治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

2019年から2021年まで、花風社の歴史と今後の展望

2021-04-29 09:06:16 | 日記
大久保さん@てらっこ塾の昨日(2021年4月28日)のブログは必読です。
こういう仕組みを踏まえて、発達障害と向き合いましょう。

てらっこ塾ブログ:子ども達を守れるのは、親御さんしかいない。



思えば、発達障害支援のあり方に、長年疑問を感じてきました。
おそらく私が最初に疑問を感じ始めたのは2007年とか2008年とか、あのあたりです。
支援していない支援の意味がわからなくなりました。

医療は治さない。
療育は伸ばさない。
特別支援教育はアリバイ。
成人支援は飼い殺し。

それでも支援と名乗るのはなぜか。

一方で「治ったらいいな」と追求してきた知見がことごとく当たりました。
これが2019年までの歴史。

そして2019年、NEURO,ハッタツ大戦。
あのときにわかったのは医療者の
・学ぶ気がないこと。治るということを頭ごなしに否定すること。
・非医療従事者を意味もなく見下していること
・社会の広さを知らないこと
・自分たちも相当なヒエラルキーの中にいること

でした。
そして、不健康な人々はその医療に命をカタにとられ、眠りという生物として自然な機能すら薬なしに発揮できないでいる。だから治さない医療でもあがめたてまつるしそれを絶対視しない我々を攻撃してくる、ということを知りました。不健康ピープルは傲慢医療に依存して医療はますます増長し国民皆保険にあぐらをかいて精進しない。

というわけで「治そう! 発達障害どっとこむ」を作り、そこで治る情報交換をすることにしました。

2019年末、「どこでも治そう」スタート。

のあと、すぐにコロナ禍。
全国的な緊急事態宣言。その中で絶好の発達のチャンスを得た花風社クラスタのお子さんたち。
自分のやってきたことの正しさを知りました。

そしてGoToスタート。
これを花風社クラスタは交流に最大限活用しました。

オンライン講座も盛ん。
といわけで黒字続きで「どこでも治そう」には膨大な内部留保が。
これ以上お金増やしても仕方ないのでとりあえず寄付金は停止。
コロナ後に活動再開する際には豊富な資金があります。
税理士法人とも契約しました。

その間、医療はいろいろヘタを打ちました。
そして、そのヘタの打ち方を見て、発達医療が何やっていたかが逆にはっきりわかった。
ああこういう原理だったんだ医療って。
それがわかったのです。

この一年医療が国民に見せてきたもの

妊婦にマスクを強いる残虐性。
経産婦の医療従事者がそれに声を上げられない強固なヒエラルキーと保身。
国民が真っ赤な顔をして夏のマスクに耐えていたとき「儲からないから」とコロナ病床を減らしていた利権優先。
「発熱者をみない」という本末転倒。

そしていざとなると医療はエビデンスなどかなぐりすてて、飲食のせいにしたりGoToのせいにしたりマスクの素材のせいにしたり。
ワクチンに関しても、諸先進国ではリスクの高い高齢者施設が優先だけど、日本では美容整形や皮膚科、そして児童精神科、というか医学生に至るまで医療が優先。その結果クラスターが止まりません。

みんなが国民皆保険で医療を甘やかした結果です。
医療は一回崩壊した方がいい。
医療が崩壊して助からない命ならそれが運命。


2019年の段階で、「医療おかしいよ」と言っている人は我々ぐらいだったかもしれません。
でも今は、全国民が「医療ひどすぎ」と思っています。
そういう意味では花風社には追い風です。

っていうわけで、医療から始まる早期診断システムが必ずしもお子さんのためにはならないこと
それを示す本を3冊準備中です。
今は関西方面小売りが止まっているようですから、ゆっくり作りますわ。でも3冊出しますよ。
診断されなくても治ります。そのことを教えてくれる本をね。

というのが私のゴールデンウィークですが
あと県内旅行一つと県境ではなく東シナ海を越える旅行が一つ。
凡知事ズが気に入らないからもう一個どっかに旅行入れるかもしれません。空いてるし。
そもそも主権はこっちにある。凡知事は主権者に選ばれただけ。気にくわないことしたら今度落とせばいいだけです。

あ、それと、
あれだけ傲慢だった医療従事者たちが口枷つけて遊べない姿を見るのも実に愉快です。
仕事中はN95?
会食できない?
旅行できない?
えらいんだからがんばれ~(棒)

私は日々ノーマスクで新鮮な空気を吸い
川沿いを自転車で走ってノーマスク仲間が遊ぶ姿を見てほっこりし
八重山に海水浴に行き
函館に桜見に行き
自由に日本中を動いて、そして一日たりとも健康を崩していませんわよ。
接触先で何か起こった話も聴きませんね。
それでもノーマスクの人々が感染を広げているというのなら

エビデンスを出せ~

笑笑

今年どうしても、五稜郭の桜を見なければいけなかったワケ

2021-04-26 10:26:28 | 日記
今年どうしても、五稜郭の桜を見なければいけなかったワケ

函館は大好きな街だし、羽田から一時間少しで飛べるのでよく行きます。
五稜郭を上から見ると、これが一面ピンクになるなんてどんなに素晴らしい景色だろう、といつも思っていました。
でも実際に桜に染まる五稜郭を見たことはありませんでした。
函館のお花見シーズンは連休を直撃。
普段安いツアーが一泊二日エアついて30000円だとすると、100000円はかかるからです。

でも花は気まぐれ。
見頃がずれることだってあります。
GWの前か後、値段の安いときに行っても見られる年もあるかもしれません。
そうやって「ゲーム函館」を何年かしました。
つぼみを見たり、「昨日の嵐で全部散ったよ」という日に行ったりしました。それでもとくに悔いはなかった。
別に花がなくても函館はよい街だし、じゅうぶん楽しいからです。

そして去年のあの暗黒のゴールデンウィーク。
またお天気が皮肉なほどよかった。そういう時期を選んで連続休暇にしているのですものね。
私は私なりに遊び、近所も散歩したし神奈川県内では開いているところを見つけて温泉に行きました。凡知事は「神奈川を出ないで」と言っていたからそれは守ってた素直な私。箱根は越えませんでした。そして栗本さんのzoom講座を三日連続で受けてお勉強したりしていました。それなりに充実していたと思います。

だけれども、去年の全然ゴールデンじゃないGW、私は思っていたのです。
私は馬鹿だったなあ。
こんなことならもっと自由な年に、100000円出して、五稜郭の桜を堂々とGWに見に行っとけばよかった、と。

考えてみれば3万円と10万円の違いは7万円です。
小さいお金だとは思いませんが、それを節約したところで、銀行の残高数字が7万増えるだけです。
そんなつまんないものを大事にして私は五稜郭の桜を諦めたのか。馬鹿なことをした。
2020年のGWは、どんなにお金を積んでも行くことができなかった。そもそも函館市民に対してでさえ公園は閉じていた。
そんなことがあるとは夢にも思わなかった2019年までの私は知らなかったのです。
お金で買えないものがあることを。
そしてそれこそがとても大切なものであることを。

