治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

三月三日

2017-02-27 11:36:28 | 日記



鹿児島講演が迫ってきました。
私は講演当日関東に戻りますので
三月三日の夜に有志で控えめな(酒量方面で)お食事会をします。
参加ご希望の方は明日いっぱいくらいまでにご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
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それぞれの道

2017-02-26 12:44:52 | 日記




昨日は仕事する部屋に新たな家具が運び込まれて模様替えしてました。
のついでにギョーカイ系ドキュメントを断捨離していたらこんなのが出てきた。

岩永先生とちゅん平の講演会が長崎であったんですよね。
ちょうどちゅん平が元気になりかけたとき。
それがうれしくて長崎に夫と出かけたんです。もちろん自腹でね。そしたらあの講演会、のこのこ主催だったんですね(爆)。どうも私は著者同士がコラボするとうれしくて出かけたくなるんだな。でもどうやらよそが主催する著者同士の講演会は「私にとって」鬼門のようなのでこれからはもう出かけるのをやめよう。と思って先日の名古屋で行われたこよりさんと灰谷さんの講演は行かなかったけどいった方いらしたら感想聞かせてくださいね。

ま、ともかくこのときは170名もきてくださり藤家さんも崩れずよかったです、とかのこのこからお手紙が添えてありましたよ。そうそう、まだ講演のときに藤家さんが崩れるんじゃないかとか心配していた時代ですね。単なる一参加者の私にお礼状と資料をくださったのね。

岩永先生は藤家さんをサンプルに一生懸命感覚障害の説明をしていたことがパワポのレジュメでわかります。
支援者の先生方におかれましては、障害特性の説明くらい熱心に、当事者保護者に社会の仕組みと説いてくださるともっと社会との共存が進むんだけどね。
それはやらないんでしょうね。
聞き分けのいい方にしかはたらきかけないから。
そこが私とはきっぱりと決裂したところです。


ま、それからそれぞれの道を歩んだということ。
それだけの話ですね。

ぽい、と
きれいさっぱりシュレッダーしましたよ。
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「治る」と「改善する」の違い

2017-02-24 16:05:46 | 日記
皆さん前記事にお祝いの言葉をありがとうございます。
昨日は花風社創立21年目の日、であると同時に父の十一か月目の月命日でした。考えてみれば、20年目を見届けて亡くなったわけですね。そして昨日私の都合がつけにくく、母がひとりでお墓参りにいくところだったのですが何しろ昨日は春の嵐。テレビには荒れた海の江ノ島が映っていましたので私がやめたほうがいいよと止めて、今日なら一緒に行けるということで、朝ひと仕事して午前中から出かけてお墓参りして帰りに崎陽軒でランチしてさっき帰ってきました。その間にも皆様からお祝いのメッセージをいただきましてありがたかったです。

けれど一人、呪っている人がいますね。こういうの公開するのはもちろん「ほらほら来ましたよ」と皆さんにお知らせするという意味があります。ふうりんさんの指摘通り、みんながお祝いだとか感謝だとか言っていると必ず出てくる負け惜しみ体質の人。こういうの見れば見るほど、発達障害も愛着障害も治ってほしいでしょ? 私の仕事は治る人、治りたい人、治ってほしい人を増やすことなので、「こういう人間に育ってもらいたくないわ」と思われるようなコメントはむしろ積極的に公開することがあります。

それと何度でも言いますけど、呪いや悪口は打撃を与えられないんですよ。逆に言うとよこはま発達クリニックが客引きするようになったのは私が悪口言ったからではなく、単純に時代が変わったからです。有名クリニックで診断されるだけでありがたがってお金出す人が減ったからです。治りたい人が増えたし治る人も増えたからです。

実は今日出かける前のひと仕事として、鹿児島講演のレジュメを主催者さんにお送りしました。レジュメを作るにあたり、なぜ今回こよりさんと私を呼ぼうと思ったのか企画意図をおききしたのですが、そのうちの一つに「治るんだって鹿児島の人たちにも知ってほしい」というのがありまして、そこも入れました。そして「改善する」と「治る」の違いを結びに持ってくるようにしました。はっきりと説明します。鹿児島にいらっしゃる方たちは楽しみにしていてくださいね。

発達は改善にとどまりません。治ります。なぜかというと、まだ人類には地震が止められないのと同じ理屈です。地震は天災。自然生成。そして中枢神経も脳も自然生成物ですよね。

