治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

医師も逃げ出す迷惑アスペルガー

2012-11-29 08:52:55 | 日記
さて、九州場所が終わり
「自閉症者の迷惑行為に被害を受けた」方々とのアポイントをどんどん入れています。

「自閉症者は社会の迷惑」(仮題)という新刊を作るためです。




というのはウソで、

自閉症の人の保護者や当事者に自助の集まりが必要なように
被害者にも集うことが必要なんじゃないかな
お互いの話を聞くことが必要なんじゃないかな、と思うからです。

そしてね
ギョーカイの「健常者が合わせるしかない」というアドバイスが
被害者たちを深く、深く傷つけているんです。
セカンドレイプみたいなもんね。

だからこそ

法的手段を執りたいという人には、アドバイスできることもあるかもしれないしね。

ああ、でも私の場合と同じで
いざ司法が絡んでみると
司法はギョーカイの言い訳にあきれることもあるみたいだけどね。

私が本に書いたように
司法の論理と福祉の論理はまったく別物のようですよ。

それにしても、アスペルガーの人々は
本当に方々で迷惑をかけてるんですね。

同僚にするとやっかい。仕事をまかせられない。

先日聞いたある講演では
「大学のアスペルガー受け入れにバックラッシュが起こるだろう」という話が出ました。
つまり、「いいよいいよ配慮するよ受け入れるよ」と受け入れた大学が今
あまりのトラブルの多さ(とくに他の学生への他害的行為)に驚いてしまい
これからは受け入れるにしても、慎重に、数を絞るだろうということ。

そして、これは現実のことみたいです。
アスペルガーの学生による他の学生への理由のわからないストーカーとか
本当に天災に遭うみたいなもので当局も頭を抱える。
(念のため、夫の勤務先の出来事ではありませんよ。取材中に得た情報です)

こんな実績を先輩アスペルガーのひとたちが作っていては
これから進学する子たちへの風当たりがきつくなっちゃいますよね。
後輩の進む道を狭めてるよ、迷惑アスペ君たち。

同僚でも同級生でもやっかいなアスペルガー。
家族にすると地獄です。
本当に笑ってしまえるほどあきれる自分勝手なエピソードの数々。

でも大笑いはその先にありました。

なんと「アスペルガーの成人男子」を診察拒否するメンタルクリニックまであるそうです。

子どもの発達障害は診る。
成人女性も診る。
でも成人男性は診ない。怖いから。
そういうメンタルクリニックまであるそうです。

きっと過去に怖い思いをしたのね。

そういう経験があると
医療でさえつきあいを拒むのね。

あのねえ、皆さん。
とくにギョーカイの先生たち。
自分たちがもてあましているような人を、どうやって社会に売り込むの?
そういう人を雇えと企業に迫って、雇わないと「社会の理解ガー」とかのたまう。
自分たちが怖がってるもの社会に送り出すなんて爆弾投げつけるような行為だと自覚してほしいですね。

まずは当事者を無害な存在にしてください。社会に無理難題を求めるばかりじゃなくて。
ルサンチマンさえ捨てれば、それができる人たちでしょ。
なのに支援者がルサンチマンを共有しているというこの現実。

そして、配偶者で苦労したという人は、たいていお子さんに診断がついているので
「この子が犯罪者になるのではないか」という心配を抱えているわけですが

「その心配はないですよ。今からやれば」って私はお話ししています。
きちんと修行を積んで社会に寄り添う生き方を選んだたくさんの人がいる、と。

コツはギョーカイの大本営発表を真に受けないこと、と言いました。
支援者の常識は社会の非常識だから
「あなたは努力しなくていいのです。社会が合わせるべきなのです」
これを真に受けたら最後です。

「そうそうそう。発達障害の専門じゃない支援のときにはうまくいってたのに、メジャー系支援に切り替えたら、とたんに坂道を転げ落ちるように・・・」

そうでしょうそうでしょう。
それはあってもおかしくない。

いずれにせよ、現実的に
アスペルガーの先輩方が方々で悪評を振りまいてくれているので
これを打破するためには、厚生労働省の言うように
「障害だから治らない」という先入観は捨てた方がサバイバルできるんじゃないでしょうかね。

それと、うまくいっている例をもっと社会に見せていかないとね。

ただし、これはどこかでもしゃべったけど(複数箇所かもしれない)

ギョーカイはいい話を出したがりませんわね。
「とりわけ傷つきやすい人」への配慮のために。

この「とりわけ傷つきやすい人への配慮に基づく言論統制」って
社会との共存の邪魔になっていると私は思いますので

・自閉症者には迷惑行為が多い
・犯罪につながる人もいる
・きちんと社会適応をしている人もいる
・そのためには本人を真綿でくるむような支援ではなく、本人に努力の主体だと気づいてもらう支援が必要

っていうことは言っていこうとおもいます。
「とりわけ傷つきやすい人」は卑屈にならない努力をしてみてくださいませ。

そのほうがいいよ。

だって社会は、どうせつきあうのなら「つきあいやすい自閉症の人」とつきあう。
そういう人を自分の場に受け入れる。
それが当たり前でしょ。自然淘汰ですよ。

健常者もやってることよ。切磋琢磨と競争。
それが社会を進歩させるのよ。

そして私と同じように「自閉症者による被害」を受けた人。

話したかったら情報ください。
私たちにも自助活動が必要です。




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腹が立ってもいいんじゃない?

