治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

明日の式次第です

2018-09-28 19:36:09 | 日記
お越しになる方、これが明日のレジュメというか式次第です。
よろしくお願いいたします。

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自傷他害パニックは防ぐべきか? (本書企画意図)
浅見(5分くらい)

親として、支援者としてパニックにどう向き合ってきたか?
廣木さんに質問(10分くらい)


自傷他害パニックを起こさない身体づくり
☆☆エクササイズを中心に
栗本さん(45分くらい)

休憩

環境としての支援する側の身体づくり
廣木さん、栗本さん(30分くらい)

護道介助法(1時間15分くらい)

構える
触る
三つのお稽古
抱きかかえ(後ろから金魚)




廣木 道心(ひろき どうしん)
武道家。介護士。
国際護道連盟宗家。
自閉症の息子の育児と、介護士としての経験から、パニックを起こした本人も支援者もお互いに傷つかないための介助法を開発。インクルージョンな環境の実現を目指して活動している。著書に『発達障がいのある子どもへの支援介助法』(ナカニシヤ出版)等がある。

栗本 啓司(くりもと けいじ)
からだ指導室あんじん主宰。障害児・者の体育指導に携わる。
中学校・高等学校教諭一種免許(保健体育)取得。
順天堂大学体育学部体育学科(現スポーツ科学部)卒業後、障害児の体操教室などに携わる。現在は発達障害児・者の身体を整えることによる発達援助を全国に広めている。
著書に『自閉っ子の心身をラクにしよう!』、『感覚過敏は治りますか?』(花風社)等がある。

榎本 澄雄(えのもと すみを)
(株)kibi代表取締役。元警視庁警部補。警視庁麻布署在籍当時知能犯担当刑事として自閉症者を被疑者とする事件を担当し、退職後は特別支援教育の現場に身を置いた。著書に『元刑事が見た発達障害』(花風社)がある。

浅見 淳子(あさみ じゅんこ)
編集者。(株)花風社代表取締役。
異文化としての発達障害を尊重しつつ、医療・福祉以外の分野で生きる場が広がるよう、発達援助の伝導に力を入れている。著書に『発達障害、治るが勝ち!』(花風社)等がある。

*時間は目安です。
16時半には終わらせる予定です。
終わらない場合、予定のある方はどうぞご自由にご退出ください。
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この夏をどう過ごしたか

2018-09-28 10:10:47 | 日記
まず忘れないうちに。明日来られる方、バスタオルをお持ちになる余裕が荷物にある方はお持ちになってください。ヨガマット代わりにします。全員でなくてかまいません。私は二枚くらい持っていきます。

さて、このあと明日のレジュメ、というか式次第を貼りますね。
横浜は晴れるかどうかはともかく開催に差し支えはない感じですが、遠くから来る方もいます。
どうぞご無理のないように。
鹿児島からのねこ母さんは日帰りに変更したそうです。
沖縄のおっさんEはどうなさるのでしょうか。今度はお友だちを連れて見えるそうですが。私たちが友だちいない友だちいないと言ったので友だちを連れてくることにしたようです。お友だちも栗本さんファンだそうです。
その他にも遠くからいらっしゃる方たくさんいます。
交通機関等の事情でいらっしゃれない場合は返金か次回に振り替えのお手続きをしますのでお申し出ください。愛甲さんに質問する会をする予定ですし今後も栗本さんや廣木さんの講座はやりたいですよね。
廣木さんの来る大阪から横浜へのルートは問題なさそうです。
それと夜は早くお帰りになる方も多いかと思い、饗宴も予約はしていませんが、街に大きなイベントはなさそうなのでいつもの店なら明日希望者がいらっしゃればとれると思います。
栗本さんの勧めるコンディショニングで治ってしまう人が多いので栗本さんを神格化している人もいるかもしれませんが、飲み会に出て酒の席での栗本さんを目撃すると正しく失望しカリスマに祭り上げなくてすむと思うので帰路に不安のない方はよろしければご参加ください。

さて、いよいよ明日で私の広い定義での夏も終わります。
っていうことでこの夏、何をしていたかを9月28日の今日書くつもりでした。ので書きますね。

実はゲラと別の大きな業務が重なり、昨日まで大変な状況だったのですが、そして昨日は夕飯も10時過ぎまで食べられなかった状況だったのですが、今朝6時半くらいに目覚めたら疲労はすっかりなくなっていました。
こういう意味で私は労働に向いている身体を授かったなあと思います。

栗本さんの勧めるコンディショニングで「一人金魚ができない」とか「呼吸器のポーズがとれない」という声もよく、当事者の方からだけではなく別に診断がつかなそうな保護者の方からもきかれますが、私はそういう点に苦労したことはありません。睡眠に薬がいるとか、肩こりとか偏頭痛、アレルギー等も一切ありません。そういう意味では定型に発達した身体なのだと思います。だから栗本さんのコンディショニングが今回自分にとって初めて真剣な問題になりました。それは明日皆さんの前でデビューする☆☆エクササイズです。

それまで私に運動する習慣はありましたがとにかく手っ取り早く汗をかいて気分転換、が目的だったので有酸素運動が主でした。でも栗本さんに☆☆育てを提案され、それをやるうちにどんどんもっときつい筋トレにはまることになり、☆☆育ての趣旨からはちょっとずれていきました。ただし続けました。というのは体調がよかったのです! そして電子化にともない『発達障害は治りますか?』を読み返してみると神田橋先生は私に筋トレを勧めているではないですか! これだったのか~もっと早く気づけばよかったよ、っていうくらい筋トレは体調をよくしました。

花風社クラスタの仲間も☆☆実験に参加しました。普段肉体を使う仕事をしている&スリムなねこ母さんでさえ「上り階段が楽になった」とこれまでとの違いを感じたようでした。栗本さんがすごいのは、ある運動を提案し、その運動がまだきつい人には同じような効果のあるもう少し軽い運動をどんどん提案できること。根っこがわかっているからですね。とりあえず私は最初の提案がなんとかこなせるようなのでそれを続けました。ていうかアンクルウェイトつけてやったりしました。



そしてもっとパフォーマンスを上げたいと思い、以前から放っておいた自分の問題、すなわち柔軟性に関してこの際改善することにしました。身体かたいな~と思いながら、肩こりとか腰痛とか五十肩とかとは無縁にきましたので、とくに行動を起こす気になれなかったのですが、☆☆エクササイズを続けるうちにこの問題に真っ正面から向き合う気になりました。そしてここだけはちょっとお金をかけました。トレーナーをつけたのです。昨日も多忙につき筋トレはおやすみでしたがストレッチだけはやりました。

トレーナーとトレーニングするうちに、「ああ身体というのは本来こことここがつながっているのか」とか、栗本さんや神田橋先生に教えられたこと、本で読んだことと自分の身体がつながっていきました。そして筋トレにどんどん拍車がかかりました。私は有酸素運動で脂肪を落とそうとしてもなかなか落ちませんが筋肉は面白いようについていく体質だったようです。タンクトップをまくり上げて自分で時分の腹筋にうっとりしているお兄さんたちにまざってウエイトトレーニングするうちに雪山のようだった私の腹にも筋ができてきました。結果的に筋肉量が上がりサイズダウンした夏でした。

あと自分が筋肉つきやすいと知ったことで、小さい頃からの謎が解けました。

母と私はかたちは似ていますが母はさわるとふわふわしています。本人も(今週に二、三回ジムに通っています。82歳です)筋肉がつきにくいと言っています。でも体重がある分他の同年代の女性よりは筋肉量あるし病気ししないし体力あるし丈夫ですが、当社比の問題で私がぎゅっと詰まっているとすると母はふわふわしています。それと母はごく小さい頃腎臓の既往があったらしく、むくみにはよく悩まされたらしく、よくむくみを警戒していました。そして私は水はけがいい人です。つまりかたちは似てても中身が相当違うのです。

