治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

犬用ソーセージと脳の苦しみ

2013-01-31 10:26:58 | 日記
私が数ある企画のうち「脳みそラクラクセラピー」を最優先させたのは
相当重度な人でも、知的障害のない、あるいはかなり頭のいいタイプでも
大人でも子どもでも役に立つと思ったからだ。
「資質を見つけ、開花させる」という方法が。

障害特性から来る問題行動のアプローチにもいろいろあって
たとえば子どもが親を殴っているとき
犬みたいにソーセージ与えるタイミングが肝心ですよとかいう人たちもいるだろう。
その結果効果がなくていつまでも殴られていることを選ぶのなら
それはそれでこっちには関係ない。痛そうだとは思うけど。
ソーセージに効果があったなら、それはそれでおめでたい。
私は興味ないけどね。

ソーセージ与えるタイミングでその子が親を殴らなくなると信じているならやっていればいい。
そのときに問題にしているのは「親を殴る」という行動だけなんだろうからさ。
そして犬っぽいこと信じている人たちは、行動だけしか問題にしないようだから。

花風社が今のところ「いいな」と思って出版物にしようとしているアプローチは違う。

親を殴っている子は、たぶん脳みそが苦しい。

だったらその脳みその苦しみを取ってあげよう。
そうしたら親も殴られないだろうし、
苦しくなくなった脳みそは発達を始める。

そういうこと。

だから犬用ソーセージを信じている人は、一生やってればいいのです。
私はソーセージ食べてドヤ顔している人を見て、全然効果あがってないじゃんと思った。
だから脳みそをラクにする方に惹かれたのですよ。


なぜ「人は人、自分は自分」と考えられないか?

2013-01-30 10:20:55 | 日記
「発達障害のつらさをわかってください」と言われるとき
わかるつらさとわからないつらさがある。

それは「自分にその要素があるかどうか」とはあまり関係がないような気がする。

たとえば「コタツの中の脚がなくなる」という現象は
自分の身にはまったく起きないことだけど
「不便そうだなあ」→そういう身体感覚だと街中歩くとどっと疲れるだろう

という推測がつくので、そりゃここには配慮が必要だよね、って思える。

でも「自分たちが傷つくからブログに障害者の犯罪のこと書くな」っていうのは
まったく理解できません。

だって自分たちは犯罪犯さないんでしょ。
じゃあ関係ないじゃん。
何被害的に取ってるの? としか思えない。

「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」に書いたこと。



=====

自分には自分の人生があり、他人には他人の人生がある。それぞれの苦労や喜びがある。
自分の人生は、自分が築いていける。でも他人の人生は、本人が築いていく。

(「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」P100)

=====

この当たり前のことがわからなくて、騒ぎが起きることが多い当事者界隈。

これがわかれば、発達障害の人の訴えるつらさの幾ばくかは減る。
「嫌いな他人が成功していくこと」と折り合いをつければ、だいぶ生きづらさが減る。
それは「嫌いな他人の成功を阻むこと」よりずっと簡単なこと。
なぜなら他人が成功するかどうかを自分が左右するのはかなり難しいことだから。

なんで「自分は自分、人は人」という考えがこれほど苦手な人が多いのか、理解に苦しんでいたんですけど
それも「脳みそデコボコであるがゆえの育ち」が関係していること
そして発達とは生涯にわたるものなのだから
その苦しさを減らしていけることを「脳みそラクラクセラピー」の本作りの過程で知りました。

興味がある方はどうぞお楽しみに。

押し売り御免

2013-01-29 11:11:48 | 日記
今朝は珍しく「とくだね」見ようと思ってウキウキと起きました。
桜宮高校の入試中止の件で、最近橋下バッシングがすごかったらしい(番組は見てないから維新クラスタからの情報ですが)。
そこに橋下氏じきじきに登場ということで
横綱相撲を見ようと思ってね。

まあ結果的に言うと、話にならないほど「とくだね」側が理解力も意識も低かったですが。

件の高校については、在校生に関してもかなりひどい実態が、ネット上では行き交っていますが
そういう情報を出さず、論破した橋下氏はさすがだと思いました。
在校生の未来も、ちゃんと考えているよね。