2012-11-28 08:51:08 | 日記
さて、先日の講演後いただいたアンケートでひとつ笑ったのが
「浅見さんも(発達障害者に)腹が立つっていうことがわかって安心しました」というものです。

わはははは。
当たり前ですよ。
私は迷惑行為をかけられて、裁判まで起こしたんだからね。
それでもまだ、へんな脅迫メールとか日々来るわけだし。
「発達障害者は迷惑だ」って私が言い切っても事実を述べてるだけです。偏見じゃなくてね。



ましてや家族だったら大変な思いをしていることもあるでしょう。
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」を世に出してから、そういうメールが本当に多くなりましたよ。
みんなもっと、正直に腹を立てていいと思う。

どうなんだろう、支援者の皆さん。
自分の担当している当事者が事件を起こし、被害者が出たとする。
そのとき被害者に「障害なんです。理解してください。耐えてください」って言えますか?

どうなんだろう、保護者の皆さん。
そこで「障害なんです、理解してください。耐えてください」と言うような支援者を評価できますか?

私なら、そういう支援者は選びませんね。
もっと社会にフェアな人じゃないと、社会の中に送り出す子にする支援はできないと思うから。

「つらい思いをしたから、悪いことをする」という耳にタコの支援者の言い訳。
もううんざりです。


「社会の理解ガー」って言われたって、現実的に被害にあった人に事後に理解せよというのは無理筋です。
どんだけこころが冷たいんだか。こういうことを真顔で言う支援者。

いいですか。
過去にどれだけつらい思いをしたかもしれない。
でもつらい思いをさせた人ではない人に対し、発達障害者は迷惑行為を行うのです。
被害者にしてみれば、その生い立ちになんの責任もないのに(時には面識すらないのに)
いきなり攻撃されるのです。

それを理解しろ? 冗談じゃありません。

「社会の理解ガー」といえば
私だって社会の理解を促進するように務めていますよ。

発達障害者には迷惑な人がいる。これをきっちり知らせることが啓発です。

きちんと社会適応できる人もいる。支援がそれを後押しする。だから社会が支援をすることは無駄ではない。
それを知らせることも啓発です。

もし発達障害者の雇用を考えている企業があれば

社会適応できる発達障害者とできない発達障害者がいます。
社会に寄り添うことを自ら選ぶか、社会を恨み弾劾することを選ぶか
そこが違いです。

支援者の中には、「社会が堪え忍べばいい」という方針の人もいるので
そういう支援者を信じている発達障害者は雇わない方が無難です。
ちゃんとこういうことを知ってもらわなければ。

昨日ちゅん平が、なんかの販売コンテストでまたまたノルマをクリアして1000円の商品券を会社からごほうびでもらったそうです。



そういう風に戦力になる人もいます。
でも社会を恨んでいる人は戦力になりません。企業というのは社会的活動をして営利を追求し、同時に社会貢献する有機体です。社会を恨んでいる人が戦力になる場ではありません。
そこを見極めて、「役に立つ」発達障害者を雇用しましょう。
社会に寄り添う努力をしている発達障害者を積極的に雇用しましょう。

そういう人を増やすことが
私の考える「支援」です。
ルサンチマンを共有することを優先させ
社会に無理を強いる支援者を私は信用しません。
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貴重な機会

2012-11-27 11:27:45 | 日記
さて、中原区の市民生活講座、行ってきました。
地元の親の会が、行政の委託を受けて、発達障害の子を持つ保護者のために企画する連続講座。講師は地域生活に関わりの深い行政の方から支援職の方などが、週替わりで受け持ちます。その一つを、担当させていただくことになりました。
こういう性格の講座ですから、地域の保護者の方が客層。ふだんの講演と違い、花風社の本を手に取ったことのない方の割合も多めです。
企画側に花風社の本の愛読者がいらっしゃったからいただけた貴重な機会です。

この講座も目的は二つ。最初に明示しました。

1 自閉っ子の仕組みを知っていただき、自閉症者の人もそうじゃない人も、お互いに腹が立たない生活のヒントとしていただくこと。
2 自閉っ子が努力もでき社会のルールも守れる存在であると知っていただくこと。

そして
第一部 自閉っ子、心はあまり違わない
第二部 自閉っ子、努力もできるし社会のルールも守れる人たち

の二部構成で行いました。

おそらく小さいお子さんをお持ちの方、診断がついて間もない方の割合も多いと思われたので
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」を最初に朗読しました。
七歳のときの大地君の体験世界。自分の身体を扱うのがどれだけ難しいか。
もちろんすべてのお子さんが、こうではないでしょう。
でもこれだけ、身体と外の世界の折り合いに苦労しているかもしれない。
血肉を分けた存在ではあっても、まったく違った体験世界の持ち主かも知れない。
まずそれを知っていただきたいと思って、今回は大地君の本から始めました。

そしてたくさんのエピソードを話し
「俺ルール!」や「自閉っ子におけるモンダイな想像力」に出てくるニキさんの話などもまじえて笑いも取りながら
彼らがラクに暮らせる身体作り、環境作りの話をしました。
恩に着せるのも支援、ネタバレも支援、ということで
「すべての母さんたちへ」の朗読もしました。

