治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

世界標準の発達障害治療はここまでいってるよ!

2024-07-21 05:30:17 | 日記
2024年7月20日、私はきっつい自転車のお稽古を終え、家に帰ってきました。相撲やっていました。ビールが飲みたいところですがそうはいきません。18時半から、チームベスリのみなさんとボリンゴさんと「花風社夏祭り第二部」の録画撮りをするのです。

医療従事者って、なんだかんだ忙しいですよね。田中先生も、とてもハードワーキングな方だと思います。半年に一冊本を作るだけの私とは大違い。だからこちらが時間を合わせます。

そして、ミーティングの内容は。

いやあ、もう感動の嵐でしたわ。
「世界、ここまでいってるのか」っていう感じ。

脳のどこに、あるいはどことどこのネットワークに不具合があると
・ADHD
の様相を見せるか、どころか
・ASD
・言葉が出ない
という現象になるのか、もう部位やネットワークは特定されているそうです。19箇所(←具体的でしょ)。アメリカではそれが普通に、共通の常識として治療のはじまりになっている。



そもそも、びっくりしたのは

身体アプローチの人たちがよく「定型に発達するといついつから車酔いが始まる」とか「スキャモンの発育曲線」とか出すみたいに

「定型に発達すると何歳ごろの前頭葉ではなんとか波(四種類の脳波)のどれが優位なはず」とかがわかっていて、そこから逸脱していると、じゃあケアをしようか、ということになるそうです。

そしてそこから始まるNeurofeedbackは、FDAによっても治療の第一選択肢になっている(薬物より上)。

でも全然日本に入ってこないでしょ。

私がNeurofeedbackのことを最初に聞いたのは2000年代初頭です。そしてそのころ、扁桃体の話もよくきいた。そのころ、たぶん発達障害者支援法の始まりで予算もついたんだと思うのですが、よく支援者たちはアメリカに行っていた。そして扁桃体やなんかの話を仕入れてきたけど、結局それが20年後のためにユーザーのために活かされてはいない。

っていうか、発達障害医療ってつまり、ほぼ20年間変わっていないわけです。

日経平均が30数年かけてやっと元に戻った間に、S&Pとかは何十倍、らしいけど、これだけ新しいものを発展させる気があるかないかで、経済力なんて違ってきてしまって当たり前だと思いました。

Neurofeedbackと扁桃体症候群という概念。
その両方とも、日本には入ってこない。
とにかく日本の医療は新しいもの入れないみたい。


昔はそれでも、お金持ちだったジャパンだから、押し売りもきたかもしれない。
でも今は日本も貧乏になり、ジャパンパッシングなので、向こうから持ってきてくれなくなったそうです。明治時代と同じように、情報取りにいかないといけない。

で、中川先生は、あちらで臨床をしていた方なので、それを持ってきてくださったというわけです。

もちろんこれが保険診療になるのをじっと待つ、という人もいるだろうけど

私はハッタツとコロナ、二つみて、「ああ日本の医療一般は本当に人間を雑に扱うし、国民からチューチューお金吸ってなんの罪の意識もないんだな」ってわかったから、それは期待しません。

それより自費で安くやってくれるところが出てきたのだから、そのご紹介をしたい。いつか保険診療になるならそれを止めはもちろんしないしその力もないけど。

田中先生曰く「自費っていうのは高くもできるけど安くもできるんだ」

本当にそうです。
たとえば今、放課後等デイとか、就労支援とか、単価高すぎると思うけど、あれを純粋に民間でやったらもっと単価下げられるだろうし。

今回の夏祭り第二部では、そういう最先端(っていうかアメリカではすでに常識の)発達障害治療についてきけるし、希望があればスクリーニングのチャンスもある。

そして最先端のトレーニングが、全国どこにいても、受けられる

かもしれないし

受けなくてもいい

ことがわかるかもしれないし

さらにさらに

「ここを伸ばすといい」

ところもわかるらしい。

人を資源と見る国では、こういう治療が発展するんでしょう。

国民皆保険の国では、人を家畜とみなしているけどな。
だから分娩時の妊婦にマスクさせるし、発達においては20年間治療方法を変えないんですよ。

今、そこに風穴があくかもしれない。

最後にボリンゴさんに感想をききました。
親御さんとしての意見をききたかったのです。
もう、びっくりだということ。

発達障害の新しい治療
自信をもってお勧めします。
今からでも花風社の夏祭りには申し込んだ方がいいです!

これがうまくいけば
20年にわたる発達ギョーカイとのやりとりとクソコロナ騒動で強固になった私の強度医療嫌いが治るかもしれませんわ。

エコーチェンバーが身体にいい件

2024-06-28 11:32:18 | 日記
Xにやたらあのアイコンが流れてくる数日。
え~と、あの画家はなんて言ったっけ。画伯が教えてくれたなあ。気持ち悪い画風。クールベだっけ。それをアイコンにしている医者。

本当に匿名でちくちくちくちくいじめてきたなあ。
だから実名すっぱぬいてやったけど。
その後、NHKとかに出て、実名とツイッター(当時)が紐づけられたのはよかったようだけど、みんな忘れているかもしれないけど、当時匿名でちくちくやってきたあいつの本名をすっぱ抜いたのは私が最初だよ。

誰がリポストしてくるかというと、花風社の読者の人で
つまり、あの医者がかつて花風社をちくちくちくちくいじめてきた時代は知らない人が、「有力な情報源」としてあてにしている。

才気走ったところが皆無だけど、カタログ的に情報集めるのだけは好きなんだよねあのやぶ医者。
だから花風社をいじめぬいた医者だと知らない人にとっては、貴重な情報源なのかもしれないね。

つまり時代は本当に変わったのだと思った。
そしてあのやぶ医者は「花風社は潰れる」と言ってたけど
もうあんたのやった意地悪を知らない世代の読者が育っているぜ。

でもまあ、医者が嘘つきなこと、自分の予言が外れても謝らないことはコロナと発達の二つでわかったから、いいけどね。

その後本とかも出したみたいね。
全然興味ないから読んでないけど。

あのちくちくちくちくやられた時代に比べると、今って平和だな。
エコーチェンバーとか悪口のつもりで言われるけど、エコーチェンバーって健康にいいなあ。もう誰も喧嘩売ってこないから、争いもなくなった。
そして松島さんのエコーチェンバーみたいに、ときどきよそのエコーチェンバーと交流すると、増えたりするし。

私はあのちくちく時代を無病息災で息抜き、コロナ禍をノー枠ノーマスクで無病息災で息抜き、今も元気。

ちくちく時代のストレスも、コロナ禍のストレスも、私を潰すことはなかった。

そしてこの居心地いいエコーチェンバー()。

脳がみえる時代もやってきた。

私っていったい、どうやったら潰れるのだろうか?


いや、すごい時代になってきたなあ! 脳スクリーニングとトンデモ()

2024-06-20 09:16:03 | 日記
さて、花風社の夏祭り2024のお知らせを始めました。

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花風社の夏祭り 2024

タイトル 発達障害治療革命!

