治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

タイトル決定!

2011-04-30 09:24:26 | 日記
さてさて、タイトル決まったとお知らせしていながら
血液型B型の話になってしまい
タイトル書くの忘れてました。

新刊タイトルは
「活かそう! 発達障害脳」です。

だいたいの構成はこんな感じ。

1 はじめに 脳から見た発達障害
なぜ発達障害はこれほどバラエティ豊かなのか

2 脳汁から見た発達障害
なぜ薬物療法が有効なのか+その限界

3 「いいところを伸ばす」は治療
「治す」とは「普通になる」ということではない。
その人の生まれ持った脳の特性を活かして生きやすくなるということ。
弱みの裏には強みがある。強みを探そう。
例:知的障害がある子の賢さに注目せよ!

4 脳の連携プレイを利用しよう
脳はそれぞれ「学習方法」が違う。
自分に合った「この世界」の学習方法を探ろう。
「自分で自分を治せる」状態になると、後は話が早い。どんどん健康になっていく。
健康になるために必要な脳の連携プレイを稼動させるためにできることとは?

5 脳みそのかたちを知る
適切な療育・治療方法・ストレス対処法を知るためのアセスメント

6 付録
発達障害の人に困ったことがある人へ
脳から見た対処法

要するに脳から見た発達障害対処法ですが
脳の各部位の機能を突き止めて満足する時代はとっくに終わっているようです。
連携プレイを大事にして治療につなげる時代のようです。

今回ラッキーだったのは、脳みそ先生が
精神科医でもあり、児童・成人の臨床にもかかわり、同時に神経内科の経験もある先生だったことかも。

てわけでこんな感じの本になります。

お楽しみに。

タイトル決まったので

2011-04-28 17:55:10 | 日記
さてさて、先日自閉の神様が降りてきて脳みそ先生の本のタイトルが決まったので
早速アートワークの面々にお集まりいただいた。
小暮画伯と長年一緒に仕事をしているデザイナーさんと私。

三人で集まったのは久しぶり(震災以来はじめて)なので世間話もはずむ。
3.11のあのときどうしてたかとか。
そのあとどうなったかとか。
揺れは激しかったが、怪我とかした人はとりあえず周囲にいないのだから
やっぱり東京は被災地とは言えないね、とか。

でもダメージを受けた人もいる。
計画停電とか、一時の品薄とか、受けた影響はさまざまだからね。

中でもダメージを受けたといえば民主党だろう。
小暮画伯は地元の議員さん関連のお仕事をしているが、その議員さんの所属が民主党だったので
ど逆風の中の選挙を戦った。

議員さんから発注を受けたチラシを見せてもらった。
港区の「ちいばす」という100円で乗れるちっちゃなコミュニティバスはこの議員さんの実績らしいのだが
小暮画伯が描くと「ちいばす」にも目鼻がついている。

そのイラストを見て、ひとしきり笑った。

議員さんのプロフィールを見ると
「趣味:献血」。

これも笑った。

議員さんはたくましいラガーマンで血液型はB型なのだという。
じゃあ私に何かあったら献血してもらえるな、と思った。

私はこれだけ血の気が多いのに
狂牛病予防かなんかで英国滞在歴があるために、献血ができない。もったいないことである。

でも夫(B型)や父(B型)に何かあったら私の血を使ってもらえないものかと思う。

という話をして初めて

画伯もデザイナーさんもB型だということを知った。
知らなかった。
いつも組んでいたこの三人はオールB型チームだったんだ。
B型はこの国ではマイノリティなのだから
三人いたら一人くらい違う血液型でもよさそうなもんだが。

