治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

この世の終わり

2015-10-30 09:30:17 | 日記


昨日帰宅したときの出来事ね。

一見して被虐待児じゃないとわかったのはなんでだろう、と思うと

やはりたたずまいがいかにも健康そうだったのと

派手に泣きじゃくれるその泣きじゃくり力かな。
あの屈託のなさ。
それがかわいがられキャラでもあり
誰一人ロビーを立ち去らなかったよ、大人が。
みんな「この子を親元に届けるまでは動けない」っていう感じだった。

泣きじゃくるお子さんを見て思い出したのは
そういえばその昔
お母さんに叱られたのがこの世の終わりみたいに思えたことがあったなあ

っていうこと。

ところが叱られても叱られてもこの世は終わらず

それどころか

相当な失敗を重ねてもこの世は終わらず

そういう経験を重ねていくと

だんだん失敗にへこたれなくなる。

それが歳をとっていくことの強みなので

失敗の前に怯えているのは「単なる経験不足」に思えるしそう主張すると

発達障害の世界では「違う」と言われるけど

本当にそんな違うのかね?

失敗しても立ち直ればいい、とよく言われるけど

私の場合は、ちょっとニュアンスが違って

「立ち直ればいいっていうか、どうせ立ち直るから」

みたいな感じかな。

だから怖がらなくていいよ、という感じ。

ただ失敗のあとは、試行錯誤を繰り返さなきゃいけないのであって


そのときに

「あなたは悪くない。社会が悪い」という刷り込みをする人とか

「なぜ失敗したか」をきちんと教えてくれない人ばかり周囲にいるとマイナス。

それが成人当事者の置かれている状況かもしれませんね。
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南雲さん(と私)に会いたい人集まれ!

2015-10-29 11:42:03 | 日記
昨日は画伯の納品にくっついて郡山まで遠足してきました。
行きは車。北上するにつれ色づいて行く山々の景色を楽しみました。
そして福ケッチャーノでのディナーを堪能し
新幹線を乗り継いで帰ってきました。

たくさん仕入れた福島の幸。野菜と会津の地酒を買ったよ。



いっつも多摩川の向こうで重いもの買って後悔することがありますが
多摩川どころか白河越えでやってきた野菜たちです。
今日から精力的に食べるのです。

さて、最近倉庫に九州への出荷指示を送っています。

11月1日にもりしーさんが福岡へ

11月3日に栗本さんが長崎へ。
11月4日に栗本さんが熊本へ。

あやしいおっさんたちの講演会があるのです。
じわじわ広まってますね、身体アプローチ。
熊本の会では、個人指導枠は満杯ですが、無料の集団指導にまだ空きがあるようですよ。


私はその間、山に登ります。
そして降りてきて、降りてきた翌日、また山のふもとに出かけます。

南雲さんが小田原で講演。
入場無料で当日行けばいい会のようですから、都合のつく方はぜひお出かけください。
私もついていって本の販売しますよ。
南雲さんのサイン会もあります。握手会は・・・知りません。でもきっと、握手で1000円取らないと思いますよ。






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かわいがられキャラ

2015-10-28 08:34:02 | 日記




以前、障害者雇用の現場に詳しい人に話を聞いたとき
雇用されやすい人の共通項として

「かわいがられキャラ」というのを聞いて、納得したことがある。

この場合のかわいがられ、って栗本さんが私にかわいがられる、というのとは違います。本当に何かと上の人に目をかけてもらいやすい人。

そしてその人に言われて納得したのは
「かわいがられキャラ=愛想がいい」
ではないということ。

仏頂面でもかわいがられる人はかわいがられるということ。

そうなのよね~。
「いい子にしているとかわいがられる」のではない。

なんでそれを言い切るかというと
私も何かと上の人に目をかけてもらいやすい人をやってきたからです。
若いころ、本当に上の人に助けられる人でした。
同輩や後輩とよりも、上司との方がうまくいく人だった。
だから

でも別に私は愛想はよくないし
いわゆるいい子ちゃんタイプでは全然ない。
だから、「性格がいい」とか「愛想がいい」とか「振る舞いがきちんとしている」ことと
「かわいがられる」って全然違う要素なんだろうな、と
身をもって体験しているわけです。