この20年の発達援助の進化を振り返り
世界標準の医療を学ぶ。

第一部 浅見淳子
この20年に生まれた数々のオプションと
「治った人たち」の選んだ道。
新刊『療育整体で「こころ」を育む』について。

第二部
脳神経内科医 田中伸明先生
精神保健福祉士 中川朋先生
ベスリクリニックより チーム・ベスリ
MC 浅見淳子

脳機能というファクトに基づいた診断。
そして同時に始まる治療。
世界で常識となっている発達障害治療を日本の臨床現場へ。
そして家庭へ。

=====

昨日打ち合わせして、本当にびっくりです。そういう時代になってきたのかあ、っていう感じ。

これまで皆さんは診断のとき、「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とかまんまと言いくるめられてきて、「はて?」と気づいた人たちが花風社にたどりついたわけですが

もう何度も言ってきたように「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」っていうのは管理のための嘘にすぎないわけです。科学的根拠はない。言ってみれば「濃厚接触者」みたいな感じ。行政側って自分たちの仕事をカンタンにするために管理用の嘘をつく。それとおんなじです。

第一「脳機能の障害」っていったって凡医は診断のとき脳の中身なんかみないのは診断を経てきた皆様がご存じのとおり。てきとーにききとりをして、それで決めつけるわけです。「脳の障害です。おたくの子は一生字が書けません」とか。

考えてみればふざけた話です。

嘘ばっかりなわけだけど。
じゃあなんで嘘をつくのか?

を考えてみなくてはなりません。

ともかくその嘘は現場に引き継がれ、現場も「脳機能の障害ですからね~」とか言うんだけど、じゃあどう脳機能の障害なのかなんて、みんなわからずに凡医のオウム返ししているだけ。目的は一つ。親をあきらめさせ、管理しやすくすること。

ところが昨日の打ち合わせによると、今は脳機能がすごくわかるようになり、AIが分析してくれて、しかもそれが家庭でもできるくらいになっているんだとか。

私はきいたんです。「じゃあビフォアアフターとかみられるんですか?」って。

たとえば療育整体を数か月続ける、金魚体操を数か月やってみる、栄養療法を数か月やってみる、そのビフォアとアフターを比べられるのか、と。

そんなことはもちろんできるそうです。

田中先生初めチームベスリのみなさんは、こんないいものを日本人にも知ってもらいたい、という志を持って今回しゃべってくださって、

私ももちろんその志を共有しています。皆さん脳機能の障害って言われたんでしょ? でも具体的にどういう脳機能障害か誰も教えてくれなかったでしょ? ようやくそれを知ることができるようになったみたいだから、ぜひこの機会を活用していただきたい、という気持ちは共有している。

でも私にはダークな気持ちもあって、それは何かというと、皆さまご存じのとおり

ギョーカイを潰したい

ってやつです。

ちなみにギョーカイっていうのは、一生治らないことにして、当事者と診断されたお子達の未来を消化試合にしつつ自分たちは公金チューチューし続けるシステムを作るあの闇の軍団のこと。またの名を(凡)医療や(凡)福祉ですが

治したくないもんだから、しょうもないものばっかりもってくるでしょ。たとえばABAとかさ。

ABAにエビデンスがある(ドヤ)っていうのはある意味当たり前なんです。皆さん給料もらえなかったら会社行きますか? っていう話。それと同じで子どもも一粒の卵ボーロで釣られる。その行動変容をエビデンスがあると言いたてているだけ。

犬に曲芸を教えるのと一緒です。イルカがわっかをくぐるのもイワシ目当て。

でも誓ってもいいけど、脳機能なんて一ミリも変えていないからね。犬も、イルカも、人の子も。

脳機能の変化をみられる時代になったら、ギョーカイが自分都合ですすめている「マニュアル化しやすくて、治らない療育」の化けの皮がはがれます。

どっちがトンデモだったかはっきりします。

だからきっと必死に、またあれやってくるでしょう。インチキ呼ばわりです。

でもね、コロナ禍を経た皆さんはお利口になってください。
ビリだったんですよ、日本は。
ギョーカイ都合で知見を柔軟に受け入れられなくて、世界でビリになったんです。
このままギョーカイの言いなりになっていたら、発達障害でもビリになりますよ。
日本だけ発達障害が治らない国になりますよ。

世界標準なんて、ギョーカイの専門家にまかせていたら日本にはやってこない。
そう腹をくくりましょう。
治すことを考えている稀有な専門家がいてくれた。
そのチャンスを活かしましょう。

日本では「診断と治療」みたいですけど

世界ではもう「スクリーニングとトレーニング」だそうです。

そしてスクリーニングの結果

とくに介入要らないね、という判断もありだそうです。

ギョーカイはぜったいしないよね。
固定資産にしたいからね。

ともかく、新刊と夏祭りのお知らせを貼っておきますね。

=====

お世話になっております。花風社です。
さて、コミュニティサイト「治そう! 発達障害どっとこむ」等でお知らせしているとおり
花風社は7月に新刊を出します。

1 新刊について。
今度の新刊は
『療育整体』で大ブレークしている松島眞一さんの第二弾

療育整体で「こころ」を育む

です。

https://www.kafusha.com/products/detail/60

花風社は、神田橋先生の本を出して以来
「東洋医学をとりいれている実践家の方が治す方法を教えてくれるなあ」と気づいておりました。
けれども実際に東洋医学を学ぼうとすると結構難しく
なんとか実践に役立つ本を作りたい、と今回松島さんにご協力いただきました。
松島さんに、「療育整体がどのように東洋医学を取り入れているか」を教えていただいたのです。
その結果、東洋医学が優れているのは
情緒=こころ への身体アプローチのヒントになるからだということがわかりました。

考えてみてください。
こころの安定は、大事です。
何よりも、家庭の平和につながります。
親が安らぎを感じ、お子さんが安心して育つ場。
この新刊は、そういう家庭づくりのお手伝いができる本だと思います。

本書を花風社サイトでお申込みいただけましたら、小暮画伯による中医学のカラー参考資料とともにお届けいたします。
参考資料は冊数分おつけいたしますので、気になっている本がある方は同時にお申込みください。

「療育整体で『こころ』を育む」ご購入はこちらから。



2 花風社の夏祭りについて

今年も花風社は夏祭りを行います。
講座を二回に分けて行います。
概要は以下の通りです。

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花風社の夏祭り 2024

テーマ 発達障害治療革命!

この20年の発達援助の進化を振り返り
世界標準の医療を学ぶ。

第一部 浅見淳子
この20年に生まれた数々のオプションと
「治った人たち」の選んだ道。
新刊『療育整体で「こころ」を育む』について。
*松島眞一さんも参加者として来場されます。

第二部
脳神経内科医 田中伸明先生
精神保健福祉士 中川朋先生
ベスリクリニックより チーム・ベスリ
MC 浅見淳子

脳機能というファクトに基づいた診断。
そして同時に始まる治療。
世界で常識となっている発達障害治療を日本の臨床現場へ。
そして家庭へ。

*チーム・ベスリのご厚意で、参加者の方から5名、脳機能スクリーニングを受けていただける特典付き講座です。

=====

第一部は「この20年に治った人たちの選んだ道と、その帰結としての新刊」について。そして若干の「応用力養成講座」も含まれます。本を使いこなすには、応用力がとても必要なので。

