治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

納税者ガー

2017-09-28 20:53:01 | 日記
明日午前中、11月に行われる講演会の告知をここでする予定です。
行政主導です。
っていうわけでまた「浅見講演やめろ」というアンチが湧いてくることが想定されます。
主催者の方にもその話はしてあります。
ていうかここも頻繁に訪れてくださっているようだし、とっくにご存じの上でのオファーだとは思いますが。

自閉症は「親のせいではありません」だけど、「自分の思い通りにならないとパニック起こす」という特性は多くの自閉っ子が親から受け継いでいるようで、自分の嫌いな人が、しかも行政主導で講演するとなると、発狂する人たちがいます。
行政のかかわり方は様々ですよね。たとえば親の会主催でも行政がお金を出す度合いは違うし。
明日発表する講演の場合にはわりとがっつり自治体が見える感じです。

「あーまたこのパターンは猿烏賊湧いてくるだろうな」と思いながらふと思い出しました。
ベムこと宮本晋の妨害メールです。警視庁麻布署で見たやつね。写しはもらえませんよ。他の捜査資料と一緒に三秒くらい見せてもらっただけです。最初の一秒で
1 文体がベム
だと判断し、あとの二秒で
2 メアド
3 内容
をすべて記憶したのです。絵には弱いけど字には強いのですよ、私は。

今思い出すとあれには「納税者として反対する」とか書いてあったな。

へ?

考えてみれば不思議だ。
だってアンチ花風社は「障害者を納税者にする」という花風社及び花風社読者の希望に激しく反対し、納税してようとしてまいと人間としての価値に違いはないということをいっつも口角泡を飛ばしているではないですか。
でもいざ気にくわない講演やめさせようと思ったらドヤ顔で納税者だと名乗るのね。

まあ不思議ではないけど。

猿烏賊とギョーカイ人の言論に共通する特性。
1 負け惜しみ
2 ポジショントーク
のその2ですからね。

納税していなくたって人権が保障されているのはあたりまえ。そんなことあたりまえなのに彼らは我々が「納税者」を目指していることを無理やり曲解し、あたかも「納税していないものに人権はない」という主張をこっちがしているかのようにすり替えているんだが。


でもさあ、ベムがあれほど「納税者風」ふかして講演とめようとしたことは
彼は自分が納税者であることが自慢なのね。納税者「だからこそ」浅見を講師に選ぶふらちな団体に文句つけていいと思ったのね。

そして、だったら

彼は自分の息子であれ息子の同級生であれ納税していない人生を送っている人には声を上げる権利がないと思っているのかね。

だったら立派な差別者だわ。知ってたけど。

ともかく

明日画期的な講演会のお知らせをします。どうぞお楽しみに。花風社クラスタも、そして数々のリスクを承知しながらなんとか邪魔してやろうと手ぐすねひいて待ち受けている猿烏賊の皆さんも。

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サステナブルな福祉のために

2017-09-28 09:43:17 | 日記
発達障害の子どものふるまいは、大人になったらおまわりさんにつかまりそうなものも多い。
いや、普通の子でもそういうところはあるでしょう。
ただ普通の子だと周囲があきらめないで教える。
発達障害の子の場合、周囲が「配慮」という名の「放置」をするんですよね。

だから実際に消息筋の話をきいてみると、発達障害の子どもたちのふるまいは「あれもこれも大人になったら犯罪」っていうことも多いんだけど
それを「あれもこれもだめですよ」だけでは能がないと思うんです。
先日の講演会はそれ以上のもので
実は遵法教育にも「言葉以前のアプローチ」が効果があると確かめられました。
そこまでセットにしないで「あれもこれも犯罪」と伝えるだけではかえって有害かもしれません。

おそらく「障害があるから大目に見られる」という希望的観測を持っている人は
いわゆる人権派の人たちの主張を無自覚に採り入れた医療福祉教育現場の空気を無自覚に採り入れ、それが通じない一般社会と接した時に「理解がない」と不満を抱くのだと思います。
でも指摘しておきたい。昨日も指摘したけど
人権派弁護士はめったに裁判に勝たないのです。
見ているといいですよ。
彼らの主張は一般社会では通じないのです。

医療福祉教育の現場では人権派みたいな人たちこそ人権を守っている側とみなし、警察は悪者にしているかもしれない。
でも警察の方が人権を守っているかもしれません。
会の最後に被害者になった場合の立場から質問がありました。
当事者仲間にセクハラされる。親でさえそれを我慢しなさいという。
でもいやなものはいやです。生理的に受け付けない。
皆さんだって自分の身に置き換えてみればわかるでしょう。
そういうときは交番に駆け込めばいい。実際それで、つきまとっていた障害者の方が逮捕された事件はありますから。

そもそもセクハラ等で被害者を守らないのは福祉の方です。
たくさんの女性職員が嫌な目にあってます。上司はそのとき職員は守らない。金づるである利用者を「ありのまま」にして職員を我慢させます。
これからの労働力不足の時代、そんな職場が人集めできると思いますか?

遵法教育は、一般社会で生きていくことを望む当事者にはマストです。
そして福祉の中で生きていく人たちにとって、子どもをきちんと教育しておくことは
サステナブルな福祉への貢献です。
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人権を守るのはどちらか?

