治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

花風社を撤退させる方法

2017-07-31 11:20:20 | 日記



ギョーカイ一般的にはIQは年とともに落ちていくものとされているようですね。
他のお子さんとの差がどんどん開いていくから。
でもどんどん伸びていくのが花風社クラスタ。
「分母が大きくなるから相対的にIQは落ちていく」という説明をきいて「不思議ですねえ、うちの子伸びていく一方ですけど」というのが「言葉以前のアプローチ」を実践してきた人たちです。
それを負け惜しみでインチキがってるのをまったりと見ていますが、そんなにトンデモがるなら私を黙らせたらいいでしょう。
どうやったら黙るのかって? おおせのとおり「エビデンス」と「再現性」のある方法でShihokoさんのような方がたくさん出てくれば、私はこの世界における自分の仕事は終わったと撤退しますよ。

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涙が出そうでした。 (Shihoko)
2017-06-24 11:29:29

私の長男は、ディスレクシアでした。
でした、と書くからには、今は、そうではないということです。
現在小学校6年生の長男は、漢字テストで100点に近い点数を、普通にとってきます。
3年生まで、カタカナの読み書きもまともに出来なかった彼とは、もはや別人のようです。
けれど、これまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
まだ原始反射等についての知識が無かった頃、単調で辛いトレーニングや、手当たり次第に試した諸々の療育や学習方法で、ストレスのあまり抜毛し始め、全部のトレーニングを中断したこともありました。
読み書きが不自由なく出来るようになることを願うのは、親のエゴなのではと、何度も何度も、自問しました。
それでも、長男の望む道(今のところ料理人)には、読み書きが出来ないことがどれ程のハンデになるかと思えば、ディスレクシアを克服させることを、親の私が諦める訳にはいきませんでした。
ギョーカイから、どんなに“ありのままで”“がんばらせるな”と、警告され続けても。
そもそも、本人に、諦める気が無かったのですから。

思えば、諦めの悪さを、こんなにおおっぴらに肯定されたと思ったのは、初めてかもしれません。
涙が出そうでした。
意地を張りつづけて、良かった(笑)

今日も長男は、高校進学を当面の目標に、“普通の教材”で、勉強しています。

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合理的配慮も大事だけど、普通の教材で勉強できれば便利ですもんね。
ひと手間省けるし、普通の中でも相性があります。豊富な教材の中から自分に合ったものを選べますよ。
だからますます知識に触れる機会が増えます。これも芋づるです。




どっか言って誰かに説いているんでしょうね。
私も同じような場で言っていますよ。
「エビデンスと言いますけどエンドユーザーに論文の一本も見せませんよね」
「エピソードしかないと言いますけどABAやっている人が治ったっていうエピソード見せてほしいもんですね」
なんてね。
そんなに代替療法を責めるんだったら自分たちのやり方で治せばいいんですよ。
治せない以上、支援者とはいえしょせん他人が何を言ったって「治ってもらいたい」という親心には通じなくたって不思議ではないですね。
いっつも不思議なんですけどこの人たちは自分で納得できる方法にたどりついた人たちに「オレたちはその方法気に入らないからその方法取るなら治るな!」と命じてるも同然の出過ぎたマネをしている自分の姿に気づかないんですかね。
人として引かれても当たり前ですよね。

こんな風に。

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Unknown (くむ)
2017-06-26 10:34:42
相変わらずエビデンスガーなんですねぇ。
エビデンスがないと動けないなんて主体性がないなと思うばかり。
だいたい自分でできて、お金がかからなくて、できれば体に何も入れない方法のどこがカルトなのか不思議で仕方ないです。
息子は音がすると耳をふさいでいたエアータオルを便利に使いこなし、ベタベタ汚れを嫌いやらなかった粘土遊びは授業中楽しく作品を作れるようになり、なかなか寝付かず夜中もしょっちゅう目を覚ましていたのがベットに入るとすぐ入眠し朝までぐっすりになり、会話など全くできない状態だったのが冗談まで言えるようになるなど、他にも挙げればきりがないほど治ってきています。
自閉症と診断された時、こういうことができるといいな、こんな風になれるといいなと願った状態以上にどんどん成長しています。
これは決してエビデンスガーの人達のおかげではない。花風社の本や浅見さんとの出会いがあったからこそ。
子どもの成長は早いからエビデンスなど待っていられないし、親としては統制群にされる子どもなど出て欲しくはないですね。