また第二部は「世界標準の発達障害治療はどんなものか?」「日本でもどこまで利用できるようになったのか?」という最新情報を専門家からもらえる講座です。。

第一部は7月6日午後三時にオンライン+現地(新横浜駅そば)で行います。
その後、アーカイブも配信します。
第二部は8月初旬より、アーカイブ配信できる予定です。

田中伸明先生のご著書『発達障害治療革命!』はこちらから。



夏祭りの受講料金は講座二回分で4400円(税込み・分売なし)ですが
同時に新刊『療育整体で「こころ」を育む』をお申込み&お振込の方には3850円(税込み)で受講いただけます。
(参考 講座二回分と新刊一冊をお振込の場合には6050円)

お申込みの方は、zoom☆kafusha.comあてに
1お名前
2 配信先メールアドレス(gmail不推奨)
3 新刊申込み割引適用か
4 現地かオンラインか

をお知らせください。
書籍ご希望の方は、請求書番号を発行し送りもれを防ぐために、上記リンクからお申込みください。
そして下記にお振込みをお願いいたします。

(口座はメールでお尋ねください。)

準備が整い次第配信アドレスもしくは現地情報をお送りいたします。

新刊も夏祭り講座も、皆さんのたくさんのご利用をお待ちしております。

蒸し暑い季節となりましたが、皆さま健やかにお過ごしくださいませ。

花風社 浅見淳子


なぜ支援者は子どもを救えないのか

2024-06-13 10:18:50 | 日記


校医による学校検診で、女子を含む小学生が、胸や陰部をさらされた、場合によってはいじられた、というニュースが入ってくるようになりました。
どっちも医学的に必要なことだ、というのが校医側の意見のようです。

一方でSNSの普及により、医師による「今日は高校の健診だったが女子は他の先生が担当になって残念」みたいな本音がみられるようになり、医師たちが本当に純粋に医学的な必要性があって下着をはぎとるのか、疑う余地が出てきてしまいました。

私は今の年齢になっても、そういうところを医者にさらすのには抵抗がありますが、小学生高学年だったらもっともっと抵抗がある、というか生涯忘れえない心の傷になったと思います。

唯一さらしていい、と思うことがあるとすれば、当該箇所の状態に自分として違和感を感じ、これは何か手を打った方がいいかも、と自発的に医者のもとを訪れることがあるとしたら、そうしたら「こうなってますけどみてください」という気持ちになるかもしれません。
でもほぼ強制的に行われる学校健診の場での陰部を出せとか論外です。

被害を受けた小学生には、スクールカウンセラーが対応するということ。でもスクールカウンセラーなる人たちは、どうせたいがいは無能なのですから、役に立たないでしょう。
なのに一般の人は「たいていの資格者は役に立たない」という知識さえないのでしょうから、当てにしてかわいそうです。

いや、心理士が登場する前に、そもそも健診には教師が立ち会っていたと思います。養護の先生かもしれません。その教師たちは何も疑問を抱かなかったのでしょうか。さすがに子どもの口から布切れ一枚取れなかった無能集団です。

どうせ医者の権威の前に、保身で黙りこくっていたのでしょう。

いったいどうして子どもの支援にかかわる人たちはこれほど無能ぞろいなのでしょうか?

たぶん仲良しすぎるんだと思います。

みんなよその職種をけなしたくない。

子どもたちの心を救うより、自分たちが喧嘩しないことを優先させている。

校医に下着をはぎとられて陰部をいじられて・・・この心の傷をいやすには、カウンセリングで寄り添うよりも「あいつはくそじじいだった」という一言の方がずっと強力です。

でも養護教諭も心理士も、和を乱さないために、あるいは権威主義に洗脳されているから、あるいは「悪口を言ってはいけない」から、絶対にわいせつ校医を変態呼ばわりはしないでしょう。

他人の悪口を言わない支援者を、私は信用しません。
自己保身がみえみえだからです。

「あの爺は変態だった」と言えるのは親だけ。
だとしたら心の傷を癒せるのは、親だけでしょうね。

共存の意味が変わる日本 お誕生日、「禁断の地」静岡旅行ご報告

2024-05-21 10:06:56 | 日記
新横浜駅のホームで新幹線を待っていたら、隣にいた人が何か落とした。
「何か落としましたよ」と言ったら、「アリガトウ」と言われた。サングラス&マスクでわからなかったけど外国の方だった。
「どこまで行きますか? がんばってください」と輪行バッグを指して言われる。
この人も🚴乗りかもしれない。
60歳と61歳の私たちはおそろいで「hill climb」と書いてあるウエアを着ていたので(イタイ)
富士山でも上るのかと思われたのかもしれないが
すみません、今日走るのは真っ平な駿河湾ですっ。

山手線なみに頻繁にくる朝の東海道新幹線の下り。
その合間に修学旅行列車が二本入る。
嬉しさではじけた高校生たちが乗り込む。
こういう当たり前の活動ができない年代があったのだ。
という事実を思い出すと心が痛む。

予約していた「ひかり」に乗る。
実は夫は、東京駅から予約していたそうだ。
なぜなら自転車を積み込める席は限られていて、荷物用のスペースも予約してあるのだが
そこに勝手に荷物を置いてしまう乗客がいがちだから。

「そんなの予約してあるんだから置いていれば交渉すればいいんじゃない。わざわざ東京駅まで戻るなんてめんどくさいわ」ということで、新横浜駅から乗ると、案の定私たちが予約していたスペースは占められていた。
不法占拠しているのはラテン系外人カップルである。

インバウンド旅行者が増えて、窓際を指定していたのにすでに占拠されおとなしく通路側に座らざるを得なかった、みたいな話をよくSNSでみると、「私の席だからどいて」と言えばいいだけなのになあ、と思う。
日本以外の社会では、主張したものが実りを得るのは当たり前なのだ。だから彼らは平気で好きな席に座る。
アエロフロートなど、飛行機でも指定席無視だった。トイレの列も横入りが当たり前。
ロシアは極端にせよ、主張しない日本人はなめられがちだ。
私が安易に海外移住を勧めないのはそういうところもある。
気持ちを察してくれないだけで怒る日本人。周囲もそれを正当に思う繊細チンピラ優勢の国。それを当たり前と思っている人たちが、この国の外で暮らせるとは思えないのだ。

もちろんここは日本。秩序が重んじられ正当性を持つ国である。優先権は指定した人にある。
勝手に座っている人がいたら、きちんと交渉すればいいだけ。
語学ができないから、という声もきくが、日本なのだから日本語で言ってやればいい。案外通じるもんである。

我々は偶然外国語ができたのでカップルにもわかりそうな単純な英語で我々の指定した席&荷物置き場であることを告げ、カップルと荷物をどかした。
家からも富士山は見えるので窓際に座る必要もないが、教育的見地から、指定通り窓際に座り二人をおいやった。
円安でインバウンドが増えるのなら、彼らが秩序を守るよう、教育しなければならない。

「ひかり」は小田原や熱海をすっ飛ばし、40分で静岡に着いた。
夫は最後に外人カップルに「この先予約がなければこのスペース使えるよ」とか言ったら外人カップルは「さんきゅー」とか顔を輝かせていた。
バカである。
予約の客が来たら、ちゃんとどけよ、という意味なのである。わかったかな?