そして第二部では
社会とのかかわりを話しました。
「道徳入門」を出した経緯。「30歳からの社会人デビュー」と「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」を同時発売した経緯。
ニキさん、ちゅん平さん、大地君がそれぞれ違うタイプの努力をしているように、適切な努力は人によって違うこと。
その子に合った努力のかたちをどうやって見つけるか。
どうやってほめるべきところを見つけるか。
ぶっちゃけ、難しい成人に育ってしまうこともある。私自身も攻撃を受けることもある。
私がそんなとき、どのように攻撃してくる成人当事者にかかわっているか。
そういう話をしました。

そして犯罪の話も絡めて
「どうやって社会を恨まない子に育てるか」と
「自他の区別」「性の問題」がとても重要だという話をしました。

終わってからアンケートをいただきましたが
きちんと理解していただいているようで嬉しかったです。
身体感覚の違いに思い当たります、気をつけてみます、という方もいらっしゃいましたし
自他の区別をきちんと教えなくては、と意識を新たにした方、
大地君の本を読んだお子さんが、自らのことを自分で周囲に説明するようになったという体験談
犯罪者になるのではないかと恐れていたけれども、それを防ぐ方法があるとわかってほっとしたというお話
今日帰ってすぐにできることがある、とヒントをもらいました、という方
反応は上々でした。

ああ、それと、質疑応答が楽しかったですね。
ぶっちゃけトークの連続でした。
学校について。
父親の役割について。
平日の午前中の連続講座。お父さんはまずいません。
ガールズトーク(図々しい?)でお父さんたちの役割を俎上にのっけるのは、なかなか楽しかったです。

皆さんが何か持って帰ってくださっているといいです。

川崎市中原区の皆様
大変お世話になりました。

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地力をつけておく

2012-11-26 08:15:38 | 日記
大相撲九州場所、十三日目、稀勢の里が横綱白鵬に完敗して、優勝のプレッシャーから解放されました(私が)。
「やっぱりだめだったんでしょ」と私をからかう(自慢の)夫に「でも十三日目まで夢を見られるようになった。三役と平幕を行ったり来たりして負け越していたりしたころが夢のようだ」と言いました。

とにかく場所前からあまりいい情報がなく、始まってからも毎日はらはらする相撲ばかり見ていた今場所。
「九勝した。上出来上出来。もういいや」と思って、十四日目日馬富士戦の時には根菜を煮込んでいました。
大地君ちからいただいたタマネギとジャガイモ。
愛甲さんからいただいた里芋。
近所で買ったニンジンとゴボウ。

そうしたらあれまあ。勝ってしまった。っていうか新横綱ボロボロ。
二桁勝っちゃったよ。
ていうか(他の大関がふるわないし)来場所東の正大関ではないですか。
不思議。狐につままれたような気分です。

でもまあ、職業人生の中では
不調なら不調なりにやっていくことを覚えないといけませんからね。
プロなんだから。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次の日は、朝早く起きて、大掃除を始めました。
この際、若い頃に読み込んだ英語の古典は、捨てることにしました。
今はこういうの、いくらでもkindleで安く買えるからね。

この古典を読み込んだのは、私の場合、学生時代ではありません。
仕事を始めてからです。仕事を始めて、現実に気がついたのね。
景気のいい時代だったけど、会社の仕事をこなしているだけでは生き残っていけないだろうという漠然とした問題意識を持つようになったのね。
だから仕事のあと帰ってから徹底的に英語を読み込んでいました。
他に思いつくこともなかったし。
でもあれ、役に立ったかな?

と思い出してみました。

役に立ったと思います。
やがて転職したい先が出てきて、そこにシューカツに行きました(つないでくれる人はいました。それはまた後日)。
そうしたら「今は募集していない」と言われました。
ただ、読んでレジュメを書かなきゃいけない原書がつねにある会社でした。
毎週毎週400ページほどの原書を読み、それをレジュメにまとめるという仕事をもらいにいきました。それを半年くらい続けたのちに、「募集はしていないけど採用してやる」と言われました。

なんだかよくわからずに、でも「会社の仕事をやっているだけでは生き残っていけない」と思って、原書を読み込んでいたことで
いざチャンスが来たときにそれをこなせる地力を養っていたんだなあ、と、大掃除をしてみて始めて思い出しました。
その後、独立して編集プロダクションとして大量の仕事をこなし、資金を作り、版元になり、偶然発達障害の世界と出会って
手軽に海外の情報を取り入れられる時代になり
そのときに、別に辞書引き引きではなくすらすら英語が読める状態になっていたから
「発達障害は生涯治らないというトレンドはいずれ廃れていくだろう」と予測がつきました。

よく「この子たちは才能があるのだから」
「社会の理解さえあれば研究者とか」とか真顔でおっしゃる支援の方いらっしゃいますが

研究者とか、そういう仕事は、与えられた課題だけやっていてつける仕事ではないので
仕事以外の時間を、どう自己投資するかが問われる仕事なので
そのへん、きちんと教えてあげてくださいね。

さあ、中原区の市民講座、行ってきます!


