治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

保護者の問題に真正面から向き合う

2011-07-22 06:32:00 | 日記
私が杉山先生の新刊「発達障害のいま」を「フェア」だと思ったのは
次のような問題が真正面から取り上げられていたからです。

・遺伝
・虐待
・触法事例
・トラウマ
・親の精神疾患
・発達障害の予防

少し前なら、専門家があえて語らなかったことが
きちんと語られるようになっているんだなあと思いました。

上記のトピックが、臨床経験豊富な専門家によって明るみに出ることが
面白くない人もいるかもしれません。
でも大本営発表では一般社会との共存なんか進みません。
そして支援者ではなく一般社会の入り口に立っている私としては
こういう情報開示は大歓迎なのですね。
大本営発表を誰にも利することがないと思って見てきましたからね。当事者も、一般社会も。

先日読者の方にこんなメッセージをいただきました。

=====

親の精神疾患の高さ・・・これは親の会に属し活動してきた人なら絶対思い当たると思います。
 どんな根も葉もないことや、白を黒と言ったとか 事実無根の噂や言われてても我慢するしかなかった。
 だけど明らか法律違反や人の人権を侵害したら、障害児の親御さんだとしたって訴えられるし、自分のしたことの責任は取らなければいけない・・。そこを今引かずにちゃんと示してくださってる浅見さんに出会って、この部分の啓発も絶対大事だと思うようになりました。
 
=====
 
 そうそう。
 
 整理してみましょう。
 
 そらパパこと藤居学が独自の解釈をして「ぼく、アスペルガーかもしれない。」という本について大騒ぎした。
 編集方針が気に入らなかったらしい。一ページ目の
 
「自閉症って恥ずかしいの?」
「自閉症は恥ずかしくないよ」
「大地、自閉症は恥ずかしくないよ。恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯が食べられないことだ」

 というのに深く傷ついて大騒ぎ。
 
 私は数ヶ月放っておきました。
 私にとっては、大地君一家との最初の出会いのときに交わされたこの会話が「この本を出そう」という決定打になったから。
 出すときから、当事者の努力を描いたこの本はある種の人々の反発を買うだろうなと思っていました。
 けれども山岸との裁判を抱えていた当時の私にとって、自閉症の世界に渦巻く「ありのままでいいんだよ」はウソくさかった。
 一般人の権利を侵犯しても、ありのままでいい。
 そのまんま、一般社会との共存をはかるつもりなんですかね?
 何度も繰り返しますが、私はこの問題に関し、山岸だけではなく彼を放置した主治医を始めとする支援の世界全体に憤りを感じています。
 
 つまりこの世界では「ありのままでいいんだよ」と言ってほしい人が多いっていうこと。
 それは知っていたので、「ぼくアス」のコンセプトに反発を感じる人がいるのは想定していました。
 一方で支持してくれる人がいるだろうとも想定していました。宇開先生や長沼先生が気に入ってくださったのは「そうだろうなあ」と納得しましたね。
 
「そらまめ式」のHPはあまり見ていなかったけど、ニキさんが時々「本をほめててもけなしていても的をはずしている人がいる」といっていたので、ああ、そういうHPがあるんだなあという認識しかありませんでした。

 で、あの大騒ぎを放っておきましたね、数ヶ月。
 別に誤読は想定内だし、主観的に解釈されるのは当たり前ですよ。
 でも私が「こいつカンチガイしているんじゃ?」と思った違和感は、
 のちに2010年11月1日に私が藤居の代理人に送った文書の中のこのフレーズに集約されていると思います。
 
 再掲します。
 
=====

藤居学はそのブログの中で「自閉っ子シリーズのあるべき方向性」などを勝手に論じているようですが(「自閉っ子的 心身安定生活!」へのレビュー等の中で)、藤居は数万の読者の一人に過ぎず、私に意見し、答えを求める立場にはありません。
 
 同じように最近も「次の著書の中で自分に答えてくれる」という誇大妄想を抱いていることがブログから読み取れますが、私は藤居に答えるために出版活動をしているわけではありません。
 
 障害のある方に自分なりに寄与していくつもりで出版活動を続けますが、一冊一冊藤居への回答にするつもりはありません。
 
 ブログにしても、不特定多数の閲覧者に向けて書いているものであり、藤居を想定してはいません。それを勝手に自分への答えと受け取るのは思い上がり以外の何ものでもありません。
 