さて静岡。
2020年春には「来ないで」と隣県人を拒んだ県である。

一部の日本人は、日本の人口減少→移民の増加 で国土が乗っ取られることを恐れているが、地方の持つこういう閉鎖性は隣県人にすら向けられているのだから、外国人に向ければ防波堤になってくれるかもしれない。
頑張れ偏屈な地方民たちよ。その偏狭さで行き過ぎた移民政策を阻んでくれ。

静岡駅で自転車を展開。
これから海まで四キロ車道を行くそうだ。
「運転が荒っぽいそうだから気をつけろ」といわれてたのに
さっそく私のチェーンが落ちて、歩道に避難。
ことなきを得た。

そして海ぞいに出たけど、海沿いの自転車道路が工事中。
途中からめんどくさくなって車道を走った。
テトラポットをみながら思った。
昨今阿蘇とか釧路とかの太陽光パネルが問題視されているが、利便性のために景観を優先してこなかったのは昔からじゃんねえ。
そういう民族なんだよ、日本人は。
やがてあのずらっと並んだ太陽光パネルにも騒がなくなるだろう。
地震が起きがちな駿河湾では、津波に対する防衛が大事だろう。
だから人々は醜いテトラポットを受け入れた。

そういう民族だから、そういう人工物を遮断して景観を楽しむ能力も身についている。
富士山は我が家からも見えるが、当然間に電線がある。
それでも私たちは我が家の富士山を愛でるのである。電線はなかったことに脳が勝手に処理する。
そういうわけで、太陽光パネルにもあっという間に慣れる気がする。だってみんな電線にもテトラポットにも慣れたでしょ?

車道を走っていたおかげで、イチゴ屋さんを見つけて停められた。
美味しいイチゴジュースとイチゴ。
練乳をかけるかと言われたけど、そんなもの要らないおいしさ。
晴天の中、今日は日焼けするだろうから、ビタミンCはいっぱい取らないと。
海を見ながらイチゴ食べられるなんて、やっぱり静岡県はいいところだ。

そして先を走る。
やけにテトラポットが減り、天女が下りてきそうな美しい場所だな、と思ったら三保の松原だった。
守るべきところの景観は守るらしい(笑)。
公園の中は自転車を引っ張って歩く。
羽衣の松(三代目)の前で記念写真。

フランス語のガイドに引率されたグループがいた。
フランス語圏の観光客があれだけ数がいるのは、やはり円安なんだろうと思った。
彼らが羽衣伝説に興味があるとは思えないが
富士山の絶景眺望地だったのですね。
いや、みごとなもんでした。
たしか駿河湾サイクリングのガイドブックに、ここが使われていたなあ。

「我が家の富士山より大きいねえ」というバカな会話を交わして、富士山眺望サイクリング。
そして三保半島からフェリーで清水港へ。
自転車を積めるフェリーがサイクリストの間で有名らしいです。
別に走れない距離ではないですが、自転車を連れての船旅もいいもんです。

清水に行くのは初めてだったけど、なんとなく清水市っていうのがあるかと思っていた。
そうしたら静岡市清水区なんですね。初めて知りました。
立派な港。
今年になっていくつ港をみたかな。
石垣港、竹富島、西表島、横浜港、小笠原父島二見港、土浦港
いっぱいみたわ。
清水港で分厚いマグロを食べました。

そして宿へ。
温泉に入って、海の幸を楽しみ、ぐっすり寝ました。
朝起きてまた温泉。そして朝食会場へ。
ご飯をよそって炊飯器をしめようとしたとき、「いいよいいよ。そのままで」と声をかけられました。後ろで待っていた男の人。
相変わらずだな~静岡男子。見知らぬ他人に敬語を使わないのが静岡男子の特性です。
昔は若い女だからため口きかれるのかと思っていたけど、今日で61歳になる私にもやはりため口なのね。一種の方言かな。

そして、目につくのが男性おひとりさまの多さ。
のんきに朝からビールをあけています。
家族がいるけどおひとりさまなのか
あるいは結婚していないのか。
今は男の人にとって結婚て幸せとは限らないから
日曜の朝、ひとりでビールを飲むのもいいんじゃないかな。

というジャパンになりましたね。

と思いながらついているテレビを見ていたら、大の里熱海富士のVTR。
前日のお相撲。すごい取組でした。結果は大の里の勝ちなんだけど、ここでは残念そうに語られている。そうか、熱海富士はここでは郷土力士なんだったね。
熱海富士は静岡男子だけど、かわいい上に言葉遣いも丁寧。親方がしっかりしているからなあ。

二日目も一日遊ぶ予定でしたが、静岡が午後から雨、と予報が変わったので、早めのこだまに予約替え。
また大荷物のスペースも予約。
そこに自転車を入れます。

あとから赤ちゃんを連れた令和ママが乗ってきました。
おじいさんが付き添っています。窓の外にはおばあさん。赤子を連れた娘の里帰り。心配してホームまでついてきた感じ。
ちゃんとベビーカーの場所を予約していたのに、また予約してない人がそこに荷物を置いている。
私たちはさっさとそれをどけてあげて、ベビーカーの場所を作りました。

「どこで降りられます?」ときくと、東京とのこと。
「そうですか。私たち新横浜で下りますから先に荷物出しますね」と言いました。
令和ママは本当に気を使っているよね。
ちょっとでも赤ちゃんがぐずったらびくびくしたり。
泣いている赤子くらいうるさがらない老人になりたいね。

新横浜につく直前、夫と私の連携プレーが始まる。
私が令和ママのベビーカーを一時的に空席によける。
自転車二台を夫がデッキに出す。
私がベビーカーを戻し、「ここに置いておきますね」と令和ママに声をかける。
そうこうするうちに駅に着き、夫と私は自転車をかついでホームに降りました。

そして午後も遊び、お寿司をとって、野菜炒めとサラダとお味噌汁を作って、お相撲をみながら早めのバースデーディナーをしました。

令和六年、61歳になった日本では
インバウンドの外人が勝手な振舞をしたり
一方であたたかく声をかけてくれたり
男性おひとりさまが独身生活を楽しんでいたり
令和ママがびくびくと旅をしていたり

そんな中でもずっと静岡男子はため口でした。

静岡は近かった。
そしてやはりいいところだった。
来るなと言われたときは腹が立ちましたが、知事も変わるみたいだし、今回楽しかったので
また気軽に行きたいと思います。


昔と今とで違うこと 5月の奄美旅行で思ったこと

2024-05-15 10:20:17 | 日記
5月10日の朝、ちょっと早めのリムジンバスに乗り、羽田空港へ。11時10分の奄美大島行きに乗るのですが、超安全策を取り8時20分発のバスに乗りました。だってずっと楽しみにしていて、いざ当日渋滞とかで間に合わなかったら悲しいじゃないですか。

道路状況は順調。っていうわけで9時前に羽田空港についてしまいました。チェックインはアプリで自動。手荷物預け入れも自動で無人。どんどん人が要らなくなるジャパンですが、人手不足にはこういう対応をしなくちゃいけないのでしょう。そして自動化は、たしかにコロナ禍に進みましたね。これだと昔よく起きたロストラゲージとか減るだろうし、私としては面倒がなくて大歓迎ですが、憧れのJALに就職できる人数は減るのかもしれない。そしてそれが経営にも寄与するので、雇われる側より雇う側が有利になる時代が来たといえそうです。