今のところはこれくらいにとどめておきます。

昨日、あと四十年経ったころ花風社からも100万部の本が出るかもなあ、なんて考えていて、そういえば今はおばあさんたちの本が売れているから、九十過ぎたら来し方を振り返って人生訓みたいなポエムみたいな本を書いてみようかしらと老後の楽しみに夢を馳せました。「置かれた場所で咲きなさい」みたいな、歳月を経た人しか書けない本もあるはず。

そして、私が90歳過ぎて書く本の仮タイトルを「Mein Kanpf」にしました(ブ)。

もちろん最終的にはこんな陳腐な(ブ)タイトルにはしないと思いますが

治らない治るなんて差別なんで改善じゃなくて治るというのクラスタのつまらないいちゃもんとの戦いも

いずれ作品に昇華させようと思います。
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神経発達障害

2017-02-23 10:36:16 | 日記
皆さんクイズのお答えありがとうございます。
中枢神経を私なりに描いてみました。






こんな感じ。
黒線が中枢神経の姿で赤線はそれが育っていくルートだそうです。
これは「基礎的な生理学」を知っている人なら知っているそうです。
non君が大根に例えたそうですが、私も植物的に育つんだなという印象を受けました。私が思ったのは脊髄が根で脳が花。そしてその他の身体の部分が葉っぱ。そこから入力を受けて花が咲く。入力っていうのは栄養もあるでしょう。陽光や触覚刺激もあるでしょう。そして動き。

この構図がお寝坊していた私のもとに昨日の朝急にやってきたのですね。自閉の神様が「とっとと起きろ!」とお土産持って起こしにきたのでしょうね。
そして「DSM-5対応 神経発達障害のすべて」を急いで読んだのは昨日書いた通り。そうかだからDSM-5から「神経発達障害」になったんだ! と突然わかったのです。そしてえらい先生方が集って「神経発達障害のすべて」とおっしゃるのだからすべてが書いてあると思うじゃないですか。

そしてまえがきby杉山大先生。
曰く。
「DSM-5では、このように大きな変更が行われたが、中でも重要なのは神経発達障害群という大項目の創設である。しかもこの群が、すべての診断基準の冒頭に置かれている。これは、発達障害が多くの精神科疾患の基盤になることを踏まえてのことではないかと思われる」

えええーそっちー?!

と思いました。
ていうか杉山大先生、DSM改定前から「精神科疾患の基盤に発達凸凹がある」とさんざんおっしゃってきたじゃないですか。何を今さら。

そして感覚統合クラスタは、今般の改定で感覚過敏が診断基準に入ったので自分たちの主張が認められたと海老小躍りして喜んでいるかもしれませんが

神経発達障害という大項目の下では当たり前ではないですか。感覚の偏りがあるのは。

まあ、えらい先生たちの考えることはわからん。
このまえがきに続く対談では「ADHDをDSMより先に発達障害に入れてた日本スゴイ」とかネトウヨがやりそうな日本スゴイ論をやってるしな。この卑屈根性が実は治るの邪魔してるんだけどね。あっちの手法を持ってくるのの外人寵愛争いしてこっちで免許売る仕事始めた売国系猫烏賊ボス系大物支援者はどんどん治さなくなるしね。

あっと話がずれそうだったけど

「神経発達障害」って聞いて私が素人の私が素直に思うのはえらい先生たちと違って

「そうかやっぱり全身なんだな」ということです。
だって神経全身に張り巡らされているじゃん。
身体アプローチ効くのあたりまえじゃん。

とくに脊髄はどこにある? 背骨に格納されている。

だったら

私がかねがね思っていたように

「自閉症の人って背中で見分けがつくなあ」

というのは当然なんだろうし

金魚体操とか
恐怖麻痺反射の統合とか

背中へのアプローチで治るのは当然じゃん?

「発達障害は中枢神経の障害」とみんな決まり文句のように繰り返してきたけど
「中枢神経背中まで伸びてるよね」って誰もわざわざ言わなかったよね。

ずいぶん遠回りしたと思うし、これからも大先生たちは遠回りするでしょう。

私は近道を探そうと思います。
自分でできて、金がかからなくて、できたら身体の中に何も入れない
方法でね。

花風社は今日21歳になりました。
畏れ多くも皇太子殿下は57歳で、作家の百田直樹氏は61歳だそうです。
百田氏と花風社はちょうど40歳違いなのですね。
花風社もあと40年経てば100万部くらいの本が出せるかもしれません。
でもそれは発達障害の本じゃなくていいや。
発達障害はその頃、本なんかいらないくらい
みんな自分でできることで治っているといいな。
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中枢神経

2017-02-22 15:25:23 | 日記
今日はちょっとお寝坊しました。そして起きがけに自閉の神様がお越しになったので飛び起きましたよ。

そしてこの本読んだ。なんにも答えは書いてないや。でもここに答えが書いてないということが答えかも。

皆さんにクイズ。

ぐぐるのなしね。それと、医療関係者は参加を控えてね。

さて

発達障害は中枢神経の障害と言われますね。

どこにあるの?

