治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

芋本電子化しました!

2018-04-24 11:28:49 | 日記
私が最初に望んだこと。
それは社会性の障害というとらえどころのないものはともかくとして、自閉圏の大人たちに
・週五日
・季節に翻弄されず
働ける身体になってほしいということでした。
だってこのふたつが達成されていないと、雇用されるのは難しい。
そして多くの人がその職業生活を「どこかに雇われること」から始めることを思うと(私だってそうです)このふたつがそろっていないとそもそも働く人になるきっかけをつかむのが難しいのです。

考えてみたら子どもたちだって、将来このふたつの条件を備えた大人になった方がいい。
それが身体アプローチに目覚める最初のきっかけでした。
そうしたら結局発達障害は神経発達障害だったということで
身体アプローチは一次障害にまで効果があったことがわかったわけですが。

その裏には自分自身、社会性が発達している自覚がなかったというのがあります。
理由は昨日のブログにも書いたとおり
「医者に生まれた」とか「孫が美形」とかいうつまんない自慢にみんなが「すご~い」とか言えるときに言えない人間だったから。
ところが社会性ってそんな薄っぺらいもんじゃなかったんですね。それは発達障害を知って逆にクリアになってきたところです。

まあともかく、付和雷同力に欠ける私としては
「この人たちは季節の変動に弱い」
「新年度に崩れるのは仕方ない」

というギョーカイ人の仕方ないトークをそのまま受け止められなかった。
「なんか手はないのかしら?」と考え続けて、そして栗本さんに会ったとき
「季節を上手に乗り切る方法がないの?」ときいたわけです。
そうしたら栗本さんは「季節は上手に乗り切れるし、上手に乗り切ることによって発達が促されます」と言います。
それで作ったのは芋本です。
一連の栗本さんシリーズの中でなぜあの本だけ私が共著者になったか。
それは「季節を乗り切ること」が私にとっての長年の懸案事項だったからです。
だから私はあの中に「治るというのはどういうことか」と文書を書いたのです。

「芋本すごい本ですね」という方が多いです。
今回電子化にあたり、読み直してみましたが、本当にすごい本です。
短い本なので、まずこれを人に勧める、という方も多いです。
そういう意味でも芋づるの端っこ。

その芋本こと『芋づる式に治そう! 発達凸凹の人が今日からできること』がKindleになりました。
いつでも手元に芋本。いいですよ。
読めるし引用できるし人に勧められます。
4月一杯お得な限定価格です。
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起きてもいない二次障害を恐れるのはなぜか?

2018-04-24 09:31:57 | 日記
風だぬきさんのあげた「片道切符三つの理由その3」
3起きてもいない二次障害を恐れている。
を詳しく見ていきましょう。


とにかく「二次障害にしないよう」に、支援者たちは親たちを洗脳します。
なんか、ひどく悪いものの象徴としての二次障害。
これになってしまったらこの世の最後みたいに言われます。
二次障害を恐れるがゆえに、普通の子育てはできなくなります。
しつけもためらいがち。頑張らせてもいけない。他人に危害を加えるようなことをしても叱ってはいけない。
なんでこれほど「二次障害は恐ろしい」というメッセージをギョーカイは発するのでしょう。

発達障害者支援法が施行され、杉山医師とか内山医師とかがもてはやされていた時代、「一次障害は治らない。二次障害は社会のせい」だと言われていたもんです。そして二次障害を防ぐためにこそ、社会の理解が必要だと言われていたもんです。このあたりのことを私は『発達障害、治るが勝ち!』にこう書きました。

=====

おさらいしてみよう。発達障害には一次障害と二次障害があり、一次障害は生まれつきなので一生治らない。二次障害は本人が頑張りすぎず社会の理解があれば防げる。二次障害を防ぐことこそ、発達障害者がその生涯をかけて目指すべき目標である!

 これはまことしやかに語られている伝説だが、「頑張ったから二次障害になった人」というのを私は見たことがない。むしろ、本来持っているエネルギーを支援者によって「頑張ってはいけない」と制限され長年膠着状態にある人はたくさん知っている。

(中略)

 ではなぜ、支援者たちは「頑張ってはいけない」と言うのだろう? なぜ一度しかない発達障害者の人生を無駄にするようなことをアドバイスするのだろう?

=====

P143~144にかけてです。興味があってお手元にある人は読んでね。

つまり、当人的には、あるいは保護者的には、当たり前ですが人生を無駄にしたくないわけです。そのためには刺激を受け、時には悩み、成長していくという当たり前のプロセスを避けていてはだめ。
でも成長してほしくない人たちがいるんですよ。
ギョーカイです。
なぜ成長してほしくないか?
扱いやすいめんどりに育てあげるためです。
成長して広い社会に出ていかれては困ります。生涯にわたる支援という美名のもと、一生自分たちの食い扶持となる立派な障害者になってもらわなくてはいけません。しかもできれば扱いやすい、あんまり悩みとかない障害者。そのためには、過度な負担はかけないこと。
そのための「啓発」をギョーカイは教育現場に向かって行っています。
その啓発があまりにうまくいきすぎて、いったん特別支援教育に取り込まれると、そこから抜け出すには「荒行」を積まなきゃ行けなくなってしまったのが今の現状ですね。
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専門性を増やしたことの成果?