2017-09-27 08:26:27 | 日記
吉川徹センセも土曜日の夜の部来ればよかったのに。
このツイートを見てそう思いました。



お仕事上、司法とかかわりを持つことがゼロとはいかないだろうに、全然法律わかってないんだな。

この埼玉の事件の記事、FBでも回ってきましたのでコメントなしにリンクだけシェアしたら、土曜日の参加者の方が
「あのお話を聞くと警察がなぜこうしたかわかる」(大意)みたいなことを書いていらして
本当ですよね、と思いました。

むしろ警察は人権を守っていると思います。被害者加害者双方の。

まず吉川センセほどのインテリは当然ご存じでしょうが皆さんによーく覚えておいてほしいのは
逮捕=有罪ではないということ。
推定無罪の原則がありますからね。
とくに地位の高い人の場合など、逮捕された時点で社会的評価にはかなり悪影響があるのはたしかですが
逮捕は取り調べのために身柄を拘束するのであってその時点で有罪を宣告されたわけではありません。それはこれから検討するのです。
そしてこの案件は
先日「こういうときには逮捕する」とみんなで教えてもらったケースにあてはまりますね。

しかもこのケースは勾留していない。
障害特性に配慮したと言えるのではないでしょうか。
その後送検され、不起訴となった。
これはつまり、施設内の出来事で、被害者も同じ施設の利用者であり、処罰感情が峻別ではなかったということではないでしょうかね。
被害者に罰してほしい気持ちが強いかどうか、検察はかなり考慮に入れるという実感を自分のケースから持っています。

ここでコメントしている弁護士さんとしては、逮捕のときに立ち合いがいなかったというのがご不満なようですね。
本人に意味がわかっていたかどうか。
これは難しいところですね。
少なくともこの人には人をケガさせる能力があったのですから。
私はこういう場面でコミュニケーション障害を補うための人員の同行を許すような法律の制定には基本的に反対しませんが、誰が同行しようと逮捕が取り消しになることはないでしょうね。法は執行されるでしょうしされるべきです。ただそれを当人にわかりやすく伝える通訳が必要だということには反対しません。

私はニキさんの参考人聴取のとき、立ち会わせてもらいました。
本来なら一人一人事情聴取が行われるのが筋だと思います。実際夫と私は別でした。
ニキさんに関しては、やりとりはしっかりできますが、初対面の人と初めての場所、しかも窓に格子も入っている部屋(容疑者の取り調べもそこでやるからですね)で行われるということで、慣れない人にはまず雰囲気的にきつい。
それを心配して同行を申し出て、許可されました。
まあニキさんはあくまで被害者であり加害者ではなかったし。
ただし先日の会で、いざ加害側として取り調べを受けるとき親の同行が許されるかという質問がありましたが、まず難しいだろうということでした。

そしてこの埼玉の方は不起訴になりましたけど
事実上それまでいた施設からは締め出しを食っている状態ですね。
つまりこれが刑罰に代わる社会的制裁だということで
障害のある人の場合、その制裁は家族に降りかかってきますね。
別の家族にも介護を抱え、このお母さまは厳しい状態に置かれていますね。
それは施設側の運営上の判断であり、警察が何か悪さをしたわけではありません。
今後この人を引き受ける施設は限られてくるかもしれませんが
それも福祉ワールドの判断です。

障害者が事件を起こすとよく人権派の方々が出っ張ってきて、かき回します。
そこで繰り広げられる論調が「健常者に人権なし」で、そのたびに私などは腹を立てるわけですが、人権派の方々のいいところ、それはめったに裁判にお勝ちにならない勝負弱さですね(ブ)。

そして警察の論理を知ってみると、警察はある意味、人権派の人たちより人権を大事にしていると思います。
刑事をやめて発達支援の世界に入った榎本氏は、特別支援学校の校長先生などから「あたりが優しい」と言われるそうです。それほど警察=強面説 を教育福祉は共有しているのでしょう。
でも榎本氏曰く、警察の立場から見て、体罰はありえないそうです。
はっきりと暴行罪ですから。だから絶対体罰はしない。

一方で福祉施設では体罰横行してますよね。

医療福祉教育が人権を守り、警察が守らない。
そう思い込んでいる人がいるとしたら(吉川センセはどうなんでしょうね)それがもう一部の偏った人たちに洗脳されているということかもしれません。
人権派弁護士と警察、どっちが人権を守るか?
吉川センセがリンクしているこの記事を読む限り、私は警察に軍配を上げますわ。
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いくら「親のせいではありません」と言ってもねえ

2017-09-26 12:04:00 | 日記
さて、昨日の一六タルトの記事にいただいたいぬこさんのコメントにレスというか
解説というかを付けていきましょう。

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あの日の憤りと今 (いぬこ)
2017-09-26 00:08:10
2年半前を思い出しました。

公立小学校での通級、年に一度の勉強会。
その大規模校の主催側、私は責任者でした。

凸凹さん保護者の、今の子育てに適任なのは
浅見社長しかいないと会議を重ね、
お願いをし、受けて頂き、準備を。

希望者のみの参加。公立小学校に。
きました。匿名の虚偽文と講師再考指示が。

まさか、公立小にそんな手紙を送りつけるとは
一般社会市民の自分には理解不能、驚きの
直後、怒り炸裂。テロだと。
代表して、常識と正義を伝えるも、上役には伝わらない。この伝わらない世界は何?

