治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

連載 「愛着障害は治りますか?」ができるまで まとめサイト

2016-10-31 12:18:09 | 日記
連載のまとめサイトを作りました。よろしかったらブックマークしてください。

その1




その2 愛甲さんからの返事




その3 愛甲さんからのオファー



その4 愛着障害の現れ方



その5 ギョーカイ人の謎が解けた!



その6 発達のヌケ



その7 甘えん坊



その8 弱虫と卑怯者



その9 「治るなんてウソ!」クラスタと他人軸



その10 十五本の芋づる




その11・完 恩返しのフェーズへ

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コラボレーション講演会のお知らせ

2016-10-31 07:32:13 | 日記
こういう講演会の情報が入ってきましたのでポスターあげておきます。
私も伺う予定です。
よろしかったらご参加ご検討くださいませ。

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沖縄に来ました

2016-10-29 07:39:22 | 日記




昨日沖縄について「暑い!」と思いました。
でも湿気は長崎の方がすごいかも。

昨夜はプチ饗宴でした。
画伯はダジャレ友だちを、栗本さんはガールズトーク友だちを見つけて楽しそうでした。
栗本さんは友だちと、あの女優さんは整形か?とか話し合っていました。
私がそんなのどうでもいいじゃんと言ったら、どうでもよくない、大問題だということ。ミーハーおっさんの言うことはわかりません。
女優さんの整形問題を話し合うおっさん二人を、頃合いの年頃の美女が眉をひそめて見てました。これは関東と同じ構図です。

朝ごはんをいただいたあと、部屋から見える景色を撮りました。
快適なホテルです。
でも栗本さんの泊まっているホテルもとても素敵なんだそうです。ダブルベッドが広すぎるんですって。

さて今日はお仕事です。
たくさんの方々にお目にかかれるようです。
よろしくお願いいたします。
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その11・完 恩返しのフェーズへ

2016-10-28 05:32:15 | 日記
「治りたい」「治ってほしい」と思う人がいるのは当然のこと。
それがあたかもいけないように言われることに疑問を持ちながら仕事をしてきました。

なぜ「治りたい」という言動が忌み嫌われるか。
それは本質的に愛着障害を背負った人口の多いギョーカイでギョーカイ人たちのトラウマを刺激してしまうからでした。

なぜ自立させずに囲い込むような支援が行き渡っているのか。
それはギョーカイ人たちが心の傷を癒すのにはいつまでも弱者でいる存在が必要だったからでした。
当事者を対等な人間として扱わないのも
保護者に妄想接待するのも
結果として「健常者に人権なし」になってしまうのも説明がつきました。

なぜその中で私が「治そうよ」と言い続けたか。
「その支援、社会から切り離されているよ」と言い続けたか。
それを叩かれてもひるまなかったか。
それは私が育ちの中で他人の顔色を伺わずにすんできたからでした。


でもこれは、私自身の努力で得たものではありません。

しっかり愛された人間を一人生み出すには
たくさんの人がかかわっています。

両親。先祖たち。
そしてそれを支えた人たち。
空襲で焼け出された女の子を温かく迎え入れた渥美半島の人たちの親切心もまた、私に注ぎ込まれています。

私はこの資質を自力で得たのではないから
独り占めしてはいけないのです。

だから、たたかれようと悪口言われようと嫌われようと、自分にとって正しいと思った道をこれからも歩くでしょう。そして考え方がはっきり外からもわかるからこそ、また仲間と出会うのです。

私はこれからも「治ろうよ」っていうと思います。
そしてこれからもある場所では支持され、ある場所では叩かれて嫌われるでしょう。

それでも私の土台は揺るがない。

なぜなら

なぜなら

Because

Because I am a beloved daughter and wife.

I was born to be a beloved daughter and wife.