中枢神経って。

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煽った甲斐があった

2017-02-21 09:38:44 | 日記
先日、ある封書を空けていたらメインの書類とともにぽろんと落ちてきた紙がありました。岩永先生の講演会のお知らせ。
まあ岩永先生がどこかで講演会をしていても別に珍しくないですが、一応見てみたら画期的だったですよ。そうか岩永先生は、雨が痛いのとか風が痛いのとか治ると言い始めたんだな。知ってるよ、治るの。ただギョーカイ的に言うと、「雨が痛い、風が痛い」という当事者からの一次情報は「じゃあ治さなきゃ!」っていう方向に使っちゃいけなくて、「ほうらこんなに弱い人たちなのです配慮を障害にわたる支援を!」の方向に行かなきゃいけないから今まで言い出せなかったんだよね。でも私が感覚統合ディスり始めてよりによって「人間脳を育てる」というすっかりメジャーになってしまった本に「感覚統合はこれが治せないよね」なんて「感覚統合が治せないもの」を列挙するという暴挙に及ぶに至っては黙っていられなくなったのかもね。急に治せるって言い始めたことと私の傍若無人な言論活動に関係があったら私は実にうれしいね。やればできる子!

でもそのあとがちょっと残念だった。

治すためにはまず正確なアセスメントが必要なんだって。
正確なアセスメント。
ってそれは、自分たちが療育ギョーカイに「エビデンスないくせに!」とか言われて同調圧力に屈して治すことをそっちのけに十年の月日をかけて多大なコストを保護者や当事者にも支払わせて金字塔のように立てたアセスメントツールを売らなきゃいけないという都合だというのが透けて見えたから。

岩永先生素直なのかも。
だから「エビデンスないくせに!」と言われたら必死にエビデンス出そうとするし(まあきっとそれが学者として正しい態度だ)「感覚統合治せないじゃん」って言われると「治るもん!」って言い始める。やっぱりいい人ですね。ただ私には無礼だっただけ。ものすごく。

いや、正確なアセスメントは必要だと思うよ。でもそれは学者さんたちが他領域の人に対して「僕らもエビデンス重視です」と言うために作って高い値段で販売する様なアセスメントツールではないかも。

そうねえ、雨が痛い風が痛いの人がいたら今はきっと
・足首使えているかしら
・首座っているかしら
・排泄
・睡眠
みたいなことに興味持つかな。それが感覚統合と別れてからも身体アプローチの門前の小僧をやってきて今「言葉以前のアプローチ」という言葉を広めようとしている私のイマココかな。

大学人は大変ね。
おつきあいが多くて。

だから

支援には大学人であることは不利かもね。

(ブ)
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集団活動と人間脳

2017-02-20 09:30:12 | 日記
私が森嶋氏及びチットチャットと縁切りしてよかったなと思うことのひとつに、栗本さんが本音を話し始めてくれたことがあります。
悪口じゃないですよ。
同じ身体アプローチでも当然、森嶋氏と栗本さんでは方針が違うところがあり、これまでは黙っていたのを話し始めてくれたという意味です。

それは集団指導のことです。

個人指導もいいけど(栗本さんもしていますが)やはり支援者は集団指導をあきらめてはいけないというのです。
灰谷さんにせよ栗本さんにせよ個人指導もしています。そういう場面も必要ではある。でもそれは個人がお互い納得づくで、いわば個人的な受注発注の関係があってなりたつこと。一般的な家庭教師などもそうでしょう。

でも放課後デイは、あくまで児童デイの障害児版。そして子どもは、学校に入るころには親から離れて集団活動するのが普通。親と遊ぶより友だちと遊びたくなるのが発達。そこまで育て上げるのが意義のはず。それなのに支援者が集団指導をあきらめてはいけないというのです。そして先日発表した新コンディショニングプログラムは、集団指導が可能なことも一つの大きなメリットになっています。

