治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「自分を傷つける人」を悪人と思ってしまう単純アタマについて

2018-07-31 07:07:55 | 日記
さて、まずはねてまてさんのコメントを一部引用させていただきます。

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なんだったんだろう (ねてまて)
2018-07-29 14:09:56
いかにも何か行動しますみたいなことをツイートしているのに、きっとなにもしない。
または、ツイートで対話してますって…。
道徳心や自分の正義感の押しつけ?
いやですね。なんだろう、一部だけでもすごく感じ悪い。

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こんなこと言う人よく沸いてきますね。



私がこの手の発言に思うことは「ああ、この人は実生活で力のない人なんだろうな」っていうことです。
まずこのツイート主が言っている「誹謗中傷アカウント」は非実在です。あえていうと私のアカウント? でもそれだと「散見」にならない。つまりこういう人にとっては誰かが治ったから治ったと素直に表明しているだけで「見るに耐えない」んです。要するに卑屈なんですね。そしてその卑屈さから目を背け、自分を傷つける発言を「いけないこと」と正義に置き換えている。卑屈で実行力のない人あるあるです。ニキさんが『自閉っ子のための努力と手抜き入門』で言っている「正しい社会」と「自分好みの社会」の区別がつかない段階の人ですね。

そして実生活で力を発揮できていない人って、自信がないもんだから、こういうときに自分で浅見をやっつけるのではなく、誰かえらい人がやっつけてくれることを夢見る。だから有力な医者とか弁護士とかそういう人を持ち出す。厚生労働省ガーもありましたね。医者じゃなきゃ治るという言葉は使ってはいかんのだと厚生労働省に言いつけてやると。だったら厚生労働省に言いつけてみればいいですね。そして厚生労働省が万が一「医者じゃなきゃ治るという言葉を使ってはいかん」という見解を出したら今度は憲法論議になりますね。医学界の言う「治る」以外「治ると認めない」と医療者じゃない人(当事者保護者を含む)に押しつけるのなら権力が「治る」という極めて普通の日本語に制限を加えることになりますから。権力による検閲は日本国憲法で禁止されていますから厚生労働省もそういう話には乗れないはずですが自分で浅見をやっつけられない人は「誰かえらい人を連れてきたらびびるにちがいない」と夢を見るわけです。びびりやの自分の姿を投影し、社会の仕組みを知らず、そして「自分好み」と「社会的に正しい」の区別がつかない発達段階にいる人たちはこういう的外れな攻撃を加えてきます。

私がこういう人たちにどうせ何もできないというねてまてさんと同じ見解を持つのはなぜか? それはこういう人たちが我が子の不登校ひとつ解決できないでいるからです。私も経験ありますが、誰かを法的に処罰してもらうのはとても手間や根気のかかること。つきつめてつきつめて考えてしかもそれを実行に移さないといけないことです。子どもの不登校ひとつ治せない親にできることではないのです。

たとえば猫本こと『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』の中でこよりさんはお子さんの偏食を治すのに「白いもの時代」があったことを教えてくれています。白いものから徐々に徐々に受け入れられる味覚を広げていった。同じく偏食を治したいぬこさんのおうちの場合は「小丸時代」があったそうです。小丸なら食べる。だからあらゆる食べ物を小丸に作り上げた。とんかつも小丸にして揚げたそうです。

治す人っていうのはそこまでやるんです。一方で「偏食があるのは仕方がない」と諦め、理解しない学校現場を罵ることで一日を費やしている親もいる。偏食を治す親たちはその瞬間にもツイッターにはりつくのではなく丸いとんかつを作っている。治す親とそうじゃない親は時間の使い方、そして実行機能が全く違うのです。

不登校正当化親たちはそこまでやれない人たち。そして学校に行かない子どもとそこになすすべもない自分を正当化するために社会の理解ガーの方に走る。社会をこき下ろす方に走る。それは弱さなんです。実行機能のなさなんです。

私を含めた皆さんが覚えておかなければいけないことは、「自分を傷つけるからって悪人とは限らない」っていうことです。治った人は治ったという。それが面白くないのは等身大の自分をベースに努力を積み重ねられない自分の方に問題があります。治ることを全くあきらめていたら面白くないとは思わないはず。どこか未練があるからこそそれを達成した人が「見るに耐えない」んです。

逆に考えると自分を傷つける各種発言は、「傷つけようとして」発せられたものではない。発した人にとっては真実である。でもそれが自分にとっての真実ではないのなら傷つく必要なんてないんです。自分は自分なのですから。自分が持っていないものを持っている人はいます。その人たちの発言にいちいち傷ついていたらそりゃあ社会は生きづらいでしょうね。

そして花風社クラスタの治っている人、治った人におかれましては覚えておいてほしいんです。「治った!」と喜んで「じゃあ私もやってみようかな?」と思う人たちもいます。今般の炎上でもいました。一方で「治った!」と喜んでる姿を見て「見るに耐えない」という人もいます。皆さんはどっちの友だちになりたいですか? っていうことです。治った人が発言することで傷つく人と勇気を得る人、どっちを選びますか? っていうことです。どっちを増やしたいですか? っていうことです。そうやって道を選ぶことで、誰だって影響力を持っているのです。

私は治った話を聞いていじける人ではなく勇気を持つ人の方が好きです。人として好きです。っていうか、他人が治った話を聞いていじけ、いじける自分を認めたくなくてえらい人を持ってくるようなちきんは大嫌いです。

だから治った話はどんどん出していきます。治る人を増やし、そして治らない人をますますいじけさせるためにも治った話をどんどん出していきます。

好きな人を励まし、嫌いな人をやっつける。やられたらやり返す。それは人として当たり前の行動だと思っています。



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「こいつうざい」と判断できる能力

2018-07-29 10:18:07 | 日記


昨日読者の方(絶賛治ってる中)のツイートを見て思ったことです。
これです。

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あのね、なかなか「うぜぇ」って、思えないの。すごく出し辛い感情カードです。ツイッター上の話でははありません。「うぜぇ」って面と向かって口に出すのはどうかと思うけど・・でも言わなきゃ伝わらない時も正直あると思う。「うぜぇんだよ」って言葉が心の中で出せなくて悶々とする時があります。

なんで「うぜぇ」大事かって言うと、理不尽な侵入を防ぐ言葉だから。でも私の中でとっても禁止の強い言葉で、なかなか引き出せなくて苦しむことがあります。

やっぱり昨日調子悪いな、と思ってたらそうだった。前述の通り「くっそうぜぇわ」ってことがあったわけで、そのうぜぇには自分に気がつけたんだけどまだモヤモヤしてて、モロー反射の解除やったらめちゃくちゃ効いて肩が軽くなって重苦しさがなくなった。ちょっとびっくりするくらい楽になった。

やっぱり何かを感じ取って身体の方が先に防御態勢に入っていたのかも。かもってかそう。うわーこの身体と心のズレ、気をつけよう。なんとかしたい。そして小まめにモロー反射の解除しようっと。いい勉強になった!