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私はカルト呼ばわりはいやじゃないんですね。
なぜ?
自分の理解できないものを支持する集団が出来上がると、カルト呼ばわりするのは現実を直視できない人による負け惜しみの決まり文句だからです。
2009年の時点では影もかたちもなかった「言葉以前のアプローチ」が今はカルト呼ばわりされるくらい存在感があるんだなあ、と。

彼らは最初、なんとか「浅見があくどい金儲けをしている」ストーリーに落とし込みたかったんですよね。
ところが私が売るのは年に三冊ほど出す本とせいぜい3000円の講座くらいで、サプリを売るわけでもなく、ライセンスビジネス始めるわけでもなく、なので、最近「金儲け」が言えなくなっちゃったんです。
あとはカルト呼ばわりしか残されていないんですよ、かわいそうに。

なんていうことを「発達障害、治るが勝ち!」でどういう切り口で活字にしているかお楽しみにね。

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コメント

治りたくない理由を増やすもの

2017-07-30 10:28:30 | 日記



さて、「発達障害、治るが勝ち!」校了して、まずやりたかったことはコメントへのお返事です。この一か月いいコメントたくさんいただいていたのにレスつける余裕がありませんでした。
でもひとつひとつレスつけるには遅きに失した感があるので、いくつかのコメントを取り上げて記事を書いてみたいと思います(不定期)。
まずは朔亥未己さんと373さんのコメントから。


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極端なまでの「ぼっち」忌避傾向と友達原理主義が面倒くさいです (朔亥未己)
2017-07-22 17:55:40

新刊の発売ありがとうございます。早速注文させていただきました。
タイトルと目次を拝見するだけで色々なことを考えさせられました。

ところで私は一般就労によって支援を抜けて5年過ぎる程度で、普通に仕事をしているだけの人間なので、
社会についてあれこれ言うのは身の程知らずかもしれませんが、実際起きている現実、現象について気付きがありました。

極端な「ぼっち」忌避と友達原理主義と寄らば大樹の村幻想が生産性を下げているということです。

生産性っていうと表現固いですが要するに、仕事にそれなりの遣り甲斐を感じて前向きに取り組める姿勢のことだとだと思ってます。
単なるお金儲けの事ではなくて。今の世の中仕事への取り組みの姿勢にお金が付いてくることになっているので。

実際には稼がなくてはならないので、お金は大事じゃないという意味ではないです。
いい仕事には結果がついてくるようになっているのです。一般論でなく、私個人の実感としてあることです。

ぼっち忌避、友達大事、村幻想は、仕事が出来なくなる負の連鎖を生みます。
幼少期から成人するまでを過ごすために割と手堅い処世術として身に着けてしまい、
若い人から社会に出て何年経つんだという人まで、手放しがたく持っている人が多いです。

負の連鎖、具体的には、メンバーより突出しないことを意識するあまり、仕事への取り組みがおろそかになっているにもかかわらず、
自分たちは頑張っているつもりでいるといったことが起こりやすいです。

仕事に対して個々人は意見を持っていないことになります。
意思表示や意見表明をしないことは、仕事上では意思も意見も持っていないのと同じことなのですが。
意思や意見をもって実際に取り組んでこそ仕事なのですが。

ギョーカイのことを言っているわけではないのですが、ギョーカイの事を言っているみたいですよね。

ギョーカイ外の一般組織ではこういった村が出来てしまってコストに現れてしまったら、
割と平和的で出血を伴わない解決策を持っているのですが、組織のトップその人が村思考の持ち主だと、解決策に手をつけません。
解決しなくてはという発想がないので出血を伴うところまで事態が悪化しないと動きません。