2018-04-23 08:56:27 | 日記
皆さん、ご意見ありがとうございます。

あ、最初に。

シフォンさんのおうちの場合は、水収支を合わせることでずいぶん解決することが多いのではないでしょうか。まずは芋本かも。電子書籍になりましたよ。スマホに入れておけばいつでも読めますよ。索引も便利ですよ。それと今度の新刊、『感覚過敏は治りますか?』も相当役に立つはずです。
社会の理解どころか特別支援教育を標榜する学校でさえそれだけ理解がないのです。ならば個体の方がラクになってしまうほうがずっと近道です。

何度も言いますが、発達障害者支援法ができたときには「これで発達障害があるけれども知的障害のない人はその知的能力にふさわしい人生を選べるようになる」と思っていました。それが全く逆の結果になっています。
風だぬきさんがその原因を三つにまとめてくださっていますが、これはだいたい皆さんの意見が一致するところみたいですね。
なぜ学校が片道切符を用意するか、その理由三つ。


1正しい見立てができていない。
2発達障害は、発達することを知らない。
3起きてもいない二次障害を恐れている。

じゃあなんで、こういうことが起きるのでしょうね?

それがまさに、発達障害者支援法がもたらしたことだと思えて仕方がないのです。

引用しましょう。
発達障害者支援法 第十四条です。とくに三。

=====

第十四条  都道府県知事は、次に掲げる業務を、社会福祉法人その他の政令で定める法人であって当該業務を適正かつ確実に行うことができると認めて指定した者(以下「発達障害者支援センター」という。)に行わせ、又は自ら行うことができる。

一  発達障害の早期発見、早期の発達支援等に資するよう、発達障害者及びその家族に対し、専門的に、その相談に応じ、又は助言を行うこと。
二  発達障害者に対し、専門的な発達支援及び就労の支援を行うこと。
三  医療、保健、福祉、教育等に関する業務(次号において「医療等の業務」という。)を行う関係機関及び民間団体並びにこれに従事する者に対し発達障害についての情報提供及び研修を行うこと。
四  発達障害に関して、医療等の業務を行う関係機関及び民間団体との連絡調整を行うこと。
五  前各号に掲げる業務に附帯する業務

=====

第三項 ここでギョーカイが仕事を得て狂喜乱舞したわけです。そしてその薫陶が隅々まで行き渡ったわけです。だから「一生治りません」「無理させないで」「二次障害ガー」が行き渡ってしまったんです。教師たちの多くは「言われたとおりにしていればいい」という小役人メンタリティの持ち主ですから、「専門家たち」にそう言われればそりゃ守りますよ。このあたりの事情を書いた部分を『発達障害、治るが勝ち!』から引用しましょう。

=====


 始まりたての特別支援教育では、人材を育てなければならなかった。そして勢い、その役目はギョーカイが担うことになる。そしてギョーカイの説く「頑張らせてはいけない」と現場の教師がしばしば持っていることなかれ主義の小役人的メンタリティはあまりにも相性が良すぎた。大義に目を向けず、自分の保身を優先させる小役人メンタリティ。小役人たちはギョーカイの説く「頑張らなくていいんだよ」を乾いたスポンジのように吸い込んで自分たちのことなかれ主義を是とした。こうしたギョーカイ×小役人の絶妙なマリアージュの結果、発達障害児の未来を消化試合とみなす風潮が出来上がったのである。

=====


この土壌ができあがってしまった今、皮肉なことに

=====

個別級に在籍しながら全ての時間を交流級で過ごすというチャレンジを1年間続けた結果、転籍を心配する声はなくなりました。

=====

という子ども側の頑張り、努力、証明がなければ転籍ができなくなってしまったのです。
いや、この頑張りはすごいと思うし、一生の財産になると思う。だけどこうやって一年証明し続けないと転籍させてもらえないっていう体制は病んでないですかね。山本五十六かよ。しかも「やってみせ」なければ説得できないのは子どもではなく教師なんですよこの場合。

何が言いたいかというと

もうみんな「専門性がある人が諄々と説いてくれたら現場はよくなる」という思い込みは捨てなよ、っていうことです。その専門家自体が現実をわかっていない以上、いくら専門家による研修を重ねても、片道切符を渡される子は増えるばかりで減りません。

専門性がないから現場が未熟なのではない。
専門家のいうことが浸透しすぎていて、現場が未熟なんです。
これをみんな、そろそろわかったほうがいいですね。

ご意見大歓迎です。もちろん異論も。
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なぜ発達障害者支援法は片道切符を用意したのか?

2018-04-22 09:34:27 | 日記
コンディショニング講座のお申し込みに、メッセージが添えられていました。
とてもいい内容なので、ここと新刊に載せさせていただく許可をいただきました。
貼ります。

=====

息子は5年生になり、今年度個別級から一般級へ転籍しました。
個別級の担任は、当初一般級への転籍について懐疑的でした。
ですがその意見に折れることなく、個別級に在籍しながら全ての時間を交流級で過ごすというチャレンジを1年間続けた結果、転籍を心配する声はなくなりました。
面談で「一般枠で就職できるようにしたい」と伝えたのに、高等支援学校を勧めてくるような担任でした。
息子の成長を目の当たりにしたことで、これからの子どもたちへの縮小再生産的意見が変わるのではないかと期待しています。