=====

いぬこさんたちの通級親の会さんから依頼を受け、行きますよ、とお返事したのですよね。
そうしたら怪文書が来たんですよね。
そして主催者側にも、それにびびる人もいた。本当かどうか検討もせず「とにかくめんどくさい」という体質の人はどこにでもいますからね。でもいぬこさんたちは私の話を聞きたかった。

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結果、お願いしてる立場の自分が、
浅見社長に無礼にもその事実をお伝えし。
何がなんだか解らない程、熱くなった私に
「熱くなりすぎでは?涼しい顔で堂々とやれば
いい。希望者だけなのだから」と言葉を頂き。

会は満員御礼の受付増設になった訳ですが。

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いぬこさん的には、怪文書にのっかってた浅見に関する疑惑を私に直接問いただすという役目を負い、そしてそういう自分を無礼に思い、涙泪で私に尋ねてこられました。役目として。
私はひとつひとつお答えしましたよ。
中にはYTが主張し、はっきりと東京地裁で決着がついて名誉毀損認定されている疑惑もありましたからね、申し開きは本当に簡単だったのです。「あ、それでたらめです。主張した人前科一犯になりました」っていう感じ。

そしていぬこさんたちにいったのです。
「結果として浅見の講演めんどくさい、という判断を上がして、取りやめになったのならそれはそれで仕方ない。でも皆さんの初志としては、私を呼びたいと思ったのでしょう? 私の話を聞きたいと思ったのでしょう? ならば最初に抱いた自分の希望は大事にしたほうがいいですよ。とりあえず私はやるなら行きますから。なんのわだかまりもなく」

これは「治せるものなら治したい」という親心を私が大事にしているのと通じるかも。
誰がなんと言おうと親御さんには主体性を大事にしていただきたかったのですね。
っていうか、「やりたい」と思ったことはやった方がいいじゃないですか。

だから「こっちはなんのわだかまりもなく提供できる情報は全部つまびらかにするからまあ頑張って開催の方向にもっていきなさいよ」というアドバイスです。
そして皆さんの頑張りは実りました。

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「希望者」だから、参加者がどう感じ、その後、育児に繋げたかは自由。

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そのとおり。そしてあの直後から立て続けに、何人かの方が小田原に向かったようですよ。

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当事、まだこの世界事情に浅かった私は
主催側として、テロ文が届いた以上、
講師が児童が安全にとギラギラ目を光らせて
ました。

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これは、一六タルトの方の会でもそうだったのです。さりげなく警備してくださっていたのですよ。そしてそういう手間をめんどくさいと思ったらやめてしまう主催者はいると思うのですね。
だから、信念がどれくらいあるかの問題なのです。
いちゃもんつけて会をやめさせた人たちに「それは勝利じゃないよ」っていうのは、いちゃもん力が強かったとは限らないからです。たんに、主催側が腑抜けだったのかもしれないのですよ。そして、一層発達障害への偏見が育まれたのかもしれないのですよ。めんどくさがりやの人ほどいちゃもんには弱いし、一方で発達障害者とつきあう気持ちも薄いことをお忘れなく。

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2年半を過ぎた今、あの時UPした自身のfbを読み返し、今なら、突き止め、引きずり出せばよかったと解ります。他にも色々な手筈ができる。
お友達の一般会社の社長さんもコメをよせて
くれてたんだった。共存などできない。

…例えば、スーパーに異物が混入したと「虚偽文」を「匿名」で出したとします。
店をあげて、業者が警備が、お客様に何かあってはならないと経費を人を使って必死に調査
するでしょう。虚偽だと判った時。
業務妨害として、然るべき対応をします。
警察にも行くでしょう。
小学校に。講演会でも同様です。

ダメな事は何人であれダメです。

=====

そのとおりです。
聞きに来る来ないは自由。その内容を受け入れるかどうかも自由。そんな講演会にやめろ活動をするのは、一般社会から見ると非常識極まりない。
そして一部親の暴走したこういう行為が、発達障害への偏見をますます広げていくでしょう。

私はかつてこう書きました。

=====

ギョーカイ神社のご本尊は、子どもたちではありません。
「親のせいではありません」と涙で書かれたお札です。

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伝統的な親の会はこればっかりやってるから、支持を失っていきますよね。
親同士の支持だけではありません。いぬこさんのお友だちの一般社会の経営者と同じように感じる人は多い。「外から見ると社会人として異様」なのです。

自閉症の子たちは許容範囲が狭く、自分の思い通りにならないとパニックを起こす。
それをいくら「性格ではなく障害」「しつけのせいではない」と言ったところで、親が同じように自分の気に入らないことにパニックを起こし集団で突撃していたら「ああ、やはり性格が遺伝したのね」「あれじゃあしつけなんかできないわね」と思われても仕方ないですよ。
中には「とりやめ」を決めた団体があつたとしてもそれは別に主張を受け入れたわけではなく、単純にめんどくさかっただけで、表向きの中止の理由はだいたい後付けなんですよね。