そして私はむくみを警戒され冷えを警戒されながら厚着をさせられたもんですがその厚着が暑くてしょうがなかったのですな。今考えると同じようなかたちの中に詰まった肉の性質に相当違いがあって私は冷え性ではなかったようです。父がサッカー少年からサッカー青年になり結局60歳までピッチに立っていたこともあって筋肉量明らかに多い人でしたからそっちの血を引いたのでしょう。

ところがいつも自分に縁のないむくみや冷えを心配されて(そしてそれが実感できなかったために)「女はつまんないこと細かく言ってうざい」という学習を積んでしまったようです。今でも私がうざいこと言ってくるギョーカイママさんたちと相性が悪いのはそういうところに根がありそうです。私には実感できない心配事をぶつけてくる人をとてもつきあいづらいと感じるのが私の性質です。

だから皆さん、お子さんの弱さを気遣うのは当然のこととして、自分が持っているかもしれないけどお子さんがもっていない弱さをお子さんに押しつけるのはやめたほうがいいと思います。あと以前お子さんの弱さだったことを子どもはとっくに乗り越えてるのにずっと親が心配していることもあると思います。私は自分の実感できない問題を心配され続けたせいである種の女嫌いになってしまいました。そして男性とは決して対等な関係にはならないので結果的に人付き合いが悪くなりました。でも夫が「おまえみたいな生意気なやつ男だったらとっくに潰されている」と言っていますので、男性は男性で大変なのでしょうな(ひとごと

そしてその「人付き合いの悪さ」という弱みを強みに生かしてギョーカイの化外の民をやっているのだと思います。それが資質です。

まあそうやって筋トレの夏でした。ていうか、今後も続けると思います。冬はまたやりたいことが変わるかもしれませんが、気持ちいいことは続きますよね。




もう一つこの夏私の情熱の対象になったのは奄美のシマ唄でした(沖縄は島唄だけど奄美はシマ唄のようです)。

実は私、音楽に興味が全くない人でして、好きな歌手というのもいませんでした。でも『愛着障害は治りますか?』を作ったとき五感の回路の大事さを愛甲さんから習い、私も好きな音楽ってあるかしらと思って何気なく聴いた奄美出身のシンガーたちの音楽が気に入り、その人たちが歌うJPOPを聞くようになりました。切符買ってコンサートも行きました。それまで自分がコンサートやライブに金を払って行くようになるとは思いませんでした。

そしてそういうライブで最後に披露されるシマ唄をきいて魅せられました。完全に言葉以前のアプローチです。なぜならシマ口で何言ってるかまったくわからないからです。それでも美しいと思いました。

皆さんTHE BOOMの「島唄」みたいなのを想像するかもしれませんが違います。あれはJPOPだし沖縄と奄美は楽器も違って沖縄は三線を指で弾いてますが奄美はお箸みたいなので弾く三味線です。そして本土ではもんじゃ焼きのへらみたいなので弾きますよね?

奄美のシマ唄はどっちかというと本土の民謡に近いです。会津磐梯山は宝の山とかソーラン節とかそっちに近いです。そして何言ってるかさっぱりわかりません。でも大好きになったのです。

夏の猛暑のせいもあって、そして筋トレで疲れ切るせいもあって、有酸素運動はちょっとしかしない夏でした。でも筋トレを終えたあと奄美のシマ唄をききながらの有酸素運動でした。

榎本さんが先日FMつくばに出たのをきっかけに全国中のFMがスマホできけることを知り(音楽に興味がないのでFMを聴く習慣を持っていませんでした)奄美のFMを聴き毎朝六時にはこのラジオ体操をしました。



そして奄美シマ唄関連イベントに二回行きました。そこで居並ぶ歌姫たちを見て個性というものについて考えました。10月は現在「西郷どん」のオープニングを歌っている里アンナさんのコンサートに行きます。

タイに行くときも自分の好きなCDが電子化されていないという理由だけでポータブルCDプレイヤーを買ってしまいました。

タイに行ったあと奄美に行ったので腕の皮がむけ始めました。日焼けで皮がむける小学生のような55歳です。そりゃあ身体もビタミンCをほしがるわけですわ。みかんの皮も食べた方がいいかもしれません。

こんなわけで、とてもいい夏でした。

ここんとこゲラその他でいまいち運動ができない日々が続きましたが、今日はきちんと身体を動かしてこようと思います。

片足立ちは閉眼でも3分行くようになりました。やっと立位になれかけてきたかもしれません。『人間脳の根っこを育てる』をお読みの方は何言ってるかわかりますね。

そして立位になれることが、自傷・他害・パニックを防ぐことにも結びついているようです。

逆に言うと自傷・他害・パニックは身体アプローチで防ぐことができるのです!

昨日のねこ母さんのブログです。ねこ母さんは猫の餌代のために働いていると思います。そして猫たちはねこ母さんを癒やしていますね。

サプリ、筋トレ、ストレッチ、猫、シマ唄。
健康を維持するために選べる方法はいくつもあります。
ギョーカイはギョーカイじゃないところに目を向けてほしくない、よそに金を落としてほしくないから必死で個別的な五感+二覚へのアプローチをトンデモ扱いしますが、そういうものの方がギョーカイより役に立つ人は多いはずです。

そして「自分たちの効果測定のためにサプリもとってはいかん!」と人権侵害的な命令までしてきたギョーカイですが、

だったらいいかげん効果を出してみろよ、っていう話です。
自分たちが治せもしないのにサプリのむなとか顔じゃない、です。

他人がやっていることを二十年もトンデモ扱いし続けたあげくの果てに、1ミリも治せていないのです。
皆さんも別のところに目を向けることを考えてみてください。

それでは明日お会いできる方お会いしましょう。
道中お気を付けて。

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目次と表紙、できました!

2018-09-27 08:46:33 | 日記



こんな感じです。
ところで今回のこの表紙の絵、実は画伯作じゃないんですよ。
でも画伯も「俺の作品だと思う人いそう」って言ってました。
偶然ですが画風が似ている別の作品なんです。
さて誰でしょう?

中には画伯のイラスト出てきます。
それと表4も画伯のイラストの予定です。
そしてその二枚のポストカードを直販のおまけにおつけします。

直販はしばしお待ちください。
Amazonの方はこちらへどうぞ



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目次


自傷・他害・パニックは防げますか? 二人称のアプローチで解決しよう!


まえがき 浅見淳子 自傷・他害・パニックからの解放


第一章 そもそも、自傷・他害は防ぐべきものなのか?

いつまでもアリバイ的支援でいいのか?
自傷・他害は防ぐべきか? 元刑事としてこう考える
自傷・他害は防ぐべきか? 父として、介護士として、武道家としてこう考える

第二章 誰も傷つけない身体づくり 自傷・他害・パニックを起こさない身体を育てる
 
どんな提言をしてきたか
水収支と自傷・他害・パニック予防
排泄と自傷・他害・パニック予防
支援者の身体と自傷・他害・パニック予防
余剰エネルギーと自傷・他害・パニック予防
目の状態と自傷・他害・パニック予防
パニックは見守ればいいのか?
筋肉登場 筋肉の状態と自傷・他害・パニック予防
姿勢の悪さ、疲れやすさと筋肉
一緒に育てられないか 二人称のアプローチの提言

第三章 誰も傷つけず、誰も傷つかない身体の使い方を覚える
護道介助法 実践編

使わないための護道
背中から抱きかかえるのが最終形態
逃げるが勝ちの場面もある
支援者の身体の使い方が他害を誘発することもある
途中で治まる人も多い
護道介助法 原則は簡単
中心軸を作る
 8の字歩き
 壁立ち
 イメージを使う
 自分に向いた「イメージの仕方」を探る
 スワイショウ
伸筋を使う
護道構え
相手の攻撃をかわす
稽古で支援する側の身体が変わっていく
ズレる
ベクトルを変える
一体化
先に触る
 手解き(てほどき)
 手探り(てさぐり)
 手合せ(てあわせ)
抱える
護道介助法まとめ
信頼関係を壊さない身体移動法
 動かす
 支援側の呼吸と身体移動法
 止める

