治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

当事者から学ぶ 天国の佐々木先生へ

2017-06-30 20:07:19 | 日記
私自身は途中からギョーカイの外に出た人間ですのでかかわりは多くありませんが
大事な著者の一人であるニキさんは佐々木先生に恩恵を受けた数多い自閉っ子の一人です。
だからニキさんの本は献本するようにしていました。

山杉医師(仮名)などからはお礼状の一本も来たことがありませんが佐々木先生からは

「学ばせていただきます」というお礼の言葉をいただくのが常でした。
大御所ながらえらぶったところのない方
当事者の方から学ばれる姿勢をお持ちの先生でした。

最初に賢ママさん(現こよりさん)に会ったとき「佐々木先生にあなたは本を書けばいいと言われているんです」と言われたとき

「ああきたきた、このパターンか、うんざりだ」と思ったのを覚えています。

主治医に、あるいは○○先生に本を書けと言われた。
この手の持ち込みが私は大嫌いなのです。

先生方は書けというなら版元まで見つけてくればいいのです。
しかも佐々木先生推薦なら喜んで出す出版社はいっぱいあったと思います。
「本気で言っているのではないだろう」と、佐々木先生のお言葉だからこそそう判断するのは出版ギョーカイ人としての常識に則ったものでした。


というわけで佐々木先生に推薦を受けたからなおさら、私としてはこよりさんの本を実現する気がなかったのですが

結果的に本になったくらい、こよりさんの力がすごかったということです。

そのこよりさんのブログ

大久保さんのブログ

この二つをもって、私の哀悼の意の代わりとさせていただきます。

最後に先生に献本した本は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』でした。
っていうか献本じゃないですね。献ゲラです。ゲラの時点で「こういう本を出しますよ」とお知らせしたのです。


「加害者はよこはまクリニックで診断・加療を受けました」とお手紙を書きました。
お知らせしておくべき情報だと思いました。

当事者としての私(私は自閉症者の犯罪被害を受けた当事者ですからね)に学んでくださったのかどうか
天国の先生におききしてみたいです。

お礼状は来ませんでした。
お返事がないことをお返事と受け取りました。

その後、私はこよりさんと交流を重ね

私は先生が「本を出せばいい」とおっしゃったけれど版元を見つけるほど本気ではなかったこよりさんの本を自分のリスクを取って出しました。
その本がまた、多くの人たちの役に立っています。

そして明日二人で沖縄に行ってきます。
「治る」話をしてきます。
そういう時代になりました。

一部では私は反TEACCHだということになっているようですが、私はTEACCHがなぜ自閉っ子を安定させるのか自分の身体を使って人体実験までしました。
そしてTEACCHが自閉っ子にとっては「脳機能のアウトソーシング」なのだと身をもって知りました。
日本のTEACCHの先生の後継者たちのおひとりに(きっとこれから跡目争いが始まるのでしょうね)「そこまでやる人はいない」と言われたんですよ。

私は反TEACCHではありません。
多くの自閉っ子が、そして大久保さんのようなたくさんの支援者が、救われたと思います。

けれども神経発達が進めば
構造化しなくても混乱しない子も出てくるでしょう。
こよりさんと同じように
それが私の今の目標です。

訃報が届いて以来
たくさんの人たちが天国の先生に見守られたがっていて
先生は空の上でもお忙しそうです。

でも花風社を見守っていただく必要はありません。

去年父がそちらに先に行きまして
いい仕事をしてくれているのです。

父は先生のような斯界の大物ではありませんでしたが

私を守る力はどんなえらい人よりもあるのです。

仕事人間ではありませんでしたが

幼い私ととことん遊んでくれました。それが私の土台を作ってくれました。

だから、先生も、皆さんを守るのに忙しすぎるのなら

ご家族を見守ってあげてください。
安心なさると思います。
私は見守られているのを知っているから
今安心して親亡き後を生きています。

どんな支援者も親には勝てないのですから。

おつかれさまでした。

花風社は、

構造化のいらない子を増やす活動をしていきます。
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時代に逆行するギョーカイ

2017-06-28 09:17:26 | 日記
今朝は5:57に目が覚めました。研いだお米を入れておいた土鍋に火をつけてレンコンとカブのお味噌汁を作り朝ごはんをすませ、BSで早ひよをみようかな、と思っていた時に始まった発達障害特集@NHK。どうせまた期待できないんだろうな、と思いながら見てしまいました。

見た方いますかね。

私がひとつ解いておきたい誤解。それは締め切りに関して。私の見ている限り発達障害の、しかも自閉が入っている人は定型発達者より締め切りを守ります。もちろんそこには関係が成り立っていることも加味されるかもしれませんが。それだけは言っておきますね。

それといったん就職して長年の社会人生活を順調に過ごし、でも中間管理職になって崩れた人がリワークプログラムのようなものを受けていましたが

いったん社会人になって適性がないところに達してつまずいた、みたいな人は基礎的な力が培われているはずですから大脳皮質レベルのアプローチでも助かると思います。ここまで育てたのは社会です。そこまで育っているかどうかでこういうプログラムに効果があるかどうか違ってくると思います。

そう思うとちゅん平さんが挫折の末にリワークにたどりつきそこでステップアップしたのは、それまでの経験値(本を出して人々と交流が始まったり講演活動したりなど)も土台を作っていたと思います。この冬から秋にかけてちゅん平×私の講演が二か所決まりました。ひとつは自治体関係ですので広く参加者募集はしないかもしれませんが時期が来たらお知らせします。時代がちゅん平さんに追いついてきたのとちゅん平さんが講演のスキルを南雲さんその他に学んだのとタイミングが合ってよかったと思います。

ところで

番組の中でどうやらギョーカイ人らしき人が出てきて(名前だけ知っている人)「社会が変わって業務が複雑化して今まで障害じゃなかった人が~」といういつものギョーカイトークをしていました。これに対し神田橋先生が「社会はさほど変わってないよな」と『発達障害は治りますか?』の中で発言されたことを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。私もどっちかというとそっちです。

久しぶりに「社会が変わったから~」のギョーカイトークを聴き、ちょっとまじめにこれを考えてみました。なぜこういうこと言うのだろう?