血液型性格診断なんてまともに信じてはいないけど
B型ってB型のまわりには有意に多いような気がすると言ったら
その通りだと二人もうなずいた。

ふと気がつくと日本の20%くらいしかいないはずのB型がやけにたくさん周囲にいるんだよね。

だからどっかで、うちらをハブっている社会があるんだろうね。
「B型ってやあね」とか言いながら。

みたいな推測を交し合った。

十億人以上の人口を持つアジアの某大国二国では
B型比率が多いらしい。

ぶるぶる。
あれよりは日本のほうがいいね。
やっぱりB型はメジャーじゃないほうが国家はいい。

みたいな話をした。

まあ無駄話だけじゃなく

大体のアートワークのコンセプトを決めて
画伯に必死で当てた五月技量審査場所のチケットを見せてあげた。
画伯は「連れて行ってね♪」と言う。

もちろん連れて行ってあげますよ。

画伯のよく通る声で
稀勢の里(B型)を応援してもらわなくてはいけませんし。

悪運vsくじ運

2011-04-27 12:08:38 | 日記

五月技量審査場所が無料開放、ただし抽選と聞いたときには悪い予感がした。

私は悪運の強い人だがくじ運は弱い。

くじはダメそうだなと思ったのだ。

でも一応固定電話四回線(自宅と会社の回線を駆使。もう一回線あるらしいがふだん使ってないので番号忘れた)
ネット2IDから申し込んで

倍率が5倍だと聞いていたが

一日だけ当たった。
まあ順当だね。

でもよりによって当たった日がお誕生日!

これで稀勢の里が勝てば文句なし!

先着順の券もあるらしいが
まあ脳みそ先生の本もあるしね。

おとなしく仕事しましょ。

あとはネット配信が人大杉にならないことを祈ります。

ネットは便利。

昨日こういうの見つけました。
被災地の人が必要なものを登録して

それを見てこっちから通販で送れるシステム。

http://amazon-wish-japan.appspot.com/

私はクーラーボックスを手配しました。
被災地もあったかくなってくると、クーラーボックスが重宝するのでしょう。

これなら身の丈にあったお手伝いができます。
復興に必要な25兆円という気の遠くなる数字はぴんとこないけど
今度の国技館は館内禁酒のようなので
そこで節約できた酒代くらいでクーラーボックス代くらい捻出できますね。

というか切符もただなのだから
それは国技館で義援金箱に入れようっと。

これからも息長くやります。

被災者じゃなくても
復興の当事者だからね、私たちは。


薬物療法

2011-04-26 08:16:33 | 日記
実は脳みそ先生の本は丸々一章薬物療法に当てている。

向精神薬は発達障害を治さない。
でも処方される。
それは脳汁がどういう状態でどういう作用を期待してのことなのか。

知的障害の重いお子さんがパニックを起こす。
なぜそこに薬物なのか。
パニックとは脳汁がどうなった状態で、どういう作用を期待して薬を出すのか。

神田橋先生の本を作る前先生の論文を読んでいたら
双極性障害とうつ病の取り違え→処方ミス→何年も治らない

という問題が繰り返し出てきた。

「精神科セカンドオピニオン2」を読んでいたら
統合失調症と発達障害の取り違え→処方ミス→三次障害→社会に出られない

という問題が繰り返し出てきた。

某所で「精神科セカンドオピニオン2」の著者の方とお会いして
なぜあの本の中で神田橋療法について取り上げたベースをそこで知ることができた。

そういう中での脳みそ先生の本だったので
なぜ発達障害を治さない薬を発達障害者に対して出すのか
詳しく教えていただくことにした

原稿ができたとき
長年薬とつきあってきたちゅん平に見せた。

こういう風にきちんと教えてもらったことはなかったと言った。
発達障害の診断の前は
三次障害みたいになっていたかもしれないと言った。

もしかしたら正確には作用がわからないままに薬をのんでいる人
お子さんにのませている人はいるのかもしれない。

そういう人には「すっきり感」を与えられる一章かもしれないと思います。

福祉の論理は愚策を生み出す

2011-04-25 16:25:27 | 日記
さてさて、山岸徹の
「ニキ・リンコはいないに違いない。浅見淳子が演じている偽者の自閉症者だ」という珍説。
これを支援者がどうにかせず、結果として私たちが動いて司法を介入させなきゃいけなかったわけだが

正確にいえば、別に福祉の先生方も何も策を考えようとしなかったわけではない。

色々策は上がってきた。
たいてい愚策だったけど。

まず
「山岸は本を出したいのだから花風社で出してあげれば」という懐柔策。

ばっかじゃないの。

そんなことしたら他の著者に失礼。
第一それがルールになってしまったら、本を出したい人が次々とインチキブログを立ち上げるだろう。私の悪口を書けば私が懐柔に乗り出して本が出せる。
そんなことをルールにしていいわけがない。