ギョーカイのトップはどこに当たり、今、解決に向けてどんなことを考えているのか気になります。

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何度も繰り返しますが、ムラ的メンタリティを持っているコミュニティという点に関し、私が出会ったコミュニティの中ではギョーカイが空前にして絶後です。本当はみんな仲いいわけじゃないのに(これはリアルなムラもそうだと思います)、いや、本当はみんな仲いいわけじゃないけど仲良くすることを優先するがゆえに、当事者そっちのけで絆を確かめ合うスローガンを必要とします。それが「改善するけど治りません」という目くらましのフレーズです。なぜそうなるのか、それは新刊に詳しく書いてあります。くどくどと書いてありますが要するに、「こういうメカニズムからギョーカイ人は『改善するけど治りません』と話を合わせているだけなので本気にするもしないも自由ですよ」ということを私は示しているわけです。「改善するけど治らない」を信じるも信じないも一人一人の支援のエンドユーザーに託されているのです。
支援者たちの作るギョーカイはムラですから、普段は陰口言い合っていても敵の襲来を前にすると団結します。それが行政が企てた制度にのっかって異業種から参入してきた放課後等デイへの新参者などへのしたり顔の「専門性がないから」といった文句につながります。じゃあ君たちの専門性は誰を治したよ? っていう話です。
朔亥未己さんはすでに申し込んでくださっているとのことですから、お盆前に読めます。どうぞお楽しみに。

そしてこういうムラ社会の人がやるSSTが現実社会で通じない、ということが私の問題意識なわけです。そこで373さん。

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コミュ力とは? (373)
2017-07-23 12:22:58

企業の人事の方にこんな話をすることが増えました。
「『コミュニケーション力には自信があります!』と言う学生はちょっと気にして様子を見て下さい」
それはなぜか?コミュニケーション力の評価基準が社会人とは異なるからです。

学生にありがちなのは、「いかに波風立てないか、平穏に過ごすか」です。
ところが、社会人は仕事をする上で激しいやりとりや厳しい葛藤などは当たり前となります。他社はもちろんですが、社内であっても部署や立場が違えばぶつかり合うことがあるのは当たり前だからです。それを乗り越える、場合によっては折り合いをつけることができなければ仕事にはなりません。
これはいじめでもハラスメントもありません。

仕事上の信頼関係はこうした厳しいやりとりを繰り返す中で初めて生まれるものです。逆に、厳しいやりとりができないのに信頼しろ、という方が無理な話です。

一見穏便な“仲間”の維持ありきで仕事をしたらどうでしょう?“仲間”以外の人には何の役にも立たない成果しか生まれないでしょうね。実は“仲間”うちでも何の役にも立っていないのかもしれませんが。

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私がギョーカイ陰謀論を説いているという頭の悪い人もいますが、何度も言いますが私はギョーカイ人が陰謀を企てているなどと思いません。陰謀を企てるほどの胆力も実行機能もないと思っています。私はギョーカイ人の悪意を非難しているのではなく、無能を非難しているのです。彼らは治った人を隠すのではなく、本当に治したことがないのです。それを非難しています。



先日ある場所で「花風社社長は評価が二分するが」みたいなことをしたり顔で書いている人がいました。それに対して「私も全面肯定ではありませんが」とか返事している人がいました。あのさ、大人になって社会人生活をやっていて全面肯定されることを期待されていたらその方がずっとイタくないですかね? と思いながら遠巻きに見守っていました。コミュニケーション力っていうのは文字通り「伝える力」ですから、意図が伝わってそれに賛同する人としない人とが分かれたらそれは「コミュニケーションが成り立っている」ということなのです。それを知らないと「波風立てない」処世術しか見えないし人にもそれを教えちゃいますよね。そうすると「治る」ことを被害的に取ると思います。
治るとは他の誰かになることではないのです。より自分らしくなり、より自分が鮮明に他者に伝わるようになり、それによって仲間ができるということです。私くらい強い主張をしていれば、その副産物として敵もできるでしょう。ならばいかに敵からの攻撃をできるだけ無力化するか。それもコミュニケーション力です。
そして実際の就職戦線を見ていても、私の感覚ではこれは当たっているのです。373さんは企業の中でお仕事されているから、やはりそういう実感を持っていらっしゃるのだと思います。「なるべく自分を殺すことこそソーシャルスキル」というのは、実際には役立たない、いや逆効果なのではないかと思っています。就職戦線以前に、少なくともメンタルには逆効果なんじゃないでしょうかね。

そのあたりは新刊の第二部

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伝説十二
治る=自分ではなくなる

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に書いておきましたけど、この「治る=自分ではなくなる」が治りたい人を増やしている集団誤学習ですね。それだけだったら別に被害は限定的だからいいんですけど、広く行われているSSTがこれに染まっていると被害が広がるので、「だったらそんなもん受けないほうがいいや」っていうことも考えられるし、「一向に問題行動が治まらない」等の形でカンのいいお子さんは受けるのを拒否しているかもしれませんね。

