治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

青いお祭りで青いコンドームを配る件

2015-03-30 12:19:02 | 日記
青いお祭りで青いコンドームを配るという仰天情報が寄せられたので見に行ったのですが、本当みたいですね。

自閉症啓発にコンドーム? というアイテムの是非はともかくとして、ここで解説しておきたいのは、高度にマーケティング化された日本社会ではふつう、「アメニティを配る」っていうのは無料ではやらせてもらえないということです。

「アメニティを配る」っていうことはそこに人が集まんないといけない。人を集めるのにはコストがかかります。お祭りならお祭りの告知とか、そういうのもコストです。もちろん方々を青く照らすのもコストです。

そうやって「こんだけ人が集まる」ということは主催者側にとってアメニティを配る側へのアピールになるわけです。
それをアピールして、仕掛けた人がなんかを配りたい人からお金をもらうことも可能だということです。

そしてアメニティを配るのにお金を払ったとしても、なんでも配らせてもらえるわけではありません。お祭りにはお祭りにふさわしいかふさわしくないかのお祭り的ブランドイメージがあります。考えてみてください。どこかの善意のコンドーム屋さんが皆さんがやっているお勉強会とかにやってきて、コンドームを参加者に配らせてくださいと言ったらどうします? 判断の分かれるところでしょう。うちのイベントは断ると思います。お子さんもいっぱいいらっしゃるしね。

福祉の世界で行われる大きな大会、たとえばアメニティフォーラムとかなんか夏にやるTEACCHのおっきいやつとかも、チラシ一つ無料では配れません。チラシ配れるけどどうする? こんだけ払う気ある? という打診が我々のような版元等に毎年毎年来るわけです。そして版元的には講演者を見て議題を見て、そこでうちのチラシを配ってもらいたいかどうか決めるわけですね。そこにどんな人が集うかを見て配るか配らないかを判断するわけです。だから私は、ギョーカイイベントの金太郎飴度合いに詳しいのですよ。

てわけで、何が言いたいかと言うと。

青いお祭りで青いコンドームを配ると決まったということは、「自閉症啓発にはコンドームでOK!」という感じの判断をした人が主催者側にいたということ

そして

もしかしたらそこでお金が動いているかもしれないということです。

「いや、コンドームくださるのなら無料でいいですよ!」という太っ腹の主催者さんもたまにはいるでしょうが、「高度にマーケティング化された世の中」ではわりとレア。配る方は配らせてくれる場を設けた人にお金を払うのがまあわりとふつうです。

そしてそのとき配る側にメリットとして感じられるのは
「人が集まる」っていうことです。

「自閉症啓発でね、人が集まるよ」というふれこみがコンドーム屋さんを動かしたのでしょう。

青いお祭りに出かけてコンドームもらうときには、ちょっとこういうからくりを頭に入れておくと楽しいかもです。人が集まれば集まるほど、主催者がうれしいのはそれだけ来年度のアピールポイントになりますからね。
そしてたくさん配れればコンドーム屋さんもうれしい。
コンドームは本と違って「終わったら貸してあげる」とかできないアイテムです。基本的に一個一回きりの消費財です。だからサンプル配ることのメリットは大きいですからね。







週末箱根に行ってきました。
麓は横浜より桜が早かったです。
きれいでした。
これは両陛下ご来臨記念のしだれ桜だそうです。

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あと4月29日第一部
残席3です。
お急ぎを。
第二部は定員が第一部よりたくさんなので(座学なので)
奮ってお申し込みを。
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春休みかあ

2015-03-29 09:21:06 | 日記
と思ったのは昨日二本「鹿児島行きました」メールをいただいたから。
そうか。お休みを利用して鹿児島に飛んでいる方々がいるわけですね。

両方のメールが
「本当に一回でがらっと変わりました」
「花風社が情報を伝え続けてくれるおかげです」

というもの。

よかったよかった。

愛甲さんは先日鹿児島に行って戻られたんですけど
神田橋先生は芋本を読んで
「浅見さんが浅見さんらしくなってきた」とのこと。

要するに私の目的は一つ。
「よくなってもらいたい」だけなんだということを、ある意味よくご存じなんですよね、神田橋先生は。
このときにもわかったけど。ああ、先生わかってるじゃん(上から目線)と思いましたよ。