番組側は、視聴者の意見として、橋下氏の判断に異議を唱える在校生や保護者の考えを出していたけれど
今回橋下氏への反論のほとんどが「子どもの気持ち原理主義」に基づいています。
受験生がかわいそうだ。部活動できない在校生がかわいそうだ、っていう。
不思議なことに被害者に対する思いはまったく見られない。これは障害者が事件起こしたときのギョーカイとまるで同じ。

子どもの気持ち原理主義の皆さんは
8歳の子のこの手紙に、三年たってもまだ返事していない大人の存在をどう思うんだろう。

その間に子どものほうはすくすく成長し
「あのサイトは残しておいたほうがいいと思う。みんなが考えればいいです」
と言えるくらいになったけど
まだ大人が逃げ回っていることをどう思うんだろう。

子どもは成長します。
今桜宮高校の件で嘆いている子どもたちも
いつかは橋下氏の真意がわかるかもしれません。
成長の鈍化した大人がわからなくてもね。

さて、当時「大地君の気持ち」を理由としてそらパパこと藤居学に憤ってくださった方もたくさんいましたが

私はそれもさることながら
(白くま母さんから「大地が生まれてこなければよかったと言っている」と聞いたときには泣いた)

これほどの「押し売り」が許されるのか?
って憤りを感じたことが大きかったんですよね。

民間の会社が、自分でリスクとって出している本が気に入らないといってきゃあきゃあ泣き叫び、自分の子育て観をまったく違う方針の家や教師に押し売りすること。

「障害を持って生まれた子」の将来への悲観的なものの見方を押し売りすること。

そして疑問に思ったのは
「重度の子どもの親はいわゆる軽度の親よりえらいんかい」ってことだな。
重度の親に遠慮して、いわゆる軽度の親は「自分でご飯を食べられる子ども」に育てるという方針を表明することも許されないのかね?

よくSNS自己紹介に
「重度知的障害を伴う自閉症の子の父親です」とか書いてあるけど
あれって自慢なわけ? 私はそうじゃないと思ってたけど、あれから疑問に思うようになりました。

どうやって育てるか、どの療育を採用するかなんてそのおうちで決めること。
自分ちが犬のように育てたかったらそれは自由。
それをなんで「脳みそをラクにする」を必死でやってるおうちが自分ちの子が人前で性器露出した話をおもしろおかしくブログに書いてる父親に「トンデモ」呼ばわりされなきゃいけないのかね?

とそれをずっと考えていたんですけど
今作っている本で
「縦関係でしか人間関係を考えられない人の治療」っていうのも出てきて、納得した次第です。

おとといお相撲が終わり、昨日は知恵熱が出そうなほど仕事に集中しました。
今日はいろいろ用事があるけど、明日はまたがっと本作るつもり。

新しい本のタイトルは

「脳みそラクラクセラピー」です。

原理主義者とのつきあい方

2013-01-27 10:14:55 | 日記
さて、画伯からコメ欄に原理主義の話を振られたので以前から考えていたことを書きますね。

私は稀勢の里原理主義者なので、そして基本的に「嫌いな人」には興味がないので
(だから嫌いだ嫌いだといいながらこのブログを熱心に読む猿烏賊の気持ちがわからない)

ふと気がついたんですけど、菊関が七勝七敗で千秋楽を迎えています。

稀勢の里原理主義者なので、千秋楽の関心事は
「きせのんが最近逃している破魔矢をもらえるだろうか」だったり「相手琴欧州か」と思ったとたんここ二回ほどのガバガバに開いた脇にもろ差しされる姿が思い浮かぶのです。それが私の千秋楽。

でもふと見れば把瑠都も豪栄道も妙義龍も栃煌山も七勝七敗で千秋楽であり
もしかしたら高安が来場所新三役か? とかいろいろ楽しみがあるわけです。

十両もまだわかんないしね。

原理主義を一歩出てみると、楽しみはいろいろ。

「誰でも週40時間のABAを望んでいる」みたいなことを真顔で言う人(プロ)は、その人なりに原理主義で、ほほえましく見守ってればいいです。それに値するものを生み出すために日々研究を重ねてくれてるんでしょ。