数ヶ月前に学校行事で二分の一成人式があったのですが、息子は学年代表でみんなの前に立ち、自分で考えた始めの挨拶の原稿を堂々と読み上げました。
個別級のお母さん方だけでなく、息子を知る一般級のお母さん方も感動したと言ってくれて、よくここまで育ったものだと本当に嬉しくなりました。
診断がついた頃は、一般の幼稚園や保育園はとてもハードルが高く、療育センターの通園施設しか選択肢がなかった息子です。
幼稚園バスを見ただけで涙が出たこともありました。
今はもう笑い話です。
これから更に治ると思うと。
息子の未来が楽しみです。

=====

幼稚園バスを見ただけで涙が出た、という記述を読み
そこまで追い詰められるのが親心なんだなあ、と思いました。
だからこそ治りたい。
そしてそれがかなった。
おまけにまだ伸びしろが見える。
ハッピーですね。
とにかく治って残念がっている人はいませんね。

そして、本来発達障害者支援法は、こういう方を増やすためにできたはずなのです。
早めに診断し、早めに支援を入れて、支援の少ない環境で生きていける人を増やすためのものだったはずなのです。
それなのに実際には、診断された途端、「生涯にわたる支援」への片道切符を渡される。
多くの人を救った(であろう)一方で、多くの人に実力以下の人生を強いた。
それが十三年経った発達障害者支援法の現状ではないでしょうか。

なぜ片道切符になったのでしょう?
それを考えてみませんか。
そしてその軛から解き放たれる人を増やしませんか?
私は増やしたいです。

まず考えてみてほしいのです。
この方の個別級の教師は、なぜ一般級への転籍に懐疑的だったのでしょう?

ご意見募集いたします。


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屈託なく、私が自分で築いた価値観

2018-04-20 12:28:06 | 日記
最初に業務連絡です。
昨日告知した二件のコンディショニング講座ですが、現在定員の半数は優に超えている状況です。すみませんがまだどなたにもお返事はしておりませんが、今受け付けている方には夕方までにはお手続きのお返事をいたします。明日朝までに返事を受け取っていない方は不達や迷惑メールフォルダーにこちらのお返事が入った可能性がありますので、お確かめの上確認のメールをください。部屋は80名入れるという触れ込みなのですが、それほど大きくない。講演中心ですが若干身体を動かすかもしれませんので、スカート等はオススメしません。動きやすい服装で来てください。

=====

さて、本日の本題です。

昨日、横浜の「里山ガーデン」に母と遠足に行ってきました。こんなところです。これも横浜です。











途中同窓会の話やなんかしまして、母から「○○君来た?」ときかれ、そういえばいなかったなあと思い出しました。母にとっても思い出深い同級生です。
なんでかっていうと彼は学校に通っていた途中に何らかの事情でおうちが貧しくなり、お母さんがいなくなり、お父さんが病気になったのです。そして学校はひっそりとなんか学費面で助けていたのですが、お金もお母さんもいないのでランチを食べていないというのを聞き、即ママたちのお弁当ネットワークができあがったのでした。お当番のママがお弁当をふたつつくり我が子に持たせる。そうしたらその子がロッカーに入れといて帰りは空のお弁当箱を回収するという仕組みでした。うちの母も一枚噛んでいたので私もデリバリーをしたもんです。すっかり忘れてました。

もっとも今思うのは、あの時代のあの学校だからお弁当を持ってこられない子は珍しかったけど、今社会に出てみると別に珍しくはなかったということです。そしてどっちかというと、そういう人に手を差し伸べずむしろさげすむ人もいるということです。これは私、ここ数年で知ったことです。赤本出したころにはまだ知らなかったと思います。というか、あの頃には「お金がないために大学進学できなかった」人の存在も知らなかったと思います。お弁当の彼にしてもできる子で、きちんと大学に行き、なんかお給料がいい仕事についたということを聞きました。よかったよかったと喜んだもんです。

私はこういうこと書いて育ちがよいことを自慢しているわけではありません。何しろうちはしょせんサラリーマン家庭でしたし、もっともっとお金持ちがたくさんいたので、自分が恵まれている方だとは思っていませんでした。恵まれていないとも思っていませんでしたが、これが「普通」でした。なんらかの事情でお金がなくなったおうちに学校がそっと色々便宜をはかってもずるがる人がいないこと、むしろお弁当ネットワークがただちに立ち上がること、そういう環境が私にとっては「普通」でした。

私が今「治ろうよ」というと、「ケチだから福祉予算削減を狙っている」なんていうトンデモなく卑屈な解釈をする人が時々いますが、要するにそういう人は自分の民度が低いんでしょう。いや、自分の民度は低くないとしても、民度の低い環境に育って弱い人がたたかれた経験をしたかあるいは見聞したかで警戒心がよぶんにある人なのでしょうね。私はそういう環境は知りません。きっぱりと知りません。だから私が「治ろうよ」というとき、それは屈託なく「そっちの方が便利でしょ」ということです。感覚過敏はない方がいい。四季を通じて体調は安定していた方がいい、障害特性を助長するような支援はない方が世の中のため、そういうことです。「社会性の障害うんぬんの前に週五日働けると選択肢広がるよね」というのがそもそも、身体方面に興味を持った理由です。

大嫌いだった理科の女教師は、今でも嫌いだったと母に報告しました。とにかく俗物過ぎるし、その俗物の価値観をいいものと考え、同じ価値観を共有しない人に説教しすぎる。最新の自慢の孫が美形、私が生まれてから聞いた中で五本の指に入るくらいくだらない自慢ですが、母のいとこにもっとくだらない自慢をする人がいます。「私は医者の娘だから」というのを80年自慢にしているイタいおばあさんがいるのです。そして母とは仲がいいけど、私はその人が大嫌いなんです。

