あまちゃんロスとお相撲ロスの朝、目覚めたら
別にあまちゃんロスはたいしたことないのに気づきました。
あんまり未練を残さない終わり方だったし。
それよりお相撲ロスのほうがこたえそうです。場所中は苦痛なのに。また二ヶ月経ったらあるのに。
要するにお相撲の方が私の本質に根ざしている要素ですね。
次回は朝ドラは見ないって決めました。時間とられすぎ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
週末にギョーカイ系の本読みました。
お決まりどおり、知的障害のない自閉っ子に「実力以下の人生」を勧めていました。
それはまあ、よくある話だから今更目くじら立てませんが
神田橋先生とは違います。
神田橋先生は「でこぼこのままでも、優れたところを活かす生活をしていれば、健康を保てる」という考え方です。
こういう先生につけた人と、実力以下の人生を選べという先生につけた人と
予後が違ってもそれもまた運命ですよね。
だから基本的には先生を選ぶ側の自己責任なんですが、化外の民としては
実力以下の人生を勧めることの弊害として、次のことに対策を採っていただきたいと思います。
1 本人の「ルサンチマン」問題
持って生まれた実力以下の進路を選ばざるを得なかった人たちは、恨みを持ちます。それは健康なことではない。ぜひこの問題に対策を考えていただきたい。
2 重度の方への「とばっちり」問題
実は重度の方も、まだまだ伸びる余地があることがどんどん知られてきています。先日はダウン症の方には与えられている言語訓練が自閉症の場合はなから諦められていて対象外となっているために機会損失をしているというお話を聞きましたし、支援校で学習に時間を割かない弊害も出ています。本当は字を読めるようになる子が、きちんと学習機会を与えられていないとか。
愛甲さんは成人で、周囲が最初から字なんか読めないと思われていた人が実は字が読めることを発見して、それをきっかけにコミュニケーション能力を伸ばされています。50歳でしゃべれるようになった人もいるそうです。ギョーカイが知的障害のない人たちに福祉の中で生きていくことを奨励し、結果的にリソースを食い、重度の方の発達援助に回らない問題をきちんと考えてほしい。
以上です。
んで、釧路高専の松崎先生に「まーた『実力以下の人生の勧め』系の本を読んじゃったよ」と言ったら「医師の中には自分も当事者だという意識がある人も多いのに、自分はたまたまラッキーでこっち側に来ていると思っている人も多いのに、どうして当事者にはそういう人生を勧めないのかな」と疑問を呈されていました。松崎先生も「ラブリーアスペタイプ」とか名乗っていましたね。(友だちだからはっきり言うけど、キモイ)
画伯と松崎先生は、私のTLの中で二大うざいアカウントですが、二人ともアーティストじゃなかったり物理学博士号を取って高専で教えていたりしなければ、時給800円でバイトしていたら、それほど楽しそうだったとは思えません。
なのにどうしてギョーカイの先生たちは、当事者に「実力以下の人生」を勧めるんでしょ。
「自分たちはたまたまラッキーだから自閉っぽいところがあっても医師になれた、教師になれた」と思うのなら、その保護要因を探ったらどうでしょ。
そうしたらその中には(すべてではなくても)再現可能なこともあるでしょ。
と考えているうちわかってきました。ははあ。
以下、「自分も当事者っぽい」って思いながらきちんと社会的立場のある仕事につけた人の保護要因予測(私見です)。
1 知能が際だって高い。
2 文化的資本の恵まれた家に生まれ育った。
3 経済的に安定した家庭だった。
4 母親が栄養管理に地道に取り組む主婦だった。
・
・
・
・
・
等々、じゃないですかね。
皆さんも「この人アスペっぽいけどまともな仕事ついてるわー」と思う人いっぱいいるでしょ。
そうしたら考えてみれば?
