では貧乏だとも金持ちだとも教えられていなかった)家に帰って母に「貧乏だって言われた」って言ったんですね。「アパートに住んでいるからだって」って。

そうしたら母が「横浜にきちんとおうちがあるんだって言いなさい」って言うからその男の子に翌日言いました。そうしたら黙ってた。どうやら「きちんとしたおうちを持っているかどうか」を重視する小学生だったみたいです。かわいくなーい。

その男の子のおうちは、一戸建て原理主義者だったのかも。そして家庭の中で「一戸建てに住んでいる住んでいない」で人を値踏みするようなおうちだったのかも。でもうちは違ったっていうこと。横浜のおうちに住んでいた時も、うちは一戸建てでえらいのよ、近所のアパート住まいの人は貧乏なのよとかそういう教育されなかったもんね。それだけまあ、うちの両親はマトモだったっていうことです。

今考えると、この大阪での体験が大きいんでしょうね。私は他人の財布とか持ち物とかに過度な関心をもってしかもそれをあからさまにする文化をなんか「いやなもの」と感じるのです。吉川徹に「花風社に儲かってほしくない」と言われたときの超違和感もそれ。そして猿烏賊たちが見せるぶしつけな関心もそれ。東海地方では嫁入り道具近所の人にご披露するらしいけど、そういう習慣のない地方もあるわけで、そこでは「おたく食器洗い機ある?」なんて関心を寄せること自体が無礼なわけ。

まあそれは、地域性はあるのかないのかわかりませんよ。YTも相当他人の懐に興味あったみたいだけど、彼は箱根の東の人だしね。ただ文化によって「関心を持って許される」ところの人はゆるい発言をしやすいでしょうね。なんの悪気もなく。それをそういう習慣がない文化圏の人はね、とても侵襲的に感じるのね。

そしてニキさんはきっと、他人の持ち物に興味を持つことがそれほど禁忌とされていない文化の中で(地域的にか地域じゃない要素的にか知らない)育ったんでしょうね。だから「仕事もまだあまりなく子どももいない主婦が食器洗い機を持つことは贅沢だと思われるかも」という発想をした。でも感覚プロファイルについて知って「ああやっぱり買ってよかったんだ」と思えたのならそれはそれでよかったね、と思います。

だからね~、あれがほしいこれがほしいと言ってて「贅沢だ」って言われている人(とくに学校でありそう)はあの本活用するといいですよ。ちゃんと医学的な裏付けがあるってわかるからね。

でもその文化がない場所で育った私にはよくわからなかったんです。ほしくて買えるものは買えばいい。それに誰が突っ込みいれるのかって。突っ込み入れる方が無礼でしょ? って。そこがニキさんと私の違い。「突っ込み入れられたくない」ニキさんと、突っ込まれると「あんた無礼じゃない? 恥を知れ!」とやり返す私。

でもね逆に、突っ込み入れる人が日本全体でそれほど多いのなら、感覚プロファイルを防衛のために使える人も多いってこと。そういう意味で一般にスケールが公開されているのは大事だし、そしてこの本も貴重ですよ~。

誰が突っ込み入れるのかは、猿烏賊の発見のあとわかりました。世の中には「自分がもっていない」というだけで、他人にもそれをもつのを許さないという実は人間として恥ずかしい状態を平気でさらす人たちがいて、しかも集団になると恥がどんどん消えていくみたいね。
これがまた、私が持っているのと違うギョーカイトラウマを多くの保護者にもたらしていますよ。それギョーカイ人はわかってるかな? だいたいギョーカイ人はね、「聞き分けの悪い方の味方」であり、できる方の人たちはギョーカイが嫌いになっていくのよね。

そしてそれとともに、大阪の「おまえんち貧乏だな」って(たぶん大阪弁で)言った少年のことを思い出しました。そういう文化は継承されていくのね。

たぶんこういう意味で、猿烏賊と私の溝は一生埋まらないんだろうな。

さて次回はどんなネタにしよう。
「やはり吉川徹をただの気のちっさなおっさんにしとくのはもったいない」っていう話にしましょうかね。
それとも昨日の棒人間会議の話にしようかな。

