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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

直江兼続の詩

2008-07-22 11:16:13 | Weblog
 貴重な3連休でしたが土曜日は区吟連の常任理事会、日曜日は尾張や島田さんの
告別式と高島屋&ハンズで買い物、昨日は図書館で資料調べで3時まで 昼寝の後布施さんから拝借した前田慶次郎の本を読了。
理事会で今年も構成吟を依頼される。昨年につづいて室町、戦国を経て江戸の始めまで位いで取り掛かることにします。        では兼続の詩 つづきを

 雪夜炉を囲む
雪夜炉を囲んで情更に長し  吟遊相会して古今を忘る
江南の良策求むること無くんば 柴火煙中芋を煨くの香り
  煨 焼く  江南の良策 追撃の献策か?

囲炉裏で気のおけない友人と好きな詩を口ずさんで過ごす、かつての栄光も、後悔も煙とともに消えている。残っているのはいもの焼けた匂いと友と。

 元日
楊柳は其れ賓花は主人    屠蘇盃を挙げて元辰を祝す
新を迎え旧を送り桃符を換う 万戸千門一様の春
  元辰 元日の朝  桃符 魔除けの符 

柳の緑は客で赤い花が主人、お屠蘇で新年を祝う、門口のお札も換えて、どちらの
家も新春の気分に満ちみちている。
出題者の元日の題に合わせての作。藩存亡の危機の今、兼続の強い願いと責任の重さが伝わってくる。


直江兼続の漢詩その一

2008-07-18 17:06:08 | Weblog
 今日激しい雨とカミナリが鳴りました、梅雨明けでしょうか。
兼続(6)で滝川一益の子が前田慶次郎と書きましたが、私の思い違いでした。一族ではありますが間違いでした。相すみません。
 今回から詩文の解釈を試みることにいたします。もとより素人のすること、ひとりよがりや見当違いがあるかと思われますが、どうかご容赦を。

 歳 旦
冬風吹き尽して又春を迎う   春色悠々として晷運長し
池上に糸を垂る新柳の緑    檻前の飛気早梅香る
   晷(き)日あし

長い冬も終わってやっと春が巡ってきた、日脚も伸びて池の水面にやなぎの新芽
欄干をわたるさわやかな気配は早咲きの梅だろうか。

織女惜別
二星何ぞ恨みん隔年に逢うを   今夜床を連ねて鬱胸を散ず
私語未だ終らざるに先ず涙を洒ぐ 合歓枕下五更の鐘

洒ぐ そそぐ 

年に一夜しか逢えないあの星たち、今こうして共に語り合えるのだから恨みになど
思うまい、なのに君は涙にくれるばかり。きぬぎぬの枕辺にもう明け方の鐘が。

直江兼続(8)

2008-07-17 11:51:56 | Weblog
連日猛暑が続きますが、梅雨明けはまだなのでしょうか。のうぜんかずらはもう
真夏色、からすうりの花も純白のレースを薄闇に開き始めています。
 直江兼続の略年譜と主な武将の生没年を掲載します。

略年譜
永禄三年 1560 1 歳 樋口与六坂戸城下に生まれる
天正六年 1578 19歳 謙信春日山城にて死去
天正七年 1579 20歳 御館の乱終結 与六から兼続へ
天正九年 1581 22歳 おせんと結婚直江家を継ぐ
天正十年 1582 23歳 本能寺の変 信長自刃
天正十四年1586 27歳 景勝に従い上洛
天正十六年1588 29歳 再度上洛 豊臣姓を賜る 古文真宝を写す
天正十七年1589 30歳 景勝 兼続等家臣と和漢連句会を催す
文禄元年 1592 33歳 景勝に従って渡韓 陣中で連歌会を催す
慶長三年 1598 39歳 会津百二十万石に移封 兼続米沢三十万石に
               秀吉死去
慶長五年 1600 41歳 家康詰問状に返書す。家康会津出兵 関が原
慶長六年 1601 42歳 米沢城に入る
慶長七年 1602 43歳 亀岡文殊堂に詩歌百首を奉納
慶長八年 1603 44歳 家康征夷大将軍に
慶長十二年1607 48歳 文選刊行
慶長十九年1614 55歳 大阪冬の陣
元和元年 1615 56歳 大阪夏の陣 豊臣氏滅亡
元和二年 1616 57歳 徳川家康死去
元和五年 1619 60歳 江戸鱗屋敷にて死去