てわけでこれは即時却下。

次の愚策は
「山岸が尊敬してやまない内山先生にニキさんを診断してもらったらどうだろう。そうしたら本物の自閉症者だと納得するのでは」というもの。

ばっかじゃないの。

福祉の論理はこういうところがダメだ。
誰か騒ぎ立てるやつがいると、そいつに善悪を教えるよりまずなあなあに済ませようとする。
全然「人倫」を重んじない。「筋道」を無視する。
迷惑垂れ流しのやつのイカレタ論理に合わせて納得させることを優先させて、ニキさんの人権は無視。しかもそれに気付かない。
はたしてニキさんが内山医師の診断を受けたいのかどうか、それを決める権利は100%ニキさんにある。
たとえ山岸夫妻と同じように無料にしてもらったとしても、別に診断受けたくないかもしれない。
そういうことに全然思いやらないのだ。あきれた。

私はセンセイ方がバカなことを言う前にニキさんにそれを告げた。
「バカなオファーがあるかもしれない。でもいやなら断っていいんだからね」と。

私たちが山岸に社会人として思い知らさなければいけないのは

=====
1 他人に関する未確認の情報を書き
2 それが当たってない場合
3 法的措置を取られるリスクがあります

ここでは実は「2」がとても大事。
=====

これだけ。
これが法治国家日本で生きていく以上守らなければいけない法律だということ。
それだけ。

想像力の障害がある人間はありとあらゆる想像間違いをする。勝手に。
偽者・学歴詐称・在日・創価学会とのつながり。
そしてそれが違うなら証明せよと迫る。
大卒であることを証明するために卒業証書を見せろ。
日本国民であることを証明するためにパスポートを見せろ。
代々の日本国籍であることを証明するために戸籍謄本を見せろ。
浅見淳子に妹がいないことを証明するために実家の戸籍謄本を見せろ。

これは「お前ほんとに男かよ。じゃあパンツ脱いでみろ」というくらい下品なことなのに

福祉のセンセイがたはその論理にあっさりのっかろうとするのだ。

私たちは違った。

山岸が要求した書類は、全部集めた。
実を言うと一日二日のうちに全部集めた(これは本にも書いたね)。
私たちは自閉症者ではない。比較的機能する前頭葉と、よく動く身体、すなわちあっというまに書類を集める実行機能を持っている。
だからさっさと集めた。それを全部弁護士に渡した。
できれば山岸に見せたくなかった。機密情報だからね。

弁護士は言った。
「山岸が納得する必要はない。
裁判所が納得すればいい。
だから裁判所が出せと言われたら出す。
山岸の行動を見れば、裁判所はまず出せと言わない」

そしてその通りだった。
私たちは一切出さずに勝った。

ここでこういう勝ち方をしなければ
自閉症の世界はあとあとまでたたられたと思うよ。
誰か当事者が本を書き、講演に呼ばれるたび、いちいち内山医師に診断書書いてもらうのかね。
じゃないと自閉症者として本を書いたり講演しちゃいけないのかね。

そういうあとあとのこととか原則とかを考えない習慣が
福祉の世界にはあるようである。
障害者支援に限界があるとすれば、たぶんこういう傾向と無縁ではない。
なにしろ親たちだって

=====
1 他人に関する未確認の情報を書き
2 それが当たってない場合
3 法的措置を取られるリスクがあります

ここでは実は「2」がとても大事。
=====

がわかってないんだからね。一部だけど。

当事者の声から学ぶことを支援者が今後も望むのなら
こういう問題にきちんと対応することを考えてほしい。
引っ張り出すだけ出して、ちやほやして、当事者間で何かトラブルがあっても放置では
安心して発言できる自閉症者はいなくなるよ。

ところで、今度の脳みそ先生の本には
「困った相手にどう人の道を説くか」も
相手の脳のタイプを見極めた上で「こうやったら比較的話通るよ」っていう方法を提示しているので
楽しみにしていてくださいね。

脳みそは自然生成物

2011-04-24 07:39:40 | 日記
本作りの途中で私は脳みそ先生にこういう質問をした。

「お母さんのおなかの中で胎児の脳みそはどういう順番で発生するんですか?」

いい質問だと言っていただいた。
脳みその発生には順番があるんだそうです。そしてできたところの上に載って発達していくから
バグの上にバグがのっかると障害になる。
だから発達障害は「広汎性」になるのだと教えていただいた。