一つは彼らが、徹頭徹尾自分たちの責任を避けるためでもあるでしょう。本人たちは変えたくないんですよね。そして、支援者が当事者にする接待でもあります。「あなたたちは機能的には問題ない」といつわりの慰めの言葉をかけているわけですね。支援者が当事者保護者にする接待を真に受けるとね、いろいろ道を誤るんです。これは新刊にも書いてます。

社会が変わったとすれば、私は一番大きな悪い変化は非正規雇用が増えたことだと思います。とくに現業的な仕事の。でもこれは、合理性の追求という正の面も持っている。私などは若いころ終身雇用制度が大嫌いで、それが崩壊したということは一面「夢がかなった」でもあるわけです。そういう人は多いと思いますよ。

なんでも正負の面があります。たとえばお見合いが廃れたことなどは、自由に恋愛できる人、家同士のしがらみと関係なく相手を選べる人が増えた一方で昔ならぽかんとしていても周りがおぜん立てしてくれて結婚できた人ができなくなった。ちなみにここで焦ったもてない君とかがいたわけですね。私は彼の卑屈の原因がどこにあるかわからなかったのですが、まさかここにあったとはびっくりしましたよ。

あといい方への変化はもちろん、家制度が薄くなったこと、全体的にみんなの生産性が落ちているからあまり多くを求められないこと(これも国全体としては大問題ですが能力の低い人には生きやすさにつながるはず)、インフラの整備、デフレ(これも国全体では以下同文)、趣味のセグメント化、ネット、など様々なものがあります。

そして何よりジェンダーの縛りが以前ほどきつくない。これは大きいはず。

不況が続き女性も労働市場のプレイヤーにならざるをえなくなった結果なれるようになった。これは大きいと思います。私が小さいころは幼稚園ではなく保育園に預けられるのは貧乏人の子どもだとか真面目に言われていたりしたもんです。しかもそれを言う人を誰も咎めないという残念な人権意識でしたよ、それに比べると今は相当マシ。

なのにさ~今日発言していたギョーカイ人の名前をどこで見たかというと

ギョーカイ有数()の親の会だか自助団体だかの夏合宿(エビデンスのある友だちづくり合宿(笑))で女子のたしなみみたいな講座を担当すると書いてあるのを見て

「この時代にそんなもん企画するのはすごい」(ほめてません)と思ったんですよね。
それを誰もとがめだてしない周りの人権意識がすごいし、そこに参加させられる女子は空気が読めない上に空気が読めない教育されてさぞ生きづらいだろう。

いやあ、すごいや。

それいゆがちゅん平相手に「おしんの姑につかえられるよう」あれこれダメ出ししたときもすごいなと思ったけど、

そして支援者保護者が一番人権侵害しているっていうのはよく見かけるけど

これだけ時代に逆行できるギョーカイ人ある意味すごいし、すごい恐怖麻痺反射なんだろうし、こういう人は「治る」という言葉を被害的に取るだろうし、結果治せないだろうなあと朝から感心しましたよ。
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西にいます

2017-06-26 07:57:40 | 日記



昨日は美しい景色を楽しみながら某所から某所に移動しました。
朝から温泉入ってひよっこ見て温泉また入って当初の目的を遂行するつもりです。雨も小降りだし。

栗本さんが東に帰ったようですね。
長崎は二箇所講座をしたけどのこのこに声かけるどころかそもそも情報表に出す前に予約が埋まってしまうそうです。

たいしたもんですね。

そらパパの大バカが、「浅見はギョーカイが陰謀を企てて自分たちの邪魔をしていると妄想している」という妄想を抱いているようです。
昨日宿に入って温泉入る前に連続ツイートしておきましたからよかったら読んでください。
ギョーカイが陰謀なんか企てるわけがありません。そんな能力も胆力もギョーカイにはない。あったらもっとみんな治ってますよ。
私は標準的な療育を否定していません。限界を指摘しています。なぜならアプローチの対象が大脳皮質オンリーだから。言葉以前のアプローチでもっと根っこから育てようよと提言してるのです。
エビデンスが出てからじゃなきゃそれに乗り出さないのならエビデンスと心中して指くわえて見てろというだけです。
また花風社がギョーカイの陰謀で支持されてないとも思っていません。じゃなきゃこんなに手分けして全国回っていませんよ。三年前まで無名だったおっさんがなぜこれほどお座敷かかるのでしょうか、花風社が支持されてなかったら。

新刊にも書きましたけどね
エピソードに過ぎない。エビデンスがない、と我々がやってることを非難する皆さん
選択は勝手だけど信用してほしかったらエピソード出してごらん。
そらパパみたいな効果上がってない人が推せば推すほど引いていく人たちもまたいるんですよ。

それとエビデンスガーの人たち、どの論文を何本読んだんですか?
教えてください。何しろ倫理的に問題があって出せない論文も多いらしいから私も読んでみたいですよ。
別に日本語じゃなくていいですよ。
私は吉川と違ってwouldとかshould とか飛ばして読みませんから。