そしていぬこさんちのお嬢さん。今はご自分でも「治った」って言ってる。「これからもまだ治る」って思ってる。明るくかわいいお嬢さん。栗本さんや神田橋先生の知見も借りながら一家で楽しく修行し、弱視も治って、分厚い眼鏡が取れて裸眼をきらきら輝かせ笑顔で生活されていますね。そしてアレルギーも治った。それは、不思議なことでもなんでもありません。私たちにとってはね。だって神経発達障害なんだもの。それが治ったんだもの。

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…タルト食べよう。愛媛素晴らしい。

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はい。「栗づくし」おすすめですよ。
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一六タルトの思い出

2017-09-25 13:38:47 | 日記


一六タルト。

言わずと知れた愛媛の名物です。
私実は、四国に意外と縁がなく、行ったことは一度しかありません。夫が学会で松山に行き、いいところだったので遊びに行こう、と言われ、マイレージ使って道後温泉に遊びに行きました。松山空港に降り立ち、まず向かったのは「坂の上の雲ミュージアム」でした。坂の上の雲オタクなので、憧れの場所だったわけです。見学を堪能し、カフェで一休み。その時お茶うけにしたのが名物一六タルトでした。四国は海にも山にも恵まれて美味しいものの多い土地ですが、これもまた美味しかったです。

そして土曜日、夜の部ご参加の方から一六タルトをいただきました。栗づくし、という季節限定もので、これがまたとても美味。その方は愛媛ご出身の榎本さんにも一六タルトをお持ちでした。榎本さんも、懐かしいです、とおっしゃってました。私たち神奈川県民にとっての鳩サブレーみたいな感じなのでしょうね。

その方と榎本さんは、実をいうと初対面ではなく、久々の再会でした。以前にお二人が会ったのは、刑事だった榎本さんが任意の事情聴取をその方にお願いし、応じてくださった時のこと。私の講演先にベムによる「浅見の講演やめろメール」が送られた後のことです。

猿烏賊騒動以来、こういうメールを送る人は多いのですが、そして対応はそれぞれですが、私に関しては(おそらく)取りやめになったことはありません。だいたいは根拠のない誹謗中傷が多く、私がやってもいない犯罪行為を訴えていたりするのです。つまり本当の理由は「気にくわない」なのですが、それだと根拠が薄いため、私がやってもいない罪をでっち上げないといけないという精一杯の猿烏賊心が法的リスクを呼ぶわけです。

一六タルトの方たちの会では、やはり主催者として、やめろメールを受けて、中には動揺した方もいたようです。そして実際に、私に会いに来てくださったのです。そして首実検?の結果講演会は滞りなく行われ、実りも多く、今に至るまでお付き合いは続いています。その時書籍販売をお手伝いしてくださったご子息は今はもう企業就労され、お休みのときは栗本さんのところにも通って、自分を整えながら恙なく社会人生活を送っていらっしゃるそうです。

そもそも講演会などというものは、来たい人だけ来ればいい。来て聴いてもその内容を受け入れるかどうかだって自由だし他人の口出しすべきことではない。でも「発達障害、治るが勝ち!」に書いたように「みんなちがって みんないい」が一番苦手な発達障害関係者は一律の考えを押し付けたがり、しかも講演会聴いたら聴いた人は百パーセントその考えに染まるという子どもむけマンガのように平面的な人間観を持っていて、なぜか異様に考えの違う人の講演が行われるとことに恐怖を抱き、自分の気にくわない講演会が行われると知っただけで突撃したりしますね。

それは、自由です。
そして「死んだふり」の主催者もいるから、そういうクレームがあっただけで開催をやめてしまうこともあるでしょう。でもそれは別に勝利ではないですよ。主催者側には「やはり発達障害関係者、とくに保護者はめんどくせー」という印象が残るというリスクは忘れずに。その結果一切手を引くこともありえます。私の知っているある教育関係の行政主催の会は、そういうクレームを受けて翌年からは完全クローズド、教職員だけ対象にしました。一般公開のめんどくささに辟易としたのです。クローズドにした方が誰を呼んでもクレームはこないからいいということでした。

それともう一つのリスク。当時刑事告訴中だった私が
「講演会やめろメールがきた」と言ったら「業務妨害」の疑いで実際に事情聴取が行われたということです。
講演会やめろメールを送る。それがどうなるかは主催者がどれくらいの信念を持っているかにもよるのです。メール送った方のコントロールが及ばない範囲なのですよ。どうしてもある講演会をやめさせようと思って行動したら、場合によっては自分のところにも警察が来るかもしれない。そういう覚悟でやってくださいね。

榎本さんと一六タルトをくださった方は、実は同郷でした。
でも事情聴取の場では緊張していて、そんな話は出なかったし気づかなかったそうです。お二人とも関東に長いし、故郷の言葉は出なかったのでしょうね。
ともかく今回、初めて同郷だということを知って、一六タルトを持って来てくださったのでした。

そして饗宴の席でわかったこともうひとつ。
当時YTはそういえば、方々に「浅見詐欺説、ニキ・リンコいない説」を長文のファクスしていて、やはりそれも取り調べの対象になったのですが、そして多くの人は送られて来ても死んだふりしていたのですが、それに協力してくださった方もいたということでした。
電話で事情聴取した・されたお二人が、「あのときお電話でお話しましたねー」みたいな感じで、八年ぶりくらいにリアルでお酒を飲み交わしていたのでした。