あとがき 榎本澄雄 護る楯を手に入れよう!
あとがき 栗本啓司 生命が輝く支援を!
あとがき 廣木道心 親として子ども達の未来のために望むこと
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ずっと薬のみつづけて治りもしないでバっカみてえ

2018-09-26 09:50:51 | 日記
さて、また大久保さん@函館てらっこ塾@役に立つ方

のつぶやきを拾わせていただきました。

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ドラッグストアで数百円で買えるサプリで症状が改善したり、治ったりして困るのは、寄せ集めで作ったシートでアセスメントをして数万円請求する支援者と、エビデンス&(自称)専門性のある療育をして、一向に症状を改善できないし、治せない支援者と、通ってもらうことでお金が入ってくる事業者(ブ)

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本当にそのとおりです!
しかもこれは皆さんおっしゃることだけど、昨日の記事にいただいたコメントにもあったように、サプリもどんどんいらなくなってくる。神経が整うともういらないんですね。
それを思うと、えんえんときっつい精神病の薬のんで治らないって本当にバカみたいですね。医療業界の飯の種として苦しみ続ける一生、奴隷のような人生です。それを自ら送っている人は本当にバカみたいです。いや、みたいじゃなくバカか。
もう一つ大久保さんのつぶやき。

=====


「サプリとか、別の療法とかをやっちゃったら、今やっている支援の効果がわからなくなるじゃないか」というのが、支援者の本音。
結局、療育の効果を確かめたいだけ。
興味があるのは、本人の未来ではなく、その療育にどんな効果があるか、誰に効くかのみ。
支援者同士では、普通の会話。

=====

これを強烈に怒っていらっしゃるわけです、神田橋先生は。
しかもそうやって当事者の人生を犠牲にしてデータとって、1ミリも治せない。
ある意味ギョーカイはすごいです(褒めてません)。

治るが勝ち!
治ってギョーカイを潰しましょう!



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抜け駆けとエビデンス

2018-09-25 12:33:49 | 日記
さて、B6がバズっているようですね。
それにしてもいぬこさんのコメント面白いなあ。一部引用させていただきます。
できれば皆さんは、コメント全部読んでくださいね。ためになるから。
お嬢さんに対する神田橋先生の処方のところだけ抜き出します。

=====

「お嬢ちゃんにはね、陳皮だな」と先生が言い…
度肝を抜かれました。(陳皮=ミカンの皮を
干した生薬)
思わず夫とその場で「だからかぁ(笑」と
声を合わせて言いました。

娘はヨチヨチの頃から
ミカンの皮が、キンカンが大好きで。
皮を食べる子、人をあまり知らないので、
おもしろいなぁと皮を拭き拭き、渡してたの
です。自分の欲するものを解っていたのだな
と。
数年後の受診。「貴女はこれは!よく治った
できることが随分増えたね、いやー、よかった」
と頭を撫でて頂き、本人も満面の笑み。

=====

陳皮の処方は、された人他にいるのかしら? 私はきいたことない気がします。
最も私が出された漢方も、愛甲さんは「そんなの処方された人見たことない」と言っていました。
そのめったに出ない処方でもできるくらい先生は勉強されているということですよね。しかもそれが当たっている。
つまりそれだけ「人それぞれである」が貫かれている。
でも易刺激性とか、小脳のくたびれとか、そういうのは発達の人あるあるですから、処方が同じ人も当然いるわけですね。

おそらくB6がこのようにバズって、ギョーカイのヤブ医者界隈(仮名吉川徹)あたりは今血眼になって「B6が自閉症に効くエビデンスはない」という論文を探していると思います。そしてやっと見つけたやつをツイートすると猿烏賊山が「やっぱり効果ないんだ!」と安心して狂ったようにリツイートする。そういう現象が数日以内に起きるに一万ペソかけてもいいくらい。でもすでにB6のんで治っちゃった人とか、急いでドラッグストア行って500円出して80粒買って飲んでみたら「いい!」という人にはそんな論文どうでもいいんだよね。だって大事なのは自分ちに効くかどうかでしょ。

じゃあヤブ医者と猿烏賊山、つまり「治らない教」を信仰している人々がなにゆえに海老踊りしていると思う?
なんでだと思います?

彼らはね「全員治るやつ」を探しているんです。
そして発達障害が神経発達障害であって、神経というのがこれだけ複雑なものである限り、ないでしょそういうの。
だから彼らは安泰なんです。「全員治るやつ」しか手を出さないんだったら、そういうものは見つからないから絶対に治らない。だから私は何度も言っているんです。「安心したまへ、君たちの子は治らない」と。

カゼインンフリーグルテンフリーダイエットも日本ではトンデモ扱いですが、あっちでは実践する人多いし効果も出ているよう。重度診断の子が健常児みたいになったりするみたいですよね。
でも厳密なアセスメントをするようです。一定期間食べるものをコントロールし検便する。カンタンな原理ですが入れるものと出るものを比べれば何が吸収されていて何が吸収されていないかわかりますよね。それでこの子には効果があるとなったらやる。なさそうならやらないんです。つまり「全員はこれじゃない」と知っているわけですよ。それでも効果がある人がいる以上それである一定数は救えるんです。

ところが日本のギョーカイは治したくないもんだから「誰にでも効くやつじゃないとトンデモ」と勝手に決めている。そしてあれもトンデモ、これもトンデモといい治らない防波堤を築いている。一方でそれを支持するルサンチマン系親の群れがいる。この親たちがなんで全員治らないといやかというと、抜け駆けされるのが怖くて仕方ないからです。よその子が治って自分ちだけ治らないのが悔しくて仕方ないから全員治らなければいいという実に下劣な根性なんですよ。

医者なら検便のやり方を習ってこい、っていうもんです。
そうしたら日本でも効く子と効かない子を見分けられる。
それを愚にもつかないアセスメントばかり持ち込んで、子どもをモルモットにしてデータ取って、1ミリも治さない。目的は大学とか学会とかでの自分の地位確保。そうやって子どもの未来を犠牲にして自分たちが食い扶持確保しているのが今のギョーカイですな。

一方で「検便しないとだめなのか」と諦めている人いますが、成人なら自分で試してみればいいですよ。
グルテンフリーもカゼインフリーも極端に栄養失調ではない成人ならさほど危険がないでしょう。それで「これはいい」とか「これは向かない」とか自分で確かめてみればいいんです。そうすれば向いている人と向いていない人がいるのがわかると思います。
今度のB6だって向いている人も向いていない人もどんどん発言するといいですよ。そうすると何年か経ったら傾向が見えてくるかもしれない。
オキシトシンだって東大行ってシュッシュしてもらって効いたという人だっています。ところが「全員効かないと認めない」のがギョーカイ。それは治したくないから。そして「よその子だけ治るとずるすぎる」というルサンチマン系の親がそういうギョーカイに洗脳され子どもをギョーカイ繁栄の人身御供にしようとしているわけですな。

私たちは治ってしまいましょう。金魚の人、B6の人、みかんの皮の人(←New!)
色々いらっしゃるようですが、とにかく
治るが勝ち! です。


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ビタミンB6について(ABAやSSTなんてやっている場合じゃないかもしれないよ)

2018-09-24 09:22:04 | 日記



昨日、大久保さん@函館てらっこ塾@役に立つ方がこうつぶやかれていました。

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神経発達の障害なら、食事やサプリの摂取の仕方で、症状が軽減したり、治ったりする人がいても不思議ではない。
でも、「怪しい」とか、「今、飲んでいる薬に影響が」とか理由をつけては遠ざけようとする人達がいる。
彼らは、本人の願いや幸せ、心身の健康よりも、自分達の既得権益を守りたいだけ。