あ、事務連絡。
・次回コンディショニング講座は5月22日に決まりました。
・元テロリストさん、20周年の贈り物ありがとうございます。元気になってくれてうれしいですよ。

コメント

情熱大陸と元戦友

2016-02-24 15:17:07 | 日記






2月22日の夜行われた饗宴の様子が画伯のブログでわかります。
美味しく食べて、楽しく笑った夜でした。
何に笑ったかというと、もちろん画伯のダジャレではない。南雲さんの出演したテレビ番組の話から突然「オレ、情熱大陸に出たいんすよね」と言いだした栗本さんが話題の中心でした。最近の○○の報告などもあーり。ダジャレより天然の方が強いです。天然最強。画伯はすっかり栗本さんにもっていかれて不満げでした。

南雲さんのテレビ裏話に関しては画伯のブログでよくわかりますね。
いい番組だなあと思ってたけど、さすがにきちんと作ったんですね。ああいう作りの番組が増えると理解の輪が広がりますね。
もしかしたら南雲さんが情熱大陸に出る日の方が早いかも。そうしたら脇役でちょっと出してあげてね、栗本さんを(笑)。

もうひとつみんなで笑った話の中心はそこにいない人。
っていうか何年も会っていない人。
そう、辻井大先生でした。辻井大先生による「集団ブロック事件」をうちの夫に報告したのです。元は「参加費無料で参加者ゼロ」の講演会をちょっといじったことに始まり、気がついたら著者のみならず一般読者まで辻井さんに総ブロックされていたっていうね。

何しろうちの夫にとって辻井大先生は元戦友。ともに別々の地裁で、YTあてに裁判を起こした仲ですから。辻井さんもね、「このままでは次世代の自閉っ子のためにならない(キリっ」っていって名古屋地裁でYT相手に名誉棄損の民事訴訟を起こしていたのね。そして私たちは東京で民事と刑事、両方提訴告訴していた。そして提訴で勝っても被害は止まらず、ついに刑事が起訴まで至りあっちに国選弁護人がついたときですよ。実は辻井さんが「謝罪文」とかいう自閉の人にはきわめてわかりにくい曖昧なものと引き換えに和解していてしかも私たち夫婦にそれを黙っていたっていうの知ったのはね。

当然国選弁護人は、私たちにも和解を持ちかけてくるわけです。辻井さんも和解してくれたんだからね~とか。謝罪文かなんかと引き換えにね。でも私たちは謝罪なんかしてほしくなかった。二度とやってほしくないだけ。そして、自閉の人を取り巻く人たちに「あれだけやったら有罪になるんだ」とわかってほしいだけ。だから和解はありえなかった。「具体物」じゃないでしょ。だから最後までやりましたよ。

「辻井さんだらしないねー」と言いながらね。
「このままでは次世代の自閉っ子のためにならない(キリっ」はどこいっちゃたんだろう。

だからまあ、夫としては集団ブロック事件について聞いて

「さもありなん」と思ったみたい。

そこでまた存在感を放ったのが栗本さんですよ。いきなり言いだした。
「オレもブロックされてんすよね、辻井先生に」
ありゃりゃ。辻井先生も芸が細かいね。それにさ、栗本さん、えらくなったもんだね~。

ほんの二年前は、誰も知らなかった存在、栗本さん。そして黄色本芋本が出て、全国に呼ばれるようになり、長崎の「のこのこ」というギョーカイ老舗のすんばらしい親の会で(みなさん、この「のこのこ」って覚えておいてね。いずれシリーズ長崎が再開したときのために。重要なキーワードよ、「のこのこ」)なんと定員50名のところ100名集めて講演をしてしまった。ちなみに「のこのこ」の顧問は岩永先生で、当日も「身体アプローチの大先輩岩永先生」にお会いできるかと楽しみにしていったけど、当日岩永先生はみえなかった。お忙しいからね。でもどうしても岩永先生のお話をきいてみたい栗本さん、自腹切って長崎に行くことにした。そうしたらすでにコンディショニングのよさにめざめていた長崎の有志の人たちが集まって講座を開き・・・