そして

多くの人が長文のファクスを送られてきて迷惑して、でも死んだふりしていた理由の一つは「送ってきた人はどうせアタマがおかしいから」と判断されたからだと思います。

他人の業務を妨害するときには、自分では正義のつもりでも警察がくるかもとか、アタマおかしいと思われるかもしれないとか、覚悟しておいた方がいいですね。
信念は結構。それに基づいて行動するのも自由。そしてその結果は、自分で引き受けましょう。自分がやったことなんだからね。

ともかく

人の縁とは面白いものだなあ
こんなかたちで再会するなんて

と思いながら

美味しく「栗づくし」をいただきました。
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脳みそが音を立てて

2017-09-24 12:28:16 | 日記


ダブルヘッダー、無事こなしました。
今日はさすがに疲れていますが、へばるほどではありません。溜まっていた洗濯物はこなしましたよ。

午後の部は立派な部屋を用意していただいていたのですが、夜の部は少し小さすぎたかな、と思います。椅子だけはたくさんあるので、あとからお出かけになった方には自ら補助席を用意していただき鈴なりの状態で榎本氏の話に聞き入りました。いやあ、私も脳みそが音を立てて学んだ講演でした。鹿児島から来てくださったねこ母さんにお手伝いをお願いし、二人で並んで座っていたのですが、ねこ母さんの表情が「ド真剣」でした。これまで支援してきた中での体験談、あれこれとリンクさせながら聞いていたようです。
終わったあとで私が「他では聞けない話だったね」と言ったらねこ母さんは「他では聞けないし、本当はずっと必要としていた情報」みたいなことを言われまして、ああ、たしかにそのとおりだ、と思いました。多方面の意味でずっと必要としていた情報ではあるのですが、一番私が貴重だと思うのは、司法から見ることで普段の療育・特別支援教育においても「ここから先は本人まかせにしておいていいけれどもここから先は大人が止めなければいけない」基準が明確になったことだと思います。

そのあとも時間が遅かったにもかかわらず十人ほどで饗宴をしたのですが、そこでも話が弾みました。教員経験者の方が「昔、教員は性善説で警察は性悪説だと聞いていたけれど、そうじゃないことがわかった」とコメントくださいました。おそらく教員の間ではそういうマウンティングをすることによって心の平穏を得る自己治療があったのだと思いますが(これが午後の部の話題の一つでしたね)、昨日私たちが榎本氏から学んだのは「警察官は被疑者をもクライエントととらえ、そこに合わせる努力をしている」という一般市民がなかなか知りえない情報だったと思います。そしてこれこそが、広く支援者にとって役立つノウハウにつながると思います。
私はそれを信じられるのです。それは、榎本氏がニキさんの事情聴取をしたときに立ち会ったからです。そのへんの特別支援学校の教師より、いや、並み居る有名支援者より、榎本氏は自閉の人から話を聞き出すのが上手でした。ニキさんは被害側であるからあたりが柔らかいのは当然かもしれませんが、その後加害側の取り調べの報告を受ける中で、加害者側にもほとんど「なつかれて」いるのではないかという印象を持ちました。これが榎本氏の個人の気質によるものかと思っていたのですが、ご本人によると(謙遜もあるのでしょうが)個人的な資質というだけではなくそういう訓練が警察の中では継承されているような感じです。
ともかく「厳しくあたりすぎないけど、ルールをきちんと守らせる」方法は、実は支援の世界よりも警察にあったのかもしれない、というのが私の印象ですし、多くの参加者が感銘を受けたところだったと思います。

愛甲さんからも激賞のメールがきました。愛甲さんレベルの支援者にとっても、有益な情報の多い会だったようです。それだけ「聞いたことのない話」だったのだと思います。

とにかく榎本氏の講演は、私も自分の脳みそが音を立てて情報を吸収し分析していくのがわかった、そういう刺激的な会でした。

午後の部は気持ちよくしゃべらせていただきました。ここのところ読んだ本を統合し分析し私の主張を展開させていただきました。読んだ本の中には発達障害の本もあれば、全く関係のなさそうな本もあります。広く社会の動きを見据え、その中で発達障害者支援とどう付き合っていくのがよいと私は考えているかお話しさせていただきました。非常に熱心に聞いていただいたのが伝わってきました。

決して活字にはしないお話もしました。

もう少し和気あいあいやるつもりだったのですが、内容がシビアな分むしろ引き締まった雰囲気で終始した会だと思います。その中で花風社の濃いクラスタの皆さんの(含私)の笑いを誘ったのがこのチラシです。



いや、いい話ですよね。栗本さん監修の児童デイが、東京のど真ん中、港区高輪にできるというのです。その説明会が行われるらしく栗本さんも出るそうです。詳しいことが決まったらもちろんここでお知らせいたします。

でも饗宴の場での栗本さんのだめなおっさんぶりを見ている私たちは「監修」の二文字に思わず爆笑してしまうのでした。

「えらくなったんだな~」という爆笑です。

えらくなった栗本さんは、昨日は名古屋で講演でしたので欠席でしたが、それでも場の笑いを持っていくほどの人気者なのでした。

人気者の栗本さんはいないし、画伯は新婚旅行でいないし、だったのですが、榎本さんという新たな人気者を得て、楽しいお酒を飲んで饗宴の場は過ぎました。

お越しになった皆さん
昼の部を主催してくださった子どもサポートネットワークの皆さん
本当にありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。