=====

これだ! と思いました。
ギョーカイが必死に「神経発達障害」から目を背けるワケ。
それは食事やサプリが実は有効だとばれてしまうからかもしれません。

先日このブログの過去記事を読んでいました。



英米でポピュラーな療法ベスト10ね。
これは当時、ABAがエビデンスガーと威張るわりにはABAで良くなっている人が少なく、っていうかほぼいなくて、ABA父さん母さんたちのお子が発達芳しくなくて、でもやつらは感覚統合(当時花風社にとっても主流だった。私にとっては過去ですが)なんてトンデモだとばかにして・・・という状況の中で岩永先生がもってきてくれた資料です。
そうしたらさあ
今見てみたらビタミンB6が堂々七位にランクインしているではないですか。

いや、全員じゃないけど、ここ数年神田橋先生のところに行って、ビタミンB6の摂取を勧められ、「ほぼ治っちゃった」という人の多さよ。
これには私、びっくりしてきたんですね。
しかもネイチャーメイドですよ。どこでも売ってるやつね。密林では80粒500円くらい。サプリだから社会保障費も食わない。これで治ってしまったら困るのは精神病の薬売りつけられなくて困る病院と治らない療育で食ってるギョーカイ系事業所くらいのもんですな。本人や家族は全く困らない。っていうかハッピー。ついでに言えば医療費削減できて国や自治体もハッピーです。

でもこれほど多くの人がB6で治ってしまっているということをなぜ書かなかったかというと、やはり全員が薦められているわけじゃないから。私はこう考えています。

人間は個体によって、どの栄養素の代謝が得意とか不得意とかあると思う。やせの大食いっていう人たちいるでしょ。あの人たちは糖質を脂肪に変える能力に乏しい人たちなのですな。脂肪が蓄えられないもんだからもっともっと食わないといけない。そしてますますやせの大食いに人の目には映るのですな。

だとすると普通の食事をしていても、なんかのビタミンが不足する人はいてもおかしくない。そのうちB6が不得意な人に発達障害の症状が出ているということもありうる。

だとするとB6を後付けしてしまえば症状は消える。体調よくなる。あとは芋づる式に社会性が生えてきたりね。

ただ個体によって代謝がうまいへたはあるから、中にはB6欠乏が原因じゃない人もいる。その人たちには先生も別にB6は勧めない。だから理想的には鹿児島に行ってきくのが一番いい。

でも鹿児島に行けない人もいるし、今は週二回だし、行ってもこんでるし、という状況の中でふと気づいてみると、先生は自分にいいものを自分で見分ける方法をちゃんと本に書いてくれています。

『発達障害は治りますか?』と『精神科養生のコツ』を読み込んでしまえば、自分で自分にいいものを見抜ける力がかなりつきます。



私は誰かが何かを鹿児島で勧められてよくなった! という話を聞くとだいたいそれを人体実験します。可能な範囲でですが。春ウコンとエビオスは最初から私向けではなかった。

麻の実は効きました。実行機能五割増しでしたね。でもそのうちほしくなくなりました。そのうちまたほしくなったら取ります。

B6についてもあまりにたくさんの人がよくなっているので、まずは検索です。B6が足りないとどういう症状が起きるか。これは皆さんまず検索です。

易刺激性とか書いてありますよ。そしてそれはたしかに、かぶりますね発達障害の少なくとも一部の人と。私にはあんまりなさそう。

そして私は仕上げにドラッグストアの棚の前に行って自分に合うかどうか確かめます。

その結果私にはB6はいらんと判断しました。

代わりに何がピンときたかというと、この夏はCでした。栗本さんの次の本の関係で☆☆トレーニングの夏でもあったから、ちょっと微妙に食べるもの変わりました。鶏むね肉とか枝豆とかいっぱい食べて。かなり身体変わった感じです。そしてなんかCにぴんときた。

そこでCのサプリを摂取しました。そうしたらどういうことが起きたかというと、間食したくなくなりました。結果的に砂糖の摂取が減ったでしょうね。

そしてしばらくするとCもほしくなくなりました。これは身体が知っています。砂糖がほしい時期もあるしね。でもまたここ数日Cを取っています。そうするとほんとに砂糖がほしくなくなります。

私は婦人科系で不調を感じたとき、ホルモン療法とかイヤなので鹿児島行って神田橋先生に「先生私婦人科系統どうですか?」ときいたら「右の卵管だね」と言われまして漢方を出してもらったことがあります。飲んだら甘くておいしくてあっという間に治りました。けど、二週間経たないうちにもう味が変わりましたので先生にきいたらもういらないということでした。

皆さんは療育地獄を経てきて、パッケージを買うこととアウトソーシングすることになれているから、こういうこと書くと急いでB6に走るかもしれません。でもそれは治したいという気持ちの現れでもあるので、私にしろ支援者にしろ「みんなすぐになびくから」という理由で情報を統制するのは傲慢なことだと思います。だから今日私はこれを書いています。

私は情報統制するのではなく「個体はそれぞれ特性があるのだからなびかないで自分で判断する習慣をつけましょうよ」と呼びかける方を選びます。

それは私がギョーカイと違い治らない人を飯の種にする気がないからです。それぞれに主体性を大事にしていただきたいからです。


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奄美鹿児島の旅 その8(最終回・檄文)

2018-09-23 18:57:22 | 日記


桜島に挨拶したあと空港に向かい、さつま揚げを買います。
夫へのお土産はさつま揚げと豚足。そして持って帰れるのはそれだけじゃありません。
九州中から集まった読者の皆様から、各地名産のお菓子等をいただきましたので自分の荷物を宅配便で送り、新調したスーツケースはおいしいものでいっぱいです。。
ねこ母さんは液状になった芋(焼酎ともいう)をくださいました。

うとうとしているうちに、羽田に着きました。
薩摩藩が苦労して参勤交代した距離は、飛行機ではあっという間です。
横浜方面に向かうバスに乗ります。
京浜工業地帯には今日もたくさんのキリンさんが。
奄美の海とは違ったどす黒い海ですが、これが私にとってはうさぎおいし~の景色です。

バスから降りると野菜を買いました。
サラダに温野菜。
さつま揚げに豚足。
芋水。
なんとなく海の幸も山の幸も揃った宴の準備が整いました。

奄美の海で泳いで気持ちよかったこと。
シュノーケリングツアーには入らなかったけどおさかなは見えたこと。
鹿児島で栗本さんが大人気だったこと。ちゅん平が元気そうだったこと。ある人と栗本さんを会わせるという当初の目的は達成したこと。
お土産話はたくさんあります。

久しぶりに自分の寝床で寝て、起きて。
忙しい日々の再開です。
情報がどんどん入ってきます。
中でもうれしかったのは、家で蹲踞させるとは何事だ! と文句を言って出て行った通級の枠が次の親子で埋まり、早速花風社クラスタの先生が身体アプローチを教えてあげたらお子さんがうれしそうで、それを見ていたお母さんが「家でもやろうね」と言ったとのこと。
こうやって喜んでくれる人、活用してくれる人に枠が回るのはいいことですね。

そして私は奄美鹿児島へ飛ぶ機内で書き、桜島を見ながら推敲した檄文を再度推敲しました。
貼ります。

=====



身体アプローチに納得しない人は、発達障害イコール神経発達障害、という定義に納得していない人である。


「神経発達障害のすべて」という杉山医師監修本を真に受ける限り、杉山医師ですら本当に納得しているか怪しい。あの本は、「今般発達障害イコール神経発達障害となったけどオレたち以前と変わらぬ支援しかする気ないぜ」というアリバイ作りみたいな本であった。末席にABAを連らせて神経発達障害とはまったく関係のない文章を書かせている時点で単なる互助会同人誌であることを露呈していた。