ただあれはね、ソーセージ屋さんの意見なんですよ。

っていうことはどういうことかというと

タイのリゾートホテルの朝ご飯。
バラエティ豊かです。ソーセージやハムやチーズといった西洋風のものもあれば、チャーハンや点心や野菜炒めやおかゆもあるし、味噌汁やキムチや、とにかくいろいろな人に対応。

でもね、おいしいおかゆや点心に目もくれない欧米人もいるわけです。

療育も、ビュッフェみたいなもんだと思います。
それぞれが、自分でおいしいと思ったものを選べばいい。
「おかゆおいしいのに食べないやつはトンデモ」とか
他人のことは放っておけばいい。

そして「40時間のABAは誰でも望んでいる」みたいなことを言う人は、ソーセージ一押しみたいなもんだと考えればいいと思います。

「ソーセージこそが滋養強壮がつく。ソーセージこそ朝食にふさわしい。エビデンスもある」って言われたって

街中でソーセージ売り歩いている人が犬みたいに子ども育ててるよとか子どもにぶたれてるよとか
やってみたけどイルカの調教しているみたいで悲しくなったとか

それなら別にやらなくていいんじゃないの。でも時々ソーセージが食べたいなと思ったら食べればいいだけで。

プロが原理主義をやってくれるのは、悪いことじゃないと思います。
ただ彼らの一押し情報はあくまでソーセージ屋さんのポジショントークなので

何を食べるのか決めるのはそれぞれの人なわけです。

FBによると、今年も東京タワーその他が青く染まり
それで「自閉症をわかってもらえる」と信じている人々がいるようで

それはそれでかまわないけど

青く染める地元には、数十万円の金銭負担があり
(つまり知らないうちに東京タワーを青く染めるためのお布施を出している人もいれば、ライトアップイベントで儲ける人もいるってことですね)

「そんなお金他のことに使いたい」と参加しないことを決める地域もあるようで
こういう選択肢が許されていることは、わりといいじゃんギョーカイ、と思いますね。

原理主義は別に、あってもいいんだけど

そこから抜け出す自由を確保するための努力はしたいですね。


あ、それと、ライトアップを選ばれなかった地域の方のために

もう一度張っておきます。
大地君の「東京タワーは赤いほうがいい」
一人の自閉っ子の、率直な意見です。



変人枠と「損して得とれ」

2013-01-25 09:08:55 | 日記
公務員の退職金減額に伴い、年度末を待たずして退職する先生たちの問題。

「公務員も勤め人だから当たり前だ」という意見と
「なんと無責任な」という意見があり
脊髄反射的には、私は後者だった。

ただ「道義上の責任うんぬん」という議論が出てくると
自分の場合はちょっと理由が違いそうだとゆっくり考えてみた。

そして気がついたので、今日はそのこと書きます。
「変人枠には変人枠の義務があるんだよ」というお話。

退職金の差額が150万で、二ヶ月分給与もらえるとしたら
まあ差額がある人でも数十万っていうところだろう。

そして、われわれのような自営業者や自由業者、経営者なんかは
数十万損しても別のところで稼げばいい、という発想がたぶん、習慣になっていると思う。

「いやだいやだと思ってたクライアントだけど、ガマンしてつきあっていた。
でもついに切った。
そうしたら他からもっといい仕事がきた」

みたいな話ってわりと日常的に聞くのね。

単体で見れば赤字の事業でも全体のためにやることはある。

そして「ここではスジを通しておいたほうが後々のためにいい」と返ってこない出費をいとわないこともある。

でも公務員のような
「安定した収入」があるっていうことは逆に「稼げるとき稼げばいい」という発想がないんでしょうね。
だから退職金っていうのはワンチャンスでありラストチャンスなんだろうなあ。

と思いましたです。

多くの退職教員の方にとって、もうこれが本当に終わりで
予備校の校長になったり大学の理事になったりする目もないとしたら(両方とも実際に身近の教員にあったこと)