理系は珍しくないんだけどね、飛ばして読むの。

では。

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寝るだけ

2017-06-25 05:54:11 | 日記



おはようございます。隠密行動ちうです。

ここは大雨です。歩いたりするのは鬱陶しいですが、私は空梅雨が嫌いなので、この時期に雨が降るとほっとします。今日は関東も降ってくれそうですね。

昨日はプチ饗宴でした。

これが普通なのか特殊なのかわかりませんが、仕入れた雑多な情報が一晩寝るとレジュメになってる私の脳みそは編集者として便利なことはたしかです。

今日はここで仕事して、夕方移動します。

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治るという言葉を使う三つの理由

2017-06-24 09:27:53 | 日記
先週の土日連続講演からあっという間に一週間。今日はこれから羽田、でその後三日間隠密行動です。探さないでください。
日本中どこもお天気悪そうね。でもいい加減空梅雨が心配です。運動靴で行きましょう。人前でしゃべるわけじゃないしね(謎)。

出発前ぎりぎりになって、「発達障害、治るが勝ち!」脱稿しました。

東京講演にいらしたフジイさんがこう書いてくださり

=====

治るという言葉を使う理由のお話しでも、まっすぐに入ってきて、泣けて心にしみました。

=====

最後の最後に「浅見が治るという言葉を使い続ける三つの理由」は書きました。
本全体を読めば端々に書いてあることですが、まとめておいた方がいいと思って。
いや、フジイさんのコメント読んで気づいたんですけど、もし自分が保護者の立場であの三つの理由を言われたらやはり泣けて心にしみるなあと思ったから。

その他にもたくさんいいコメントばかりいただいているのにお返事できなくてすみません。
河北息子さんのコメントとか読むと、やはり「治る」っていう言葉は使い続けようと改めて思います。だって本当に、そういう状態なんだもの。

この一週間、岡山方面からの客注が多いです。
とくに行政関係。こういうところは書店経由でくるからわかりやすいんですが、行政関係者に花風社がやっていることが届いたっていうのは、やはり老舗の会が主催してくださったからですね。ありがたく思います。
一方で私たちのやっていることは、必ずしも行政に理解されなくてもいい、という思いもあります。行政の方が講演会をきっかけに花風社がやっていることに興味を持ち、本をまとめ買いしてくださり(今ここ)読んでみて違うと思ったらそれはそれでいい。
なぜなら私たちのやっていることは
1 自分でできて
2 金がかからなくて
3 できたら身体の中に何も入れない

なので、莫大な公金がいるわけではないからです。

それではそろそろ用意します。

行ってきます!

お会いできる方々、よろしくお願いいたします!
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みんな誰かの大事な子ども

2017-06-22 12:00:02 | 日記




さて、では岩永先生関連トラウマと一緒によみがえってきた良質のフラッシュバックの方のお話。

岡山の講演ではYTが電話してきたときの・有名ギョーカイ人 ・有名ギョーカイ組織 のへたれっぷりを実名抜きでお話ししました。おもしろおかしくね。そしてそのあと、実家にかかってきたときの母の対応が毅然としていたことをお話しし、いかにギョーカイ人に一人の老婆でも持ちうるほどの胆力が欠けているかということを示したわけです。おもしろおかしくね。実際に笑いが起きたし。これはね、ただのギョーカイの悪口じゃないです。ギョーカイがしたり顔で説く「問題行動は無視」が人として本当に正しいかどうかの問いかけです。
あとで記録を見たら『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』は完売でした。全員にではないかもしれないけど、何人かは私の考えに興味をもってくださったのだと思います。

大勢の人の前で語ったからでしょうか。
帰りの新幹線の中で、私初めて気づいたんですね。

あのとき、母は私を守ってくれたのだ、って。

実際客席にいた人によると、私が母の話をしたとき、笑いも起きたけど感動も起きたのがはっきりわかった、と。その方も聴いて感動してくださったそうです。

母は強し。そういう感動です。

当時母はもう後期高齢者で、私は四十代の会社経営者でしたけど、そして心配かけたくないから裁判のことは一切実家に話していなかったけど、変な電話を受け取って母は、私が何かに巻き込まれていることを瞬時に悟ったのでしょうね。そしてはねのけてくれたんです。

瞬時に悟り戦う。それが親なんだと思います。

ありがたいな~と、数年かかって私はその時の親心がわかり、涙が出ました。
するとその直前直後の記憶がよみがえってきました。

母からメールが来ました。変な人から電話がきた、と。
私はすぐに電話しました。母は毅然と対応してくれたことを知りました。
泣きながら説明しました。私が何に巻き込まれているか。
そして夫と二人で裁判を起こしていることを言いました。心配かけたくなかったから黙っていたことも。

私のせいで母まで巻き込んで、情けなくて情けなくて仕方ありませんでした。
加害者とギョーカイを憎みました。
電話を切ってからも私は泣いていました。


すぐに母はコールバックしてきました。
そして落ち着いた声で「泣いていたからもう一度電話をしたのよ」と言いました。
母は怒って電話をしてきたのではありませんでした。私が泣いていたから心配して電話をしてきたのです。
私は現在の進行状況を話しました。
母は「昇吾さんが一緒に戦ってくれるのなら安心ね」と言いました。

そのことを私は思い出したのです。

やはりね
親に勝る人はいないのです。
どんなスキルのある支援者だって
親ほどその子を思う人はいない。
親ほどその子のために戦う人はいないのです。

ましてやギョーカイは、臆病者と卑怯者の巣窟なのです。
自分たちの金づるである自閉症者に萌え、それでいて悪いことをすると偽者扱いし、治ると偽者扱いする往生際の悪い弱虫の群れなのです。


だからね皆さん

支援者が何を言おうと、親としての本能を大事に大事にしてください。
支援者に潰されないでください。
「治ってほしい」という気持ちを支援者は「障害受容ができてない」とか言うかもしれません。
でもそれは、ただのポジショントークです。
自分たちになすすべがないから、当然の親心を押しつぶそうとしているだけです。