なぜなら神経発達障害という定義が意味するものは端的に言うと

大脳皮質だけの問題ではありませんよ

ということだから。皮質下に興味のないABAではもう役に立たないという事実を突きつけているのだ、神経発達障害という定義は。

それを「神経発達障害」のかけ声のもとああいう陣容の書き手を集めたということは、ギョーカイ人たちは相変わらず友だち原理主義に走り、当事者の未来を犠牲にするつもりだ。
仲間の食い扶持を守り、発達援助は二の次にする意図を示している。
私はあの本をそう解釈した。

私が「誰とも仲良くしない」と宣言しているのはそういう風にブレたくないから。

ギョーカイつながりでやたら友だち多い人のFBとか見てると、全然主義主張の違う人たちがなんか美味しい話があるかもというスケベ根性でつながっており、お互いに顔色を伺って誰もはっきりと主張せずに飲み会の写真ばかり載せている。

だから連中はつまらない。非生産的なムラ社会。そういう人たちが平成の後の時代を生き抜けるとは私には思えない。

発達障害は大脳皮質だけの問題ではないからこそ、学習能力にバグがあるのなら皮質下から土台を作るのが近道なのだ。そして人体の仕組みからしてこことここがつながってるから(例 目と肩甲骨、股関節と耳)これやってみようよ、家でできて一日五分で変わっていく、という私たちの提言を納得する人としない人が出てくるのは自然なことなのだ。

それを一生納得しない人がいるのは生態系からして当たり前なのだ。
全員が治る必要はない。
治らない人は自らその道を選んでいる。
だからこちらが同情するのは彼らに対して無礼である。
彼らは勝手に治らなければ良い。

そして支援者たちがなぜ互助会を作っているか。
それは彼らの根性がみみっちいからである。
できれば自分のやり方を広く公金で広げてもらいたい。
そのために誰かに否定されるのがイヤだから、考えの違う人を否定せずにうわべだけ仲いいふりをしている。

例えば自分のやり方を学校現場で広く使って欲しいと願う支援者は多い。
うちの著者の中にさえそういう考えを持つ人はいる。

だが

学校に発達援助を期待するなど、時代を読み間違えている。

今の時代には絶対権力者はいないから、誰かが号令かけたらその方法が広まるということはない。
官であるがゆえにやたら中立を目指す学校現場ではなおさらのこと。


ところが日本人に積み重ねられてきた封建的なメンタリティと愛着の問題が合わさると「決定権のある人に気に入られれば取り入れられる」という誤学習をする人が出てくる。


そして自分の方法を広めたいばかりに、組むべきではない相手に「あなたのやり方も否定しませんが私のやり方もどうでしょう」と揉み手で近づいていく。

このやり方こそ正しいと信じているおバカさんも多くて、だいたいそういう人は私の生き方に批判的で「そういうやり方では損するよ」とか言ってくる。誰とも波風立てない自分がお利口だとカンチガイしている。私の年代の女子にとくにその傾向が強いと思ってきたが、なぜか発達障害の世界では男子でもこういう種類のお節介をしてくる人がいる。



私はこの人たちが大嫌いだ。弱虫だし、弱虫を押しつけるし、そして実のところこの人たちがやっているのは女性差別だから。

男性が強い主張をしてもこういう人たちは文句をつけないのである。自分たちはリベラルなつもりで、時には女性差別を憎んでいるつもりで、意識高いつもりで障害者にかかわっているだけに差別を糾弾する側のつもりで、私にお節介を言ってくる男も女もその実、女性差別主義者なのである。

高学歴で意識高くて、それでもたいしたブレインストーミングを必要とする仕事についていない人。そういう人がこういう風に高学歴をこじらせる。これは女子に多い。

本当ははっきりした主張をしたいけど、ムラ社会に生きているから、互助会の一員でいないと怖いからはっきりした主張をできない人が腹いせのように私を攻めてくる。これは男女問わずギョーカイ関係者に多い。



桜島を見ながらこれを推敲してる。桜島を近くから見るのは今年二度目だ。

何年か前から好きになった鹿児島。今年目覚めた奄美。どっちも今年は一年に二回も訪れることかできた。

好きなときに好きなところに行ける自由が私にはある。そしてこれは私が望んで手に入れたものであり、同時に誰にでも与えられているものではないことを私は知っている。
「そういう生き方では損をする」と私を攻める人たちが言うように、こういう今の自分の環境が損した結果なら損して良かったと思う。

私のことを損してがってる人々は私ほどの自由を手にしているのだろうか?

今の私はとりあえず今のところ、健康にも、仕事にも、家族関係にも、食い扶持にも心配事がない。
ところがそれらのことに心配事が絶えない人が私を「損する」とバカ扱いする。説教したりする。
顔じゃない、っていうのはこういうときに使う言葉ではないのかな?

私から見ると、彼らは全然トクしていないんだけど。

誰とでも仲良くして気に入ってもらえば何とかなると信じてるクラスタは封建時代に生きていて、いない絶対権力者を恐れて、不適当な相手に媚びを売り、そしてなんでうまくいかないか不思議がってる。

なんでかっていうと根本的に世の中の仕組みを間違えてるから。
と私には思える。


平成の世に身体は生きながら、心はムラ社会か封建社会に生きてて民主主義のセグメント化された資本主義社会に適応していない人たち。
無駄に無力感を持って媚びてはいけない相手に媚びる。

その人たちが現代に適応できなかった理由は多々ある。教育、生育環境、変な左翼思想。同調圧力とかいうやつ。私はそんなもん存在信じてないけど。その他色々。

自分の主張を広めたければ、それを邪魔するものはきっぱりと否定するしかない。
たとえ争っても。
だからこれからもギョーカイ批判はやめない。

誰にも憎まれずに主張を展開するなんて無理なんである。

私はこれからも

治さない医療も、伸ばさない療育も、アリバイ的特別支援教育も、ルサンチマン系の当事者も、他人に求めてばかりの保護者も遠慮なく批判する。

今の時代は斉彬に重用され久光に島流しされるようなことはありえない。そんなことは権力者にも許されない。つまり、誰に嫌われたって命にかかわらない平和な時代なのだ。

そういう平和なリスクのない時代に自分の信じる道を強く主張しなくてどうする。なんのために生きてるんだ?

それがわかっていない人が多い。
そして「正しいこと」ではなく「自分が叩かれないこと」に固執する。
叩かれると命を取られると怖がる。
これが方向間違い。

っていうか本気じゃないのだろう。
正義を通して命取られる時代ではないのに正義を追求せず保身に走ることを選ぶなら。

そんなわけで私は誰かの顔色を伺うがために主張を曲げたくないので誰とも仲良くしない。

敵も味方も作るもんではなくできるもんなので勝手に仲間になってくれるのはかまわない。でも一旦仲間になっても気が合わなくなったら離れてもらってかまわない。最後に罵倒して出て行ってくれてもかまわないしひっそりと離れてくれてもかまわない。

とにかく私は私の道を行く。
方向修正はしてきたしこれからもするだろう。でも私のことが気に入らずに批判してくれる人の批判によって方向修正することはない。自分がすべきだと納得したときにする。

なぜなら

絶対に機嫌を損ねてはいけない人などこの世に存在しないから。


それより

命あるのなら探らなければいけないのは
「何が共同体にとって正しいか」
「何を人々が求めているか」なのだ。

具体的に今私がいる場所から言えば
「治りたいと願う人にオプションを提供すること」
なのだ。


それを追求するのが最高のサバイバル方法ではないだろうか?
気の合わない人と仲良くするより。

私はどこにもいない権力者ではなく人々が抱くニーズに訴えかける。
そして私の主張を取り入れた人に結果を出してもらう。
遠いようでそれが近道だと思っている。

第一次猿烏賊騒動のときには多くの人から
「こっちの気に入るように振る舞わないともう我々は見放すよ」という脅しを受けた。
自分が弱虫だと、自分が愛着障害だと、それが脅しだと思うようである。

