治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

大作家が気づいていた障害者犯罪に潜む「浅いワケ」

2011-07-09 10:10:00 | 日記
Of Mice and Men by John Steinbeck (邦題:二十日鼠と人間)読了しました。

1992年に映画化されているようですが私は見てません。
今度見てみようかな。
と思ったらDVDが1000円くらいだったのでぽちりました。
今日中に来るでしょう。

スタインベックらしく最後は救いがない終わり方ですが
私が感心したのは、1930年代に発表当時35歳だったこの大作家はすでに
障害者の(しかも知的障害者の)犯罪に潜む「話せば長い、浅いワケ」に気づいていたことです。

触法少年に事件後の鑑定で発達障害の診断が出て
支援者の先生方がそれを隠そうとやっきになっていたとき、ニキさんは言っていたものです。
事情を知っている者から見ると、無用な深読みが多すぎると。
このニキさんの言葉に司法関係者も感心していたとお役人から又聞きしたことがあります。

「自閉っ子と未来への希望」に書いたように




実は「俺ルール!」を出したときニキさんと私の頭の中には発達障害者の犯罪のこともあったわけですが



支援者の方々が過剰ともいえる反応をなされていた時期だったので
あえて他愛ないエピソードばっかり集めました。
他愛なくないやつは、講演ではしゃべったりしてますが。

で、「二十日鼠と人間」の主人公のレニー。
この人が問題行動を起こしちゃうのは

1 感覚
2 俺ルール

の問題からなのですね。
ただそれだけ。
その様子をスタインベックは細かく描いています。映画にどれくらい反映されているかは知りませんが。

私はね、この「話せば長い、浅いワケ」をきちんと社会に向かって伝えたほうがいいと思うんですよ。
報道規制に走るよりも、そっちのほうが実り多いんじゃないの?

だって感覚の問題も、俺ルールの問題も、周囲が理解していたら相当防げるもんね。

学校現場でさえ、感覚の問題が充分理解されていないところなんかもあるみたいだし
こういうこと配慮しないといけないよ、っていう意味で情報開示したほうがよくないですかね?

障害者による犯罪を隠すのではなく
「話せば長い、浅いワケ」があるということ
防ぐことができるんだということ
そういうことを伝えるべきなのじゃないかしら。

もちろん、障害者による累犯を防ぐための社会体制づくりは必要ですが
感覚や俺ルールの予防って
別に専門家じゃなくてもできるし、お金もたいしてかかりません。

まあこういう意見において私と違う支援者の方はいっぱいいるわけですが
たとえ累犯が増えても障害者の犯罪を隠しておきたい人たちはいて。

もちろん、私と考えが似ている人もいっぱいいますよ。とくに保護者にはね。

私は版元なんで、その立場で自由にやろうと思います。

それが差別?

んなことないでしょ。

共存、っていうのはお互いの権利をなるべく制限しないところから始まる。
一般人の知る権利を制限して、何が障害者と健常者の共存だ。

って私は思ってます。

kindleっていう端末の優れたところはとにかく電池が長持ちなんですけど
スリープ状態になると、色々な画像が勝手に現れます。

冒頭の写真は偶然出てきたスタインベックです。