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そういえば「これはうざい」「こいつうざい」ってとっさに思えるって一つの能力なんだなあ、と。そしてこの方がおっしゃるとおり理不尽に侵入されることを防げるからだと。それを表していい場面かどうかは別として。表してよくないときはなんか身体的に解決するといいと思うししていると思うんですよ自然に。

そして私は「こいつうざい」と思ったときに

1 とっさに「うざい」と思える
2 表していい場面が多い(理由は後述)

なもんでどんどん「うざいと思える能力」が発達した気がします。
この能力の発達を目指すかどうかはそれぞれが判断すればいいことですが、一応能力のある者から能力を発達させたい人へアドバイスがあるとすれば、小学校で習った道徳をいったん「オフ」にすることですかね。「人の悪口を言ってはいけません」みたいなくだらないアドバイス。それは美しい心がけかもしれませんが「誰が好きで誰が嫌いか自分で決めて表明する」のは主体性を育む活動ですのでこの手の小学校教育を真に受けていると大人になって病みます。「人の悪口を言ってはいけません」はあくまで学級運営上のご都合トークでありそれを教えてくれた先生も職員室では陰惨な悪口の応酬をしているはずなので真に受けることないですよ。

大人になると主体的に道を選べない人は損をしますね。たとえば先日どっかの猿烏賊が「なんとか体操で発達障害が治るのならとっくに病院でやっているはず」とか酸っぱい葡萄していましたがこの人は病院にそんなに恩義があるのでしょうか。たいていの発達障害児の親は診断「下されて」一生治らないと告げられ環境調整薬物処方無理をさせてはいけません周囲が我慢しなさい親として障害受容ガーをやられているだけなのではっきり言って病院はあんまり役に立っていないことが多くその病院が「役に立つものなら取り入れているはず」と過大評価するのは来てくれない男に操を立てて場末の酒場で待ち続ける昭和演歌の薄幸な女みたいです。それに比べて「病院使えない~」「一生治らないとかむかつく~」「数分みただけでインチキ占い~」と主体的に判断できる人は「治る」への道を歩み始めるわけです。だから「なんだかこいつだめ」という感覚はとても大事にした方がいい。「うざい」もその一角です。

そして私は「先日の炎上クラスタをなぜ出歯亀と呼ぶか」を説明するのを忘れていました。猿烏賊については説明したので、出歯亀についても説明しておきましょう。命名のきっかけをくれた出歯亀のツイートを貼っておきましょうかね。一部松崎先生が入り込んでるね。いいこと言ってるね。











この人は新幹線事件に関する私の言動に腹を立てたらしい。ちなみに赤本の読者だそうです。そしてニキさんと私が登壇した会にも来たらしい。そのときニキさんは相当感覚過敏がつらそうだったころ。今はどうなんだろ? と疑問を持っているらしいですから赤い方だけしか読んでいない人ですね。つまり、変態です。私の一つの変態の定義とは「弱みにだけ萌える」人のこと。多くのギョーカイ人が雨が痛い風が痛いことには萌えて治ったことに興味を持たない。だから私は多くのギョーカイ人を変態だと思っています。



そしてこの人の変態性はそこだけじゃありません。第一対話とか言って私はこの人と対話なんてする気ないし。おまけにこの人は私がフォローしている人に興味を持ち、なんでその人たちをフォローするのか訊ねるのです。まずそれがうざい。あ、私の一つの特徴として、これは愛着の問題を抱えている人とはもしかしたらベクトルが逆かもしれませんが「過度に関心もたれるのがうざい」というのがあります。うちの親なんか今になっても電話で声聞くと全然問題ないのに「風邪引いた?」とか言うことがあります。なんか閾値が低いみたいね親って。うざいね。同じく多少の体調不良をSNSで報告する人いますがあれもしない。だいじょぶがられるのがうざい人なんです私。「風邪引いた?」とか書くと「お大事に」とか返ってくるじゃないですか。あれがうざくて多少の体調不良は表明しません。

親にさえ関心もたれるのがうざいのだから、誰をフォローしているかなんて見も知らない人にきかれる時点でうざい。勝手に対話とか持ちかけられるのもうざい。でもそれほど知りたいのなら会社にメールくれと言ったら(こっぱみじんにやっつけるつもりでした)「公開でやりたい」だと。そしてそのために「勇気」とか「決意」とかそういうキレイキレイな言葉を出す。実に卑怯です。でもそのココロは友だちののぞき見趣味を満足させるため。まるで「白いご飯が食べられて~」でかどわかす人買いみたいです。つまりこいつらは本物の変態、のぞき屋集団です。ここで「出歯亀」の命名決定。前回の炎上は「エビデンスがないものに乗り出すくらいなら子どもが発達しなくてもかまわない」人たち。「子どもにエサの取り方を教えて食べていける存在に育てる」という生き物としての基本よりよりによって発達という大変個別的なものにいまんとこ全くあてにならないエビデンスがあると自分でフレコミしている方法への固執を優先させた思考停止の人たちです。だから「猿烏賊」。そして今度の不登校クラスタは不登校らしく身体の動かない口だけののぞき趣味の人たち。だから「出歯亀」。わかりやすいでしょ?