というわけで今年は、GWのど真ん中に函館二泊三日を早々から予約していました。
需要減により、値段も安くなっていた。
ところが全国的に花が早く、GWはもう葉っぱかも。
どうしようか。
桜がなくても楽しい街だけど、どうしようか。
そして調べてみると、前の週はまだ空いている。
エアドゥ限定の安いツアー。ANAラウンジも使えないツアー。でもGWの三分の一で行けます。
GWの予約分、キャンセルは数千円。これは頑張っている全日空に寄付だと思えばいい。
そして浮いたお金で南も行こう。
こうやって函館に降り立ちました。

港にかかる夕日。
を眺めてからお寿司。
温泉に入って寝ます。

次の日は函館公園へ。
五分咲きのところも満開のところも。
週末は地元の人が繰り出すのでしょう。
ここは屋台も開けるみたいだな。

そして金曜日、念願の五稜郭へ。
内周はまだつぼみもおおいけど、外周はかなり満開に近い。
週末は長蛇の列だろうし、タワーに上れるかわからない。というわけで金曜日にピンクに染まった星形の五稜郭を上からみました。



土曜日、満開日。
3時間くらいかけて、上からも下からも桜を堪能しました。
広い城内を2周して、数年分お花見をした気がします。



こうやって私は
つまらない節約のあげく自由のありがたさを知らなかった、味わおうともしなかった過去の愚かさにけりをつけてきました。
その記念として期間限定の「桜ベアー」を買ってきて部屋に飾りました。



今年もGWに様々な制限をかけてくる政府と自分の保身しか考えない医療。
尾身爺が言うには、商業施設をしめるといいエビデンスはないそうです。
ただ人流を止めるには魅力的な施設を閉じるといいということ。
では人流を止めるといいというエビデンスは?
これほどいい加減な人が舵取りしていたら、もう日本のコロナ対策もほとんど大仏建立レベル。つまり治せない発達医療レベルです。

エビデンスエビデンスうちもさんざん言われましたけど、いざとなると医療はエビデンスなど無視。
しかも当たらない。
花風社がやっていることの方がずっと歩留まりがいい。
それが露呈したコロナ禍でしたね。

西村飛沫担当大臣は「一年前を思い出してさらなるステイホームを」とか言っていますが、もう誰がきくか! です。
この一年を思い出せば思い出すほど、医療はコロナは引き受けないわ妊婦にマスクを強いるわワクチンは独占してしかも拒否する医療従事者まで出てくるわと暴虐の限りをつくし、政治は無能で、保健所は結核の成功体験から切り替えできず誰も頼んでいない感染経路のトレースに血道をあげ自分たちの仕事を構造化するために勝手に濃厚接触の定義をして結果として国民にマスクを強い、教育現場の能なしどもには子どもの口と鼻から布きれ一枚取る能力さえないことが思い出されて、到底行政や医療の都合でステイホームする気になどなれませんわ。

というわけでGW遊びまくります、私は。
怖い人がステイホームしていればいいのではないでしょうか。

なんとか宣言出された東京都民は無視し、大阪府民はわりと従っているよう。
意外な結果でもなんでもないですね。東京は一枚岩大嫌いだもん。そこが東京のいいところ。
願わくば、もっと考えて投票してほしかった。
それと、事業者が百合子を無視してほしい。百合子無視の事業者がたくさんいますように。
こっちのマンボウ地区も、28日から酒類の提供をやめろとか凡知事が言っていますが、都内も出している店あるみたいだし、とにかく今、バカ行政のお願いだか要請だかに従わない店があれば未来永劫応援します。
この一年、去年の四、五月開いていてくれた店をずーっとひいきにしてきたようにね。

皆さんのお子さんにとっても、○歳のGWは一生に一回です。
輝くような五月は一年に一回しか来ません。
それをどのように過ごすか
主体的に考えましょう。
皆さんが守らなければならないのは傲慢な医療従事者ではありません。
信頼が地に落ちた医療。なくても平気なことがわかってしまった一年でもある。
皆さんが第一に考えるべきなのは、お子さんの、ご家族の未来です。

「知的障害者」と「濃厚接触者」の共通点とは?

2021-04-25 17:44:55 | 日記
2月23日の花風社創立記念25周年最後の行事
「知的障害は治りますか?」読書会が4月25日終わりました。
皆様ありがとうございました。

あの本を作った動機はいくつかありますが、その一つは「どうせ健常者にならないのなら、重い方がトクである。だから治したくない」という人たちが実在すること
そしてかつては支援者たちが「重い判定が出るように寝不足で検査につれて行きなさい」と真顔でアドバイスしていたことです。
私はずっとこれに反発していました。
事実上の虐待だし、本人が主役ではないからです。

そしてコロナ騒動が起きました。
「濃厚接触者」という概念が出てきました。
「知的障害者」と「濃厚接触者」は似ているな、と思いました。


どこが似ているかというと
どっちも行政上の切り分けに過ぎないということです。
そしてその切り分けでラクをするのは誰かというと、ご本人でも家族でもなく、行政です。
行政が自分の仕事を構造化するために人を切り分けます。
その一つが知的障害者であり、濃厚接触者もそうです。
そして知的障害は感染しません。けれども隔離されます。
隔離するのは本人のためではありません。

このシステムを「特別支援」と呼び、実態は介護である行為を「教育」「自立支援」という美名で飾るのは、税金を使うからです。
税金を使うために行政は美辞麗句を使います。ところがこれまでの保護者はこれにひっかかってしまってきたのです。
私は以前から警告していました。
でもその警告がより強く言語化できたのはコロナをめぐる行政と医療のていたらくをみたからでした。

これまでの私は、だからなるべく普通校の普通級がいいと思っていました。
でも今は、支援校や支援級もありだと思っています。
理由は読書会でお話ししたとおり。

そして「○○で治ります」の説明の仕方も変えることにしました。
理由は読書会でお話したとおり。

コロナは日本社会の膿を出しましたが、多くの気づきもありました。
その一端をお披露目した読書会でした。
皆様ありがとうございました。
zoomでの無料講座は、時々行うつもりです。

カンは磨けるか?