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校了しましたよ

2017-07-29 12:00:00 | 日記



直販お盆前、書店(ネット書店含む)お盆後の発売に向けて校了しましたよ、「発達障害、治るが勝ち!」。
帯の色校が出てきました。
こんな感じです。

支援の限界を、乗り越えよう。

だってさ、支援者の力量以内にしか発達できないなんて
いったん障害認定されたら生涯飼い殺しなんて、やだもんね。

と思う人は読んでください。

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愛着障害は誰のせいでもない、ってこういうことなんだ

2017-07-27 07:08:07 | 日記



愛甲さんは「愛着障害は治りますか?」で「愛着障害は誰のせいでもないのです」とおっしゃいましたが、そのとおりだなあとしみじみした本を読んだので書きます。

ベストセラーになっていますね。
これです。




これ、書名著者名出さずに書きます。
なぜなら、この著者のお嬢さんの目に万が一にもこのブログが触れてほしくないからです。

この本は(賛同しないところも個人的にはありますが)多くの人を救う本だと思います。
けれども自分の母親がこういう本を「反抗期の娘に書いた」ということは
娘の立場からすると大きな傷になると思います。
皆さんも娘の立場として、親がこういう本を書いたらどう思うか想像してみるといいです。
私なら親を見限ります。

でも仕方ないですね。
お母さんとしてはこれを書かざるをえなかっただろうし、そしてこの本は多くの人を救うだろうし
その傷はお嬢さんが自分で埋めていかなければいけないものでしょうから。

私はこの本を読んで、
・愛着障害は誰のせいでもない
・成功者の家庭でも負の連鎖をする
・各世代が自分で落とし前をつけるしかない

ことを知りました。
親の愛着障害の自己治療が、子どもの愛着障害を生むこともあると知りました。

このお嬢さんは亡くなったお父さまが大好きなのですね。
小さいころ亡くなったのだけれど
言葉以前の結びつきがとても強い父娘だったのだと思います。
私もそういう父娘だったのでよくわかります。
言葉ではないんですよね。交わした言葉の数ではないのです。
お父さんは女の子がほしくてほしくて、生まれた時嬉しくて「かわいい、かわいい」と娘を見ながらむすめ酒を飲んだそうです。
そういうのは身体に残るのです。

だから

自分の母親が金持ちの老人と公認セレブカップルになっている
というのは我々第三者の大衆にとってはサクセスストーリーなんですが
亡き父を愛する娘としては傷ついてもおかしくないと思います。

でもお母さんにしてみたら、だめんず遍歴を重ねたあと(これもまた愛着障害の産物)、別れたはずの夫まで立派に看取り、仕事も頑張って成功して、人生実りの時期を迎えたのですから、それを享受したいですよね。

つまり負の連鎖というのは成功の引き換に起こることもあり
でもそれは誰のせいでもなく
各世代が自分で決着をつけるしかなく
そしてそのもがきが様々なものを生むのだろうと思いました。
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有名支援者をありがたがるという誤学習

2017-07-26 09:11:32 | 日記
先日テレビに出ていたギョーカイ人が「治るんですか?」という質問を振られたときの「治りません宣言」がいまいちキレがなかったというか、わりと控えめだったのが印象に残りました。そしてあるインフォーマントと話をしたら、「いや、もうABA治さないってばれちゃったのでそろそろ弱気になってるんじゃないですか」とのこと。なるほど。「何しろ実績ってペアレントトレーニングだけでしょ」って。ああ、ペアトレっていうやつね、なんて思ってたらまたタレコミがありました。

いや、私はブロックされてて見られないんですよ。そして皆さんに見せようと思ったら、南雲さんや栗本さんという著者筋だけじゃなく、花風社の読者の皆さんも細かくブロックなさっているのですね、このツイート主。すごい熱心な仕事ぶり。願わくばそれをもっと治す方に向けていただけないでしょうかね。

私のとこに来たのはスクショですけど、URLも貼っておきますね。クリックしてみてください。みえるかな。花風社クラスタならブロックされていて一人前!(ウソです)



まあともかくペアレントトレーニングの「わが国を代表する専門家」が一堂に集まるとのこと。すごいな。わが国を代表するって。どっかでペアトレオリンピックでも開かれててこの人たちが日本代表なのかな。ていうかこのツイート主、自分ところの合宿のセールストークでも「一流の専門家を集めた」ことを自慢してたけど、気づく人は気づいているでしょ。有名支援者に限ってろくなもんじゃない。治さないし治さないでも「仲間内で盛り上がる仲間が多い」っていうのが有名支援者の定義だからどんどん治さなくなります。治さないことに罪の意識を感じなくなるの。だって友だち誰も治してないからさ。