脳みそは津波や地震と同じく逆らえない自然生成物なので
親や支援者が発達の順番を決められるわけがない。

脳みそを「自然生成物」としてリスペクトし、研究するところから
発達援助は始まるのかもね。

脳みそを自然生成物だと理解すれば

「コミュニケーションができるようになってから社会性を教える。そのためにコミュニケーションできるための道具を探す」

という道具本位制の療育のむなしさにも気づく。

ちゅん平みたいに「治りかけ」で社会とつながった人はぐーっとよくなっていくけど

「よくなってから社会に出る」戦略を取っている人がいつまでも状態が変わらないのも当たり前。

ってこともわかってくる。

それと、行動療法と感覚統合とどっちが正しいか? って種類の議論もむなしい。

脳みそは様々な学習経路を持っていて、行動療法と感覚統合では働きかける経路が違う。
だからどっちもやっていて効果がある人もいるだろうし
どっちも効果がない人もいるかもしれないし
どっちかが効果がある人もいるかも。

発生時のバグだから、バラエティがあって当たり前なのだ。

だからその子の脳みそのかたちを見抜くためには軸がいっぱい必要。

って本になります。

一生覚えておきたい言葉

2011-04-23 15:25:16 | 日記
今回の震災に関して
私が義援金の送り先選択基準としてわりと早く採用したのはこれ。

寄付金控除が受けられるかどうかでは選ばない。

メジャーどころへの寄付が一通り終わったら
今度は「民」であることを優先することにした。
そしてもちろん「志」が自分とあっていることを優先することにした。

そりゃあどこにでもかしこにでも送れればそれに越したことはないが
こちらは大富豪ではない。

でも別に今この国が激しく節税を必要としているとは思えないし

今回節税は後回しにすることにした。

一日分のエネルギーを次に振り分ける。

1 自分の仕事のため
2 他の人のため

2のうちでも、被災地への時間を必ず設ける。
郵便局まで行って義援金を送るとかね。

それを目安にするとわりと日々やるべきことが見えてくる。

おそらくこの国を今救うのは「利他」の精神だ。

そして私の幸運なところは
1と2がかぶっている面が多いことである。

去年神田橋先生の本を出したときのあの騒ぎのこと。

「つらかったでしょ」といわれる。

別に。
ただ反撃の気持ちしかなかった。
だって自分のためじゃないから。
「これを待っている読者がいる」という強い気持ちがあったから。

今になって、あのときメチャクチャ攻撃してきた連中のまったく変わり映えしないようすと
「あの本に助けられた」とがらっといいほうに変わっていった読者の人たちを比べて
本当に屈しなくてよかったとしみじみ思っている。
版元冥利につきる本だった。

本が出た直後に、神田橋先生に言った。
「いやあ、大変でしたよ」

先生はさらりとおっしゃった。
「そうでしょ」

なんだご存知だったんですか。

その後の言葉が印象的だった。
「世の中には
敵と味方が同じ数だけいるものです」

なるほど。

私はこの言葉を一生覚えておくことにした。

あれだけ頓珍漢な大騒ぎをしてくれた敵の数だけ
私を応援してくれた人はいるんだ。

それはその当時も知っていたし

一年経って、それは裏付けられている。

というわけで

今日も

1 自分の仕事のため
2 他人のため

に時間を使っていますよ。

脳みそ先生の本
すごい本になりますよ!

「二次障害、三次障害を治し、一次特性、〇次特性を活かす」

これがこの本の基本的コンセプトです。
もちろん知的障害のある方もね。
知的障害のある脳ならではの強みを活かす。そして生きやすくする。

昨日は他にも進展が。

刑事さんが自閉症協会そのほかにアクセスしてくださった。

快く捜査にご協力いただいた皆様
ありがとうございました。

不安専用想像力

2011-04-22 10:16:25 | 日記
ニキさんの数多い名言の一つに
「道楽専用想像力」ってのがある。

想像力の障害があるといわれる自閉っ子。
でもファンタジーの世界を作り上げるのは得意。
ただ現実を正しく知るのが得意じゃないだけ。

だからニキさんは自閉っ子の想像力を「道楽専用想像力」と呼ぶ。

翻って最近、「不安専用想像力」をおおいに発揮している人があまりに多いんじゃないかと思う。

実は脳みそ先生に、想像力を現実的に近づける方法については教えてもらった。

結論としては○○○なんだけどね。

私が栗林先生に「大地君はなんであんなにやる気のあるお子さんなんでしょう?」ってきいたとき

「それは○○○でしょう」って答えてくださったあれと同じ。

そうだよなあ。

それが入ってれば、不安専用想像力を発揮する場も減ると思うんだが。

だけど不安専用想像力でいっぱいいっぱいの人は
そもそもデータの拾い方がおかしいんだよね。

先日、某(たぶん左方面)政党機関紙の記者さんときわめて友好的に(当社比)お話した。

その方は「ドイツがフランスから電気を買うというデマを流すのはどいつだ?」と怒ってらした。
そしてご自分の論拠としているデータとして
2007年のドイツのエネルギー輸出入の表をあげていた。

