治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

TEACCHのTってなんのT?

2011-08-29 09:40:04 | 日記
さて、先日読んでいた本によると
人間の脳みそはふつう、入ってきた情報を適宜各部署に「よきにはからえ」と振り分けて保存しておくそうです。
それを必要に応じて持ってくるのが実行機能。

私が「自閉の神様が降りてきた」と呼ぶ状態はこれじゃないかと思います。
神田橋先生との対談を二日間分とって、脳みそぎゅうぎゅうになって、どうやって整理すればいいかうんうん悩んで寝て
起きると脳内目次が出来上がってくるような。
これはたぶん「実行機能」じゃないかと思います。
岩永先生にはよく、浅見さんの実行機能はすごい、と言われます。
ただし仕事場面限定(笑)。部屋の掃除とかには不思議なほど回りませんね~。
やはりリソースには限りがあるのでしょう。

で、自閉っ子の場合には
入力された情報の振り分けと、それを必要に応じて呼んでくるところにバグがあるのでしょう。
そしてトランジションエリアとかの工夫は、自閉の脳みそが苦手なところを外注しているわけですね。

人は朝起きてからの手順を、意識してやるわけではありません。
皆さんがご自身を思い出してもそうじゃないでしょうか。
朝食にいたるまでに、いくつかやることがあって、それはあまり意識せずにこなしている。
その日により、微妙に順番は入れ替わっていると思います。それでもとりあえずやるべきことはこなす。
それは「よきにはからえ」と各部署に振り分けられた記憶が戻ってきて仕事をしているのです。
意識してやることではないから、覚醒しきっていなくても身体がこなす。
そして朝食を食べることを忘れないのはなぜか。
空腹だからです。

でも自閉っ子は体感が弱いかもしれないし、空腹感が強くないかもしれないし
そうすると朝食にありつくまでのモチベーションが低いかもしれません。
そこにもってきて、「今やるべきこと」を意識しないことには思い出せない。
「よきにはからえ」と振り分けた手順がちゃんと部署についているかも怪しいし
自然に呼び出せないのですね。
だから自主的に動かず、指示が入るまでパジャマでテレビを見ることになる。

スケジュールや構造化は、だから自閉の人にとっては「支援」というより
「脳みそのバグっているところを外注している」感じなのではないかと私は思いました。
スマホは私たちにとっても外付け脳みそです。助かってます。
それと同じようなものなんじゃないのかな。

じゃあ、
TEACCHのTがTreatmentのTなのに
いまいちそれがぴんとこないのはなぜなのか。

それはやはり、日本での自閉症支援の広がりが
「治らない」ということを強固に信仰していることと関係があると思います。

アメリカにはそれほど治らないという思い込みはないように思います。
「自閉っ子と未来への希望」にも書きましたが。
私はTEACCHの予算削減とかの動きは、アメリカが本気で「治す」方向にむかおうとしている証だと思います。
治っちゃえばまどろっこしいものに予算はいらないと考えるのは自然。
それよりも遺伝子研究とか、そっちのほうにアメリカは進んでいるんでしょ?

そもそも「発達障害はスペクトラムである」ということと「絶対治らない」って両立不可能だと思うのです。
だってどっかに線があるわけじゃないわけだから。
だけど日本では、絶対に治ってしまっては困る人々がいる、
そういう人は、自分が治りたくないだけではなく、他人も治るのがきらい。
だから余計なツッコミを入れてくるわけですね。

TEACCHの試みの中には
自閉脳の苦手を外注しているという意識が当然あって
そして神田橋先生と同じように、脳をラクにするという営みが発達に結びつくという前提があるのなら
当然TEACCHは治療なんでしょうね。よく知らないけど。

TEACCHは発達援助なんでしょうね。
ただの支援ではなく。
よく知らないけど。

NCではそうとらえているんじゃないでしょうか?
違う?
NCで診断治療を受けてきた方の経験なんかきくと
どうしてもそういう気がしてしまうんですけど。
けっこう修行みたいだし。

でも日本にはTEACCHを「支援」にとどめておきたい人たちがいる。
自閉症が治っては困る人たちがいるみたいですね。
その人たちにとって、TEACCHはあくまで支援でしかない。
発達援助とは見なさない。