「治りますように」と神仏に祈りたければ堂々と祈ってください。
皆さんは親なのですから。
子どもの幸せを願うのは当たり前なのです。

沖縄でまた、本能を大事に大事にしてお子さんを育てあげたこよりさんとお話しする日が楽しみです。



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最後のギョーカイトラウマ 岩永先生編

2017-06-22 09:37:12 | 日記
さて、土日と講演で帰ってきた次の日。休み取ろうかと思いましたよ。
でも我々の仕事は、完全なオフっていうのはわりと難しいです。大きな仕事には手を付けなくてもちょこちょこ応答しなきゃいけないこと入ってくるしね。
そんな感じで一日を過ごし、今日はだるいな~早く寝ちゃおうかな~なんて思っていました。

実は岡山から帰る新幹線の中で良質のフラッシュバックがあって。
これはまた、後日触れます。心から「ありがたかったな」と今になってわかった、っていう感じのフラッシュバックがあって
それにつれてギョーカイトラウマもやってきたのですね。
そして今回のギョーカイトラウマの原因、容易に特定が可能でした。
あ、これは岩永先生関連だ。岩永先生は私にとって最後のギョーカイ人ですからね。
最後に来るわけです。

岩永先生関連のギョーカイトラウマ、と唱えてみると身体が「そのとおり」と答えを出してくれましたので、じゃあ手順は決まってる、と思いました。
走ってきて汗をかいて焼酎風呂。そして神田橋先生に習ったインチキ(ほめてます)体操。
こうやって言葉以前のアプローチをしたら、言葉による自己治療が自然に始まりました。

YTの件、岩永先生は近くにいてみていた人の一人です。
その岩永先生にもYTは電話した。そうしたら渾身の力を込めてワンギリされたわけですね。そして「こういうのは無視するのが一番です」とかなんとか言っていた。そのころ私は岩永先生と仲良しだったわけですが、「もしかして、ちきん?」という疑惑が初めて芽生えたのがあのときですね、今にして思えば。

一方で「この人はあくまでギョーカイ人なんだ」と、ある種の見切りをつけたのもあの瞬間だったかもしれません。


身体アプローチをやっているけど、あくまでギョーカイ人なんだ、って。

「問題行動は無視」って、家族ともども被害を受けていた身としては全く効力を感じない解決方法でしたね。まあギョーカイ人がこれを信奉するのは、実は理論とかより先に、結局仕事したくないからかもしれませんね。


その次に「もしかして、ちきん?」を感じたのは、これは伏せます。神田橋先生絡みなので。
「ああこの人は治したくないんだな」と思いました。治すよりギョーカイで叩かれないことを優先する人なんだな、とわかりました。治したいのなら、別の選択があったでしょう。


そしてその次のちきん疑いは、これは出します。
大大大博士祭りのとき、びびってました。吉川に。
ちきんにびびるちきんです。ちきんonちきん。

そして最終的なちきんは、ご存じのこのこ関連です。

岡山の主催者さんには岩永先生の悪口は言いませんでしたけど、先方は「岩永先生のお名前を初めて知ったのは花風社さんの本」とおっしゃってました。たぶん長崎以外の人はたいていそうじゃないかしら。それでものこのこ内猿烏賊に引っ張られて無礼なことするわけですから、腹が立つと同時に「やっぱりちきんだったんだ!」と納得した感じです。これまでのちきんエピソードが一つに収れんしたのですね。

もっとも私が栗本さんの本とか出したときに「私の感覚統合ブームは終わりました」とか言ったのが頭に来たのかもしれませんが
私がなぜそういったかというと、岩永先生が喜んでくれると思っていたんです。
感覚統合が治せないものを治せるアプローチを見つけたことを、喜んでくれると思っていたんです。

だって私、岩永先生は子どもたちのことを一番に考えていると思っていたから。
子どもたちのことを一番に考えていたら、自分たちが治せないものを治せることがわかって、うれしいのが普通じゃないですかね。
それでもそれに気を悪くされたとしたら、先生が守りたかったのは子どもたちではなく「感覚統合」という分野なんでしょうね。

つまり私はもうちょっと器を大きく見積もっていたんですね。

まあでも、浅いですよ。岩永先生関連トラウマはね。
それに岩永先生の花風社における最大の功績は、神田橋先生を連れてきてくれたことです。
それで帳消しにしましょう。

という言葉による自己治療が始まり

そしてふと気づいたんです。

今栗本さんは沖縄にいます。これから長崎と福岡を回って箱根のこっちに帰ってきます。

だから長崎の人から、「本を送ってください」というご連絡が月曜日にあり浅見セレクションで送り出したんです。長崎に本を選んで倉庫に指示を出す。それが月曜日にゆるゆるとやった数少ない仕事のひとつです。

そしてそのことがもう、一つのしるしなんですね。

栗本さんを呼び続けている人たちが長崎にいる。

おそらく長崎というさほど大きくないコミュニティの中で、栗本さんを呼ぶ人たちは別にのこのこの人を排除したりはしていないでしょう。でも実質、のこのこは来ない。岩永先生べったりの人は来ない。健全な分断が起きていることでしょう。

つまり、私が指一本動かさなくても

長崎にはすでに実験群と統制群が出来上がっていたんですね。

化外の民が提案した根っこからのアプローチを実践する人たちと、ギョーカイの顔色を伺いながら支援をしている人のいうことを鵜呑みにする人たちと。

のこのこ及び非のこのこの長崎の方たちにご忠告。

どこでもそうですけど

ノーと言えないギョーカイ人にはギョーカイ人のお友だちがいっぱいいます。
その人たちが長崎の迷える子羊たちにいろんなものを売りつけてくるでしょう。
ペアレントなんとかとかソーシャルなんとかとか。
無料? でもね、行政が払っていることもあるんですよ。そしてそのおおもとはもちろんおたくのお父さんが汗水たらして払った税金です。
ギョーカイ人はね、ここに手を付けるのが好きだから。