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自分の意見を通す手段

2012-11-23 12:54:50 | 日記
昨日はさっさとお相撲の録画を予約して、そのあと電波の入りにくい場所にいました。
ようやく電波の入りやすい場所に来た頃には、稀勢の里vs舛ノ山は終わっていました。

ついーとで問いかけました。
「大関らしい相撲でしたか?」と。
私が望むのは、それだったからです。

NHKの「アスリートの魂」で舛ノ山の特集が組まれたとき
出稽古に来た把瑠都に胸を出してもらい、ぶつかっても動かないことに舛ノ山が衝撃を受ける場面があります。
こういう現実を知らせるのが、上位にいる人の役目だと思いました。
だから、琴奨菊相手に銀星をあげたあと、また組まれた大関戦で
稀勢の里関にはそういう役目をしてほしいなあというのが両方の贔屓としての気持ちでした。
その期待通りの展開になったようです。
決まり手は割り出し。めったに出ない、圧力のある力士しか出せない決まり手だそうです。そして五年ぶりの決まり手で、前回も稀勢の里だったとのこと。

どうやら愛知県で立てこもり事件があったようで、たびたび相撲中継が途切れているらしく
相撲部の人々が怒っているのが伝わってきました。
場所中に衆議院解散したり、立てこもったり、やめてほしいですよね。
私の録画はうまくいっているかしらと思いながら、帰宅。
食事をしながら幕内を全部見ましたが
稀勢の里vs舛ノ山のときには、録画でもやはり正座して見ました。
いいお相撲でした。
泣けます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

立てこもり事件の経緯を見て
発達障害者による攻撃のことを思いました。
発達障害の人は、他人が自分の気に食わないことをしているとき
その考えをどうにか変えようとするのですが
そのときにとる手段に「社会性の障害」が見られるのです。

一つは、社会的に正しくない方法をとる。
私は「諍い」そのものが正しくないとは思いません。どちらかといえば友だち原理主義否定論者ですし、ケンカはどんどんすればいいと思う。
けれどもそれは、ある境界線を踏み越えてはなりません。その境界線を踏み越えると、正義でやったつもりが外から見ると「けちくさいテロ行為」になります。
この境が見えにくい発達障害者の人からの攻撃をしばしば受けます。皆さんも現実に最近ごらんになったでしょう。あえて晒しましたが。

そしてそういう攻撃には、もう一つ大きな欠点があります。
それは決して、人の心を変える手段にはならないということです。
「おまえの悪口を言いふらすぞ」と言う手段を、こちらを変心させる方法として大まじめに振りかざしてくる発達障害者の人に、私は同情はしませんが哀れみは感じます(要するに、俗な言葉でいうと「イタい」です)。
そんなことでは世の中は変わらないことを、よく知っているからです。
それがわからないとは、よほど社会というものを知らないのだろうと、哀れみを感じるのです。

私の作った本を読んでくれる人がたくさんいる。
私が出る講演に来て下さる人がたくさんいる。
悪口を言いふらすことで自分たちの要求が通るとカンチガイしている人たちにとっては
本当に不可解で不愉快な現象だと思います。

(ああ、でも発達障害当事者だけじゃなかったか。
自分が行く義務もない講演会をやめさせようと迷惑メールを送った保護者もいましたね。)

「発達障害者は迷惑だ」という私の口を封じたければ
そう言われる行為をやめなさい。
きちんと努力し、働き口を探し、
他人をあれこれ言うのではなく、自分のやるべきことをやりなさい。
私は発達障害者というのはそれができる人たちだと思っているし
できない人の周りには、「やらなくてはいけない」と教えてくれる人がいないのだと考えています。

立てこもり犯の要求が通ることはありません。
手段として正しくないからです。
それと同じような、間違った手段を行使しても
発達障害者が世間から理解を得ることには決してつながりません。

「なぜ発達障害の人は、実現に遠い手段を選ぶのだろう」という私の疑問に対し
当事者で保護者でもあるある方は
「子どものときから要求を通せたことがない。だからせめて言葉だけ突き刺そうと先鋭化していく」と説明してくださり、これは腑に落ちました。
哀れだと思います。
そこに支援がいると思います。
自分の要求をまず洗い出してみる支援が必要です。それが実現可能か。実現すべきか。他人の主権や選択権を奪うものではないか。
他人には他人の選択権があるからです。
それを脅しを持って奪う行為はテロだと覚えておきましょう。

自分の望みを洗い出したら
今度はその望みを実現する手段の割り出しが必要です。
それができにくい認知特性を持っている人が多いことは、支援者の人たちわかっているはず。
なのになぜ、そこに向き合わず、真綿にくるむような対応をしてその場をごまかす人が多いのか
私は理解に苦しみます。
そんなに当事者が怖いのですか?
その怖い当事者を、あなた方は世間をだまして売り込もうとしているのですか?
だとしたら卑怯ですね。

時には壁となってください、支援者の人たち。
出稽古で舛ノ山に胸を出した把瑠都のように。
大技で土俵の外に割り出した稀勢の里のように。
それが「当事者より多少は社会経験がある」人たちの役目ではないのですか?