人は誰でもでこぼこを持っています。
だからもともとのでこのところは伸ばすのも限りがある。
でもまったく打てる手がないわけじゃない。

本質的な改善。
私はそれが「治る」ということだと思っています。
神田橋先生は、ちゅん平の上に起こったことは本質的な改善だと言われましたね。

だから今になって本当に
「治らないという考えは治りませんか?」っていう神田橋先生の言葉がしみじみすごいなと思うのです。

本に書いたように私は「治るかもしれない」というスタンスです。
それと「治る人と治らない人がいる」と思っているし
「治ってもまだ自閉症の人はいる」と思っているし
まだこの国には、治したくない人は治さないでいる自由があるのでしょう。

私がいやなのは
「治った」と喜んでいる人に、自分たちの勝手な「治らない信仰心」を満たすために証明せよと迫る人々です。
とくに医者が編集者にやるのはサイアクだと思っています。

LD的要素と社会の配慮

2011-08-27 09:35:07 | 日記
久々に見た日本のテレビで夏休みの自由研究についてやっていた。
はとバスで自由研究ツアーみたいのがあるとか。
大学生が指導するパッケージみたいなのが三万円以上で売っていて、それを使うとか。
日本も豊かになったもんである。アサガオの観察じゃだめなのかな今は。

そういうの買い与えることで、親が安心するというメリットがあるようだ。
そんなの自由研究じゃないような気がするが。
それに比べると
「親には理解できない。アドバイスもできない」と白くま母さんが嘆く中、うんうん頭を絞り、ありったけの資金を投入し、
太陽電池で動く車を作り出した大地君はすごいかも。
たとえその車がペットボトルでも、小学生にしては大したもんではないだろうか。
そう思うのは私が文系だから? どうでしょ、理系の皆さん?

大地君が将来何になるのかわからないし
別に人にうらやまれるような仕事につかなくても、何がしかの仕事について社会の役に立ってくれれば年の離れた友だちとしてうれしいし
これから大いに迷うのが子どもの特権である。

でも大地君には定型発達の子と比べて確かに不利な面がある。
自分のやりたい仕事につくには、これから何度も何度も試験を突破しなければいけない。
そのたびに「時間内に終わらせる」とか「集中する」とか「決められた枠(行)の中に見やすい字で書く」とか
そういうことが課題になってくるだろう。

思うに、LD的要素への配慮が進んだ社会では
そういう試験技術の苦手のために貴重な才能に機会が提供されないことを防ごうという意識が強いと思う。
つまり配慮は個人のためだけではない。社会のためでもある。
ところが「よい子リベラリズム」のはびこる戦後の教育現場においては
「社会のために役立つ人間に」というテーゼそのものにイデオロギッシュな嫌悪感を持っちゃったりしている人たちがいる。
ひたすら個人の権利を主張しても、得られるものは少ない。

だから、案外こういう人たちが、善意があるにもかかわらず発達障害支援と相性悪いんですよね。
私がリベラル(笑)な政権と発達障害支援の相性が悪いと思うのはこんなところも原因だったり。

どっちかというと左の人よりも
どっちかというと右の人のほうが発達障害を理解するのは上手。
そういう印象を持っている。これまた暴言?

いずれにせよ、「社会と個人は対立関係にない」というのが私の持っている大前提なので
「社会に役立つ人間に育てる」ことは個人を抑圧することではない、と考えている。
社会は抑圧もしない。搾取もしない。そして一方的に庇護を求めるべき存在ではない。
社会は参加して作っていくものである。
障害があってもそれは同じ。

北海道情緒教育研究会十勝帯広大会でこんなお話を10月にさせていただきます。
「学校に教えてほしいこと、学校に教えてほしくないこと」

「社会は悪いところ。怖いところ」とは教えてほしくないですね。
真に受けますからね、自閉っ子は。

他国メディア

2011-08-26 17:58:40 | 日記
昨日の深夜バンコクを発つレッドアイフライトにて今朝成田に着きました。
東南アジアの冷房ってハンパなくて、必ず上着を持っていくようにアドバイスされるほどですが
(どうもギンギンに冷やすのが豊かさの象徴らしい)
成田に降りたとたん、その冷房のゆるさに、節電中の国に帰ってきたことをひしひしと実感。
もっとも冷房は、タイにおいてより日本においてのほうがずっとユビキタスなんですが。

