まあ、発達障害の世界も、だいぶ風通し良くなってきたなあと思います。
発達障害「発見」の頃の「(しばしば被害者意識に近いものを共有した)仲間作り」っていうのは、
まあ過渡的に必要とされたもんなんだろうけど、それなりにわずらしいところも多かった。
その頃から独立独歩でやっていた方も多かったわけですが
今はそれが、ネットの発展もあり、ゆるーいつながりになって
ほどよい距離がつかめてきたのかもしれませんね。
ある意味、情報の流通も風通しよくなってきたと思います。
最近、成人当事者でも「社会の理解ガー」とか「自分たちが生きづらいのは社会が悪いから」の
いわゆる「ルサンチマン系」の人たちに対し
「自分はそれに与するつもりはない」とはっきりいろいろな場で宣言する人たちが出てきましたけど
(ちゅん平の京都の講演会も、一部そういう話出ました)
こういう風に、成人当事者が「自分は社会に寄り添うことを選ぶ」という自分の立場をはっきり表明できるのも
風通しよくなってよかったな、と思います。
社会は障害だから排除するんじゃありません。
ルールを守らないから、一定の期待を満たさないから排除するんであって
その人に障害があるかどうかは関係ありません。
障害者のまんま、社会に寄り添うことは可能です。現に多くの人が実現しています。
しかも今は昔より、制度の後押しもあるのです。
そのことに気づく人が増えて、しかも遠慮せずそれを明言できるようになったことを、私はとても嬉しく思っています。
もう一個、「風通しよくなってきたなあ」と思ったのは
「脳みそラクラクセラピー」のご注文とともに寄せられたメッセージの中に
「この前のクローズアップ現代つまんなかった」とはっきり書いてきた人が結構いたことです。
昔は、とにかくNHK総合で発達障害が採り上げられたことだけで感激に打ち震えなきゃいけないのがお約束みたいなところがあり
とくに「大本営発表」みたいな内容には、あえて「つまんない」と正直に言う人がいなかったように記憶しています。
でも今は、支援を受ける側が「あれじゃあ、社会に通じないよね」ってさらりと言えてしまう。
時代は変わったな、と思います。
というわけで、去年の夏にした経験を今になって話す気になりました。
死んだふり祭り、自閉症協会の全国大会での出来事です。
就労支援のセッションに出ました。
セッション自体は、興味深いものでした。実際に雇用していらっしゃる企業の方のお話とか、地域支援している方々のお話とか。ふむふむふむ、と聞けるものでした。
見学に行きたいなあ、と思ったり、ここまでは大納得の内容でした。
別にギョーカイの集まりだったら、なんでもかんでも文句つけるわけではありませんよ、私だって。
ところがそこに「小沢チルドレン」のよい子民主主義系の政治家の人が(聴講者として)来ていて
その人が持ち出した問題に対するギョーカイ人たちの反応を見て
私は激しく違和感を覚えました。
サイコテスト、っていうのがあるそうです。
これは一応、人材派遣等、人材がいわば商品である企業向けへの展開とされていますが
労働者(候補)のメンヘルリスクをチェックするテストみたいなもんだそうです。
働きはじめて不調を起こしたり、社内でトラブルメイカーになったり、そういう被雇用者は生産性にとってマイナスです。
だからそういう人を雇わないように、事前にチェックしようという
そういう発想のものですね。
そしてその政治家の人は「こんなもの使われたら自閉症者は雇われなくなってしまう。人権問題だ」みたいなことを言いだし
それに対し、会場を埋めるギョーカイ人から「そうだそうだ」の声が上がり
そして私は「へえええええ」と思いながら、化外の民として、その様子を観察していました。
その後にね、医療のセッションがあったんですけど
そこでも貴重な時間が親学への批判という実にムダな使われ方をしました。
本当に医療の話、すなわち「目の前の患者をラクにすること」について話したのは長沼先生お一人でした。
私が「メンヘラーを排除するためのサイコテスト」なるものを聞いて、最初に思ったのは
「人材っていうのは人材派遣会社にとっては商品だろう。そして商品チェックだから、人材派遣会社が使うのはまったく倫理的に問題ないだろう」ということでした。
それをいっぱんの企業が使うことを、並み居るギョーカイ人たちは気にしているようでしたが
それもまあ、民間がやることをどこまでギョーカイ団体が規制できるのか
やり方によってはまたいつもの「一般社会から見るとちょっと不思議な圧力活動」になるだろうなと思いました。
そして自分がもし保護者当事者だったら、ていうか別に障害がなくても
そもそもそういうテストを導入するところには近づかないという判断をするだろうと思いました。
そういうの安易に使うところは
人間関係のダイナミズムに鈍いところだし
人間の多様性に意識低い系であるという目印になりますからね。
働きやすい職場であるわけがないのです。だから最初から排除。こっちから。
だから私から見ると「サイコテスト」なるものはどっかの企業が考え、どっかの企業が使うことを選んだり選ばなかったりする一つの企画に過ぎず
使おうと使うまいとそれは企業ごとの判断で
障害者差別にまったく結びつかないものでした。
それを差別に結びつけてしまう小沢チルドレン、これは面白いもの見せてもらったな、と思いました。
こうやって差別をでっちあげてそれに抗議しているワタシ。
こうやって票を獲得するのが政治なんですかね? (まあこの前の選挙では、あんまり効果出なかったみたいですけどね生活のなんとかさん)
それよりも私が深く絶望したのは、勝手に差別でっちあげてアジテーションする政治屋さんに
あっさりとつられてしまい「これは差別だ」と同調するギョーカイ人に対してでした。
「ああ、この人たちは、自閉症者である以上このサイコテストなるものではじかれると信じてやまないんだ」という気持ちでした。
あんなものに引っかからない自閉症の人はいくらでもいます。
二次障害がない人
あっても克服した人。
社会を恨まない人
いくらでもいます。
そういう人を増やすのが支援じゃないんでしょうかね?