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9月23日昼の部のレジュメ

2017-09-22 11:38:53 | 日記
当日配布もあるようですが、いらっしゃれない方のために貼っておきます。

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本日のテーマ
一次障害と二次障害を洗い直し効果ある発達援助につなげる


「発達障害は治りますか?」を作った時点で残った大きな疑問ふたつ
・資質を開花させる
・症状は自己治療

それを七年かけて解いてきた

日本のDNA
奈良時代の護国のお経
大仏としての発達障害者支援センター?
ライセンスビジネスと鑑真
遷都→修行

「なんとか乗り越えてきた」DNA


・資質を開花させる→理解に至った
その途上で作った本
「脳みそラクラクセラピー」「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」「発達障害、治るが勝ち!」

・症状は自己治療 が本日のテーマ。
 最近になってわかるようになってきた。

なぜわからなかったか?
自閉っ子天才説→異才発掘プロジェクト  胴元志向
HSP→実在は信じる→mixed message→支援されたいのか威張りたいのか

・浅見自身の資質のとらえ方→「発達障害、治るが勝ち!」につながった。→悪いところも資質である。

・日本の教育のDNA(資質)、があったうえでの特別支援教育の広まり
特別支援教育のマスプロ教育化→ベルトコンベヤーに乗せるための支援→発達には効果がないものになっている
・日本の教育が個性を重んじないのと男女共同参画がかけ言葉に終わることの根は同じ。

→「早期診断早期介入」が「支援の必要性を減じること」につながらないのが現状なのはなぜか?

「発達援助」を望む側として留意しておきたいこと
→支援ではなく接待になっている現実

マスプロ特別支援教育・成人支援の原則
一次障害 治らない
二次障害 周囲の理解で防ぐ→本当か?

二次障害はメイドインジャパン?

併存症状(二次障害ではない)
社会不安 睡眠障害 感覚過敏  不安 うつ


神経発達障害→神経を発達させればいい
(「人間脳の根っこを育てる」)

脳内生きづらさ(保護者・支援者には多いが一般人には少ない)→理解されにくい
胎児性の愛着障害なり恐怖麻痺反射なりに収れんできる
(「愛着障害は治りますか?」 「人間脳を育てる」)

感覚過敏などは一次障害のはず
社会の理解は関係ない

一次障害と二次障害の洗い直し
「生まれつきの」という意味の洗い直し
(「人間脳の根っこを育てる」)

自己治療、ならば出した方がいいのか?
イエスでありノー

事例:他人を「ずるがる」人の悩みと愛甲さんの答え

自己治療が起きたときの周囲の対応法を考える(周囲はかなり迷惑をこうむる)
従来型の対応:薬物、言葉以降のアプローチ

二次障害の拡大解釈・過小解釈に気をつける
(家族不和・腰痛などを例に)

成人当事者に送るメッセージ ホップ・ステップ・ジャーーーーーーーーンプ

支援者にお願いしたいこと

各家庭でできること→真剣に次世代を育てる家庭がやってきたこと
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重度の子を持つ親としての合理的な選択

2017-09-22 09:09:12 | 日記
花風社読者の中には、いわゆる重度とかカナー型と言われる子を持つお子さんの親御さんも少なからずいらっしゃいます。
一方でベムのように「花風社はどうせ支持されない」と遠くで指をくわえてみていたり積極的に攻撃してきた中には「うちはどうせ重度だから」の人たちもいます。
重度な人でも「言葉以前のアプローチ」によって眠れるようになったり気温の変化に強くなったりパニック減ったりその結果知的にも上がったり社会性が芽生えたりご機嫌よくなったりする人もいるので、そしてそれは結局本人と周りをラクにすることなので、それを評価してくださる方は花風社の読者でいてくださるようです。

そしていわゆる軽度とか、知的障害がない・うすいのカテゴリーに入る方の中には、障害という圏を出てしまう人もいます。
「発達障害、治るが勝ち!」のP124の表を見てくださればわかると思いますが、まあそういうことが起きるわけです。

ここで重度の子を持つ親として「健常域に入る人はどんどん入ってくれればいい」というのは、まっとうに合理的な考え方だと思います。
どうせ限りある財源と人的資源は本当に必要とする人に手厚く回った方がいい。
健常域になれる人はなって自由度の高い生活を享受する。その分を本当に必要な人に回せればそれでみんなハッピーなはずです。
だから私はこう書いたのです。

=====

 治るのは、自分のためだけではない。
 みんなのためなのだ。

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ところがここで「軽度の子たちに治ってもらってはいやだ」という重度の子を持つ親たちがいます。
せっかく「障害児」というくくりの仲間が増えたのに、そして自分のところは重度であっちは軽度なのでことあるごとに八つ当たりしてサンドバッグにしていい対象なのに(と思い込んでる)そこから出て行かれると自分がみじめな気持ちになる、という不思議な感覚を持つ人たちです。
そして偶然ですがこの人たちの利害は「できるだけめんどりを増やしたい」という無駄な公共事業としての支援ギョーカイと一致します。だからこの二者は仲良しで、「治らない教」を唱えます。「治らない教」のお経は「社会の理解ガー」です。