今取り組んでいる次回の仕事も、いかによくなる方向に持っていくか。
それでいて読み物として面白くするか。

そんなに急ぐ必要もないので、お花見とかしながら取り組んでいます。

たぶん次の本は、ギョーカイびっくりだと思います。
ていうかひんしゅくを買うと思います。

ところで

5月10日、広島に岩永先生いらっしゃるそうです。
感覚統合の世界も「今からやれる。家でもやれる」ことを重視するようになったのかな?
じゃないと数多い身体アプローチの世界で、感覚統合の競争力がなくなっちゃいますよね。なんとかセンターに鎮座して「予約が取れない」と言われているだけでは依存心の強い保護者を増やすばっかり。

それより岩永先生たちが大変だな、と思うのは、支援者の側に「とにかくバランスボールのせてればいいんでしょ」みたいな理論をすっ飛ばしてかたちだけ入って結果成果を出せない人が多いこと。
岩永先生は「how to」だけではなく「why」を大事にされる方で、うちの本もそれを伝えるように作ってあるのはなぜかというと、じゃないとそれぞれがカスタマイズできないからですよ。レシピみたいな本は役に立ちませんからね。

でもレシピ頭の支援者が岩永先生たちがやっていることを表面だけなぞって「やったつもり」になってることって多そうだから
それを指導していかなきゃいけないのも岩永先生たちのお仕事だなあと思います。

だから岩永先生から直接お話聞ける機会は貴重です。
お近くの方ぜひお出かけください。

私も久しく岩永先生の講演を聴いていないので、たとえ広島でも行こうかなと思っていたのですが

考えてみればその日、五月場所初日。
先行抽選販売で切符が取れたのです。
実は愛甲さんに取ってくれと頼まれたのです。
私は色々な人をお相撲に巻き込んでしまっていますが、ついに愛甲さんも生で見たくなったようなのです。

というわけで五月場所初日。
愛甲さん、栗本さん、画伯、私の四人でマス席に座ります。
さてどうなるでしょうか。楽しみです。

というわけで5月10日、私は広島に行けませんが
主催者の方が本は預かってくださるというので
いらっしゃる皆さん、買ってね。


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ニートとプロ市民のお祭りに寄せて

2015-03-28 06:30:57 | 日記
4月2日は国連の定めた自閉症啓発デイです。
国連が定めてしまったので
日本に対しては合理的配慮がなされていません。
日本では年度始めであり
多くの国民が本業を離れにくい時期です。

けれどもこういう時にでもイベントに参加できる人はいます。
主として二種類います。

1 本業が啓発の人
2 本業がない人

の二種類です。この二つに属さない人、すなわち

3 本業がある人

にとってイベントに誘われるのははっきり言ってうざい。それでも「関係者なのだから」出ないってどうなのよ? みたいな同調圧力が方々に渦巻いているようですね。あれれ「みんなちがってみんないい」はどこ行ってしまったのよ。

方々青くすることが啓発だと思う人は勝手にやってればいいです。でも自閉っ子が日々発達し社会でやっていく姿を見せる方がずっと啓発に寄与していると思います。たとえばちゅん平。佐賀にはライトアップするような建物は見渡す限りないとしても(暴言)、ギョーカイメジャーは自閉っ子引き連れて道中なさるとのこと。それに誘われたちゅん平が参加を断ったときの台詞を黄色いお札にしてみました。これは別に言い訳じゃなく、事実だし。第一ちゅん平の存在そのものが「あれだけ弱かった子がここまで立ち直れる」という啓発そのものなのだから、ギョーカイ人のお練りにつきあう必要はないわけですね。

本業のない人は、ギョーカイ人につきあう時間があるのでしょうね。来年はそういう時間がないといいですね。そしてギョーカイ人の皆さんも、どんどん参加できない子を増やすのが自分たちの社会的使命だと承知していただきたいもんですね。

各地でいろんなイベントが行われるみたいですね。「生きづらさだよ全員集合」とか「一緒にブルーになろうよ」とか、もしかして自閉っ子をコケにしているんだろうか? というキャッチフレーズの数々。

そんなもん出たくないのに誘われてめんどくさい! と思っている日本全国の「赤い東京タワー」派の皆さん。黄色いお札をどうぞ。

そしてコンディショニングや身体アプローチを通して

「迷惑をかけない子に育てる」という方針を通して

花風社と志を同じくする皆さんは、学校卒業したあと

「仕事があるので行けません」と断れる人を目指そうではありませんか。
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中途半端に治す