思うに、若いころの私がじゃあ、なんで上の人にかわいがられたかというと

今一つ思うのは

ぱくぱく食べる子だったからじゃないだろうか(真顔)。

いや、まじめにそう思っている。
なんでかっていうとこの歳になると
やっぱりぱくぱく食べる若者って好きなのよ。
食の細い若者より、よく食べる若者の方が、なんかかわいいよね。(個人の意見です)

まあ人間は相性だから
色々な要素で色々な人をかわいがったりかわいがらなかったりするのでしょうが

そして
「かわいがられる子に育てる」という方針自体がもしかしたら不遜なのかもしれないけど

少なくとも、時々発達凸凹の家庭にあるように
わが子なのに、人間の子っていうより「発達障害の子」って先に考えて
腫物にさわるような
何かしら客体的にかかわっているおうちを見ると

「こういううちの子は社会でかわいがられないだろうな」という気がします。
(個人の意見です)
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なんで猫本?

2015-10-27 08:58:22 | 日記
まあ、企画自体は十年温めていたようなもんです。
でもどうしても切り口が見つからなかった。
っていうか切り口はあったんだけど
平凡な切り口で、出す意味が見出せなかったんだな。

それが

鹿児島に神田橋杉山対談行って、その余波で神田橋先生の本読んだとき
この一節に触れて

ああ、これだと思ったの。
この切り口ならこの企画は本になる。

だから猫本なの。

=====
 十数年が経ち、後輩を指導することが多くなり、あのエピソードを思い出すことが多くなっていた。ある日、車にはねられ恐らくすでに息絶えている猫に、もう一匹の猫が寄り添うようにして、しきりに舐めている光景に出会った。その時に分かった。他者の不幸に寄り添い救けようとする性向は、哺乳動物にあらかじめ付与されている天然のパターンである。外界の一定のサインにより内在するパターンが賦活されるようにセットされているのである。ヒトの場合も事情は同じであるに違いない。そうした天然自然に由来する救助活動が精神療法のルーツである。その意味での精神療法は、人類発祥よりも古くからすでに在った。ところが人はいろいろな理由で、知恵を育てるとともに、動物と共有する天然のパターンを不活性化してきた。それゆえ、精神療法と呼ばれる対人活動を行うには、まず天然のパターンを活性化するところから始めなければいけない。

神田橋條治著 「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社 13ページ
=====

だから表紙も猫なの。





*そういえば昨日、11月28日の講座のあとは饗宴があるのかというお問い合わせをいただきました。少人数の会だからどうしようかなと思っていたのですが、考えてみればちゅん平と私と栗本さんくらいではどっか行くと思うし、少人数でやってもいいかなと思います。午後に参加の方で饗宴に出たい方はご連絡をください。
 講座は午前はキャンセル待ち、午後は残席少しあります。
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究極の変人枠

2015-10-26 09:25:55 | 日記
人魚姫病になって、暴走する保護者案件と迷惑な当事者案件が持ち上がって、イベントがあって、木下音感協会さんの「おんかん」を作ってて、しばらく本当に発達障害の本づくりから遠ざかっていました。「おんかん」今号はとりわけ自信作。浅見書き下ろしたくさん。今ホットな話題の組体操についても書いたよ。もりしーさんに意見も聞きました。

まあそんなこんなで自分のところの本、お休みになっていたのですが、もうざっと原稿は出来上がっているのね。年内には出したいなあと思った。ていうか今年まだ二冊しか本出していないし。

そしてそんなとき、急がなければいけない理由があって。
それは、画伯のフィリピン出張。
「11月はフィリピンに三週間行く」と言ってたから、それまでにビジュアル素材は全部そろえてもらわないといけない。
そのためには発注しないといけない。
ということで原稿進めていました。それが先週。

ところでフィリピンって何しに行くの?

