2月21日、花風社創立25周年記念のささやかな行事の一環として
『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』の読書会を開きました。
当日もしゃべりましたが、十年の月日が経ち、私の中であの事件への見方も変わってきています。
来られなかった皆様とも共有するため
来てくださった方々の備忘録のため
そのことを書いておこうと思います。
「共存」について考えるきっかけにしてください。
=====
勉強会の前の日夫に「今ならわかるけど、彼は治せたはず」と言ったら言下に
「医療の被害者だ」と言った。
同じ事を考えていたのかもしれない。
ただ、この場合の「治す」とは自閉症のことではない。
トラウマ処理だ。
神田橋先生も当時から言っていたとおり、あの事件は
それまでの生きづらさが彼の中で重なって
その標的に私たちが選ばれたものだった。
彼はそれまで心の傷を負うような出来事に出会ってきたのだろう。
生きづらさを抱えてきたのだろう。
自分の納得できない「ニキ・リンコがもてはやされている状況」というのが爆発のトリガーになった。
そして執拗な攻撃が始まり、それは十年続いた。
彼は、生きづらかったのかもしれない。
でもその責任はこちらにはないのである。何しろ(未だに)会ったこともない相手だ。
だからいくら生きづらくても、八つ当たりで被害を受けたほうとしては、納得ができない。
彼の今までの蓄積された生きづらさはこちらのせいではない。
もっともその生きづらさは彼のそれまでの振る舞いのせいでもない。社会のせいでもない。
社会のせいではない生きづらさを「社会のせいであなた方は生きづらい」と啓発したのがギョーカイの啓発活動の罪であり、発達障害当事者と社会の距離をむしろ広げることになったと私は思っている。
もっとも
このギョーカイのトップの医者が主治医だというので私が愚かにも「いつか治してくれるだろう」と思っていたことは何回も言った。
それがかなわなかったからこそ司法に訴えたことも。
今ならわかる。
愛甲さんが私の動画(五回目)を見てこう言ったとおり、普通の医療は生きづらさを治せないのだ。
=====
医療が発達障害を治さないというよりも治せないのは、
①もち札が薬と診断だけだから
②発達障害の根っこが神経発達障害と愛着障害とトラウマなので、どれも医療では治せないから
③発達障害者を3人称の赤の他人の世界で捉えているから
ということが再確認できました。
教育、医療、福祉の連携という言葉をよく耳にしますが、「治す」という概念が存在しないかぎり、いくら連携したところで「治す」ことはできません。
神経発達障害を「治す」ことができるのは、今のところ、養育者と本人だけです。
=====
当時、自閉症者と犯罪の海外の先行研究を読んだけど
ネットがあまり普及していない時代のものが多く
一番多いのは「放火」だとされていた。
見も知らぬ人間へのストーキングはネットがあって容易になったものであり
今なら一番多い犯罪はストーキングになるかもしれない。
彼らは色々なところで傷つき体験を重ね
それが溜まり貯まった被害妄想のようになって
傷つく必要もない他人の活躍に
気にくわない他人への賞賛に
勝手に傷つく。
それは一般人には、ワガママにしか映らないのだ。
「自分が気にくわない人間の活躍」という目を背ければそこで見えなくなるものさえ「社会の不公正さ」に思えて弾劾する。
他人にはそれぞれ、自由があるのにその自由を弾劾する。
私たちはあの事件で、その被害者になった。
当時ギョーカイの触れ込みは「支援がないから犯罪者になる」であった。
でもこの人はギョーカイのトップ医についていた。診断書を書いてもらって、主治医も患者も大好きな自閉談義を続けていた。周囲にサポートする心理士もいた(後述)。
その人たちがなぜ、前科を背負ってしまうほどの彼の傷付きを癒やせなかったか。
神田橋先生や愛甲さんなら治す方法を知っているあの傷つき。
そう、言葉以前の傷つき。
それは言葉以前のアプローチでしか癒やせないから
薬物でも傾聴でも癒やせない。
普通の医療しか頼れなかった彼は、傷ついた心をもてあまし、自由に合法的な活動をしている私たちを陥れようと謎理論を考え出してしつこくコンタクトしてきた。
自分には知る権利がないことでも、知りたがり、答えを執拗に求め、答えがないとごねた。
これが自閉脳の迷惑な面だ。
彼が抱えてきた「言葉以前の苦しみ」さえ取り除ければあのような犯行に及ぶ必要はなかった。
世界のどこかでニキ・リンコという人が活躍している。
それで済んだはずだった。ニキ・リンコがいくら活躍しようと彼の価値は一ミリも毀損されない。今花風社が支持されていても「治したくない」人たちが信念を変える必要がないのと同じように。
彼が「言葉以前のアプローチ」を知っている誰かに出会えれば
そして「社会が理解すれば生きやすくなる」というエビデンスゼロの大嘘が渦まいていなければ
あの事件を起こす必要がなかった。
あの事件は
・自閉脳
・誤った啓発
・無能で有害な支援
