治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

来年の展望代わりに

2011-12-30 08:50:00 | 日記
さて、今年最後のエントリです。たぶん。

本当に今年もお世話になりました。

先日こういうついーとをいただいてうれしかった。

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バランスの悪さで昨冬まで雪かき戦力外だった長男、今冬は素晴らしい! 花風社さんの本と浅見社長の情報発信を元に、半年で体のバランスがものすごく改善しました。発達障がいは発達します。ありがとうございます。嬉しいです。
長男も自分の体の変化をすごく喜んでいます北海道に生きていて雪かきの出来ない男はつらい。本人も自分が役に立ったという点との二つの喜びで今、私と一緒にハイテンションです(笑)。

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そうそう、北海道出身の読者の方から
雪かきって本当に大変、大地君はすごい、っていうメールもいただきました。
きっと今もビジネスチャンスを迎えているんでしょうね。

昨日になって
体作りが学習方面に生きてきた例のご報告もありました。

そう。
体からのアプローチって、何より本人がラクになるんです。
本人本位の支援なんです。
猿烏賊たちには信じられないみたいですけど。

さて、私も親として(?)喜んでいる一人。

先日お相撲マガジンに載った英文記事の自分翻訳で
今年の締め&来年の希望表明にしたいと思います。

皆さん、本当にありがとうございました!
よいお年をお迎えください!

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稀勢の里 日出る国の息子

 大関昇進を祝して、相撲の雑誌の増刊号が出た。
 今までこの栄誉に浴したのはあの偉大な横綱貴乃花だけであり、もちろんほんの二ヶ月前、琴奨菊が大関昇進を決めたときにはなかったことだった。
 しかしながら、これは相撲ファンにとっては当たり前のこと。相撲を愛する私たちが望んでいるのは日本人横綱ではなく、横綱稀勢の里の誕生なのだから。
 なぜ稀勢の里はこれほど、私たちにとって特別なのだろうか?

 このオンラインマガジンの編集者が最近記事に書いたように、相撲は日本の縮図と言っていい。
 そして、琴奨菊が九州という地方限定のヒーローであるのに対し、稀勢の里は日本中で人気がある。
 稀勢の里はまさに、日本を象徴している。日本人が大事に育んできた伝統と未来への希望、それをつなぐ存在なのだ。
 
 稀勢の里は琴奨菊のように、勝利を手にしても満面の笑みなど浮かべない。
 これは、武士道の精神を表してる、と私たちの目には映る。
 勝者というものは、敗者への配慮があって然るべきであり、喜びをあからさまにすることは礼を欠いている。少なくとも、覇者の取るべき態度ではない。
 二番手に過ぎないのなら、喜びを表すのもたまにはいいだろう。でも、最高の地位を得るものはそれではいけない。こう信じる私たちにとって、稀勢の里は若いころから風格を感じさせる力士であった。
 
 風格、体格、技術、そしてもちろんあの真っ向勝負の精神を見て、私たちは稀勢の里が「いずれ」横綱になるだろうと信じ続けてきた。
 そう、「いずれ」。その日のなんと遠かったことか。そして待つ間の、なんと辛かったことか。
 二ヶ月ごとに胃の痛む十五日間を過ごし、がっかりする結果に終わることもあまりに多かった。永世小結の時代が続き、ようやく関脇になったら次の場所で十敗。私たちは怒り、インターネットという本人に真正面から立ち向かわない空間で彼のことを叱り、「バカ息子」呼ばわりしたものである。
 バカ息子とは文字通りバカな息子という意味だ。ただしこの日本語には、若干の愛情がこめられているのだが。
 
 そう。稀勢の里は私たち日本人相撲ファンにとって息子であった。男性も女性も、年上でも年下でも、まるで自分の息子のことのように、負けたら怒り、勝ったら心底喜んだ。
 私たちが、絶対にあきらめなかったのは、息子だったからだ。星が上がらない日々が続いても希望を捨てなかったのは、息子だったからだ。自分の息子を見限る者などどこにもいないのだから。

「日本の息子」である稀勢の里は、それに相応しい長所と短所を持っている。
 見るからに栄養たっぷりの顔色で(近くで見るとその輝きにびっくりする)、でも脆弱。過去から学ばず、謙虚で、よく鍛錬されていることを感じさせる反面、土俵では空回りも多い。馬力があるのに、馬力をうまく活かすすべを知らない。相撲の神様に愛されながら、それには気づいていない。とにかく、わざとらしいところの一つもない力士である。
 