だから、私の立つ地面は揺らがないのです。

だから、へっちゃらなのです。

そして私のへっちゃらな性質ゆえに生み出した本たちが治る人を増やすとき

私は自分の愛情に恵まれた育ちを他者の幸せに還元できるのだと思っています。

(完)

=====
愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す 目次

まえがき 
巻頭マンガ 

第一部 愛着障害を知る  
 愛着障害が治るようになってきた理由 
「いつ背負った愛着障害か」のアセスメントが「治る」につながる 
 愛着障害を治すと、様々な生きづらさがなくなっていく
 愛着障害はどうとらえられてきたか
 愛着障害は、誰のせいでもない
 愛着障害が示す「症状」
 根っこに愛着の問題があるかもしれない諸症状・年齢別にどう現れるか
   乳幼児期の場合
   学童期の場合
   青年期・成人期の場合
 愛着障害は、二次障害ととらえないほうがいい

第二部 愛着関係を立て直す 

 胎児期の愛着障害の発見
 愛着関係の発達ピラミッド
 愛着関係の発達を保障する
 愛着関係の発達をたどり直す
   愛甲メモ よくなった例1 登校渋り
   愛甲メモ よくなった例2 家庭内暴力
   愛甲メモ よくなった例3 自傷行為
 愛着障害をわかってもらうことの難しさ
 愛着障害と「ありえない恐怖感」
「言葉以前」のアプローチが効果的
 胎児性の不安を取るためのアプローチを考案してみる
 胎内環境
 遊びによる発達のピラミッド
 遊戯療法の成否を決めるもの
「言葉」によるアプローチの必要性

第三部 愛着障害に手遅れはない 
 大人の愛着障害を治してほしいわけ
 愛着障害と発達障害の区別
「胎児性の愛着障害」という考え方がシンプルな乗り越え方に導く
「思春期のもがき」は自己治療である
 対象に支配されなくなると治療は完成する
 どのような治療法があるか
 愛着障害を治すための芋づるの端っこ 1~15
 現代ではなぜ愛着障害が問題となるのか?
 
第四部 なぜ愛着障害を治すべきか これからの時代を生きるために 

「愛着障害が当たり前だった時代」の終わり
 授かりもの

あとがき

こういう本を読んできました
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その10 十五本の芋づる

2016-10-27 09:10:17 | 日記
花風社の「愛着障害は治りますか?」のセミナーに一晩で申し込んだ人たちは、花風社に嫌悪感を持っていない人たちですね。
つまり「治る」ことが「脳内意地悪な親戚に認められる」ことではないと知っている人たち。さらにいえば「治しやすいところから治す」で芋づる式に一次障害も治っていくのを体験している人たちです。
でもその人たちも他人軸に支配されていて苦しかった。
そりゃそうです。他人軸に支配されているうちは、自分らしさが発揮できない。発達障害が治るのに資質の開花は大事。そして資質の開花って要するに、自分らしいっていうことですよ。だから私は「愛着障害は治りますか?」のサブタイトルを「自分らしさの発達を促す」にしました。

愛甲さんは愛着関係発達のピラミッドを描いてくれました。
子どもの場合は遊びで相当治っていく。そして遊びの発達のピラミッドを描いてくれました。これは放課後デイとかやっている人必見だと思います。
それから愛着障害を抱えたまま大人になった人に有益な情報をくださいました。それは「愛着障害を治す十五本の芋づる」です。ここからやると治りやすいよ、という芋づるの端っこ。

私は一本一本自分に当てはめてみましたよ。

芋づるその1 これは愛甲さんに習ったのでクリア。
芋づるその2 これも愛甲さんに習った。
芋づるその3 これは親しい人たちにはできている。さほど親しくない人たちにはあまりできていない。その1を習ったのでその知識をもとにこれからの課題として取り組む。
芋づるその4 全く考えていなかった。けれど実はこの本をきっかけにある変化が起きた。
芋づるその5 できてる。
芋づるその6 できてる。神田橋先生にも相当助けていただいた。
芋づるその7 上手。
芋づるその8 上手。
芋づるその9 上手。
芋づるその10 とっても上手。
芋づるその11 とっても上手。
芋づるその12 わりと上手。
芋づるその13 上手だし心がけてきたけどこの本を作って自分のような職業の人にはとりわけ大事だと思ったので増強。
芋づるその14 下手。
芋づるその15 神田橋先生の本で知った。