医者の娘に産まれるためには、ただの一ミリの努力も必要としません。そして田舎で唯一の開業医だったから、きっとお金持ちなんだと思うのです。生涯働かずにいい生活をしてきたのだと思うのです。「でもそういう人は私の敬意の対象じゃないんだ」と私は母に言いました。母は私を産んで育てたけど、その後社会に育てられた部分の私は知らないからです。

「医者の娘に生まれて贅沢し放題の一生」を威張るおばあさんもいる。でも私が自分で社会に出て、それなりに人と出会い、苦労もし、挫折も味わい、自分で築き上げた価値観の中で、そんなおばあさんは一ミリも尊敬に値しない。むしろ、軽蔑に値する。それが一番の自慢だなんて、なんてつまらない一生だと思う。それよりはたとえ幼いころキャベツを拾うような経験をしても、28年間介護を務めたこよりさんの方がずっと尊敬に値する。それが私が大人になって自力で築き上げた価値観だと母には言ってやりました。

そして私は社会に出て女で苦労したこと。それは「そういう生き方は損をする」と「忠告」してくる女たちが本当にうざかったこと。そして私はその人たちのアドバイスをことごとくはねつけてきたこと。なぜかというとその人たちに一ミリの敬意も憧れも抱かなかったからとうていきくきになれなかったこと、この年になってやっとそういうバカ女が周りからいなくなってせいせいしていること、を母に告げました。そもそも損とかトクとかそういうのがさもしくていやなんです。ていうかなんにも不自由していない今、これで損なら上出来です。

そして「孫がハーフで美形」にしても「親が医者で一生贅沢」にしても、そういう自慢をされて「わ~すごい」って言えてしまう人がおそらくマジョリティなんですよね。母はそういう点でマジョリティなんです。その中で私はつねに孤独を感じてきたこと。でもその孤独は全くいやなものじゃないこと。

私は弱者ではないかもしれない。でもマイノリティです。そこで「わ~すごい」というトークには絶対加われないという意味では一生マイノリティです。でもそういうマイノリティはマイノリティで気の合う人もいるはずだ。中学生時代からそう思っていました。

要するに、付和雷同力がないんです。
そして付和雷同力がある人から見ると、私の生き方は損。
そこにつけこまれて説教されることが多い人生でした。

でも私は今「孫が美形」「医者の娘に生まれた」という自慢を「わ~くだらね」という価値観を共有できる家族と仲間に恵まれています。
これは私が自力で勝ち取った環境です。
親元から独立し、経済的にも精神的にも独立したからこそ、自分が心地よい環境を勝ち取れるのです。
私が言う「治るが勝ち!」は要するにそういう自由な人を増やそうよ、ということです。

付和雷同のすすめはきっぱりと拒絶したまま、これからも年を取っていくつもりです。
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コンディショニング講座(二件)のお知らせ

2018-04-19 17:00:57 | 日記
お世話になっております。花風社です。
花風社は6月30日に、栗本啓司さんを講師に迎えてコンディショニング講座を二件行います。

場所 港北公会堂(横浜市港北区 東横線大倉山駅そば)

時間 一講座目 13:15~16:15 『感覚過敏は治りますか?』

   二講座目 16:45~19:00 『自己肯定感を育む身体づくり』

料金 一講座あたり3000円

*一講座目と二講座目は別々にお申し込みになれます。両講座受講も可能ですし片方だけでも可能です。

お申し込み方法:

花風社(mail@kafusha.com)あてに

・お名前
・ご連絡先(当日もアクセス可能なメールアドレス。ただし携帯アドレスの方はkafusha.comからの受信ができるようにご設定ください。ご案内等返信いたします)。
・参加人数

をお知らせください。手続きについてのご案内を送ります。
今回は講義が中心となり、お子さんはもしかしたら退屈するかもしれません。
一応実技用にバスタオルやヨガマット等をお持ちになるようおすすめいたします。

定員は50名を目安にしております。

栗本啓司さんの新刊

『感覚過敏は治りますか?』
はこちらからどうぞ。本には載っていない幻のあとがきも公開中です。直販ご利用の方はミニクリアファイルをおつけいたします。



Amazonでも予約できます。




皆様にお会いできますのを楽しみにしております。

*しばらくこのご案内はトップに貼っておきます。
日々の更新はこの下をごらんください。
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中年期の終わりにわかったこと その3

2018-04-18 09:42:21 | 日記
一次会を終えて二次会会場に向かいます。国道134号線を江ノ島方面に向かって歩く。すぐ左が海。着いた先でまたいくつかのテーブルを囲んで、おしゃべりしました。
そろそろ親の老いに向き合う年になりました。介護を抱えている人たちもいました。もっとも、出てこられなかった人もいると思います。
できるだけ健康寿命を保つため、色々な予防策が謳われていますね。友の一人が、うちの親はそれを全部やっていたのにやはり認知症になってしまった。なぜだろうとつくづく考える、
と言っていました。
本当になぜでしょうね。
これは、障害のあるお子さんを授かった人たちも考えることだろうなあ、と思いながら聴いていました。
それこそ確率の問題だし、人知で防げるところとそうじゃないところがあるわけです。