私にとっては痛くもかゆくもない。

私にとって、絶対に守りたい人間関係は母と夫だけ。
そしてこの二人は絶対に私を見捨てない。

死以外に、この二人から私を引き離すものはない。

母は無条件に私の幸せを願ってくれている。たとえ私が無愛想で女子力低く母の好みの子どもではなく、母の言うことなど聞かなくても。

夫は本当に私を大切にしてくれる。ギョーカイと戦う私をたしなめるどころか応援してくれる。そして精神的支柱になってくれる。今度の旅も餞別までくれてこころよく送り出してくれた。だから私はなんの心配もせずに各地を思う存分楽しめた。

私の人生にはたくさんいいことがあったけど、そして仕事を通じて社会とかかわれたのは幸せなことだったけど、一番幸せだったのは、結婚する前も結婚したあとも、家族の愛情を疑わないで済んだことかもしれない。

私のことが嫌いな人はたくさんいる。
でも私がこれほど家族に大事にされている人間だっていうことは、動かしようのない事実。
前世の行いがよかったのかな? でも
本当に邪悪な人間は、家族にも愛されないものだと思うよ。

家族間さえうまく行かずに親や配偶者の文句ばかり言っている人が私の人格を云々するのは実にファニーな光景。

私が大嫌いな人たちよ。
私が損しているとバカにしている人たち。
あなたたちは家族とうまく行っていますか?
あなたたちには行きたいときに奄美や鹿児島に行く自由がありますか?




あなたたちはガリガリでメンタルを病んでいた藤家さんのような人が元気に立ち直っていく姿を間近で見て感激した経験はありますか?




あなたたちはコツコツと知見をためていた一万パーセント無名なおっさんが箱根の麓から全国に飛び出し人々の役に立っていくのを間近で見て感激した経験はありますか?
故郷から遠く離れた九州の地で自分の本を読んで役立ててくれる多くの読者と出会った経験がありますか?




あなたがたが大嫌いな私には
そのすべての経験があります。
だからあなた方から見て私がどれほど損しているように見えても
私は私の人生が幸せなものだと感じています。

そして、

土台の人間関係がしっかりしているからこそ
私にとって、あとの人間関係は正直どうでもいい。
誰と訣別しても私は怖くない。実際訣別してきた。
主張の違う人とつるむくらいなら訣別の方がいい。
だからギョーカイとは金輪際仲良くしない。

でも志さえあれば、いつ誰と訣別しようと必ずそこには志を同じくする仲間が出てきます。
それが生態系でしょう。

だから私は、自分の信じることを主張していくら敵を作っても、絶対に孤独にならない。

賛同者は必ずいるから。

そして夫と母がいるから。
この二人は絶対に絶対に、私を見捨てないから。

父が遠くから
いつも私を見守ってくれるから。

誰とも仲良くする気がなくても絶対に孤独にならない。
そういう根っこからの自信があるのが私の強みです。
アンチが束になっても、この根っこは崩れない。

そしてそこが私の強みだからこそ


みんなのために活かすつもりです。

(完)
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奄美鹿児島の旅 その7 療育地獄(改題)

2018-09-23 09:33:53 | 日記




ねこ母さんに栗本さん、ちゅん平さんと楽しくお食事をした次の日
私は帰りの飛行機に乗る前にちょっと桜島を見に行きました。
大好きな桜島。
前回来たときは夫と二人島内に泊まり温泉に入ったのです。
今回はご挨拶だけ。

そして奄美鹿児島間の機内で書いた檄文を推敲しました。
出発前に聞いた通級で身体アプローチをやれと言われて怒ったモンペのこと
そのクレームに死んだふりした教委のこと
前の日に見た日本の端っこでたくさんの人の間にコンディショニングが根付いてる光景や、酒の席で栗本さんにきいたスマホの修理のように小田原にやってくる新たな客層のことを考えながら檄文を推敲しました。

花風社の身体アプローチは、アンチの大活躍もあり、たしかに裾野が広がったのだけれど
新たにお客になった人は療育地獄を経てきた人だということを覚えておかなくてはならないなと思いました。
支援ギョーカイによって「米はもう作らんでよか」と言われてきた人たち。
「この子たちの育て方は専門家が知っている」
「専門家の提供するサービスをパッケージで買ったり、専門家にアウトソーシングするのが療育である」
という洗脳を受けてきた人たちです。
それが生涯福祉というケージに囲われ卵を産まされるめんどり人生への片道切符だとも知らずに。

そう、知らないのでしょう。
「支援があれば」というギョーカイの営業トークのうそに気づいていない。
でも治りたいのです、本当は。
もしかしたらギョーカイに治す意欲も能力もないとまだ気づかないまま、キラキラした瞳で療育にせっせと子どもを連れて行っているのかもしれません。
だからこういうツイートを見て、駆けつけたのです小田原に。
ヤブ医者ながしはどうせ自分では誰一人治していないでしょうから、ツイートによって小田原に人を送り込んだだけでもちょっとは社会貢献したんじゃないでしょうかね。はさみとアンチは使いようですわほんと。



そしてその新たな客となった人たちに私たちは
「朝顔を洗うのに毎日エステには行かないでしょ?」という気づいてもらうところから始めなくてはなりません。
「あなたが経験したものは療育地獄なんです」と教えてあげるところから始める必要のある人もいるかもしれません。

こういうときのために『発達障害、治るが勝ち!』を書いておいてよかったな~と思いました。



そして学校とどうつきあうか。
もっと具体的に言えば
民である花風社のもとに自分の意思で集ってくる花風社クラスタと違い、官が憲法のもと無料で教育を提供している場で身体アプローチをどう浸透させていくかという問題があるなあと思いました。

ABAの人たちだって、この点はもどかしさを感じているようです。
「自分たちが望むほど浸透していない」というもどかしさ。
しばしば学校は心でっかちになりがちですから、そういう意味でABAが役立つのに、と思うのかもしれません。

そしてうちの著者の中にさえ
「自分がやっていることをもっと学校が取り入れてくれれば」と思っている人はいます。

そして実は
私はその思いが結構希薄なんですよね。
以前からなぜ私は学校に食い込む気がないのか自分でも不思議に思っていました。
でも桜島の前で考えてわかったのです。

以前からわかっていた理由としては
学校に人格形成を期待していないというのがあります。
皆さん自分の人格が学校生活を通じて形成されたと思いますか?
これに対し私はイエスと答えます。
でも私に影響を与えたのは同級生たちであり、断じて教師ではありません。
教師など人格形成においてはどうでもよい存在です。
邪魔しなければそれでいいのです。

そして私は、たとえ自分のやり方であれ、官である学校が一色に染まるのを好みません。
今のように、時々花風社のやり方に手応えを感じている先生たちがいて、本を読んで講座に来て勉強して他のやり方と並行しながら現場で実践してくれる、という流れでいいのではないかと思います。
たまに変なモンペが出てきて教委に怒鳴り込んだら、クビをかけてまで貫く必要はありません。
やりたくない人はやらなくていいのです。
治りたい人だけ治ればいいのですから。

この理由はこれまでもわかっていたのですが
私がこの旅の途上、奄美の海に浮かびながら考え、栗本さんの講座に出て人々の反応を見て、栗本さんと酒を飲みながら話をして、そして桜島を見ながら考えてわかったことは