満足すべき休暇でした。
休暇前から、「別に今ストレスの溜まっている状態ではないので、ゆったりするというより目標を持った休暇にしよう」と思っていたのですが、そのとおり
読むべきものは読めたし、身体もたくさん動かせました。
お昼寝もたくさん。それでも一日遊んで夜になると早く寝るので休肝日(ただしB)も多かったです。

これまでネットが高かったり不安定だったりしましたが
なぜか今度はネット無料の特典がついてきて、回線もずいぶん速くなり、しかもスコール降っても途切れない(笑)。
とくについったー最強です。これは震災のときもそうでしたね。不思議なもんです。

部屋には大画面のテレビもありまして、最初ドイツの国営放送を見ていましたが
「やーぱん」とか「やぱーにっしゅ」という単語が飛び込んでくると決まって円高の話。
震災直後は日本の現状、これからについて好きなこと言っていましたが、しょせん他人事。FUKUSHIMAのFの字も出てきません。
片方で日本では、自分のところの政府が出した情報を信じず、ドイツ気象庁が出した予想図を、字も読まず絵だけ見て誤解して大騒ぎしている人が多いのに
まあ他国の不幸なんてすぐ忘れるもんです。

それはBBCもCNNも同じ。
どっちもリビア国営放送(反カダフィ側の)と化していました。
とくにCNN。自国で起きたM5.8の地震(我々なら揺れても電話やめないレベルですよね)で右往左往するNYやDCの街を映したあと
日本で報道されていた「ヴァージニアの原発停止」「原発一機の非常電源喪失」にはまったく触れません。
疑心暗鬼になった日本人なら「情報統制だ!」と言うでしょうね。

アメリカが戦争をやるときのCNNを見ているとどうみても中立メディアではなく政府御用メディアですが
なのに我が邦の人々が震災直後、海外メディアを盲信していたのでびっくりしたのですが
メディアが劣化しているのは日本ではないのだなと、リビア情勢への固執を見て思いましたよ。

もちろんCNNもBBCも東日本大震災にも、津波にも、原発にもことりとも触れません。
NHK国際放送が震災についての特番をヘビロテしてたのに対し。
これは私たちの国の災難なんだ。よその国はすぐ関係なくなるんだなあと、つくづく実感しましたよ。

まあそんなこんなで。
今日から早速仕事復帰です。

写真は毎日リゾートに営業に来た象のジャンボ。
朝スコールが降った日にもちゃんとやってきて雨が上がったとたんお仕事します。
天候に左右されては仕事なんかやっていけません。象でも知ってますね。

励まされるお手紙

2011-08-25 06:25:35 | 日記
ちゅん平が立ち直ったのは、もちろん本人の力もあるけど、周囲の支えもある。

まずはご家族。

それから支援者の人たち。

そのときどきに適切な支援を選ぶ能力がちゅん平にはあった。
それに感謝する力も。

先日岩永先生は、浅見さんとの出会いも大きかったと言ってくださった。

花風社が何がしかの貢献をできたとすれば
それは「経験値」だと思う。

白くま母さんは
「ちゅん平から学んだ最大のもの。それは二次障害を怖れるのではなく、二次障害にならない大人に育つことを目標にすること」みたいなことを言っていて、感慨深かった。

だってここでも何度も触れているように、ちゅん平はむしろ
「二次障害のデパート」だったんだもの。

おそらくそれが、9月に行われる講演のバックボーンになっている。
特別支援教育は、おみそ扱いをしてくれと頼む場ではない。
どの子も可能性を伸ばす。それが特別支援教育の与える機会であると。
知的障害のない子なら、その能力を活かせる大人になれる。
重度のお子さんも、maru君みたいな働き者になれる。
白くま母さんや周囲の先生たちは信じている。