 もちろん入門当初からずっと、大志を抱き続けてはきただろう。けれども稀勢の里はこれまで、モンゴル人力士達や琴奨菊のように、それをあからさまに見せる力士ではなかった。
 ただ、最近、それが変わってきているようだ。師匠の急逝のあと、亡き師匠と同じ最高位に上るとはっきり口にするようになった。口数が多くない力士のこの変化に、私たちは喜んでいる。
 そう。私たちは喜んでいる。今年この国では、あまりに多くの人々がなくなり、苦しみに遭った。
 けれどもこの大災害の年の終わりに、新たな希望が、新たな大関が、新たな時代が生まれた。
 私たち相撲ファンの愛する息子稀勢の里が、頂点へと駆け上がろうとしている新しい時代が。
 
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初場所見たいから帰りますね。


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昨日になって大きなニュースが

2011-12-30 08:33:33 | 日記
昨日になって東京にいる弁護士さんから大きなニュースが飛び込んできましたよ。

私が前々から言っているように
「障害者であれ障害者の保護者であれ
他人に関する虚偽を撒き散らす行為に対しては責任を取らないといけない」

に一歩大きく近づいたニュース。

ベムこと宮本晋は、勝手にJDDに関する憶測を書き
辻井先生に法的措置を持ち出されて「まさか自閉症支援者の辻井先生が自分相手にそんなことをするわけがない」とか言ってたけど

支援に真剣だからそれも辞さないんじゃないかしら?

共存ってそういうことでしょ?
ちゃんと責任を果たすっていうことでしょ?
宮本晋の脳内では、自閉症児の親は特権階級なのかもしれないけど、そうじゃないでしょ?

藤居学の攻撃が始まり
私がぶどう社に情報開示を求めたとき、それを脅しと騒いだ一群がいたけれども

私にしてみれば、「人気ブログを本にした」とうたい
自分の会社のHPから「そらまめ式」にリンクして
そこで誹謗中傷が繰り広げられているのに「知らない。本を出してからは一切つきあいがない。HPも全然見ていない。勝手にやってくれ」って

版元として私ならそういう仕事はしたくないですね。

その後も藤居学にワルノリした大地君一家への手紙がどんどん来るので
白くま母さんはどこかで公表しようかと思っているらしいですが

ぶどう社に送りましょう。

藤居は機能しない弁護士を立てて、ぶどう社に接触するなと言い張っていますが

べつに転送をお願いするわけじゃないです。

本にした「人気ブログ」で繰り広げられた
一人の自閉症の子どもとその家族に対する攻撃が

どんな結果を呼んだか、ぶどう社にも考えてもらいたい。

だから送ります。

「うちは庶民なんだから訴訟なんか起こさないでくれ」
それがぶどう社の見解だった。

「私なら絶版にしますね」と言ったら「勝手なことを言うな」いたくお怒りになった。
それを聞いてこの方は「ああ、そう言われると『絶版にせよ』と言われているように勘違いする脳みその持ち主なんだな。だから訴訟とか怖いんだな」と思いました。
だからそれに対してはこちらが謝りました。
徹頭徹尾、あちらがヒステリックに叫んでらしたやりとりでした。脅された? ああ、ずいぶん不思議な解釈だなあと思いますね。

そのわりに「こちらは藤居学というのが本名かどうかもわからないので」と言ったら
「本名です!」とかあっさり開示されて、これもまたびっくり。

とにかく「目の前からトラブルが消えてくれ」だったのかな?

でも訴訟は国民に与えられた権利です。
庶民にでも。
私なら、うちの著者がよそのひとともめごとを起こし
「情報開示せよ。しないのなら法廷で是非を問う」と言われたら

「はいはい」と電話を切り
著者に「面倒だから、開示していい?」って頼みますね。
で、著者がいいって言えばあとは直接やってもらうし
だめっていったら「だめだそうです。じゃあ訴状待ってますね」で終わり。
経営している以上、それが普通じゃないの?