「発達障害、治るが勝ち!」でも

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伝説5
人気の病院やクリニックに予約が取れるとラッキー

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を論駁しています。ここは何度読んでも自分で笑うところです。お楽しみにね。ギョーカイは読んだら怒るだろうなあ。まあ花風社読まない運動している人たちは読まないだろうしこっそり読んでも仲間内でしゃべれなくてかわいそうね。

私がギョーカイ人だったら、今度の本は読んどくね。読んだら花風社がやっている身体アプローチがどんなもんか手っ取り早くわかるしそれに、今後は多かれ少なかれこの本を読んだ人、読んだ人から話を聞いた人、なんかが今後被支援者になるので、傾向と対策を練らないといけないから。

あ、でも傾向と対策練るほどの立ち回り力はギョーカイ人にはないか

と思ったのは私の見誤りで

著者ではなく読者までブロックしているところを見ると、なんだかんだ私のついったーよく観察しているんだろうし割と仕事が細かいわよね(ほめてません)。

願わくばその勤勉さを治す方に(以下無限ループ

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理解とはどういうものか、理解していますか?

2017-07-25 09:53:53 | 日記
さて、私(浅見)は、発達障害を理解しているでしょうか?

猿烏賊目線では理解していないでしょうね。
だって治るとか言うし。
けれども花風社クラスタから見ると「治るという可能性を見出してくれた人」でしょうね。
つまり本当に理解している人でしょうね。

先日某所で某支援者に言ったことですが
結局「発達障害を理解して」ってギョーカイがいうとき求めているのは「理解」じゃないんですよね。
「私たちの仲人口をまんま受け入れて」っていうことです。
自閉っ子天使説とか天才説ですね。
だったら支援はいりませんね。
天使や天才に支援はいらないでしょう。

ギョーカイが決定的に間違っているのは、
理解した結果、離れていくこと、かかわらないことを選ぶ人もいる。
それこそがホンモノの理解だっていうことです。
そしてギョーカイの理解
すなわち「理解さえしてもらえれば受け入れてもらえる」をそのままのみこむと誤学習になります。
なのに無自覚なままに誤学習に陥っている人、多いですね。

私は発達障害の人とパーソナルにかかわってきたので、仲人口を超えた理解をしているとも言えますね。
ビジネスパートナーとして一緒にやってきた人もいれば
被害を受けて告訴人になったこともあるし
絡まれるのは日常茶飯事です。
そして知ってしまいました。
きちんと努力する気のある発達障害の人がいて、一方で「社会の理解」を口開けて待っている人がいて、どっちも教育の産物だということをね。
だったらどういう教育がどういう結果に結びつくのか。
その観察の結果、「ギョーカイの言うことを真に受けると社会に通用はしないよ」という自分の意見を「発達障害、治るが勝ち!」に認(したた)めたわけです。

「理解されさえすれれば万々歳なのだ」という誤学習を若い人がしている場合
その正当性を見極めるのは周囲の大人の役目ですね。


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「絶対に健常児にはしない」というギョーカイの固い決心

2017-07-24 16:22:24 | 日記





岩永先生の盛岡講演会のこのアオリを見て、腹立てている方が多いですね。


最初の一言が余計だ! っていうね。
親としてはたまんないよね。最初に保身のフレーズぶちこまれると。
しかもどこの保身かというと、タコツボ内での保身ですからね。

それで思い出したのは、神田橋先生と初めてお会いした時のあのこと。

浅見「発達障害は治りますか?」
神田橋「発達障害者は発達します」

これに感動した、ということで嘲笑した人がたくさんいました。つまり、発達障害者が発達するのは当たり前じゃないかという。猿烏賊方面でも海老踊り方面でも嘲笑した人がいた。

この辺、結構新刊にも詳しく書いて論駁していますが

当時の私は、発達障害者の迷惑行為を受けていた→ギョーカイ人死んだふり→やはり治らないのか→じゃあ発達障害者の迷惑行為の対象になったら一般人はひたすら我慢しなきゃいけないのか→そんな迷惑な人たちを世間が受け入れるだろうか