=====

 そう、当時は「自分がこれほど疑問をぶつけているのだから応えてくれるはず」という誇大妄想的な思い込みがどこから来るかさっぱりわからず、不快に思いながら放っておいたのですが、その後、藤居が「ぼくアス」を解釈したのと同じような誤読でどんどん私に関する当たらないデマを繰り広げていき、最終的には「自閉っ子と未来への希望」に書いたような人格攻撃・悪辣なデマをついったー上で書くようになりました。

そして決定的だったのが「大大大博士祭り」。
まだ生まれてもいない本に憶測でネガティブキャンペーンをやって、そこに匿名医師として悪乗りしたのが名大病院の吉川徹です。
吉川も寄稿している「現代のエスプリ」の編者石川元先生は神田橋先生を「師匠」と呼んでおられる。
吉川も神田橋先生がまっとうな医師だとわかっていたはずなのに、素人の藤居やベムの悪意に満ちた誤った解釈にのっかって大騒ぎ。
神田橋先生の手法に疑問があるのなら、医師同士直接質問すればいいでしょう。石川先生ともつながりがあるんだし。
それをネット上でちくちく私にパワハラ。
匿名だからやれたんでしょうね。

山岸のように10年放っておいてはいけないな、と思っていましたから、まず提訴なり告訴なりするときの送達先をとりあえず確保しておかなくては、ということで、版元であるぶどう社に連絡しました。

立場が逆だったとしましょう。
たとえばうちの著者が、誰かを誹謗中傷している。
「人気ブログを本にしました」といううたい文句で出した、まさにそのブログで誰かを誹謗中傷している。
その結果その相手が「情報を開示してほしい。ただ個人情報の保護義務が版元にはあるから、もし不可な場合は開示請求の仮処分手続きをとります」といわれたら

私なら「はいわかりました」と電話を切って、まず当該著者に「開示していい? 面倒くさいことに巻き込まれたくないんだけど」と訊きます。
「いいですよ」と言われたら連絡先を渡し、あとは直接やってもらう。
拒否されたら「だめだそうです」と言って仮処分手続きの通達が裁判所から来るのを待つ。
それだけのこと。開示請求を法廷に持ち込むということは、法治国家の正当な手続きであって、脅しでもなんでもありません。
たしかに訴え起こされたらめんどくさいですよ。でも経営者である以上そういう場面にだって出会うことはありますよね。

でもそれを藤居は脅しだととって大騒ぎして、代理人をつけた。
代理人、すなわち送達先さえ確保すれば、こちらとしてはいつでもアクション起こせますが、自らそういう状態にしてくれました。住所がわからなくて興信所使おうと思っていたとき、山岸は向こうからおかしな内容証明を送ってきてくれた。
藤居は自分で代理人つけてくれた。
この人たちは墓穴を掘るんですね。ていうかこれが私の悪運の強さってやつかな、いつもの。

だからね、正当な法的手続きを「脅しだ」と騒ぎ立てること自体私に対する人格攻撃だし
○○○が足りないんですよ。

ところがこのバカさ加減を共有する人物がもう一人。
ベムです。

やはり単なる開示請求を脅しだと騒ぎ立てた。
彼によると訴訟を起こすよ、っていうのは脅迫らしい。
そんな感覚でよくビジネスの社会でやってけてるもんです。

まあともかく、ベムはアンチ花風社活動に熱心に取り組み、私の講演の主催者に迷惑メールを送ったらしく
それを私が警察に話して、警察が主催者に任意で提出を求め、それを主催者が警察に見せると
「訴えるぞ!」と主催者に息巻いてきたらしい。

私は警察からそれを聴き、主催者の方に電話して確認しました。
ちゃんと確認しました。

そもそも「訴えるよ」というのが脅迫というのがベムの解釈ならば
ベムは主催者を脅迫しようと思ったっていうこと?

それとも版元が別の版元や障害児の親を訴えるというのは脅迫だけど
障害児の親が支援センターを訴えるというのは脅迫じゃないわけ?

障害児の親ってそんなにエラいわけ?