「それ2007年ですよ? 家人が約一名、震災後ドイツに出張して帰ってきました。そっちのほうが情報新しいんじゃないのかな」と指摘してみた。

「ドイツ語できないんです」だと。
じゃあ誰かに頼めよ、ジャーナリストなんだから、と思ってそこでお話をやめました。

一般の方々に至ってはもっとデータの拾い方がおかしい。

自治体は数値を出している。
たぶんエクセルかなんかで簡単に累積ひばく量とか計算できると思うよ。

それもせずにドイツの気象庁の絵だけを見て(字は読めないからね)大騒ぎ。

今私たちが心配しなきゃいけないのは、原発の近くにいる人と作業している人。
なのにちっちゃい脳みそで自分の心配だけ大騒ぎ。

こういうの見てると、本当にこんなんで復興できるかなこの国、と不安にならないでもないが
こういういいニュースもある!

国交がない台湾。
ていうか日本国が国として認めてすらいない台湾。
だから莫大な義援金を送ってくれても国はお礼も言わない。

その台湾の人たちにお礼を言うために新聞広告代を募った。
必要金額は240万円。
一口1000円。私も5000円だけ送った。
余剰が出れば、あるいは足りなければ、被災地に送られるということだったので無駄にはならない。
もう一息で目標に達しそうだったら追加を送ろうと思っていた。

そうしたら

960万円集まったって!

これで台湾の人たちにお礼が言えるし
被災地へもお金が送れる。

こういうときは、自分のことは後回しにしようよ。

それが復興の近道。たぶん。

死んだら神様

2011-04-21 08:12:10 | 日記

先日小暮画伯にNYタイムズの原発労働に関する記事を送ってもらって読んだ。

http://www.nytimes.com/2011/04/10/world/asia/10workers.html?_r=1&ref=asia

私が上の記事を読んで知ったのは
「ああ、原発おじいさんは人間であって神様じゃないんだ」ってこと。

たしかにエリートだったんですよ。若き日のミスター福島第一原発は。
バリバリ働くエリートビジネスマン。
あるいは
エースで四番
みたいな。
地元の福島には雇用とお金をもたらし
首都圏には電気を送り続け、世界でも稀なその繁栄を支えた。
何より火力発電よりコスパが(その時点では)よくて
環境にも優しくて。

ところが、人間であり神様じゃない原発おじいさんは
寄る年波には勝てなかった。
反原発運動ってやつが起きて、後輩が育つ場所が確保できず
かといって今更電力需要はなくならず
老体に鞭打って仕事をしていたわけだ。

日本海側にも友だちがたくさんいる原発おじいさん。
みんな、80年代は青春を謳歌していた。
ちょうどあの頃の私みたいに
きつい労働に耐えられた。元気で元気で、夜中まで働いて飲みに行って午前二時にラーメン屋行っても平気。
家帰ってちょっとだけ寝てまた十時に出社するような精力的な生活がこなせた若い日々。

ところが原発は神様じゃなくて私たちと同様の人間だから
老いていくんです。
老いていくっていうことはどういうことかというと、人手がかかるようになるんですね。
だんだんちびちびと垂れ流す量が増えるもんだから
同じ作業量を確保するために、ひばく量を考慮するとより多くの労働者が必要になり
だんだん非熟練・非正規雇用の立場の弱い人を雇わざるを得なかった。
そこには怖い人狩りのスジモンが絡んでいたこともあったとかなかったとか。

ということをこれまであまりこの問題に関心がなかった私は今回初めて知りました。

いや、それまでも消息筋からうっすら聞いていたんですよ。

原発は老いるんだ、って。
永遠には続かないんだ、って。
これ私たち、もっと認識しておくきだったね。
なんとなく原発は無機質で、だからこそ老いと無縁のような
そんな印象ありませんでしたか?