そしてなぜ私がうざいことをうざいと表していいかというと、私は基本誰とも仲良くする気がないからです。『発達障害者支援法は誰を救ったか?』にはこう書きましたね。


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 発達障害者支援法がなくなればいいとは思わない。助かった人もいるだろう。けれども、発達障害者支援法にあぐらをかいて、当事者のかけがえのない人生と引き換えに、実効性のない支援をえんえんと続けてもよい安心感をある種の支援者に与えてしまったのはたしかなのである。

 一時「この世界、誰とも仲良くしたくない。というか、誰とも仲良くしなくてすむのならもう少し発達障害やってもいい」と考えていた私だが、気づけば仲間ができている。その仲間は発達障害者支援法から甘い汁を吸う生態系――すなわち医療を頂点とし、医療に診断を「下し」てもらうところから「治さず伸ばさずめんどりとして育てて顔色を伺い合って甘い汁をくるくる回し当事者保護者を置き去りにするギョーカイ」――とは違う生態系をなすこととなった。

 そしてそこで実践しているのは「発達援助の非医療化」である。発達援助を医療からも福祉からもできるだけ遠い場所でやること。一般社会の中でやること。なので、別に医者はいらないのである。そして金もかからない。ので公金に頼らないですむ。何より、支援者に頼らないで済む。そういう本を出してきたし、出していくつもりだ。
 発達援助が医療や支援と距離をとってこそ、当事者は主体的に生きられるのである。

 これからも私は「支援者はあくまで金のためにやっている」「発達障害者支援法とは支援者たちが予算を勝ち取るためにできた法律である」ことを間断なく皆にリマインドし続けていく。そして読者がたとえ(一時的に)支援を利用したとしても、指導権を支援者に渡さず主体的な生を生きられるよう、呼びかけていきたい。
 せっかく生まれてきたのだから。

 そして私は一人でも多くの発達障害の子が一般社会へと羽ばたけることを目標にする。だからこそ、ギョーカイ内の主流派非主流派争いとも距離を置く。主流派を巡っての争いは、公金をめぐっての争いであり、やたらエビデンスにこだわるのも公金がほしいからである(もっともエビデンスについては、製薬会社との絡みを教えてくれたドクターもいた。いずれにせよ、我が子の将来を思う保護者には統計など関係ない。我が子が治ることを、改善することを、幸せに社会で生きることを望むだけだ)。

 私はギョーカイとはきっぱり決別したが、それでも仲間がいる。「治そう」とたった一人で言い始め、ギョーカイにひんしゅくを買っても好き放題言っているうちに仲間はできた。そして、ギョーカイに特定の敵もいない。言ってしまえば、ギョーカイすべてが敵である。なぜなら一般人だから。納税者だから。納税者だから成果も見せずに公金に群がる人々は正しいことをしていないと思う。そして遠慮なくそれを表明し続けるだけのことである。

=====

私は仲間を作る気はないのです。
そこが私の強みなのです。

勝手にいつのまにか仲間ができるのは別にいい。そして日々花風社を発見し勝手に仲間になってくれたらそれは歓迎します。でも全く考えの違う人、志の違う人を説得する気もないし仲間になりたくてその人たちと対話する気も妥協する気もない。そしてそういう人たちののぞき趣味に巻き込まれそうになったらはっきり「変態」と呼びますよ。だって変態だもん。

というわけで誰かを「うざい」と思うのは主体性が育まれている証拠でもあります。
表現方法はそれぞれの立場で選択しなければいけませんが(言葉では出さず身体的に解決することも含めて)「うざい」と思うのは悪いことではないのです。

そして私と違って仲間がほしいと切望している皆さん。
これはそれこそ単なる1エピソードですが、私の場合、誰かに遠慮して発言を控えることではなく、率直に世に思うことを叩かれても叩かれても曲げないことで、仲間ができましたよ。
これは私にとって一生使える方法なので、今後も誰かの顔色を伺って言論を変えることはないと思います。

私の率直な思いの最新版




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通勤快速

2018-07-28 09:33:21 | 日記
6月の講座に二泊三日でやってきたちゅん平さんは都会生活をエンジョイしました。
まずは1日目。こちらのお友だちにろっぽんぎのライブハウスにつれていってもらったそうです。
ろっぽんぎのライブハウス。ぎろっぽんです。
横浜方面に泊まっていたので、帰り中目黒で東横線を待っていたら、「通勤快速」が来たそうです。

そうしたらちゅん平さんは一瞬「乗っていいのかな?」と迷ったそうです。
久々の自閉脳登場。
つまり

自分はライブハウスの帰り→通勤してない→通勤快速と銘打っている以上は通勤の人専門なのだろうか

という発想ですね。
そして自分で「わ~久しぶりに自閉っぽい発想しちゃったよ~」と突っ込んで無事に乗りホテルにもどったそうです。

この話聞いて私は「自閉っ子あるある」なので笑いました。
私は発達障害は治そうよと言いますが、一方で自閉文化は異文化としてとらえています。そして異文化ですから尊重しています。
でも不便そうなところはどうにかしようよ、という意味で「治そう」と言っています。睡眠障害なくなったほうがいいし、感覚過敏なくなったほうがいいし、季節によって翻弄されるのもなくなったほうがいい。そしてそれがなくなるとメンタルにも学習能力といった一次障害にもいい影響が出てくるのは皆さんご存じのとおり。それでも今回「通勤快速」に対してちゅん平さんが見せたような言葉へのハイパーりちぎさは残っているんだなあ、これが自閉文化なんだなあと思ったのです。まあこういうハイパーりちぎな認知は一瞬不便かもしれませんが、ここまで来ると別に治ってもそのままでもいいよね、と私は思います。少なくとも自傷や他害のように、感覚過敏のように、躍起になって治さなくて別にいいと思います。

そして発達障害って、自閉症って人による、って言いながら、やはり通底して持っているものがあるんですよね。
私はこの話を別の自閉の人にしました。
例のやまゆり園の模倣犯に間違えられた彼です。
夏休みで横浜に凱旋していたので、榎本さんと三人でシウマイ弁当おしゃべりをしました。ハマっ子にとってのソウルフードを囲みながら、ギョーカイの悪口で楽しい時間を過ごしました。
そのときにこの話をしたら「自分だったらやっぱり無難に急行とかで帰ってきますね」と言ったので笑いました。
この方は週五日勤務続けられただけあって身体は丈夫そうで、かつてのちゅん平さんのような感覚過敏とかはなさそうだったけど、でも文化は一緒なんだなあと思いました。

