休暇中に「発達障害、治るが勝ち!」への神田橋先生からの感想がハガキで届いていて、これがまた大きなヒントになるのでご紹介したいのですが、それは次回以降に。
昨日の記事にこよりさんが寄せてくださったコメントからいきましょう。
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今 感じる事 (こより)
2017-08-30 17:30:33
出生時の記憶が、私の一番古い記憶です。未熟児で、自力で呼吸もできず、ミルクも飲めない。
保育器に入れられましたが、そこが眩しすぎて嫌でしたが、それはかなえられず、色んなチューブを入れられたり、痛い処置をされたり。
それが私が生まれてすぐに感じた事でした。
その後、子ども時代も 成人後も、「理不尽な事」はありましたが、それを「理不尽だ」と 感じることさえ私はできなかったのだと思います。
沖縄で、「普通の扱い」をしていただき、私は そのことで 今までいかに人に無理を強いられてきたか、理不尽な事をそのまま受け入れてきたか、に気づきました。
過去と現在のギャップに 苦しんで、フラッシュバックも 起こしますが、愛甲さんに教えていただいた方法で解消し、自分の育て直しというか、発達の欠けを埋める事、過去の感情をあらためて取り出して眺める、という事もしています。
沖縄から 届いた見事なマンゴー。それを 長男がきれいに切り分けてくれて、家族で味わいました。浅見さんから頂いたスリッポンを履くたび、お店に並んだマンゴーを見るたびに、沖縄で感じた「理不尽な扱いを受け入れなくていい」という事が思い出されます。
自分が無理して背負っていた荷物を手放した感じです。重荷がなくなり軽くなった分、自由になった気がします。
ゆがんだレンズ越しに見ていた世界を、そのままの形で見る事ができるようになった、そんな気分です。
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始まりからこよりさんはつらさを受け入れて、そしてサバイバルする人生だったのだと思います。
未熟児に生まれたときから。
私にはもちろん出生時の記憶などないし、保育器にも入れられていません。
そして、未熟児で保育器に入れられたという点ではこよりさんと体験を共有していてもそれを覚えていない人もいるでしょうが、ご自分が、あるいはお子さんが未熟児保育器体験をした方はこよりさんの記憶を手掛かりに、最初からつらかったかもしれないと考えてみるのも何かの参考になるかもしれませんね。こよりさんのように鮮明な記憶がなくても、身体が覚えているかもしれません。それが、様々な生きづらさのベースにあってもおかしくないはずです。だから言葉以前のアプローチは強い。
ともかくこよりさんは理不尽を受け入れなければサバイバルできなかった。つい最近まで。だからこそ、無礼な人を無礼と気づかずやってきたのですね。
そして思えば、身分制度がはっきりして抗いがたいものであった時代には、こうやって理不尽を理不尽と気づかないまま死んでいった人も多かったでしょう。けれども時代が変わった。愛甲さんがおっしゃる「主体性を持っていなければ生きていけない時代の到来」とはそういうことでしょう。理不尽な扱いをされてきた過去の人たちとは違って、こよりさんにはもう一回生まれ直しがあったわけです。
保育器の例でわかるように、医療は命を救うために一人の人間の尊厳を奪います。奪わないと生かせないときに。だけど発達障害の世界で見るのは、尊厳を奪う上に救わない医療です。身分制度のかっちりした時代ならともかく、なんで自分の主治医でもなければ治しもしない医者にへこへこただで使われなきゃいけないかわからない。私には理不尽を受け入れない才能があります。
理不尽を受け入れる才能も受け入れない才能も、みんなちがってみんないいのです。
恩人の榎本氏に面白いことを聴きました。
被疑者とのやりとりなどは、相手に波長を合わせた方がうまくいき、それは観察力の賜物なのですが榎本氏の指摘によると
最も虐げられていた人にこそ観察力が培われる
そうです。
ああ、それが現場の人の観察だなあと思いました。そしてこの話を聞いたときに思い出したのはこよりさんのことです。栗本さんはいつもこよりさんの観察力に感服していますが、理不尽を受け入れてきたからこそ養われた観察力があると思います。
どんなマイナスにもいい面があるものです。
でもそこにとどまらなくていい、という段階にこよりさんは来たわけです。
そして今も理不尽を受け入れることに甘んじている人たちにとっては、私は腹立たしい存在でしょう。いつかその人たちが理不尽を受け入れないでいい時が来たら、私がなぜギョーカイの大物にたてついても平気なのか理解するでしょう。それまでは理解できなくても仕方がありません。「とりあえず自分の主体性を安売りする」ことでしか生きていけない人たちだから。
こよりさんもかつてはそうでした。
そこから立ち上がりました。
そして逆境の中でつかんだものもありました。
それが観察力。
そしてもうひとつ。
お母さんが人生の課題を地道こなす姿を見ることによって、二人の息子さんは親孝行の働き者に育ったのだと思います。
そういう親の態度って、絶対言葉以前に働きかけます。
私は榎本氏に「発達障害の世界では『障害があるから犯罪行為も許してくれ』という親もいる」と言う話をしました。
そうしたら「そういう親の考えは知らない間に子どもに伝わっているでしょうね」と言われ、そうだなあと思いました。
そして定型の子は親の価値観を相対化しますが、発達凸凹のお子さんほど親の価値観を無防備に内面化します。親が「犯罪も許してくれ」なら、子どもは自然に自分は許されるとカンチガイをするでしょう。
こよりさんのうちはその逆で、お母さんが地道に課題をこなしていた姿があったからこそ、お子さんは働き者に育ったのだと思いました。
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榎本氏も、こよりさんもいらっしゃる
真剣に共存を考える一日
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