ところがベムは、今度は主催者が私にウソをついているみたいなことを匂わせたりして。
そうなんですよ。この世界ではたびたびこういうことが起きるんです。
支援を仕事にしている人たちに、食ってかかるんですよね。
私はきちんと確認しましたから。警察だって確認しています。
支援者はこれだけのことされても耐えます。でもそうやって耐えることが、私は必ずしもいいとは思わない。
私は反撃します。支援者じゃないからね。

要するに、障害児の親という立場に甘えているんだろうなと思いました。

でもね、杉山先生の本を読んでそうじゃないことがわかったんです。
甘えじゃないんだと。

脳汁の問題なんでしょう。まっとうな判断ができないのは。

長沼先生と本を作ってもわかったことがあります。
脳の部位で、入ってくる情報に恐怖の意味づけをするところがある。
そこが過活性だと、恐怖でもなんでもないことが脅しに受け取れるんですね。

私がやっていることを「脅し」だと取る人もいれば「誰かがやらなくてはいけないことです。応援しています」と言ってくれる人もいる。
恐怖の意味づけの箇所が健全かどうかなのでしょう。

多くの支援者が訴訟保険に入っているのを知っていますか?
保護者にいちゃもんつけられることが多いからですね。
そういうリスクを覚悟しているんですね、この世界の支援者の方々は。

杉山先生は「発達障害のいま」でこう語っておられます。
第九章 未診断の発達障害、発達凸凹への対処法
「クレーマーへの対処法」という小見出しのあとP235から抜粋します。

「学校の側が保護者を訴えた裁判があったが、筆者はこのような裁判はどんどんやるべきだと思う。保護者であれば何を言ってもよいということではないし、学校と保護者とが協力をしあって云々といった情緒的かつ相互的な交流が成立しない基盤がクレーマーの側にもあるからこそ、問題がこじれるのである。
 もちろん学校側も、発達凸凹への柔軟な配慮が必要であることはこれまでにも述べてきたが、この点に問題があることと、クレーマーの問題とはまったく別ものである」
 
 こういうのが「フェア」だと思うのですね。
 そして「フェア」の向こうにしか、共存はないと私は考えています。
 
 藤居はブログにインチキをずっと載せています。
 私にしてみれば、それは被害がずっと続いている状況なので、ずっとこちらからも反撃はするつもりです。
 
 新刊を出すたびに、ご注文と一緒にこの問題についても応援メッセージをいただくんですけど
 それはなぜかというと、同じように発達障害のお子さんを抱えていてももちろん脳汁の健全な人はいて
 そういう人は地域や親の会で、同じような親仲間に苦労しているからというのが一因のようです。
 講演に行った先でも、主催団体のトップにいるような人たちは、健全な方たちです。
  
 どっちが多数派なのか少数派なのかわかりません。
 ただ私は、障害者原理主義者の人たちが喜ぶような本を作らなきゃこの世界で生き残れないのなら、別に発達障害の世界を去ったってかまわないと思っていますから。
「自閉っ子と未来への希望」の最後にこう書きましたね。

「決めるのは、社会です。」

 社会が何を決めるのか?
 興味があったら読んでみてください。
 
 あ、それといつも「心ない集団攻撃を見て、心を痛めています」というメッセージをくださる方々。
 
 安心してください。こちらから藤居を反撃しても、その他の連中は音なしになりました。
 また新たな連中が出てきても、これまでと同じようにすればいいだけです。
 
 山岸は反省しているそうです。取調べでそう語ったそうです。
 私は信じていません。検察でそう話してきました。
 
 某国立大学病院の方から聞いた話によると、国立大学のネットワークみたいなので、匿名でのネット活動に注意せよというお達しが回ってきたそうです。
 そのせいかどうか知りませんが、一時期このブログが一日20万アクセスを記録しました。
 別にアクセスは気にしていないですが、新刊のためにはよかったかもしれません。
 
 そのせいかどうか知りませんが、もう吉川も絡んできません。
 
 さあ、今日も一日頑張って働こうっと。
 保護者の方に取材に行ってきます。そして帰ってお相撲を見ます。
 
 私が今取材したいのはこれです。
 知的障害がない・軽いASDのお子さんの保護者が特別支援教育に求めるものは何か?
 
 それをこれから何人かの方に会って取材させていただきたいと思っています。

 いってきます!