私はこの文化が結構好きなのかもしれません。
面白いから。
でもだから「発達障害治ってほしくない」とは思わないですね。
これが治るべきものかどうかも、治すべきものかどうかも、ギャラリーではなく本人たちが決めること。
そして治りたいと思ったときに選択肢を用意しておきたいな、自分がそういう役割をできるといいな、と思ってやってきました。
何よりも「苦しいところは治したいと思っていいんだよ」と伝え続ける人が一人くらいいてもいいと思っています。「治らなくていい」っていうことは、=「ずっと苦しいままでいなさい」ということなんだけど、そうささやくのが支援だってカンチガイしていますからね、ギョーカイは。

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うつろな目に輝きが点るとき

2018-07-27 06:31:23 | 日記
6月30日の会の時、こよりさんがご子息お二人の写真を持ってきてくださった。
子どもの頃からの変遷である。
そのときに私が知ったのは
「ああ、これ療育的介入をしても無駄だと親御さんとして判断した時期があったのは当然だな」である。

写真で見る変遷に驚くが、写真をそのまま出すわけにはもちろんいかないので
画伯にお願いしてイラストにしてもらいました。
これ、必見です。
(私の描いたおさかなにも注目!)
似顔絵では定評のある画伯。たぶん目の付け所が正しいだろうから。

「今はまだ療育しても無駄」とか
「これなら学校行けなくても仕方がない」とこよりさんが判断していたという時期は
とにかく目がうつろな感じがした。
うつろというか、「何も見えていない」。
外の世界が脳みそに入っていっていない感じである。
感覚器官が自分で情報を取りに行っていない、とも言えるかもしれない。
これが「発達の遅れ」なのかもしれない。
なんというか、普通の子どもの顔ではない。
好奇心いっぱい、元気いっぱいの顔ではないのだ。

けれどもその目に輝きが点ってくる。
そうするとやることやること発達援助になっていく。
こよりさんのおうちは「幸い」山奥の何もないところで、介護すべき高齢者の方を複数抱え、そして当時は早期診断早期介入も今ほどうるさく言われておらず、ギョーカイによる売り込みからも無縁でいられた。
だからこんな夏休みを過ごされたようだ。
なんだか懐かしい。
全く違った時代に違った場所で子どもとして夏を送った私だけれど、こういう夏休みがなんだか懐かしい。
それはそういう日々の積み重ねこそが、土台を作ってきたからだろうと思う。

今は夏休みとなると、子ども向けイベントがこれでもかというほど用意されている。都会はとくにそうだろう。
汗水垂らし、行列に並んで、混雑の中大人と子どもで1万円くらいとられて、というそういうところに出かけるイベントもたまにはいいけれど、日常の中でお昼に一緒におそうめんゆでたり、そういう安上がりな日常が結局大人になって大切だとわかると思う。
そしてうつろな目に光をともすのは、おそらくなんとかフェアとかへのお出かけではなく、ましてや高度に産業化された給付ビジネスの仕切る療育の場でもなく、家族で一緒に日常生活の何かに取り組んだことだと思う。

皆さんいい夏を過ごしてください。
○歳の夏、は人生一度きりですから。



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寝起きが上手になる

2018-07-24 08:50:00 | 日記
身体アプローチやって、朝起きるのが上手になった人が多いそうです。
多いそうですとしか書けないのは、「朝起きられない」ことがどういうことか自分ではわからないからです。いや、まだ寝ていたいけど用事があって起きなきゃ行けない時のつらさはわかります。とくに冬。でも「起きたのに身体が動かない」感覚はわかりません。でも凸凹な人々周辺ではそういうトラブルが多いらしく、それが不登校等の隠れた原因ではないかということ。

なるほど。

だったら不登校クラスタにおかれましては、負け惜しみで学校ディスってるより「目が覚めたら起き上がれる身体」になった方が話が早いですね。黄色本芋本根っこ本あたりでどうにかなるようですよ。不登校スペクトラムの皆さんは時間のある夏休みのうちにコンディショニングの習慣をつけるといいですね。

金魚体操二十分する、っていうツイートを何度か読んだのですが、やはりどうしても意味がわかりませんでした。私は寝る前の金魚は5~10往復以内に寝落ちしますので、どうしても二十分は続かないと思います。それと最近☆☆育てがエスカレートしてしまって、どんどん負荷が重くなるんですけど筋肉痛がない。同じくストレッチをパーソナルトレーナーつけてやって「筋肉痛出ると思います」とか言われたけどそれも一切ない。それはたぶんめんどくさい整備体操の代わりにバランスボールに足乗っけた金魚をしてあとよく寝ているからじゃないかと思います。睡眠がとりわけ長いとは思わないのですが(短いとも思いませんが)深いのかもしれませんね。

たとえば猿烏賊だの出歯亀だのが沸いてきて炎上になってアタマに来るとします。じゃあむしゃくしゃして寝られないかって言うとそんなことは全くなく、どんなにアタマにきてても夜になったら自然に眠くなり眠ります。そして朝起きたら元気なので朝ご飯を作り、食べ、元気いっぱいで売られた喧嘩を買うようなブログを書く。「私に打ち勝ちたいなら睡眠障害治してから来い」っていうのはそういうことです。寝られなかったり、食が細かったり、仕事うまくいってなかったり、身内とうまくいってなかったりするのが私を倒そうとするのは無理なんです。土台が違いすぎる。

だから社会を罵ったり学校システムをうんぬんしたりする前にまず睡眠を整えたらいいんじゃないかと思うのですけどね。学校も環境で環境調整を求める気持ちもわかりますけど、一番身近な環境は一人称の身体、そして次に身近なのは二人称の身体、すなわち支援する方(支援者・保護者)の身体状況です。そっちの方が変えやすいんですよ、社会より。そして変えると気分がいいんです。
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合理的配慮と水分補給

2018-07-22 09:15:56 | 日記
猛暑と学校が話題になっていますね。
悲しい出来事もありましたが、今回驚いたのは「水分摂取」という生存権にかかわることを教師が一存で決めていること。登下校中の水分摂取は不可で、40分の徒歩通学に関しても例外ではない、などという話を聞いて驚愕しましたが、これは憲法違反ではないかと思います。今話題の憲法25条ですよ。