普通じゃないんだろうなあ。
福祉の人々の感覚では。
ぶどう社のほうが花風社よりずっと福祉畑に長いもんね。

私のほうが異端児なんだろうなあ。

いいや異端児で。
異端児は異端児にできることをやりますわ。

というわけで

昨日東京にいる弁護士からぐっと進展したという知らせ

「きっちり責任を取ってもらう」方向に進展したという知らせを聞き

祝杯を挙げたのでした。

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助け合いできるんじゃない?

2011-12-30 08:10:15 | 日記
さて、昨日はこの本を読みました。




これ読んで思ったのは
発達障害が認知症から学べることもあるけど
認知症も発達障害から学べることがあるんじゃないかなっていうことです。

「こういう場面では、TEACCHみたいなことすると混乱減らないかしら」とか。

「この問題行動って感覚統合理論でいうところの『感覚刺激探求』だろうな」とか。
だったらそういうときの対応は活かせないものだろうか、とか。

まあ白くま母さんみたいな人は、きっと勝手に自閉症の発達援助で得た知見を職場で活かしているだろうな。

神田橋先生の本も参考にしているようだし。

賢ママさんが上手にお子さんを見つめられたのは
お嫁さんになってからずっと老人介護をしているからかもしれない。

なんて思いました。

何よりも
「いかに腹を立てないか」を
自閉っ子関係者は認知症の患者を抱えた家族に教えることができるかもね。

あっちは何しろ予算が大きくて
これで発達障害に回ってこないかもしれないくらい大きいお金を使っているので

発達障害の知見を認知症の人にも活かしてもらって
ちょっとでも進行遅らせられたらいいのにね。

まあいずれにせよ

健康を保つのも国民の義務ですわ。

素質に恵まれた私は頑張ろう

と思うのでした。
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今年の反省点とか

2011-12-29 10:32:40 | 日記
さて、今年も残すところわずか。
総括に入ります。

まず仕事上の反省点としては

「二冊しか本を作らなかった」

これです。

最初に出版社を興したとき、取次各社に
「年六冊は新刊を」と要請されていたのに

既刊が地味に増刷していることで安心し
ここ数年3冊ペースでした。

自分の中で迷いもあったからね。
本当に発達障害を続けていいのか。

不要な本は出したくないしね。

でも4冊は出そうと思っていたのに
結果は2冊orz


でもまあ、これはやはり震災が関係していると思います。

震災があったとき、これは経営上も影響は受けざるを得ないと思ったけど
私はさっさと「余分な心配はするまい」という方針を決めました。

しても仕方ないもんね。

ちょうどそのとき、「活かそう! 発達障害脳」という大作に取り掛かっていたので

とにかくこれをいい本にして送り出すこと、身の丈にあった寄付を方々にすること、節電すること、適度に消費すること

を日々の目標にやってきました。

寄付のとき、節税になる対象かどうかは考えませんでした。
ただ、自分の志にあっているところ、というのを目安にしました。
この国が今、激しく節税を必要としているとは思えないからです。
この方針は今現在も貫いています。

ちょっとずつでも、ご縁のあるところがあれば、寄付ができるのは、毎日仕事をしているから。
やっぱり私は仕事をしていたいなあと思いました。

ただ、自分の身に降りかかってくることとして
「紙不足」っていうのは予測してませんでした。

この物資の豊富な国で版元やってて、紙が不足する日が来るとは思わなかった。

でもまたこれがいつもの運の強さですが
実は増刷すべきものは2月までに全部増刷が終わっていたので
紙はとにかく、新刊二点分をまず押さえました。

そして新刊制作に専念。

6月に新刊が出て、順調な売上。
そして7月から1月まで毎月何か増刷しているというイマココですが
幸い紙ももう大丈夫なようです。

池谷先生の本にも、長沼先生の本にも
「出力が大事」って書いてあるのに
私は今年、インプットばっかりでアウトプットが少なかったな、とそれを反省しています。
発達障害について考えない日はなかったのに、アウトプットが少なかったですね。

去年の末に立てた目標は
こんな感じですね。

1 アセスメントの方法を伝える本を出す。

これは長沼先生の本で実現したと思います。
もちろんまだまだやりますよ。
来年出す本もそうだと思います。
昨日認知症のところで触れたけど
発達障害もタイプ別に分けられ、不毛な村社会っぽい「あれが正しい」「これが正しい」の議論がなくなり
それぞれのタイプの人が適切な対応にめぐり合える時代が来ると思っています。