と画伯にきいたら、その結果があまりに面白かったんで、これはきっと秘密に違いない!って思って黙っていました。
それで先日「ねえあの情報っていつ解禁していいの? 花風社クラスタに」って言ったら、もういつでも解禁していいということ。

フィリピンでやる仕事を聴いて私は「それって究極の変人枠じゃん!」って思いました。いや、画家として生計を立てているだけでじゅうぶん変人枠だけど、変人枠中の変人枠。

画伯の個展行ったりHPをすみずみまで見ている方はおわかりでしょうが、かなりユニークな絵をお描きになります。お相撲さんに羽が生えている「おすもうエンジェル」は画伯のトレードマークだし、あとおさかなに羽が生えていたり。

そして画伯が今度フィリピンに行くのは、養豚場を経営する方のおうちのリビングの壁に、羽の生えた豚を描きに行くためだそうです。

あるんだ、そういう発注。

私はひとしきり笑いました。

画伯のご母堂は、ユニークな絵ばかり描く息子の行く末を気にして「もっと普通の絵を描きなさい」とかおっしゃったらしい。まあそれが母心ですよ。みんな自分の子には、できるだけ普通でいてほしいのね。つぶしが効いてほしいのね。でも画伯が描いたおさかなの絵とかおすもうエンジェルとかを見て、「羽の生えた豚」の発注が来たとは!

「豚見るの?」って言ったら、もちろん、とのこと。豚は見せてもらって描くそう。そのためにフィリピンまで行くんだもんね。楽しい旅になりそうだね。

その前にうちの本、仕上げていってもらいますよ。
今度はうちの本の表紙も動物です。
羽は生えていません。
なんの動物かというと

猫です。

そう、次の本の愛称が決まりました。

猫本

です。

今年中に出ますよ! お楽しみに!
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要領のいい劣等生

2015-10-25 11:00:26 | 日記
さて、11月28日の講座、午前は埋まりました。以降キャンセル待ちでお受けいたします。
午後はまだ余裕があります。っていうほどないけど、まだお席あります。

はて。

正直、私がどちらかしか選べないとしたら、絶対午後の講座を選ぶんですけどね。わりと時間長い(部屋は五時まで借りてあるので毎回無制限な感じ)からその分お得だし、栗本さんになんでも質問できてその場で実演もしてもらえて、という意味では私が参加者なら午後にお得感を見出します。

でも

それって私が割合「正解幻想」から解き放たれている人だからかもしれないなあ、と思いました。午前はたしかにプログラムに乗っかってればいい。そして今度のテーマが金魚体操だから、「自分のやってる金魚が正しいのか」知りたいという需要が多い。

自閉の人って相当「正解幻想」にとらわれてて、それで苦しいんだといつも思うのですが、そもそも自閉でなくても今の学校教育やなんかをまともに受けていたら「正解は自分の外にあって、それを誰かが(この場合だと栗本さんが)知ってるはず」っていう思い込みにつながりますね。そして社会のなかでは、この「正解幻想」がわりと生きるのを困難にするよね。

金魚体操に関してこういう誤解しないでね、っていうのは黄色本にも芋本にも書いてあります。たとえば「ちゃんとうまくいくと揺らす方は疲れない」ことなんかかなりくどく入れてある。両腕で両足を振り回していたら親の方が腰をやられるでしょ。でもそうじゃないよ、ってくどくど書いてある。

あとはね、極端な話どういうやり方だろうと「ああ気持ちいい」でぐっすり眠れるのならそれがその人にとって正しいやり方なんですよ。

8の字に関して、動画にしてアップしてほしいという読者の方々の声を神田橋先生に伝えたら、それはやらないと言われたけどそれもたぶん同じ理由。

すごくみんな、型にこだわるの。
正解があるのだと正解さがしに躍起になるの。
その結果は好ましいものではない。
自分の身体の声を聴かなくなるから。

その金魚が合ってるかどうか知ってるのは
栗本さんより皆さんの身体なんですよ。

それがたぶん学校教育の悪しき産物だとして、どうして私はそこから自由なのかなと考えたら

私は学校教育に関しては「要領のいい劣等生」だったなあと思いました。
学校教育に染められることはなかった。でも取り立てて反抗的じゃなかったよ。反抗することなく、面従腹背でした。ああこのプロセス(学校生活)どうやら通んなきゃいけないみたいだしこの人たち(教師)ともつきあわなきゃいけないみたいだからてきとーにこなしてもらえるもの(知識とか学歴とか)はもらっとこう、みたいな。