まずはお蕎麦屋さんで腹ごしらえ。
目の前では那覇便を待っている人たちが。
飛行機は満席、ということで、煽らーたちが脅す「インバウンドに買い負けて旅行もできなくなる日本人たち」はあくまで脳内にいるだけみたい。おまけに子連れが多い。ダイヤモンド会員を待たせてベビーカーの事前改札がずらっと並びます。さぞ機内はにぎやかなことでしょう。お子さんたち、あまり耳が痛くならないといいです。

そして長崎便ではオーバーブッキングで振替してくれる人を一万円で募集していました。満席の那覇便といい、オーバーブッキングで振替してくれる人募集といい、コロナ前のような往来が戻っているんだなと思えます。

ただ、いつのまにかゲートのテレビはLGに。
私がLGというメーカーの存在を知ったのは海外の空港です。テレビと言えば日本製、で育ったから、知りませんでした。だけどいつのころからか空港から日本製のテレビが消え、韓国メーカーになっていた。そしてそれがついに羽田にまで届いたとなると、やはり日本は凋落しているのかもしれませんね。

さて、満席はこっちも同じです。
3月に取った奄美大島便、すでに席が選べる状態ではなく、並んだ席はとれませんでした。
窓際がよかったけど、それもとれなかった。
廊下側の席に一人。廊下をはさんだところに夫、という並びです。

私の横には初々しい成熟したカップル。きゃぴきゃぴしています。
ちょっと形容矛盾かもしれませんが、全部当たっているのです。
まず、カップルの年齢はそこそこいっている。40代から50代。
で、あまり旅慣れていない感じ。飛行機にも乗り慣れていない感じ。
そしてとっても仲がいい。ただの友だちではない感じ。
でもお互いにまだ敬語を使っている。
アプリとかなんかで知り合って、意気投合して、すごく遠くまで、二人で初めて旅行するっていう感じ。行先に沖縄本島とかじゃなくて奄美大島を選んだなんて渋いですね。

お二人の仲の良さに、ああこの二人に並びの席をとってもらってよかったなあ、と思いました。
40年前にキャンパスで知り合った夫は廊下の向こうで熟睡していました。

大学を出た後私は、英語を乱読した時代があって、でもそのころはAmazonもなく、kindleで一秒で洋書が手に入るなんて夢にも見ませんでした。
ならば乱読のもとをどこで仕入れたかというと、実際に英語圏に出かけて、古本屋とかで買って、船便で送ったりしたのですよ。
手軽に行けるところとして、カナダのバンクーバーなんて買い出しにいったなあ。治安がよくてUSAより食べ物がマシ。
あの頃、円はいくらくらいだったっけ。ともかく、20代の給料でそういうことができる時代だった。
そして愚かに見えるそういう買い出し旅行がその後、著作権エージェント→独立→異文化としての自閉症との出会い→当事者本→治ったほうがいいだろう
につながっているので、若い頃の愚行は無駄にならないです。
そしてそういう愚行をつむには、円安は不利です。

現地でどさどさ買い入れたペーパーバックの中によく「Second Chance」ものがありました。
当時これが理解できなかった。
どういうカテゴリーかというと、いったん結婚したりして離婚した40代50代を迎えた人たちが、新たな恋に巡り合うロマンスの分野。
自分は20代だったから、40代50代の人が恋をするのは想像できなかった。そもそも離婚する人が珍しかった。マッチングアプリとかもなかった。晩婚の人も少なかった。
でも日本でも40代50代が恋をするのは当たり前の時代になりました。その結果として、私の真横にきゃぴきゃぴカップルがいたのでした。

こういう人たちは、プロに入れあげて身の程過ぎた課金して立ちんぼしたりタワマン殺人事件を起こす人たちよりずっと健康だと私には思えるんですけど。
ルッキズムが車やバイクに向いているうちはいいけど、生身の女性に向くと、貢いだあげく殺人事件とか起こしてしまいます。
おばさんとしてはコンサートのたびに美男美女に課金している若者の群れを見てなにか無駄なものを感じていたのですが、先日若い女性にそう言ったら「平凡な男と付き合うより美男に課金した方が楽しい」ということでしたので、やはり時代によって感覚が違うんだなと思いました。
ちなみに彼女はマッチングアプリもやっているそうですが、なかなかデートは長続きしないそうです。「連れ歩いていて誇れるような見栄えのいいひとじゃなきゃいや」だそうです。「そんなことは考えたこともなかった!」と言ったら逆にびっくりされましたよ。

さて、晴天の奄美大島に着きました。
それからは、海に入ってばっかり。
まだまだ真夏とは違う温度ですが、まあ二泊三日で8時間くらい海水浴できました。
湾の中に浮いて、ぼーっと空や周辺の緑を眺めていると、なんだか身体から悪いものが抜けていく気がします。
海に入っている限り、病気とかしないような気がします。
私は医者には世話になる気ないけど、こうやって健康維持します。旅行は十割負担ですが、十割負担ということは、他の人が納めた社保には手を付けていないと言うこと。
だから旅行健康法の方が、凡医療を使うより社会のためになっているはずです。今やこの国は社保で食いつぶらされそうなんだから。
子ども医療費無料、っていうのは病院がただでみてくれているわけではなく、一般労働者が負担しているんだと、それくらいの意識は持ってもらいたいと思っています。
使うなというんじゃないです。
感謝すべきは医者じゃない。医者は仕事をして報酬をもらう。その報酬を払ってくれているのは一般社会で働いている人たちです。

安易に医療に頼る人も問題ですが、さらなる問題は若者が公金チューチュー職を目指してしまうことだと私は思っています。
他にいい仕事なんていくらでもあるのに、それが見えていない人が多い。そうやって安定を選んで、つまんない生活を送るから、医クラは匿名で威張ったり人をいじめたりするのでしょう。
若き日になんかの志を抱いて、英語圏まで原書の買い出しに行っていた身としては、なんでどうせ死んでいく老人相手のリハビリとかに人生をかけたいのかまったくわからない。
箱一杯洋書買っていたときに、今の未来を想定していたわけではありません。それでも目の前にある問題に向き合ってきて、これまで仕事が続けられてきました。

その点ホテルに置いてあったお手製パンフレットには希望をもって、熟読してしまいました。
集落内の小学校の活動で、パンフレットを手作りしたらしい。それが置いてあるのです。
周辺を取材して、美味しい店とかを写真撮って、キャプションつけて。
出版にかかわる人間の、仕事の原点です。

こういう活動を楽しむ子から、いずれ編集者が出るといいなあ、と思いました。
紙媒体からウェブに移っていく時代。編集者の出身大学が首都圏に限定されているような状況も変わっていくでしょう。
ともかく、公金チューチューでない分野で働く(そしてきちんと稼ぐ)若者が増えてほしい、というのが私の願いなんです。

また9月に来る予約を入れて、宿をあとにしました。
晴れから曇りのお天気で過ごせましたが、このあと警報級の大雨がくるようです。
知り合いたてのカップルは、旅先の悪天候の中、どう過ごすでしょうか。

そういうときに楽しく過ごせるかどうかが、「連れて歩いて見栄えがいい」よりずっと大事な判断基準だとおばさんは思ったのでした。
だから、悪天候さえ、天の恵みかもしれないのです。




日本の実力

2024-05-05 09:05:28 | 日記
5月1日の夜、夫は飲み会だそうだ。というわけで私は簡単手抜きディナー。おかずは多めに作って明日持って行くおにぎらずに入れます。
サイクリングに力をいれてくれている茨城県。大変にありがたいのですが霞ケ浦の周りはぐるっと田んぼ&レンコン畑。コンビニのあるはずもなく、食料補給は困難です。のでおにぎらずを持って行きます。