とこんな感じでした。
14が今後の課題として浮かび上がってきました。そして14を引き出すためにこそ、13を増強したのです。ここからやるのが近道だなあと思ったので。

そしてこの本のキャッチコピーにとりかかることにしました。
この本のキャッチコピーは、一人称の要素が必要だと思いました。他人軸に支配されてきた人の気持ちになってみる必要があると思ったのです。
13を実行しつつ、数日待ちました。そうしたら降ってきたので打ち込みました。
この本のキャッチコピーは次のようになりました。

=====

自分が自分であることを
祝福されなかった。
つかみどころのない不安と、
いつも一緒に生きてきた。


生きづらさを抱えている人たちが
内なる愛着障害に気づき、
セルフケアで治していく時代の到来。



満たされない心を満たすのに
手遅れはありません。
愛着障害もまた
治る時代になりました。

=====

さて、次回が最終回ですかね。
沖縄行く前になんとか完結できそうです。
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その9 「治るなんてウソ!」クラスタと他人軸

2016-10-26 13:55:02 | 日記
大大大博士祭りのとき私は「5年後10年後を見ようよね」と言いました。
「発達障害は治りますか?」を読んで「お金もかからない方法だからとりあえずやってみよう」という人たちと「インチキだ! 治りっこない!」という人たちとがいましたね。
どういう結果になるか、とりあえず5年後10年後を見ようよね、と。

そしてその後、「治った!」と喜んでいる人たちを横目に「治りっこない!」派は「体調が良くなっただけ」とか負け惜しみを言ってきました。あのさ、体調が良くなっただけ、ってそれかなり本人無視の非人道的発言だって気づいていますかね? 本人にとって体調は大問題よ。体調をほっておかれてる子はね、今このときもしんどいのよ。

「治った!」派のおひとりに、イケメン男子A君の母君がおられます。
元ローカルギョーカイメジャー。でも今はギョーカイから離れてすっきり。

イケメンA君はでも、浅見基準では保留付きのイケメンです。何しろ身長が180センチで40キロ台から50キロ台あたりをさまよっていらしたらしい。

自閉っ子のごたぶんにもれず、食事もはかどらないし体力もないし季節にも翻弄されまくり。そしてA君ご一家は「自閉症支援先進地域」に住んでおられます。「自閉症支援先進地域」というのはですね、「あの困難もこの苦しみもすべて自閉症のせい」とギョーカイメジャーの支援者が(当時の)先進的な知見を披露して理論的に親を諦めさせてくれるシステムがよそより早く整った地域です。つまり、今となっては別に、うらやましくないよね。

でもそういう地域の人々の共通した諦め
すなわち他人軸
に支配されないだけの土台ができていたA君お母さん、花風社の本に巡り合いました。
そしてA君は芋づる式によくなり、食事ははかどるわ体力はつくわ、その結果仕事ができる大人になり季節にも翻弄されることなく

といい結果を得たわけです。体重も60キロ代に。大進歩です。

ところがたとえば「男子は180センチあったら80キロはないと」なんていう私のような趣味を持った意地悪な親戚がいて

「60キロ台はまだ十分とは言えないわ」と言ったとします。「男は80キロないと」とか。

親の側にこれに翻弄されるような土台の弱さがあると
親が他人の顔色をびくびくと伺っていると
「ひいいいいい」と震えあがってしまいます。
「たかが60キロでごめんなさい」になってしまいます。

他人軸に支配されまくっているので

「そうだ! 世界全員が(意地悪な親戚も含めて)全員納得しないとうちの子は治ったとは言えない!」と思い込み

「治るってウソでしょ! うちの子が本当に(意地悪な親戚を含めた世の中全員に)治ったって認めてもらえないとウソなんだからね!」とパニックを起こして海老踊りを始めるのです。これが猿烏賊改め鬼畜山に起きたこと。

一方で他人軸に支配されていない健全な親御さんは、子どもの体調の改善と自閉の一次障害特性の改善が起きているのを見て

うちの子、治ったわ。

障害者枠で働いてますけど何か?