みたいに長崎方面にも栗本さんは人脈を広げて帰ってきたのです。そしてついに先人と仰ぎ尊敬する岩永先生にもおめもじの栄誉を・・・

岩永先生は気さくに応じてくださったそうです。あとできいたら岩永先生が支援している人の中にコンディショニングでよくなった人がいたみたいだから、それで愛想よく応じてくださったのかもね。まあ栗本さんはお会いできて喜んでましたよ。

そうしたら

今度はその身体アプローチの第一人者岩永先生が、自分が招聘して学会を開いた著者のインベントリーを日本語化するにあたり(この学会では辻井さんの姿は見なかったような気がします)なんと「監修者」の地位を譲って自分はone of themに退いたほどの大ギョーカイメジャー、辻井正次大先生が・・・

ほら、肩書だってこんなに長い人・・・



が・・・

二年前にはだーれも知らなかった「いかがわしいおっさん」、箱根の麓でじみーに実践を重ねていた無名のいかがわしいおっさんに過ぎなかった栗本さんのことを

ブロックポン!

いやあ、えらくなったもんだよね。たった二年のうちに。
これぞ
オダワラドリームカムズトゥルーだ。

と私たちはわっはっはわっはっは笑って楽しい夜を過ごしたのでした。

あとで夫は言ってました。
「南雲さん一番常識的」(知ってる)
「画伯相変わらずよくしゃべる」(知ってる)
「栗本さんガールズトーク」

わっはっは。たしかに辻井さんのネタでも盛り上がったけど、それって一瞬で終わったから、やっぱりあの夜は栗本さんが主人公だったのでした!
コメント

芋づる式に治っている

2016-02-24 08:58:14 | 日記




昨日は様々なルートで(SNSとかメールとか)
お祝いのメッセージをありがとうございました。
記念日だけに、楽しい時間と、そしてギョーカイトラウマにとらわれた時間がありました。
まずはありがたいメッセージから。
昨日いただいたお祝いとご注文の合わせ技(何よりのお祝い!)
一部割愛しながらご紹介させていただきます。
先日の会にお申込みながらも病欠だった方です。後日愛甲さんのお答えに私の考えを書き添えてお送りしました。
どうやら「芋づる式に治っている」ようです。

=====
本日は花風社創立20周年、
まことにおめでとうございます。

愛甲先生に質問する会のお答えありがとうございました。
息子も拝見いたしましてお礼を申しておりました。

(中略)

愛甲先生の、頭が固まっていたわたしにも
分かりやすく書いてくださったお答えが有難く、
そして何より浅見社長の連想、着想が素晴らしく
心から感動しました。

「主体性」という言葉にハッとしました。
これまで、わたしは「自主性」を育てなければと
主体性と自主性を混同して勘違いしていました。

今までは過敏性が本当に酷かったので、
身体面も過敏性ばかりに気を取られていました。
主体性と身体アプローチの関係について、
そういう観点で思ったことすらなかったので
これでまた成長できる大きな希望となりました。

いろいろと出来ないことばかりに目が行ってしまい、
次はどこをどうしたらいいんだろうと思っていましたが、
お答えメールをいただいたことで、わたしの目の前が明るくなりましたし
子どもに大きな変化が生まれました。

あんなに酷かった聴覚過敏がほとんど良くなりました。
花風社と出会ってから徐々に良くなってきて、
いまら治ったと言っても良いのではないかと思います。
元々がどれくらい酷かったかというと、
学校のクラスに1時限いられないし、
踏切の音がうるさいのが辛くて待てないくらいです。
耳栓すれば?とよく言われましたが耳栓すると
次点の視覚の過敏性が強く感じられて頭痛が出現してくるので
聴覚を防げば何とかなると思っても結局は無意味でした。
以前にも書きましたが、
そんな状態で昨春中学入学しどうにか通っても
やはり疲労がひどいし宿題は滞るし休みがちでした。

わたしが花風社の本にめぐりあったのが去年8月です。
本で知ったことをしてみたり試行錯誤の毎日、
10月は神田橋先生に診てもいただきました。
たった数ヶ月しか経ってないのに、年末にカラオケに行けました。
そしたら音や人混みが怖くて行けなかった隣市まで
休日に友達と待ち合わせて数時間遊びに行けるようになりました。
この前は、朝9時から夕方6時まで1日出かけていました。
友達と待ち合わせて、たくさん歩いて好きな所へ行き、
読みたかった本や家にお土産も買って帰ってきました。
どんなに楽しかっただろうと思います。