そしてギョーカイの顔色を伺いながら仕事している地元ギョーカイ人はね、
必ずしもそれが目の前の人に役に立たなくても、ギョーカイ拡張運動に努めますよ。
自分が仲間のギョーカイ人にいい顔したいからね。

なぜそのプログラムを勧めるか、誰が胴元か、その人とローカルギョーカイ人の力関係はどうなのか、なんてよく見てから決めるといいですよ。

もっとも引っかかる人たちの方はこのブログ見てないでしょうけど。

でもね、すでに実験群と統制群に分かれているわけだから

私は高みの見物をすることにします。

五年後、十年後

栗本さんの指導を受けている人と受けていない人がどう違ってくるか。

地元ギョーカイ人を通じてギョーカイの猫烏賊商品を買わされた人と買わなかった人がどう違ってくるか。

楽しみです。

子どもはあっという間に育つから。
社会の理解が進むより早く。

こう考えると

自然に笑みが浮かんできて

岩永先生関連トラウマはするするとほどけていきました。
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治るとはこういうことか? 東京講演ご報告

2017-06-21 09:24:29 | 日記





さて、岡山から戻り翌日は東京・目黒です。
お客様の構成的には、花風社セミナーにいつも来てくださる花風社クラスタ+先生たち
という感じです。
もともと先生たちのお勉強会をしていたそうです。
大阪とか東北とか、いろいろなところから来てくださっていてその熱心さにびっくりしました。
けれども一番遠くから来たのはどこからからというと
沖縄どころではなく、アメリカです。
トニママこと仲本博子さん、ちょうど日本にいて、今回はスケジュールタイトでここでしか会えないとサプライズでご参加くださったのでした。

テーマが「発達障害は治りますか? 愛着障害は治りますか?」で
どうして発達障害の問題から愛着障害の問題に至ったのか、そのあたりをお話ししようと思ってレジュメも用意してあったのですが
前日岡山で、自閉っ子通信を読み合わせすることの効率の良さに気づいたので、自閉っ子通信も前半部で使いました。花風社から直接買っている人はすでに読んだことがあると思いますが、先生たちにしてみれば初見でしたしね。
参加者の方からこういう感想がきました。

=====
2時間半という短い時間でしたが中身の濃い公演でした。
自閉っ子通信は以前直販時にいただいて持っていたのですが、浅見さんの読み合わせ
によってより深く内容が頭に入っていくように思います。
今回花風社さんの出版の変換を追っていったわけですが、その中から浅見さんの真摯
でブレない姿勢が新しい知見に繋がり、さらに発達に繋がっていくという、まさに芋
づる式の構図が浮かび上がってくるようでした。大きな勉強をさせていただきまし
た。
=====

発達障害の人たちと接した→治るといいなと思った(赤心)→自立支援を!というからまじめに追求した→いろいろ提案→治るなんて差別!にびっくり→ギョーカイが臆病者と卑怯者のかたまりだと気づく→恐怖麻痺反射・愛着障害→ヌケを埋める→中枢神経

という道のりが自閉っ子通信にはかいつまんで書いてあるので、それをさらに口頭で肉付けしていく感じ。これ、岡山でも東京でも評判よかったようで、一応年に一回くらいは無料イベントをやろうと思っているのでそのうちやってもいいですね。だったら自閉っ子通信増刷しないと。いっぱい刷ったのにいかに直販でいっぱい買っていただき講座等にいっぱい来ていただいたかわかるというものですね。

さて

そのあとは普通の講演になりました。新ネタは二次障害かな。最近いろんな事象を見渡して、そして講演準備のために『愛着障害は治りますか?』を読み直してみたりして、ふとあることに気づき、愛甲さんにきいたんですよね。「私はギョーカイの二次障害回避原理主義が嫌いだったんです。でも例えば愛甲さんなんかは、二次障害はむしろ出さなきゃいけない、ってお考えなんですかね?」と。

そうしたら「そうですよー」としれっと答えられました。

これが最新の「専門家、早く言え」です。
二次障害出しちゃった方が治るのね。
だから回避原理主義だと治らないの当たり前ね。
まあそんな話をしました。

そして質疑応答。花風社クラスタではなく教育関係者(東北からいらした)から、よくある質問が出ました。その方は同僚の方から送り出されるとき「治るってなんだろうね」って言われたそうです。もうこの手の質問はいーっぱいされたことありますから「きたきた」と思いました。

その方は同僚と話し合い、「自分たちもなんか短所がある。たとえばガンコとか。でも一応社会人をやっていくうえでそれを抑えて対処できるくらいにはしている。それが治るということじゃないか」とあたりをつけてきたそうです。私は「違います」と即答しました。少なくとも私にとっての「治る」はそれじゃない。

でも一方で質問してくださった方が「官」で働いていることを考えると、それくらいが限界なのかもしれないな、って思ったのも正直なところです。だからまあ、教員の精神疾患は多いんだよね。でも私にとっての治るとは、そういうことじゃないです。抑えることではなく開花することだから。私はそれができやすいポジションにいるというたけの話。たとえば暴言力、活かしていますよね。

「治る」を被害的に取る人たちの多くは「社会適応のために不承不承何かを演じさせられた・捨てさせられた」という体験を持つのでしょう。でも私にはそれがない、あるいはいちいちそこで自分を説得することにひととおり成功してきてるんで、「治る」=もっと自分らしくなる というとらえ方をしているんですね。

でもこれはいい機会だったので、私がなぜ非難ごうごうの中治るという言葉を使い続けるか三つの理由をお話ししました。

ここには書きません。本にも書かないかもしれない。これはライブで聞くのが一番わかりやすいですよ皆さん。

ただね、最近カンカイガーの話を二つきいて、そのひとつは

障害者有期雇用→無期雇用 とステップアップした方、栗本さん方面の実践をしてすっかり心身健康になった方をなんとかセンターでは「寛解期」(やっぱり変換しないや)と書類に書いてファイルしてあることを偶然知ってしまったそうです。そして意地でも治ったとは認めないんだな、とあきれたという話。もちろんたとえば何かが起きてまたセンターの世話になるかもしれないわけだけど、一生ならないかもしれなくて、じゃあその方が治ったかカンカイかは死ぬまでわからないっていうことですね。たぶんたいていは親の方が先に旅立つから、親御さんとしては確かめようがないけど「治った」と安心する権利は親にはあるのです。