まだ知的障害の範疇ですけど何か?

ほんとに立派に育ってくれたわ。治ってよかったわ! 花風社に感謝!
となるわけです。

仮に意地悪な親戚がいても、そういう人の突っ込みは無視して
「この子がラクになり、自閉特性の困った部分が薄らぎ、社会に受け入れられ、家族もハッピーである」という自力で手にした事実の方が他人の意見よりどうみても確かだからです。

発達障害はスペクトラムである。
発達障害は治らない。

何度も繰り返しますが、この二つは両立しません。

だから「治るなんてありえない!」
「改善に過ぎない」「カンカイガー」と叫ぶ人たちは

脳内に「意地悪な親戚」を飼っている人たちですね。
その脳内意地悪な親戚に認められないといけない、と強く思い込んでいる人たち
他人軸の強い人たちです。

そして他人の顔色を伺わずに育ってきた私は

「脳内意地悪な親戚」に翻弄される猿烏賊改め鬼畜な皆さんも
その鬼畜の目を恐れている鳥烏賊の皆さんも

ばっかみてえ

と思ってきたのでした。

その人たちに無理して治ってほしいとは思わない。
いやなら治らなきゃいいんだよ。
安心したまへ、君たちの子は治らないから。
つまり、治りたくないという君たちの願いは100パーセント達成される!

ただ、邪魔はしないでほしいとは思いますけど。

これが、専守防衛なんですよ。

治んなくていいから、邪魔しないでね


っていうのが。

それと

「治る人がいると治らない自分たちが怠慢だと思われる!」という言いがかりの件についても

1 別にそう思われてもいいんじゃないの?
2 怠慢だと思われても治りたくないのなら望み通りのことが起きるだけ。それでいいんじゃないの?

とか思ってきたのですが

そして、「ありえないいいかがりをつけやがって」と思ってきたのですが

他人軸に支配されている人にとっては、大事なことだったのかもしれませんね。

知らなかったわー。
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その8 弱虫と卑怯者

2016-10-26 08:59:23 | 日記
「絵を買ってくれる人と本を買ってくれる人に悪い人はいない」と画伯は言います。
私はそこまで商売人に徹せられないみたい。

卑怯者もうちの本買うよね。
弱虫もうちの本買うよね。
そして私は、どう頑張っても、弱虫や卑怯者をいい人に思えないからです。

それが顕在化したのは「発達障害は治りますか?」のプレイベント(自然発生的だったけどな)の大大大博士祭り前後の狂乱状態と、その後の売れ行きですよ。

あのとき集団でぼこぼこに荒れ狂う猿烏賊改め鬼畜とその理論的精神的支柱であった当時名大病院の吉川徹を恐れて遠巻きにしていた皆さんが、こぞって本を買ってくれて

商売人としては大変ありがたいし
一人の社会人として「治る」につながる芋づるの端っこをあの本でつかんでくれた人がたくさんできたのは嬉しい出来事なんだけど

私の中ではあのとき、表立ってかばってくれた人、味方してくれた人と、遠巻きにして死んだふりしていた人をはっきり「外様」と「譜代」に分けてます。今でもね。えへへ。

世の中には自分の好きなものを好きと言えない人がいる。

誰かの顔色を伺って好きと言えない人がいる。

そして私は、そういう人たちが大嫌いでした。

よく自閉っ子の過敏自慢として「他人の喧嘩を見ているだけでつらい」というのが出てきます。それがいやでこのブログを見ないという人がいました。それはそれで全く構いません。

でもその人たちが共感性が強いわけではない。
本当に共感性が強い人なら、誰かがやられていたら助けに行くはず。
他人の喧嘩を見るのもストレスになるほど感受性が強くて(棒)