そもそも『元刑事が見た発達障害』をお読みの方は、警察が何を守っているかをしっているでしょう。そうしたら学校の「登下校中の水分摂取不可」もおまわりさんに取り締まってもらった方がいいかもしれませんね。法律を知らないから教師はこういう無体なことをするのでしょう。

それと教師の中には一定数の変態が含まれていますね。毎年毎年わいせつ事件が起きますが、以前ツイッターで「トイレに行っていいですかときかれてダメと言ったときの小学生が絶望する顔を見るのが好きだから許可を出さない」というツイートが回ってきてムカムカしましたが、どうも人が苦しむのを見るのが好きな人間が教師の中には含まれているのではないでしょうか。ま、それはギョーカイも同じ。雨が痛い風が痛いという話には萌えてその後治った話には興味を持たない。赤い方しか読んでない。そういう支援者は単なる自閉オタクであり支援をする気はないわけです。ただ苦しい話に萌えるだけ。つまり変態です。そう、ギョーカイにもかなり変態が紛れ込んでいますね。



まあそんなこんなで学校が法律を守っていないことはわかるんですけどじゃあ科学的かっていうとそうでもなさそうですね。私は何度聞いても腑に落ちなかったのかったのは「水筒持参が許可されていても許可されているのは水かお茶」っていうところです。

水は水分補給になります。でもお茶は、とくにカフェインが含まれて利尿作用のあるものは、水分補給にならない、っていうか逆効果でしょう。芋本こと『芋づる式に治そう!』にも書いてあるし、そもそも皆さん自分の身体で確かめられないですかね?

私たちが子どものころは夏のお茶って言ったら麦茶で、麦茶はカフェインレスだからまだいいんですけど、水のように身体にしみわたる感じはしない。今みたいにペットボトルを通じて緑茶の冷たいのが行き渡るとこれを水筒に入れていったら脱水症状はむしろ悪化するのではないかとそっちが心配なんですけどね。

ところが見ていると、水収支怪しげな人に限って水は飲まずにお茶ばかり飲むんですよね。そしてなぜ水飲まないのか聞くと水はおいしく感じないらしい。ものすごく水のまずい地域の水道水ならともかく、とりあえず浄水器を通したり売ってる水を飲んでおいしいと感じないとしたらかなり身体がやばいのではないのかと思うのですが。

私は水分補給にはもっぱら水ですが、夏は体液が薄くなるときもあるのでしょう。一夏に二、三回はスポーツ飲料がほしくなります。そしてあれがほしくなったときには体調悪いんだろうなと自分で目安にしています。そのときは素直に飲みますがまあだいたいペットボトルの半分くらいで飽きてあとは水で薄めたりしますね。

スタバ的などこかに入ってブラックコーヒー以外のものがほしくなったら風邪引く前、と目安にしています。

子どもの頃は甘い飲み物が好きっていうのはわかります。たとえばカルピスなんて、なんであんなに憧れたのでしょうか。今は水とカルピスと選べるなら水選びますよね。

そして子どもが甘い飲み物が好きな故に学校はジュースを禁止するのかもしれませんが、はっきり言ってお茶よりジュースの方が補水としてはマシですよね。水をごくごく飲めるのが一番健康だと思いますが昨日ツイッターで見た限りでも水苦手な人いるようなのでそれならジュースの方がまだマシだと思いますけどね。

スポーツ飲料はジュースの部類だから禁止、でもお茶は許可、なんて本当に科学的ではないですね。

脱水症状を防ぐには水分補給だけではなく、カフェインとアルコールの制限が効果があるような気がするのですが経済が停滞しないようテレビでは呼びかけないかもですね。

いずれにせよ深酒の経験がある皆さんは含私、翌朝の水やお味噌汁のおいしさを知っていると思います。あれは身体が回復したがっているからです。

要するに「何が合理的か」という判断基準が学校にはなく、どっちかというと「何が苦痛を与えられるか」が基準になっている上に愛着障害ゆえになけなしの全能感を持ちたい教師が絡んでくると変な基準ができあがってくるのかもしれません。

それと「他人が苦しんでいる顔を見るのが好き」という変態性。これを持っている人が担任になるとやっかいですね。

そのときには『元刑事が見た発達障害』で習った警察法、『芋づる式に治そう!』で習った水収支、そして日本国憲法でバカ教師から我が子我が身を防衛しましょう。

それと改めてこの本をどうぞ。

学校全体の水分補給にさえ人権侵害が堂々と行われている学校で合理的配慮を要求することの大変さがわかります。

でもそれは不登校を正当化しません。それも憲法で定められていますから。不登校を合法にしたければ憲法改正してくださいませ不登校クラスタの皆様。九条だけが憲法ではありませんよ。





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支援がアリバイかどうかを見分ける

2018-07-20 09:42:55 | 日記
各地で猛暑、そして学校にエアコンがないことが問題になっていますが、今朝の大阪市長及び橋下徹氏のツイートをもってきます。

吉村大阪市長ツイート



橋下氏ツイート1



橋下氏ツイート2



つまり行政は、とくに選挙前の首長などは、学校にエアコンを設置するための「調査費用として」予算を計上し調査をする。そうやって「やってますやってます」というアリバイ作りをするのですな。そしてその調査費は、それぞれのギョーカイに流れて終わりなのです。行政は「やってますやってます」の姿勢を見せられる。そしてギョーカイは金をゲットする。そして調査をする。終わり。特別支援に関してもよこはま発達クリニックとかが数千万予算をもらってなんか報告書みたいなのだしてましたけど、それで行政とギョーカイは両方ハッピー。ハッピーじゃないのはなんだかわからん調査に金使われた一般納税者と「やってますやってます」と行政に言われる割には一向に生きやすくならない当事者保護者です。

実際に大阪市内の全小中にエアコンを設置するには350億円かかったそうで、だったら1000万円調査費なんかかけるよりただちに350億円の金をひねり出した方が実現の近道である、と橋下氏は言われているわけです。ど正論ですね。