大地君は一冊目の本を出して、傷ついた。

でも私は、三冊目の原稿を読んでいて、ああ、本を出していいこともたくさんあったな、と安心した。

多くの方たちからフィードバックを得て
それが大地君を育てた。

自分で言うように、ラッキーな子だね。

引用します。

=====

たくさんの人の話を聞いてわかったこと

「自閉症」とか「アスペルガー」という診断がついている人がたくさんいました。大人も子どももです。大人の人の中には、子どもが自閉症で子どもと病院に行って、自分もそうだということがわかったという人もいます。僕のように知的障害がない人でも、毎日の生活の中に「困難だな~」という問題を抱えていて、病院で薬をもらったり、支援施設の協力をお願いしている人もいます。みんな「社会の中の一人になりたい」と、毎日毎日、修行しているそうです。スタートが大人になってからの人も結構います。でも、みんな諦めずに「未来に希望を抱いている」と、書いてありました。
 もちろん、僕のように子どもの人の話も聞きました。幼稚園や保育園の子もいますし、中学生や高校生で「受験しました」という人や、「就活を始めました」という人もいます。その中には、お話が出来ない「最重度」という診断の人もいます。毎日、学校や作業所に通う話は、僕に「頑張っているのはひとりじゃないよ」って、教えてくれているようでうれしい気持ちになります。
 頑張っていても、上手くいかないときがあったり、失敗があったりするようです。それは僕も同じです。それでも、みんな「働く大人になる」と、あきらめずに頑張っています。そして、出来ることが増えるとうれしいお知らせが来るんです。みんなと知り合って三年目です。後退している人は一人もいません。どの人も確実に成長し、発達しています。
 支援施設で働いている人たちや浅見さんは、「障害のある人たちも元気に働けるように、たくさんの人が色んな作戦を立てている。会社の社長さんたちが障害があっても、ちゃんと働けることを色んな人に話してくれているよ」と、教えてくれました。それと、小学校や中学校にしかいないと思っていた「特別支援教育」とか「コーディネーター」とかの助けてくれる人たちが、大学や会社にも違う名前でお助けしてくれる人がいることも教えてくれました。色んなことが始まったばかりで、まだまだこれからも変化していくみたいですけど、僕が大人になるころには「働きたい」と、願う人たちにたくさんの人たちが手を差し出してくれる社会になっている気がします。

=====

本当だ。大地君の言うとおり。
後退している人は、一人もいないね。

ほめ言葉としての雑食性

2011-08-24 07:40:00 | 日記
さて、タイ・プーケットでの臨海学校は続いています。
高温多湿な土地が大好きな私。
なんか、元気になるんですよね(当社比)。

同じ高温多湿でもハワイやグアムを選ばないのは
タイのいろんなものが好きなのと
何しろ食べ物の質の違いが大きいかと。
アメリカーンな食べ物苦手です。
大味で工業製品みたいで。食べ物っていうより餌だろ、って感じのもの多いんだもん。

アングロサクソン系、ゲルマン系がドミナントな土地って、まあ食材の乏しい土地がほとんどなんで
食文化が花開かないのも仕方ない面があります。
その点、放っておいても色々な植物の育つアジアに美味しいものが多いのはまあ当然です。

というわけでついついこっち方面を選びますが

朝御飯からもう、バラエティ豊かです。
おかゆ、点心、お味噌汁、タイ料理各種も用意されているし
パンも種類が豊富。アメリカのやたら甘っぽいペストリー類のもっと洗練された味のものからヨーロッパ風の硬いパンまで。
南国だからフルーツ類も豊富。コーンフレークとかももちろんあります。
不思議なことに白人な人たちはこれだけ豊富な中からもフルーツとパンとかハムとかからしか選ばないことが多いようですね。保守的なんだろうな。
アジア人は雑食です。これ、ほめ言葉ね。

かつてよく行ったドイツのホテルなんかだと
三十種類くらいおかずが並んでいましたよ。
ただしその全てが加工肉かチーズ。種類を限ってその中で差異を出す。

あれれなんか療育の世界と似てませんかね。
「うちの出し物はこれ(ABAとかTEACCHとか)」と決めて、誰が来ようとそのやり方で行動の修正なんかをはかる支援団体・支援者もあれば

長沼先生のように「保護者も当事者もそれぞれだから」と色々な手法を用意しておいて
「さあ、どれがいい?」と披露してくれる支援者も。
タイの朝御飯はこっちに近いかな。

神田橋先生もそうですね。
技をいっぱい用意しておいて、その人その人に合った方法で治療する。

それを加工肉の中で種類を追求して、「いやソーセージはやはりチューリンゲンよりフランクフルターだ」「違うでしょう」なんてやってたり

送られて来る加工肉の是非を検討するのに血道を上げ、発達援助をおざなりにしていたり

そういう人たちよりね
雑食性の人のほうが勉強が必要なんです。
だってすべての分野を一応虚心坦懐に勉強しなきゃいけないでしょ。

一番イタイのは
加工肉のたこつぼにはまっている人たちと、検査に血道を上げて治療をそっちのけにしている人たちが
勉強熱心であるがゆえにあれこれ試してみる人たちが理解できず、右往左往するその姿かな。
「あそこは点心もおかゆも出す。トンデモだ!」とか言って。