それでも誰かがやられているのを見ても死んだふりしているほど弱虫なら

社会性云々の前に、
友だちなんかできるわけないじゃん。
卑怯者なんだから。

と思っていました。
英語のcowardは弱虫と卑怯の意味があります。
過敏自慢している人は卑怯だと言う自白をしているのだと了解していてくださいね。

鳥烏賊も嫌いでした。

花風社の本やセミナーから得るものがあるから出かけてくる。でもそれをひた隠しにする。
猿烏賊改め鬼畜から攻撃されるのを恐れて。
かといって猿烏賊改め鬼畜のシンパではないのです。嫌いなのです。嫌いな相手に攻撃されるのを恐れる。

そんなにひた隠しにするなら二度と出てくんな、と私は言ってやりました。
うちは悪いことしていない。風俗とかそういう人目を忍んで通う場所じゃない。それを恥ずかしいと思われるのはこちらにとっては侮辱だから、そういう客は願い下げだと言ったのです。

そうしたら「持ってうまれた怖がりは云々」とぴいぴい言ってました。
そうか怖がりはもって生まれるのか、とそのとき思いました。
だとしたら私はもって生まれなかったんだな、とそのときは思いました。

「フォローの自由ガー」クラスタをあれだけ嫌ったのもまあ理由は同じです。
河馬ごときを怖がるわけがない→ていうことは河馬のシンパだな→私が踏みつけられてる絵を面白がったわけだな→さよなら

とこういう理屈です。
私は長いことこういう考え方をしてきました。
それは「自分がいいと思った方向に動けない」ということがどういうことかわからなかったからです。

だからこそ「恐怖麻痺反射」のことを知ったとき「これかあ」と思ったんですけどね。

まあともかく

・自分の考えをはっきり持とうとしない。
・他人にどう思われているかを気にする。
・他人の指図に心ならずもしたがって病んでいく。
・自分が好きなものをはっきり好きと言えない。
・(何か軋轢をおそれて)自分の中にある信念を実現しようとしない。

人たちが私は大嫌いでした。

そして愛甲さんに質問の嵐を投げかけ、自分でも本を読んで愛着障害について勉強するうちに

愛着形成不全で抱える最大の問題はこれなのではないか

と気づくようになりました。

私が愛着障害の問題としてたどりついた「ある言葉」とは

他人軸

の三文字でした。
そして、花風社シンパも花風社アンチもどっちも、この他人軸というものに縛られている人が多いようであることに気づいていきました。
質問会でも、そういう話がたくさん出ました。

・親の理想通りに生きられなかった自分への罪悪感
・親に愛されたくて親の機嫌を取ってしまう

→他人の顔色を伺う(たとえ好きな他人じゃなくても)

という心のメカニズムは

私にとって全く未知のものでした。

私のギョーカイ不適応はここからくるのかな、と気づき始めました。
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その7 甘えん坊

2016-10-25 12:29:03 | 日記
どれくらいの人が気づいているか知りませんが、私はわりと甘えん坊です。甘えん坊の回数券を人よりたくさん持っていると思います。ニキさんもそうですね。ご本人気づいているか不明ですが、ニキさんに会ったことある人にはそれがわかるんじゃないかな。そして私たちの場合には、たぶんそれがいい方に作用してきた。甘えん坊は実は、かわいがられキャラに容易に転じやすいのです。

ちゅん平は甘え下手だったね。でもそのヌケを埋めたのよね。後付けで埋めたんですよ。親子そろって埋めたんです。それは新刊にも書いてありますよ。ちゅん平の体験談を愛甲さんが分析しています。

ことほどさように、「甘え」というのは親しい間柄に許される出来事だと思っていました。

だからネット上に次々現れる私にからむ人たちを見て愛甲さんがつねづね
「あの人たちは浅見さんに甘えていますね」と分析してきたのには疑問を抱いていました。
甘えも何も、あの人たち私が嫌いなんだし。嫌いな人に甘えないよね、普通。