2015-03-26 11:54:42 | 日記
「仁義なきABA」(仮)の著者の方からお礼のメールがきました。
今も色々自閉症治療の観察をする機会があるらしいです。
今回は企画にのれなかったけど、また色々情報くださるといいなあと思います。

短いお礼メールの中の行間を読んで思ったことは
「どうやら保険の種類によってはABAより効果的な治療法にもアクセスできるのがアメリカの現状なのかもな」っていうことです。
つまり一般人向けではないもっとすごいものがあるのかもしれません。

私は今回「仁義なきABA」を読んで、「ABAって中途半端に治すなあ」と思いました。
作用が精神科のお薬に似ています。
とりあえず急性期にがーっと入れるとマイナスがゼロになる。でもそのやり方が基本的に「生命力を削ぐ」方向性なので、資質の開花にはむしろマイナスになるのです。だから治らない。
問題行動を抑えつつ障害者をずっと障害のあるままにしておく。ある意味経済効率はいいわけです。
アメリカは(たとえ家族相手でも)暴力を振るった障害者を逮捕して薬漬けにしてゾンビ状態にして返してくるらしい。もちろん本人の健康にはよくない。でも本人の健康を犠牲にしても周囲を守る。社会全体のための人権の制限ていうのはわりとアメリカの方が平気だから、ABAもその一環としては使いやすいんだろうなあ、と思います。

脳みそラクラクセラピーは、身体をラクにしてその人の資質を引き出す。その人の持っている生命力を治癒に使う。だから行動だけではなく一次障害も治っていきます。そこが違うところ。

私のこのABA観を見事にビジュアル化した動画が回ってきましたのでリンクしておきますね。
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学ぶ力の保障

2015-03-25 11:56:04 | 日記
昨日、版元冥利に尽きるなあ、という話がありました。

晴れて四月から高校に進学する方。
知的障害がなくはないけれど、神田橋先生のアドバイスと治療もあって、普通高校+特別支援というコースを選ばれ、見事合格されたそうです。
神田橋先生はその方を診て、学業の可能性を残しておいた方がいいと判断されそう親御さんにアドバイスされたのですね。そして治療の成果があがってこそ選べた道だとおっしゃっていただきました。

ここで遠巻きに見ているおバカさんたちが、神田橋先生や花風社のやっていることが「普通級至上主義」みたいに思いこむかもしれませんが
まあバカはほっとくとして
愛読者の皆様だけにでもわかっていただけるように解説しますね。
普通高校に進むのがすごいんじゃなく、この方の場合には学びの機会の保障があったほうが、全体に安定するというご判断ではないか、と浅見は推測します。
学ぶことによって情緒も(つまり体調も)安定する人はいると思うのです。

その証拠に進学を決めた春休み、お子さんはお母さんがこれまで読んでいた花風社の本を読み始めたそうです。
まずは「伸ばそう! コミュニケーション力」から。
そして自発的にお皿洗いを始めた。

長沼先生の言う「自分で自分を治せる人」への道を歩み始めたわけで。

そしてお母さんが今まで自分にやってきてくれたことの意味がわかってお母さんに感謝しているんだそうです。

お母さんは今度は大地君の本を薦めようと思うとのこと。

いいですね。
大地君の本がそういう風に使われるのは、版元としての夢がかなった気分ですね。

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仁義なきABA

2015-03-24 08:46:28 | 日記
を読み終わりました。
え? そんな本あるの? 早く読まなきゃ! と思ったかもしれませんが、まだありません。これからあるかも今のところ未定です。実は持ち込まれ企画です。

日本でお子さんに自閉症の診断がつき、「日本には自閉症の治療法がない。アメリカなら治るらしい!」と聞いて、だんな様の故郷であるアメリカで自閉っ子育てをしていらっしゃる方の体験記です。
著者の方は一応、このブログの存在も知ってはいらっしゃるらしい。でもそれほど熱心には読んでいらっしゃらないから、「ABA」という文字が目次にたくさんある本を花風社に持ち込まれたのでしょう。あるいはよその出版社にも送ってあるのかもしれません。

