昨日はワールドカップがなかったので久しぶりに飲酒し、早く寝て今日は四時前に起きて仕事していました。
私は何時に起きて仕事しよう、と決めるとほぼ百パーセント実行できます。逆に言うとそれができないということがどういうことかよくわからないです。そしてそういう能力の土台はなんといっても学校生活に端を発していると思います。
だから不登校を許容する親の気持ちはわかりません。
行けない時期があるのは仕方ないと思います。
過敏性などがあればとくにです。
そして学校が完璧な場所だとは夢にも思いません。
それでも「学校はクソだ」」と思いながらでも通い続けることは、意味があると思います。
そして不登校の状態にあるのなら
いつかはそこを抜け出すことを目標にするべきだと思っています。
不登校を容認するだけではなく、負け惜しみが高じて「学校に行ける子の方がおかしい」となってしまうと、もう二度と抜け出せないでしょう。
不登校する事が親にとってはどれほどつらくても、負け惜しみを言って子どもの現状を追認するようでは子どもがかわいそうだと思います。
いつかはそこを抜け出すことを目標にすべきだと思います。
神田橋先生の本が出て祭りになったとき、私はそれを必死に叩く海老踊りの人たちと「読んでみよう、やってみよう」という人たちを五年後十年後見てみようと言いました。
八年経ちました。
結果は明らかです。
エビデンスと心中した人たちとはきっぱりと違う結果が出て、一次障害が治っている花風社クラスタ。
そして今般の炎上を起こしたのは不登校方面の人たちでした。
しばらく観察してわかりました。
不登校っていうのは親の生産性に影響しますね。
ホームスクーリングは一見よい勉強法に思えますが、結局本来官がプロを雇って無料で提供して義務教育にお金がかかるだけではなく、0・5人~1人の親の生産性を必要とします。
多くの家庭が二馬力でやっと生計を立てている現状の中で、それだけの生産性を子どもに取られるだけでも親の老後にも影響してきます。
そういう意味でも、学校に通うのは子どもにとってお仕事ですね。
けれどもこれだけ不登校が多い現状の中、教育機会確保法というのができて、フリースクール等をオルタナティブな教育現場と認めそうになったそうです。
けれども土壇場でむしろ「メインストリームに戻す努力」に舵が切られました。憲法判断したのだと思います。
教育機会確保法は数年後に見直されるそうですが、おそらく発達障害者支援法と同じ問題を産んでいくと思います。
すなわち支援する側のモラルハザードです。
『発達障害者支援法は誰を救ったか?』から引用しましょう。
=====
親として子どもを育てる以上「自立してほしい」というのは当たり前の本能である。専門家はそれを否定する。そして専門家に洗脳され、本能である親心を唇噛みしめて押さえつける親もいる。その結果、発達支援ギョーカイが栄えるための人身御供として我が子を差し出す。
=====
おそらく商売人たちが「学校なんか行かなくていいんだ」と近寄ってくるでしょう。
そしてめんどりにし、データにするでしょう。
その本音を隠してちやほやするでしょう。
でも将来その人たちが仕送りをしてくれるわけではありません。
それはよく覚えておきましょう。
赤本を作った頃からの私の目標は
「週に五日働ける力をこの人たちにつけること」でした。
そのために
睡眠障害を治してほしい→『自閉っ子の心身をラクにしよう!』
季節や気候に体調が翻弄されないようになってほしい→『芋づる式に治そう!』
感覚過敏を治してほしい→『感覚過敏は治りますか?』
等々の本を作ってきました。
もともと「週五日働く人に育てる」ことが目標の方たちがうちの読者層なのですから、不登校クラスタとは意見が違って当たり前です。
そして2010年に私が言ったことは
「気の合わない同士が同じ道を歩む必要はない。分断しましょう。そして五年後十年後を見てみましょう」です。
そしてエビデンスと心中派はエビデンスと心中し、私たちは身体アプローチを追求していって、そのうちDSMが私たちに追いつき、「言葉以前のアプローチ」にたどりつきました。そして一次障害が治っています。
今朝久しぶりに存在を思い出した猿烏賊のブログに行ってみたら大学生の息子さんが不登校ということ。
大学生が不登校?