でも「愛着関係の発達ピラミッド」を描いてもらって愛甲さんが言っている意味がわかりました。
上手な甘えと下手な甘えはある。甘えが下手な人は信頼できない人に甘えてしまう。そしてネット上で「治るなんて差別!」とか「治る人がいると治らない人が怠慢だと思われる!」とかありえない恐怖感に駆られて騒ぎ立て時には突進してきた人たちは確かに私に甘えていた。でもそれは下手な甘えだったんだと。だって信頼できない相手に甘えているわけだしね。

なんで信頼できない相手に甘えてしまうかっていうと、回数券使い切ってないんでしょうね。

そしてそういう「方向違いの甘え」現象が方々でリアル世界でも起こり、発達障害者とその保護者が世の中からイタいもの扱いされている原因になっているでしょう。

のこのこがもりしーさんにぶしつけな事言ったのも甘えでしょ。

そんなわけで「愛着関係の発達ピラミッド」を手に入れてから私は、これまで絡んできた人々をピラミッドに当てはめると言う遊びをしました。遊びっていうか、これがおそらく私なりのコーピングなんでしょうね。不可解な絡まれ方をたくさんしたからね。

吉川については神田橋先生の愛着障害のところにばっちり書いてあったのは前の前の記事参照。

じゃあ藤居は? ベムは? 河馬は? 鳥烏賊は?

どんどんあてはめていきました。

でもなんといっても大物、YTを忘れてはいけませんね。

あの人も甘えていたらしい、私に。どういうこと?

ちなみに

原家族が機能不全で愛着障害を負っても、結婚して築いた家庭で立ち直った人ってたくさんいますよね。あるいは子育ての中で立ち直ったり。6月のセミナーのときにも、こよりさんのお話がみんなを感動させました。

でもね、仲いいか悪いかだけで見ると
YT夫婦って、どうも仲いいみたいなんですよね。
むしろ、仲良く、夫婦力を合わせて、やったんですよ、あれを。
裁判にかけられたのは夫だけでしたが、妻もノリノリだった。

二人とも親とは疎遠みたい、ていう話は入ってきましたけどね。
(だから親から賠償金取るのは無理ですよ、という文脈で)

ということはあの人たちは仲良くても治んなかったんだ。

と思っていたんですけど、愛着関係発達のピラミッドを見て

「ああなるほど」と思いました。
夫婦関係は親子関係と違うから
夫婦で親子のやり直しをすると
夫婦のどっちかが比較的健全な場合はうまくいかなくなるかも。

夫婦で親子関係やると

社会から孤立していきますね。


さて、愛着関係の発達ピラミッドの使い道はこれまでからんできた相手を分析するだけではありません、もちろん。

愛着関係の問題がある、それをどうにかしたい、と願う皆さんにとって

傷を負った自分を、あるいは我が子を「どこまで甘やかしていいのか」の目安になります。それまでは罪悪感を感じていたような甘やかしを自分や子ども許せるようになるかも。

そしてそれはもちろん、「ずっとそこにとどまらない」ことを私たちは知ったからですね。
発達はシャンパンタワーだから。
シャンパンタワーみたいに、満たされると次に行くから。
甘やかしに見えるけど、発達保障として「ここまで甘やかしていい」という目安ができましたよ。

このピラミッドを描くまで愛甲さんも、たとえば登校渋りのお子さんとかへの対応を学校現場に理解されないこととかがあったそうです。

愛甲さんはあくまで、登校できるように考えて提案するんだけど、それが甘やかしと受け取られてしまう。

ところが愛甲さんが言ったとおりにやってみると、やがてお子さんは登校し始める。

「だからね、こういうピラミッド描いたら納得するんですよ現場も」と私が言ったら
「そうですね」とおっしゃってましたよ。

一方で、学校に行かなくなった我が子を見て、あたかも自分の子が高級すぎて学校に適応できないみたいなことを大真面目に言う人がいたら、本気にしないほうがいいですね。

発達障害ギョーカイは、それぞれ愛着の問題を抱えた
・支援者の自己治療的社会的文脈無視手前勝手発言
・保護者の負け惜しみ発言

が多すぎるので、いちいちそれを真に受けてらんないので

そういうイタいこと言う人がいたら片っぱしからアレをやってみるといいですよ(ブ)。
(詳しくは二個前のブログ参照)
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その6 発達のヌケ