いっぱいある中から好きなものを選ぶ。
そのおいしさを知っている人たちから見ると、おかしいんですよね。



脳の可塑性

2011-08-23 07:04:12 | 日記
さて、療育や支援方法の選び方ですが
脳の可塑性をどの位に見積もっているかで選ぶ方針が違ってきますね。

お医者さんに「一生字が書けません」とか言われながら立派に字が書けるようになった方とかは多いですが
これなどは医療者が脳の可塑性を知らなかったのに対し
親御さん等周囲が様子を観察し、そんなわけないだろう、と考え
地道なトレーニングをした結果ですね。

私は海外にいて見てませんが、毎年恒例の24時間テレビでも
ずっと追いかけてきたお子さんの障害が軽くなっていった様子が流されたようですね。
やはり身体からの働きかけだったとか。

さて、「脳の中の身体地図」から。
この本は昨日言ったような経緯でニキさんから私に紹介され、長沼先生との本作りの際にも参考図書に上がってきたわけですが
日本で日本猿を使った実験に言及してます。
そう、日本猿。温泉入ったりお芋洗ったりするあの日本猿ですね。

この日本猿に熊手みたいなものの使い方を教える。ここまではまあチンパンジーなどのケースでよく聞いてきた話ですが、
最新の技術は猿が道具の使い方を覚える前と後でのシナプス形成の観察を可能にしています。
で、ちゃんと増えてるんですね、シナプス。

自閉症のたこつぼの中で「一生治りません。字は書けるようになりません。お母さんを道具だと見なしています。そういう障害です」と断言してしまう医療者と
長沼先生のように脳の可塑性を理解し「脳は使えば発達する」と伝える医療者との間には、
たこつぼにこだわらず
こういう外からの知見を柔軟に臨床に応用する方かどうかの違いがありそうです。

摂食障害の治療

2011-08-22 05:17:28 | 日記
南の島でThe Body Has a Mind of Its Ownという本を読んでます。
邦訳は「脳の中の身体地図」

この本が原書で出たときニキさんが勧めてくれて、それだけじゃなく一冊余分に買って私に贈ってくれました。
で、読みました。

そのとき思ったのは、ニキさんの考察って「定型発達研究」の賜物なんだなっていうこと。
普通人間の脳と身体はこうなってる。こう結びついてる。
それがニキさん自身が感じているものとは違うところが多い。
そこから障害特性を割り出してるんですね。

だから「こんなに大変なんです。わかってください」が延々と綴ってあるよくある持ち込み原稿とは実は勉強量の厚みが違う。
それをまた楽しく表現できる。本物のプロです。

自閉症関係者も大いに読んだ方がいいと思いますが
印象に残ったエピソードを一つ。
摂食障害の女性にカウンセリングをやっても治らなかったけど、締め付けスーツを着せたら治った。
それだけじゃなく、これまで機能していなかった脳の部位が機能するようになったそうです。

この人は自分のボディイメージがなかったのですね。
だから自分がすでにじゅうぶん痩せてることに気づかなかった。
身体をはっきりと締め付ける服を着ることで自分の身体の形がわかったのですね。

面白い本です。
私は今回電子書籍で読んでます。
英語圏の人たちは端末での読書がすっかり一般的。新しいリゾート地の風景になりました。

ありがとうございます!

2011-08-21 07:45:06 | 日記
南の島にいる私に届いたメールによると、
札幌の講演に関東や関西からもお申し込みをいただいているとか。
ありがたいことです。
九月の札幌はいい気候。
楽しみましょう。

長沼先生とニキさん、この仲良し過ぎて脳みそオタク過ぎるお二方が二人だけの世界に入って
私たちフツーの人間の理解できないディープな話にはまり込まないよう
上手に司会できるように
私もkindleに資料載せて持って来てせっせとお勉強してます。

現役の支援学校の先生がジョインしてくださいますが
これも中々面白さに寄与するでしょう。
実際に身体作りを取り入れてその効果を実感している先生です。

大きなテーマは二つ。
一つは脳と身体。
もう一つは経験値。
二次障害回避原理主義への疑問も。
だって適切な経験量は確実に人を育てますからね。

特別支援教育の究極の目的はその子が生き抜く力を育てること。
障害特性によってその生育が妨げられているのなら、バリアをなるべく低くすること。
二次障害の回避が究極の目的ではありません。

そういう仲間がどんどん増えているのが嬉しいです。

修行はすっぱい葡萄なのかな?