と言う問題意識を持っていたわけです。
そしてなんで先生の言葉に感動したかと言うと、そう、ギョーカイ人は誰も発達を促しているようには見えなかったからですよ。「社会の理解を」しかやってない。じゃなきゃ「スモールステップ」(ブ)。

でもその「スモールステップ」が海老踊り猿烏賊方面では「発達する」ということなのかもしれない。まあ大脳皮質だけに働きかけていると成果はちんまりしているからね。

まあともかく

発達障害者は発達する

という言葉に感動した私を「当たり前じゃんプゲラ」した人たちがあれほど多かったっていうことは、発達障害関係者は党派を超えて「発達障害者は発達する」を信じている人が多いっていうことですね。この点は意見は割合一致しているわけです。

でも

「発達障害は治る」になるとがらっと変わってきますね。

「治った!」と思っている人が増えている花風社クラスタ。それを唇かみしめて「うそだ。騙されているだけだ」「どうせたんなる健康法」とか言っている人たちがいるわけです。支援者にも当事者保護者にも。そしてその人たちは支援下にいるお子たちを健康にすらしていないことも多いわけですが。

つまり「発達障害者は発達する」は多くの人が信じるのに
「発達障害は治る」になると大荒れに荒れるわけです。

変でしょ?

治り始めたら止まらない、というのが実感だ、という支援者の方がいました。私もそう思います。もう誰も止められない。

あ、違った。止められますね、ギョーカイ人には。

盛岡講演のアオリに怒った人っていうのは、それに気づいた人だと思うんですよ。
「発達を促進するけど治さない」っていうのはね

「自分たちは介入します。介入を仕事にして専門職としてドヤ顔して報酬も受け取るつもりです。でも意地でも健常域にはもっていきません」という「ギョーカイ連帯の誓い」に見えるのですよ。

だから「発達障害者は発達するなんて当たり前じゃんプゲラ」を言っている人が同じ口で「治らない!」って言っていると

「ああこの人は『意地でも健常児にはしないという固い決心』をしている支援者なのだなあ」と思われているということですね。

そういう自覚、持った方がいいですよ、ギョーカイの皆さん。

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仲間はほしくないのですか?

2017-07-22 06:28:20 | 日記




この前某所で某支援者に、現在

ギョーカイメジャー全員vs浅見さん

で浅見さんが勝っている感じだ、と言われました。何で勝っているのかは聞きませんでしたが、まあ暴論言論方面でしょう。そして「浅見さんは仲間がほしくないのですか?」ときかれました。「へ、仲間?」とびっくりしました。そういえば「仲間がほしい」と思ったことはないですね。


でも仲間がいないわけではありません。ただ、「仲間づくりを優先させない」のは事実です。自分の主張ははっきり言う。そうすると自然に敵になる人もいれば味方になる人もいます。敵も味方も作るもんではないですね。できるもんです。

長年の浅見ヲチの結果多くの猿烏賊たちが学んだのは「人それぞれなのだ」ということだと思います。発達障害を治すとか、自閉っ子も努力しろとか、身体アプローチとか、(彼らにとって)非常識な提言をどんどんする私、ギョーカイメジャーにどんどん喧嘩を売る私を見ていて「あんなの誰にも支持されるわけがない」と思っていたのにそうでもない。だから支持者を情弱呼ばわりしていましたが「五年十年みましょうよ」と私が言った通り見ていると支持者の中に「治った!」と自覚する人たちが出てきた。そしてそれは現象として実績に結びついている。より自由度の高い生き方に結びついている。その現実を見て、「人は人、自分は自分」を悟った度合いは猿烏賊間でも格差があると思います。

おそらく今でもぶつぶつ言っているのは、それがまだのみこめていない一番どんくさい猿烏賊でしょう。そうでなければ、なんらかの理由でむしろ浅見の承認を必要として止まない人たちでしょう。まあなんらかの理由と言うのは、花風社が本心では好きだから本当は仲良くしたい認めてもらいたいのか(でもこれは少ないはず)、じゃなければ育ちの中で培ってしまった愛着の問題で「世の中全員が自分に賛同しないと不安で仕方がない」人たちでしょう。

私にはそもそも承認欲求どころか、「仲間がほしい」という欲さえないのです。とにかく心底ギョーカイに腹が立った。支援者のくせに支援していないからです。そしてその事実を見つけたから、それをおおらかに表明する。その結果読者がいなくなれば撤退するだけ、というつもりでやってきました。でもギョーカイをのさばらせていてはギョーカイ以外の誰も得しません。それを打ち破るために強い主張をして本が売れなくなるのならそれでいい、と思ってやってきました。