そりゃあ数十万の守りに入るんだろうなと思いました。

ただね、「自分のやるべきことを果たす」っていうのは
金銭的に損をしても、結局は報われることだと私は思います。

どこで報われるか?
人脈です。

私は旗幟を鮮明にするし、売られたケンカは買いますから
ひんしゅくも買いますけど
そういう姿勢を見て「スジを通している」と近づいてきてくれる人とお仕事をさせてもらい
そしてそれが発想をもたらし、売上につながるのです。

そして「本を書きたい」と言ってきた人が
今回駆け込み退職したような人だったら
その人の本は出さないと思う。

逆に「ここで守りに入るのが当たり前」という考えの人は
それはそれでいいんだけど
たぶん類友で、ちんまりと守りに入る人が周囲に集まると思います。

で、そういう人は何かあっても身体張って動いたりするタイプではないのでそれほど力になってくれないんですよね。いざというとき相談を持ちかけても。

つまり、変人枠には変人枠の掟があって
そのひとつは
「損して得とれ」という発想を時にはしないといけないっていうことじゃないかな。
じゃなきゃお金より大事なものが得られません。

「損して得とれ」という発想ができない人は
逆に安定にしがみついていたほうがいいのかも。安定がいつまで安定なのかは知りませんが。ていうかたぶんあまりこの先長くもたないけど。

と思いました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

五場所連続二桁勝利ですってよ!

十三日目で微妙に優勝の線が残っています。
あと三日、全力応援します。


無駄な遊び

2013-01-24 12:24:56 | 日記
週40時間のABAのセッションが確保できることはみんな望んでいる、みたいなお花畑のギョーカイ人のブログを見た。
ギョーカイメジャーかどうかは知らない。興味のない分野だから。あんまり人の名前知らない。

週40時間のABAなんて望んでないですけど、という声がわき起こった。

「誰でも週40時間のセッションを望んでいる」という素朴な信仰。
そう。信仰の領域なので、信仰する人だけで盛り上がってくれる分にはかまわない。
でも去年の一番最後の記事からリンクした報告書にあるみたいに
更正施設でうまくいってるところに「ABAがないのはけしからん」とかドヤ顔して、せっかくうまくいっている施設のやり方否定するのはどうかと思うけどさ。

だってABA、横浜でもオルグしている人いるけど
その人が子どもに殴られたりしながら「日本でも公費でABAを!」とか叫んでも
そんなことしなくても安定しているおうちの人は別に相手にしてないもんね。

それより、重度重度と言われながら安定しているおうちのどこがいいのか分析した方が役に立つんじゃないでしょうか。

それにしても
「無駄な遊びをしないと、折れやすい人になる」とおっしゃる神田橋先生は
週40時間の療育の話聞いたらどうおっしゃるのかなあ。別にABAに限らずさ。
支援がないない言ったって、結局は日常生活でしょ。

なんて思いました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

忙しい中、国技館行って来ました。ひやりとしたけど勝った。よかった。
様子は画伯ブログで。楽しかった~。
大人にも、無駄な遊びが大切です。


ギョーカイとスタンドプレ―

2013-01-23 10:19:33 | 日記
私がこのブログで橋下氏推しとかをわりとためらいなくやるのは
基本的に私が「嫌われてもいい」と割り切っているからです。

橋下氏がギョーカイ受けがいいとは最初から思っていませんよ。
むしろ反発感じる人が多いでしょ。
でも最近、障害者に関係する人の中でも
思っていたより政治信条が(部分的にも)重なる人っているんだな、とむしろその多さに驚いているんですけどね。