2011-08-20 07:50:00 | 日記
さてさて

8月17日の当ブログで引っ張った大地君のブログなんか読むと
修行はけしからん派(暫定的に)にとって
修行はすっぱい葡萄だっていう面もあるのかな、って思った。

何からやっていいかわかんない、とか
そういう声をよく聞くもので。

たとえば身体づくり。

私はアスリートウォッチング歴が長く
「マインズボディ」も効く人なので
(長沼先生の本読んだ方ならわかりますよね?)

身体づくりなんて、本にするもんじゃないだろうと思ってた。
それぞれがそれぞれの家で編み出していけばいいもんだろうと。

どう考えてもですね
稀勢の里と琴奨菊が同じ稽古をして大関を目指しているとは思えないわけです。

白くま母さんも同意してた。

でもあまりに「何からやっていいかわからない」という声が多いので
一応大地君と白くま母さんに

どういう理由があってどういうことをやっているか書いてもらったよ。

で、今度の本には載せることにしましたよ。

9月19日の講演も
そのあたりの話いっぱい出ると思いますが

脳と体のつながりって、私たちには自明なんだが
ここがぴんと来ない人っている。

それは育てる側の脳みその特性なんだと思うので
別に「ぴん」と来なくてもいいわけだし
その人たちは身体からのアプローチじゃない面で脳の可塑性を追求したり追求しなかったりすればいいと思うんだが
(ただしお互い邪魔をせずに)

やってみたいのに手がかりがない人は手がかりがあったほうがいいと思うので

そういう意味では今度の大地君の本は参考になると思います。

結局、そういうことって「自閉症の本」には書いてないんですよね。

「こういう苦手はどこから発生するのだろう?」
「放っておくとどういうところまで影響するのだろう?」
「どういうトレーニング方法が知識として提供されているだろう?」

そういう疑問を持ち
療育の世界の外まで出かけて勉強するところからそれぞれの修行プログラムが構成されているわけです。

私は「自閉っ子と未来への希望」に書きました。

優秀な教師って
「他業種から学べる人」って。

大地君ちの修行プログラム作りを見ていて、この点同じだなあと思いましたよ。


心はあります

2011-08-19 05:30:02 | 日記
さてさてまた大地君の原稿から。

まずは読んでみてください。

=====


僕の「心」

 僕に来た手紙にこんなのがありました。自閉症の子どもがいるというお母さんの話です。「お話もできないし、心がありません。大地君がうらやましいです」と書いてありました。母が許してくれたので返事を書きました。
「僕の友だちには自閉症でお話もできない人がいます。
その人は医者に重い自閉症と言われたそうです。
自閉症でなくても手も足も思うように動かなくて、お話が出来ないような人もいます。
でも、みんなと違う方法だけどお話はみんなが出来て、自分の思いや考えを伝えようと頑張っています。
おばさんの子どもはおばさんのように話が出来ないかもしれません。おばさんはその子が使う話の方法がわからないのだと思います。普段の話し方ではないけれど、おばさんと子どもと協力して二人でわかる方法を見つけたらきっと色んな話が出来ると思います。
そうしたら、心があることがわかると思います。おばさんがきれいだな~と思うものと、子どもがきれいだな~と思うものは違うかもしれません。
僕もママとはだいぶ違うし、友だちとも違います。違うことが面白いと僕は思います。
家族や親子で楽しめることがきっと見つかると思います。僕も家族や友だちと色々と頑張っているところです」と書きました。

=====

実を言うとね

「心」を周囲が推し量り、しかもそれがはずれていない家庭は大きな苦境も乗り切れるんだなと最近私に教えてくれたのはこの本です。



花風社は「深読みしなけりゃうまくいく」と説いてきた。

精神論じゃないんです。
頭の悪い人は読まずに誤解してぶーぶー言うけどね。

だって私がソロで講演頼まれたとき、議題が自由ならオファーするのはこれだもの。

「自閉っ子、心はあまり違わない」

そう思ってます。日々実感してますよ。