2 就労関係

これはね、方針転換をせざるをえなかった。
それくらい3.11っていうのは大きかった。
逆に、あの前後で就労支援の方針を変えていない支援者がいたら、浮世離れしていると思います。

それと、なんだか就労に関しては、色々な人が色々なことをやっていてわからない。

自分としては
とりあえず「つなぐ系」より「つくる系」に注目してますが。

つまり「職場へとつなぐ系」より「職場をつくる系」により希望を見出しているということです。
つなぐ系の試みの中には、行き詰るものも出てくるかも、と思ってます。

そして
幸い
最大の目標だった
3「頑張れる人を増やします」は達成できなくなかったと思いますね。

読者からいただくコメント、お便り。
その中から
多くの方たちが修行の大事さに気づいたり、修行が進んだり、うちの本を参考にしていただいて事態が変わっていくご報告をくださいます。
これが一番うれしいですね。

今年はそういう方々と会ってお話しする機会が増えればいいなあと思っています。

今年も不快だったのは、昨年に引き続き
よその親や当事者の足を引っ張る人々の存在ですね。

でも気がついたんです。
よそのおうちの方針を批判するのは
自分が成果を挙げていない人ばかりだって。

成果を挙げている人は、部分的にせよ他人の試みから何かを学ぶことはあっても
よそのうちにちょっかいだすことはないもんね。

前向きな人は後ろ向きな人の邪魔はしない。
つねに邪魔をするのは、後ろ向きな人です。これには引き続き、うんざりしています。

私が「絆」を求めないというのはそういうことです。

「絆」は自然にできてくるもの。
求めるものじゃない。

私は絆は求めません。
自分は自分で道を歩いていく。
そこで自然にできる絆なら大歓迎します。

今年もこういう方とご縁を得ました。
会いに来てくださった。当事者で教師をしていらっしゃる方です。
この大地君の本への感想を読むと

「ああ、やはり私たちが当事者の気持ちをわかるなんて言っちゃいけない」と思い知らされます。


こうやって、自然に賛同し合う人々と絆を築いていくことは、とてもうれしいことです。
でも無理に絆を築かないでいい人と絆を築くことはしない。


実は神田橋先生の本を作った当初から、仕事面でも精神面でも神田橋先生にアドバイスされていたことがありました。

その意味を私はよくわからなかった。
もしかしたら「もう発達障害やめなさい」っていうことなのかな、って思っていました。

でもこの一年かけて色々考えて
先日先生の講演を聴き、全然内容とは違うのに
「ああ、こういうことだったんだ」って腑に落ちたんですね。
脳がやっと納得したんでしょうね。

だから来年は
それに沿って一生懸命仕事をしようと思います。

ていうかもう始まっているんですけどね、来年は。私の中では。
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発達障害は「神聖ニシテ侵スベカラズ」?

2011-12-28 11:46:17 | 日記

最近認知症に関する本をぱぱぱっと大人買いしまして
(簡単そうな本も脳画像がついてるちょっと高い本も)
簡単そうな本だけこっちに持ってきました。

なんで認知症に興味持ったかっていうと
医療現場に復帰して、高齢者の支援にかかわり始めた白くま母さんが
「支援のかたちが変わってきたのは障害者関係だけじゃないみたいだよ浅見さん」って教えてくれたことが
ニキさんの名言
「私は先天性お年寄り」と重なったからですね。

どう変わったかっていうと
「ありのまま系」から「死ぬまで修行系」へと変遷があったそうです。

かつては家族をラクにするのがデイケアの最大目的だったそうですが
今はいかに残存能力を使って生きがいのある時間を使い
機能の維持に務めるか
っていう方向に変わってきたそうです。

認知症のデイケアでは
ご老人たちは忙しいそうです。
そして一日忙しくして、生き生きとして家族のもとに帰るそうです。

発達障害の世界は、発達障害は神聖ニシテ侵スベカラズの思想が強いみたいだけど
(だから言葉狩りに走るし)

他の障害や症状のリハビリは参考になるはずなんです。

とくにね、認知症といえば発達障害よりずっとメジャー。
研究も支援も進んでいるはずだし、お金もついているし
何しろ老人の声の大きいわが国。介護保険なんて、不備はいっぱいあるけど、世界に冠たるだと思いますけどね。

ってわけですごい基礎的なところからお勉強。




これは別に面白く工夫した本ではないですが
私のような初心者には、いろいろ網羅していてくれて便利な本です。
著者はお医者様。

早期発見の大切さを説いたところなんて、もうそのまんま。

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 まず一番目に、早期発見によって、認知症という病気に対する正しい知識を、患者さんやご家族が持てるというとがあります。
 認知症に進んでいるのに、年のせいだから仕方ない、もともとの性格だからと勘違いされ、適切な対応がなされないことは、患者さんにとって不幸なことです。認知症は脳の病気であるという認識を、まず周囲の人たち全員が共有することが重要なのです

=====

でしょ?

