治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

天才説と折り合いがついたワケ

2011-07-13 08:51:37 | 日記
大記録を前にあの魁皇が足踏みをしている。
それを見ていると
苦労のない人生はないな、と思う。

で、唐突に思い出した。
私が長いことうさんくさいと思っていた「発達障害天才説」と
長沼先生とのお仕事を経て、ようやく折り合いがついた、ってことを。

どうしてうさんくさいと思ってきたかは「自閉っ子と未来への希望」にも書いたけど
ゆがんだマーケティングの一端をになっていたような気がしたからだと思う。

でも長沼先生は、脳の発生のメカニズムから
発達障害と天才が重なりうることを説明してくださった。
「活かそう! 発達障害脳」をお読みの方はおわかりでしょう。

でも納得したのはこの説明を受けただけだからじゃない。

今まで発達障害から天才が出現することを説きながら
他のどの先生も言わなかったこと(ていうか、言う必要がないと思っていたのかもしれない)を
長沼先生ははっきりおっしゃったからだ。

それは

いくら才能があっても、それを徹底的に磨かなければ天才的な仕事はなしえない、ということ。

これまではこの当たり前の説明が抜けていた。
だからたとえ努力しなくても、報酬系が育っていなくても
周囲がじゅうぶんな○○○を与えなくてもいいような
おめでたいイメージが振りまかれている気がして、私はずっと天才説をうさんくさいと思ってきたのだろう。

それと、ある分野でその人が才能があるかどうか見極めるのは支援者でも保護者でもない。

実際にその当該マーケットで勝負している人間だ。

わりと支援者の言われることはこの現実感覚を欠いていることがあり
それがイタかった。

たとえばアスペルガーは裁判官に向いていると真顔で語る支援者がいる。
海外にも国内にもいる。

律儀で、暗記力が強くて、みたいな特性が向いているように錯覚を起こすのかな。

でも裁判官って実は
スルー力も相当必要なんじゃないのかしら。
どれだけ主張しても、ウソをウソと見抜く力。
どっち側の主張も全部信じていたら判決なんて出せないでしょ。

そういう現場感覚を度外視して、ただ紋切り型のイメージだけで「ASDにはこの仕事が向いている」とか言い切る支援者を
私は世間知らずとして信用してこなかった。

農場労働者であれ、相撲取りであれ、エンジニアであれ、翻訳家であれ
本当にその子が(ASDのある一人の人間として)向いているかどうかを判断できる人がどこかにいるとすれば
それは支援のプロではなく、「その道」の人間だ。

そこに就労における「支援」というものの限界があったりするね。
この限界を知って、うまく外の世界と連携できる支援者が、本物のプロだろうね。
支援のプロ。
支援者に専門性があるように、他の分野にも専門性があるわけだから。

さて、写真は魁皇の自伝「怪力」。

実は白鵬の自伝「相撲よ!」と連続で読んだんですが
白鵬より魁皇のほうがずっと面白かったです。



年の功ですね。
今は人格者ですが、やんちゃだったんだね。