でも原発はお兄さんからおじいさんになった。
私たちより早く老いる。
そしてそれが、過酷な労働条件の労働者の確保の必要性につながり
人狩り、そして結果としての安全性の揺らぎに結びつくんだと
そこの想像のリンクが、上の記事でようやく私の中でつながった。

だからね、今福島でやっていることは
壮大な老人介護。

なんとか安らかに眠りについてもらおうと喪の作業中。
本当に今までありがとう、と心を込めながら私はそれを見守る。

だからだと思う。
「原発悪!」「即刻停止せよ!」みたいなヒステリックな叫び声には
今の私はちょっとついていけないんだ。相手は老人なんだからさ。しかもさんざん恩になってきた老人。

そして私たちがわかっておかなくてはいけないのは
わが国の沿岸にずらっと並ぶ原発たちも高齢化時代を迎えるだろうということ。

後継者が育たなければどこぞの都知事みたいに
老体に鞭打って現役を続けてもらわないといけないかもしれない。

まああんまりいいことじゃないよね。
かと言って、この状況で後輩が育つ地になりたいと立候補するのを待っても望みが薄そうだ。

だからエネルギー源の後継者を探し育てつつ
なんとかご老体たちのご機嫌を損ねないように働いてもらって
やがて順々に安らかに永遠の眠りについたら

そうしたら神様にしてお祭りすればいい。
繁栄をもたらしてくれた感謝をこめて
もうたたりがないように。

この国では死んだら神様。

そうやってお子さんが生きていく未来にも
電気の乏しい国にならないようにお祈りしましょう。

ところで、死と言えば、定期的に死にたがっているベムは
富士山噴火が怖いそうだ。

わけわかんない。
死にたいなら富士山噴火なんて全然怖くないだろうに。

非合理だ。摩訶不思議な考え方。トンデモ。

でも別にいいけど。
人間はそういう非合理を抱えた存在だからね。

だからね、あまり合理性を他人に押し付けないことだね。
合理性を押し付けて他人の領域に口を突っ込まないことだね。

他の誰も覚えていないかもしれないけど私は忘れない。

もうすぐ一周年ですよ。

なんの一周年?

大大大博士祭りの一周年ですよ。

いやあ、読まずに大騒ぎしてくれたもんだ。
読まずに大騒ぎ。これもトンデモ。

でもあの後、本が出て
ベムや藤居が「トンデモ」とけなした神田橋先生の本で
多くの人が成果を得た。

オムツが取れた。言葉が出た。パニックが止まった。
二次障害が治ったなんていう話はざらにある。

なんちゃってEBMの諸君はどう? なんかいいことあった?

オムツとか取れた? 言葉出た? パニック止まった?
二次障害治った?

そういうことあったらいいね。

でもね、何かの療育方法を強烈に推薦したり
あるいは他人がやっている方法をけなせばけなすほど
人はきわめて合理的な判断基準として、そう主張する人たちが「成果」を上げているかどうか見るよ。

その覚悟はしておくんだね。

それは差別でもなんでもない。

なんちゃってEBM派が大好きな「仮説」と「検証」だからね。
強烈な主張をして他人のやり方をけなしている姿を見れば
「じゃああそこのうちはどうなんだろう?」って判断する権利は他人に認めるんだね。

重度の子でも伸びる。
そうやって一生懸命子どものいいところ探しをしている人たちもいる。

「名誉健常者」という言い方を
「おぞましい」と不快に思っている人たちもいる。

それを「差別」に摩り替えないようにね。

写真は我が家から見える富士山です。
横浜と富士山は近いですよ。

ベムは液状化の浦安を捨てて、横浜の実家に引っ越してくることを考えているらしい。
それにはちょびっと富士山噴火が怖いみたいだけど。

ベムの実家はわりとうちから近いので
「療育に熱心でどこにでも顔を出す」と評判の奥さんは
きっと私と同じ会合に出たりするんだろうな。

楽しみ。

でも、横浜のお母さんたち、私の知っている限りきちんとした方が多いので
人前で性器出すのはNGだと思うよ。

「歩行できる子は例え重度であれ就学前に排泄の自立ができて当たり前」
先日地域でこんな話聞いたよ。
先進地域っていうのは、こういうノウハウの積み重ねがあるのかもね。
たんに手帳の基準とか、そういうことじゃなくてさ。