そのための早期介入、特別支援教育じゃないんでしょうかね?
「自閉症者とは、サイコテストなるものではじかれる存在である」と決めつけ
医療の限界もそこに設定しているから
貴重な医療の時間に親学の批判なんかやっちゃうんですかね?
言っときますけど
医療の時間に親学の批判されてがっかりした人は私だけじゃないですよ。
医療こそ、支援の核なんだから。
治らないと決めているから
治そうとしている長沼先生の実践報告を勝手に被害的にとった猿烏賊系の質問にへいこらご機嫌取りするんですかね?
親の会、どこも高齢化とか
診断される人が増えても、会員増えないとか
仕方ない気がします。
先日もある支援者の方が話していたこと。
「診断され、親の受容が大変で、そのために保護者の団結が必要とか
もうその発想自体が古いのかも知れない。
前の世代には、そこがもうわかってないかも」
ああ、そうかも、と膝を打ちました。
今の保護者が必要としている情報
それは「どうやったらよくなるか」です。
花風社の周囲には、有意にそういう人が多いでしょうが、
少なくとも一部には、「社会の理解を求める方法」より「障害があるなりに脳を健康にする方法」を求める
そういう人たちがいます。多いと思いますよ。
どうしてそう思うかと言うと
「脳みそラクラクセラピー」というコンセプトへの反応の早さからそう思います。
私が最初にここで発表したのは「タイトル」だけです。
著者もなんにも発表しなかった。
でもそのタイトルだけで「読みたい」と言った声がいっぱい上がった本です。
主な関心が「どうやったらよくなるか」にある人は
社会の理解ガーとか、青い東京タワーとか、あんまり興味ありません。
ABAとTEACCHとどっちが正しいかとか、まったく興味ありません。
サイコテストに抗議なんていうむなしい上にみっともないことをやるのではなく
サイコテストに引っかからないような子どもを育てる情報を欲しています。
それが提供できない親の会や支援者のもとに人が集まらなくても
それは不思議ではないと思います。
支援者の皆さん。あなたが今何歳で今後何年今の仕事を続けるかわかりませんが
「一生治りません」を受容してくれる人は減っていきますよ。どんどん。
そのあたり、需給のギャップがあるかもしれません。
もちろん、啓発やりたい人、特定の療法の布教をやりたい人はやればいいです。
支援者でも保護者でも。
エビデンスガーの馬烏賊さんたちは、「発達よりエビデンス」の海老踊り軍団と仲良くやっていればいいです。
海老踊り軍団は、嬉々として馬烏賊系支援者の生け贄となってくれるはずです。だって彼らにとっては、それが一番大事なようだから。
大事なのはどの立場を取っても、ちゃんとそれが表明できること。
そしてそこに、役立つ情報があることだと思います。
写真は瀧澤久美子さんが警察関係機関に啓発に行ったとき買ってきて下さった警察限定剣道キティちゃんです。
大事な啓発っていうのはそういうところにあるの。
地域支援の人が、警察に障害に関する講義に行ったり
そういうところにあるんです。
少なくとも
民間がリスク取ってやってることに議員(落選)がドヤ顔してプレッシャーかけるとこにはないはずです。
私の感覚では、すごくいやですこういうの。
でもそういう政治家が、ギョーカイではそれなりに大事にされちゃうんですね。面白いものを見ました。
でも、そういうでっちあげ差別とそこへの抗議で拍手喝采。
それは国民の「総意」ではありません。
いえ、障害者関係者の「総意」ですらありません。
(まあ国民の選択を見誤ったからこそ、あのひとたちは惨敗したんだろうけどね)
そんなつまんないことやっている間に
やることいっぱいあるはずです。
私はサイコテストなるものに抗議したりしません。
そういうものに引っかからない人を増やす活動をします。
その活動の帰結がこの本たちですけどね。