結論から言うともちろんこの本はうちでは無理なんですが、原稿は最後まで楽しく読んでしまいました。かつてからの疑問に一つの答えを与えてくれる原稿だったからです。

かつて私は大きな疑問を持っていたことがあります。
アメリカは官が療育を支えてくれるらしい。でもさ、考えてみれば国民皆保険すらない国。医療が安くも平等でもない国で療育だけそれほど手厚いのはなぜ?
当時はまだ仲良しだったギョーカイメジャーにもききましたが、誰も答えは持っていませんでした。ギョーカイ人はそういうものの見方はしないんですよね。それに欧米を一生懸命うらやましがるのは福祉関係者の大事なお仕事の一つだし。
でもこの疑問には私、自力で答えを見つけたんですけどね。

さてでは次なる疑問。
なんで大きな予算がABAに降りるのか。エビデンスがあるというけれど、見たことない。「ある」と言う割に「どこに?」というと口をつぐむ海老踊りの人たち。しかも不思議なことに、少なくとも日本で「ABA! ABA!」と騒いでいる信者の皆さんは発達方面で残念な成果しか見せていない。アメリカは違うの? アメリカはABAが効果を上げてるの? だから予算が割かれているの?

今回の原稿は、これに一挙に答えを与えるものだったのですよね、ある意味。

というわけで、うちでは本にしないけど最後まで楽しく読めた原稿。
・残念ながら出せません。
・でも面白かったです
・なんで出せないのかご説明
・ちょっとしたアドバイス

をメールにして送りました。ニトロレターのfileと一緒にね。ニトロレターを読んでいただければ、私がなぜ出せないかはわかりやすいと思ったので。

そのメールを、一部改変して貼っておきますね。

=====
A様


 このたびは原稿を拝見させていただきありがとうございました。結論からいうと、というか目次をみたときから、うちでの展開は難しいとすぐに決まってしまったのですが、それにも関わらず一気に読ませていただきました。
 率直に言って、面白かったです。そして出版はできないけれども感想などお送りしつつ、なぜうちがこの原稿を企画にできないかをご説明しようと思います。

 私は現在、「自閉症を治す」ための出版物を手がけております。そのための著者を探して本を書いていただいています。けれどもこの考え方は日本では主流ではありません。
 自閉症の人はあくまで自閉症のまま、というのが日本の支援業界の主流であり、その真ん中で各療育の争いがあります。

 私は五年前に「発達障害は治りますか?」という本を出しました。添付するニュースレターに詳しく書いてありますが、日本において現在成人している高機能の方たちは子ども時代に診断もつかず、結果として引きこもりになっている方も多いのです。昨今行政がようやく予算をつけ始めましたが、社会に出て行ける人は多くありません。それもそのはずです。いくら国が予算をつけようと、肝心の支援者の方針が「社会に出なくていい」だからです。

「この人たちに頑張らせてはいけない。国が一生食べさせていけばいい」というのがコンセンサスなのです。

 このような状況の中で私はニュースレターにも書いたように「障害者は健常者を苦しめていいのだ」と思い込んだ高機能自閉症の人間により個人的な被害を被ることになり、裁判を起こしました。そして「治らなくていい。社会が我慢して受け入れよ」という方針に違和感を感じるようになりました。

 そのときにある精神科医との出会いがあり、その方の本を出しました。そしてその本をきっかけに、多くの方が治っていきました。

 この方が治す方法は、ABAではありません。おそらくアメリカ人の方は受け付けがたいと思いますが、東洋的なアプローチを多用されています。そして実際に高機能で引きこもっている人はたった一回の診察で治っていくし、知的障害のある方はIQが伸びるのです。

 A様は原稿の中で「治った人は周りに一人もいない」と書いていらっしゃいますが、私の周りには治った人がたくさんいるのです。

 実際にそのお医者さんにかかった人は納得するのですが、遠巻きに見て「インチキだ」「エビデンスがない」と文句をつけている人たちもいます。その多くがABAの信奉者です。そして彼らは見事に治っていません。彼らが「エビデンスがある療育」だと主張するABAは、見事に成果を上げていません。ABAのセラピストをしながら、我が子の暴力が止められない人もいます。

 一方で東洋的なアプローチを選んだ人たちはお子さんたちもぐんぐん成長し家族で穏やかな日々を送っています。高機能の方では一度の診察で引きこもり→就職→結婚という道をたどった人もいました。しかもたった一年半の間に。