政治と宗教の話は、宴席で語ってはいけないと言わますが
それは場の空気を壊してはいけないからでしょう。

逆に、ブログとかそういう場でも
「できるだけ多くの人に好かれたい」と思う人は
無難な話題を選んだほうがいいっていうことですね。

私はまったくそういう意図がないので
旗幟を鮮明にするのがスタイルなので
自分が誰を、どこを支持しているかはっきり書きます。

さて桜宮高校ですよ。

私は最初、あまり関心を持たずにニュースを見ていたので
「殴って殺したのか」と思っていました。

それが「殴られて自殺」だとわかり

「体育科」なるものの存在を知り

実質そこに入ると部活から抜けられないと知り

平手3,40発とか、「倉庫入り」とかの話が入ってくると「その顧問の方がだいじょうぶか?」とか考えるようになり

部活の存在のおかげで、偏差値のわりに進学就職先がいいとか
要するに一種の利権と化していた学校だと知り
だからこそ顧問の横暴を保護者も生徒も見逃すだけの利害が発生しやすい土壌があるということを知り

入試中止ねえ、適切じゃない? と是々非々で考えても今回も橋下氏支持となりました。
いつもの通り、利権に切り込んだわけですね。

そしたらFBで(ほんとFB嫌いなんだけどね)ギョーカイメジャーとベテランママさんたちが橋下氏の行為を「スタンドプレー」と見なしているのを見て

「あああ、ギョーカイの死んだふり体質はこの人たちが望んで作り上げてきたもんなんだな」と気づきました。

スタンドプレー?
目立つためにやってるとでも?
それとも人気取りのために?

選挙直前に沖縄行って「辺野古しかない」とか言い切ってしまう人が人気取りですか?

橋下氏はただ、正義の実現のために、自分の手中にある力を屈託なく
「迅速かつ徹底的に」使っているだけです。

ところがさ、このギョーカイ
「迅速勝つ徹底的」も嫌いだし
健常者が権利を行使すると「横暴」と見なすのよね。権力者なら、なおさら。

逆に健常者が被害を受けても痛みを感じないのよ。
今回だって、障害のある子への体罰→自殺だったらどれだけ騒いだことか。
健常児は被害を受けてもぴんとこない。それより受験できない子がかわいそう。
そういうギョーカイの体質がよく現れたオピニオンをギョーカイメジャーのブログでも見ましたわ。

私は別に、橋下氏を支持しない人とでも仲良くしているし、今度の入試中止についても、いろいろな意見があってしかるべきだと思います。

でも少なくとも、あれを「スタンドプレー」と解釈する人には
「人間音痴」のレッテルを貼りたくなりますね。

そして「死んだふり」は「迅速かつ徹底的な対応を望まず健常者の権利には思いを馳せない」ギョーカイが望んで作ってきたものだろうと思う次第です。

そうしたら昨日から、ついったー上で桜宮高校の生徒による橋下氏への差別発言とか殺害予告とか

あるいはサッカー部の宴会実況(当然飲酒付き)が流れてきて

ギョーカイが死んだふりを選んでいるから死んだふりが保たれてように、高校も成員が作り上げているのだなと思った次第です。

今まで通りの入試が行われていたら
今後この高校に入る子は、こういう先輩の洗礼を受け
そしてやがて体育の指導者かなんかになっていくところだったんですね。
ぶるぶる。

さて

私のお仕事は、選択肢を増やすこと。

「障害のある子を授かったけど、死んだふりギョーカイはいや」という人に、別の道を示すことです。

だって死んだふりしかオプションがなかったら
部活はやめられない、顧問には逆らえない
そして悲しい道を選んでしまった高校生みたいに追い詰められてしまうじゃないですか。

ギョーカイは、「社会に理解がない!」って言いますけど、そんなことないですよ。

ギョーカイは、「目標は家事のできる引きこもり」って言いますけど、働けますよ。

ギョーカイは、「一生治りません」っていうけど、治りますよ。治るっていうことどういうことか考えましょ。

という情報を提供するのが
化外の民のお仕事です。

☆☆☆☆☆☆☆☆

琴奨菊を下しての給金直しはひときわうれしい!!!!!!