集団活動できてこその人間活動だもんね・・・と思ったけど実はそうじゃないですね。人間活動は人間でなくてもやりますよね。なんのためかというと生存のためですよね。

要するに、集団活動するためには「人間脳以前」から育てないといけないんですね。
その手法が先日の講座にはありました。放課後デイの方もいらしていましたがトクすると思います。

さて、大阪で栗本さんの指導が受けられます。
お値段もお手頃です。

当事者保護者の人もいいですし、放課後デイ、学校等で支援の立場にいらっしゃる方にも実りが多いはずです。

詳細・お申し込みはこちらをごらんくださいね。

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流れ その5

2017-02-17 10:40:54 | 日記



このように保土ヶ谷の講演会は終わり、私たちは会場を後にしました。
私は最後までいてもいいかな、と最初から思っていたのですが、途中で帰るかもと思ったわけは、おなかが空いていたからです。
講演前はなんとなく食事しないことが多いです。それでお昼を抜かしていたのです。
画伯が来ていたから普通だったら画伯を誘いなんとなく食事しようよからちょっと一杯とか言って一杯ではすまず・・・というパターンなのですが、この日は誘う気がありませんでした。
画伯がなんかのらりくらりと花風社クラスタには発表しないしかと言ってもう公表していいと言われているし愛甲さんには言っちゃったしなのに画伯が自分で発表しないところを見るとこれは私に言えということかと解釈して暴露しますが
画伯は新婚だからです。
とっとと新妻の待っている(多摩)川向こうに帰れ!

私は帰路、一人で京都風のお店に入って「生麩入り茶そば」というのをいただきました。とてもおいしかったです。そして夫と一緒だとまず食べられないメニュー。関東の男(の一部)にとって蕎麦は信仰の対象なので、生麩入りもそもそもあったかいお蕎麦も許せないようですからね。

そして食べながらやはり思いは「カサンドラの人と当事者の人が仲良しだった」という衝撃の件に移っていました。
そう、ジョブコーチの方への衝撃が「治るんです」だとすれば
私にとってはカサンドラの団体と当事者の団体がそろって空気を読んで私に話を合わせながらも最後は「発達障害の人の生きやすい社会ではない。社会の理解を」と仲良く訴えていたことが衝撃でした。
どうやらカサンドラの人は発達障害で困っているんだけど、でも変わってほしいのは社会の方なのかしら。
頭がぐるぐるしました。

そしてわかったこと。
どうやらみんな、なるべく仲間を作るために大同小異には目をつぶり、手をつなぎあうのですね。
FBとかで全く主張の合わないと思われる人たちが同じギョーカイにいるというだけでお友だちになって当たり障りのないことを言い合っているのはだからなんだ。

そういうの、私は一切してきませんでした。
むしろ、あらゆる大同小異にきっぱりと対応してきて著者たちとすら別れを厭いませんでした。
ていうかじゃないと、主張は鮮明にならないのではないかしら。

私がカサンドラだったら、自分の愛着障害も治したいけど(愛着障害がないとカサンドラにはなれないと思うので)、やはり発達障害の困ったところ、治せる手があるのなら治してもらいたいと思うのですけどね。

そんなこと考えていたら大久保さんのブログに答えが書いてありました。

社会が理解しないと、生きやすくならない?



=====
社会の理解と本人たちの“生きやすさ”が相関関係にないことは、治っている人達を見てきた人間にとっては当たり前で、みんなが知っていることです。
自立した生活が送れるのも、しっかり働けるのも、愛着障害が治るのも、感覚過敏が良くなるのも、社会が理解したからではなく、本人が成長し、発達し、治したから。
今よりも、障害に対する偏見も、誤解もあった時代でも、自立した人はいたし、治った人もいた。
そうこうしている間にも、今、同じ社会の中で、自立する人がいて、治る人がいる。
だからね、しょーもないセールストークしてないで治せよ、というか腐っても支援者だったら、本人たちのプラスになることやりなよ、今、生きやすくなることをしなよ、と思うのです。
(大久保さんの前掲ブログより引用)
=====

そうだそうだ、本当にその通りだ。
私たちは「社会の理解」と「本人の生きやすさ」が相関関係にないことを見てきた。生きやすくなってきた人はいた。でもその人たちは「治った人、発達した人」であり、社会の理解とは無関係。あえていえば身内が理解することは大事だけど、それはどういう理解かというと「普通の道筋ではないかもしれないけど発達していくよ」という理解。