うちの母はとても元気で、普通なら介護している年なのにむしろ仕事の忙しいときなどこっちが助かっているほどです。まだ車も運転していて危なげないし、しかも裸眼で免許更新している。それはもう、精進してきたから、だけではないと思うのです。
一つ私がわかるのは、だから私は仕事をしなきゃいけないんだろうな、ということですかね。
『感覚過敏は治りますか?』は私にとっては本丸に挑んだ本だったせいか、本当に疲れ切ったんですけど、また次も出さないといけないですね。こんなの。あ、まだ出てませんよ。Coming soonです。



鎌倉で歯医者をしている男子が、遠くに送る人を鎌倉駅まで送ってくれるということでした。でも高級車すぎて乗れる人数かなり少ない。
東京や千葉に帰る人に比べて私は遠くの中では一番近いので(?)会計を引き受け遠く組を見送りました。
それから女子三人、男子一人で江ノ電の駅へ。
でも日曜日の夜の江ノ電は、一時間三本なんです。
「これなら鎌倉駅まで歩いた方が早そう」と友。
「私、歩いても足は大丈夫。でも道がわからないからジモティが案内してくれたらついてくよ」と私。
そして夜の散歩になりました。

途中私はぽつぽつ話しました。
「私ね、今日○○先生(嫌いな方)に会いに来たの。私、あの人のこと大嫌いだったの。そしてそれからの人生でも同じような人たちに出会って、その都度大嫌いだったの。だから今会うとどうかなと思ってきたの」
「そうだったの」と女子友。「どこが嫌いだったの?」

これを聞いて思いました。私はあれほど大嫌いだったのに、それを黙ってたんだなあ、と。家では言っていたのですが。そして母は、担任が替わったら登校拒否するのではないかと恐れていたそうですが。少なくとも中学生の私はみんなにはあれほど嫌いな気持ちを伝えていなかった。そして「一緒に嫌おうよ」と誰も誘ったりしていなかった、ひっそりと「嫌い」と思っていたということです。

「なんかやたら人の道を説くのがうざかったな。しかもこっちは尊敬していないのに。理科の教師だから理科だけ教えていればいいじゃない。なのに人生訓とか説教臭くていやだった」と私。
「それは淳子ちゃんがマチュアだったのよ」と女子友。

不思議なことにあの頃も今も、私はやけにマチュアな面と極端に子どもっぽい面があります。そしてそれも一ミリも変わっていない。

「そうかあ、説教かあ、されてたかもな。でも俺わかんなかったかも」と男子友。「小学校のときは体罰とかあったんだよね。今なら問題になりそうな。でも一発やられる方がわかりやすかったよな」

その言葉を聞いて思いました。
昔は先生に叱られても、へいへい聞いているフリをして次の瞬間校庭に駆け出していき、そして何を叱られたのかなんてきれいさっぱり忘れたもんです。それを今の子は先生に叱責されただけで自殺とかする。どこが違うんだろう?

あの夜以来、私は「なぜあれほど校則も厳しかった学校を私たちは自由な空間と認識するのか」を考えていました。
そして、今思いつくこと。
それは、校風は学校側だけが作るもんじゃないということです。

当たり前ですけど、クラスにいる一人一人が自由なマインドを持っていないと、自由な校風はできません。
いくら教師が器を用意しても。
なのに今、学校側だけに責任をかぶせすぎな気がします。

私が女教師を嫌いな理由のひとつは、まだ若かった彼女が自分の恋バナとかを平気で私たちにするような無神経さでした。
でもみんなはそういうのに興味がある年頃であり、きゃっきゃと聞いていた。その中で孤独を感じることもありました。だから「みんなは気にならないのだ」と察知し、「嫌いなんだ」ということを黙っていたのかもしれません。

そして私に殴られた彼。
殴られたのに会うのを楽しみにしてくれていた、っていうのも、たとえばギョーカイやそれを支持する人たちと全く違うメンタリティです。何十年も前のいじめを引きずっている人たちにしてみれば、むしろ、自分を殴った人なんて恨みの対象なのではないでしょうか。

でも、これが私が人格形成期を過ごした土壌なので
私はギョーカイとその支持者の拠って立つところを
おそらく一生わからないと思います。
だからずっと化外の民でしょう。
そしてそれでいい。
私と同じようにわからない人もたくさんいるからです。

そして、『藤家寛子の闘病記』を読むと
自分がいた環境との違いにびっくりします。
ちゅん平さんが要求したあれっぽっちの合理的配慮を拒否するひがみ根性に、私は生涯めぐりあったことがないのです。



でもそういうひがみ根性の中で生きてきた人もいるでしょう。
そしてその人たちにとっては
私のそもそもの出発点がわからないから、私が言っていることが理解できないと思います。
私はなんの屈託もなく「治ろうよ」と言っている。それは私が屈託のない人としか接してこなかったからです。
私はギョーカイに出会うまで、ひがみ根性を持つ人々が周囲にいない環境の中で育ってきたのです。
「頑張れない人の気持ちもわかってくれ」なんて言う摩訶不思議なことを言う大人は一人もいない環境で育ってきたのです。
藤家さんがうちの学校にいたら、誰も病弱なことをからかったりはしなかったでしょう。
というか、誰かがからかったら誰かがたしなめる。そのたしなめる人は私のような気の強い系女子ではなくむしろ普段はおっとりとした子。そして暴れん坊の男子もそういうおっとり女子の説得をきいていじわるをやめる。そういう雰囲気でした。