2016-10-25 07:58:54 | 日記
11月16日に鹿児島で、「人間脳を育てる」の読書会があるそうです。
よかったら皆さん行ってね。

灰谷さんのところでお勉強し、私の読書会も二回出た方がファシリテーターなので
きっときちんとした会になると思いますよ。

さて、長崎で「人間脳を育てる」の読書会をしたときに、私が帯に書いたとおり

「発達障害者は発達する。その理由がここにある」

とはどういうことかみんなで挙げて箇条書きにしていきました。
なぜ発達障害者は発達するのか? がこの本ではっきりとわかったわけですが、それは灰谷さんが発達のピラミッドを描いてくれて、「発達はピラミッドだからどこかヌケるとかたちが崩れる。でもヌケはいつでも埋められる。そして埋める方法にはこんなのがあるよ」
と示してくれたからですね。

そして「愛着障害は治りますか?」では、愛甲さんがこれを愛着関係の発達に関してやってくれています。
そう。愛着関係もまた発達していくんです。ピラミッドになってて、下が土台。土台が崩れているといびつなかたちになる。でもヌケはいつでも埋められる。その埋める方法を教えてくれています。

それを巻頭マンガにしたのがこれです。








そして「愛着関係発達もまたピラミッドである」「ヌケがあるとかたちが崩れる」「でもヌケはいつでも埋められる」と理解すると
またまた様々な謎が解けていったのです。

とりとめなく続いていますが、先を急がないと沖縄行くまでに終わりませんね。
これ以降は急いで書きます。
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「愛着障害は治りますか?」ができるまで その5 ギョーカイ人の謎が解けた!

2016-10-24 09:35:52 | 日記
5月に神田橋先生の傘寿のお祝いin東京があるはずでした。
ところが先生が体調を崩され、パーティは中止に。しばらく外来もなくなるということでした。先生のお身体が心配でした。

お祝いの会で配られるはずだった引き出物が送られてきました。
先生の新刊「治療のための精神分析ノート」(創元社)です。
ごく薄い本です。発売日前にいただいたので、私は一晩でさっさと読んで早いところレビューを上げて皆さんにご紹介しようと思いました。

ところがそうは行きませんでした。
とにかく一ページ読むのに10分くらいかかる本なのです。
言葉が重厚につづられています。私はぎゅうぎゅう頭を絞ってはあはあ言いながら読みました。

とくに68~74の「愛着障害」の項目。
何度読んだかわかりません。数十回は読んでいると思います。
この数ページのうちに、私のギョーカイトラウマの理由がぎっしり詰まっていたからです。

なぜギョーカイは治さないのか。
治すことを忌避する人たちがなぜぬけぬけと支援者を名乗っているのか。
レアな治す人たちはなぜそろってエビデンスガーではないのか。
それがこの数ページに書いてあるのです。

冒頭を引用します。
愛着障害についての説明です。

=====
従来「基本的信頼の欠如」「基底欠損」などの述語で触れられてきた、要するに「厄介な症例」の病理である。厄介の本態は対象関係の不安定であり、それがもたらす治療同盟の不安定であり、広義の境界例の病理である。(68)
=====

なるほど。そしてこんなことも書いてありました。

=====
愛着障害を抱えている人は皆、人生の早期から「生きにくさ」を体験しており、それが心理治療者という職業選択の動因となることがあり、心理治療者集団内の愛着障害者の比率は当然、他の職業手段をはるかに超えている。(70)
=====

「ありのままでいいんだよ」と大真面目に言う人たちが信じられなかった。
南雲さんの言う通り
「ありのままでいいんだよ? それじゃあ食べていけませんから」ですからね。