そして社会人になると正解なんて誰も知らなくて、自分で手探りで仮説を立てては永遠の試行錯誤を繰り返すのが当たり前なので

「誰かが正解を知っている」と素朴に信じられる人は、もしかしてある意味では苦労していないのかな、とか思ったりします。もちろん私とは違う苦労を味わってきたのでしょうけどね。

まあともかく

ぶっちゃけた話、私が花風社の読者で、黄色本芋本読んで「自分の金魚がちゃんとやれているかどうか知りたい!」って思ったら

そして第一部第二部どちらかしか出られないということなら

第二部に出てその場で栗本さんに自分のやっている金魚見せてアドバイスもらいますね。

午前に出た人しか、金魚習えないんじゃないのよ。

午後はなんでも質問していい会なんだから、「私の金魚これでいいでしょうか?」もありなのよ。そうしたら栗本さんはプロなんだから「それでもいいけど、この人はこちらに揺らすといいかも」とかアドバイスしてくれる、とかそういう流れになるわよ。

そういう「なんでもありなんだ」「自分に合ってるものが正解なんだ」「正解にたどりつうためにプロの力を借りるけど、最終的には正解は自分の中にあるんだ」みたいな発想が自然にわいてくるようになると、たぶん療育はラクになると思います。

まあこれを一番自覚していないの、紋切り型支援者かもしれないけど。その辺は南雲さんが本に書いてるね。

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救い

2015-10-24 09:53:47 | 日記
暴走する保護者案件、迷惑な当事者案件と色々な案件が重なりやさぐれていた中で救いだったのは
某所で「自閉っ子のための道徳入門」について話したらそのコンセプトが花風社ビギナーの方の気を引いてご注文につながったことかな。
問題意識は持っているんだなあと思いました。

ただ手の打ちようがわからないし(とくに性の問題とか)

場合によっては手を打ってはいけない、と誤学習していることもある。
これは支援が、しかも良質ではない支援が行き渡ったことの負の側面。
「どうやって手を打つか」の方策を提供されないまま、
「受け入れなさい」ばかり言われて親がぐっと我慢しているケース。
このままでは将来どうなるんだろうと思いながら。

そして視覚支援すら行き渡っていない現状を見る反面

睡眠障害も視覚支援、みたいなのがギョーカイスタンダードだと知って驚愕したり。

無理だわ。

睡眠障害は黄色本で一発だと思います。
ちゅん平もブログに書いている。





*11月28日の講座、お申込みありがとうございます。今までお申込みいただいた方には絵全員お返事してますので、お返事がいっていない方は念のためご一報ください。
 午前の部はかなりペース早いのでお急ぎを。午後の質問会はまだ余裕あります。質問会、毎回面白いのよ。なんでもきけるしね。どうぞ奮ってお申込みください。

ちゅん平もきてくれるよ! コンディショニング講座。

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お詫びと訂正

2015-10-23 06:44:20 | 日記
おはようございます。昨日の夜流したMLに曜日の間違いがありました。コンディショニング講座は11月28日土曜日です。日曜日ではありません。お詫びして訂正いたします。m(_ _)m
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ほっといていい人とほっといてはいけない人

2015-10-21 09:58:54 | 日記



先日某所で芋本の説明していて
「ほら、四月の新学期になると自閉っ子って調子崩したりするでしょ」という説明をしたらぐっと身を乗り出したのだが
「え~冬から準備ぃ? めんどくさ~い」と言った人がいて
まあこういう人は仕方ないかなと思って放置した。

お子さんがかわいそうだけど
不調に気づいているのにそのために手を打つ気がないのならそれは仕方がない。
赤本は読んでいるみたいだけど、あれを読んで「そうかそうか」と思って終わった人と「なんとか手を打てないものだろうか」という問題意識を私と共有した人と、赤本の読者にはざっと二種類いるのでしょう。



そして赤本は売れ続けてるから、これからも読者は二種類に分かれていくわけで
逆に神田橋先生あたりから入った人は、赤本にさかのぼって「ああこれだから身体アプローチが効果あるのだな」と発見している感じ。

実際に芋本のアプローチをやって、お子さんがめきめきと季節に対応できるようになったおからさんなどは、崩れなかったその先にステップアップがあることを知らないのではないかとおっしゃっていますが