でもまあ結果はどうかというと、2009年までは全くなかったマーケットがひとつできてしまったわけです。「言葉以前のアプローチ」という。

そんなことを思っていたら読者の方から興味深いメールがきました。私と同県人です。

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「神奈川の人の愛情や関心の表現は、わりと淡泊なのかもしれない」と感じるようになりました。
例えば、子供が泣き叫んで親である私が困っている状況の時に、他の場所では声をかけられることが多かったように思います。
それが有難い時もあれば、申し訳ないけれどちょっと放っておいてほしかった、と思うこともありました。
神奈川では「そちらに注目しない優しさ」というものがあると思います。
本当に何かあれば助けてくれないわけではないけれど、敢えて声をかけない優しさ。
でも、それは他県から来た人にとってはわかりにくくて、「冷たい」と言われたりもするような、さりげない優しさ。
また、私の実家は、何か困ったこと(主に子供たちの預かりなど)があって相談すれば、何とかして助けてくれますが、その表現は控えめで
こちらからの発信に応える、必要以上は手を出すまい、という風に感じます。私の子供たちのことはとても可愛がってくれますが、
(私たちのために)余計なことはするまい、と敢えて線を引いているように思います。

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あああ、そのとおりだ、と思いました。
普段は干渉しない。何かあると助け合う。そして次の日からまた他人、なんですよね。
この方はこのあと、だんなさんのご実家(日本海側某所)と神奈川のご実家の「孫の歓迎度合いの違い」に触れていらっしゃるのですが、横浜と藤沢のハーフとして私も小さいころから「孫を猫かわいがりする祖父母って、あれって日本むかしばなしの中の話なのだ」と思っていました。それくらい両祖父母とも割合クールでした。そしてそれが私にはさみしいどころか心地よかったのだと思います。でもそれが神奈川県民性である意識はありませんでしたが、東京の人の方が意外とウェットなんですよね。そうじゃなきゃマウンティングが激しいです。とくに東京のアッパー寄りな人たちの笑顔のマウンティング、怖いです。

瀧澤久美子さんのいう「愛ある無関心」もあれ、土地に基づいたものなのかもしれない、と思いました。
たとえば沖縄では無理でしょうね。
でもだからこそ、沖縄行きでこよりさんは大きな気づきを得たのです。

そしてそういうメンタリティを知らず知らずのうちに身につけているらしき私にしてみれば、本当に「治りたい人だけ治ればいい」んです。
でもギョーカイはムラ社会だから、それがわかんなかったかもしれないですね。
ギョーカイは私が遭遇した中で一番のムラ社会だし均一性を強いるし見張り合い社会です。

新刊にはこう書いてあります。

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 だから、ギョーカイを心底見限った私がブーイングにも負けず「治そう」と言い始めたら、賛同者は意外と多かったというのが実感である。

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本当にこれが実感なのですよ。
私は仲間を求めてギョーカイ批判をしたのではないのです。
ギョーカイがしょうもないから批判した。そうしたら「やっぱりそうよね。使えないわよね」って思っていた人が意外と多かった、っていう話なんです。

新刊、直販も書店方面(ネット書店含む)も予約好調ですが
おそらくギョーカイの人も読むんでしょうね。
いや、私がギョーカイ人なら読むと思いますよ。たとえ賛同しなくても。
だってこれから、この考え方に大なり小なり触れたことのある人を支援する機会が増えるのですから。



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切なくて切なくて

2017-07-21 09:02:48 | 日記




プロっていうのは他の人が気に留めていないような細部に工夫を凝らしています。
私は一読者として単行本を買っても、実はあまりアートワークに興味はなく、ジャケットを脱がしたことはありませんでした。
でもうちのデザイナーさんが「脱いだ姿」にこだわりまくる姿を見て、自分自身「今度の本は脱がしたらどうだろう」と期待するようになりました。
けれども「発達障害、治るが勝ち!」はこっちから「脱がしたあとの姿」を指定しました。
画伯にも発注し、二人で試行錯誤して、仕上げました。
だから皆さん、本が手元に届いたら、脱がしてみてください。
書店でお買い求めの皆様、店頭で脱がすのはやめてくださいね。ちゃんとお金を払ってから脱がしてください。
ジャケットを脱いだ姿に、皆さんは私の愛を見出すでしょう。
そしてひっくり返してみてください。
表四(裏表紙)にまたもや、私の愛を見出すでしょう。