今日は画伯たちと国技館です。

絵に描いたような本末転倒っぷり

2013-01-22 09:47:22 | 日記
おからさんのブログで、お友だちの自閉っ子の就職が決まったことを知ってうれしくなりました。

以前おからさんとちらりとお話ししたことがあるんですけど
たとえ診断があって、療育を受けて育ってきたひとでも
条件を満たせば、別に障害者雇用にこだわることないと思うんですよね。

ちゅん平さんの場合は、最初障害者就労支援で実習につなげてもらって
それで能力を発揮して、障害者枠じゃなく働き始めましたけど。
そういうサポートもありだし。

私はね、発達障害者就労支援のセミナーとか行って
ギョーカイメジャーの先生たちが「当事者に努力させてはいけません」なんて真顔で語るのを見ると
この人たちを経由しないほうがいいような気がしてしまうんですよ。

そういえば「30歳からの社会人デビュー」を読むと
ちゅん平さんを採用してくれた上司の人は
「採用試験を受ける意思があるのなら、支援者ではなく自分で応募してくること」とちゅん平さんに告げたなあ。



ある就労支援の人とお話ししたときには
「なぜ高機能で身体も労働に耐えうる人を障害者枠にこだわるのか」ときいたら

「じゃないと僕たち支援に入れませんし」

っていうのを聴いて、こりゃあ、絵に描いたような本末転倒っぷりだと思いました。

目標は就労とその継続。そのためにジョブコーチ的支援がいるのか、実習につなげてくれたらあとは自力で頑張れる人か、あるいはときどき精神面でのフォローが必要なのか、あるいは運良くナチュラルサポートだけでいけてしまう人なのか。

そんなのは人によりますからね。
だったら別に「障害者枠」にこだわることないじゃない。
別に支援者の生活支えるために障害者枠があるわけじゃないんだしさ。

☆☆☆☆☆☆☆

五分診療

2013-01-21 09:27:07 | 日記
ずっと前のこと(その後どうなったか知らない)。
震災の後だったとは思う。

東北某県の、かなり追い詰められた方のご家族から、ご相談があった。
神田橋先生のところに行きたい、と。
ただ遠方なので、ひんぱんには通えない。

私は、行くのも行かないのも自由だけど、とにかく一回でだいぶよくなって帰ってくる方が多いこと
おうちでできることも教えてくださる、とお話しした。

「診察時間は長いのですか?」ときかれた。

いいえ短いです。
五分間診療。

でもその五分で皆さんよくなる。

私は本を出すとき、先生に「患者さん増やさないでね」って言われたから
どうやったら病院につながれるのか、きかれないと言わない。

なんにも言わないと、皆さん勝手に脳内で決めつける。
予約取れないんだろうな、紹介がなきゃ診てもらえないんだろうな、保険効かないんだろうな。

「偉い先生とはそういうものだ」という医療に慣らされている患者さんたち。

何回も通わないといけないと思い込んでいる患者さんたち。

それくらい「治らないこと」に慣らされている。

「治せる人は長い時間をかけて患者の話を聞く」と思い込んでいる。

先生の「技を育む」をお読みになったことがあるだろうか。
あれはね、いかに与えられた医療資源の中で(つまり五分診療の中で)
患者さんを癒やすか、そのためにご自分を鍛錬された記録です。

「予約取るの大変なんだろうな」と決めつける理由のひとつに
対して事態がよくならない医療機関でも、「何年待ち」とかがあるからだと思うけど

はっきり言いましょう。
予約がたまるのは、治らないからです。
どんどん来てどんどんよくなっていくところでは、そんなこと起きません。

でもまあ、この本は、患者さんを増やしてしまったようですけど。





☆☆☆☆☆☆

資質の現れ

2013-01-20 10:18:42 | 日記
初場所も本日中日。本作りも佳境ということで、今日のエントリは手短に。

前エントリでかすみんママさんから「資質の棚卸」についてご質問がありましたが
今作っている本では神田橋先生直伝の「資質を見つける方法」が書いてあります。
親でもできる、っていうか、親だからできる、かもしれない方法。

でもね、これ本当に当たっていると思います。

そうしたら今朝、こんな動画を見つけました。
初場所二日目、関東に大雪(当社比)が降った日の関取衆場所入りの様子。

雪という非日常にどう対応するか。どう歩くか。

これがまあ、取り口そのまんま。

これも資質の現れだなあと思った次第です。

☆☆☆☆☆