食事は、ひどい偏食で困っていましたが
これも僅か数ヶ月でいろんなものが、
量もたくさん食べられるようになりました。
この変わりようには誰が見ても分かるので
本人より周りがビックリ、唖然としています。

また、金魚体操したくても ちゃんとできなかったのですが
(身体に触れられるとくすぐったくて居られなかったので)
一昨日、急に、身体に触れても大丈夫になりました。
どうして急に治ったのか理由はわかりません。
まだ部分的にくすぐったいところもありますが、
一番ひどかった足首を掴んでも平気です。
いままでは、正座した私の太股に両足を乗せただけで
ユラユラしていたので余り揺れが伝わりませんでしたが、
一昨日からはちゃんと頭まで伝わるようになりました。
とても気持ちがいいと言っています。

(中略)

いま、芋づる式に治るというのは本当なんだと実感しています。
そして次の課題が出てきたのでまた取り組んでいきます。
「治るが勝ち」の本、楽しみにしております。
(中略)

あれこれと申し訳ないのですが本の注文もお願いします。
1、「他の誰かになりたかった 
多重人格から目覚めた自閉の少女の手記」1冊
2、
学校の先生に息子の考え方や身体面のことをお伝えするため、
まず1冊を先生方にお渡ししたいのですが、
どの本も良すぎて迷います。
浅見社長のオススメを1冊お送りください。


=====

「考え方」や「身体」について最初に読んでいただくのはやはり赤本がいいと思いますので、「他の誰かになりたかった」と「自閉っ子、こういう風にできてます!」をお送りすることにさせていただきました。
そして先生方には知っていただきたいですね。赤本でかなり世界観的にも身体症状的にも重かった藤家さんが今は新刊「他の誰か」の帯に載っている写真のように元気になったことを。障害者枠じゃなく一般枠で働いていて、先日マイナンバーの件でカミングアウトしても「ああそう。これからもよろしくね」で済んでしまったことを。だってそうでしょう。役に立つ人を会社は切りません。障害の有無なんて関係ない。

「支援教育を消化試合にしない」という「理解」を広めるのが、花風社の役目の一つだと私は考えているのです。
それと
「治しやすいところから治す」ことはできるのだと伝え続けるのも。



コメント (3)

今日にふさわしいお手紙

2016-02-23 08:42:04 | 日記






写真は南雲明彦さんからの贈り物です(^^♪

今日というこの日にご紹介するのにふさわしいお手紙をいただいたのでご紹介させていただきます。
原文のママです。
原文はスヌーピーの封筒に入ってきました。鉛筆書きでした。

=====
こんにちは。中田大地君の「僕は、社会の中で生きる」を読ませていただきました。私はアスペルガー症候群をもっていて、大地君と同い年の女子中学生です。

私は中田大地を知ったときに、私と同じ障害をもつ同い年の少年が本を書いて、自分の考えや気持ちを世の中に発信していることに感動しました。
私も、診断を受けた日から今日まで、母と2人で毎日いろいろなことに悩み、たくさんのことを考えてきました。小学生のころは、毎日のようにイライラして暴れ回っていました。でも中学生になり、イライラすることはあっても暴れ回ることは無くなりました。頭の中では、将来の夢を抽き(ママ)、それを実現するために、今やらなければいけないことを考えられるようになりました。頭の中のどこかに、障害のある自分と常に向き合っている自分がいます。

大地君の本は、私の考えをよりはっきりとさせてくれました。私は中1の夏休みの宿題の作文で自分の障害について書きました。大地君のように、文字を書くことで、私達の仲間を勇気づけようと思ったからです。私の作文を読んでくれる人々が障害者へ理解をしたり、理解できなくても、そういう人が世の中にはいるんだと思ってもらえたらうれしいと思いました。

大地君の本が私を動かしてくれました。私は将来大学まで進んで発達障害や自閉症について学び、福祉の関係の仕事がしたいと思っています。困っている人に、悩んでいる人に、優しく、手をさしのべれる大人になりたいです。そうはっきりと思わせてくれた大地君に感謝しています。

