昨日は、非発達障害クラスタの方とミーティングで、おいしいフレンチをごちそうになりました。
そこで出た話。
とにかく発達障害者に、社会は困っている。
職場でも大学でも。
これは一つ「社会の理解」が進んだ結果です。
ギョーカイが一生懸命「困ってるんです。理解してください」って訴えたでしょ。
その結果「社会の理解」が進んだから「そんなにめんどくさいのか、じゃあつきあうのやめよう」と判断する人たちだって出てくる。
さあここからどうするか、ですよ。
それから事務所に戻り、仕事をしながら朝ブログに書いた「問題行動を無視」について考える。
なぜそのやり方にこれほど違和感を覚えるのか。
ABA的に正しいんだろうし、愛甲さんも同意しているのに。
施設職員の方から、無視はそれなりに効果がある。
火に油を注ぐことを防げる、というご意見が。
たしかにそれはそう。
でもなんか違和感がある。
こういう違和感は追求した方がいい。
考えているうちに気づいた!
「問題行動を無視」が、私が大嫌いな「死んだふり」につながるからですね。
少なくとも「死んだふり」をしている人たちが、これを正当化に使ってるでしょ。
そしてね、たとえば問題行動を無視されて、その行動が消えていくのは
無視した人と無視された問題行動を起こした人の間に
なんらかの愛着が育ってる場合でしょ。
嫌いな人に無視されるって、かえってご褒美だからね。
そういえば愛甲さんはこの本の中で
トイレットトレーニングの成功不成功とかの鍵を愛着の形成が握っているということにちゃんと触れているし
「愛着がどこまで形成されているか」のアセスメントの方法も触れているじゃないですか。
あらためてすごい本だな、これ。
つまりさあ
愛着が育っていないところでいくら理論通りにやっても効果ないかもね。
それをギョーカイははっきり言えないのかしら。ご本尊に触れるから。
「問題行動を無視することが効果があるかどうか」の度合いは、間に育っている愛着の度合いで違ってくるはず。
それと、大人の人、知的に高い人にこれやってしまうのって、人間音痴で無礼かもね。
たとえば、地方大学病院勤務の児童精神科医、なんていうのは明らかに知的に高い大人ですよね。
その人が匿名でその地位にふさわしからぬくだらない攻撃をしてくる場合
「無視していたら治まる」なんて甘いもんじゃないですよ。
だってさあ、その医師と私の間には
ただのひとかけらの愛着もないんだもの。
会ったこともないし。
だったらその問題行動(私から見てね)をやめさせるには
無視するのではなく、いくら専守防衛がモットーとは言え、迎撃ミサイル発動させないと。
この場合は、後生大事にしていた匿名をはぎとった。
それでようやく問題行動は治まったわけね。
とにかくギョーカイは
死んだふりの言い訳にABAの理論を使わないでほしいですね。
別に死んだふりを続けてもいいけど
その結果がフレンチのランチで聴いたような
「発達障害者迷惑。かかわりたくない」系の社会のリアクションにつながっていきますよ。
勘の悪いおばかさんのために言うけど
私はこういう社会の状態を肯定しているわけではないですよ。
ここから出発するのが現実的に
発達障害者が生きやすくなる戦略を立てやすい、っていうこと。
ここが見分けがつかない人がいるのね。
いいですか、現実社会では、身近にいる大人に犬の曲芸を仕込もうという意識はない。
それはむしろ失礼なこと。
大人は大人として遇されるんです。
だからやったことに対しては、迎撃ミサイルが飛んでくるし
それは別に、差別でも偏見でもなんでもないんですよ。
そこで出た話。
とにかく発達障害者に、社会は困っている。
職場でも大学でも。
これは一つ「社会の理解」が進んだ結果です。
ギョーカイが一生懸命「困ってるんです。理解してください」って訴えたでしょ。
その結果「社会の理解」が進んだから「そんなにめんどくさいのか、じゃあつきあうのやめよう」と判断する人たちだって出てくる。
さあここからどうするか、ですよ。
それから事務所に戻り、仕事をしながら朝ブログに書いた「問題行動を無視」について考える。
なぜそのやり方にこれほど違和感を覚えるのか。
ABA的に正しいんだろうし、愛甲さんも同意しているのに。
施設職員の方から、無視はそれなりに効果がある。
火に油を注ぐことを防げる、というご意見が。
たしかにそれはそう。
でもなんか違和感がある。
こういう違和感は追求した方がいい。
考えているうちに気づいた!
「問題行動を無視」が、私が大嫌いな「死んだふり」につながるからですね。
少なくとも「死んだふり」をしている人たちが、これを正当化に使ってるでしょ。
そしてね、たとえば問題行動を無視されて、その行動が消えていくのは
無視した人と無視された問題行動を起こした人の間に
なんらかの愛着が育ってる場合でしょ。
嫌いな人に無視されるって、かえってご褒美だからね。
そういえば愛甲さんはこの本の中で
トイレットトレーニングの成功不成功とかの鍵を愛着の形成が握っているということにちゃんと触れているし
「愛着がどこまで形成されているか」のアセスメントの方法も触れているじゃないですか。
あらためてすごい本だな、これ。
つまりさあ
愛着が育っていないところでいくら理論通りにやっても効果ないかもね。
それをギョーカイははっきり言えないのかしら。ご本尊に触れるから。
「問題行動を無視することが効果があるかどうか」の度合いは、間に育っている愛着の度合いで違ってくるはず。
それと、大人の人、知的に高い人にこれやってしまうのって、人間音痴で無礼かもね。
たとえば、地方大学病院勤務の児童精神科医、なんていうのは明らかに知的に高い大人ですよね。
その人が匿名でその地位にふさわしからぬくだらない攻撃をしてくる場合
「無視していたら治まる」なんて甘いもんじゃないですよ。
だってさあ、その医師と私の間には
ただのひとかけらの愛着もないんだもの。
会ったこともないし。
だったらその問題行動(私から見てね)をやめさせるには
無視するのではなく、いくら専守防衛がモットーとは言え、迎撃ミサイル発動させないと。
この場合は、後生大事にしていた匿名をはぎとった。
それでようやく問題行動は治まったわけね。
とにかくギョーカイは
死んだふりの言い訳にABAの理論を使わないでほしいですね。
別に死んだふりを続けてもいいけど
その結果がフレンチのランチで聴いたような
「発達障害者迷惑。かかわりたくない」系の社会のリアクションにつながっていきますよ。
勘の悪いおばかさんのために言うけど
私はこういう社会の状態を肯定しているわけではないですよ。
ここから出発するのが現実的に
発達障害者が生きやすくなる戦略を立てやすい、っていうこと。
ここが見分けがつかない人がいるのね。
いいですか、現実社会では、身近にいる大人に犬の曲芸を仕込もうという意識はない。
それはむしろ失礼なこと。
大人は大人として遇されるんです。
だからやったことに対しては、迎撃ミサイルが飛んでくるし
それは別に、差別でも偏見でもなんでもないんですよ。