「どこがよかったんだろう}って。
そのすべてをかなえることはできないかもしれない。
でも「うちにもやれる」ことは見つかるはずです。
「治しやすいところから治す」で行きましょう。
別にあまちゃんロスはたいしたことないのに気づきました。
あんまり未練を残さない終わり方だったし。
それよりお相撲ロスのほうがこたえそうです。場所中は苦痛なのに。また二ヶ月経ったらあるのに。
要するにお相撲の方が私の本質に根ざしている要素ですね。
次回は朝ドラは見ないって決めました。時間とられすぎ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
週末にギョーカイ系の本読みました。
お決まりどおり、知的障害のない自閉っ子に「実力以下の人生」を勧めていました。
それはまあ、よくある話だから今更目くじら立てませんが
神田橋先生とは違います。
神田橋先生は「でこぼこのままでも、優れたところを活かす生活をしていれば、健康を保てる」という考え方です。
こういう先生につけた人と、実力以下の人生を選べという先生につけた人と
予後が違ってもそれもまた運命ですよね。
だから基本的には先生を選ぶ側の自己責任なんですが、化外の民としては
実力以下の人生を勧めることの弊害として、次のことに対策を採っていただきたいと思います。
1 本人の「ルサンチマン」問題
持って生まれた実力以下の進路を選ばざるを得なかった人たちは、恨みを持ちます。それは健康なことではない。ぜひこの問題に対策を考えていただきたい。
2 重度の方への「とばっちり」問題
実は重度の方も、まだまだ伸びる余地があることがどんどん知られてきています。先日はダウン症の方には与えられている言語訓練が自閉症の場合はなから諦められていて対象外となっているために機会損失をしているというお話を聞きましたし、支援校で学習に時間を割かない弊害も出ています。本当は字を読めるようになる子が、きちんと学習機会を与えられていないとか。
愛甲さんは成人で、周囲が最初から字なんか読めないと思われていた人が実は字が読めることを発見して、それをきっかけにコミュニケーション能力を伸ばされています。50歳でしゃべれるようになった人もいるそうです。ギョーカイが知的障害のない人たちに福祉の中で生きていくことを奨励し、結果的にリソースを食い、重度の方の発達援助に回らない問題をきちんと考えてほしい。
以上です。
んで、釧路高専の松崎先生に「まーた『実力以下の人生の勧め』系の本を読んじゃったよ」と言ったら「医師の中には自分も当事者だという意識がある人も多いのに、自分はたまたまラッキーでこっち側に来ていると思っている人も多いのに、どうして当事者にはそういう人生を勧めないのかな」と疑問を呈されていました。松崎先生も「ラブリーアスペタイプ」とか名乗っていましたね。(友だちだからはっきり言うけど、キモイ)
画伯と松崎先生は、私のTLの中で二大うざいアカウントですが、二人ともアーティストじゃなかったり物理学博士号を取って高専で教えていたりしなければ、時給800円でバイトしていたら、それほど楽しそうだったとは思えません。
なのにどうしてギョーカイの先生たちは、当事者に「実力以下の人生」を勧めるんでしょ。
「自分たちはたまたまラッキーだから自閉っぽいところがあっても医師になれた、教師になれた」と思うのなら、その保護要因を探ったらどうでしょ。
そうしたらその中には(すべてではなくても)再現可能なこともあるでしょ。
と考えているうちわかってきました。ははあ。
以下、「自分も当事者っぽい」って思いながらきちんと社会的立場のある仕事につけた人の保護要因予測(私見です)。
1 知能が際だって高い。
2 文化的資本の恵まれた家に生まれ育った。
3 経済的に安定した家庭だった。
4 母親が栄養管理に地道に取り組む主婦だった。
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等々、じゃないですかね。
皆さんも「この人アスペっぽいけどまともな仕事ついてるわー」と思う人いっぱいいるでしょ。
そうしたら考えてみれば?
「どこがよかったんだろう}って。
そのすべてをかなえることはできないかもしれない。
でも「うちにもやれる」ことは見つかるはずです。
「治しやすいところから治す」で行きましょう。