よくわかりません。
義務教育でないのだから、不登校ってありえない。
それはもう、大学行きたくないという表明にほかならない気がしますね。
そうしたら別のことをすればいいだけ。
あっち方面は治らなくてまだ大変そうだな~と思いました。
『発達障害者支援法は誰を救ったか?』
Amazon Kindleストアで絶賛発売中!
私は何時に起きて仕事しよう、と決めるとほぼ百パーセント実行できます。逆に言うとそれができないということがどういうことかよくわからないです。そしてそういう能力の土台はなんといっても学校生活に端を発していると思います。
だから不登校を許容する親の気持ちはわかりません。
行けない時期があるのは仕方ないと思います。
過敏性などがあればとくにです。
そして学校が完璧な場所だとは夢にも思いません。
それでも「学校はクソだ」」と思いながらでも通い続けることは、意味があると思います。
そして不登校の状態にあるのなら
いつかはそこを抜け出すことを目標にするべきだと思っています。
不登校を容認するだけではなく、負け惜しみが高じて「学校に行ける子の方がおかしい」となってしまうと、もう二度と抜け出せないでしょう。
不登校する事が親にとってはどれほどつらくても、負け惜しみを言って子どもの現状を追認するようでは子どもがかわいそうだと思います。
いつかはそこを抜け出すことを目標にすべきだと思います。
神田橋先生の本が出て祭りになったとき、私はそれを必死に叩く海老踊りの人たちと「読んでみよう、やってみよう」という人たちを五年後十年後見てみようと言いました。
八年経ちました。
結果は明らかです。
エビデンスと心中した人たちとはきっぱりと違う結果が出て、一次障害が治っている花風社クラスタ。
そして今般の炎上を起こしたのは不登校方面の人たちでした。
しばらく観察してわかりました。
不登校っていうのは親の生産性に影響しますね。
ホームスクーリングは一見よい勉強法に思えますが、結局本来官がプロを雇って無料で提供して義務教育にお金がかかるだけではなく、0・5人~1人の親の生産性を必要とします。
多くの家庭が二馬力でやっと生計を立てている現状の中で、それだけの生産性を子どもに取られるだけでも親の老後にも影響してきます。
そういう意味でも、学校に通うのは子どもにとってお仕事ですね。
けれどもこれだけ不登校が多い現状の中、教育機会確保法というのができて、フリースクール等をオルタナティブな教育現場と認めそうになったそうです。
けれども土壇場でむしろ「メインストリームに戻す努力」に舵が切られました。憲法判断したのだと思います。
教育機会確保法は数年後に見直されるそうですが、おそらく発達障害者支援法と同じ問題を産んでいくと思います。
すなわち支援する側のモラルハザードです。
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おそらく商売人たちが「学校なんか行かなくていいんだ」と近寄ってくるでしょう。
そしてめんどりにし、データにするでしょう。
その本音を隠してちやほやするでしょう。
でも将来その人たちが仕送りをしてくれるわけではありません。
それはよく覚えておきましょう。
赤本を作った頃からの私の目標は
「週に五日働ける力をこの人たちにつけること」でした。
そのために
睡眠障害を治してほしい→『自閉っ子の心身をラクにしよう!』
季節や気候に体調が翻弄されないようになってほしい→『芋づる式に治そう!』
感覚過敏を治してほしい→『感覚過敏は治りますか?』
等々の本を作ってきました。
もともと「週五日働く人に育てる」ことが目標の方たちがうちの読者層なのですから、不登校クラスタとは意見が違って当たり前です。
そして2010年に私が言ったことは
「気の合わない同士が同じ道を歩む必要はない。分断しましょう。そして五年後十年後を見てみましょう」です。
そしてエビデンスと心中派はエビデンスと心中し、私たちは身体アプローチを追求していって、そのうちDSMが私たちに追いつき、「言葉以前のアプローチ」にたどりつきました。そして一次障害が治っています。
今朝久しぶりに存在を思い出した猿烏賊のブログに行ってみたら大学生の息子さんが不登校ということ。
大学生が不登校?
よくわかりません。
義務教育でないのだから、不登校ってありえない。
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