でもね、言われたかったのは支援者の方なのでしょうね。
「ありのままでいいんだよ。君は努力しなくてもいいんだ。社会が理解(ガマン)すればいい」

自分たちが言われたかったけど言ってもらえなかったことを自己治療として被支援者に言う。
そうやって社会と切り離された支援が行き渡っていたのですね。

この数ページを読むと
・なぜ治さないのか
・治すとしてもなぜ中途半端にしか治さないのか
・たまにいる治す人はなぜエビデンスガーではないのか

がわかります。

そしてこういう支援者が多いのもわかります。

=====
関係に「関わることをせず」ひたすら距離を保って、精神病理にのみ関心を向ける専門家がいる。そのなかには自身の愛着障害を持て余している人がある。自他に更なる障害をもたらさない賢明な選択ではある。技法の核心は「退行の阻止」である。手懐ける技法を編み出す専門家の生き方との良否は意見の分かれるところであろう。(72)
=====

診察室で患児に挨拶もしないのに、一生懸命論文ツイートしたり、医療の限界についてくどくど講演したり書いたり、「退行」と言う手段(これは新刊に出てきますからそれを読んでね)で治そうとしている人治ったと喜んでいる人をインチキがって暇つぶししているような医師には、ちゃんとそうせざるをえない理由があったんですね。
あなたが治せないのはよくわかりましたから、「退行」によって治っていく私たちの邪魔をしないでもらえますかね。

とにかくこの数ページはすごいです。

でもこの本、付録はもっとすごいんです。
私はこの付録見たときに「よくもまあぬけぬけと(ブ)先生これをお書きになった」と思いました。

私が知っている手法でした。
目の前で習っている人も見たことがあるし。
その人はその当時ひきこもり養生中でしたが今はお仕事されてます。
その他多くの方が鹿児島でこれ習ってきて立ち直られています。

でも、とにかく怪しすぎる(褒めてます)ので、活字にはならないもんだと思っていました。
でも先生ご自身が活字になさった。
だとすると今後は自分で説明しなくても

「あの本の付録見てね」って言えるじゃないですか。
買う価値はある本だから。
とにかく脳みそに汗かきながら読む価値はある本だから。
読むと色々謎が解けてラクになるから。

ちなみに、その怪しすぎる治療法は、なぜ効果があるのか今になると腑に落ちるのです。
灰谷さんに最初に会ったとき、「ああ、だからあの怪しげなのでみんな治るんだ」とわかったのです。

それは原始反射、とくに恐怖麻痺反射について知ったからです。
ああ、原理は同じね、と思いました。

だから神田橋先生も「人間脳を育てる」を読んで

「バラバラだった気づきが統合された」という感想を抱かれたのかもしれません。

あ、そうだ。付録にはもう一つすごいものが載ってます。
愛着障害のアセスメントのやり方です。超簡単です。

「ありのままでいいんだよ、社会が理解(ガマン)すればいい」なんてしたり顔で言う支援者がいたら

その場でこっそりアセスメントしてやればいいです(暴言)。
その人の言動は、自分の痛みから出ただけなのかもしれない。
事実ではなく、その痛みを背負った支援者の願望に過ぎないかもしれない。
社会で生きていくには、事実と支援者の願望をきっちり切り分ける必要があるでしょ。

私はこれまで、たとえば田中康雄先生とかのメジャー支援者が、まったりと「生きづらさ」とかいうのが大嫌いでした。ウソつきやがって、と思っていました。生きづらくもなんともない世の中を悪者にしやがって。

でも支援者の人たちは、たとえ社会的地位があり経済力があっても
「基本的信頼の欠如」「基底欠損」
ってやつを抱えているのかもしれない。
と思うようになりました。

何しろ、愛甲さんにもあったそうです、それ。
そしてそれを乗り越えないと、人を治せるようにはならないそうです。
今度の本には、そのプロセスも書いてくださいました。
愛甲さんは、愛着障害を一人称で生きてきて、乗り越えてきた人でした。
今度の本では専門家として、そして乗り越えてきた当事者として、惜しみなく知見を披露してくださっています。
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