もちろん360万人の都市。
色々な人がいて、中には「ご挨拶しろなんて差別」と言って
地域支援につながらずネットばっかりやっている人もいるでしょうけどね。

それにしても、熱心に会合に顔を出し、性器露出とかしたら
たぶん親仲間に高くは評価されないと思います。
そのあたりきっちりしつけている方が多いからね。
たとえ重度でも。

それは「差別」じゃないよ。
ただの皮膚感覚でもない。

アセスメントです。極めて合理的な。


国を支えて国を頼らず

2011-04-20 07:45:33 | 日記

昨日の画伯ブログ
政治家と国民とどっちが優れてるかみたいなテーマが取り上げられていました。

私はこれ、福祉周辺の人とも話したことがあるんですが
(アメリカと日本の特別支援教育の違いを説明するという文脈で)

人工国家であるアメリカ国民にとって
国は義理の親である気がします。

だからやってほしいことは要求し、勝ち取らないといけない。
だからことさらに忠誠を誓う機会を設ける。
この震災で日の丸に対する嫌悪感が払拭されるといいと個人的には思っていますが
とにかくアメリカ国内に入るとやたら星条旗が目立ちますよね。
自由の国アメリカには
国旗を侮辱することを許されているような自由な学校のセンセイたちはいません。

一方で個人の銃所有を憲法で保障する。
これはお上と対等でいるための権利という観点から考えないとなかなか私たちには理解の及ばないところですね。

翻ってわが国を見てみると
何しろ基本的な体制が千年以上変わらない。
こういう国ではもう
お上は実の親なんですね。

だからどんな要求してもいいし
何言ってもいいし
わがまま聞いてもらって当然だし。
あんまりはっきり頼まなくても
痒いところに手が届くようなケアをしてくれて当然。

じゃないと不満。

お上は自分のことを気遣ってくれて
なんでも面倒みてくれて当然。

そういう観点で今の政府を選んだのは国民です。

私が以前から、すごく不思議に思っていることがあります。

地方の人々は、自分の土地に対する利権で政治家を選んだりするんでしょ?
たとえば改憲とか、国防とか、税制改革とか、そういう国家的な国の方向ではなく
道路が通るかとか、橋が架かるかとか、新幹線の駅ができるかとか
そういうのを優先して政治家を選んできたんでしょ?

原発だってそうやって今あるところにあるわけで。

違ったら教えてくださいね。
私も見識を改めたいので。

でも都会の住民はわりあい地元意識が薄い分
国家的な戦略を優先させるんじゃないかな。政権を選ぶとき。
少なくとも私の周辺はそうですが。

で、地方の人々は我々よりずっと重い一票を持っている。
私たちより力のある一票を、自分たちの地元の利益を考えて投票してきた。

その結果どうして地方が衰えて都会が栄えるの?

私はこの謎がどうしても解けません。
誰か頭のいい人教えて。

とにかく
こういう「自分の保身」を最優先させる考え方が
放射能への過度な恐怖とかにつながり
福島の人たちへの差別につながっていると思うので。

結論として私は怖がりの人間は大嫌いだということがわかりました。
怖がりは人に対してフェアに振舞えない。
今福島を差別している人たちは非科学的なだけが理由じゃない。
わが身の安全しか考えていないから
それで脳みそが一杯になっちゃうちっちゃな脳みそしか持ってないからだ。

弱虫は罪。決まり。

まあともかく

私がこの震災で改めて思ったのは、ずっと前に読んだ福澤諭吉先生の伝記のタイトル

「国を支えて国を頼らず」

こういう人間でありたいということ。

それは私が健康で、家族に障害者がなく、親が年齢のわりに健康を保ってくれているという
いくつもの条件をクリアしている人間だから
だからこう誓いました。
身体がきくあいだは
「国を支えて国を頼らず」を心がけようと。

もちろん、たいしたことはできないよ。
でも私にもできる小さなことから。
その一つは自分の健康を保つこと。
そして「発達障害だからできない」っていう悲観的な考えに陥っている人たちに
「できるよ」「できるようになるよ」って伝えることも大きな仕事。

たとえ定期的に死にたがる弱虫に邪魔されてもね。

ところで
昨日はここにほんのちょっぴり送金。

http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/

これだけの好意を寄せてくれた隣国台湾に、日本は国としてお礼が言えない。
国交がないばかりに。
国はそういうものに縛られてしまう。

ならば民間人が微力を尽くしましょう。

カンができなくても

民でやれることは民でやりましょう。

民間人だからできることがあります。

それにさ

ご挨拶は大事だもの。