2021-04-13 12:28:04 | 日記
西浦大先生がまた外されたとか?
大先生が「このままでは~」と言い出すと収束に向かうという法則がマンボウ出現中の大阪にあてはまりそうなんだそうです。
ここまで来るとすごいもんですね。

さて、この記事は「センスや直感は磨けるか?」がテーマなんですが
これを書こうと思ったのはどっとこむになぎたさんが書いてくださったこのコメントがきっかけです。
学校初めての転籍。
そしておめでた。
に対するお祝いコメントへのお返しでこんなこと書いてくださいました。



=====

ありがとうございます。
センスや直感がいまいちな分 とにかく子どもと遊ぶ 何でも一緒に体験する ひたすら本を読む 栗本さん 大久保さん 愛甲さんにアドバイスされた事を試行錯誤しながら とりあえず地道に泥くさくやるという事を続けました。

特別支援教育を利用するなら 親が腹括って 戦略をしっかり立てないと 流されてしまうなと思いました。
花風社のアプローチがなければ 転籍は難しかったです。
花風社の本と出会って今年で7年目です。やっと
治ったかもと実感できるようになりました。

本当にありがとうございました。

=====

そうか。なぎたさんの自己認知は「センスや直感がいまいち」なのか。
それを御自分で補う工夫をされたのですね。
たしかにセンスや直感が優れている人はいます。
私も仕事方面では割とそちらに恵まれていて、以前のボスとかに「それはもう、持って生まれたものだから」とか言われていましたけど、最近そうなのかな? と考えていたのです。
いや、持って生まれたものはどの分野でも大きいけど、そしてそれぞれの長所を糧にして人は生きていくのだろうけど、後から磨けないかっていうと磨けるよねえ。
おそらくなぎたさんだって最初よりセンスや直感がよくなっているはずです。

よくアンチが私に関して矛盾したことを言います。
・浅見は金儲けでやっている
・浅見は儲かってない。そのうち潰れる(2009年くらいから彼らはそのうち花風社が潰れると言っています。8割おじさんみたい)

この両方を繰り返し言うわけですが、両方実現するのは無理。
で、私の実感から言うと
「このビジネスは私がやる限りコスパがよい」です。
なぜかっていうと、労力がかからないからです。

本作りに関してはもうこんな感じで進みます。
1・浅見が問題意識を持つ(治った方がいいよね等)
2・なぜかそのソリューションを持っている人が現れる(神田橋先生、愛甲さん、栗本さん等)
3・本にする
4・売れる

そしてこの3の「本にする」ところをさらに分解するとこういう感じ。
A 出会った人の書いたものを(あれば)読む
B 出会った人と話をする
C 読者の動向をぼんやりと見る
D そして楽しく日々を送っていると、ある日脳内に目次ができあがるのでそのとおりに本を作る

まあこんな感じです。
全部オートマで浮かんでくるので、あんまり苦労しない。そしてロングセラーになったらラッキーだし、何しろあまり苦労していないので、売れなくても「いい本作れてよかったな~」になる。

そして

4「売れる」のところではなぜか

「なんで花風社さんはいつもタイムリーなんだろう」
「なんで花風社さんはいつも知りたいことを教えてくれるんだろう」
みたいな読者層が存在している。

だから私の視点から見ると、儲かっているいや儲かっていないと他人のフトコロに興味津々のアンチはきっと苦労の多い人生を送っているのだな、と思うだけなのです。まだこの境地に達してないんだろうな。

でも考えてみたら最初からこうじゃなかった。

っていうことは

この20年間「治るといいな」と毎日考え続けてきて、発達に関係のある情報も関係のない情報も脳内に採り入れるとそのうち社会全体の中の発達みたいな像が結ばれ

そういうことがたまりたまってある日企画になり目次になり出会いになる感じ

です。

ということは

テーマを追求してきて、それでカンが磨かれたところは大きいと思いますよ。
問題意識がカンの大前提でしょう。

あと、

なぎたさんたちのような若いお母さんが気づいているように、先輩親御さんの中にカンのいい人はいらっしゃいますね。
一方でモビング烏たちの外し方はすごいもんです。
当たらない憶測がほぼ妄想レベル。

当たる当たらないを分けるものはなにかというと

ずばり

不安・恐怖

ですね。

モビングすること自体が、不安・恐怖の表れ。
そしてこれにとらわれているうちはカンは当たりません。
不思議なほど当たりません。

となるとやはり

やるべきことはわかりますよね。

「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか その3・完

2021-03-20 07:14:03 | 日記
「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか その3・完



治した方がいいのだろうか、想像力の障害。
ていうか、花風社周りのアプローチに取り組んでいたら治ってしまうのではないか?

少なくとも私の中で
「私がかわいいと思うから治さないで」というのは萌えでありセルフィッシュだと思うようになった。
だって想像力の障害で不便をしているのは本人たちである。
だから「かわいいから治ってほしくない」なんてこっちの自分勝手だし、いくら私がかわいいと思っていても、治るときは治ってしまうだろう。

ただし、想像力の障害は、治すべき標的症状ではない。
視覚優位と同じように、発達の一段階であり、未発達。視覚優位の段階を脱していない子には視覚支援が必要なように、想像力の障害があるうちは周囲の通訳が必要だ。

でも治る子の場合、その段階はやがて通り過ぎる。発達は経過だから。
そしてニキさんも書いているとおり、体調にも左右される。
この一年見てきたように、普通の人たちも想像力の障害スペクトラムの中を不安等があると行ったり来たりする。


私がどうしても理解できなかったニキさんの特性? 思い込み? あるいは事実?
それはニキさんが親御さんとの葛藤を抱えていると自己申告していたこと。
なぜ理解できなかったか。
私にはどうしてもニキさんがかわいがられて育った人に見えるから。
会ったことのある人たちも賛同してくれる。
どう見てもかわいがられて育った人に見える。

でもご本人は葛藤を抱えているらしい。
自分がスペクトラムの人間だと親御さんに言いたくないらしい。
だから自分がニキ・リンコだという事実を親御さんに隠し通したいという強い思いを持っていた。
だからペンネームを使った。
そのペンネームを剥ぎ取ろうとしたのが「彼」だった。執拗に身元を照会しようとした。

それが裁判を起こした理由でもあった。ペンネームを使う権利はニキさんにある。それを「自分が知りたい」というだけで要求してくる自閉脳。他人の権利を侵害して恥じない自閉脳。これは成敗しなくてはいけない。
世の中の人は自分の疑問にすべて答えてくれるわけではない。
いくら知りたくても知る権利のないことはあるのだ。
それがわからない自閉症者は時としている。そして実に不愉快な存在だ。


ところが、ニキさんの個人情報をペラペラ敵方をなだめるためにしゃべってしまうダメダメギョーカイ人がいた。
例のブロック大先生だ。
ブロック大先生は、気がつかなかったらしい。ニキさんの情報を、彼女が隠したがっている情報をペラペラしゃべるのは彼女に対する人権侵害だと。
私が指摘したら、びっくりしていた。

思うにブロック大先生は、画面分割に失敗したんだな。
・ニキさんの権利
そして
・彼をなだめること
その二つに画面を分割できなかったのだ。支援者にも「想像力の障害」はある。
かなり強く、ある。
彼をなだめる方に注意が行き、ニキさんの権利を大先生は踏みにじった。

「発達障害と少年犯罪」を読んでわかったこと。
いかにギョーカイが虐待を警戒しているか。
逆に言うと支援者は保護者に対し「性悪説」を取っている。
親の人格を信用していないからこそ
親心を徹底的に去勢し
強く強く「障害受容」なるものを押しつけるのである。
不安に駆られた保護者たちが「治ってほしい」と思うのはたしかに危ういだろう。
ところがギョーカイが考えるよりずっと健全な親、不安の弱い保護者もいるのだ。
不安の弱い保護者の存在がギョーカイは見えていない。
一律に不安があると思っている。一律に虐待の危険があると思っている。

でも考えてみてほしい。
この一年、コロナを怖れていた花風社クラスタの人を見たことがあるだろうか?
他人が自粛していないこと、マスクしていないこと、をきーきーとがめ立てた花風社クラスタの人を見たことがあるだろうか?