つまり重度の子を持つ親御さんで「治るといいな」と思っている人は自他の利害を合理的に考えている人たちであり

たとえ軽度の子でも治ってほしくない、と思うのは自分が冷静なつもりでも実は、感情に振り回されている人たちです。感情に振り回されるのは決して悪いことではないのでいい方に使ってほしいもんですね。たとえば「本当は治りたいんだ」「でも怖いんだ」という自分の本当の気持ちを正直に見つめる方にとか。

先日「治るが勝ち」を読んだ読者の方からこういう感想のメールをいただきました。


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今になってみると、最初に診断を受けた病院との相性がよかったことは、私たち親子にとって、とても有難いことでした。
診断時もその後も、「治らない」というような言葉はありませんでしたし、「頑張らせてはいけない」という話にもなりませんでした。

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運のいい方ですよね。
それでも悩みはあったのです。
こういうことです。

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息子が不登校にならなければ知ることもなかった“ギョーカイ”や“当事者保護者”。
これは、不登校関連にも似たところがあり、私の地元の不登校支援系は、やはり“連携”の名の元に、ズブズブのムラ社会が形成されているようです。
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そう。 凸凹キッズの親御さんたちが最後に乗り越えなければいけないのは、親同士のムラ社会かもしれません。
「頑張りすぎよ~」という言葉には注意しましょう。

明日は楽しくやりましょう。
かなりリラックスした雰囲気でやります。
リラックスとはどういうことかというと
私が紙の上でもデジタルでも決して文字にはしない個人情報(?)を交えながら話します。
それが一番伝わりやすいからです。

夜の部ご参加の方たちには昨日すべてレジュメをお送りしました。
届いていない方はご一報くださいね。
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保護者・支援者による業務妨害的なことを受けたとき思ったこと

2017-09-21 09:51:52 | 日記
最初に業務連絡です。
23日の夜の部にお出になる方
レジュメが長文(刑法などを引っ張っているため)になったためファイルでお送りしています。
お一人お一人手作業で送っています。
本日中には全員にお送りする予定です。
当日はスマホ等でそれをごらんになるか、打ち出してお持ちください。
よろしくお願いいたします。

さて、本日の記事の本題です。
先日の「ベムの浅知恵」でも触れたあのころの件です。
レジュメ書いてるといろいろ思い出すのですね。

ベムこと宮本晋が最後消えるとき、悔し紛れにこんなこと言ってました。
「あっちだっていいことは起きない」。

また、そらパパと争っているとき、こういうおせっかいを言ってくれた人がいました。
「争っている姿を見せることは、どちらにもいいことがないと思うのです」

つまり「争っているのは悪いこと。そのツケは双方が払うことになる。だから喧嘩はやめて」という思想です。

私がそのアドバイス(おせっかい)を受けてどう思ったか?




くだらん。
なんて迷信深い、です。

そんな迷信を振り回すこと自体、彼らのエビデンスガーがご都合主義に過ぎないと露呈しているようなもんです。
合理的に考えてください。
争っている二者があって、どっちかが消えていけば消えないほうは隆盛方面に進む、というのが自然な流れです。
「どっちにもいいことがない」なんていうのは負けていく方の負け惜しみに過ぎません。
事実この七年を見てください。
当時声を上げられなかった「治るものなら治りたい人たち」が声を上げるようになり、成果を上げるようになり、自閉の神様が応援するように様々な著者との出会いと別れをくださり、ますますエッジがかかった出版物が次々と生まれ支持されています。
私が迷信を真に受けなかったからです。

また、専門家からの妨害行為。
これは「発達障害、治るが勝ち!」にも書きましたね。

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 こっちの主張が気にくわないと「おまえのところの本なんか二度と買わない」と言われる。それが脅し文句になると思っているのである。そして零細版元の考えを揺るがそうと「不買運動起こしてやる」とか医師や臨床心理士、大学教授や発達障害者支援センター長、といったリッパな人たちが脅しをかけてくる。だから私は言い返す。「わかった。じゃあ二度と買わないでね。私はこれからもいっぱいいい本出すよ。評判になるのもあるかもよ。中には読みたい本もあるかもよ。読みたいんだけど花風社だから買わない、と唇かみしめて我慢してね。買わないと自分で決めたんだから絶対買うなよ!」と。
 一回当事者らしき人から電話がかかってきて「もう花風社の本は絶対買わない!」と言われたので「わかった。ぜーったい買わないでくださいね。死ぬまで花風社の本は、ただの一冊も買わないでくださいね! どんなに読みたい本が出ても買わないでくださいね」と言ったら、わっと泣いていた。

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私が当時思ったのは、いやしくもプロならば、たとえ主張の違うところの本でも、必要とあらば目を通すのが一流だということです。きちんと批判するためだけのためにもね。少なくとも、私はそうします。

その結果自分の嫌いな著者に売上がいく。そういうことをドケチな人は気に病むんですね。私はドケチではないので到底そういう考えはしません。相手に金を払う=相手のコンテンツを得る。そのフェアな商取引の手続きを踏んで他人が損するより自分が得することを優先しますから、たとえ嫌いな人の本でも自腹切って買います。そして堂々と批判する。「わ~こんな本に金出しちゃったよ損したな」っていう痛みを味わうのも版元の修行のひとつだからですよ。でも他人がちょっとでも得をすると自分が損をしたように思うドケチ卑屈マインドの人はそれができないんでしょうね。