円安が激しくなってひとつ後悔したのは「ハワイっていうところに行っておけばよかったなあ」っていうこと。日本人に大人気の旅先ですが、あめりか~んな食べ物が合わない我が家にとってはアジアンリゾート一択でした。でも円が安くなってもう行けない、となると円が強いうちに行っておけばよかったな、と思う。

ところが。

円安であまりに日本人が行かないせいで、GWでも航空券が往復十万円とからしい。ていうか普通の日は五万円とからしい。そして外食は高いから、自炊するらしい。

ハワイで自炊する日本人観光客をみじめっぽくテレビでは報道していたけれど、いやあなた、アジアンリゾートに来る欧米人なんてもともと日本人みたいに外食してないよ? とか思いました。日本人は休暇が短いから一日当たりの単価が高い。欧米人は休暇が長いから食費なんかものすごく節約していますよ。いや、節約っていうか生活習慣かもしれないけど、そもそも夕食が遅いし、いきおい朝遅くてたーっぷり食べて、昼は食べている様子がない。そもそも食にクオリティを求めすぎの日本人だから旅先では外食ばかりする。私たちもそう。欧米人はその点、もともと質素です。

逆に自炊でいいのなら、ハワイも行けるかもしれない、なんて思いました。まあ、行かないと思うけど。

そもそも欧米で外食がいやなのは値段だけじゃなく、異様に時間がかかるから。パック旅行とかじゃなく、自分で旅行したことのある人ならわかってくれると思うけど、文化が違うんです。そして日本みたいに、さくっとまともな定食を出してくれたりはしません。本格的に時間かけてレストランに入らないのなら、歩き食べしかないのです。だから欧米の人が日本に来て気づくのは、歩きながら食べている人がいないことなんだそうです。それだけ、手早くまともな食事ができる店が多いということです。

ともかく、今は海外より自転車が面白いもんね。と私たちはまず新幹線輪行。ネットをみると、どうやら為替介入したらしく円が少し持ち直している。

円高に振れても円安に振れても得も損もする。それだけのことですね。というか、そういう風にしてある。

日本の当局も、80円で買ったドルを160円近くで売っているので、儲かっていることでしょう。

ともかくさかんに報じられる「安い日本に外国人が群がって~」みたいなのは実感がない。

たしかに新幹線の駅にはスーツケースごろごろ転がしている人たちがいるけど、それってコロナ前からいたじゃん? 外国人価格になって日本人が旅行できなくなる、とかいうけど、どこ行っても日本人ばかりですけど。石垣島も日本人だらけ、西表島のツアーは日本語オンリー。小笠原クルーズもほぼ日本人。日本人が遊べない国になったとはどうしても思えません。

都内のホテルが高騰しているそうです。私は都内には泊まりませんがそういわれてみてみると、帝国ホテルは6万円くらいからとか。400ドルですよね。だとすると不思議ではない。円安で6万円が高く感じるだけです。ていうかどっちみち泊まらないし。でもそういう超一流ホテル以外は、リーズナブルな気がするけど。これも煽っているだけじゃないの?

東京旅行したい人がそういう報道を真に受けてはなっからあきらめるとしたらそっちの方がもったいない。いったいこういう煽りをする人の目的はなんなのか。どっかの反医療のお医者さんは日本が2025年になくなると言いながら都知事選に立候補するそうですが、煽らーって言うこととやることが矛盾しているから、なんか情報操作の裏がありそうです。ともかく、煽る人って一般人民を基本的にバカにしているんですよ。

まあバカにされても仕方ないくらい、自分で調べない人も多いですが。

長期的には円安が続くとしても、日本の当局としていざとなるとやるぞ、という姿勢を示したのはいいと思いました。

そうこうするうちに土浦へ。
駅で自転車組み立て。
ここはもう、日本人だけ。いやもちろん、東アジアの人は区別つきにくいから中には他の国の人もまざっているかもしれないけど、大都会土浦は日本人で成り立っています。
「インバウンドでいっぱい」なんていうのは、テレビ局の目に留まる日本のごく一部の風景だと思います。

そして走り始めます。今回は時計回り。
右がずっと湖。左がずっと田んぼ。時々あるおうちはみんな広々としていて、地方の豊かさがわかります。
中には広いお庭の一角にあれ敷いているおうちも。ほら、一部の人がだいっきらいなあれ。ソーラーパネルです。

太陽光発電の発電効率はわかりません。でも311で原発がやられて、その当時のどさくさで再生エネルギーを高く買うことが決まって、今みんな風景に文句言っているけど(私も釧路や阿蘇はいくらなんでもひどいと思いますが)、このさんさんと降り注ぐ太陽が日本の財産であることはかわりないのです。

欧州の冬のグレーな毎日とか、本当に青空がない。あれに比べると札幌なんて冬でも青空が見えるから同じ緯度でも日本は恵まれています。ましてや冬はずっと晴れている南関東とか、ありがたい太陽の恵み。太陽を神様とあがめた古代の感覚がひしひしとわかります。

だからこそ太陽光発電は、日本だからできることかもしれない。ただ日本のやり方として、先にお金をつけてしまって、その利権に群がって広い考えをしないで利益を追求する人たちがいて、それは発達障害支援でも同じで、試行錯誤を繰り返さないといけないんだろうけど、だから阿蘇や釧路の光景に文句をいうことは大事だけど、でもこの太陽光がどこの国にも降り注ぐものではない、ということは覚えておいたほうがいいと思います。
日本の太陽は、ありがたいものなんだと。
どこの国でも得られるものではないんだと。

日本は資源のない国、と言われてきたけれど、それすらも洗脳だったかもしれない、と感じることがあります。

たとえば食糧自給率。考えてみれば自分が買う食材は、ほぼ国産なわけです。

もちろん肥料やなんかを輸入している、と説明はされますが、一次産業従事の人の中にはそれも工夫次第、という人もいるし、米は自給できているわけだし、人口は減るわけだし、霞ケ浦には多くの釣り人がいるし、あの人たちは今日釣った魚を食べるんでしょう。

もちろん円がある程度強くないとマグロの遠洋漁業とかできなくなるだろうし、回転寿司で100円で食べられるような今の社会は輸入&ある程度の通貨高なしに成り立たないけど、食料自給に対して日本はまだ本気出していないだろうし、本気を出さない方が日本にも食料輸出国にも都合がよかった時代が続いてきたんだろうなと思います。

で、これから危機になったら本気を出さなきゃいけないかもしれないのに、そこで煽る人ってどうよ、と思ったのですが

ともかく気づかないかもしれないけど、この太陽光にさえ恵まれない国が多いわけだし(とくに先進国)、ここ数十年の日本は、長期休暇をとれないことを除いては(祝日はとても多い)世界でもかなり贅沢な生活をしていたということは自覚した方がいいと思います。

一日目のライドは晴天だけど強風。なんとか76キロ走って宿へ。

そして温泉。風に吹かれたあとの温泉は心地いいです。これも、こんなに手軽に温泉に入れるのは日本だけ。

そしてお食事。素材がよく手の込んだものが彩りよく並ぶ。これも日本だけ。小さい旅館でお客は四組。もちろん全員日本人です。インバウンドに買い負けてみじめな日本人、の姿はそこにはありません。