不安がより強い方に合わせる それが私の言う「甘やかし」である。
この場合、「彼」はニキ・リンコが面白くなかった。
ニキ・リンコに加害者は(それに比べると)どうでもいい存在。
明らかに彼の片思いであった。
こういう場合騒ぎ立てる方のごり押しを聴く。それがギョーカイ。
とにかく「低きに合わせる」。それがギョーカイ。
そしてそのギョーカイが勝手に心配している「虐待の可能性」を、そんな可能性のない親たちにも押しつけて「ありのままを認めろ」とか言っているだけの話なのである。

虐待気味の親が「治そう」とするのはたしかに危険だろう。
だからそっちに忖度するのだろう。
だが私はあえて不安の強い人には忖度しない。
そのほうが健全な人々の健全さを守れるから。
不安の強い人々に私は興味がない。ギョーカイが対応していればいい。私は健全な人々の健全なリソースを引き出すことに興味がある。

新型コロナだって、実は曝露されていても自分の身体でやっつけてしまった人が多いだろう。
そういう個別の人体の力を計算に入れない数理モデルははずれっぱなし。人の中に備わっている力を信じていないし計算に入れていないから。
ギョーカイがやっているのはそれと同じ。
健全な親の持っている懐の深さ、たくましさが見えていない。

この一年見ていて、花風社クラスタで過剰防衛過剰自粛している人はほぼほぼ見られなかった。
自粛を自粛しまくっていた私に文句を言ってくる人はいなかった。
というか夏はみんな感染予防しながら海に山に遊んだね。
子どもの発達はつねに緊急事態。○歳の夏は一度しか来ない。親子で遊ぶことはとても大切だ。
学びの場でも他人の子のノーマスクをとがめる人などいなかった。
どちらかというと過剰な感染防止対策が子どもの発達に悪影響を及ぼすことを心配する人の方が多かった。

ギョーカイよ、見るがいい。
あなた方が想定していたのと違う客筋が確実にあるのだ。
その人たちは治したいのだ。なぜなら治ればあなた方のような想像力の障害がある支援者に一生つきまとわれずにすむから。


今の花風社は不安が比較的弱い人の集まり。
健全な人の集まり。

だから不安の強いニキさんとは路線が違い始めたのかもしれない。

でもニキさんの本を必要としている人には読んでほしい。
何より上手だし。語り口が。
異文化としての自閉がよくわかる。
読むと目の前の我が子が「かわいい」と思えるようになるのがニキさんの本。
とくに「俺ルール」と「自閉っ子におけるモンダイな想像力」が超お勧め。

今子育てに悩んでいても、ニキさんの本を読むと、色々謎が解けて、自閉っ子がかわいくなる。

いつか治るにしても、今、かわいく思える方がいいと思いませんか?
「治ってほしい」と「かわいいな」はもちろん両立しますからね。




「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか その2

2021-03-18 11:45:29 | 日記
さて、ニキさんの本を読めばわかるとおりモンダイな想像力は方向性によってはかわいい発言につながるのである。
私は今回本を読み直して、いかに私がニキさんとの仕事を楽しんでいたか思い出した。良質のフラッシュバックだった。
そもそもこの本の中ではリンコ姫、あさみリトルという二人の子ども時代のキャラも作って画伯に漫画にしてもらった。ニキさんの子ども時代と自分の子ども時代、大人の言動への受け取り方が全然違うからそこから対比させれば面白いかも、と思ったのである。ニキさんは大人の言葉を素直に(字義通りに)受け取る。けれども想像力が定型だった私はその頃からもう大人が本音を言っていないことに気づいている。子どもの頃から想像力の違いは始まっていたことをしめすためにキャラを作った。

発達障害啓発バブル時代、何人かの(何組かの)啓発部隊が全国をぐるぐる巡回していて、ニキ浅見掛け合い漫才ペアはその一つ。他の専門家の先生たちが真面目な話をする一方で私たちの講座にはいつも笑いが絶えなかった。ニキさんがあれこれ自閉の特徴を面白く語ってくれたから。
『自閉っ子におけるモンダイな想像力』にも出てくる「熟睡ガード」のネタなど確実に会場から笑いが取れる鉄板ネタだった。私たちの講演は普段悩み事の多い保護者の皆様にひとときのエンタメを提供していたと自負している。しかも聴いたあとは自閉の謎も解けているし、なんだか子どもがかわいく思えてくる。

でもずっと私はジレンマを抱えていた。
かわいいで済ませていいの?
モンダイな想像力の不便を抱えるのは本人なのだ。
それをかわいいかわいいと言って肯定していていいの?

私自身は相当想像が当たることでトクをしてきた方だった。
それが雇われていたときも高評価につながっていた。そして仕事の場で評価されることで自己肯定感っていうやつをやしなってきたと思う。
今回の口の発達講座だってそうだ。二週間前、栗本大久保対談の文字起こしを読んでいて思いついたことをかたちにしたら短期間でこれだけの学びの場ができた。そうやって私はいつも「思いつきが当たってトクをしてきた」人なのである。
その私が熟睡ガードとかかわいいとか言って済ましていていいの?

それに25周年を迎えた今、花風社は想像力の障害を治す糸口を手にしている。

身体の安定
不安の除去
○○・○○・○○への注目
選択の機会

治っちゃいそうではないか。

「治さなきゃいけないのか? 活かす方法はないのか?」という質問は参加者の方からも出た。

実際、今も昔も「天然キャラ」として愛されている子がいる。
ニキさんだってそうなんじゃないかな。偽科学批判クラスタはやけに心が狭いようだけど、何かをトンデモがってさえいればニキさんを「天然キャラ」として仲間に入れているのかもしれない。知らんけど。
ニキさんは自分の老い先短さを強調し「努力して改善したとしてもそれをエンジョイする時間が少なかったら損だから身体アプローチはやらない」と計算高く決めたけれど(そしてこの計算高さは私には決してないものだ。正直、この考え方には驚嘆した)、ちゅん平さんはそのへんの損得にこだわらず努力をしてその実りを得た。神田橋先生とお仕事をすることを選び、治る路線に乗った。そしてなんと、被雇用者として働けるようになった。それでもライブハウスの帰りに「通勤快速」が来ると「乗っていいのかな?」と一瞬考える。そのエピソードを聴いて私たちは悲しまない。むしろほっこりする。