それと、「完全寛解」っていう言葉もあるということ。なんだよそれ。治癒じゃなくて完全カンカイ。

もうこうなると、医療側の方言と考えた方がいいですね。

「はんかくさい」はやわらかくて響きがいいなあ、と思うけど、道民が鬼の形相になって「しゃらくせえなんて使うの禁止!」とか江戸っ子に迫ったらうるせえなあ道民、と思うんじゃないかしら。

「なんくるないさ~」はすてきな言葉だけど、それだってそれしか使わなきゃいけないって非沖縄の人が言われたらうざいでしょ。

そして私のパソコンは相変わらずカンカイを変換しないのだが、ニキさんにそう言ったら「私のはする」と必死に訴えてくるわけです。

なぜかというと、ニキさんの中の「否定された反射」が発動し「浅見さんはカンカイが存在しないと思ってる!」と誤解してしまうからですね。「カンカイは実在する!」と訴えたいわけです。

ところがこっちはカンカイの実在は疑っていないわけです。
どっちみちギョーカイはカンカイがせいぜいだし。

それにさ

カンカイしかしたくない人は一生カンカイしていればいいんだよ。
棺のふたがしまってもまだカンカイしていればいいんだよ。
でも方言を押し付けるなっていうこと。
そして私は医療者じゃなく編集者だから、世の中で流通量が多い言葉、人口により膾炙している言葉を使うのが仕事なの。
ギョーカイは方言を使っていなさい。私は標準語を使う。

それに

医療者は実際、カンカイもあんまりしていない。
それが発達障害ギョーカイの実態ではないかしら。
おまけにレアなケースとして二次障害が治った場合にもギョーカイの治し方は揺り戻しがくるから、やっぱりカンカイなのかもね。私たちのはね、根っこからヌケを埋めるから治ったなのよ。

そんなわけで東京講演も盛会のうちに終わりました。
お越しくださった皆様、主催の皆様、お手伝いくださった皆様、ありがとうございます。
同じ主催の方が7月、栗本さんの講座を開いてくださるので貼っておきます。
私も見張り見学に行きます。皆さんお会いしましょう!

詳細・お申し込みはこちらへ。

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借りてきた虎の旅(岡山講演ご報告) その4・完

2017-06-20 13:45:45 | 日記
私としては「大脳皮質とその下」を考えさせられたニキさん講演。隣ではちゅん平さんが涙流しながら笑っていました。これだけの反応の違い。
一つはニキさんの老後準備が、高齢者のお客にも対応する身としてとてもためになったそうです。それ以外にもやはり自閉文化同士相通じるものがある感じ。こうなるともう私は立ち入れない世界です。

ちゅん平さんがあまりに面白がるので、対談もまずはそこから始めました。ちゅん平さんによるニキさん講演感想から。私も感想を言いました。ニキさんはすごい努力しているんだね、と。これは定型語で、率直に言うと「脳みそ無駄遣いだね」だったのですが、壇上だったこともありついつい私はきれいな言葉を使ってしまいました。そうするとニキさんの顔が変わりました。自分では努力のつもりがないというのです。ニキさんの不安が発動するのを感じ、さっとその話題を引き上げました。否定していないところを否定ととったような反応を示す。これは昔から気を遣うところです。壇上でなかったら説明したと思います。でも今ここでそれをやるとお客様の時間を無駄にします。

実害の一万パーセントないところで不安を感じる。ニキさんのこの性質を私は昔、二次障害だと思っていたのですが、恐怖麻痺反射やなんやらについて知った最近は、一次特性だと考えるようになりました。ある意味、ニキさんの身を守っているのだろうと思いました。そしてギョーカイ人たちが「ニキさんには二次障害はない」と萌えていたのは(そういう時代があったのです)、彼らにとっては「本人がどれくらい苦労しているか」よりも「扱いやすい自閉症」が判断基準なのだろうと思うに至りました。私から見るとニキさんは、まっとうに苦しみを抱えた人だったから。
でもギョーカイ人はあまりにニキさんに萌え、そしてそういうニキさんが偽者扱いされ、実は存在しない人物だと言いふらされ、それは結局刑事事件にまで発展しました。

私がなぜニキさんには二次障害があると思っていたか。それはニキさんが否定でないものを否定にとる癖があったからでした。素人の私にとって、二次障害っていうのは要するに「自己否定」でした。ギョーカイ人たちがなぜニキさんには二次障害がないと思っていたか、それはYTのように行動化しないからでした。彼らにとっての「ニジショウガイ」とはつまり「扱いがめんどくさくなる」ことでした。「ニジショウガイにならないように」は「本人が幸せに」ではありません。「めんどりとしてめんどくさくないように」です。さすがに借りてきた虎として、ここまでは当日言いませんでしたが。

やがてギョーカイ人たちはどんどん本物の範囲を狭めました。YTは一流()の医師(会場で実名は出しませんでしたが内山登紀夫医師です)の診断のもと本物の自閉症者と診断され会議で発言を求められるような扱いを受けていたのに、悪いことをしたとたん偽者にされました(杉山先生の「偽アスペルガー事件」)。そして骨川筋子時代のちゅん平、音やにおいで倒れていたちゅん平は「受動型の典型!」とかもてはやされていたのに、治ったとたん偽者だと言われるようになりました。地域の主要病院のまっとうな医師が長い時間をかけて手続きをきちんと踏まえて診断したにもかかわらず、治ったとたん偽者扱いです。