この夏発達障害の分野でも各セミナーが行われていて、相変わらず「社会の理解ガー」のセミナーもあるのでしょうが、そんなのやってもトクするのは金太郎飴のごとく決まったメンツのギョーカイ人だけ。皆さんが命を賭してこの猛暑の中出かけていく場所ではありません。社会の理解ガーといくら訴えても生きやすくなんかならないことはもう13年かけて証明されているのですから。それよりは治った方がいいですね。

今日朝NHKで介護者に対する被介護者の暴力についてやっていましたが(高齢者支援場面で)、ギョーカイも強度行動障害のセミナーとかをやるでしょう。ABC分析とかね。でも実際に暴力が振るわれる場面ではそんなもん間に合わないしいくら環境調整しても暴れる人は暴れる。おまけにああいうセミナーはしばしば「これに出とくと事業所に加算がもらえる」という仕組みで参加者集めているだけですから主催側には金が、参加者側には「加算」があればいいだけで、実際に暴力がやまなくたっていいという人たちが集まっているだけの話なんです。

要するに、支援と呼ばれているものの相当数がアリバイです。そんなものに期待するヒマがあったら、エアコンのきいた室内でもできる「実行機能の養われる軽運動」でもやってください。何をやるか知りたい方は・・・どうしよう。なんかゆるく情報共有できる仕組みを考えましょうかね。今のところFBの私のお友だちに見えるところでは共有しているんですけど、私のFBは過激なので友だち申請はよほどの覚悟がないとオススメしません。

とにかく命にかかわらないような軽運動です。なぜこれが実行機能に結びつくかは次の次の本でやります。そして私はこの夏人体実験が本業になっていますので、あんまり本を作っていません。ので出版は遅くなると思いますね~。とにかく9月15日までは人体実験が本業です。

あ、そして9月15日
鹿児島で栗本さんの講座があります。
私も見張りに行きます。

詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。




それから改めて
「やりたいことができる身体」について知りたい方は
『人間脳の根っこを育てる』をお読みください。
先日会いにきてくれた自閉っ子が、「やりたいことができる身体」っていいなと思ったのは、私が沖縄から仕事で戻って中二日で奄美に旅に出かけたのをブログで読んだからだそうです。それだけ気軽に動ければ人生変わるだろうな、と。
これは「機動力」ですかね。
栗本さんと話をしていて、なんで自分に機動力があるかわかってきましたよ。
そして機動力は実行機能の一部。実行機能が障害されていることは発達障害の一部。一次特性。だとしたらこれも身体アプローチで治りそうですね。
鹿児島でも多くの方々にお会いできることを楽しみにしております!
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経済・雇用情勢と身体アプローチの目的

2018-07-19 09:56:37 | 日記
さて、こじはるファンさんからのコメントを引用させていただきます。
「若い世代の、当事者保護者、そして支援者へ」の記事にいただいたコメントですね。
当該記事は、いかに今のギョーカイ上層部が「勝ち逃げ世代」かを指摘した内容です。勝ち逃げ世代の言うことを真に受けてちゃだめ、っていう話。





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ギョーカイも花風社も触れていないようですが… (こじはるファン)
2018-07-16 12:50:27
ギョーカイもこのブログも指摘していないことがあるので、コメントします。

大学在学中もアルバイトはしないようにとギョーカイから言われました。
でも、大学に進学している人の5割は奨学金を借りているのが現状です。

アルバイトをしていないと就職活動が長期化します。入れても長く続きません。(幸いにして今のところは自分としては長く続いていますが…)
自分も無職の期間があり、失業保険でつないでいたものの奨学金を繰り上げ返済できずに苦しい思いをしました。今の会社に入ってから繰り上げ返済を行っています。30歳なのですが、まだ4割近く残っています。
(これでも当事者だと早くに返しているほうのようです。)
旅行もかなり我慢しています。
障害者雇用どころか一部の健常者よりも給料は高いのですが、その状態です。
実家が首都圏ではないため、一人暮らしをせざるを得ません。
ギョーカイは、最近の日本の家庭の経済状況を知らないのではないかと思います。
アルバイトを在学中にしないというアドバイスを真に受けることでこのような思いをしてしまう人がいるということをお分かりいただきたいです。
ここを見ている学生諸君は、ギョーカイのアドバイスを真に受けることなく、アルバイトもしましょう。

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ギョーカイがそんなアドバイスしてるとは知りませんでしたが、まあありそうなことですね。
私はこよりさんから「佐々木先生がアスペルガーの息子さんにマンション買ってあげた話をしていてどうかと思った」という話を聞き、ああなるほどなと思いました。日本の一般家庭では、住居代は今の世代の分を捻出するのが精一杯です。子どもに障害があってマンション買っておいてあげたい、と思ってもなかなかかなわないのが現実でしょう。でもお医者さんで本を出せばベストセラーで講演をすれば満員でしかもアシスタント当事者を無料で使役できればお子さんのマンション代くらい出せるわけですね。そしてそういう人が「ありのままでいいのです。周囲が理解していればいいのです」と言っても真に受けていたら道を誤りますよ庶民の皆さん含私。

私が最初に赤本作ったあと「週に五日働ける身体づくり」にこだわったのは現実それでないと食べていけないし、いわゆるギョーカイも好きなかっこいい仕事、見栄えのある仕事につくには「週三日」とかはないからです。エジソンだアインシュタインだセールストークを繰り広げながら実はそういうかっこいい仕事、才能を活かせる仕事、はそれなりにフルタイム労働を要されることを言わないギョーカイは卑怯だと思いました。

その私が「週五日働ける身体」を「やりたいことができる身体」に目標軌道修正したのは年金が現行ベーシックインカムの肩代わりみたいな感じになっていて、それをもらいながらフルタイムでない労働をするのも「あり」だと思い始めたからであります。それは精神の年金をもらえる人にたくさん会ったからかもしれません。

そしてパートでも働いた方がいいと思っています。ちゅん平はせっせと身体作りしたけど一番の身体作りは実際に身体を動かしてお金をもらうことだったし、家に閑居していては脳みそだけぐるぐるとつまんないことを考えるからです。不登校で官邸にアベガーをやりにいく親子なんていうのはとんでもないですね(なんかみた)。政治信条は自由ですが学齢期ならまず学校行けよっていう話です。