かつてのちゅん平さんは、想像力の乏しさを活かしていた。
支援者に「あなたは世界の中心ではないのよ」と教えられて反発するどころか「あらそうだったの」と肩の荷を下ろしていた。
妙な想像をしない(余地がない)素直さは、学ぶ上での力にもなるのだ。

「天然キャラ」に治まるのでは? というご意見もあった。

私としては「そうかもしれないけど、天然キャラは収まるものであり目指すものではない」である。
むしろ
天然キャラを許容してくれるコミュニティ選びが大事かも知れないと思った。
あわれむのでもなく、かばうのでもなく、天然キャラを許してくれるコミュニティ。
ギョーカイはあわれんだりかばったりはするが、面白がりはしない。
私はあわれむことはないが、面白がる。それでも面白いから治らなくていいのか? とずっとジレンマを抱えてきた。

想像力にバグのある人が生きていくために
同調圧力をかけてこないコミュニティ選び
忖度を要求しないコミュニティ選びは大事だと思う。
そして25周年を迎えたとき、花風社クラスタはそうなっていた。
それが見えない人もいるだろう。愛着がまだ発達段階にあり、縦関係しか見えない人にはそれが見えない。パターナリズムの中で仕事をしている人、医療に世話になることが多い等の理由でパターナリズムを受け入れてしまっている人には花風社クラスタが実はバラバラの価値観で動いていることが見えないかも知れない。そして私が、それこそ理想のコミュニティだと思っていることも。
ニキさんもちゅん平さんも「いい子」だと思っているが、私が見ている二人の「いい子さ」は全く別のものであることを見抜けた人はどれくらいいるだろう。

花風社クラスタのそれぞれがやっていること、実は相当バラバラ。でもお互いのことに口出ししない。「オタクのやっていることはトンデモ」とか言わない。第一そんなにヒマじゃない。
「エビデンスガー」の人たち「えらい先生達が言ったことから外れるのは危険」と他の家の子育てまで見張っている人たちの方がずっと同調圧力と悠揚と流れる時間(皮肉です)の中にいるのだ。

そしてなぜか、同調圧力がない・少ない環境で私はずっと育ってきた。私にとってはそれは自然な環境だった。ギョーカイとギョーカイに洗脳された親たちが、初めて遭った同調圧力だったのだ。
私がこれまで同調圧力に接しないですんだ保護要因は色々あっただろう。
家庭、環境、地域性、職業等。

コロナ禍において、私は自粛を自粛しているけど、それは隠していない。
花風社クラスタの中ではとくに非難してくる人はいない(そんなにヒマじゃない)。
面白くない人はいるかもしれないけど、黙っている(そんなにヒマじゃないし)。
不要不急の旅の写真をアップすると、喜んでくれている人もいる。
別に自粛がなくたって、子育ての間はそうそう旅行なんてできるものではない。だから旅の写真を喜んでくれる人「も」いる。
とにかくみんな、そんなにヒマじゃない。


不安の除去、体調の安定とともに大事なのはコミュニティ選びだ。
そして花風社クラスタは、
・想像力の障害は治す方法がある
・想像力の障害は時としてかわいいね
の両立を可能にした。
『自閉っ子におけるモンダイな想像力』を出したころ、かわいいと思ったが不便だと思った。そしてかわいいと感じる自分にジレンマを感じていた。でも今は、選べる。
それが今ここ、だと思っている。




「想像力の障害」は治さなくてはいけないものなのか? その1

2021-03-16 09:45:13 | 日記
さて、創立25周年記念無料読書会第二弾ではニキ・リンコさんの『自閉っ子におけるモンダイな想像力』を取りあげました。

その日の午前中は栗本さんの「口の発達を考えよう」講座。
終了後栗本さんにお茶を飲んでもらいながら後始末をして、さてランチにでも・・・と思ったところに夫より情報が。街では今日サッカーの試合もあり人出が多い。飲食店もこんでいて普段は日曜日閉じている行きつけの焼肉屋さんも開いている。

「そうなの」と言いながら栗本さんと二人で街へ。
サッカーの試合が始まってユニフォーム姿の人はスタジアムに収まったのか見られませんでしたが、なんとか宣言やっているとは思えないほどの人出でした。ここでこれなら都内はいったいどうなっていることやら。

「何にします?」と栗本さんに聴きました。タイ料理もインド料理もあるよ。でも栗本さんは夫の口から「焼肉屋」という言葉が出てからずっと焼肉が脳みそにこびりついていたようです。だからとにかく焼肉。
ニキさんの言葉で言うと「先着一名様」っていうやつです。
このように非自閉っ子も「先着一名様」になることもあるし「逆行想像力」や「画面分割」に難が出ることもある。
つまり「想像力の障害」もスペクトラムなのです。
この一年さんざんそれを目撃したからこそ、この本を読書会に取りあげたかった様な気がします。

たとえば去年の緊急事態宣言。
大嘘つきの人が「42万人」「八割減」とか言った。
そうしたら神奈川県のLINE(その後ブロック済み)で毎週末成績表が送られてきた。
曰く鵠沼海岸が~箱根湯本が~ 人出がどれくらい減ったか増えたかの成績表です。
こんなもん送られても困ります。鵠沼海岸なんて一度も行ってないし箱根がガラガラなのは知ってるよ。開いてるホテル探して二度泊まりに行ったから。
そもそも感染防ぐために人出減らそうっていう話なのに県職員が出かけて野鳥の会みたいに人数えてるのかよ。それで「鵠沼海岸は76ポイントダウンでした。あと4ポイント!」とかやってるのかよ。これが逆行想像力にバグが入った状態です。
そして「とにかく感染予防」とがなりたて経済を殺してもいとわない専門家()の皆さんを見ていると、完全に画面分割に失敗していますね。
行政も医療も想像力の障害を大いに発症し、外しまくりました。

そう、特に医療クラスタがメタメタだった。
予測外しまくり。怯えまくり。脅しまくり。
私は放射脳関連騒ぎのとき比較的冷静だった彼らを思い出して不思議な感じがしました。
そして思い至りました。彼らが今回こんなに怯え、脅し、かつ予測を外し続けるのは、放射脳関連と違って今回医療従事者は全国的に(っていうか全世界的に)前線に身をさらしているからではないだろうか。
つまり「不安」が彼らの予測能力を曇らせているのではないだろうか。

前年炎上を経験し、医療従事者には呆れていました。
なんで底辺医療従事者に至るまでこれほど一般人に対し上から目線なのだ。
なぜ保険証なんてめったに使わない一般人からも毎月金奪っていきながら治らないと開き直るのだ
なぜ自分なりに治している親御さんを罵倒するのだ。自分たちが治せないくせに。