そして私がいやしくもプロだと思っている心理士とか医師とかたちがもし「ここは気にくわないからここの不買運動を!」なんてやってたら、なんて不勉強で感情に振り回されているプロ意識を欠いた人たちだろう、と思います。信用しなくなります。

そのリスクを冒して「花風社の本の不買運動をします!」の人たちはごくろうさんというところです。それで客を失ったって痛くもなんともない。一方で私がきっちり自分の意見を言うことで、得ているお客もいらっしゃるから。来るものは拒まず、去る者は投げ飛ばす、でいいのです。

なんで私がこんな脅しに負けなかったかのか。
それは愛着障害がなかった、薄かったからですね。
それで「愛着障害は治りますか?」を作ったのです。
愛着の土台がしっかりしている人は、脅しにも同調圧力にも負けないと思うから。
そして脅しや同調圧力に負けていては、主体性が発揮できないし
主体性が育たないと、治らないからです。

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解けなかった二つの疑問

2017-09-20 12:40:46 | 日記
さて、「発達障害は治りますか?」を作った時点で、私の中には神田橋先生がおっしゃっていることで解けなかった疑問が二つありました。

一つは「資質を開花させる」ということです。

これは、先生(や愛甲さん)の言い方だとありがちな「自閉っ子天才説」みたいなのと区別がつかず、長年私にとってはどっちかというと取り上げたくない話題でした。

でもじょじょに、「資質」とは「欠点」も含むのだとわかってきました。
そうなるとがぜん理解する気が出てきて

「資質の開花」こそ「治る」近道だと思うようになりました。

そしてそれを理解するために作った本が
「脳みそラクラクセラピー」
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」であり

自分自身の資質の開花の結実として書いた本が

「発達障害、治るが勝ち!」です。

そしてこの週末の出版記念講演会ではもう一つの疑問

「症状は自己治療」についてわかってきたことをすべてご披露します。

自己治療たる症状を二次障害と取り違える。そして間違った扱いをする。

これが「早期診断・早期介入」を効果のないものにしている、とわかってきたのです。

じゃあ自己治療を放っておいたほうがいいかというと
放っておかないほうがいいのです。
そして放っておかないための方策は、七年前よりずっと豊富になっているのです。

それがわかってきました。

しゃべっていい、という事例も引っ張りながら、それをご説明し

「一次障害・二次障害」を洗い直し

効果のある発達援助を考えたいと思います。

レジュメは今のところこんな感じです。レジュメっていうかメモ書きですが。当日配るかどうかわかりませんので、いらっしゃる方はこの記事をブックマークしておいてください。

夜の部のレジュメは、長いので打ち出してお配りするのではなくデータで送ろうと思います。
入金確認した方から今夜くらいから送り始めますね。
よろしくお願いいたします。

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出版記念講演会 メモ書き


本日のテーマ
一次障害と二次障害を洗い直し効果ある発達援助につなげる

「発達障害は治りますか?」を作った時点で残った大きな疑問ふたつ
・資質を開花させる
・症状は自己治療

それを七年かけて解いてきた

・資質を開花させる→理解に至った
その途上で作った本
「脳みそラクラクセラピー」「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」「発達障害、治るが勝ち!」

・症状は自己治療
 が本日のテーマ。
 最近になってわかるようになってきた。

・浅見自身の資質のとらえ方→「発達障害、治るが勝ち!」につながった。

・日本の教育のDNA(資質)、があったうえでの特別支援教育の広まり
特別支援教育のマスプロ教育化→ベルトコンベヤーに乗せるための支援→発達には効果がないものになっている

→「早期診断早期介入」が「支援の必要性を減じること」につながらないのが現状なのはなぜか?

「発達援助」を望む側として留意しておきたいこと
→支援ではなく接待になっている現実

マスプロ特別支援教育・成人支援の原則
一次障害 治らない
二次障害 周囲の理解で防ぐ→本当か?

二次障害はメイドインジャパン?

併存症状(二次障害ではない)
社会不安 睡眠障害 感覚過敏  不安 うつ


神経発達障害→神経を発達させればいい
(「人間脳の根っこを育てる」)

脳内生きづらさ(保護者・支援者には多いが一般人には少ない)→理解されにくい
胎児性の愛着障害なり恐怖麻痺反射なりに収れんできる
(「愛着障害は治りますか?」 「人間脳を育てる」)

感覚過敏などは一次障害のはず
社会の理解は関係ない

一次障害と二次障害の洗い直し
「生まれつきの」という意味の洗い直し
(「人間脳の根っこを育てる」)

自己治療、ならば出した方がいいのか?
イエスでありノー

事例:他人を「ずるがる」人の悩みと愛甲さんの答え

自己治療が起きたときの周囲の対応法を考える(周囲はかなり迷惑をこうむる)
従来型の対応:薬物、言葉以降のアプローチ

二次障害の拡大解釈・過小解釈に気をつける
(家族不和・腰痛などを例に)

支援者にお願いしたいこと

各家庭でできること
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