goo blog サービス終了のお知らせ 

寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

直江兼続 (5)

2008-07-09 11:24:30 | Weblog
 中野図書館から予約していた火坂雅志著「天地人」上下二巻を借りてきました。
上巻を読み終わったのですが、ものがたり として楽しく読ませていただきました。さてこちらもつづきを。

 天下取りを目指す徳川家康は加賀前田家に次いで上杉家を屈服させようと目論み詰問状をつきつける。兼続は敢然と反発し、逐一理に適った反論を書き送る。世に聞こえた直江状である。大軍を発した家康軍が会津に迫ろうとするまさにとき、石田三成が動いた。関が原の戦いの発端である。とって返す家康軍を追撃せんとの兼続の献策に、景勝は上杉の「義」に悖ると、初めてこの策に反対した。なおも追撃すべしの声を飲みこんだ兼続 後にこの詩を残している。

 雪夜炉を囲む
雪夜炉を囲んで情更に長し   吟遊相会して古今を忘る
江南の良策求むること無くんば 柴火煙中芋を煨くの香り
  煨 焼く  江南の良策 追撃の献策か?





直江兼続(4)

2008-07-08 10:25:11 | Weblog
 昨日七夕 お母さんに手を引かれた女の子が笹飾りをもっていたので「何をお願いしたの」と聞いたら、パパに水族館につれてってとお願いしたって。はりせんぼんとくまのみがお目当てだそうです。

天正十四年景勝に従って上洛し豊臣秀吉と謁見する。十六年再上洛の折、秀吉より豊臣姓を許されるも家臣となることを拒み終生景勝につかえる。
兼続の義心に感じ自ずと集う者多く、細川幽斎、石田三成、前田慶次郎、等と交遊する。時に連句の会に列席しているがこの詩もその折であろうか、起承の二句を欠くも味わい深い詩である。

春雁吾に似 吾雁に似る
洛陽城裏 花に背いて帰る

 秀吉の朝鮮出兵で兼続は自軍に略奪を禁じた。また戦火で焼失の危機にある漢籍を多く救い、わが国に持ち帰った。文人兼続の本領であろう。
慶長三年秀吉から景勝に会津百二十万石に移封の命が下り、兼続にも陪臣ながら米沢三十万石が与えられる。その秀吉も八月に伏見城で秀頼の行く末を案じながら死去する。

露と落ち露と消えにしわが身かな 浪速のことも夢のまた夢      つづく


直江兼続(3)つづき

2008-07-05 11:49:22 | Weblog
御舘の乱の功により若くして家老の重職に就いた兼続に縁談が舞い込む。
名門直江家当主の急死により家名の断絶を惜しんだ景勝の命によるおせん
との結婚です。三歳年上のおせんもまた才色すぐれ夫婦仲も睦まじく兼続
は終生側室をもたなかったといわれている。

 織女惜別
二星何ぞ恨みん隔年に逢うを   今夜床を連ねて鬱胸を散ず
私語未だ終らざるに先ず涙を洒ぐ 合歓枕下五更の鐘

 天正十年武田家を滅ぼした織田軍が越後の国境に集結、将に合戦に及ばんとする時信長は明智光秀の謀反により自刃し、上杉軍は虎口を逃れます。

本能寺     頼 山陽
本能寺溝は幾尺なるぞ      吾大事を就すは今夕にあり
茭粽手に在り茭を併せて食う   四簷の梅雨天墨の如し
老いの坂西に去れば備中の道   鞭を揚げて東を指せば天猶早し
吾が敵は正に本能寺に在り    敵は備中にあり汝能く備えよ
                               つづく


直江兼続(3)

2008-07-05 09:47:02 | Weblog
昨日田無に行ったとき朱色のかわいい花を見つけました。ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)の名がついていました。ヒオウギ(檜扇)とヒメヒオウギアヤメと
ヒオウギアヤメとあってかなりややこしいです。私は「植物園へようこそ」をお気に入りに入れています。とても良いサイトですよ。どうぞ比較してみて下さい
それではつづきに入ります。



直江兼続 (2)

2008-07-04 09:40:27 | Weblog
昨日道端でもじずりを見つけました。昨日のつづきを一席

両雄はしばしば合戦に及んでいる。とりわけ第四次の戦いは熾烈を極めた。世に言う川中島の戦いである。

 合戦川中島      角光嘯堂
千曲の川霧犀川の雨      松籟吹き荒ぶ西条山
暁天に雲を呼ぶ川中島     雄心堂々両雄の戦い
竜虎相搏つ阿吽の策      十年の一剣堅塁の間
三尺の氷刀陣頭に冴え     一髪の流星興亡の剣

この合戦の一年前 永禄三年越後坂戸城下に男児が誕生する。樋口与六のちに直江家を継いで兼続と名乗る。幼少より利発で聞こえ、謙信の姉仙洞院に見出される。後に謙信の後継者となる五歳年上の景勝の小姓となって春日山城に登り、ともに謙信より上杉の「義」の精神を受け継いだ。
天正六年謙信の急死により、養子二人、景勝と景虎の間で後継者争いが起こり、与六の働きもあって景勝が越後一国を領す。御舘の乱と言う。与六この年二十歳、冠して兼続を名乗る。この年の新年の詩が残されている。

 歳 旦
冬風吹き尽して又春を迎う   春色悠々として晷運長し
池上に糸を垂る新柳の緑    檻前の飛気早梅香る
                                  つづく