 それでもABAの人たちはABAのみが自閉症に対する正統な療法だと主張しています。

 どんな療育を選ぼうとそれは個人の自由でしょう。ただこの五年間の間にABAの信奉者からの攻撃が重なり、彼らが主張するエビデンスとはどういうものか考え続けてきました。そしてなぜあれほどABAでは治らないのか不思議で仕方なかったのですが、今回原稿を読ませていただいて、ABAの主張するエビデンスなるものがインチキなことを教えていただきました。そしてなぜABAが自閉症を治さないのかはっきりわかりました。そういう意味でとても貴重な機会をいただきました。

 結論からいうと、現在の花風社の愛読者は、あまりABAを買ってない人たちです。身体アプローチで一次障害を改善することを目指している人たちです。ですからこの原稿は花風社では本にできません。

 内容自体はとても面白いので、どこか本にしてくださるところがあれば大宣伝しますが、逆にABAを信奉している会社でも出しにくい本だと思います。ABAの宣伝になる本ではないからです。

 もし電子書籍等でご自分で出されるのであれば、皆さんにおすすめしたいと思います。

 自分のところでは本にできないにもかかわらず、この原稿を読みながらタイトルが浮かんでしまいました。もちろんこれをA様に押しつける気持ちはさらさらないのですが。

 私がこの原稿につけた仮タイトルは「仁義なきABA」です。
 私にとってはABA神話を見事に打ち砕いてくださる本でした。

 以上、お役に立てなくて申し訳ありません。ニュースレターにある東洋的、身体アプローチ系の本にもしご興味があるようでしたら、ネットででもご帰国になったときにでも、目を通してみてください。非常に話が早いです。一回のセッションで変わります。大人でも変わります。早期介入じゃなければ効果がないとか、週に40時間やらなければいけないこととか、そういう融通のきかなさ自体がABAに効果のない証だと思います。
 A様の原稿は私のこの推測を裏付けてくださいました。

 末筆ながらご家族皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

花風社 浅見淳子
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どの親子関係もはらむ暴力性について

2015-03-23 07:12:08 | 日記
夫婦間DVを子どもに見せるだけでもDVなんだ、という情報に触れたとき、「なるほど」と思いました。
人生の早期、自立しようにもできない状態で、そういう人間関係のパターンを見せられるのは暴力的なのだろうと。

子どもは親を選べないからこそ、公教育には意味があるのでしょう。
たとえそれがときには虚しいほど無駄に見えることであっても。

けれども親の暴力性の被害を受けるのは、荒れた家庭に育った人だけではないと思います。
親子関係というのは、アプリオリに暴力性をはらんでいるような気がします。ここから逃れられるのは、子どもに「てやんでえ力」が生来備わっている場合、あるいは独立後育まれた場合ではないでしょうか。

今成人の親になっている年代の人たちの両親を育てた祖父母は、明治・大正生まれですね。
まだ上下の区別とか、下とみなすものへの蔑視とか、上とみなすものへのねたみとか卑屈さとか、そういうものが自然に備わっていた世代が、私たちの親を育てています。
だから私たちの親も私たちよりは、こうした差異に敏感です。

自分より恵まれている(ように見える)世界に憧れながらも
そこで「ラクしてうまいことやっている」(と見える)人たちに対してねたみ、卑屈さを持っても許される。
そう自然に考えた世代が私たちを育てています。

でも現実の私たちは、親たちが生きた時代よりフラットな時代を生きています。
家業を継いだわけでもなく、親のコネを使って就職したわけでもない人。経済的に自立している人は、親の世代が自然に持っていたルサンチマンを内面化する義務はないのです。
自分は自分の価値観で、パートナーを見つければいい。仲間を見つければいい。
そうやってたとえ平和な家庭に育った人でも、親子関係がはらむ暴力性を少しずつ薄めているのが自立するっていうことだと思います。

発達凸凹の人は「てやんでえ力」が少ない分、この自立が遅れるかもしれません。
そして親子関係のはらむ暴力性にやられやすいのだと思います。

そういうときに思い出してほしいのは、みんな多かれ少なかれ(たとえ恵まれた家庭であっても)親子関係のはらむ暴力性を乗り越えて大人になっているということです。
私も例外ではありません。