私は、今大人として、責任ある世代として
とるべきだと思った行動をとります。
それを自分の判断基準にしています。


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今日は記念日。24年前の今日、出版の世界に一歩を踏み出しました。

2012-11-22 12:07:00 | 日記
今日は私にとってのごく局所的な記念日です。
年金手帳によると
24年前のこの日、私は出版の世界に入ってきたらしい。
いわば、出版人としてのお誕生日です。

市場が縮小する中、途中で独立までしてしまい
まあよく生き残ってきたものです。
出版界には恩人がたくさんいます。出版界の外にもいます。
その方々に改めて感謝しています。
そして一番私を支えてくださったのは
(出版の世界の)ギョーカイ人ではありません。
皆様です。
すなわち、私の作った本を読み続けてくださる読者の方々です。
あらためまして
皆様、花風社の本を読んでくださり、本当にありがとうございます。

出版の世界に入ったのは、本当に偶然でした。
まあ、自分からいろいろな人脈を求めて(だってゼロでしたからね)動いた面はあるんですけど
本当に「出会い」でした。節々で、耳の痛いことでも言ってくれた人がいて
「あ、この忠告には従っておくべきだ」とぴんときた人の言うことを取り入れて
そういう流れで24年間来ました。
私は「自閉っ子と未来への希望」で自分の職業観について触れています。基本的に受け身の人だと書いています。そもそもキャリアの始まりからそうでした。
人は職業を選ぶのではない。職業に選ばれるのだと私は思っています。
ただしそのためには、動くことが必要です。家でネットばかりやっていても、選ばれることはありません。あのころはネットがなかったので、人脈を築くにはリアルで動くしかなくて、それがよかったかもしれませんね。


十年一昔と言いますが
24年といえばもう大昔です。
社会情勢は、今と全然違います。
最初正社員のオファーを受けたとき、私は「やだな」と思いました。
正社員より手取りのいいバイトがいくらでもあって自由に働けた時代です。
なぜわざわざ給与が安く拘束のきつい正社員にならなければいけないのか。

でもそのときにも
「絶対正社員になったほうがいい」というアドバイスをくれた人がいました。
結果的にその通りでした。待遇面とは、給与だけではありませんからね。
正社員になったことで、私は出版の世界でその後もつながりを得たのです。
なんだかんだ、本を作って売る仕事は私に向いていました。
私のことを一番よく知る二人(実家の母と自慢の夫)が口をそろえて
「ほんの狭い範囲の才能しかないのに、それをうまく活かしている」と言いますから
きっとそうなのだと思います。だから、出版界に入ったのはよかった。

24年経った今

非正規雇用や格差問題、終身雇用の崩壊などが問題になっていますが
よく考えたら、若き日の私たちはこういう社会を望んでいたような気がして仕方がないのです。
雇用の流動性を欲していました。
終身雇用の崩壊を望んでいました。
地縁血縁のしがらみのない世界を望んでいました。無縁社会はそれのグロテスクな実現です。
ある意味、夢がかなったのかもしれません。
そういう社会が嫌いな人が、これほどいるとは思わなかった、というのが正直なところです。
そして副作用がたっぷり出てしまったから、それを是正していくのでしょう。
セーフティネットももちろん必要でしょう。
けれどもそのためには、既得権を持っている人の痛みを伴いますよ。

そしてセーフティネット以外にも必要な方策があります。
それは、こういう社会で生きていける人間になるよう、教育を変えることです、
でなければ国際的な競争に打ち勝っていけません。その結果、国全体が貧しくなります。私たちはその途上にあります。
今度の選挙でもそういう選択をしようと考えています。
努力する人が報われる社会の実現を望みます。

昨日はうれしいことがありました。
ちゅん平さんが、接客業務が優秀だということで、勤務先で表彰されることになったそうです。
ちゅん平さんの仕事に感心したお客様が、わざわざ会社にお手紙をくださったとのこと。
二次障害で死にそうになっていた日々を知る私にとっては、本当に夢のような出来事です。

「30歳からの社会人デビュー」をお読みになった方ならおわかりでしょうが
ちゅん平さんは、克服できない障害特性のため、前の職場を雇い止めされています。
そのときに私は言いました。「仕事は縁のあるところで頑張ればいい」
それは自分の実体験に基づいたことでもあります。



その結果、「配られた手札で勝負する」(by ニキさん)で
ちゅん平さんはいきいきと、活躍しています。

ちゅん平さんは「仕事は頑張れば結果が出るから面白い」と言いました。
それはそうでしょう。
でもこれも、私の実体験に基づいて忠告しておきましょう。
頑張っても報われないときも、やがてきます。
そしてそのときに思い出してください。
報われないことは、頑張ることをやめる理由にはならないのです。
仕事には波があるのですから。そこで腐ってはそこで終わります。
報われなくても頑張り続けることで、また花が咲くのです。
それが仕事というものです。

こういうことを、発達障害の人に教えてあげてください。
教えてもらった人と、そうじゃない人では、ものすごく差がつきます。
私は伸びるべき人は伸びるべきだという意味で、格差がひどくいけないことだとは思っていませんが
教えてもらっていないまま、頑張っている人のブログを閉鎖に追い込むような人は、社会の迷惑です。
そしてそこに発達障害の性質が絡んでいないというのは、欺瞞だと思っています。

職場で表彰される発達障害の人もいます。
そういう人のブログを閉鎖に追い込む迷惑行為をする発達障害の人もいます。
どっちも発達障害者、現実の姿です。
どちらを増やしたいですか?
どちらを増やすことが、「共存」につながると思いますか?
私はそれを考えて、仕事をしています。