私は遠く離れた北海道で、同じ障害をもった同い年の大地君に「ありがとう」と伝えたいです。同じように苦労をしながらも、将来へ希望を抱き、少しずつ大人になるために今をいっしょうけんめいに生きる大地君へ

たくさんの勇気と希望をもたせてくれてありがとう
夢の実現に向けてがんばります。

(お名前)
コメント

「社会の理解ガー」がなぜ発達障害者に有害か

2016-02-22 13:30:32 | 日記




今年もまた青いお祭りが近づいてきましたね。
いつものとおりどっかが青くライトアップされると、自閉症への理解が広まると思っている一群と、そんなこと夢にも見ていない我々の間での溝が顕在化するわけですね。
顕在化、大いに結構。治るが勝ち。そして治る第一歩は健全なセグメント化です。
それだけ「自分で選べる」ということなのだから。

さて、先日「朝ドラでヒロインがルサンチマンな人に刺されてああいうのでギョーカイトラウマが蘇る」という記事を書いたとき「これ、理解されないだろうな」と思いました。自分でもそこまで深いかあ、と思うもん。でもとにかく「ごねる方の肩を持つ」風景があまりに多いことに傷ついてきたので、私は個人的にああいう場面弱いんですね。

そうしたら、「理解されないだろうな」と思いながらも書いてみるもんですね。「わかります」のメールをいただきました。その方も鹿児島行って、神田橋先生の本がなかったら今の自分はなくて、本当に感謝している、と言ってくださいました。やはり「発達障害の人の迷惑行為にガマンしている」方の人なのね。

よく我々の「社会の理解ガー」という啓発ディスに対し、「努力を放棄したわけじゃないのにそういう偏見を広める」と怒っている人がいます。逆に言うと我々が啓発ディスをするのは、「一切理解を広めるな」ということではないのにそういう偏見を広めていますよね? 「読む人が増えれば、理解の輪が広がる」のが花風社のキャッチフレーズですよ。自閉っ子の一見不可思議な行動のワケが浅いこと、知的に障害があっても能力が生まれつき凸凹していて読み書きが苦手な人がいること、そういうことを広めてきたという意味では花風社もギョーカイ筋もそれほど変わりはないですよ。南雲さんの出たテレビ見て、板書が取れないためにお小遣いのすべてをコピー代に費やしていた南雲少年がかわいそうになりました。そういう人に合理的配慮があってほしいと思います。iPadでもなんでもその子に必要なものは持ち込み可にしてほしいですね。

それでも私は、青いお祭り系の「わかってほしいの」は有害だと思っています。現行。それはなぜか?

それはね、「理解せよ」の美名のもとにかえって今は「発達障害ギライ」を増やしている面があるからですよ。なぜなら、「恨み・妬み・嫉み」を支援者が「理解」の名のもとに肯定しそれを行動化する当事者の周囲に我慢を強いるとき、我慢を強いられた人はどんどん発達障害が嫌いになるからです。できるならかかわらないで生きていきたい、と強く願うようになるからです。

とにかく理不尽でも恨みを持っている方の肩を持ちより聞き分けのいい方に我慢を強いる。発達障害支援の一面にそういう面があるのを否定できますか? 受け入れよ、と強いられる側の痛みに支援者はどんなケアを提供するのですか? おそらくね、インクルーシブな教育の場で健常児にケアしないと、発達障害者を憎み避けるようになる「発達障害大嫌い予備軍」を増やす結果につながると思いますよ。

だからね、私は基本無自覚に「健常者に人権なし」を前提としている青いお祭り系支援者たちがやる「啓発」はかえって発達障害者の生きる場を狭めていると思います。

反論歓迎します。

コメント (2)

五つの目的 鹿児島レポ完結編「治るが勝ち」

2016-02-22 10:37:22 | 日記





さて、神田橋先生に処方していただいた漢方で(神田橋処方ではなく「神田橋先生に処方していただいた漢方」です)何より実行機能が高まってしまった私。
頭がクリアになります。仕事がはかどります。そして理屈方面でもトラウマ処理が進みますね頭が働くと。ここんとこ出した「負け惜しみ」とかああいうのもそう。そしてふと思いついて書いてみた「シリーズ辻井」でわかったこと。「なんだギョーカイ成人支援全然できてないじゃん」という事実。