でもコロナ禍でわかりました。
いざとなると自由を制限される人たちだから他人の自由も尊重できないんだろうな。
パターナリズムが癖になっている。底辺医療ですらパターナリズムを押しつけてくる。一方で自分がパターナリズムで縛られる対象になることも平気みたいだ。口枷つけて飲食や会合制限されてそれが何年続いてもいいみたいだから。

ああ自由の身でよかった。8回GoToできる身分でよかった。

このように「不安は予測能力を曇らせるのでは」というヒントを手に入れたので、今回読み直してみたくなったんですよね。『自閉っ子におけるモンダイな想像力』を。

そもそもニキさんは不安が強い人。
私にはどうしても何に怯えているのかわからない場面で怯えていることも多かった。
だから行動原理が違った。

たとえばニキさんなら絶対「治った自慢」なんていうコーナーを作らないと思う。
そういうコーナーを作ったら面白くない人が攻撃してくることを察知し、それを防ぐために作らないと思う。
ニキさんはそういう人。
『発達障害は治りますか?』を作るときにもニキさんは参加しないと言った。
なぜなら神田橋先生と組んだりしたら「偽科学批判クラスタ」に袋だたきにされるから。
そしてニキさんは「偽科学批判クラスタ」とのつきあいを大事にしているから。
私はその頃「偽科学批判クラスタ」なんて存在も知らなかったけど、ずいぶん心の狭いコミュニティをニキさんは大事にしているんだな、としか思いませんでした。そして私はもちろんニキさんが参加しなくたってまったくかまわなかった。それってニキさんが決めることだからね。
そしてニキさんが治りたくなくたって、私が治そう路線を追求するのも、ちゅん平さんが治そう路線に乗っかるのも、またそれぞれの自由です。

私の行動原理はこう。
「治った自慢」が集まると素敵だと思う。きっと勇気づけられる人もいると思う。そういうコーナーがあって勇気づけられる人がどんどん出てくるのはいいことだから、作ろう。
面白くないやつ? いるのそんなの? よくわからないが、他人の治った自慢が嫌いな人は勝手に悔しがっていればよい。どっちみちそんなやつらとはつきあうのごめんだし。

我々が治った自慢をしていることを面白くなく思う人の気持ちはきっと、ニキさんの方がわかっていると思う。
コロナではやりの言葉になってしまったけれど
ニキさんは私よりずっと「同調圧力」ってやつに敏感だった。
というか同調圧力の強いコミュニティにいたんだ、と今になってわかる。
ニキさんが何を怖がっているのかわからなかったけど、今ならわかる。
ニキさんの方が私より、何かと同調圧力の強いコミュニティにいた。偽科学批判クラスタだけじゃなく、西日本なこととか、地方なこととか。あるいは単純に戦う体力がないこととか。
私には同調圧力を跳ね返す様々な保護要因があった。嫌いな相手には忖度しないですむ様々な保護要因が。
ニキさんは私よりずっと怖いものの多い人だった。

そして今回、
感染を、自粛警察を、マスク警察を
とにかく何が何だかわからないものを怖がっている人の多さを見て
私が気づかないいろんなものへの忖度をしている人たちを見て
そしてその人たちがことごとく予測を外していくのを見て
ふと思いついたのです。
もしかして想像力の障害って不安からきてる?
そして読み返してみると、ニキさんご自身寝不足や体調不良がモンダイな想像力を連れてくることに気づいているではありませんか。たとえば新千歳から伊丹に飛ぶのに羽田から浜松町への切符買うあのエピソードとか。

だったら日々体調を整えることを覚えた花風社クラスタにとって
凡医に「様子をみましょう」と言われたら具体的にどこをみるか覚えた花風社クラスタにとって
想像力の障害も治るものになっている?

それが読書会を企画した動機でした。

続く

何度かあの事件のことを書きます。 その5 最終回

2021-03-05 07:08:39 | 日記
さて、裁判が終わって判明したこと。
それはこの事件が初めからマッチポンプだったということだった。

なぜ「彼」が私たちを十年にわたり誹謗中傷するためだけのHPを作ったか。
それはギョーカイ人のアドバイスによるものだったのである。
「そんなに主張したいのなら自分でHPを作れば」と提言したのが、花風社クラスタの早期発見早期ブロックに励み続けている辻井政次大先生(中京大学、アスペ・エルデの会)だったのだ。

自閉脳はりちぎですからね。
その言葉のとおり、HPを立ち上げて十年やったわけです。
なんのことはない。この事件はギョーカイ人による教唆で始まったわけです。

では自閉脳は犯罪を犯しやすいのだろうか?

いくら差別と言われようと
「犯しやすい」と私は思う。
ただし条件がある。
そこに現行のギョーカイのような偏った支援が加わったなら。
とくに私たちが見たような「発達障害啓発バブル」の時代、「生きづらさは社会のせい」にされた。当事者側は理解してもらえばよく、努力する必要はないとされた。

ところが被害妄想の強い人は、他人の自由な活動によって、生きづらくなる。

けれども、私たちが榎本さんに『元刑事が見た発達障害』の中で教えてもらったように、警察は他人の自由を守るために仕事をする組織なのだ。他人の自由な活動を邪魔する者がいるとき、警察は動く。



だから嫌いな他人
主張の違う他人の成功に被害妄想を抱いてしまう人はそれだけで犯罪リスクが高まる。
ネットがあればその実行がしやすくなってしまう。

嫌いな他人が成功しても、自分には理解できない賞賛を受けていても平気でいること。
これは私による「社会性の定義」の一つである。
発達障害啓発バブルは、社会の無理解による生きづらさと、他人の自由を許せないという自閉脳の抱きがちな生きづらさを混同させ、どっちも相手に解決策を強いればいいという誤った方法を当事者に植え付けた。
その残滓はまだ、ネットの方々で見られることだろう。

私は長年、自閉症者には遵法教育が必要だと思っていた。
けれども彼らにまず必要なのはトラウマ処理である。
自分の嫌いな他人が活躍していてもそれに圧迫されないようなトラウマ処理。
その方法は言葉以前のアプローチしかない。
なぜなら言葉以前に負った傷に由来しているからだ。
だが医療は、支援ギョーカイは、それを提供しない。「社会の理解があれば」としか言わない。
この生きづらさは社会の理解がないせいだという。
自閉脳はそれをりちぎに真に受け、その矛先は自分に苦しみを与える活躍している誰かに向けられる。
苦しい。苦しみもがいていたとき、支援者が言った。
「そんなに苦しいのならHPを作ってそこで主張すれば」
それは私たち夫婦の人権侵害活動だったのだが、支援者という人たちは一般人に人権はないと思っているから平気でこういうアドバイスをする。
わかるでしょう。こういうアドバイスをするような人たちが社会との架け橋になどなれるはずがない。
遵法教育が必要なのは支援者であり、当事者に必要なのはまずトラウマ処理ののちの遵法教育だ。
だが支援はそのどちらも提供しない。寧ろ逆をやる。「生きづらいの? それって社会のせいだよ」とささやくことによって。