生没年
武田信玄(1521-1573)
上杉謙信(1530-1578)
細川幽斎(1534-1610)
豊臣秀吉(1537-1598)
前田利家(1538-1599)
徳川家康(1542-1616)
上杉景勝(1555-1623)
直江兼続(1560-1619)
石田三成(1560-1600)
伊達政宗(1567-1636)
前田慶次郎   諸説あり断定できないが、兼続よりかなり年長とみられる。


直江兼続(7)

2008-07-16 12:06:52 | Weblog
静嘉堂の帰り岡本民家園に立ち寄りました。その折のヒメヒオウギズイセンを撮って来ました。
                    兼続和漢連句百首のつづきです
逢う恋
風花雪月情に関せず     邂逅し相逢うて此の生を慰む
私語して今宵別れて事無し  共に河誓また山盟を修す

山家
磐石羅を垂らして世塵を避く 山中の旧宅独り身を容る
白雲深き処行く人少に    峭壁攢峯四隣を蓋う
  峭壁攢峯 切り立った崖と折り重なった峯

兼続の双肩に今度は経営の重責がのしかかる、住居の建設、治水、開墾、基盤整備、産業の振興、とりわけ紅花、青芋(あおそ)うるしの生産奨励などに力を注いだ。そのような多忙のなかわが国初の銅版による文選三十巻を刊行している。元和元年に大阪城が落ちて四年の後、江戸屋敷にて死去。享年六十歳、年も押し詰まった十二月のことであった。この年の秋に賦した詩を最後にお届けする。

洛中の作
独り他郷に在って旧遊を憶う 琴非らず瑟非ず自ずから風流
団々影は落つ湖辺の月    天上人間一様の秋

以上で構成吟は終わりますが、次回略年譜を掲載します。 

直江兼続(6)

2008-07-14 15:43:09 | Weblog
 とうとう行ってきました二子玉川の静嘉堂文庫。目当ては直江兼続の佩刀長船兼光、未亡人となったお船から上杉家に伝えられたので「後家兼光」の異名をとる。後世の拵えで金蒔絵という派手さ兼続には似合わないと思った。展示品中最長で二尺六寸四分の堂々たる一振りでありました。メインの展示品は滝川一益が織田信長
より拝領の古備前高綱で、兼続に心酔した前田慶次郎の父が滝川一益です。もう一
振り、仙台国包が良かった、地金の美しさと拵えの良さです。
 出自の確かなものを見ていると、その時代の名将、もののふの息遣いまで聞こえて来るようです。   では続きを

関が原で西軍についた上杉家だが、ようやく取り潰しは免れ米沢三十万石に削封国替えとなった。慶長六年十一月六千人の家臣を引き連れて米沢に入る。
翌年二月には藩内の士二十七名が亀岡に集い、米沢藩の安泰を祈願して、和漢連句百首を詠み文殊堂に奉納している。兼続は漢詩のみ七首を残す。巻頭の課題「元日」から順次詩舞をまじえておくる。

 元日
楊柳は其れ賓花は主人    屠蘇盃を挙げて元辰を祝す
新を迎え旧を送り桃符を換う 万戸千門一様の春
  元辰 元旦  桃符 魔除けの符 

 螢簾に入る
凉螢竹影を度って横斜す   忽ち疎簾に入って夜色加わる
応に是れ客星の帝座を侵す  丹良一点窓紗に映ず
  客星の・・流れ星が星座を横切る様子  丹良 蛍のこと

菊花
菊は秋日に逢うて露香奇なり 白々紅々華枝に満つ
好し西施が旧脂粉を把って  淡粧濃抹東籬に上さん