☆☆☆☆☆☆☆☆

勝ち越しました。
これで三月までは大関でいられる、と上げ潮派の私が思ってしまうほどの今場所の不調。

やれやれ。もうこれでいいかな、私の九州場所終わり、と思ったら、
なんと両横綱に波乱。

いつも辛く評価してしまう菊関ですが
今場所はいい人かも。
稀勢に負け、舛ノ山に銀星を与え、新横綱を破った。
場所を面白くしてくれました。

そして今日、念願の稀勢の里―舛ノ山戦。
もしかしたら録画観戦になるかもですが、涙で土俵が見えないかもしれません。
舛ノ山が、稀勢の里と組まれる地位にまで上がってきたことが
本当に本当にうれしいのです。

頑張る若者は本当に美しい。そしてかわいい。
年を取っても、その感性を失わないでいたいと思います。

努力は報われるとは限りません。

けれども努力をしない人が報われることはないのです。




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大地君と舛ノ山

2012-11-21 10:01:55 | 日記
さて、このブログや花風社の本の愛読者だったり、ついったー友だちだったりする方たちの間に
急速に「お相撲」や「稀勢の里」を応援してくれる人が増えて
ついには著者読者と一緒に本場所を見に行くようにもなりました。
私は改めて、「マーケティング」っていうことを考えます。マーケティングの力かな、これ、って。

でも基本的には
コンテンツに力があるからですよね。
お相撲は見れば面白いし、ドラマはいっぱいあるし
「稀勢の里は本当に好青年ですね」っておっしゃる方もいます。
見てればわかってきますよね。

そして今発達障害クラスタで人気急上昇なのが
「おもち」こと前頭四枚目の舛ノ山関です。
先天性疾患を抱え、今時の日本人力士には珍しい極貧生活も経験し
稀勢の里の弟弟子、高安関に並んで
平成生まれ初の関取になりました。

日本人力士にとって、ハングリーな環境からのし上がる、というのは過去のことになりつつあります。
海外では、サッカー選手とか、まだまだそういう人が多いですけど
ハングリーな環境で育った人は、どうしても怪我に悩まされます。
子どもの時の食って大事なようです。
一切のファストフードやスナック菓子を与えられずに育った稀勢の里関のかがやきは、おそらく入門前からの積み重ねです。

舛ノ山関も怪我の多い力士で
今場所も初日に怪我をして、休場したほうがいいんじゃないかとファンは思いました。
でも毎日、頑張って頑張ってお相撲を取って
昨日ついに、初の大関戦が組まれました。

前頭四枚目にまで上がったとき
いよいよ大関と当たる地位まできたなあと思いました。
その相手は稀勢の里であってほしい、と私は思っていました。

といっても私は稀勢の里原理主義者ですから
どっちみち稀勢の里を応援することに変わりはないんですけど
大関の力をちゃんと勉強させてほしい、と思ったのです。

けれども初めて組まれた大関戦は
琴奨菊戦でした。

それならそれで、なんのためらいもなく舛ノ山の応援に回れます。

それでもまだまだ地力に差はあるし
九州場所は大関のホームだし
きついな、と思っていましたが

見事銀星を挙げました。
嬉しかったなあ。

でも考えてみれば
花風社の愛読者が舛ノ山を応援するのは自然なことかもしれません。

やはり人間は好みがあるので
稀勢の里好きな人は舛ノ山好きが多いです。

そして大地君を「かわいい」と思う人たちはきっと
舛ノ山を「かわいい」と思うだろうなあと思いました。

だから花風社の本が好きな人たちの間に
稀勢の里や舛ノ山が好きな人が増えるのは、不思議ではないですね。

前のエントリで書いたように
私は発達障害者との経験を、素直に社会に伝えます。

迷惑な発達障害者とコンタクトがあればあるほど
私は社会に堂々と言います。「発達障害者は社会の迷惑です」と。

そして頑張っている発達障害の人がいたら
それを社会に素直に伝えます。「発達障害の人たちは、努力もできるし法も守れる人たちです」と。

それが私のスタンスですよ。
どっちの言論が増えるか
それは皆さん次第です。



一緒にお相撲見に行った愛読者のいっちゃんが取ってくれた舛ノ山の仕切り。
お相撲さんはこうやって仕切りのときに、顔や身体をぺちぺちします。

おそらくボディイメージを高めているんでしょう。

仕切りの姿もかわいいですね。

☆☆☆☆☆☆☆

これまでの本場所、そして今後の展望については
甚之介兄さんに激しく同意ということで
リンクさせていただきます。
コメント (4)

「国という単位」で考えるから、私は言い続けます。「発達障害者は迷惑だ」と。

2012-11-21 09:12:11 | 日記
anonさんへ。
コメント消したけど、一部引用しますね。

=====

あんた、まだ俺の正体に気づいてなかったのか?