花風社が潰れたらどんなにうれしいか。
そう堂々と表明する人たちはたくさんいた。
でも花風社は25周年記念を迎えた。
なぜなら「花風社があってよかった」人もいるからだ。
花風社があったからお子がよくなった。そう感じる人もいるからだ。

みんなちがってみんないいとはこういうこと。
ところが支援の世界は自分のめんどりである当事者しか大事にしない。
当事者がわめくためのHP作成を促し、その結果一般人の人権侵害になっても平気なのだ。健常者は人間ではないから、支援者にとって。

私が支援の世界に別れを告げるのも当然であろう。

辻井大先生は学生ボランティアを育てているらしい。
その人たちの多くが支援者としての道を歩み始めるらしい。
その手下が県の集まりでこよりさんをにらみつけたり、栗本さんが愛知県内で講演すると妨害行為をしたり、それはそれはうまく洗脳して手先として使っているようである。
育ててしまったボランティアの就職口のためにも、支援などなくなればいいと主張する私とその支持者は目障りだろう。
なぜブロックするかというともしかしたら
支持者がいること自体に耐えられないからかもしれませんね。

最後に。
他人の子が治った治ったと喜ぶだけで傷ついてしまう人にどういう配慮をすればいいか。

それは廣木さんが主張するとおりじゃないかな。
「わかり合えない人は、放っておきましょう」



あと廣木さんは「課題の分離」という言葉も使っていたな。
治ることを邪魔する人は、彼ら自身の課題があり、それはこっちの課題とは別物なのである。

他人の子が治るだけで自分が責められていると思うような心の傷は
その人のこれまでの体験が生み出したもの。
神田橋先生が私の抱えた事件のことを
「これまでの恨み辛みを全部浅見さんにぶつけている」と解説してくださったように。

他人の治った話にいらだったり、信じられない人は
それまでの傷つき体験をぶつけてくるだけ。
十年もアンチをやっていれば
自分がアンチを続け、ときには事情をあまり知らない凡医療従事者を巻き込んでもまだ花風社が揺るがないことで
彼らの傷は十年前より深くなっているかもしれない。


でも彼らの問題は彼らの問題。
彼らの傷は彼らが癒やすしかない。
一生懸命癒やしているのだろう今も。
癒やすつもりでじっとみているのだろう。
その治療方法がうまくいっていないだけだ。
うまくいっていなければスイッチすればいいんだけど、それもうまくない人がいる。

私たちは堂々と、治っていきましょう。
そして支援がいつかいらなくなるといいね。
弱者性は早く返上したほうがいい。その方が自由に生きられるから。
制度に左右される必要もなくなる。

みんな57歳になったときは、私くらい自由だといいなと私は勝手に思っています。
もちろん押しつけはしない。
それはみんなの自由だから。
私は自由で幸せ、というだけだから。
幸せな人を増やすために仕事をしているから。





何度かあの事件のことを書きます。 その4

2021-03-03 19:55:28 | 日記
原告はうちの夫婦二人だったが、検察に呼ばれるときには、夫婦でも別々なのである(検察官は同じ)。
とくに勤め人(当社比)である夫は自由時間が私ほどなくて、タイトなスケジュールに無理やり入れ込んでもらった。
ちなみに「精神障害の手帳ホルダーを訴える」ことは勤務先にも報告しておいた。
勤務先大代表等に変な電話等が入った場合対応してもらうためである。

「彼」は内山医師の診断書を方々に送り付けていたが(これがあるとなんでも言うこと聞いてもらえるプラチナチケットだと思っていたので)
教育機関だろうと研究機関だろうと、「官」の場合には送られた方も責められるという妙な構図があった。今のコロナでもそうかもしれないが、とにかく「官」は無難が好きだから、たとえ自分のところの職員に瑕疵がなくても、そういう迷惑な文書が来るだけで宛名の当該職員が責められるという不思議な現象が見られた。
「民」はそこがもっと寛容である。だから夫も私も何に遠慮する必要もなかった。被害にあって訴訟を起こしたことを誰にも責められなかったし(国民として当然の権利だから当たり前である)「了解」という感じで代表電話等の担当者にも話を通してくれた。
私が民間好きなのは、こういう融通が効くところがあるせいでもある。
そして民間人しか社会性の障害を治せないだろう、とまで実は思っているかもしれない。
福祉や医療って、民のふりしていても金の出所が「官」なので、頭が「官」なんですよね。だからびくびく、びくびくしているんです。きっと今回も最後まで口枷を外せないでしょうね医療や福祉は。

まあともかく、勤務先の了解も取って、夫が検察に出かけた。
私も別の日に。
起訴されたことで相手には国選弁護人がつき、型通りの示談の申し入れがあったが、即座に断った。私たちが望んだのは金銭的な賠償その他ではなく、とにかく有罪になってもらうことだったからである。

二人とも同じことを検察官に訊かれていた。
「反省や謝罪を求めますか?」
そして同じ返事をしていた。
「求めません」
そんなの求めるわけがない。

と言ってもどうして求めなかったのか、二人で話し合ったことはない。
「いらないよねそんなもん」で終わり。
口裏合わせも何もしなかったが、二人とも「反省も謝罪もいらない」という意見は一致していた。それだけの話である。
だから夫の真意は知らない。ただ最近、なぜ私が「謝罪も反省もいらない」と言下に言ったのか、改めて考えてみた。

まず、自閉脳をリスペクトしていたからだろう。
当時藤川洋子先生の著作をよく読んでいた。司法と発達障害のことを掘り下げた著作の数々。そこでも藤川先生は「反省なき更生」が現実的ではないかと繰り返し書いていた。つまり、反省しなくても更生する人が発達障害者には多いし、それでいいのではないかと。
私も自閉脳の皆様との付き合いのなかでこれを実感していた。
そしてこちらとしてはやめてもらえばいいだけなので、反省をしてもらう必要はなかった。

そして合理的配慮だろう。
自閉症者に「人の気持ちがわからない」とまでは言わない(一般的にはそういう見解もあるけれど)。
けれども嫌いな相手の行動が自分を圧迫していると誤学習し、嫌いな相手の主体性を認めず気に入らないとワーワー騒ぎ立てる人たちだということは知っていた。
行動を止めることはできてもこちらにも自由があるなんて自閉症者には理解できないかもしれない。
自分の嫌いな相手にも行動と言論の自由がある。それが理解できないのが自閉症の障害特性なら合理的配慮してあげようじゃないか。だから謝罪も反省もいらない。

あと、別に彼にこちらの気持ちをわかってもらわなくていいと思っていたし、彼が私を一生恨んでも嫌いでも全く構わないと心底思っていた。
とにかく有罪になってほしかった。
それは未来につながることだから。
こういう当事者を甘やかす支援ではいけない、それでは実社会で通用しない、とこれから子育てする親御さんたちや教育関係者、そしてギョーカイに突きつけるためにも、彼には有罪になってほしかったのである。