一方で日本はこれから人手不足です。ならばパートでもいいからできるだけたくさんの人に働いてもらった方がいいなあと思うのは当然ではないでしょうか含女性・高齢者・障害者。

それでも「かっこいい仕事」「見栄えのする仕事」「クリエイティブな仕事」につきたければ、少なくともスタートの時期は、最低週四十時間は働ける体力が必要です。睡眠障害で在宅勤務できるなんて甘いです。他人から金もらうなら睡眠障害くらい治すのが社会人の義務です。だからプチアインシュタインやプチエジソンやクリエイティブな仕事や組織の外で働くフリーランサーを目指す人はやはり最低限週に四十時間働ける体力は確保しておいてください。

大学生のアルバイトをギョーカイ筋が禁止しているのは知りませんでしたが、どうせいつもの真綿にくるむ作戦でしょう。実際にシングルタスクだったり疲れやすかったり他にやりたいことがあったり何より家庭に余裕があったりしてバイトをしないという選択もありですが、基本的に勝ち逃げ世代のギョーカイ人が作ったマニュアルを思考停止で死守している支援者の言うことは真に受けないようにしましょう。バイトは疲れるでしょうが支援者より多くを教えてくれる場所でもあると思います。

大学は今、無償化こそされていないものの相当数の学生が奨学金で進学していて、そういう意味では世の中フラットになっているようです。

でも貸与だから~の声がありそうですが、そして給付を増やすということに反対ではありませんが、給料の高い大企業に入ったら返済も少しはラクになります。そして私たちの世代と違うのは、大企業があんまりコネで取らなくなっているそうです。つまりそういう意味でも世の中フラットになっています。失われた年月のうちに大企業もコネで取るリスクを悟ったのかもしれませんね。

一方で私はベーシックインカム論者です。『発達障害、治るが勝ち!』をお読みの方はおわかりでしょうが、ベーシックインカムがあれば発達凸凹の人も様々な生き方に挑戦できると思っています。高機能自閉症者への精神の年金も、事実上それがベーシックインカム様の機能を持っているみたいだからいいんじゃないの、という立場です。

財源は「ギョーカイを潰す」です。支援者のための就労支援になっていて一生障害のある人を囲いこむ就労支援組織に金使うより、障害のある人に直接給付して支援者にも給付して支援者は人の一生を台無しにするような有害無益な仕事ではなくもっと生産性の高い仕事についてもらえればいいなあと思っています。そのあたりを知りたい方は『発達障害、治るが勝ち!』をどうぞ。電子書籍も出ています。

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不登校許容スペクトラム

2018-07-17 09:26:07 | 日記
さて、そよ風さんのコメントを引用させていただきましょう。
やはり炎上をきっかけに花風社にたどりついたそうです。

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不登校を治す (そよ風)
2018-07-15 14:33:27
はじめまして、
発達障害で不登校の小学生の母親です。

私は新幹線事件の炎上で御社を知りました。
当時は多くの不登校や発達障害の子を持つ親が「自閉症(不登校)と犯罪は関係ない、報道機関は差別を助長するな」、と発信し、非常に違和感を感じていました。そんな時、浅見社長のツイートが目にとまり、「この方は真っ当なことをおっしゃっている」と夢中で過去のツイートやブログを拝見、今まで信じていた「発達障害は一生治らない」という概念が気持ち良いほどに崩れました。

まず「感覚過敏は治りますか」を買い求め、金魚体操など即実践、試行錯誤で行っていたトランポリンやマッサージも本を参考に改良、今息子はどんどん良くなっています。ゆっくりだった回復&成長が、加速しているのが分かります。
発達障害だって不登校だって、治せるなら治した方が良いに決まってます。エビデンス?興味ありません。「治りました!」「良くなっています!」という皆さんの経験談で十分ではないでしょうか。数千円で息子の人生が根底から好転する可能性があるならばやらない理由がない、私はそう思います。

まだまだ身体性や社会性、学習など課題は山積みですが希望が持てるようになりました。子供の成長、自立、親としてこれ以上の喜びがあるでしょうか。浅見社長の言葉をお借りすると、息子の人生を消化試合にするわけにはいきません。治るかもしれないのに背を向けてこれからの可能性を捨てさせる、「普通に生きたい」を諦めさせる、それが子育てでしょうか?それが支援でしょうか?
わずかでも可能性があるならば、ましてや治った方がいらっしゃるのだからエビデンスなんてどうでもいい。

登校についても学校に戻そうとする自分は間違っているのか、と悩んだ時もありました。ですが今、復学しつつある息子を見てただただ嬉しいという気持ちです。友達と楽しそうにはしゃぐ姿がまた見られ、涙涙です。学校だって行ける方がいい。不登校だって治った方がいいに決まってます。

長々と大変失礼いたしました。
このような本を世に出し広めて下さったこと、心より感謝申し上げます。
またご自身の体験を発信して下さる花風社クラスタの皆様にはいつも励まされております。この場をお借りして御礼申し上げます。

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まずは花風社クラスタの皆さんが「治った!」と発信していることがまた一人、治る仲間を増やしています。花風社クラスタの皆様GJです。

それとアンチの皆さんが知っておいた方がいいのは、新幹線事件に関し「差別を助長する~」と自分たちが仲間内で気持ちよく符牒にしている決まり文句が実は違和感を呼んでいることもあることですね。「みんなちがって みんないい」なのだから、同じように発達障害、不登校の子を持つ親でもそこに違和感を感じる人がいるというのは知っておいた方がいいですね。
そしてそういう人にとって私が言っていることの方がマトモで、炎上をきっかけに「治る」道へと目覚めることもあるということを。

そよ風さんのお子さんが学校に通えるようになること、というか学校に通える身体になること、を心より祈念いたします。

うちの著者間でも不登校許容はスペクトラムになっていまして、私は一番許容度が少ないです。私は登校原理主義者です。学校は行くべきところだと思っています。学校はつまんない場所だったりいじめがあったり教師がアホだったりカリキュラムがばからしかったりすることだってあり得るでしょう。っていうか大いにあり得るでしょう。でもそれが、学校に行かなくていいことの理由にはなるはずがないじゃないですか。