花粉症の人が花粉に反応するように、私が発言に含まれる卑屈発言に反応してしまうのは、おそらく私が卑屈なものの考え方の強制から解放されたときの解放感があまりに大きかったからです。
私をそこから解放してくれたものは、結婚と仕事です。

これはうちの両親が卑屈だったということではありません。あの世代にしては、むしろおおらかで根拠のない自信(@栗林先生)を持っているタイプだと思います。
ただ世代的に上下に敏感だった(当社比)。

一見なんの問題もない家庭でも、世代が違うだけで、親子関係は暴力的です。
それは乗り越えていきましょう。
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愛されて育った人

2015-03-22 20:47:55 | 日記
先週のある日、レアな上京の機会をとらえて一組の親子の方に急遽コンディショニング講座をアレンジしました。喜んで帰られたと私の目には見えました。

ところがそのあと、栗本さんがいつもの卑屈モードを全開させるのです。「お子さんの方は、お母さんにいやいや連れられてきたんじゃないですかね?」

お子さんはもう20代、成人です。定型の方です。お母様にしても、いやいや連れてくるような方ではありません。私にしても、いやいやの人にわざわざ部屋と栗本さんのスケジュールを抑えるほど暇人じゃありません。栗本さんのこの発言は、だから我々みんなに無礼なんですけど、栗本さんは卑屈なわりに無礼な発言が多いのです。画伯が「発言が不用意だ」というけど、そうなのです。

私は栗本さんのこういう発言が、本当に嫌いなのです。発達障害は治っても性格は治らないでしょうから、勝手にいじけてくれるのは構いませんが、私は心底同意できないので、隠れていじけてほしいのです。いじけ発言を聞くと、脳から酸素が抜けていってしまうくらい、どっと疲れるのです。どこからそのいじけた考え方を拾ってきたのだろう、と。

ヒクハラにもろにやられた私は、とりあえず脳みそを安定させようと、運動に行きました。そしてFBにまた栗本さんの悪口を書きました。栗本さんの悪口を思い切り書きたいので、栗本さんには友だち申請しないでねって言ってあるのです。私の愚痴につきあって、栗林先生とかがいろいろ分析してくれました。なぜ卑屈な発言が出てくるのか。

数日経ち、なんとなくわかってきたこと。
これ、なぜいつも私が「ギョーカイ製SSTが役に立たない」というか、そっち方面とも通じる話ですので、ブログに書こうと思いました。

私はそのお子さんにとても好感を持ちました。なんというか、きちんと愛されて育った人ならではの屈託のなさがあるのです。聞けば難関を突破ししっかりした企業に採用されたとのこと。その話を聞き、バブル時代でも、低成長の時代でも、あまり採用基準は変わらないのではないかという気がしました。

今は正社員の雇用とかが貴重で、なんとか選ばれようと、コミュ力なるものが跋扈していると耳にします。ギョーカイのSSTが奴隷道徳よりであることも、そこに原因があるような気がします。そう。なんとなく「社会適応=自分を抑えて上位者に媚びを売る方面」みたいな風潮が行き渡っています。

でも実際の就職戦線を見ていると、そこで勝ち抜いていく人を見ていると、そういう基準で企業は人を見ていないような気がしていました。これは障害者雇用でも同じです。現場をたくさん踏んでいる人に就職しやすい障害者の条件をきいたとき「愛されキャラ」というのを聞いて納得しました。そして愛されキャラとは、「愛想良くできる」キャラではないのです。「仏頂面していても愛されキャラは愛されキャラでしょ」と言われましたが、本当にそうなのです。

その若い方に、私はとても好感を持ちました。年長者の前に出ても態度が自然。礼儀は踏まえていて、そして萎縮もしない。こういう若者を、私はたくさん知っています。かつての私もきっとまあ、こういう感じだったでしょう。若い分今よりお行儀よかったし(笑)。

そして萎縮しない人は、過度な媚びは売りません。このへんが満たされて育った人の特徴です。だから「栗本さああああん、よろしくおねがいしまああああす」みたいにしなを作ってしなだれかかったりはしません。私にはそのたたずまいがとても自然で若者らしいと思ったのでした。