つまり、人と違う特性を持った子を受け入れる土壌を作るには
発達障害に関する啓発より「ひとりひとり事情が違うのだ」と心から納得するほど民度をあげる方がずっと効果的なんだと思います。
そうなると
「不思議だね自閉症のおともだち」みたいなフリークショウみたいな啓発では逆効果です。
じゃあどうすればいいんだろうと考えた場合

当事者側の努力がゼロでいいはずがないのです。
それを私は訴えてきました。

でも

これをまたひがみ根性で自分が責められているように受け取る人がいるでしょう。

でも、そうじゃない。
私はそもそも、そういう人の存在を想定しないで生きてきたのです。
おそらくそれが私の限界です。
そして、強みでもあるでしょう。

~~~~~

鎌倉駅までたどりつき、横須賀線へ。
女子友二人は逗子方面。茅ヶ崎に帰るという男子友と大船で別れました。
マリノスサポーターでよく日産スタジアムに来てるそうです。またどこかでばったり会うかもしれません。

横浜駅(工事中)に着いたら23:00すぎ。
鎌倉をたくさん散歩したし、タクシーで帰ることにしました。
乗ったら夫からLINEがきました。Jetzt zu Hause。日本語でいうと「おうちなう」です。
夫もどっか行って遅かったのですが、わざわざ自分が帰ったと知らせてきたわけではなく
「自分も遅いが帰ってきたらまだ帰っていないので鎌倉と横浜の間のどこかで酔い潰れていたり間違って東海道線の大垣行きに乗ってしまったのではないかと心配している」という気持ちがJetzt zu Hauseの3ワードに込められていたので「今西口からタクシーに乗ったとこ」と返事しました。
帰ったら夫は締めの晩酌中でした。

「次の幹事やることになっちゃったよ」と私は、かつて殴った友と再会しパートナー幹事に指名された話をしました。
「そりゃ、身から出た錆だね」
「そうだね。それと嫌いな女教師の最新の自慢は子どもがフランス人と結婚して孫が美形なこと。生まれてきて聞いた自慢の中で五本の指に入るくだらなさ。相変わらずくだらん女だった」
なんてしゃべりながら録画してあった「せごどん」を見ました。

この日思ったのは
私の中年期は終わったな、っていうことです。
来月には55になります。四捨五入すると還暦。女の人は年を隠すことが多いけど、私は隠しません。なぜなら年を取っているからの有利さは絶対に役に立つから。

そして昔から変わらない私の資質。

「専守防衛、やられたら倍返し」
「ウエメセ説教臭い乙女が大嫌い」
「人よりマチュアなところと子どもっぽいところが混在している」

この資質とともに、子ども返りへの道を歩み続けていくのでしょう。
そして私は、たまたま時代の巡り合わせで発達障害をめぐる言論のプレイヤーの一人になったけど
自分の育ちの土壌が土壌だから、絶対にわかりあえない人たちがこの世界にはいる。

今の自分としては、その人たちとかかわりを持つ気はない。
それがこの世界からの撤退を意味しているのか、あるいは違うことを意味しているのか。

還暦を迎えた頃には、わかっているかもしれません。

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感覚過敏は治りますか? 発売です。

2018-04-17 09:48:06 | 日記
先日お流ししたメールのご案内を貼っておきます。
しばらくこの記事はトップに置きます。
日々の更新はこの下をごらんください。

=====


お世話になっております。花風社の浅見です。
ブログで告知しておりましたとおり、花風社では5月に、栗本啓司さんの新刊
『感覚過敏は治りますか?』を発売いたします。
すでに多くの方々にご注文いただいていますが、メールでもお知らせさせていただきます。

感覚過敏さえ治れば、発達凸凹の人たちは相当生きやすくなります。
そして
感覚過敏が治った人はたくさんいます。
感覚過敏が治って残念がっている人はいません。
感覚過敏を治した医者は見たことがありません。
どうやったら感覚過敏は治るのでしょう?
どうして治る人と治らない人がいるのでしょう?

そして何より
どうやったら治るのでしょう?

そういう疑問に答えた本です。

直販にて本書をお申し込みの方には特製ミニクリアファイルをおつけいたします。
既刊でも新刊でも、申し込んだだけついてきます。
このクリアファイルは、素敵です。まだ現物はできあがっていないので詳細は控えますが
何しろ私自身がほしくて作ることにしたのです。
「幻のあとがき」最新バージョンも下記で読めます。


感覚過敏は治りますか?
のお申し込みは上記をクリックしてください!



何冊でも送料無料でお届けいたしますし申し込んだ冊数だけミニファイルがついてくるので
この際気になっている本は買ってしまった方がいいです。
一応こちらからのオススメコーナーに二冊載せとておきました。


一冊めは

10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!





ベストセラー『自閉っ子、こういう風にできてます!』から十年。 あの二人はどう過ごしているでしょう? 資質を開花して生きるとはどういうことか? ライブ感覚で伝わってきます。 発達障害者が発達する姿がここにある!



二冊目は

人間脳の根っこを育てる!



身体アプローチを、きつい訓練と誤解していませんか? その子に無理のない動きを見極め、土台を育てましょう。 言葉が出ない、コミュニケーションがうまくいかない、等の悩みを持っている方にもオススメします。