翌日は晴天の上に風もなく、湖と田んぼを眺めながら走り切りました。やはりたくさんの釣り人が。中には、釣竿を十本くらい自動で回している一味がいました。車は水戸ナンバー。しゃべっているのは中国語。

公園の水飲み場で魚をおろしていました。インバウンドに買い負けるのを心配する前に、こういう人たちが病身の家族を呼び寄せて高度医療を安く使わせることのできるシステムの方を考慮してもらいたい。医療業界としては儲かるから、そして自分たちが儲けるためなら社会全体のことなど考えないのが医療業界だから、彼らには期待できないけれど。

魚取り放題で、公園の水で魚おろし放題で、いい国だと思っているだろうなあ、と思います。

私がこの旅で見た外国人の集団はこの人たちだけでした。

特急で品川へ。新幹線に乗り換え。品川駅は人人人。ほぼほぼ日本人。化粧室には長蛇の列。民族大移動のGWです。

新横浜ではJリーグの試合が終わったばかり。たくさんのマリノスサポーターがいます。お子さんたちの小さなユニフォームもかわいい。

トヨタカップの決勝のときは、コンビニ前で缶酎ハイもって座り込んでいた外国人が大勢いたな。日本人サポーターはそういうことはしない。

どうみても豊かな国の平和な光景です。
このままだと危うくなることはたしかなのだけど
何を持っているか、に気づかせずに煽るだけ煽る人もいますね。

それを十数年私たちは見てきましたね。
「生まれつきの脳機能障害で一生治らない」とか。
信じた人たちは損をした。

その親玉が最近、雑誌に寄稿したというので、私はその雑誌を買いました。テーマは「発達障害が増えすぎた」だそうです。
あんたが増やしたんでしょうが。
その他、この雑誌に寄稿しているのは戦犯ばかりでした。
でもメインはその大先生と別の大先生の対談。両方ともメール交換したことあり。

そのメインの記事を読み始めて、ぶんなげそうになりました。
なぜならその記事は、そのテーマに沿って組まれた対談ではなく、どっかの民間セミナー会社が行った対談の途中だけ取り出しているという実に読者をなめた作りのものだったからです。
しかもそれを読めば読むほどわかったのは「この人たちは最初から最後まで診断にしか興味がなかったんだな」ということです。

ああ、もう断末魔なんだな、と思いました。
親玉たちが結局さいごまでこうなのも。
大手出版社がこういう読者をなめた造りをして、それで通じると思っているのも。

発達障害の世界も、もう終わり。

さんざん増やして、煽って、放り投げた。
そしてギョーカイはなくなりました。

同じことを繰り返さないように
皆様煽りには気を付けましょうね。

ふりおとし、ふりおとされ

2024-04-22 08:55:00 | 日記
4月20日、いつものように早く目覚め、今日は横浜アリーナに大相撲が来る日だと気づきました。
切符取ろうとしたこともあったんだけど、出遅れたので「なんかいい席残っていないな~」とそのままになったのだった。
でも最近の若い力士の活躍をみていると、久しぶりに生で見たいなあ。
検索してみると、当日券は8時半から当日券が出るとのこと。
8時に行ってみて長蛇の列だったらあきらめよう。

そう思って8時前にブロンプトンで出かけました。
これだとたためば一緒に並べますし、券が手に入ったとき母のうちに届けるのもラク。
行ってみたら私は四人目でした。
母に電話をすると、午後からしか行けないけどぜひみたいといいます。どっちみちメインは午後からです。
というわけで私は一番安い二階の券(一階は売り切れ)を二枚入手し、一枚母の家に届けました。
母も大喜びでした。



去年の3月13日にマスクが個人の判断になって
去年の横浜アリーナ場所が4月のこの時期。
去年チケットを取らなかったのは、去年はまだ大相撲が今ほど盛り上がっていなかった(その後いい力士がどんどん出てきた)のと、マスク問題がまだはっきりしなかったからだと思います。
マスク時代ナマ大相撲にまったく近づかなかったのは、ちょうど贔屓の力士がいなかったのと(はっきり言ってラクです)テレビでやっていたからです。わざわざ家畜コスプレして国技館に行かなくてもいい。
でも飛行機はそうは行かなかった。実際に乗らないといけません。

各興業各施設が政府の何らかの補助や規制を受けており、あほらしい感染対策につきあわざるを得なかったのは理解します。
でもこっちも近づかないという選択肢があった。
近づかなければ、なくて全く困らないものがわかった。
そしてコロナ禍とポストコロナの対応を見て、ふりおとすものとふりとさないものに分けるきっかけになりました。
あのときに要らなかったものは、今も要らない。
最たるものが医療ですが。
今後病気もケガもしないつもり。最後に心肺停止になって運ばれて死亡診断書だけ出してもらうのが理想です。

コロナ禍でも一応私がマスクをしたのは飛行機だけ。
飛行機は安く遠くに行けるので、妥協しました。
おまけに他の客を人質に取られている。私一人がごねて、出発できなかったら申し訳ない。
ただしほぼ出入りのときしかしませんでしたし、マスクと呼べないような布切れを顔に一瞬載せただけというのが実状でしたが。
口うるさいCAから離れた窓際を取るのが癖になり、それ以来窓際を好む人になりました。
それと乗るたびに抗議のメールを送り、ANAからは「いつもご意見を頂戴し恐縮に存じます」という枕詞がついた返事が来るようになりました。あっちも浅見淳子っていう人が乗るたびに文句を言ってくるのはわかっていた。

その飛行機は個人の判断になってあっさり解除。スタッフもどんどん素顔に。
どっちみち飛行機は乗り続けるつもりでしたが、これをみて「解除されたあとの態度」も大事な判断基準だと思いました。
大相撲は他の興行より解除が早くて、とくにお客たちの素顔があっという間に戻りました。高齢者だらけなのに、怖くないみたい。
客筋の問題です。

ところが音楽関係はいつまでものたのたしている。
しれっと客席マスクを告知する大物アーティスト。一生マスクしていろといわんばかりのライブハウスの人。2023年の年末にもマスクで歌うという第九のイベント。
音楽関係は、繊細チンピラみたいな、意識高いみたいな、私って繊細なのそれが財産なの、みたいな人が揃っているんだと思います。いけすかない人種です。
いったい音楽関係の人は、自分たちは朗々と歌いながら客に酸欠を強いるという事態を人間として恥ずかしいと思わなかったのだろうか? ききたいわ。

私は感覚過敏は心からかわいそうだと思ったし、治ればいいなと思って本をたくさん出しましたが、感覚過敏に居座っているやつはきらいです。どっか普通の感覚の人間を下に見ている感じがして。
音楽家とかの繊細チンピラにはそれを感じるので、そしてもともと私は音楽なんぞなくても生きていける人なので、今後一生ナマ音楽に課金するのはやめました。
解除されたあとの態度が気に入らなかった。

それと映画館ももう一生行かなくていいや。
もともと大画面じゃなきゃいけない、みたいな映画ファンではないし、話題作があったときにネットで見るだけでじゅうぶんです。
というわけで映画館も一生行かないと思います。

