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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 帝道を行わば帝たり、行う所如何を顧みるのみ。

2012-11-13 09:28:19 | 十八史略

徴曰、五帝・三王、不易民而化、湯・武皆乘大亂之後、身致太平。行帝道而帝、行王道而王。顧所行何如耳。上卒從徴言。元年、關中饑、斗米直絹一匹。二年、天下蝗。三年、大水。上勤而撫之、未嘗嗟怨。至是天下大稔、米斗三四錢。終歳斷死刑、纔十九人。東至于海、南及五嶺、皆外戸不閉、行旅不齎糧、取給於道路焉。上曰、魏徴勸我行仁義。今既效矣。惜不令封彝見之。蓋彝元年六月死矣。

徴曰く、「五帝・三王は民を易(か)えずして化し、湯・武は皆大乱の後に乗じて、身太平を致せり。帝道を行わば帝たり、王道を行わば王たり。行う所何如(いかん)を顧みるのみ」と。上、卒(つい)に徴の言に従う。
元年、関中饑え、斗米、絹一匹に直(あたい)す。二年、天下蝗(こう)あり。三年、大水あり。上、勤めて之を撫(ぶ)せしかば、未だ嘗て嗟怨(さえん)せざりき。是(ここ)に至って天下大いに稔り、米斗三四銭のみ。歳を終うるまで、死刑を断ずること、纔(わずか)に十九人。東のかた海に至り、南のかた五嶺に及ぶまで、皆外戸閉ぢず、行旅(こうりょ)糧(かて)を齎(もたら)さずして、給を道路に取れり。上曰く、「魏徴、我に勧めて仁義を行わしむ。今既に效あり。惜しむらくは封彝(ほうとくい)をして之を見しめざることを」と。蓋(けだ)し彝は元年六月に死せるなり。


五帝 少昊・顓頊・帝嚳・堯・舜。 三王 夏の湯王・周の文王・武王。 蝗 いなご。 嗟怨 なげきうらむこと。 

魏徴がこれに反論して「五帝・三王は、おなじ人民を徳をもって教化しました、殷の湯王と周の武王は、ともに大乱の後に太平の世を招来いたしました。帝たる道を行えば天下に帝となり、王たる道を行えば天下に王となる。考えなくてはならないことは、何を行うかなのです」と。太宗は結局魏徴の意見を取りあげた。
貞観元年は関中が飢饉に見舞われ、一斗の米が絹一疋の値になった。二年は国中いなごに食い尽くされ、三年には洪水があった。だがいずれも帝がひたすら救済に勤めたので、怨嗟の声ひとつ上がらなかった。そしてこの四年になって、天下は大豊作にわき、米一斗がわずか三、四銭となり、この一年が終わるまで死罪となった者はわずか十九人にとどまった。東は海辺の村から東は五嶺の麓にいたるまで、家の戸を閉てる者もなく、旅に出るにも食糧を持たず、先々で手にいれることができるようになった。
太宗は「魏徴の勧めによって仁と義の政治を心がけたが、今ここになって表れてきた。ただ惜しむらくは封徳彝に見せてやることができぬことだ」と言った。封徳彝は貞観元年の六月に世を去っていたのだ。

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