ただ私が最近気づき始めたのは、自分たちがマイノリティだという意識があればあるほど、大同小異に目をつぶり、連動しようとするのですね。
その中であるいは、「何が実効的なのか」とかけ離れた意見
とりあえずマイノリティだという意識を持つ人々が「誰も反対しない」「最大集約的な」意見に収れんされていくかもしれないということです。これを、あえて「主張の陳腐化」と名付けたい。
その「主張の陳腐化」が鮮明に表れるのが「青いお祭り」ですね。

私は誰かと連動することに、プライオリティを与えてこなかったんだなあ。
それが今回学んだことでした。
むしろ、誰とも仲良くしなくていいのなら、今後も発達障害を続けていってもいいな、というのが偽らざる気持ちです。

お越しいただいたみなさん
空気を読んでくださった講師の皆さん。
主宰してくださった保土ヶ谷の皆さん、ありがとうございました。
地元でお話ができてうれしかったです。

さて、この記事を読み終わった皆さんの中に残る一番の衝撃はなんだったでしょうか?
画伯に持ってかれているかもしれませんね。



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流れ その4

2017-02-16 10:31:44 | 日記



講演会が終わって、交流タイムになりました。実はここまで「できたら残ってください」と言われていて、帰ってもよかったのですがなんとなくいました。そして何人かの方とお話ししました。

印象に残ったのは企業内ジョブコーチの方です。「今日は衝撃でした」とおっしゃいました。

何しろ花風社ビギナーが多く、友だちは教室の備品から衝撃だったので何が衝撃だったかおききすると「治るんだと知った」ということでした。それと、黄色本の棒人間を見て「うちの職場を見たんですかと思うほどああいう姿勢の人ばかり」とおっしゃっていました。

「企業としては率直に言って治ってほしいでしょ?」と私がおききすると「もちろんです」と答えられました。それでも企業内ジョブコーチがいるほどの会社に障害者枠で勤められていること自体、おそらく手塩にかけてていねいに育てられた方たちのはずです。でもその人たちの心身が安定したら会社としても大助かりです。

「企業の方にお願いしたいですね。企業の本音として『治るものなら治ってほしい』と表明してください」とお願いしておきました。「本当ですね」とおっしゃっていました。福祉にも保護者にも当事者にも「治る」という言葉をなんとか避けようと汲々として「発達するけど治らない」とかもごもごいう人がたくさんいますからね。「治るの? それはいい!」と思った人は屈託なくそれを表明してください。それこそが「発達障害者が生きやすい社会」につながります。

ジョブコーチの方も作業所とかに呼ばれて、合理的配慮とわがままの違いとかを講演してくれとか頼まれるそうです。要するに作業所の支援員が利用者さんたちに現実を学んでもらいたいと企画されるのですね。そういう動きが広がるといいですね。

と思って帰ってきたらいいニュースが。
学校卒業後最初の就活で四十社落ち、最後に自治体のチャレンジ有期雇用に受かり、三年間職場で頑張っていた青年。満期になるので就活の時期になり、でもなかなか面接までもたどりつかず、四月はどんどん迫ってきて・・・という中で、ようやく面接してくれた企業から内定が出たそうです。知的障害の人を雇用するのも発達障害の人を雇用するのも初めての企業だそうです。きっと働き者の青年に巡り会えて、その企業が障害者雇用に抱く印象もよくなるでしょう。これこそが「啓発活動」でしょう。

こういうニュースを聞くと「よかった」と思うと同時に「知ってた」とも思います。
そう、稀勢の里が横綱になるのを「知ってた」ように。

だってもう検証されているじゃないですか。

修行は報われるんです。
どう見ても報われています。


海老踊り系のエビデンスは数値が上がったとかそういうことでしょう。
我々にとってのエビデンスは違います。
こういう数々のいいニュースです。

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流れ その3

2017-02-15 11:16:09 | 日記
今度の講演会は、企画した人がいて、そこに区が予算をつけて実現したということでした。いい制度ですね。区役所の方もいらしてました。
参加費は100円とか。お茶菓子がありました。実質、お茶菓子代をいただきますということですね。