でもね、就労支援はさかんになったでしょ。そして成果を上げているところも出てきたでしょ。ていうか事業所による実力のばらつきがはっきりしてきたでしょ。そして、花風社は色々な人をラクにしているでしょ。ということは非ギョーカイ系の手だては充実してきたのね。成果が手に入るようになったのね。選ぶ目さえあれば。だからね、これからは少なくとも一時的にセグメント化の時代ですよ。自分で支援を選ぶ時代ですよ。

いかがわしいおっさん(New!)の本、木下音感さんの機関誌・・・等々と並行して、私は明日迎える花風社創業二十周年(ですよ! びっくりぽん)を記念してあるプロジェクトをある業者さんと一緒に進めているのでした。そしてその業者さんに「著者リストください」って言われたのね。そして著者リスト出してびっくりしたの。著者、少ない!

これがギョーカイトラウマの弊害だと思うのね。「誰とでも仲良く」どころか、2009年ごろの私は「誰とも仲良くしたくない」状態だったのね。そこをこじ開けてくれたのが愛甲さんと神田橋先生。それで騒ぎが起き、役に立つ本を出してこんだけ騒がれるならやっぱりやめようと思ったとき最後のつもりで札幌の学会に出かけて見つけてしまったのが長沼先生。もともとニキさんの仲良しだから信用できた。そんな感じで続いてきたの。

でもとにかく点数少ないし、同じ人が何回も書いてたりするので、そして「誰とも仲良くしたくない」状態なので、著者は増えない。もりしーさんの話を聞いて見に行く気になったのは沖縄の山城さんの友だちだったから。南雲さんに注目したのは出版業界側からのヒントがあったから。とにかく発達障害ギョーカイの方には一切心を開こうとしなかったここ数年の私。だって嫌いだったから。全員嫌いだったから。

その結果著者リストがすごく短い。

ギョーカイトラウマを相当癒した今後は、著者を増やそうと思います。今一番やりたいことは、本を出すこと。しかも、新しい著者の本を出したい。だからね、今花風社に持ち込むと本になるチャンス多いですよ。もちろんなんでもやるわけじゃないですよ。だから、「やらないもの」を書いておくね。

1 絵本・詩集
2 ワークブック
3 ルサンチマン系自伝
4 マンガ中心
5 「社会の理解ガー」

 どっちかというと今後も「難しいことをなるべくかみ砕く」内容が多くなると思うけど、これまでと同じように「このボタンを押したらこうなる」という安直な情報は出さないと思います。神田橋先生のおっしゃる「連想」が湧いてくる本を作る。なんでかっていうと、マニュアル的なものは一見役に立つようなふりしてて実は役に立たないからよ。

発達障害を始めたとき、私は「ベストセラー出版社ではなく老舗になりたいな」と思ったのね。流通の人にもそう言ったら、鼻で笑われた感じはまったくせず、わりとみんな本気で聞いてくれた。そしてきっと色々なことがあっても私が発達障害をやめなかったのは、このまま発達障害を続けることが一番の近道だったからだと思います。私の作りたかった「老舗出版社」のね。

その花風社が明日20周年目を迎えます。皆さんに心から感謝します。

そして今、「治るが勝ち」という本を出したいと思っています。タイトル以外、何も決まっていません。もちろん、著者も。すでにいろいろ「こういう本がほしい」というご希望は寄せられていますが、皆さんも「治るが勝ち」というタイトルでこういう本が読みたいとかこういう本を書きたいとかご希望があればどんどん寄せてくださいね。とにかく決まっているのはタイトルだけ。「治るが勝ち」。

とまあこんな感じです。

本を作りたくなった。
著者を増やしたくなった。

っていうのが今回鹿児島に行ってギョーカイトラウマ処理の進んだ効果だったのだと思います。

(完)
コメント (3)