が合わせ技となって起こしたものである。
続く
『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』の読書会を開きました。
当日もしゃべりましたが、十年の月日が経ち、私の中であの事件への見方も変わってきています。
来られなかった皆様とも共有するため
来てくださった方々の備忘録のため
そのことを書いておこうと思います。
「共存」について考えるきっかけにしてください。
=====
勉強会の前の日夫に「今ならわかるけど、彼は治せたはず」と言ったら言下に
「医療の被害者だ」と言った。
同じ事を考えていたのかもしれない。
ただ、この場合の「治す」とは自閉症のことではない。
トラウマ処理だ。
神田橋先生も当時から言っていたとおり、あの事件は
それまでの生きづらさが彼の中で重なって
その標的に私たちが選ばれたものだった。
彼はそれまで心の傷を負うような出来事に出会ってきたのだろう。
生きづらさを抱えてきたのだろう。
自分の納得できない「ニキ・リンコがもてはやされている状況」というのが爆発のトリガーになった。
そして執拗な攻撃が始まり、それは十年続いた。
彼は、生きづらかったのかもしれない。
でもその責任はこちらにはないのである。何しろ(未だに)会ったこともない相手だ。
だからいくら生きづらくても、八つ当たりで被害を受けたほうとしては、納得ができない。
彼の今までの蓄積された生きづらさはこちらのせいではない。
もっともその生きづらさは彼のそれまでの振る舞いのせいでもない。社会のせいでもない。
社会のせいではない生きづらさを「社会のせいであなた方は生きづらい」と啓発したのがギョーカイの啓発活動の罪であり、発達障害当事者と社会の距離をむしろ広げることになったと私は思っている。
もっとも
このギョーカイのトップの医者が主治医だというので私が愚かにも「いつか治してくれるだろう」と思っていたことは何回も言った。
それがかなわなかったからこそ司法に訴えたことも。
今ならわかる。
愛甲さんが私の動画(五回目)を見てこう言ったとおり、普通の医療は生きづらさを治せないのだ。
=====
医療が発達障害を治さないというよりも治せないのは、
①もち札が薬と診断だけだから
②発達障害の根っこが神経発達障害と愛着障害とトラウマなので、どれも医療では治せないから
③発達障害者を3人称の赤の他人の世界で捉えているから
ということが再確認できました。
教育、医療、福祉の連携という言葉をよく耳にしますが、「治す」という概念が存在しないかぎり、いくら連携したところで「治す」ことはできません。
神経発達障害を「治す」ことができるのは、今のところ、養育者と本人だけです。
=====
当時、自閉症者と犯罪の海外の先行研究を読んだけど
ネットがあまり普及していない時代のものが多く
一番多いのは「放火」だとされていた。
見も知らぬ人間へのストーキングはネットがあって容易になったものであり
今なら一番多い犯罪はストーキングになるかもしれない。
彼らは色々なところで傷つき体験を重ね
それが溜まり貯まった被害妄想のようになって
傷つく必要もない他人の活躍に
気にくわない他人への賞賛に
勝手に傷つく。
それは一般人には、ワガママにしか映らないのだ。
「自分が気にくわない人間の活躍」という目を背ければそこで見えなくなるものさえ「社会の不公正さ」に思えて弾劾する。
他人にはそれぞれ、自由があるのにその自由を弾劾する。
私たちはあの事件で、その被害者になった。
当時ギョーカイの触れ込みは「支援がないから犯罪者になる」であった。
でもこの人はギョーカイのトップ医についていた。診断書を書いてもらって、主治医も患者も大好きな自閉談義を続けていた。周囲にサポートする心理士もいた(後述)。
その人たちがなぜ、前科を背負ってしまうほどの彼の傷付きを癒やせなかったか。
神田橋先生や愛甲さんなら治す方法を知っているあの傷つき。
そう、言葉以前の傷つき。
それは言葉以前のアプローチでしか癒やせないから
薬物でも傾聴でも癒やせない。
普通の医療しか頼れなかった彼は、傷ついた心をもてあまし、自由に合法的な活動をしている私たちを陥れようと謎理論を考え出してしつこくコンタクトしてきた。
自分には知る権利がないことでも、知りたがり、答えを執拗に求め、答えがないとごねた。
これが自閉脳の迷惑な面だ。
彼が抱えてきた「言葉以前の苦しみ」さえ取り除ければあのような犯行に及ぶ必要はなかった。
世界のどこかでニキ・リンコという人が活躍している。
それで済んだはずだった。ニキ・リンコがいくら活躍しようと彼の価値は一ミリも毀損されない。今花風社が支持されていても「治したくない」人たちが信念を変える必要がないのと同じように。
彼が「言葉以前のアプローチ」を知っている誰かに出会えれば
そして「社会が理解すれば生きやすくなる」というエビデンスゼロの大嘘が渦まいていなければ
あの事件を起こす必要がなかった。
あの事件は
・自閉脳
・誤った啓発
・無能で有害な支援
が合わせ技となって起こしたものである。
続く