=====

どこの誰だか、まったく興味ありません。
あるとしたら一点だけ、絶賛執行猶予中のあの人かどうかっていうところかな。
だとしたら、届け出ないといけませんからね。執行猶予を終わらせて、中に入ってもらわないと。
それを探られる覚悟で書き込んでくださいませ。
まあこれはanonさんに限りませんけど。

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あんたの自閉症当事者に対する見方はゆがんでいる。
偏見だらけ。

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ゆがんでいません。
発達障害の当事者に私が迷惑を受けたのは厳然たる事実だし
現に今、こういう書き込みだってあるわけです。
私は迷惑を受けた事実を迷惑だと言っているだけなのですから
偏見なるものをもたれたくなかったら、そういう一切の行為はやめなさい。
私に対してだけではありません。
発達障害者が世の中で受け入れられていないとすれば
それは社会のせいだけではない。
自ら「つきあいにくい性質」を露呈しているからです。
社会を勉強して、社会に歩み寄りなさい。
つまらないネットの書き込みなんてしている暇があるのなら。
読者のふりして書き込めるくらいの社会性があるのなら
それを社会のために役立つ方に使いなさい。

私は自分の顧客たる読者に「このような大人にしないために」情報を提供することを仕事にしています。
だから迷惑な大人のことは迷惑と書きます。
そして先日コメントしたように、ギョーカイ受けではなく「日本全体のため」になることを重視しますから
発達障害者が迷惑なら、社会にそれを知らせます。
事実を知った上で、発達障害者とどう向き合うか決める権利が社会にはあります。

このような書き込みが絶えない限り
私は言い続けますよ。「発達障害者は社会の迷惑だ」と。
そしてそれは偏見ではありません。私が身をもって体験したことです。
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国という単位で考える

2012-11-19 09:48:36 | 日記
☆☆☆☆☆☆

一日現地観戦がずれたらこの圧倒的アウェーの雰囲気の中にいたのかな、と
テレビを通じて聞こえてくる無粋な琴奨菊コールを聞いて思いました。

かつての名古屋場所のみっきーコール。
九州場所でのご当地力士に対する立ち合いのときにもやまないコール。

首都圏出身でそのまんま在京大学を出た人間にとっては
こういう「ご当地贔屓」っていうのがいまいちぴんと来ません。
たぶん家族への思いの延長なんだと思うんですけど
身内贔屓も結構だけど、立ち合いのときくらい黙れよな。力士に失礼でしょ、って思います。

まあでもそこは、空気を読まない稀勢の里。
完勝して、立ち合いでも黙らなかった九州場所の観客に沈黙が訪れました。

よくやったよくやった!



さて

ご当地贔屓っていう感覚がわからない私ですが
そんな私にとってリアリティのある単位って「国」なんですね。

ベムは私のこと国粋主義者って呼んでましたけど
私にとっては「国」っていう単位が一番ぴんとくるんです。

地方自治体でもなく。
ましてや自分が何か入ってるギョーカイ団体でもなく。

でもね、多くの日本人が「国」を愛することも「国」を支えることも忘れ
ひたすら「国」より小さな「身内」の利益にきゅうきゅうとし
むしろ「国」からは何かむしりとること、「国」に依存することを選んできた。
そのあげくの体たらくがイマココだと思います。

だからこそ
グレートリセットが必要です。

私は不思議で仕方ないんですけど
地方の方々は、違憲状態にあるほど我々より強い一票を駆使して、日本国ではなく○○県の利益を重んじて政治家を選び
それでなぜ、地方が衰退し都市が栄えるの?

ギョーカイの「健常者に人権なし」の障害者支援が決して一般人の理解を得られないように
自分の地方のことだけ考えていて、「国」からの仕送りだけを当てにするような政治家の選び方は
結局地方にも国にも利益をもたらさないのではないの?

低成長の時代だからこそ
「国」単位で切磋琢磨していかなくてはならないのではないの?

小泉時代を全面肯定するものではありませんが
あの方が地元横須賀に、なんか利権を持ってったっていう話は聞いたことがない。
そういう政治家が必要じゃないのかしら、今。

皆さん総選挙に関しては
それぞれ胸中に支持するところを決めていらっしゃるでしょうが

とにかく選挙には行きましょう。

そして

身内の利益だけではなく
国全体の利益を考えて投票しましょう。

一身の独立なくして、一国の独立なし。

私も、ギョーカイ受けの空気など読まず
日本全体のためになる出版活動を行っていきます。



この写真は、九州でいただいた自閉っ子アーティストの方たちの絵はがきです。
今日ついったーにアップしたら、画伯と稀勢母仲間のプロの漫画家の方
お二人からおほめの言葉をいただきましたよ。
今度お見せしようと思います。

画伯の個展ももうすぐですよ。
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本人は正しい

2012-11-18 12:50:00 | 日記
晴れ女の私ですが、前の日に博多の沖縄料理屋さんでオリオンビールと泡盛をロックでいただいてすっきり目覚めた朝は
大雨でした。
あれれ珍しいなと思いながら、駅でちゅん平と待ち合わせて会場に向かいます。

やっぱり佐賀から福岡に来る電車って本数が少なくて(私のふだんの生活圏比ですけど)
11:13分に着く電車の次は11:53ということだったので
二人で迷いながら、十二時過ぎに会場に着いたころには、もうたくさんのお客様がお見えになっていました。

お手伝いを申し出てくださった方々が
もう本を並べたり自閉っ子通信を配ったりして下さっていました。
ありがたいことです。

第一部、「自閉っ子、努力もできれば社会のルールも守れる人たち」
さらっといきました。
努力の必要性を教えてあげること、そして努力とは「無理なことをする」とは違うこと
それぞれに適した努力があることを、これまでの当事者の方たちとの関わりから教えてもらったこととしてお話しました。
ちゅん平さんもアドリブで突っ込んでくれて、お話に彩りができました。