カリキュラムがアホだと思ったら、帰ってきてから自分の好きな勉強をすればいいのです。っていうか私はそうしていたと思います。そうやって学校は学校で出席を稼ぎテストを受け単位を取り、帰ってきて好きな本を読んでいたと思います。それがかなわないのなら体力がないのでしょう。だったら学校で疲弊しないだけの体力をつければいいし、少しでも消耗を防ぐため感覚過敏は治してしまえばいい。そしてどんないやな場所でも通い続けることが子どもの務めです。障害があったってその務めが果たせる子がいるし、障害がなくても果たせない子もいる。「登校すべき」という点において障害のあるなしはあまり関係ないと思っています。

神田橋先生は私ほど過激な言い方はなさいませんが「障害があるからといって、学校に行かなくていいというのは差別だ」と『発達障害は治りますか?』の中でおっしゃっていますね。

そして愛甲さんが不登校を治した経緯は『愛着障害は治りますか?』に一例が書いてありますが、愛甲さんご自身はご自分も過敏性に親和性のある方であり、私ほど不登校に厳しい視線を向けてはいないと思います。けれどもSCのお仕事もされていますから、ていねいにかかわりながら、不登校を叱責するようなまねは決してしないけど(というか愛甲さんが何かを叱責することはまず考えられませんが)、支援者として絶対に登校できる状態まで持って行くことはあきらめないですね。

栗本さんは以前不登校のお子さんが指導を受けにきたとき身体をみて「ああ、これでは学校行けないでしょうね」と言ったそうです。どうみても五体満足です。でも栗本さんの知見によると「学校に行けない身体」だったそうです。そして家でやったらいいことをお教えし、しばらくすると登校するようになったそうです。「登校できる身体」になったのでしょう。

このようにうちの著者たちの間でも不登校に対するオピニオンには温度差がありますが、一つ共通しているのは「学校は行けるようにするのが支援である」という信念かもしれません。とくに義務教育の間はね。

それをギョーカイ筋では支援者の個人的な学校への恨み言をソースにして「学校行かなくていい」を安易に言う人がいます。気をつけなければならないのは、その人たちが将来仕送りしてくれるわけじゃないということです。

何より栗本さんの言う「学校に行けない身体」の状態は変えておいた方が良さそうですよね。
まずは感覚過敏。それから疲れやすさ。この夏中私は人体実験していますが、疲れやすさもなんとかなりそうな方法にたどり着いたっぽい花風社のイマココです。これでも、元から体力ない人が人体実験してくれた方がわかりやすいんですけどね。


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治った自閉っ子はいい子になる

2018-07-14 09:30:28 | 日記
先日、自閉症が治った中学生のいる親御さんが「学校で息子の友だちのお母さんに会ったら挨拶され感謝された」とつぶやいていらっしゃるのをみて、そうそうそう、と思いました。
治った自閉っ子って、すごくいい子になるんですよね。
友だちのお母さんが「うちの子とつきあってくれてありがとう」と感謝してしまうような、そういう感じになります。

心身苦しかったときには自分を傷つけ、そして周囲を困らせていた繊細さやなんかが、他人に役立つ方に向くんです。
これも治った子をみたことのない人にはわからないと思います。

そうしたら昨日の記事に対し、心理士の373さんがつけてくださったコメントに対するいぬこさんのお返事。

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373さまへ (いぬこ)
2018-07-13 18:58:58
ただのよく頑張ってる生徒
の重みを解ってくださり、ありがたいです。

治ると才能が個性が無くなる、別人になる等の
言われ方をよくよくされますが、
絶対それは有り得ないのです。身一つだから。

親なら、性格の良さ、才能は充分幼子時から
解っていました。
ただ、バランスが悪い、身体が
思うように全然ついていってないなぁと。

あれ程悩んだ、本人が一番辛かった
気が逸れる、集中力の無さ、支度が遅い…は

バランス良く周りを見れ、やるべき事に集中、
支度も人並み。遅れを取らなくなりました。

身体アプローチ、ワンバンキャッチ、色々。。
全て花風社本から娘流にアレンジしただけです。
色々な遊びを開発し、楽しみながらやるうちに
一緒に勉強も芋づる的に引き上がった。
3年生辺りまで漢字も算数も大変厳しいもの
でした。中学受験に合格とは想像できなかった。

絵画は小さな頃からある程度の評価なりに
(弱視が治ってタッチは変わりましたが)
更に豊かなものに。
敏感な味覚は見事なもので中学生の今、
あらゆる調理にトライして、助かるどころか
母の料理の腕前、身が引き締まる…(汗

土台ができたから、ただ頑張る…何事にも頑張れる身体と脳と、幼いなりの経験が身にしっかりと
ついている。
学校の毎日がただ普通に頑張れ、更に目標を持って笑顔でやり抜こうとする姿は眩しいです。

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治ると才能や個性がなくなる、はありえないのです。
障害は個性じゃない、とさんざん言われているじゃないですか。
むしろ「この子いいところあるのに心身苦しくてかわいそう」と親が必死に治すと、その持っていたいいところが本人を苦しめず他人に親切にする方に向かうのです。
藤家さんなんかもその例だと思いますが。

なのに自閉っ子の面白いところに萌え、それを保っていてほしいがために本人の苦しみを愛でるその姿を私は「変態」と呼ぶのです。ギョーカイには多いし、不幸なことに負け惜しみから変態に展開する保護者も多いようですね。苦しんでいる人を見て喜ぶのは変態ですよね。健康な人なら健康な人を見て喜ぶはずですから。

治ると特性がいい方に生きる。
これを愛甲さんは「偏りを活かす」と呼んでいます。
それと中学受験に成功したいぬこさんのお子さんが三年生まで学業面一部つらかったということは
ラクになると学習面知的面でも伸びしろが見えてくるといういい例だと思います。

いぬこさんは「欲を言えば10年前に花風社本と出会いたかった」とおっしゃっています。
そして今診断がついたとか、そういう年齢層の人たちはすでに各種の身体アプローチ本が手に入るのです。
中学は自ら受験して、いい環境に学べる子になるかもしれません。

「治して資質を活かす」。
今それが一番わかりやすい本は『脳みそラクラクセラピー』だと思います。
紙でも電子でも出てますよ。
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