そして私たちの希望は通った。

「彼は終始裁判官が自分の味方だと思っていたかも」というのは二名から聞いた。
うちの弁護士と、そして公判に欠かさず出かけた物好き凡心理士Zである。
そもそも法廷は三人制だったらしい。
こんなちっぽけな事件に三人制とか、東京地裁が実はこの事件を大切に思っているのかもしれないと思った。被告人が手帳ホルダーであることも関係していたかもしれない。
そして三人いる裁判官のうちの裁判長は、終始にこやかに彼に接したらしい。

「社会性の障害のある人にとっては味方に見えたかもしれない」ほど。
ところが弁護士にも心理士にもそれがテクニックだとわかっていたらしい。私は一回も行っていないからどんなもんだったかは知らない。
つまり、高額な診断費やセミナー代を二人分無料にできるような交渉能力(?)があっても、裁判長のやわらかな物腰の裏にある冷徹な判断は見抜けないのが自閉脳のようである。
社会性って奥が深いよね。

発達障害啓発バブルにちょこっと乗って(ニキ・リンコほどではなくそれが彼の腹立ちの種だったわけだが)
プラチナチケットは判決に効いたか?

効かなかった。
むしろ重い判決が出た。

なぜか?
「改悛の情」っていうやつである。

彼は「違法だと知らなかった。わかったのでもうやらない」と言ったそうである。
そしてそれはこちらにしてみると、引き出したかった最大の答えである。
なぜなら自閉脳としては、精いっぱいの理解だから。
どうせ嫌いな相手が人間としての権利を有しているとはわからないのが自閉症なのだ。
ところが一般人である司法関係者はそう取らなかった。
たんに違法だという知識を得たからもうやらない、とだけ言った彼の言葉を
「改悛の情がない」と断じた。
原告である我々二人が改悛の情など求めなかったのに
司法はそれを理由に刑をむしろ重くした。
プラチナチケットどころかむしろ足かせになった障害特性。

このあたりのギャップ。
実社会と支援の世界の違い。
これをよく知っておいた方がいい。
「反省なき更生で十分」
これこそが社会に求める理解ではないのか。

ちなみに後日談が。

『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』が本になり、藤家寛子さんが読んでくれた。
そして言った。
「彼はやはりひどいと思う。浅見さんたちの気持ちを全然わかっていない」

広島の駅前での出来事だった。
二人で講演に出かけたときのことだ。

つまり相当治ったあと(今ほどじゃないけど)。
治ると「人の気持ち」に思いを馳せるようになるのである。
赤本の頃はお父さんに「死んだらちょうだい」と言っていた人が
私たちのつらさに思いを馳せてくれたのである。

やっぱり治ったほうがいいでしょ。
治る人と治らない人
皆さんはお子さんにどちらを望みますか?

何度かあの事件のことを書きます。 その3

2021-03-02 18:31:06 | 日記
いやあ、凡心理士Zへの反響にはびっくり。
「いるいる」っていう感じ。

そもそも人間は、本能的に健康な人が好きなはず。
それを不健康な人間、妄想に取りつかれている人間に萌える心理士等の援助職って、私から見ると変態スペクトラムなんですが、そういう援助職が少なくない、ということを心理士ギョーカイからも教えてもらいましたわ。

そしててらっこ塾大久保さんのこの言葉が示唆に富んでいた。

=====

学生時代から趣味が「人間観察」と言う人とは付き合わないようにしている。
でも、このギョーカイに入って気づいたのは、愛着障害の支援者と同じくらい、当事者を観察の眼差しで見ている支援者が多いということ。
だからそもそも本人たちの辛さをどうにかしようという発想が出てこない。
理解ばかり。

=====

なるほどです。
観察すること自体に喜びを覚える変態たちにとっては、「つらさをどうにかしよう」なんて思うわけがない。だってつらがっているのが面白いんだからね。そこに欲情しているんだからね。欲情の対象を変えようとするわけがない。よくわかりました。

私がニキさん藤家さんに最初に治ってもらいたいと思ったのは(創立25周年記念動画2を参照してください)
別に彼女たちが萌えの対象ではなく、「仕事仲間だったから」っていうのもわかりますね。


さて、そうやって凡心理士Zは怪文書を受け取っても何も言わず(クライエントじゃないし(笑))

主治医はごねられて20万円×2名を無料にし

また別の有名団体は海外の研究者を招聘したたか~いセミナー(ビジネスクラスで海外から呼ぶ飛行機代通訳代その他が反映されたたか~いセミナー)に彼と主治医を無料で招待した。

どうしてか?

ここでもまたごねたわけです。「障害者で収入がないから払えないから無料で参加させろ」と。そして主催者は障害者割引、どころかご招待して、その条件が「主治医と一緒に来てください」ということ。つまり数万円×2名分を無料にした。患者の交渉によってのこのこ無料で出ていく主治医もすごいよね。

こうやって支援職はそろいもそろって彼を甘やかし、彼は立派に「障害者であることに甘える」大人になったわけです。
「自分は障害者である」ことを前面に出せば世の中は思い通りになると思ったのでしょう。そしてその誤学習を培ったのはギョーカイです。
私が普段から「自閉脳とギョーカイの体質が合わさって起きた事件」と言っているのは、そういうことなわけです。

こうやってさんざん甘やかされてきたから、うちにも甘ったれたことを言ってきたのだと思う。

「ニキ・リンコが実在するかどうか気になって夜も眠れない」(いや、寝なければいいのでは?)
「パスポートか源泉徴収票を見せろ」(だったら入国管理官か税務署員になれば?」)

っていうわけでわざわざコンタクトして住所知らせてくれたので、そこに訴状を送りました。
彼は厚生労働省にまで「浅見は障害者を訴えるようなひどい人間である」と言いつけに行っていましたが、そんなもの法治国家なのですから他人の権利を侵害したら訴えられるのは当たり前です。障害者割引をするギョーカイの方がおかしいだけ。
でもそういうおかしな言動をするくらい、支援者たちは彼を甘やかしたのですよね。

それは支援者たちに能力がない、実行力がない、っていうのもあるかもしれないけど
やはり「妄想を持っていたりする頭のおかしなひとたちが基本的に大好きで見守って愛でていたい」という変態性があるからだと思います。
そういう人たちが言う「ありのままでいいんだよ」
受け入れられますか? 皆さん。

この勝手に疑問を抱いて勝手に答えを迫って答えてもらえないと駄々をこねる
という自閉脳の迷惑パターンはSNSとかでも見られます。
花風社クラスタもおととしそういう目にあって、みんな一層決意を固めましたね。

「やはり迷惑だから治さなくては」

そういうことですね。

さて、凡心理士Zはまだ関わり続けます。
判決まで。
そして判決後、どういうことになったでしょう。
判決に障害者割引はあったでしょうか?
それはまた後日。