美術館・博物館はうんと減ると思う。
本当に行きたい企画じゃないと行かない。

演劇はもともとそんなに好きじゃないし、演劇人っていうのも音楽家と同じような理由で好きじゃないし、宝塚は昨日になってもまだ出演者発熱のため公演キャンセルとかやってるし、演劇もたぶん一生行かないと思います。

どうも私は閉鎖空間が苦手みたいです。
だからコロナを避けるのには適性があったみたい。

ともかくコロナ禍で要らないとわかったものを排除したら

これでずいぶんお金が浮きます。自分にとって無駄なものがふりおとされて、あのフユカイなコロナ禍の有効活用です。
残ったのは飛行機と大相撲。
これだけは許してやる。

それと、静岡。
私たちは2020年の初め、そろそろ旅行業界の危機が叫ばれ始めた時代、伊東に遊びにいったのです。そういう恩も忘れて首都圏の人間をばい菌扱いした静岡。
日本一素通りされている県のくせに生意気。
でもまあ、風光明媚でおいしいものたくさんの隣県なので
川勝知事の退任をきっかけに静岡と和解することにしました。

というわけで、五月は忙しい。
GWは霞ケ浦ライド。
そのあとに奄美大島。
お誕生日付近は駿河湾ライドです。

こうやって色々なものをふりおとした結果、本当に使いたいところにお金と時間を使っている私ですが


一方でふりおとされてもいます。

もうすぐ『芋づる式に治そう!』が増刷しそう。
役に立つ本だから当たり前です。

でも著者がさあ
もう本を出したことさえひた隠しにしている。
父親が出て行って見捨てた子を必死に育てている母の気持ちってこういうのだろうな、と思います。

それでも人々のお役に立ち
片親でも立派に育っていますけどね。
医療なしに健康を維持するためには、コンディショニングってとても役に立ちますからね。





薬機法違反はてめえの方だバーカ

2024-03-12 19:02:28 | 日記
っていうブログを今日は書きます。

心理職っていうのは、人を類型化し、したり顔して誰それは犯罪者だとか言っても許されるとカンチガイしていますが、それは立派な名誉棄損、という話を書きました。

ただ私は、一部の自閉症者のことを「犯罪者予備軍」と書いています。犯罪者、ではなくその予備軍。
なぜなら彼らにさんざんストーキングされ、彼らの誤った正義感(「自分が嫌いなものは、罰せられるべき。どこかにそのための法律があるに違いない」という思いこみ)はまさに「個々人の自由を尊重する」刑事司法の対象となる事件を起こした犯人たちに等しいものだからです。

彼らは嫌いな私が何かの法律に違反していると一生懸命思いこみ、「薬機法違反だ」と主張していました。
そもそも条文を読んだかも怪しい。
一行目から違うってわかっちゃいますから。
ただ彼らは「発達障害が治らない世界線」に安住していたい。
そして彼らは、権威に弱い。権威に依存することでしか生きられない。権威に背いたり、権威に物申すことなど考えられない。勇気がない。
だから気に食わない浅見をなんとか法率が罰してくれないかと夢を見て、薬機法ってやつを見つけたのですね。

よく読めよ条文。
まあ、読まないだろうな。
だって読んだら夢破れちゃうもんね。浅見はこれに該当しない、という。

まあともかく、個人の判断のはずのマスク着用が店舗とかで半ば強制されていた暗黒の時代、私は素顔のままあるドラッグストアに入っていき、買い物をしました。あたり一帯では一番大きいチェーンです。

そうしたらレジのときそんなに若くない女性店員が「マスクをしてください」というので
「感染予防のためにと謳って薬機法違反にならないマスク、この店に売ってる?」ってききかえしてあげたことがあります。「ドラッグストアが薬機法違反したらまずいんじゃないの?」そしてもちろん、マスクはせずに買い物を終えた。

そもそもその辺のドラッグストアに売っているマスクは雑品で感染予防のエビデンスなどありませんから、ドラッグストアが薬機法違反に問われたくなかったら顧客にマスクは強制できない。ただみんなが前もって従ってしまっていただけです。

あの頃は医クラもマスクマスクうるさかったと思いますが、そして病院ではまだマスク圧続いているみたいだし妊婦さんもマスク強制分娩をまだやられているみたいですが、雑品のマスクを感染予防とか言って顧客に押し付けている医療機関をみていると

「薬機法違反はてめえの方だバーカ」って思いますわ。
そして運よく今、医療機関に世話にならないでいい境遇であることに深く感謝します。今の私は社会保険加入者として金を納めているだけ。純粋なスポンサーであり、医療従事者を飼っている身分です。

それにしてもさ、なんとか気に入らない浅見を権力にどうにかしてほしいという虚しい夢を見て火を発見した原始人のように振り回していた医クラとその洗脳者、いたかったね。まだしてんだろうねマスク。

一生してなよ。
それでろくな空気も吸わずに健康害して早く〇んじゃえばいいよ。
〇んだら祝杯上げるわ。

いつも言いますけど、これは〇しにいくということではありません。そんなつまんないことはしない。
ただ〇んだら嬉しいだろうな、というだけ。

皆さんにききたいの。
彼らは花風社が、浅見が、潰れろ潰れろと呪ったじゃないですか。
じゃあなんで、こっちは彼らの〇を望んじゃいけないの?
おあいこじゃないの?

さて、明日はこの春最初のライド旅。
そろそろと始動します。
今年もケガしない、ケガさせないでいきたいです。

たんに嫌いなだけ

2024-03-11 18:05:26 | 日記
重なるときには重なるんだな、と思うのですが

私と知人あるいは友人あるいは利害関係者の二人
AさんとBさんがいるとする。
この二人が仲悪い。
というより、AさんがBさんを嫌っている。

というケースを二つ抱えています。
いくつになっても人は争うのね。

っていうか当たり前なんですよ。
そっちの方が健全なの。
だって別に誰とでも仲良くしなきゃいけないわけじゃないから。

まあともかく、Aさんが浅見に「Bさんとは付き合ってほしくない」と思っているとする。
そうすると、色々言い訳をするわけ。

「あの人は差別する人」
「あの人は金に汚い」
「愛着障害がひどい」

etc

とかなんとか。

でも突き詰めてみると単に

「嫌いだ」っていうだけなんですよね。
虫が好かないっていうだけ。

ところが大人の世界では
「あの人が嫌い」ってあまり言ってはいけないらしく
その言葉を避けるために色々と正当化をする。

「あの人にはこれこれの人格的欠陥があるから付き合うべきではない」という大げさな論議に発展するわけ。

たんに「大嫌い」って言えばいいだけなのに。

とくに心理系の人は、人間を類型化して上から目線で語るのが平常運転なので、「たんに嫌い」を「人格の問題」に格上げしてめんどくさい。

前科の何もない私も詐欺とかなんとかさんざん言われたけど
あれはたんに「浅見嫌い」「発達障害の世界にいて目障り」っていうのをストレートに言えなくて人格をいじったんだな、って今になるとわかりますわ。

だって私詐欺してないし。
犯罪おかしたこともないし。
むしろ被害体験あるくらいだし。

犯罪者じゃない人を犯罪者と呼んだら名誉棄損だけど
それを心理士ズがやっちゃうのは、人の類型化になんの罪の意識も持っていないからなんだな。

もっと素直に「あの人嫌い」って言った方が、まだ健全なんじゃないかな。