でも栗本さんには、それが通じなかったのかもしれません。あからさまによろこんではいないから、「いやいや連れてこられた」ように見えたのかもしれません。私はお母様に、「また栗本さんが変なこと言ってる」と告げ口しました。お母様は驚かれていました。「コンディショニングを受けられてとても喜んでいました」と。さっそく言われたことを実行している。そして気にされてしまったのか、お母様は栗本さんに「普段から無愛想な子ですので」と告げたそうです。そうしたら栗本さんが「普段から無愛想なのですか、安心しました」と答えたそうです。私は焦りました。ほらまた不用意な発言してる! 「おたくのお子さんはたしかに無愛想ですね」と言ってるも同然なことに気づけ! と。私はここで栗本さんが日本語が下手なことを再三強調していますが、強調しておいてよかったです。「日本語の問題だ」とお目こぼしいただけたようですから。

私がその若い方に感心したのは、この方が重い障害をもったごきょうだいだから余計なのかもしれません。
どうしても手がかかるごきょうだいがいるときに、健常なお子さんはほうっておかれることが多くなるのではないでしょうか。相当気をつけないと。でもきちんと愛情をかけられて育っている。ご両親の心配りの賜だと思いました。その心配りはきちんと「礼儀正しいけど萎縮しない」たたずまいに現れていて、そして難関企業の人事部も見抜いているのです。

結局愛されキャラに子どもを育てるには、きっときちんと愛することなんだと思います。親御さんが。きちんと愛された子は見る人が見ればわかります。
そしてそれは、「何をやっても叱らない」ということではないのでしょう。でなければ礼儀も覚えられない。
腫れ物に触るような対応をしているということは、親が怖がっているのですから、世間もその人を真っ正面からは受け止めません。

そのあたりの土台を作らずに、奴隷道徳的なSSTを丸暗記させても、付け焼き刃なことはばれちゃうんだろうと思います。
素直に愛情を注がれた子は、萎縮しないで育ちます。そしてそれは、一見無愛想に見えるかもしれない。でも社会のそれなりの立場がある人たちが人を選ぶとき、確実に魅力となるのだと思います。

そのあたりのことを、特性の強い子の親御さんにはわかっていただきたいと思います。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

きせ関は不振の場所で、今日の相撲も空気みたいでしたが、終わってみれば今日の結び三番は、それぞれが本領を発揮した相撲でした。空気相撲の大関二人も力をぶつけ合っていました。それぞれが美しいな、と思いました。
その相撲を見て、このエントリを書くことに決めました。栗本さんはすぐれた実践家です。多くの人を救います。
でもだからこそ、私を苦しめないでほしいのです。私は心底、目の前で誰かがいじけているのがいやなのです。
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えじそんくらぶの講演会に行ってきました。

2015-03-22 15:41:04 | 日記
以前は色々な人にえじそんくらぶをご紹介していたワタクシ。
とくに誰にも感謝されたことはないので(鹿児島や小田原をおすすめしたときと違って「えじそんくらぶで劇的に変わりました!」と感謝されたことは一度もないです)、まだあるかなと思っていたのですが、まだあるみたいだなと思っていたところに、FBで睡眠障害の講演会を私の地元でやるという情報が回ってきたので申し込んだのです。

睡眠障害は、花風社的には治るものになってきたしね。
ギョーカイがどの程度か、みてみようと思ったわけです。

会場は開港記念会館かあ、微妙。
なんか重要文化財かなんかでしょ。趣のある建物で、ときどき発達障害系の講演なんかも行われますね。でも昔の建物だけに、バリアフルなことこの上ない。でもまあ場所はわかりやすい。というわけで日曜日だけど普段と同じ時間に起きて出かけました。

内容。第一部の中井ドクターの講演。これははっきり言って、期待よりはよかったです。なんでもえじそんくらぶ「最先端の情報を伝える」のが方針だそうですが、私のように脳汁関係海千山千の人だと「これ最先端? 微妙」な感じでしたが、講師の方の頭には、きっと今日出てこなかった最先端の情報がいっぱいつまっているのだと思います。まあ聞いた感想は「内容の軽い新書一冊読んだような感じ」かな(褒めてます)。睡眠障害と発達の関係を手短に知りたい方には良い講演だったのではないでしょうか。

でも今現在眠れない子を抱え、藁にもすがる気持ちで行った人には、物足りない内容でしょう。具体的な手立てといえば、猿烏賊山が大紛糾しそうな食餌療法とか「睡眠表」みたいなありきたりの構造化ですから。「芋づる式に治そう!」に載っているような「今、ここ」でできることはありません。