で、私が発達障害の人とつきあってびっくりした「相貌失認」や「半側空間失認」なんかも
ちゃんと認知症では症状として明記されていますよ。

それより認知症は進んでいるなあと思ったのは
「どこの部位がバグを起こすとどういう症状が出てどういうリハビリが」というのがかなり進んでいるっていうこと。
つまり同じ認知症でも、脳の前とてっぺんと後ろがやられた人はそれぞれ困るところが違うわけです。

神田橋先生が「発達障害の診断が粗すぎる」っておっしゃったのは
「もっと細かく特性をつかむことが大事」っておっしゃったのは
こういうことなのかな、と思いました。認知症では実現されてるんですね。まあ、スケールメリットはあるよね。

従って、発達障害業界のように
「自閉症とはこうこうである」「いや、おまえはまちがってる」「あいつは偽者だ」「私こそ本物だ」

みたいな不毛な論議はとりあえず終わった段階のようですね。
障害されている部位が違えば症状が違うっていうのが、もうわかっているからね。
発達障害はまだこれがわかってないから、つまんない言い合いとか
「○○療法はトンデモ」とか「ABAこそ正しい! あとはダメ!」とか
そういう単細胞なこと言う人がいたりするのよね。

もっと研究が進んでいけば(そしてそれは進行中ですが)
恥ずかしい思いをする人が、たくさん出てくるわね。

ただ事情通にきいたところ、認知症の世界でも
治る治らない論争は続いているみたいですよ。

まあとにかく

発達障害の蛸壺から出てみれば

もっと予算と人手のかかってるメジャーな障害から支援の仕方を学ぶことはできそうよ。

つまり、介護も子育ての役に立つんだろうし
実際それを実行している方たちもいらっしゃるわよね。

「発達障害ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」系の人たちには顰蹙買うかもしれないけど

まあいいや。

思いついたので書いておきます。
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脱マニュアル療育のために

2011-12-27 11:08:36 | 日記
さて、昨日はこの本読みましたよ。




「はじめに」から引用させていただきますね。

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 科学者はたいてい慎重です。確実なことが言えない限り、口を閉ざします。現在の脳研究のレベルを考えれば、本来ならば「科学的勉強法」といった謳い文句は時期尚早な勇み足です。
 しかし、私は思うのです。科学の成果が世の中に役立つことが確実になるまで、何も発言しないのは科学者のエゴではないかと。
 科学的な根拠が整うまで辛抱強く何十年も待たねばならないとしたら、多くの人は人生のチャンスを逃してしまうことでしょう。ですから、いま得られている科学的知見を最大限に活かしながら、なんらかの手を打ってみてはどうかと私は思うのです。
 
=====

おお、池谷先生、男前。
きっとまわりをぐるっと海老踊り軍団(のすごい強いバージョン)が囲んでいるだろうに、危険も顧みずわれわれ一般大衆が今すぐ生活に役立てられるよう、今の知見をわかりやすく公開してくださったわけですね。

で、結論から言うと。

これ、めちゃめちゃ役に立ちます!!!!!
定型の人にでも、ASDの人にでも、学ぶべきところが多い本ですよ。

私自身の仕事をやっていくためにも
これからどんどんどんどん情報を積み上げなければいけないと思います。
そういう決心をしたときに、この本を手にとってよかった。

そして、白くま母さんや賢ママさんや、そのほかのお母さんたちの実践を見ながら
ああ、すばらしいな、うちもやらなきゃなあと思いながら

どうしても「真似」しかできない。
自分ちの子にカスタマイズできない。
逆に言うと、マニュアルに書いてあることしかできない。
で、目の前の子どもから情報を救い上げられないがゆえに、目の前の子どもに今ひとつやっていることの成果が感じられない