その後十分休憩。
本をお買い上げいただいた方にオリジナルスタンプ。

そして休憩後の第二部は、ちゅん平さん本人による「すべての母さんたちへ」の朗読。
私は自分でこの文章を読むと、いつも涙でのどがつまりますが
ご本人の優しい声で読んでもらうとまた感動がよみがえります。

そのあと、今回は支援を受け始めてからの支援の使い分け方に特化して十の質問をしました。

=====

藤家さんに質問

1 カウンセリング中心の支援で得たもの

2 それに飽き足らなくなってきた経緯

3 就労支援の利用の経緯

4 体力づくり

5 実習

6 障害者枠ではなかった理由

7 転職を余儀なくされた経緯

8 雇い止め

9 現職にたどりついた経緯

10 今、未来

=====

試行錯誤を繰り返し、本当に今、適職についているんだなということが確認できました。
体力づくりについては、私から見ると
「ちゅん平でさえ体力づくりができたんだから、できる人は多い」と思いますが
ご本人もそうおっしゃっていました。本当に体力が極端になかった人だったのだから。
今は月に二十一日働き、十キロの荷物の上げ下ろしなんかもしているのです。

そして、完全に体力がつくのを待つのではなく
完全に二次障害が治るのを待つのではなく
治りかけで世の中と関わり始めた。それによってぐっと治っていった、ということを改めてお話しました。

このあたりの経緯は、うめさんが早速ブログにまとめてくださっています。

終わったあとも、しばらく会場にいて、皆さんとお話しました。
中のお母様が一人、近づいてこられて、こうおっしゃいました。
「本当は今日、息子も連れてきたかったんです。息子も来たいと言いました。けれども支援者が行かない方がいいと言って」
「へええ。なんでですか?」
「情報は制限した方がいいと言うんです。だからまあ、まず本を読めばと言いました。けれども今日のお話を聞いて、本当に連れてくればよかったと思いました」

そらそうでしょう。
滅多に聞ける話ではありません。滅多に出会える人ではありません、ちゅん平さんは。
情報の制限の必要性は認めますが、その息子さんは、藤家寛子さんというよくなった人がいる、と知った上で話を聞きたいと思ったのでしょう。
少なくとも「誰かがよくなっていくこと」に動揺するようなけちな性格ではないということです。それがすでにその方の強みであったはずです。
何かを学びたいという気持ちを持っていたはずなのです。

それをどうして支援者が止めるのか。
これはやはりあれなのかな。神田橋先生のおっしゃる
「知らしむべからず、依らしむべし」ってやつ。

栗林先生に私が「大地君はどうしてあれほど頑張れるお子さんなのでしょう?」と聞いたとき
「○○○でしょう」という答えをいただいたことは「自閉っ子と未来への希望」に書いてありますが
むしろその○○○を与えまいとする支援者がいるのですね。
これではよくなる人もよくなりません。

「浅見さんならそういうとき、どうしますか?」ときかれたので
「私なら、本人が聞きたい講演会なら聞けばいいと思いますね。だいたいそういうときの判断は、本人の気持ちが一番正しいから」とお伝えしました。

「気持ちいい」を大事に、と神田橋先生はおっしゃいます。
なかなか「気持ちいい」に気づけないのが発達障害者。
そしてたまに気づいたとき、周囲がそれを止めては、自発的な力が育ちませんよね。
自発性をいかに育むか。
それが治癒の鍵じゃないんでしょうか。

「本当にいい講演会でした。元気をいっぱいもらいました」
「また福岡に来てください」というお声を多数いただきましたが
行きますとも。たぶん十一月に。

終わって外に出たら快晴。

福岡国際センターに、読者の方お二人とちゅん平さんと向かった私たち。
横綱白鵬の入りを見られました。ゲンがいいですね。

うめさんもご一緒しました。
重度の自閉症と診断されているうめさんのご子息maru君は、働き者で人に愛される自閉っ子です。
うめさんは、いつかお相撲観戦に行きたいとおっしゃっていたのですが
いい機会だからとお誘いしてみました。
問題行動のないmaru君は、デイケアでも大歓迎。だからママは自分の好きな仕事も続けられるし
新幹線でお相撲を見にも行けるのですね。
小さい頃からの修行は、報われるのですね。親子とも。

地元の読者の方にご手配いただいた升席がありえないほどいいお席で
なかなか地元で顔が利かないと取れないような、そんなお席でした。

しかも、なんだかどんぴしゃり。
去年の九州場所では、大関獲りの東関脇で迎えた稀勢の里に合わせるように、東の花道の横だったのですが

西の大関で迎えた今年は、西の最前列の升席でした。
テレビにも映ったようですね。

すぐ間近に見えた、土俵下に控える稀勢の里。微動だにしません。
心身鍛え上げられていないと、出てこないたたずまいです。

いろいろ贔屓に心配かける大関ですが、やはりこの背中には惚れ直しますね。





九州の皆様、遠くからお越し下さった皆様
本当にありがとうございました。

☆☆☆☆☆
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