そのあとドクターと高山氏の対談。短かったですね。でもそれでいい感じです。子どもに悩んでいる親御さんに対し、お二方が紋切り型の答えを返していました。
高山氏はやはり、実は身体コンシャスな方針なのですね。部活を勧めていました。でもご自分は卓球部で、スマッシュが打ちたかったのにラリーを強制されて・・・とかおっしゃっていましたけど、ラリーをつなげる努力をしたらもう少しコミュニケーション力が伸びたのではないでしょうかね。しゃべりがあれほどヘタな方だとは新発見でした。

スマッシュを打ちたいのなら、スマッシュを打てばいいのです。でもそれは部活ではありません。チットチャットならやらしてくれるかって? もりしーさんだったらそれは許さないでしょう。もりしーさんは血税預かってスポーツを人作りに使っているのですから、コミュニケーションの基本たるラリーを続けることを覚えさせる方に注力すると思います。スマッシュ方面は、他に発散方法を見つけてくれるでしょう。

客の入りは半分な感じでしたが、有名当事者?らしい人が大きな態度でキンキンしゃべっていました。実は会いませんかとご連絡があったことがあったのですが、青いお祭りの人とは気が合わないと思いますので、とお断りしておきました。遠くからキンキン声を聴き、会わなくてよかったなあと思いました。なるほどこういう風にギョーカイはお友だちなんだな、と確認した次第です。

高山氏の方針は「最先端の情報を伝える」なんだそうです。くだらん志です。私の志は違います。私は「今すぐにできて治る情報」を伝えます。

高山氏はまた、気合いでは治らないことを強調されていました。気合いでは治りません。他人が気合いかけたって効果はありません。でも本人の内側から湧いてくる気合いはかならず治るのに役立ちます。本人の中に気合いを育てることこそが支援でしょう。

というわけでお昼前に講演会は終わりました。最先端の情報の講演会に出かけていって、もらったおまけが2003年発行の冊子(爆)。これぞ金太郎飴の極意です。火曜日の資源ゴミに出しましょう。

そして出てみると、開港記念会館での講演でよかったなと思いました。うららかな春の日の中、山下公園をおさんぽ。



ギョーカイ発見! いやギョーカイじゃないですね、お花畑です。


しだれ桜も咲いてました。


ホテルニューグランドの当たりから表に出て、中華街へ。人大杉。

でも隅っこの方のいつもこんでる店は入れたので、ランチをいただいて、帰ってきました。

あ、栗買い忘れた。

でも

いい休日でした。
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聴覚過敏を治さずにすむ方法

2015-03-20 10:08:32 | 日記
コンディショニング講座のお申し込みと同時に
「花風社さまさまです」というメールをいただきました。
最初は愛甲さんの質問会で学校で刺激が入りすぎたときの対処法を習い
学校で余裕が持てるようになりました。
その後栗本さんのコンディショニングを受けて聴覚過敏が改善。
お友だちとディズニーランドデビューして
音と光の刺激の中、楽しんで帰ってらしたそうです。

資質に向いている方に進学も決まり、よかったよかった。

これだけ聴覚過敏が改善する人がいると
かつて講演をきいた講師の方を思い出します。
あの人は治らないだろうな。きっと治りたくもないだろうけど。

なぜなら、プロ当事者になってしまっているからです。
まあ、その方の場合には立派な本業があることはあるんですが
ギョーカイの飛び道具として「治らない。だから配慮を」の宣伝ツールになってしまっている。

配慮は必要です。ギョーカイがそれを訴えるのは正しい。
でも配慮してもらわなくていい聴覚になったら、人生の選択肢が広がる。
ただ周囲にいる支援者が「治らない。配慮を」の人ばかりだったら、そもその選択肢にたどりつかない。

だから自分の大事な大事な聴覚過敏を治したくなかったら
「治らない。配慮を」の支援者で周囲を固めて、飛び道具の役割を務めるといいです。
いつまでも治らずに済みます。

今朝、子どもへの薬の投与を危惧するコミュニティを見ました。
薬漬けはよくない。だから社会が許容せよ、にすぐになるのはなんでなのかな。
まずは睡眠障害、聴覚過敏あたりから治せばいいだけなのにね。
イライラが減る→他害が減る→社会が受け入れる
の芋づるが始まります。



「治しやすいところから治す」をもっと知らせないとなあ。

と思うのでした。
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