という方がいたら

マニュアル療育から脱出するための脳みその使い方、というものを知るためにも
この本はとっても役に立ちます。

「受験脳」という言葉で「私は関係ないや」と思ってしまうお母様がいたらもったいないのでここに書きました。

マニュアル療育とカスタマイズ療育の差はどこにあるのか。

私はこの前から、これを考えていました。
そして結論に至りました。

結論は「知識の差」です。

な~んだ、平凡な結論、って思われるかもしれません。

でも知識は大事です。
そう言えば神田橋先生も「知識は力です」とおっしゃっていましたね。

でも藤居学のは知識じゃない。
だから役に立たないんです。
この本読むと、実際に役に立つ知識とそうじゃない知識の身につけ方の違いがわかります。

保護者が再現性を追及するっていうのは、圧倒的に不利です。

研究者は再現性を追求するのがお仕事(の一部)でしょう。
そしてそのための経験を得やすい位置にいます。

でも一保護者ではちょっと無理かもね。
本から学べないからね、再現性は。

そこまで教えてくれる本です。

=====

コンピュータと脳は違う。

どうして?

それもこの本には書いてあります。

そしてわかるのは

あまりに怖がりな人は、
実際に問題の解決に役立てる学習が得意じゃないっていうことです。
脳はどうもそういう風にできているみたいです。

新潮文庫の新刊だから、どこにでも売ってると思います。
新たな年に新たな気持ちで仕事をしたい方
おすすめです。

仕事と知識の関係を図にするとこういう感じ。
画伯を煩わせるほどのことじゃないので、私が自分で描いてみました。

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原発問題とムラ社会

2011-12-26 22:02:36 | 日記
さて、今年の総括といえば原発の問題ははずせないわけですが
私は原発事故の当初から、東電を手放しで責められる人たちが不思議で仕方ありませんでした。
いや、もっとしっかり想定して手を打っておいてほしかったよ。
でも自分だって加害者の側面があるわけだし。

それは別に、首都圏に住んでいて、福島に原発を押しつけていたというだけではないです。
あまりに知らずに、これだけ便利な生活を享受していた。
そういう意味では、今の日本人全員だと思うけど。

飲みたいと思ったら冷えた飲み物が手に入る。
これはヨーロッパでは実現されていません。
日本は異様に便利なんです。ほんとに。資源のない国のはずなのにね。
それを可能にする電力の三割を原発が支えてきたわけなので。

私が自分の無知が罪だと思ったのは、安全神話を信じてたとかそういうことより
原発が抱える労働問題に対して無知だったということですね。
原発は年を取る。そうすると作業員のひばく量が増え、同じ作業量をこなすためにより多くの人材を必要とし、人集めのために反社会的勢力が出てくる。危険を知りながら(あるいは無知のまま)生活のために危険な仕事をせざるをえない人が年々年々増えてくる。

こういう犠牲のもとに、原発が運用されていたことにあまりに無知だった。
それが私の罪悪感のもとです。

原発大国フランスは移民の国。原発で働く人たちの人種構成とか調べると面白いかもしれないですね。

まあともかく、そこで手に取ったのがこの本。機内で読み終わりました。



著者は実話系雑誌出身者の暴力団取材を得意とするライターで、版元が文藝春秋。
まあ出版人として見ると、見事なハイブリッドです。わくわく。

期待を裏切らない面白さでしたね。

読んでソンはないので、ご興味のある方には読んでいただくとして
一部のみ引用します。

=====
親方の忠告により、原発の根源が理解できた。原発が都市部から離れた田舎に建設されるのは、万が一の事故の際、被害を最小限にとどめるためだけではない。地縁・血縁でがっちりと結ばれた村社会なら、情報を隠蔽するのが容易である。建設場所は、村八分が効力を発揮する田舎でなければならないのだ。

=====

なーるほど。
私は「絆」っていうのが今年の漢字だって解せないし、絆を求める生き方をする気はさらさらない人ですが、この村社会ってやつも嫌いですね。
猿烏賊も村っぽいんですよね。だって本来、療育方針なんてそれぞれの家の自由でしょ?