そうかもしれませんね。
いつも崩れる時期に崩れないということはその分エネルギーがポジティブな方に回るんだからステップアップにつながるのでしょうね。おからさんはそれを体験なさってきたのでしょうね。

まあでも冬から準備する気のない人は私は放置したんだけど

放置しておいてはいけないケースもあって
それはたとえば支援級内の乱暴者君が友だちに暴力振るうのをほっとく教師とかね。

害を受ける子に心身の傷を負わせるだけではなく、乱暴者君の将来も消化試合にしてしまうので、そういうのはやめてほしいですね。

そもそも特別支援教育は、凸凹キッズたちの将来を消化試合にしないために始まったのよ。

なのに

実際には消化試合的対応しかしていないところもあるとわかってきて
それで私は、支援級の中でのやったやられたにも死んだふりしない栗林先生の言葉を
「自閉っ子のための友だち入門」に入れました。
栗林先生の章、目次。

=====
2.喧嘩、いじめ、そして友情

  子どもがそれでも学校に行く理由とは?
  栗林先生 (小学校教諭・特別支援教育コーディネーター)

  栗林先生が担任になるとラッキーなのか?
  ラッキーかどうか決めるのは教師ではなく子ども
  教育は現場で起きているんだけど
  今後、国としてはどっちの方向に向かっていきそう?
  学校と人格形成
  学校は社会
  友だちは社会の入り口
  なぜ教師というのは「みんな仲良く」と唱える生き物なのか
  友だちはいた方がいいけれど
  教師の本音に触れてみる
 「みんな仲良く」を発達デコボコの子は誤解する
  友だちは選んでいい
  教師のメンタルヘルスはなぜ・・・
  先生を嫌いな子もいるでしょ
  いじめを紐解いて解決していく
  子どもの発達には「他人の大人」が必要
  いじめている側にはどう働きかけるか
  被害者、加害者、両方に働きかける理由
  障害がある子同士のトラブル
  喧嘩はしてもいい、いじめはだめ
  軽度の子が重度の子をいじめたら
  人工的に不登校やいじめを作らない
  特別支援教育コーディネーターって何者?
  保護者が制度に対してできること
  健常児による障害理解をどこまで求めるか?
  着るかもしれない服は買わない
  児童と教師、それぞれの家庭の文化
  友だち作ろう作戦はいらない

=====



これはギョーカイ関係者そろっての集団誤学習だと思うんだけど

「支援があればなんとかなる」と連呼した結果、量的には増えても質的には追いつかず、一部支援者の無能が消化試合状態を作っているのがイマココだと思います。

質的な向上はもちろん大事なんだけど、難しそうだね。
ギョーカイ人同士でも仲が悪いしね。
本当に少しずつ風穴を開けていくような作業。
それを支えるのは「公共心」だと思いますが。

だから別の方向から考えると解決策として

支援が必要な人の数を減らす

というのもアリだと思います。

支援を受け続けた先の人生が、どう見ても悲惨なケースもありそうだしね。

それは、昨日のブログのやすさんのコメントを参照していただけたらと思います。

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支援に見切りをつけるとよくなる理由(の一つ)

2015-10-20 10:04:20 | 日記
今朝起きたら愛甲さんから入っていたメールにこんな一節が。

=====
(子育てには)言葉よりも原初的な力が必要とされることが多い
=====

そうなんだと思います。ていうか、これは子育てに限らないかもしれないんだけどね。
そして支援と遠い方、支援に途中で見切りをつけた方が案外うまく理由って、ここにあると思うんです。

支援現場って、親としての原初的な能力にむしろストップをかけるようなことが多いんですよね。

先日イベントで配った紙。
その後直販いただいている人にはなるべく同封してますけど。

発達障害ってどうみても、大脳皮質だけの問題ではないですね。
体温調節とかそこから問題があるっていうことは。
だからそれを解決するのも
大脳皮質への働きかけだけじゃだめなのは当たり前ですね。

あの紙コピーしていいかというお問い合わせをいただきますが。

どうぞコピーして配ってください。

イベントご参加のnonmamaさんのブログです。
当日お誕生日だったんですね、nonmamaさん。
ということは大地と同じお誕生日だ。
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