ちゅん平さんが治っていないと言い張る支援者への対処法

2016-02-22 08:27:52 | 日記




「今の藤家さんのブログ・書籍を読んでいると『治った』としか言いようがないのにそれを信じない人たちがいる」

という話題にふーんと思って、若干の身体アプローチをやっている途中で思いついたことだけど

もし「あれは治ったとは言わない」と言い張る関係者がいたら

「そうか。この人は治せない人なのね」
「この人がかかわった中で良くなった人はいないのね」

という目安にすればいいと思います。

実際、私だって「ずっとひきこもり」「ずっと無職」のパターンをたくさん見たし。
だからそういうケースばかり見ている人がいるんだろうなと想像つくし。

要するに「藤家さんの回復を信じない人」=「支援者として力のない人」なので

避ける・頼りにしない目安になると思います。

この二冊の本の間に何が起きたかを

本当に当事者の未来を思う人だったら研究する気になると思いますよ。

「信じない」人は要するに

そこまでのプロ意識も力もない人なのでしょう。
コメント (2)

負け惜しみから学ぶもの・「治る」の定義の一つ

2016-02-21 08:38:17 | 日記
シリーズ辻井を終えてわかったんですけど

「大人になったら治らない」

っていうのもやはり負け惜しみの一種ですね。

真実は
「自分たちには治せない」なんですね。
一応、どういう文脈でこのセリフが出てきたか記しておきますね。

ギョーカイはかつて、自閉症者がなんか悪いことをすると「支援につながっていなかったから」「支援につながっていたら悪いことはしない」と言い訳をして、それを「事件を報道するな」とメディアに圧力かける理由に使っていました。

ところが

YTの場合にはそもそもの診断からよこはま発達クリニックだったわけで
そしてその頃私は、内山医師が名医で、名医は治すもんだという二重の誤学習をしていて

「なんで治さないの? とっとと治せばいいじゃん」って言ったんですね。
そうしたら出てきたのが「大人になったら治らない。治る気のない人は治らない」というあのセリフだったわけです。

私はニキさんが「負け惜しみが強い」とあっさり自認したときに、「ああ負け惜しみというのは処世術の一つなのだ」と納得したんですけど

どうやら私には標準装備されていないようで
あんまり積極的には使わないんですね。
だから
他人の負け惜しみも負け惜しみと気づかずまともに受け取る癖があって

ところがギョーカイの端々に負け惜しみが埋め込まれていて

それで無駄に腹を立ててきたかもしれません。負け惜しみと気づかずに。
偽アスペルガー宣言も負け惜しみ。「大人になったら治らない」も負け惜しみ。

そして昨日、ちゅん平とLINEで長いおしゃべりをしていて

「ああやっぱりこの子、治っているけど自閉文化だな。でも困っていないな。これが治るっていうことだな」と思い、そう言いました。

「やっぱり私自閉っ子なんですかね~」
「そうです。どこに出しても恥ずかしくない立派な自閉っ子。でも治ったね。もう自閉で困っていないね」
皆さんにおつけしている自分突っ込みの書評、あれも実に自閉的だしね。いい意味で自閉的。「ああこの子、自閉だから治ったんだな」と思いましたよ。

だからね、今まで「治る」という言葉で憤慨していた人たちに、一つ説明ができますね。

改善や症状の緩和じゃなんでいけないの? という意見が部外者から寄せられますが

実際にやってみた人の感想は「これは治っているとしかいいようがない」だったりするんですよね。なぜなら一次障害が消えていくから。だからやはり私は「改善」で終わらせたくない。

でも文化としては保つ。ちゅん平の場合はね。今後もしかしたら、文化も変わる人がいるかもしれませんけどね。

ちゅん平は自閉っ子。
でも治った。
なぜなら

ちゅん平の自閉性は今、自分にも周囲の人にも迷惑をかけていない。
それが「治る」の一面だな。全面じゃないけどね。

「自分にも周囲の人にも迷惑をかけていない」というのをもう一段突き詰めると

「自分にもその人を愛する周囲の人にも」だな。

だってちゅん平を迷惑に思う人はいるのよ。
「治ったなんていいやがって治ってねえじゃねえか」とか。
「治るとか言う人がいると治らない私たちが迷惑をするのよ」とか。

そういう人はちゅん平がキライなので、ちゅん平がなんの攻撃もしなくても迷惑がるので、対象にはしません。勝手にちゅん平を迷惑がっていればいいよ。

「その特性が自分にもその人を愛する周囲の人にも迷惑ではない状態」をひとつ

「治った」の定義にしましょう。
コメント (2)