たぶんどこの世界に行っても、村社会的メンタリティとは対立すると思いますね。

まあともかく。

うちらの国は、交戦権を放棄して
何十年も他国の傘の下で平和をむさぼってきました。
そして事なかれ主義、別名「死んだふり」が得意になった。

でもいま、国内に戦地を抱えてしまったようです。
何十年も続く戦い。

せめてそこで戦う人たちを応援しましょう。
なるべく人が死なないように。
そして、そこから新たな希望が生まれるように。

いわきの水商売は助かっているらしいですよ。

東電の人と下請けの人がくると、下請けの人が勘定持ってるらしいですけどね。

それと

ソープで働くおねえさんで、原発の作業員は拒否する人もいるとか。

要するに差別のそこにあるのは、皮膚感覚なんだなあと感心しました。

どんな国も、困難とは無縁ではない。
日本は異様に平和だった。
今ちょっと普通の国になったのかもしれないと思いました。
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パスポート見せたら

2011-12-26 10:23:17 | 日記
さて昨日は、パスポートを見せましたよ。日本の出国管理の人とタイの入国審査の人。
あ、それと国際線のゲートでも、機内に入るときに。
他人のパスポート見たかったら、そういう仕事に就けばいいですね。

どうしてこの話を何度も持ち出すかというと
別に個人的な恨み言だけじゃないですよ。

それくらい、支援者の感覚って、外の社会と乖離していることがある。
読者の方々にはそれを計算に入れておいていただきたいからです。

「苦手なことは頑張らなくてもいい。社会に理解して助けてもらえばいい」と支援者がいうとき
その支援者が社会の趨勢をわかっているかどうかはまた別なわけです。
支援者が「こういう社会がくれば」と理想を抱くのはかまわない。必要なことでしょう。
でもそれが実現しないこと、実現を社会全般としては望んでいないことは、支援を受ける側が知っておかなければならないことだと思うからです。
皆さんは、自分の人生を自分で生きてください。
支援者の理想を実現するための道具じゃないです、当事者は。

私はニキさんとか藤家さんとか大地君とか
その他本は出していないけれどたくさんの自閉の人たちとお知り合いになり
楽しく一緒に過ごし、おしゃべりし

だから山岸みたいな迷惑を受けても、自閉症全般を厭わずにすんでいます。

でも人生最初に出会った自閉症者に勝手に「詐欺をはたらいている、学歴詐称だ、創価だ、在日だ」と事実無根のことを書かれ
「ウソならパスポート見せろ。見せなければ本当と見なす」と言われて
支援者と名乗る人たちが「死んだふり」もしくは「納得させなければ」という戦略をとったとしたら

「ああ、自閉症者もその支援者もかかわりたくな~い」って思いますわね。

こういう「死んだふり」と「当事者原理主義」で
インスタントに障害への無理解者のできあがりですよ。

偏見をなくす一番いい方法は、こういう迷惑行為に真っ正面から向き合って
解消可能なものだ、自閉症者も私たちと社会生活をともにできるのだと証明してくださることであって

どっかの役所やマスコミの言葉尻に萌えることじゃないです。
そういう支援者の態度は、かえって偏見を煽ってます。

さて、今日は12月26日。
2004年のこの日、私は今いる島で10分違いで命を助けられました。

だから毎年この日はここにいて
命があることの意味を考えています。

自分の国が被害にあった今年はなおさら考えることが多そう。

明日くらいから、また今年の総括に入ろうと思います。

被災地にいなくても
震災で色々考えさせられたし、方針転換みたいなものも迫られた一年でしたね。

でもありがたいことに
年末になって、来年の方針がクリアになってきましたよ。

そのあたり書いていこうと思います。

お楽しみに!



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パスポートを用意しながら思うこと

2011-12-24 23:49:20 | 日記
パスポートを用意しながら思い出すのは山岸のバカな発言だ。



日本人である私の素性を疑い、パスポートを出せと裁判所に訴えた。
ニキ・リンコの分と一緒に。

一応パスポートは用意したが
山岸に見せるのはためらわれた。
なんでもネットに画像で貼り付ける山岸。
パスポートの中身の漏洩は、国防にかかわる。

当方弁護士は、裁判所が出せと言って来たら出そう、でもおそらく出せとは行ってこないと読んでいた。
司法の場が二次的な被害を生む場になってはいけない。
それが大原則だそうだ。