あと電子書籍コーナーも始めてみました。

電子書籍コーナー
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浅見淳子
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中年期の終わりにわかったこと その2

2018-04-17 08:42:44 | 日記
中には四十年ぶりに会った人もいた同窓会。実は私、昔のこと驚くほど覚えていません。抑圧とかなんとかではなく、単純に三十代の半ばくらいからキャパが切れたのです。どういうことかというと、人間って覚えられる人の数が限られているのだと思います。だって交通が発達する前には、すごく限られたコミュニティの中で暮らしてたんですもんね。私はそのキャパがあんまり大きくなかった上に出版界なんか入ってしまったから、人生の途中から人を覚えなくなったし、覚えると過去の人が一人消える感じ。それでも最初は翻訳出版界でのちには発達障害の世界でプチな世界のプチ有名人になってからはあっちが覚えておいてくれるのでそれをサバイバル戦略に使ってきました。

さて、会場で「僕のこと覚えてる?」と細身長身の男性に挨拶されました。ラフなスタイルの多い男子の中でひときわ目立つお勤め行くようなスーツ姿。その顔に見覚えはありましたけど、記憶の中ではどっちかというと小柄。でも今の姿はどっちかというと長身なのです。なんでも、高三で急に伸びたそうです。お勉強できる人で、高校はもっとお勉強上手な学校(うちの父の母校)に進んだはず。その人は「○○さん(私の旧姓)に今日は会いたかったんだよお~」と言います。なんでかというと「ねえ僕のこと殴ったの覚えてる?」というのです。

えええええ、殴ったの? それは申し訳ないことをした。でもなんで? ときくと、彼は教室でゴム飛ばしして遊んでいたらしい。それが誤爆で私に当たったらしい。やばい、と思った瞬間、私がむっとした顔をしてやってきていきなり殴ったというのです。仕返しですな。私は平身低頭で謝りました。おまけにそんなこと全く覚えていないのです。っていうか、「専守防衛、やられたら倍返し」の行動原理はその頃から変わってないしどうやら極めて自然に発動するもののようだ。私は笑ってしまいました。いや、笑い事じゃないよ。人を殴ってはいけないとその頃の私に『元刑事が見た発達障害』を読ませてやりたいよ。罪刑法定主義と警察法を知っといた方がいいよ当時の私。榎本さんはぎりぎり生まれたばっかりのころだったけど。っていうか今なら児相に送られて治さない医療の犠牲となりコンサータを盛られてたかも・・・。

っていうか中学生が教室でゴム飛ばしって子どもっぽくないですか。今ならそれもなんか問題行動がられそうですよ。そうやって二人で児相送りになって家事のできるひきこもりにされたかもしれん。

でもそのときは先生が見ていないところのトラブルということで、ゴム当てる→一発殴るの当事者間のやりとりで治まったそうです。そしてその彼は反省し、その日を最後に生涯ゴム飛ばしから引退したらしい。そして霞ヶ関への道を歩み始めた。そう、順調にお勉強上手を重ね、なんと今は霞ヶ関の雲上人になっていました。頭いいとは思ってたけどそんな頭よかったんだ、っていう感じ。

逆から考えると、後々官僚になる人が中学段階ではゴム飛ばししているわけですね。今ならゴム飛ばしする少年もゴムぶつけられて殴る少女も問題視されつぶされてしまうかもしれません。二人で児相→コンサータ→犬の曲芸→家事のできるひきこもり ルートに乗らなくてよかったよかった。

会も終わる頃、次回の幹事を決めることになりました。現幹事が指名していいことになり、「頭良さそう」という理由でその私が殴ったミスター官僚が拝命。そして今ではこういうことポリコレ棒にたたかれるのかもしれないけど、男子が指名されたら誰か女子を指名していいことになり、いきおい彼が今日会いたかった人、すなわち私、にお鉢が回ってきました。これはまあ、仕方のない成り行きです。彼を殴ったあの日の私が悪い。

でも今回受付に座っていてくれた男子が、「僕も手伝うから」って言ってくれました。大学時代私は、この人の妹さんたちの家庭教師をやったりしていてつきあいがそれなりにあったのですが、昔から優しい男です。家業を継いだとはきいてたけど、名刺をもらったら名字のついた会社の「会長」という肩書きでした。

「うわあ、会長。なにこのほとばしる隠居感」と私は憎まれ口をたたきました。出版の次くらいに斜陽の家業を継いで苦労もしただろうに、全然陰がありません。

不思議なことに同級生みんなそうです。私と同様、それなりにいやなこともあって挫折経験や苦労もあっただろうに、本当にみんな変わらない。

自由な学校だったね、と口々に言いました。でも、当時自由な学校って思ってたかな? 髪型とか靴下とか、いろいろわけのわからん決まりがありましたよ。それには反発もしたもんだ。なのに自由な学校だったと思い出すのはなんなんだろう。

自由ってなんなんだろう?
なぜ私たちは四十年経って「自由な学校だった」と認識するようになったのだろう?

不思議です。
いったいなぜ私たちは自由な学校だったと振り返るのだろう。
あの日からずっと、私は考えていました。

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中年期の終わりにわかったこと その1

2018-04-16 10:03:04 | 日記
昨日は中学の同窓会でした。四十年ぶりに恩師に会えるそうなので出かけてきました。