運営側に一人「子どもに発達障害があり絶望していたけれど、花風社の本を読んでできることが多いのを知りほっとした」という方がいたので実現したのですが、会場にいらした方々の多くが花風社ビギナーです。どのくらいビギナーかというと「友だちは教室の備品」等赤本のネタでもどよめきが起きるくらい。その人たちに一時間で赤本から愛着障害まで語ったのですから結構急ぎ足でした。愛着障害は誰のせいでもない。この後につながるカサンドラの方のためにもそれは言っておかなくてはいけませんから、私自身が「一生治らない」と信じていた時代から三つ組みより身体の不具合の方が治しやすそうだと思って赤本を出し、感覚統合を出し限界を感じ、裁判があり神田橋先生に会い、「鍛えると言うより整える」アプローチをやっていた栗本さんに会い、灰谷さんに会って「ヌケは埋められる」ことを改めて認識し、そして愛着障害に至るまでを駆け足で話しました。

後に続くカサンドラの方は私の話に触発されたのかカサンドラそっちのけで(それはレジュメ見てくださいという感じで)ご自分の神田橋先生体験を興奮して話されていました。鹿児島にいらっしゃたのですね。そして当事者団体の方もなかなか空気の読める好青年で、まあ要するにお二人とも私に合わせてくださった感じです。一番傍若無人に言いたいこと言ったのは私ではないですかね。

実は私、こういう布陣で講演をすると聞いたとき、「はて、カサンドラと当事者は対立関係にあるのではないか」と感じたのです。実際カサンドラ系の本などには当事者の方たちが噛みついていたりするのを見てきたし。ところが実際目の前にいるお二人は仲よしで、おうちに遊びに行って手料理ごちそうしたりされたり、そういう関係だったのでこれはリアルでないとわからないなあと思いました。カサンドラ系の団体と当事者系の団体が仲良くするのだ、ということから色々発想したことがこの日の私にとっては最大の勉強だったかもしれません。それはまた、後日。

お二人の他にも事業所の方もミニ講演されました。うちから割合近所のところにお店とかカフェとか経営されているそうです。自転車でよくとおるあたり。一回行ってみようかなあと思いました。障害のある方にアロマのハンドトリートメントを教えているそうで、無料券をいただきました。

三人のミニ講演が終わり質問タイムに。保護者を名乗る方からハンドトリートメントで生計は立てられるのかの質問がありました。私はその質問自体にびっくりしました。いや、質問した方をフォローしておけば、それで生計は立てられないとご存じであえてきいてみたのかもしれません。でもある意味、猫烏賊はこういうところに根があるのだと思いました。

アロマのハンドトリートメントは美しい仕事です。聞こえもいい。そしておそらく、それで生計を立てられる人は健常者であれ少ないし、生計を立てるに至るまでには技術だけではダメな商売ですね。自分が社会の中でそれなりに苦労しながら働いていると、こういうことは半ば自動的にわかります。

私は障害のある方にアロマのハンドトリートメントを教えること自体は素晴らしいと思います。それを自分の経営するカフェでささやかに提供する機会を与えるのも素晴らしい。けれどもそれで生計は立てられない。このあたりは保護者が知っておかなければならない面だと思います。そうじゃないと自立を目指すための修行の方向を間違えます。だから事業者の方がはっきりと「自立できるだけの稼ぎにはならない」と言ったのはいいことだと思いました。

生計を立てる一番の近道は週に五日働けることです。そんなの社会を知っていれば当たり前です。そして保護者は、猫烏賊ホイホイの講座に大金投じるよりたとえ最低賃金でもいいから時給を稼いでみるほうがずっと勉強になるだろうと思います。

平日料金1200円とかのスパ施設にはそれなりに年取ったおばさまたちのグループが来ています。夫の稼ぎで遊べる奥様もいれば、自分が清掃その他のお仕事をして稼いだお金で来ている方もいます。私はそういう風に、時給を稼いでそれをきちんと他人に回して同時に自分も支払った対価で楽しい時間を過ごしている人を尊敬します。かっこいい講座に行って仲間に感謝して集合写真FBにアップしている人たちよりずっと、きっと子育てもうまくいくだろうと思います(ブ)。

局所的な話ですが、猫烏賊の反対語は、「こよりさんたち」かもしれませんね。
私はかっこいい仕事に就くために講座を取る人より、自分の課題から逃げない人、地道な仕事ができる人を尊敬しています。

あ、そうか。だから猫本なんだ。
猫烏賊の皆様におかれましては、自己啓発とかセルフブランディングの猫烏賊本を早く捨てて、猫にまで成長していただきたいものです(ブ)。

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