いかにギョーカイがご都合主義か、伝わろうと伝わるまいと私は事実を挙げていきました。

治っても、悪いことしても、自閉症は自閉症のはず。
なぜ「自閉症もさまざま」な方ではなく、「(自分たちにとって)都合の悪い自閉症者」
すなわち犯罪を起こしたり治ったりする人を偽者扱いし、その人たちを自分たちの支援の外に置くのか、一人で考えてもさっぱりわからないので私はこのテーマを選ばせていただきました。
そして一次障害と二次障害、という区別についてもう一度考え直してみようよ、という提案をしました。
一次障害も治っているものはあるし、二次障害のすべてが社会のせいではありません。
一次障害が治らず、二次障害は社会の理解が必要なら、支援者は(とくに成人支援の支援者は)事業費など受け取らずその分社会にばらまけばいいのです。実際に仕事をするのは社会なのですから。これは借りてきた虎でも口に出したかもなあ。

私は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』からごくごく短い文章を朗読しました。
そしてYTが有名支援者に電話をかけたらその支援者が渾身の力を込めてワンギリしたこと(会場で実名は出しませんでしたが岩永先生です)、有名支援組織に電話をかけたらそこは「あまりの剣幕だったから」私の個人情報を漏らしてしまったこと(会場で実名は出しませんでしたが佐賀のそれいゆです)、そしてついにYTが私の実家に電話をかけたとき(ここで会場から悲鳴のようなものが起きました)母が毅然と対応してくれたことを話しました。胆力においてギョーカイの有名支援者も有名支援組織も老婆一人に勝てない現実を見たことをはっきり言いました。
そもそもYTのウソをすっかり信じてしまい「いないはずのニキさんがわが町にくる」ということで寝込んでいる人がいたら「ニキさんは実在するよ」と教えてあげるのが支援だと思います。それをほっといた支援者もいました(会場では言いませんでしたがこれも長崎方面です)。加害者も支援しない。妄想にとらわれている人も支援しない。一切支援しない人たちが支援者を名乗っています。そして事件が起きると、自分たちの無為無策を棚に上げて社会の理解ばかりほしがります。私はその人たちよりずっと「共存」をまじめに考えてきました。それを皆さんに知らせておこうと思いました。

結果的になぜ私が治るという言葉を使うのかは岡山では説明しませんでしたが
あのフレーズは言ってしまいました。
「治さない医療で診断され、伸ばさない療育に放り込まれ、アリバイ的に特別支援教育を施されて、就労支援で生涯飼い殺しされる。そういう人を一人でも減らしたくて活動しています」と。
「グレーと診断された子に支援がつけばつくほど黒くなる。これは十数年前には想像していなかった現実です。それが今起こっています」と。情報として伝えておこうと思いました。
ソロの講演よりは虎度が高かったようです。

どれくらい伝わったかはわかりません。
ただ、種はまいていこうと思います。
きっと反発する人もいっぱいいるでしょう。それでいいのです。
私はおおまじめに共存を考えているのです。
そしてギョーカイの無能と偽善に心底怒っているのです。

そして借りてきた虎がいくら吠えようと

ギョーカイは私の首を取りに来られない。
なぜなら
彼らは「問題行動は無視」の原理で自分たちのことなかれ主義を正当化しているからです。
私の首を取りにくる人がいたら
珍しく勇気がありますね、とほめてあげたいくらいですわ。

会場にお越しくださったたくさんの皆様
あいがとうございました。そして
こんな暴れん坊の私を呼んでくださった育てる会の皆様
本もたくさんたくさん売ってくださり
ありがとうございました。

私たちは岡山駅まで三人で帰り
何か社交上のアポがあるらしきニキさんが最初に発ちました。
それから私はきびだんごを二箱買いました。
父が西日本に行くと買ってきてくれた私にとってのソウルフード。
父の日に仏壇に供えたいと思いました。
ちゅん平さんは妹さんのおみやげにお洋服を買ってあげるやさしいお姉さんでした。

それぞれの場所へ
それぞれの次の仕事へ
私たちはそれぞれ家路をたどりました。
三人の仕事は久しぶりで、それぞれおかれた立場も考えもスタンスも違いますが
会うとすぐにペースが戻ってきます。
今後は「気の合う三人」ではなく「違い」が浮き彫りにされるステージに入るだろうという予感がします。そして私はみなさんご存じのとおり、予感が当たる人です。
それでもきっと私たち、喧嘩はしない。

そういっとかないとニキさんびびるし。

でも本当に、きっと喧嘩はしない。

これが築き上げてきた関係性なのだろう、と思いました。

ニキさん、ちゅん平さん、本当にありがとう。

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借りてきた虎の旅(岡山講演ご報告) その3

2017-06-20 10:59:27 | 日記
さて、豪華お弁当のあとはニキさんの講演から。

とは言ってもニキさんは、あまり自分の講演内容が漏れるのを好まないので、私がニキさんの講演を聴きながら何を思ったかを書いておきますね。

基本的には老後準備の話だったんですけど、私の関心事は「大脳皮質とその下の関係」に集まっていました。

実は今回主催の「岡山自閉症児を育てる会」さんでは数年前に一度三人で呼んでいただいています。そのときの主催者の方から見た私の印象を「頭のいい方」と書いてくださっていたのを読んだんですね。そして実はこれ、私にとっては意外な感想なんです。私は自分で頭がいい、という自己イメージはないんですね。どっちかというと「カンがいい」ので得してきた人間だと思っているんです。

長沼先生の本を作ったとき、私は自分が何かとうまくやってきたのは「無意識が賢い」からだろうなあと思いました。試しに夫に「私は知性の人か本能の人か?」ときいてみたら「本能」と即答されました。一番近い人から見ると即答なわけです。割と本能にしたがって生きていくとあまり間違えのない人なんです、私。それが私の自己認知。