そして私は昨日、帯の裏に何を載せるか考えていました。
ここは「発達援助という視点」と書かれていることもあれば
関連書の広告が載っていることもあります。
ジャケット脱がした状態と同様、たぶんあまり注意を払う人はいないと思うのですが
一応編集者はここに何を載せようかもじっくり考えます。
そして本文からの引用にしました。
引用してみると、これは載せた方がいいと思い、アマゾンに行って「出版社からのコメント」に貼ってきました。
自社のHPにも貼ってきました。

こんな引用です。


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「愛するからこそ治ってほしい」という当たり前の親心を「障害受容ができていない」と見る支援者が一部でもいるのが残念である。
 まっとうな親心を捨てることこそ支援、という風潮が行き渡っているのが、私にとってはこの十数年、見ていて切なかった。
 切なくて、切なくて、だから、解決策を探しつづけてきたのである。
 そしてここにたどりついたのである。
(本書より)

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自社HP 「発達障害、治るが勝ち!」コーナー


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「改善するけど治りません」という魔法の言葉

2017-07-20 11:29:10 | 日記





岩手から送られてきました。
岩永先生が盛岡で講演なさるのですね。

発達障害を治すのではなく発達を促す。
なるほど。
たぶんお友だちのギョーカイ人の中には「発達を促す」と書いただけで怒る人もいるでしょうが今度の主催者は医師会のようですから、つまり発達障害のタコツボ内での会ではないようですから、これくらいは許されるわけですね。

よく「発達障害の専門医に増えてほしい」というご意見がありますが
なんで増えないか?
役に立たないからだと思います。
役に立たないものが増えないのは自然です。
今のところ診断しか役目がないんだったらそのうちアプリかなんかに置き換えればいいんじゃないですかね(ブ)。

なんだっけ。


そうそう。発達を促すけど発達障害は治さないという感覚統合第一人者の固い決心ね。

親御さんとしてはどっちでもいいでしょ?
でもギョーカイにとっては重大問題なんですよね。

私もながらく「改善するけど治りません」という専門家の言葉を信じ、それでも
「そうか、改善するのか、よかったよかった」と思っていたほどバカでした。

でもなぜ「改善するけど治りません」なのか
新刊「発達障害、治るが勝ち!」では相当なページ数をその解釈に割いています。
ここを超えないと治らないのでね。

だいたい魔法の言葉ですよ。「改善するけど治らない」って。
なかなか器用な真似ですよね。改善するけど治らないで済むって。

まあ私の解釈をお楽しみに。

直販分につきましては、昨日から本当にたくさんご注文いただいているのですが、いつものMLをまだ流していません。
流さないわけにいかないので、予定を早めて本日流しますが、すでに注文したけどきちゃった、という方もたくさんいらっしゃると思います。自動返信がいっていたらご注文は承っていますのでご安心ください。
それとまた送料がバグを起こし、10冊ご注文の方には3100円とかいってしまっているケースもあるのですが、とにかく新刊の注文があれば送料はお取りしないのでご安心ください。
それとMLを見てお申し込みの方には自社分を放出してでもクリアファイルをお届けしますのでご安心ください。
会員登録とML登録がリンクしていないので(今、チェック欄を設けてもらうように頼んでいますが今時点ではリンクしていません)、今後MLがほしいという方、メールでお知らせください。秋に向けて講演会情報等も多くなります。

とりあえずわかっているのは

9月17日 ニキさん 広島県内
9月23日 浅見 東京都内
9月24日 ニキさん 青森県内
11月4日 浅見 北海道内
11月15日 藤家さん、浅見 大阪府内
12月3日 藤家さん、浅見 鹿児島県内

です。栗本さんはどうせどっかにちょこちょこ行くと思います。先日私が見張りに行った講座も満員御礼ですごい熱気でした。「えらくなったんだな~」と思いました。どっかの先生みたいでしたよ。栗本さんはなんの肩書もないたんなるおっさんですが、アプリで置き換えはできませんね。

さて、「発達障害、治るが勝ち!」Amazonでも予約可能になりました。
Amazonご愛用の方はこちらからご予約ください。

どうぞよろしくお願いいたします。


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