私が学校であれどこであれどっか権威筋に売り込みたいという欲求がない理由
それは私が愛着の問題を抱えていないからだ

と気づいたのです。

愛着の問題を抱えている人は、誰かに気に入られることに必死です。
自分のやっていることを肯定されたくて必死です。
でも私にはそれがない。
神田橋先生がおっしゃるところの「土台の充実」があるからそれがない。
自分が信じていることをやっていれば、別に気に入らない人がいても平気なのです。
自分の主張をど~んと出し、「こうこうこういう理由で私はこれやったら治ると思う。やりたい人はやって。やりたくない人はやんなくていいよ」なのですね。
ところがアンチというのは不思議なもので、自分が強制されていないのに誰かがやっているだけで強制されている気になりうるさく言ってくる。
「うるせえな。黙ってろよ」と思いましたが、結果的にアンチが騒ぎ立てることで裾野が広がっているのなら騒がせておけばいいや、と思うようになりました。
ヤブ医者ながしのようにヤブ医者でも、花風社アンチ活動によって治る人を増やせるなんて素晴らしいではないですか。

そして「自分のやり方を学校に取り入れてもらいたい」と本気で思っている人たちは、多かれ少なかれ愛着の問題を背負っている人たちだなあと気づきました。
愛着の問題を背負っていると色々な現象として立ち現れますが
その一つは「権威筋を想定し、その人に気に入られようと汲々とする」という現象ですね。

ところが学校現場には実は権威筋はないのです。
幻の権威筋なのです。
彼らは官なのだし、中立にならないといけないのだし、保身に熱心ですから。
結局現場の先生たちがそれぞれの信念に基づいて勉強して(あるいはせずに)支援をしている。
それにクレームが入ったらひっこめるだけのこと。
治りたくない人を、クビをかけてまで治す必要はありません。しょせん官なのですから。
実はクレームを持ち込まれて現場の先生を指導する教委にもたいした信念などない。ただクレームがいやなだけ。
そういう世界でありもしない権威筋に媚びるなんてほんとバカげています。健康に悪いです。

結局治る人を増やすには、今のように強い主張をし、アンチの荒波が来たらまたそれに乗っかってさらなる沖を目指し、「米はもう作らんでよか」の療育地獄を抜けてきた仲間には「米は自分で作らないといけないんですよ」と教えてあげる。
でも米の作り方の知識は著者たちが持っていますよ。
それを習って家で取り組んでみてください。
だって毎朝顔洗いにエステに行かないでしょ? 自分で顔洗うでしょ?
整えるとはそういう毎日の家でやる営みなのですよ。
そしてそれで一次障害が治っていくのです。
なぜなら発達障害とは、神経の問題なのだから。
というところから教えてあげることですね。

要するに
これからも私は強い主張をするだろうし
もしかしたらスマホ修理系の読者には読者でも苦言を呈するかもしれないし(だってもう55歳だしね)
ギョーカイはdisり続けるだろうし
「だってあいつら治せないじゃん」という指摘はやめないだろうということですね。

なんで平気でギョーカイdisをするか。
それは私が「互助会」に入る気がないからです。
そしてギョーカイ人は互助会に必死なんですよね。
「互助会」というキーワードでギョーカイ人のSNSとか見ると面白いですよ。

連載、長々続いてしまいました。
次が千秋楽です。
檄文を載せますね。
今日が千秋楽ですから、今日中に載せます。

続く

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奄美鹿児島の旅 その6 療育地獄(改題)

2018-09-22 09:00:00 | 日記



薩摩藩が奄美群島に砂糖での年貢を強いたのが黒糖地獄。
でも薩摩本土の民だって、年貢は強いられていたのです。
藩は藩でつらかった。徳川幕府は外様の薩摩に何かと金を使わせます。
参勤交代。大工事。自分のところの姫を島津家に輿入れさせ大金を使わせる。
島津家の姫を自分のところに娶る。
それやこれやで膨大な借金を負った藩はそれを貴重品であった黒糖で帳消しにしようとしたのですな。

今年三月に鹿児島に行ったときには、すでに早稻が植わっていました。関東はまだ田植えなんかしていない時期。
温暖な地だから米なんかとれ放題でしょ、と思うのは品種改良が進んだ今のことで、火山灰の影響もあり実は薩摩は米に恵まれなかった土地で石高も実際よりふかしていたようです。だから今も芋と縁のある土地ですよね。
つまり苦しかったのは奄美の民だけではなさそうです。
藩も苦しければ、鹿児島本土の民だって苦しかったはずです。

ではなぜ中でも黒糖地獄がとりわけ残酷だったのでしょう?
それは「何を作物とするか?」を支配されたからです。


「西郷どん 島編」の中では島役人が「もう米は作らんでよか」と言っていましたが、黒糖が大坂(当時)の相場で高く売れることに気づいた薩摩藩は、奄美の民が自分で食べるものを作らせず上納させるサトウキビだけを耕作するように強いていたのです。平地は全部サトウキビ畑。米など、奄美の民が生きていくのに必要なものは作らせない。私が空港と宿の間で見たたくさんのサトウキビ畑はその名残ですね。
そして大坂で買い入れた米や味噌を、奄美の民には薩摩の民より高い相場で売る。私の読んだ本によると、大坂で砂糖76斤と米一石が等価取引だったのを、奄美に持ってきて島民に507斤で売ったそうです。明らかに暴利ですが、島民としては、自分のところで作らせてもらえないのですから、どれだけふっかけられても言い値で買うしかない。そうやって二重に搾取していたのです。

自分で自分の食い扶持を作らせない。
これが黒糖地獄の残酷なところであり、このやり方は欧米列強のアフリカ支配と同じです。そもそもアフリカが飢えたのだって欧米列強が現地の人が食べるものを作らせず自分たちが売り買いしたい作物だけを作るよう強いたからです。
今の若い人の中には、アフリカが飢えているのは自業自得だと思っている人が多いらしいのを知ってショックですが、もっと歴史を学べと思います。そもそもあの温暖な地が飢えたのは欧米列強が現地の人に「何を作るか」を強制したところから始まっているのですよ。

このやり方が実にギョーカイに似ていると思うのです。
自分で自分の食い扶持を作らせない。
そしてよそから持ってきて高く売る。
持っている力を使わせない。
自力で作らせず、言い値で売る。

そもそも、親にとって一番の財産はなんでしょう?
親心です。
親としての本能です。
発達のヌケがあったらそれを埋めたい。遅れがあるのなら取り戻したい。障害があるのなら治ってほしい。他人に迷惑をかけない子に育てたい。生き物として当たり前のことです。自分で自分の食い扶持を作り、他人に迷惑をかけない子は共同体の中でのサバイバル率が高くなるのですから。

そういう親としての本質を「専門性」の名の下に否定する。「障害受容ができていない」としたり顔で、まるで悪い事のようにあざ笑う。「お母さんは頑張らなくていいのです」「本人はありのままでいい。社会が理解すればいい」と甘い顔で言う。その実これは、「もう米は作らんでよか」の世界です。

おまけに哀れなことに、この「米はもう作らんでよか」に洗脳されてしまう人たちもいるのですね。そして知らず知らずのうちに相場より高い米を買わされている。黒糖地獄と違うのは、制度のもとでその請求書が行政に回されて人々の血税を食んでいるだけ。生きる力を奪われているのは同じです。そして結局一生福祉の世話になるしかない。めんどりコースです。

そしてその「米はもう作らんでよか」のギョーカイ人たちが皆さんに提供するのはなんでしょう?
ただのアセスメント。自分たちが家元に座るための。
ただの対症療法。一次障害を治せもしないのに支援者として君臨するための。
ただの枝葉末節なのです。だって彼らは生き物としての土台に働きかける気などないのですから。

ギョーカイは親から親心を奪い、枝葉末節を提供する。血税をうんと使ったあげく、彼らが発達障害の診断を下されたお子を社会に送り出すわけではありません。将来にわたって自分たちが飼い殺すのに都合がいい人間に育て上げるだけです。
だからこそ
もう「生まれつきだから一生治らない」「障害を受容しよう」というギョーカイトークに騙されるのはやめませんか?