でもニキさんはあれだけ言語力がありながら体温調節ができないとか、たぶん土台脳の方があやしげ(だった)。そして大脳皮質だけで考えに考えて世の中乗り切るのがサバイバル法になっているんだな、と『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』を作ったときもそう思ったんですけど、改めてそう思ったんですね。

岩永先生がニキさんのことを「脳が頭でっかち」と言われた。そしてニキさんは、優れた大脳皮質だけで相当のことをこなそうとしている。これを別の見方をすると「取り越し苦労(に見えるもの)」だったり「脳みそぐるぐる」だったりします。これは私にとってはしんどそうに見えるけど、ニキさんとしてはこうじゃなきゃ安心できないんでしょうね。

そして私が出した結論としては

たいていの人はやはり土台から育てた方が早い、っていうことですね。
ニキさんみたいに大脳皮質、言葉だけの部分が特化して発達している人は少ない。
だからたいていの人は根っこから育てた方が速いです。
ニキさんは、そういう意味で特殊です。

主催者の方の数年前にニキさんに会った感想は「チャーミング」なんですね。
これは不思議なほど皆さん同じ表現をされるし、私も一言でニキさんを形容するとしたらこの言葉を使います。言葉遣いなんてみな相当違うはずなのに一様に「チャーミング」になる。

そしてここからがますます不思議なところなんですけど

大脳皮質を極限まで使って(と少なくとも私には見える)世の中をサバイバルしているニキさん。土台脳にあまり仕事をまかせていない、まかせると不安なんだろうと思うくらい大脳皮質だけ使っている(ように見える)ニキさんなんだけど、いわゆる重度のお子さんとの地続き感がすごいんですね。だからでしょうか。重度のお子さんを持つ親御さんたちのニキさん大好きぶりは際立つものがあります。もちろんアンチもいるでしょうが。

赤本以降いろいろなプロ当事者の人が世に出ましたが、重度の人との地続き感をニキさんほど感じさせる人は他にいないのではないでしょうか。まあギョーカイ事情にうとい私の知らない人が誰かいるかもしれませんが。

そして逆に、高機能の人の親御さんは藤家さん好きですね。もちろんこちらもアンチもいるわけですが。

高機能の自閉っ子をお持ちのお母さんたちは「藤家さんのように(頑張れる人に)なってほしい」とは言いますが、「ニキさんのようになってほしい」っていう声はあまり聞きません。ニキさんはむしろ「ロールモデル」というより「語り部」として評価されている。

ちなみに主催者の方の数年前の藤家さんを見た感想は「(以前より健康になった)上品なお嬢さん」です。老舗の会の方ですから、どこかで骨川筋子時代を見ていたかもしれません。

ちゅん平さんはきちんとしたおうちできちんとしつけを受けて、弱かった時も上品なお嬢さんだったと思います。でも世の中に出ないとしつけの部分はあまり活きない。家でひっそりと上品なお嬢さんなだけですね。

それが世の中に出るところ、出た後にはしつけを受けてきたことがきちんと光るんです。
面接ちゃんと通ったり、接客で表彰されたり。

これも土台。
そして早期診断されて「傷つけないように」ろくすっぽしつけをされなかったお子たちがこの後どういう道をたどるか、そろそろ答えが出るころではないでしょうか。二次障害回避原理主義でしつけをしなかったお子さんはしっぺ返しがくるような気がしますよ。

そんなことを考えながら、ニキさんの話を聞いていました。
私はニキさんのように脳みそぐるぐるはできないし効率悪いししんどいように感じます。
でもニキさんは私のように「悩み事はくよくよ考えずとりあえず頭にぶち込んどいて身体動かしてお酒飲んで熟睡して起きて浮かんでいるのが正解。だからそのとおりにする」みたいなのは怖いだろうなと思います。
難しいのは「やり方が違うよね」という言葉を否定と受け取る度合いはちゅん平よりニキさんの方が強いということで、このあたり気を使います。おそらくそれが反射だったり育ちの中で培われた何かであるのだと思います。
おそらく猿烏賊体験はニキさんの方が多く、育ちの中で「ありのまま」を認められなかった主観的な経験(客観的な事実と一致しているかどうかは不明という意味で主観的)はニキさんの方が多かったような気がします。

そしてちゅん平にはそういう反射がニキさんよりは少ないことが、「治る」という言葉を屈託なく使う理由のひとつですね。

そして「治る=否定されている」と感じる多くの人たちは、やはり育ちの中であまり肯定されてこなかったのかもしれませんね。

そういえばなぜ私が「治る」という言葉を使い続けるか、岡山では言いませんでしたね。やはり「借りてきた虎」だったんだな。岡山では抑えめだった。
東京では言いましたね。
それはまた、東京講演のご報告の時にでも。
それとも新刊にとっとこうかな。
考えてみます。
なぜ私が非難ごうごうでも「治る」という言葉を使い続けるか。
理由は三つあります。
それをしゃべりました。
最後は爆笑でした。

でも考えたら東京でもしゃべらなかったことがもう一つありますね。
私は自分を否定された主観的な経験がない。
いや、客観的にはアンチも多いし悪口もいっぱい言われるし否定されまくっているんだろうけど「うるせえな」と思っているから主観的にはないんですね。
だから「治る」という言葉を被害的に取りませんね、私は。

ニキさんのぐるぐるはきっと福生でも聞けるでしょう。
ご都合のつく方はぜひ。
ニキさんは自分で自分にする説明が長いです。じゃないとサバイバルできない。でもその説明が他人の役に立っている稀有な人です。それと自分で思っているよりは辛抱強く他人の長い説明でもきく力があります。そこが言語体力のある私と相性のいいところです。




続く







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