私の出た中学は湘南地方にある私立。なのに共学で無宗教というちょっと珍しい校風です。今や進学校になったらしいのですが、当時はゆるい学校でした。中学は二クラスという小規模校で、三年間二人の先生が担任をして一年ごとになんとなくクラス替えする感じ。でも私は三年間同じ先生でした。これにはワケがあります。片方の先生と私は著しく相性が悪かったのです。

私を受け持ってくれたのは男の体育の先生。そしてもう一人は女の理科の先生でした。この女の理科の先生が私は大嫌いでした。13歳で出会ったわけですが、その後の「女嫌い」の原型を作ってくれたのがこの先生だと今でも思っています。っていうか、元々私の中に潜在していた女嫌いの資質がこの先生によって開花しただけ、とも言えるかもしれません。その後繰り返し繰り返しこういうタイプの女性に会って、そのたびに私は女性が嫌いになっていきました。

理科の先生だから、理科だけ教えていればいいのに変に人の道を説くのがうざかったです。でもどうせ老婆になっているから「あなたが嫌いでした」と言うつもりなどさらさらなく、ただどうなっているかなあと楽しみに行きました。先生は御年69歳。来年七十なのにお若くお美しかったです。一番嫌いだった人のはずなのに、なぜかエレベータでまず一緒になってしまい、その後もなんだかんだお話しました。そしてやっぱり嫌いだわこの人、と思いました。今回わかったのは、人間基本は全く変わらないということです。だから「治ったら自分ではなくなってしまうのでは」という心配なんか全くいらないですよ。その先生は相変わらずだし、その人を大嫌いな私も相変わらずです。とにかく言うこといちいちかちんと来るのです。たとえば「今日も久しぶりにみんなに会うのにすっかり髪の毛も薄くなっちゃって」とか言うのですが、別に髪の毛は薄くなってないしきれいに整えられています。そして皆さんが「そんなことありませんよ先生お若い」とか言うと「あら~そんなことないわよもう年で」とかうれしそうに言う。そういう一連の会話が私は大嫌いなのです。そして今は先生も私たちも両方大人になったからいいのです。そういう会話を女子中学生に仕掛けてくるその無神経さが私は大嫌いだったのです。でも友人たちはそれに合わせられる。私はフユカイを顔に表す。そういうわけで、三年間体育の男の先生が私の面倒を見てくれました。

その好きだった方の先生は体育の先生だから、教師を定年後神奈川陸連の役員などもやり、箱根駅伝では東洋大の監督の車に乗って柏原選手を追いかけていたそうです。テレビにも映って気づいた人もいたみたい。でも私は全然気づきませんでした。この先生のためには、『発達障害、治るが勝ち!』をクリアファイルつきでもっていきました。照れくさいからサイン本にはしませんでした。ただただ、あなたの育てた中にはこういう版元作った生徒もいますよ、と知らせたかったのです。読んでも読まなくてもいいので知らせたかったのです。

理科の女先生は三十代で教師をやめ、その後お勉強上手を駆使して薬剤師になり今も現役だそうです。彼女が早めに教師を辞めたというのはいいニュースでした。害を受ける子どもがそれだけ減ったわけですから。薬剤師をしているくらいだからもしかしたら本を持って行ったら読んでくださったかもしれませんが、その人には献本する気にはなれませんでした。きっと会社を作って頑張っていることとかを褒めてくれるかもしれない。でもそういう風になんのためらいもなく人を褒めるような無神経さが私は当時から嫌いだったのです。

なのになぜか昨日も一緒に写真を撮るはめになってしまい、画伯に見せたら「乙女ですな」と言われて、「たしかに!」と思いました。私の苦手な女性は、ウエメセな乙女です。したり顔で人生を説いたりウエメセでアドバイスしたりそういう人です。その皮切りとなったのがこの先生で、最新は例の「ちっぽけなテロリスト」さんかな。最近になって二回ほど彼女はお菓子を送ってくれておいしくいただきましたが、礼状等は出していません。謝罪の言葉がついていたのですが、何を謝罪されたかわかりません。彼女が後悔していることと私が怒っていることは、もしかしたら違うかもしれません。私としては私が人生賭けてやっていることを全く理解せずウエメセな乙女路線でたしなめてくることに、しかもその人質に講演会をとったことに「何様のつもり」と思ったのです。

そして私は、13歳のときに出会ったあの女教師以来、社会の中でうんざりするほど「こっちが尊敬していないのにウエメセで説教してくる女」に出会ったのです。尊敬してくる人が説教してくるのならまだ聴こうと思います。だけど一ミリも尊敬していないのに何様のつもりで人の道を説くのかと思うのです。

でもここにきて私の女嫌いな大分治った気がします。それは尊敬できる女性に一杯会ったせいだと思います。プロとしての道を歩まれる瀧澤久美子さん。自分の役割をきっちり果たされるこよりさん。ひたすら癒やすことに修行を積まれる愛甲さん。あそこから立ち直ったちゅん平さん。その他多くのお母さんたち。私は自分の役割をきっちり果たしている人が好きです。そしてそういう人はウエメセでしたり顔で乙女路線をアドバイスなんかしてきませんね。

おそらく私は自分が社会の中で年上になることによって、やっとああいうつまんない女たちから解放されたのだと思います。そしてウエメセな乙女たちをきっぱり拒否することによって、そういう人がそもそもよってこない環境作りに成功したのだと思います。

年をとるのは悪いことばかりではないですね。

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