たとえば女性として世間に通っている人を
勝手に男性と疑い、「違うなら下半身を見せろ」と迫り
「下半身を見せない以上おまえを男性だと言っても名誉毀損ではない」と言い募るのは法治国家では受け入れられない論理だ。

けれども発達障害業界は違う。
山岸の横暴に怒りながらも、支援者たちは
「納得させよ」という方針を選んだ。
情報開示してあげればいい。
見せてあげればいい。
そのためにはニキさんや私が犠牲になるべきだ。
唾棄すべきぬるま湯。非常識。

それが司法の場で通じないことは、よくわかったと思う。

ところが誤った推測を最初に書いておいて、違ったら反論せよ、反論もしないで訴訟というのは脅しだと訴えるのは当事者だけではない。
最近、ベムこと宮本晋が同じ論を振り回し
辻井先生に法的措置を持ち出されて尻尾をまいて逃げ出したのは記憶に新しい。
藤居学の論法も、みんなこれ。
貧弱な想像を勝手に書き、誤っていたら反論せよ、それもしないで訴訟に持ち込むのは脅し。

いい加減、こういう甘えが通じないことに気づいてほしい。
確認できないことは書いてはいけない。
確認できない嘘を書いて、訴えるといわれてもそれは脅しではない。
発達障害の当事者も、支援者も、保護者も特権階級ではない。
法的責任を負っているのだ。一般人と同じように。

そういう甘えを平気でしていては世間に相手にされない。
支援者、保護者、当事者そろってこういう常識を欠いている人がいるっていうのが現状のようですね。
こういう感覚では、発達障害に対する一般の支援を勝ち取るのはむずかしいですよ。


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名大吉川徹のアンチ感覚統合キャンペーンが失敗したようなので

2011-12-24 07:08:03 | 日記
クリスマスイブ何それ食べれるの? って感じで四時から仕事してますよ。
まあ自業自得なんですけどね。

さて、愛知県のどっかで来月岩永先生の講演会が行われるということで
応募者多数、発表後6日で定員が埋まってしまったようです。

あれあれ、愛知県といえば名大。吉川徹センセイのアンチ感覚統合キャンペーンにもめげず
たくさんの方々が岩永先生のお仕事に興味を持たれているのですね。

いいことです!

岩永先生は「治療者」だから。
「実践」と「研究」の双方に優れている方だから。

ネット上で「差別萌え」「DSM萌え」して
一部の修行否定派の親とつるんで弱小出版社をいじめているようなヒマな吉川センセイとは違うのです。


ペアレントメンター? 別にいいけどさ、地元で私が猫の手をお貸ししている団体でも
熱心に取り組んでいるし、必要なことだと思うけどさ

医者なら治療してればいいのに。

っていうのは私のおせっかいで
まあ地元ではそれなりにリスペクトされてるんだろうと思ってたけど

愛知県でも感覚統合に興味を持っている人がそれほど多いのか。

でもまあ、岩永先生の実践は、すでに古典的な意味での感覚統合を超えていますけどね。

吉川センセイは、そういうことも勉強せず、ただ大嫌いな花風社が肩入れしているというだけで
不勉強な素人さんたちとつるんで批判できるというプロとしては不思議なお方。
名大病院に作業療法士さんはいないの? 感覚統合やってないの? 同僚に悪いと思わないのかしら。

あ、そうか。

「名大吉川徹」として不勉強なまんま批判を繰り広げたんじゃなかった。

匿名医師としての活動だったんだ、あれ。
だからよく勉強してないこと批判するなんていう愚かな真似ができたのね。

そのわりにたらたらちっぽけな自慢するから、すぐに正体ばれちゃうんですけど。数回ぐぐっただけで。

それで実名暴くと死んだふり。

その卑怯さが嫌いなんだよな~。

まあいいや。愛知県の方々は、吉川センセイのアンチキャンペーンにも負けずに
感覚運動アプローチの大切さに気づいていらっしゃるみたいだし。
それが一番大事なこと。

岩永先生のお仕事は、情動や学習にまで踏み込んでいます。
そしてかなり重度な方からコミュニケーションを引き出す実践もされています。
そこに働きかける感覚運動アプローチです。
発表後6日という短い間に申し込まれた方は、賢明でした。
きっといいお話が聞けると思います。
家庭でも、学校でも、役に立つお話が聞けると思います。

予習はこちらでどうぞ。
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