しかも、黒糖地獄は明治維新後も続いたのです。
つまり廃藩置県して、日本が中央集権の国になり、島津家は領地を取り上げられ他の大名同様東京に行って華族となったのに、まだ黒糖地獄は続いていたというのです。
なぜでしょう?
なんと薩摩のおえらいさんたちは、奄美の人々に明治維新があったことを知らせなかったというのです。

中央集権の国になったら、もう薩摩藩に徴税権はありません。
だけどそれを知らせなかった。
取り立てる権利のない年貢を取り立て、換金していたようです。

まるで、「発達障害=神経発達障害」と定義されたことを知らせず、相も変わらず「生まれつきの脳機能障害だから治らない」と人々を騙し続け、枝葉末節の療育を売り込み続けるギョーカイのようです。

写真の右は、ソテツです。
サトウキビばかり作らされ、米も芋も足りなかった奄美の人々は、ソテツを毒抜きして食べたそうです。
そして飢饉のときには、ソテツでさえ底をついたそうです。
ソテツって私たちにとっては、南国を演出する観葉植物でしかありません。
どうやって食べるのか謎でしたが、現地の博物館みたいなところでソテツを食用にするための手間について知りました。
どういう味なのだろうと思ったら、とってもしっかりした優秀なデンプン質でした。米よりも腹持ちが良さそうです。
ただ毒抜きにとても手がかかり、中毒を起こす人もたくさんいたそうです。

「自分の食い扶持は自分で確保する権利」
それは基本的人権だと思いませんか?
ギョーカイは皆さんからそれを奪っているのです。
「治ってほしい」という当たり前の親心を否定することによって。
当事者から自分で生きる力を療育によって奪い、福祉の中の人生へと、片道切符を渡すことによって。
それが「療育地獄」です。

続く
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奄美鹿児島の旅 その5 療育地獄(改題)

2018-09-21 09:37:24 | 日記





さて、奄美鹿児島の旅の連載ですが、ここからサブタイトルを「療育地獄」とします。
ぴんと来る方もいるでしょう。
これはもちろん「黒糖地獄」にたとえてあります。
黒糖地獄が何かを知らない方は、検索でもしておいてください。
私は各種本を読んでいますが。

当日のことに話を戻しましょう。

講座が終わって、ねこ母さんとちゅん平さん、栗本さんと私はちょっと高級な居酒屋で打ち上げをしました。
気を使ってビールの銘柄を調べておいてくださったねこ母さん。おさかなも美味しく、九州に行くととにかく魚ばっかり食べる私大満足、のお店でした。

そして栗本さんがぽつりぽつり最近のことを語り始めました。

最初に言っておきますが、栗本さんは愚痴を言ったのでもないし、ここに出てくる親御さんを責めていたわけでもありません。
でもとにかく、「客層が変わってきた」というのです。
私はじっと話を聞いていて、「それは客層が変わったというより、裾野が広がったのではないか」という感想を持ち、そう言いました。
栗本さんはなるほど! と言いました。

栗本さんが一万パーセント無名だった時代があり、やがて本を出し、全国から人が来るようになりました。
その人たちは本を読んだ人たちでした。
本を読んで、たとえばこの右側の棒人間の姿勢を見て、「これじゃあ睡眠もとれないし不安が強くなるしぴょんぴょん飛ぶだろう」という栗本さんの観察を知って、まずは眠れる身体、無駄な不安を感じない身体(すなわち左側の棒人間)になるにはどうコンディションを整えればいいか知りたくてやってきた人たちでした。
そしてその人たちが治っていきました。



けれども今来るお客の中には、そもそも本を読んでいない人がいるというのです。
じゃあなんで栗本さんのことを知ったの? ときくと
「ツイッターの又聞きの又聞き、リツイートのリツイートを読んであわててやってくる感じ」というのです。よく内容もわからず、とにかく「小田原行くと治るらしい」という感じです。

ここもアンチ勢大活躍している感じです。
もしかしたら最大の貢献者はヤブ医者ながしかもしれません。
「発達障害治るなんてけしからん!」と炎上してくれると「え? 治るの?」と小田原に駆けつける人たちがいるとういわけです。

ところが本を読んでいないと話が遠い。
だから栗本さんは「読んでください」と言うらしい。
でもそれは本を売りたいためだけじゃなく、読んでいた方が栗本さんがどこをどう見て何をやっているかわかると思うからです。
逆に読まないで行くとわけがわからないと思うのです。

それでも読まないで来てしまうと言うことはどういうことかというと
それだけ支援が数としては揃った結果「パッケージを買う」「アウトソーシングする」こそ療育だという観念がよくも悪くも広がっていて
まるでスマホでも修理に出すような感覚で「連れていけばなんとかしてもらえる」と思い込んでしまう人たちが増えたということです。
そしてこれは、親御さんだけを責められないですね。

「とにかく世代が変わったから」と私は言いました。
私がニキさんと全国行脚し始めた2000年代の初め。私は三十代後半でした。各地で会う自閉っ子ママたちは同年代が多かった。
ところが今は二十近くかそれ以上年の離れた人たちが診断のついたお子を育てています。成人当事者の中には「うちの母、浅見さんと同い年です」という人もいる。
高度成長期を知らず、専業主婦でいられる人が少なくなり、そして同調圧力とかスクールカーストとかそういうのに晒されてきた世代。その中で子どもに障害があると、カーストの下まで突き落とされたようなそういう感覚を持つかもしれない。焦り方が尋常ではありません。
そしてファストファッションやファストフードが一般的になった世代。チェーンの放課後デイが乱立し、ギョーカイメジャーたちがライセンスビジネスに精出す時代。その中で「自分は子どもの育ちにたいした影響を持てず誰かセンセイたちが子どもをどうにかしてくれる」という感覚の人が増えてもおかしくありません。

ところが『感覚過敏は治りますか?』の帯にはこう書いてありますね。

治った人はいっぱいいます。
でも治せる医者はめったにいない――
そこにヒントがありますね!

各種チェーン系の放課後デイとかが枝葉を提供しているのに対し
栗本さんは土台を見ていますから
そこはやはり本を読んで納得した上で来ないとお互い納得できるセッションにはならないのです。

中には(これは栗本さんが責めたのではないですよ)両親でやってきて、片方だけすがるような感じで、もう片方は栗本さんが話しかけてもふてくされてぶーっとしている、っていうケースもあったようです。子どもじゃなくて親がですよ。
まあ子どもが子どもを育てているんですな。
栗本さんはあまりにセッションが成り立たないとき料金はいいですよというそうです。
それは清廉潔白だと思うし、栗本さんの金は栗本さんの金だから私にとってはどうでもいいんですが、年長の社会人として言わせてもらうと、そこで「今日は料金いりません」という清廉潔白なこと言われてなおなにがしかおいて行かない親は自分のSSTをやり直した方がいいですな。他人を動かしたら無料はいけません。それは社会の大原則です。実際には血税を充てられているけど自己負担の少ない療育を使っているとその辺の感覚も麻痺するでしょうな。

見えてきた課題はこれでした。
「土台づくり」は裾野が広がった。「発達障害=神経発達の障害」という定義に助けられた面もあります。ねこ母さんのような各地の賛同者がそれぞれの地域で呼びかけてくれたことも大きいし、アンチだって(彼らの意図に反して)花風社のやっていることを広げるには大活躍した。でもそれでやってきたニューカマーにはこの時代だからこその「療育とはパッケージを買うこと」「療育とはアウトソーシングすること」という観念がどうもこびりついているようなのです。それがおそらく治る道の途中に障害物を作っているでしょう。
でも仕方ありません。
これを主導しているのがギョーカイだからです。
そう、かつて薩摩が奄美を「黒糖地獄」に陥れたように
ギョーカイは発達凸凹の子を持つ親御さんたちを「療育地獄」に陥れています。
その構図が私には、はっきり見えたのでした。

続く
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